079 正司の悩みと決断
時間は少し遡る。
正司を港へ送り出したあと、残りの面々で、今後の対応について話し合うことにした。
この場にいるのは、ルンベックとミュゼ、そしてリーザである。
「もうすぐバイダル公領とフィーネ公領から軍がやってくる。我が軍も、早急に編成をしなければならないね」
ルンベックの言葉に、リーザの顔がやや強ばる。
ルンベックは、戦争を継続させるつもりなのだ。
「問題は、どこを落としどころにするかですわね」
ミュゼもまた、ルンベックと同じ考えのようだ。
国境付近での戦闘は終わった。
正司のおかげで、町の安全は守られた。
あとは交渉で戦争を終わらせる……というつもりは、ルンベックにはないらしい。
「あの……お父様。王国に逆侵攻をかけるのですか?」
「そうだよ。今回のやり口、私は相当腹に据えかねている。だからね、私は行くところまで行くべきだと思っている。リーザはどうかな?」
「私は……」
リーザは考えた。
現在、トエルザード公領内に侵攻してきた王国兵はみな捕縛ずみである。
増援が国境を越えたという報告はきていない。
バイラル港との両面作戦を採ったことを考えると、王国内にそれほど多くの予備兵力はないと考えられる。
「私は、将来に禍根を残すことは、避けたいと思います」
恨みは根強い。十年、二十年経っても消えないこともある。
将来、ルノリーが当主となったとき、王国民がいまだトエルザード家を恨んでいるという状況は避けたい。
リーザがそう説明すると、ルンベックは「それはそうだね。なるべく恨まれないよう、考慮しよう」と言った。
「あなた、まるで戦う前から勝ったような口ぶりですわよ」
「そう聞こえたかな。でも、久し振りに三公軍が集まるのだ。これを上回る兵力を王国が所持しているとは思えないね」
今回の侵攻、王国は数万の兵を動員してきた。
街道方面からきた軍はすべて捕縛ずみ。王国には大打撃だろう。
さらに、こちら側の被害は皆無。
これに三公の軍が合わさるのである。
逆侵攻をかけた場合、王国はどこまで持ちこたえられるか。
「宣戦布告がありますから、兵を動かす口実はありますわ。……それで落としどころをどのあたりにする予定ですの?」
「おっと、その話がまだだったね。落としどころか……私は、王国が一番嫌がることをしようと思う。向こうから和平交渉を持ちかけてくるまでね」
王国が嫌がることとは、町が保有している物資を徴発する。
町にいる商会から、金を出させて解体させる。そのようなことらしい。
各町でそれを繰り返しつつ、三公軍が王都に迫ればよいとルンベックは説明した。
「国民から恨みを買わないようするにするには、搾取する相手を選べばいい。目立つ商会を潰しつつ進軍すれば、王国は日を追うごとに追いつめられていく」
ルンベックの発想は、大航海時代にあった私掠船と同じである。
国家主導の通商破壊を行おうというのだ。
「お父様、王国が和平交渉を持ちかけて来なかったら、王都を落としますの?」
「いや、必ず途中で降参してくるよ。さすがに、こちらの進軍速度はそれほど速くないから、考える時間は十分にある。国王が嫌と言っても、周囲がそれを許さないさ」
王国が本気で防衛するならば、王都クリパニアで籠城することになる。
王都は生半可な攻撃では落ちない。
堅牢な城壁に守られた王都である。
ひょっとすると、三公の連合軍が総力を挙げて襲いかかってもびくともしないかもしれない。
だが、こちらには土魔道士がいる……と王国は思っている。
土魔道士タダシならば、王都を守る巨大な城壁すら軽く無効化できる。
それでは籠城戦はできない。
そう考えて、和平の使者を送ってくるだろうとルンベックは言った。
「わたくしも籠城は選ばないと思いますわ」
「お母さまも同じ考えなのですか?」
「ええ、判断が遅れれば王都は危険に晒されますわね。不利な状況になればなるほど賠償金の額も跳ね上がって、支払う体力が削られていきますもの。王都の半分の距離まで進められれば、いい方だと思いますわ」
恐らくその前に和平の使者が来るとミュゼは言った。
「私もそんな感じだと思っている。それで潰れるのは一部の商会だけだろうが、当面は大人しくなるだろう。その間に、これまでの精算をさせる。八老会のトップと会談することも視野にいれているよ」
最近の王国はおかしい。国の舵取りが間違っている。
内需を拡大させるのではなく、敵を外に求めて、利益を上げようとしている。
先代国王はとにかく公共事業を行い、金を王国内に回らせようとした。
いまの国王は緊縮財政を国民に強いて、浮いたお金で多くの傭兵団を囲っている。
魔物の脅威を取り除こうとするようにも見えるが、その実態は違う。
今回のように、ずっと他国侵略を狙っていたのだ。
「お父様とお母様の意見は分かりました。それで我が軍ですけど、兵と物資を集めなければなりませんが、それはどうするおつもりですか?」
「準備かい? ミュゼがもうやっていると思うけど」
「ええ、指示は出してあります。使わないに越したことはないと思いましたが、各町に使いを送ってありますの」
「やっぱりね。だとすると問題は、軍を指揮する者だが……それは弟にやらせるか」
ルンベックの弟は、たった一人しかいない。
「まさかオールトン叔父さまですか? 本人は泣いて嫌がると思いますけど」
「そのときは、娘をつけると言うさ」
オールトンを軍のトップにおいて、リーザを補佐につける。
この場合、リーザは作戦を補佐するのではなく、逃げ出すのを防ぐ意味合いがありそうだ。
「私はそれでもいいですけど、叔父さまが……いえ、何でもないです」
リーザが補佐につく。これは軍を率いろと言われたとき以上に、嫌がるのではなかろうか。
「そういえば、捕らえた王国軍はそのままだったね」
「はい。タダシが向かわない限り、外へ出すのは不可能みたいです」
正司の〈土魔法〉に干渉できるのはいない。
「だったら一度、タダシくんが国境町へ向かう必要があるね。そのときはリーザもついていった方がいいかな。話がスムーズに進む」
「分かりました。私としては、港が気になるのですけど……」
リンフルの町は防衛に成功して、他からも兵は集まっていると聞く。
問題はバイラル港だが、正司が戻ってこないことには、状況が分からない。
すでに敵の占領下にあると仮定すると、港の奪回作戦も練らなければいけなくなってくる。
だがバイラル港はここから遠い。
また、奪回するための余分な兵がない。
よしんば兵を集めて港の奪回に向かわせたとして、到着までそれなりの日数がかかる。
運用を集中すれば日数の短縮ができるが、もうすぐ二公の軍がやってくる。
トエルザード側で二公軍の受け入れ準備をしなければならないし、こっちからも兵を出すので、やることは一杯ある。
糧秣や武具の準備、移動に使う荷車や馬の手配も必要となる。
今回やってくる二公軍は先遣隊だけであり、後続も各領で準備の最中であろう。
今頃は、第二陣が出発する頃かもしれない。
とにかくルンベックだけでなく、ミュゼもリーザも仕事は多いのだ。
港の奪回作戦を同時に指揮するのは、かなり難しい。
「考えたけれども、一旦バイラル港のことは忘れるしかないね。リンフルの町に家臣を派遣して、情報を集めるだけになりそうだ」
最優先は、二公軍を受け入れること。
兵を一日遊ばせるだけで、かなりの金銭的ロスが発生する。
それをさせないためにも、早く軍をまとめて、出発しなければならない。
「分かりました、お父様。いまは軍のとりまとめに全力を尽くします」
「じゃ、私たちでできることを分担して取りかかろう」
ルンベックたちがそれぞれの仕事に没頭していると、正司が戻ってきた。
「おかえり、タダシ。港はどうだった?」
気付いたリーザがまっさきに尋ねる。
「ただいま帰りました、リーザさん。……バイラル港はひどい状態でした。まるで焼け野原です。各所で同時に火をつけたらしく、焼け残った場所がほとんどありません」
「そう……そんなことになっていたの」
思ったより酷いとリーザは思った。
王国は港を占領下におき、自分たちが使うのだと思っていたのだ。
「ですので、町の中央に収容所を作ろうと思いますけど、いいでしょうか」
「収容所? どういうこと?」
リーザは、意味が分からない。
「タダシくんが戻ってきたって?」
ルンベックとミュゼがやってきた。
「ただいま戻りました、ルンベックさん、ミュゼさん」
「よく無事に戻ってくれた……それで港はどういう状況だったのかな?」
「はい。いまリーザさんに話したのですけど、敵が町中に火を放ったらしく、町全体が焼け野原になっていました。わずかな家だけが残った感じです」
「……まあ、ひどいこと」
「火を放ったか……再占領されたとき、港を使わせない作戦だね」
港を維持せずに火を放ったのは、別の町を占領するか、時期をみて港から撤退するつもりだからだろう。
「そういうわけで、町を襲った人を全員捕まえました。それでその人たちを一カ所に集めようと思うんです」
「…………待って!」
リーザは額に手を当てて、いまの言葉を理解しようと努めた。
「もしかして敵兵を全員捕まえたのかい?」
「いえ」
「そうだよね。ああ、ビックリした」
あからさまにルンベックがホッとした表情をした。
「町に残った人全員を捕まえました。ですから、逃げ遅れた町の人も一緒に捕まえてしまったんです」
「…………待ってくれるかな!」
ルンベックは両手で頭を押さえた。
正司の言葉を理解しようと、いま頭を素早く回転させているのだ。
「タダシさん……もしかして、国境の町と同じようにやったのですか?」
「いえ」
「そうですわよね。町の外ならばいざ知らず、町中に散った人々を……しかも全員なんて、捕まえることはできませんものね」
「同じようにすると、敵と味方が一緒になって、よくないと思ったんです。ですから、一人ずつ、個別に捕まえました」
「…………待ってくださるかしら」
ミュゼは、繊手を正司の前に伸ばした。待ての仕草である。
町中に散った人々すべてを個別に捕まえたとはどういう意味か、ミュゼは本気で理解できなかった。
結局正司は、同じ話を三回繰り返すことになった。
それでようやくリーザもルンベックもミュゼも頭では理解したものの、表情は驚きに固まったままであった。
その後は早かった。
ルンベックとミュゼが信頼できる者たちを集めて、正司が彼らをバイラル港に跳ばした。
この後に及んで、〈瞬間移動〉が……とは言っていられなくなった。
正司の話が真実ならば、先ほど話した戦争継続の前提が崩れる。
早急に事実を確認し、作戦の修正案を作らねばならない。
結果はすぐに分かった。というか、正司の言い分はすべて合っていた。
敵と味方どころか、本当に一人ずつ分かれて、みな平等に閉じ込められていたのだ。
正司は町の中央に大きな収容所を作り、そこへ敵と思われる者を次々と跳ばした。
味方はその場で解放している。
正司がバイラル港へ再び向かったのと前後するように、リンフルの町から鳥がやってきた。
町の防壁はいまだ健在で、近隣の町から援軍が到着したという。
町の内部にはまだ敵勢力は残っているものの、もはや組織的に活動できないだろう、あとは任せてほしいと書いてあった。
ラクージュの町には、リンフルの町へ手紙を届ける鳥を飼っているため、委細任せる旨を書いて、飛ばした。
これで港方面の憂いはほぼなくなったことになる。
というか、わずかな期間で、トエルザード領から敵が一掃された。
予想外過ぎる展開である。
その日の夜、バイラル港に向かわせた者たちの何人かが、正司と一緒に戻ってきた。
港を襲った者たちを一カ所に集めることに成功した。
林に隠れていた者や街道に出ていた者たちは、すでに町へ戻っている。
今後バイラル港は、復興にとりかかることになる。
その前に、逃げ出した住民に戻ってきてもらわねばならない。
町の復興は領主が主導して、町民一丸となって推し進めることになるだろう。
もちろんトエルザード家も援助する予定だが、あくまで復興の主役は町民たちなのだ。
彼らの意志がまず重要になってくる。
「タダシ、今回も大活躍だったわね……って、どうしたの?」
港から戻って以来、正司の様子がおかしい。
リーザは疲れているのかと、じっと正司を見つめるが、そういう感じでもなかった。
「悩みがあるのかしら?」
押し黙った正司に、そう聞いてみる。正司は弱々しく微笑んだ。
「そうですね、悩みと言えばいいのでしょうか……少し考えさせられることがありまして」
正司はそう言うと、マップに目を向けた。
自分を示す印がマップに見える。クエストマークは出ていない。
正司がどんなに悩んでも、正司自身にクエストは発生しないのだろうか。
発生しないのだろう。正司の悩みを解決してくれる白線は、存在しないようだ。
(自分の悩みは、自分で解決しろということですね)
そんな風に正司が思っていると、リーザが正司の腕を取った。
「ねえ、タダシ。悩みがあるなら、私が聞くわ。今日のことでしょ?」
占領下の町へ正司は赴いた。
何かを見て、そして思うところがあったのだろう。
原因はそれしかないと、リーザは確信している。
こういうとき、黙って話を聞いてあげるのが筋であると。
「人を救うのは、難しいですね」
「はいいっ!?」
リーザが思っているのと少し……いや、かなり違った。
今日、正司は多くの人を救った。
あのとき、港は敵の占領下にあったのだ。
様子を見てくるだけで御の字、だれも正司が港を解放するなどとは思ってなかった。
これは大成功と誇っていい。
ゆえに正司は、多くの人を救っている。これは間違いない。
なのに「人を救うのは難しい」とは、正司は何を悩んでいるのか。
リーザはマジマジと正司の顔を見た。
正司の真剣な様子が伝わってくる。
嘘や冗談で言っているのではないらしい。
「多くの人が亡くなりました。運良く生き残った人も、家族や友人を亡くしたりしています。家を失い、財産を失って、これからどうすればいいのか分からない人もいます」
「そうね」
リーザは相づちをうつ。それが戦争なのだ。
戦争をおこしたのは王国だが、阻止できなかったのはトエルザード家だ。
町民を守る責務はトエルザード家にある。
どんなにがんばっても、戦争の被害をゼロにすることはできない。
できるのは、あとでしっかりと補償することくらい。
この後ルンベックが、王国からむしり取ることだろう。
だからリーザは思う。それについて、正司が思い悩む必要はないのだと。
「棄民を間近で見たときもそうでした。私は、目の前の人たちを助けました。できる限り、彼らを救いたいと思いました」
「立派なことだわ」
普通はできない。なぜならば、だれも棄民を助ける余裕など、あるわけがないのだから。
「ミュゼさんの講義を受けているうちに分かってきたことがあります。棄民はしょうがないことだと。すべてを救おうとすると、遠からず町が破綻するのだと教わりました」
「そうね。間違ってないわ。どこにだって限界はあるもの」
魔物が湧かなくて、しかも利便性のよい土地は稀少。
そんな土地があれば、苦労しない。
「それでもミュゼさんは、国策として棄民救済を選んでくれました。できる限りですけど、一人でも多くの棄民を自領から減らすと言ってくれました」
ミュゼが棄民救済を打ち出したのは、正司が望んだからである。
そして、トエルザード家には、それができる余裕がある。
実際、それなりの数の棄民を救済しても、トエルザード家の屋台骨は揺るがない。
町民の感情は抜きにすれば、それは可能なのだ。
「それで少しだけ希望が持てました。どの国も少しでいいから、そういった人たちを救ってくれれば、どれだけ多くの人が助かるのか……そんなことを考えていました」
いま正司は希望が持てたといった。
ミュゼが打ち出した棄民救済政策に、光明を見いだしたのだ。
「だけど今回、焼け野原となったバイラル港を見ました。多くの人が亡くなり、家を失い、財産が焼失しました。普通に町で暮らしていた人たちが、たった一夜にしてすべてを失ったのです」
正司の悩みはここ。
結局どんなに頑張っても、全てを失う人が簡単に出てしまう。
いくら棄民を救済しても、それを上回る速度で棄民を出しては意味がない。
この世界で戦争は、特別なことではない。
いつどこで起こっても不思議ではないのだ。
正司が十年かけて棄民を減らしたとしても、大きな戦争がひとたび起これば、それに倍する棄民が生まれてもおかしくない。
この世界はかようにも厳しい。正司はそれを実感した。
ゆえに考えたのだ。考えに、考え抜いたのだ。
自分の力でこれをなんとかできないか。
この世界の仕組みそのものに「もの申す」ことができないか。
「そこで私は考えたのです。すべての棄民を救う……できるかどうか分かりませんが、そうしようと。それと同時に、もうこれ以上棄民を出さないようにしようと思ったのです」
「…………タダシ」
それが正司の悩みだったかと、リーザは悲しい気持ちになった。
できるできないで考えれば、それは不可能。
年を追うごとに町の人口は増えていく。
それは統計を取っているから分かること。
百年前にくらべて、今はどれだけ人が増えたか。
そして今より百年後、どれだけの人が増えていることか。
それが正司には分からないのだ。そうリーザは考えた。
「まだ具体的な方法は見えていません。ですがやりたいことは決まりました。あとはそれをどう実現するかです。それさえ見つかれば、前を向いて歩いていけます。胸を張って前を向けます……けど、方法はまだ」
正司はずっと悩んでいた。土地不足の問題は深刻だ。
僻地に魔物が湧かない土地があっても、活用されていないのには理由がある。
無理矢理人を住まわせても、不便この上ない。
不便な場所に棄民を分散させて住まわせる。何十カ所へ? それは現実的ではない。
よい解決方法が見つかりそうで、見つからない。
ゆえに悩んでいたのである。
リーザは正司の悩みを聞いたものの、それに対してよい解決策は提示できなかった。
通り一遍の言葉で慰めただけで、その場は流れた。
翌日正司は、国境の町に捕まえた敵兵を収容する施設を作った。
これ以上虫かごに閉じ込めたままだと、さすがに生命の危機に陥る者が出てくる。
リーザはオールトンを引きずり出すことに腐心し、ミュゼとルンベックは軍の手配と、やってくる二公軍を受け入れる準備をはじめた。
各人が慌ただしく動いていたため、リーザは正司と話をする機会がなかった。
正司が港の復興の手伝いをしに向かったとき、沖に逃れていた大型船がようやく寄港した。
数日前、大型船が寄港しようとバイラル港へやってきたとき、ちょうど襲撃を目撃したようである。
巻き込まれてはたまらないと、すぐに引き返し、しばらく沖の方を周遊していたらしい。
正司は積み荷の中に「ラウ麦」がないか、聞いて回った。
すると、とある商人が持っていた。
「こっちではまったく馴染みのない商品ですけどね、何かの拍子に売れることもあるんじゃないかと思って、仕入れておいたんですよ」
商人は笑ってそう言った。
「これがラウ麦ですか。粒が大きいですね。それに身も綺麗です」
「家畜の餌とは違うでしょう? たまたまできたものを何度も植えて、品種改良したみたいなんですよ。帝国でもごく一部でしか収穫できないので、見たことある人が珍しいってものですが、お客さん、よく知ってましたね」
「帝国から来た人が、これを好きらしいんです」
「なるほど、前から知っていたのですか。……それでいかほどご入り用ですか?」
正司は念のためと百キログラムほど……麻袋三つ分も買い込んだ。
するとマップの白線は西へまっすぐ延びる。
「ありがとうございました」
正司は麻袋を『保管庫』に仕舞うと、すぐにボスワンの町へ跳んだ。
「クーファさん、いますか?」
「……はい、あっ、タダシさん」
家にはクーファとミムウがいた。
今日はクーファも最初から起きている。
「ラウ麦を持ってきました。家畜の肥料じゃないやつです」
「まあ、どこでそれを?」
クーファとしては、まさかという思いが強い。
「バイラル港です。帝国から仕入れたみたいです」
「そうでしたか……えっ、バイラル港?」
この短期間でボスワンとバイラル港を往復できるわけがない。
クーファがそんなことを思っていると、正司は台所を借りると言って、奥へ行ってしまった。
ほどなくして、「ラウ麦かゆ」を作って戻ってくる。
「クーファさん、できました。ミムウさんもこれが本物のラウ麦ですよ」
「ほんもの?」
「本物です」
正司はミムウに笑いかけた。
前回の『ラウ麦かゆ』は、トラウマになりそうなしろものであった。
ミムウは正司から渡された椀をじっと見つめる。
匙でかき回し、匂いをかぐ。
どうやら相当警戒しているようだ。
クーファは一口食べて、「まあ、おいしい」と頬を緩ませた。
それを見たミムウも恐る恐る口に運ぶ。
「……おいしい」
目を開いて正司を見る。
「おいしいですね。家畜の餌だったラウ麦が、品種改良されて、こんなにおいしくなるなんて」
正司もクーファやミムウと一緒に食べている。
三人で食卓を囲んで、まるで家族のようである。
クーファもそう思ったのか、やや頬を赤らめた。
どうやらラウ麦自体に甘みがあるらしく、塩しか味付けしていないのに、ほのかな甘さが感じられた。
三人は無言で手を動かし、三人とも同時に食べ終わった。
「とてもおいしかったです。まさかもう一度ラウ麦が食べられるとは思いませんでした。ありがとうございます」
クーファがそういうと、目の前にクエスト完了を示すメッセージが表示された。
(やりました! ミムウさんのクエストもこれでクリアです)
正司が喜んでクーファの手を握る。
「タダシさん……あの……いやですわ」
「あっ、すみません。つい興奮して」
「まあ」
クーファが照れていると、ミムウが正司の袖を引っ張った。
「ミムウさん、なんですか?」
正司が尋ねると、ミムウは小さな声で「ありがと」と言った。
「いえ、どういたしまして」
この日、正司は一番の笑顔をミムウに向けた。
今日はクーファの仕事は休みらしく、ずっとミムウと一緒にいられるという。
正司は親子の邪魔をしてはよくないと、家を辞そうとしたが、クーファに引き留められた。
ちなみにバイラル港で購入したラウ麦の麻袋は、すべてクーファに渡してある。
最初クーファは固持したが、どうせ正司が持っていても意味はないものだからと、強引に渡したのだ。
ラウ麦は帝国の北方でしか栽培できず、調理法を知っている者もほとんどいない。
クーファは正司になんとかお礼をしたいと思うものの、夫を亡くしてからこれまで、ギリギリの生活をしてきたため、蓄えもなければ、珍しいものもない。
満足にお礼もできないと落ち込むクーファに、ならばと正司は、帝国の話を教えてほしいと願った。
クーファは昔のことを思い出すように、ぽつり、ぽつりと語った。
夫は若い頃、クーファの住む村へ行商にやって来たのだという。
そこでクーファと知り合い、何度か行き来している内に恋仲となった。
所帯を持ってからは、ふたりで帝国各地を行商して歩き、色々なものを見聞きしてきたらしい。
「当時の帝国は、閉塞感に溢れていて、夫は新天地を求めて絶断山脈を越えることを決意したのです」
当時まだ大陸の東西で交流できたため、比較的行き来する商人は多かったらしい。
「ですが、どこも一緒ですね。人が多くて、土地が少ない。帝国もラマ国も変わりありません」
その時点で帝国に引き返してもよかったのだが、ずるずると過ごしているうちに国交が絶えてしまった。
絶断山脈の行き来ができなくなってしまったのだ。
「別に夫も私も帝国に帰りたいわけではありませんでしたので、こっちで骨を埋める覚悟をしました」
どの国でも余裕のある地はない。ならばどこで商売しても同じだと、前向きに考えることにしたようだ。
「そうですか。でも家族や知り合いと離ればなれになって、寂しいのではないですか?」
「どうでしょう。生きるのに必死で、昔を振り返る余裕はありませんでしたし」
これはクーファがドライだからというわけでもなさそうだ。
この世界の人はみな、会えない人のことをウジウジと考えたりしない。
生きることは過酷で、考えなければならないことは一杯あるのだ。
「振り返る余裕はないですか……それは」
大変でしたねと正司が続けようとしたら、クーファが笑顔になった。
「いえ、大変だとは考えたことはありません。夫が何を望んでここへきたのか分かっていましたから。それに新しい地でお仕事ができるのです。わくわく感で胸が一杯でしたわ。大変と思った事など、本当に一度もありませんでした」
「わくわく感ですか……」
そういえばと正司は思った。
自分もこの世界にきたとき、もう家族や友人と会えないかもしれないと考えた。
日本に帰る方法が見つかれば試すつもりだが、帰れないかもしれないといつも思っている。
だがそれで大変だとか思ったことはない。
どちらかといえば、まったく見知らぬ世界で、どう生きていこうか、毎日そればかり考えていた気がする。
なるほど、クーファと同じだと、今さらながらに正司は感心した。
(私の場合、スキルがあったからでしょうけど)
ただの商人が絶断山脈を越えて商売するのは大変だ。
それでもやってきたのは、新天地で一から頑張るという気持ちがあったからだろう。
(クーファさんの旦那さんは、こっちで成功して故郷に錦を飾るつもりもあったのかもしれませんね)
成功者はパイオニアだ。
同じ事をして失敗した何千何万という人の上に立っている。
彼らは皆、自分の力で未来を切り開いている。
(……あれ? 新天地ってすごくいい案だと思いません?)
クーファたちが帝国で行き詰まってこっちに来たように、こっちで行き詰まったらどうすればいいか。
この世界にはまだまだ未開の土地が一杯ある。
そこは誰のものでもなかったはずだ。
(棄民を救うといっても、既存の社会の枠組みはどうしても壊せません。ですが……)
町や村は既得権益でガチガチになっている。
棄民をその中に住まわすことはできない。
これまでも町の外にどうにかして住めるようにしてきたのだ。
だがもし、新しい町をまったく別の所に作ったら?
どこの国でも、辺鄙で不便な場所は余っている。
百カ所へ分散させて住まわせても意味はない。
だがもし、それを一カ所に集めることができたら?
それはもう、大きな町と同じ意味を持つのではなかろうか。
「ありがとうございます、クーファさん」
正司は両手を掴んで顔を近づけた。
「へあっ!? む、娘の見ている前で、そ、そんな……で、でも……」
「いまの話、大変参考になりました」
「な、何が……ですの?」
「そうです、なければ作ればいいのです。新天地を!」
がおーというほどに、正司は吠えた。
さっきまでの悩みが嘘のようだ。頭の中の霧はすっかり晴れた。
「ありがとうございます! 早速行ってきます!」
正司は家を飛び出した。
「えっ、あっ、お礼が……タ、タダシさん!」
慌てて家の外へ追いかけたクーファだったが、正司の姿はもうどこにもなかった。
「ま、間男……?」
いまの声を聞いて集まった近所の人たちが、そう囁いた。
「違いまーす。夫はもう亡くなっていますからっ!」
顔を真っ赤にしてクーファは否定する。
だが否定するところを間違えたことに、クーファはまだ気付いていない。
「リーザさん、決めました!」
リーザが書類を作成しているところへ、正司が飛び込んできた。
「タダシ!? なに? どうしたの?」
「新天地です。新天地を作ればいいんです」
「……ゴメン、何を言っているのかよく分からないわ」
書類を脇において、リーザは立ち上がった。
正司がひどく興奮しているようだが、何に興奮しているのか、まったく分からない。
「人々を救うにはどうしたらいいか、ずっと考えていたのです。昔、帝国からラマ国に渡った人がいて、その人は帝国から山脈を越えて、新天地を求めて来たんです」
要領を得ない説明。
「なるほど、言いたいことは分かったわ」
だが、リーザには伝わったようだ。
帝国は歴史が古く、人も多い。大陸の西よりも先に人口の限界が来た。
いま王国やミルドラル、ラマ国が悩んでいる棄民問題も、帝国は何百年も前に経験している。
「どうですか、リーザさん。いい案だと思いませんか?」
「そうね……けど、そんな土地はどこにあるの?」
山や荒れ地では、人は満足に生活できない。
正司の言う「新天地」とは、町規模の面積が必要な、住みやすい場所のことだろう。
そんな場所はどこにもないとリーザは思う。
「ある程度の場所でしたら、〈土魔法〉を使えば開拓できるのではないかと思います」
「そんなこと……って、タダシならできるのかしら」
何も新天地を探さなくてもいい。
魔物の出ない場所さえ見つければ、正司が魔法で形を整えることができる。
「どこか良い場所が、ないでしょうか」
「トエルザード公領内でも、完全にすべての調査が終わっているわけでもないし、お父様に聞けば分かるかもしれないけど……」
魔物が湧くかどうか、すべての土地を隈無く歩いた資料は残っていない。
山に魔物が出ると分かれば、そこはもう利用できない土地として認識される。
たとえば大きな山の中腹に魔物が湧かない一帯があったとして、それは調査されていない。
「ルンベックさんに聞けば分かるのですね。分かりました。いってみます」
「あっ、ちょっと……タダシ!」
正司の背に呼びかけるが、リーザの声はもう届かなかった。
これまでの人生、正司はいつも慎重だった。
一度たりとも、冒険はしたことない。
Y字路に立ったとき、右はいつも通っている道、左は知らない道。
正司はずっと、右の道を選んできた。
「新天地ですよ、リーザさん」
この日はじめて、正司は左の道へ歩み出した。
その先に何があるのか、だれも知らない。
――行けば分かるさ