007 新たな出会い
「……知らない天井だ」
正司は目を覚ました。
そしてこれを呟くのは、自分の様式美なんだろうと、ひとりで納得している。
「よいしょっ……あれ?」
身体に力が入らなかった。
どのくらい寝ていたのか分からないが、ひどく喉が渇いていた。
(水を……)
正司は魔法で水を出そうと念じると……。
――バシャァー
大量の水を被ってしまった。
「何か音が……うわっ。どうしたんです、これ」
さきほど口論していた方のひとり、ミルラが入ってきた。
ここはミルラの家なのだろうかと正司が思っていると、ベントも顔を覗かせた。
「目を覚ましたみたいだな……けど、この水はどこから?」
「いま目覚めたところです。喉が渇いたので少量の水を出そうと思ったのですが、体調が思わしくなく、制御に失敗しました」
「そういう場合って、普通は発動しないもんじゃ」
「魔道士さまだし、こういうこともあるんじゃないの?」
二人から事情を聞いたところ、正司は目を回してしまったことが分かった。
熱中症かもしれないし、内臓疾患が原因かもしれない。本当の所は分からない。
日陰で休んでいただけでは駄目だったようだ。
いま時刻は夕方。
目を回した正司を、ベントとミルラがふたりしてミルラの家に運び込んだ。
いま正司が寝ているベッドは、亡くなった夫が使っていたものだという。
「バルトロさんのベッドを水浸しにしてしまいました。申し訳ありません」
「いえ、それはいいんですけど、魔道士さま、お加減はいかがですか?」
「そうですね。ちょっと起き上がることができないですね」
正司は正直に伝えた。
「どこか悪いところがあるんですか? 顔が真っ白ですよ」
「体調不良の原因は、内臓が悪くなっているからでしょう」
「まあ、大丈夫ですか?」
バルトロを病気で無くしたミルラは、ひどく正司の容態を心配した。
「少し手を貸してもらえないでしょうか」
「おれが手伝おう」
ベントに手伝ってもらい、正司は上体を起こした。
「実はすでに、無くなった小箱の場所が判明しています」
「えっ、いつのまに?」
「なにそれこわい」
「ただ、私がこのような状態であるため、小箱のところまでひとりで行けるとは思えないのです」
「つ、連れて行くぞ」
「わたしも手伝うわ」
「でしたら、お願いします。私の事情もありまして、なるべくはやくクリア……いえ、見つけ出したいのです」
ベントとミルラが肩を差し出したので、正司は寄っかかるようにして立ち上がる。
すでに四肢にまで力が入らなくなっていた。
左右の肩を支えられ、正司は捕まった宇宙人のごとく連れられていった。
しばらく進み、集落の外れまできた。
「この先、いやこの方角は……」
「隣の集落がある方向だわ」
「私には目的の場所が分かる魔法があります。ただし、実際に行ったことがないため、ここから歩いていくしかないのですが」
集落の中はまだ土もあったが、ここから先は完全な砂漠である。
肩を貸してもらいながら砂地を進んだとして、どれだけ時間がかかるか。
最初正司は、身体強化をかけようとした。
だが少量の水を出そうとして魔法が暴走してしまった。
原因は分からないが、体調不良が関係しているのではと考えていた。
(水ならばいいけど、身体強化で暴走したときが怖い。身体が破裂したなんてことになったら、目も当てられないし)
点線はここから砂漠に向かって伸びている。
どうしようかと考えて、正司はベントに質問してみた。
「そういえば、ベントさんは小箱を受け取った事を知らなかったんですよね」
「ああ、俺は知らなかった。向こうの集落で一泊して、翌朝早く発つんだ。そんで夕方までにここへ戻ってくる。前日の夜は別行動をしていたから、小箱を受け取ったんだったら、そのときだと思う」
「なるほど。ミルラさん。小箱はあなたへのプレゼントなのですか?」
「そう聞きました。私へ贈るために注文したって」
「なるほど。でしたら私は亡くなったバルトロさんは、小箱を持って集落を発ったと思います」
プレゼントするものを置いてきたりしないだろう。
「でも夫は持っていなかったし、荷物の中にも無かったわ」
「旦那さんは集落に戻る前に亡くなりました。突然のことのようでしたし、ベントさんが助けを呼びに行ったけれども間に合わなかった。ベントさん、そのときはどんな感じでしたか?」
「もう集落が見えていたんだ。それにバルトロのやつもまだ持ちそうだったから、おれが走って助けを呼びに行った」
集落が見えていたということは、二、三キロメートル手前くらいだろうか。
砂漠は普通に歩くだけでも、足首まで埋まってしまう。
人を抱えて歩くならば二、三人いた方がいい。
たとえ往復する時間がかかっても、人を呼びに行った方がいいだろう。
ベントの判断は間違っていないはずだ。
「この砂漠の中で小箱がなくなったとします。救助のときに落としたのかもしれません。たまたま砂に埋もれてしまったこともあるでしょう。もしくは……」
「「もしくは?」」
「集落を出てから亡くなるまでの間で、バルトロさんがひとりになった時間はなかったでしょうか」
「ずっと一緒だったぜ……いや、ツノ岩で休憩を取ったときだけ別だったか」
「ツノ岩というのは?」
「砂漠の中からツノみたいに尖った岩がいくつか生えているんだよ。日の傾き具合によってちょうど日陰ができる岩が違うんだ。そこで少し休んだとき、バルトロはいなかったな。休むためにツノ岩に寄ったのに、日向で何やってんだと思ったんだが」
「なるほど、もしかしてそのとき小箱を隠したりしていませんでしたか?」
「なんだって、そんなことを?」
「根拠はありませんが、プレゼントを持ち帰らないのはおかしいです。バルトロさんが亡くなるまでの間に小箱が消えたのならば、それは本人がどこかに隠したのではないかと予想したわけです。……そのツノ岩とはこの先ですか?」
正司はマップで点線が向かった方角を指差す。
「そうだけど……」
「ツノ岩?」
ミルラが小さな声で呟いた。
「ミルラさん、なにか心当たりでも?」
考え込むミルラには、正司の言葉が聞こえていないようだった。
小声で呟いており、時折「でも」とか「そんなはずは」という言葉がかすかに聞こえた。
「ベントさん、もう少し、ツノ岩で休んでいたときの事を話してもらえますか?」
「いいぞ。二番目に長いツノ岩の影で、おれは休んでいたんだ。ちょうどいい具合にそこが影になっていたからな。そのときバルトロは姿が見えなかった。ただ、一人になったのは、そんなに長い時間じゃなかったと思う」
「もしかして、一番のツノ岩の所かもしれないわ」
「一番目のツノ岩は、あの時間帯だと影がほとんどできねえぞ」
一番目のツノ岩は、その時間帯、ちょうど陽に向かってお辞儀をするような形で湾曲しているため、日陰効果は見込めないらしい。
「違うの。あそこでわたしたち、誓いの祈りを捧げたのよ」
シュテール族は、結婚するときに簡単な誓いをする習わしがある。
誓いと言っても、自分たちは結婚しましたという報告だけ。
それは人でも物でも構わないらしい。
世話になった人や、大切にしてきた物、なにかシンボルとなる構造物などに誓うのが一般的となっている。
バルトロとミルラの場合、ここから歩いて数時間のところにあるツノ岩で、誓いを行ったのだという。
「なんだって、あんな場所で?」
「分からない。でもずっと残るものがいいって」
集落は水の道が変われば移動せざるを得ない。
人だって、数十年もすれば死に絶える。
バルトロは年月が経ってもずっとそこに在り続けるものがいいとツノ岩で誓いをしたいと言い出したとしても不思議ではない。
「じゃあ、もしかしてそこに?」
「分からないわ。でも可能性はあると思う」
ミルラ宛のプレゼントを半年かけて造ってもらった。
バルトロにすれば、それは特別なものだっただろう。
「行ってみるか、一番目のツノ岩――その誓いの場所に」
「ええ……そうね」
もしバルトロがそこに小箱を置いたのだとしたら、それには理由があるはず。
今にも砂漠に駆け出しそうな二人に、正司は優しく言った。
「私はそこまで歩いていく体力はありません。どうか二人で見に行って来て下さい」
「ですが魔道士様は、どうされるんですか?」
「集落で待っています。亡くなられたバルトロさんの考えはもう分からないでしょうが、もしそこに小箱があるのでしたら、それはミルラさんへのメッセージでしょう。ぜひ行ってみるべきです」
「……そうですね。分かりました。探しに行ってきます」
「おれも付き合う。あいつが何を思ってそんなことをしたのか、確かめてやる」
「ではお二人で行ってください。今でしたら陽がある内に戻れそうですか?」
「急げば大丈夫だと思います」
「それでしたら、私のことはいいですから、早く行くといいでしょう。あとで結果だけ知らせてください」
「分かりました、魔道士様。行ってきます」
「行ってくるぜ」
二人が砂漠に足を踏み出すのを見届けて、正司は集落へ戻った。
(あれ? 気が抜けたからかな?)
足取りは重く、幾ばくも歩かないうちに正司はうずくまり、仰向けに倒れた。
(空が回っていますね……)
正司の意識はそこで途切れた。
気がつくと正司は、知らない場所で寝かされていた。
右上のマップで確認すると、初めてきた場所のようだった。
「……ここは?」
「気付かれましたか、魔道士様」
その言葉に何人もの人がわらわらと部屋に入ってきた。
「道でお倒れになって、みんなが心配していたのです」
「お身体は大丈夫ですか?」
「ああ、思い出しました。それでここはどこでしょうか」
「魔道士さまが倒れられた近くの家でございます」
正司の周囲に集まっているのは五人。女性ばかりだ。
窓の外から差し込む日差しは強い。
少なくとも日付が変わっていると正司は思った。
そして身体にまったく力が入らなかった。
(困ったな、身体を起こすのも難しくなってきた。あの男女はどうなったんだろうか。小箱は無事に見つかっただろうか)
正司が赴けば、白線の導くまま、小箱の元までたどり着けそうな気がする。
だが、正司がこんな状態ではいつまた気を失うか分からない。
「魔道士様、お目覚めになったんですね」
ミルラが飛び込んできた。ベントも一緒である。
「ああ、ミルラさんとベントさん。戻って来られたんですね」
「はい。昨日の日が暮れる前には、集落に戻ることができました。魔道士様の仰ったとおり、一番大きなツノ岩のヘコみに、これがしっかりと置かれておりました」
それは寄せ木細工のような綺麗な文様が描かれた小箱であった。
「無事に見つかったのですね。それは良かったです」
「はい。ありがとうございます。本当にありがとうございます」
「おれからもお礼を言わせてくれ。おれの疑いを晴らしてくれて助かった。おれが親友の物を盗ったなんて思われた日には、あいつに顔向けできねえ」
ミルラとベントがそう言ったとき、正司の眼前に「クエストを完了しました。 成功 貢献値1」と表示された。
(ああ……クエストが達成されたんだ)
正司は貢献値を獲得できたことを秘かに喜び、しきりに拝んでいる二人を置いて、メニュー画面を表示させた。
(身体が動かないから、もしこれで内臓疾患が治らなければ、死ぬしかないでしょう。志半ばですが、覚悟をしましょうか)
正司は治癒魔法の段階をひとつあげて3にした。使った貢献値は2で、残りはゼロである。
すぐに自分に向かって、病気よ治れと念じる。
身体がうっすらと発光するのは前と変わらない。
(あとは表示が消えていればいいのですが……)
恐る恐るといった感じで、ステータス画面の心体傷病弱を見る。
といっても、怖くて薄目でしか見られなかったのだが。
(…………ない。消えてる?)
これまであった内臓疾患(重度)という文字が消えていた。
「……よかった」
正司は心底ホッとした風に言葉を吐き出した。
「はい。良かったです。聞いて下さい、魔道士様」
いつの間にか身体のダルさが消えて、食欲も戻ってきた。
そんな正司に対して、ミルラとベントは正司と別れてからの経緯を説明し始めた。
「……では、死期を悟ったバルトロさんがミルラさんに選択肢を残したと、そういう訳だったのですか」
結婚後すぐにバルトロは体調を崩すようになったらしい。
最初は咳き込むだけだったが、次第に咳のときに少量の血が混じるようになり、最近では大量に吐血することもあったらしい。
自分が死ぬのはいい。だが、残されるミルラはどうなる。
砂漠の集落では、外へ赴く用事も多い。ミルラひとりではそれもままならない。
案じたバルトロは、結婚前に貯めていた自分のお金で思い出となる小箱を注文し、ついでに手紙を認めることにした。
これを開けたということは、ヒントを頼りにここへたどり着いたことだろう。
もう自分はこの世にいない。自分が何を思ってこれを残したのか知って欲しい。
そう綴られた手紙には、バルトロからミルラへの思いが訥々と書かれていた。
この場所は二人が誓った場所であり、誓いは誓いで上書きできる。
あとを託せるのは自分の親友たるベントだけだ。
そして自分の心残りもまたミルラだけ。
もし、ミルラが望むならば、自分のことは気にしないで、ベントと新しい家庭を築いてほしい。
自分の思い出は、この小箱とその中に入るものだけを残して捨てて構わない。
だから、幸せになってほしい。
それが自分の願いだ。
そのようなことが書かれていたという。
つまり、バルトロは小箱を隠し、ヒントをミルラに伝える予定だったが、集落まであと少しというところで倒れ、帰らぬ人となってしまったのである。
ベントが言ったように、集落はすでに見えており、バルトロもまだ余裕があったと思ったのだろう。
だから小箱の事は、ベントに言わなかった。
ベントもすぐに集落に向かって駆けだしたであろうし、バルトロが倒れてから悠長に話す時間もなかったはずである。
ゆえに小箱は消え、一緒にいたベントが疑われることになったようだ。
「ベントとふたりでツノ岩へ行って小箱を見つけたわ。とても嬉しかった。中に入っていた夫の手紙を読んで、今度は悲しくなった。……けど、夫はわたしのことを第一に考えてくれていたみたい。それが分かって嬉しくなったんです」
「さっきよう、ミルラとも話したんだが、おれたち、一緒にやっていこうと思うんだ」
「砂漠ではひとりで生きていくのは大変ですし、ベントなら小さい頃からよく知っているわ。それに夫のことも。……だからわたしはここで幸せに生きて、長生きして、そして夫に会ったときに言ってやろうと思うの。わたしの人生は最初から最後までずっと幸せだったって」
「そうですか。おふたりともおめでとうございます」
「ありがとうございます……魔道士様、起き上がって大丈夫なのですか?」
「ええ……ゆっくり休んだらよくなりました。すっかり、この通り」
正司は両手を広げて微笑んだ。
「そうですか。顔色もよくなられたようですし……良かったです」
「魔道士様の魔法はすげーよ。本当に見つけちまうんだもの」
「今回はたまたまでした。もし砂中に埋もれてしまっていたら、見つけ出せなかったと思いますし」
「それでも話を聞いただけで無くした方向が分かるんだから、すごいもんだ」
「ですが、水盤も似たようなものではないのですか?」
「あれは大人数でやるもんだし、軽々しくやっちゃいけねえって言われているから、おれたちのなくし物を見つけるのに使えないんだ」
密儀魔法というくらいだから、秘かに行う儀式なのであろう。
軽々しくできないとベントが言うのも理解できた。
「でしたら、たまたま私がいた。運が良かったということでしょうね。それ以上でも、それ以下でもないと思います」
そう言って微笑んだら、ベントもミルラも感動した顔をして拝み始めた。
シュテール族はよほど相手を拝むのが好きらしい。
「行ってしまわれるのですか? このままずっと集落に留まっていただきたかったのですが」
「申し訳ございません。私はクエストを追い求めて旅をしていますもので」
身体のダルさが消えたあと、正司はこの集落を出て行くと首長に告げた。
首長をはじめ、密儀魔法を行った長老たちは非常に残念がった。
自分はクエストを信奉する身であり、そのためには人々を幸福にするため、困っている人がいる場所へ赴かねばならないと説明しておいた。
もちろんクエストを受けずにここで暮らしても一向に構わないのだが、いまだ取得していないスキルが一杯残っている。
正司はできるだけ沢山のスキルを取得し、育てていきたいと思っている。
(それに治癒魔法をこれ以上あげるには、膨大な貢献値が必要ですし)
スキルを新しく取得して第3段階まで上げるならば、4の貢献値で済む。
そこから最大の5まで上げるためには、あと12の貢献値が必要となる。実に3倍である。
(治癒魔法は病気を治すことが分かったし、早めに最大の5段階まで上げておきたいですね)
結局、正司の内臓疾患の原因は分からなかったが、3段階で治療することができた。
だがまだ、4、5段階目が残っている。
この世界にも、恐ろしい病気があるだろう。
それに罹患してから貢献値を溜めるのは自殺行為に等しい。
(ウイルスとか伝染病とか、知識がない私ですら知っているものは、いくつも思い浮かびますし)
この世界のどこかで天然痘やペストが、猛威を振るっているかもしれない。
コレラ、エイズ、破傷風、狂犬病、それこそ罹患したら助からなかったり、すぐに死んでしまうことも考えられる。
今回死にかけた教訓をもとに、健康に生きることは何より大事であると実感した正司であった。
そんなわけで、貢献値はいくつあっても足らない。
ゆえに正司はなるべく人の多い場所へ行くことにしたのである。
「残念ですが、仕方ありませんな」
「世界を旅して、また戻ってきます。そのときは温かく迎え入れてください」
「それはもう。シュテール族長年の夢であった定住が可能となりましたのも、魔道士さまのおかげです。いつでもお立ち寄りくださいませ」
「ありがとうございます。その言葉を胸に、新しい地へ旅立って行きます」
「魔道士様はこの後、どちらへ行かれるのですかな」
「ラマ国へ行ってみようと思います。手紙を届ける約束もしていますし」
「なるほど。このような僻地ではございますが、ラマ国は戦乱の噂も聞きます。魔道士様ならば大丈夫かと思いますが、どうかお気をつけてくださいませ」
「ご心配ありがとうございます。危ないところには近寄りません。それが放浪する者の強みですから」
「そうでしたな」
首長は笑った。
「ではお名残惜しいですが、そろそろ出発します」
正司はお辞儀をすると、全身に身体強化をかけて一歩踏み出した。
そして一歩、また一歩と力強く踏み出し、僅かな時間で、集落から見えない場所まで到達してしまった。
「……よし、順調だな」
身体強化をかけて、最大速度で移動すること半日。
ようやく砂漠を抜けることができた。
マップには一直線に進んだ跡が残っている。他は一切埋まっていない。
凶獣の森とは違い、砂漠は見通しが良い割りに何もない。
正司はマップを埋める必要性を感じなかったのだ。
「ここからは草原ですか。これまで森と砂漠ばかりでしたので、新鮮ですね」
正司は速度を落とし、少しでもマップを埋めるために、ジグザグに進んだ。
それで分かったのは、草原にいる魔物はG1かG2がほとんど。
G3の魔物は一切出てこないということだった。
(魔物にもテリトリーでもあるのでしょうか。でも魔物は出現するものだというし……)
地域と魔物の関係もまた、正司の疑問の種になった。
「この辺は専門に調べている人もいるでしょうし、他の人に会ったときにでも、聞いてみましょう」
正司はわざと森に入ったりしながら、ラマ国を目指した。
「ふう、だいぶ西の方に来てしまいましたね。白の点線が東へ行けと煩いですし、そろそろ戻りますか……あれ?」
いまは日暮れ時。
正司は草原のただ中で休憩している人を見つけた。
ただし、格好がおかしい。
フルフェイスの兜を被った鎧姿なのだ。
「砂漠を出てから初めての人が全身鎧って……怪しさ大爆発ですね。普通ならばスルーするのですけど、情報収集もしたいし、話しかけてみますか」
正司は速度を緩めて、休息している相手の近くまで寄ってみた。
「こんにちは」
正司は少し離れたところから声をかけた。
相手は剣を持っているため、いきなり斬りかかられても困るからだ。
「おや、こんなところに旅人ですか、珍しい」
返ってきた声は、意外と穏やかなものだった。
「砂漠から来ました。タダシと申します。このような草原の真ん中で見かけるには少々物騒な姿でしたので、思わず声をかけてしまいました」
「わたしが物騒な姿だから声をかけた? ぷっ、くくく……」
どうやら、正司の言い分がツボに入ったらしい。
「おかしかったですか?」
「これは失礼。わたしは薬師のクレートです。物騒と思った相手に声をかけるなんて変わっているなと、思ったわけでして」
薬師と名乗ったクレートは、留め金を外して兜を脱いだ。
五十代くらいで、顎髭をたくわえた顔が現れた。
「魔道使いのタダシです。ひとりで旅をしていますので、多少物騒でも問題ないかなと思いまして……しかし、薬師ですか」
問題ないというより、身体強化した正司ならば、重い鎧を着た相手など、一瞬で振り切ってしまえる。
鉄の剣が届かない間合いにいれば、危険はまったくないだろうというのが正司の見立てであった。
それよりも正司は、全身鎧のこのクレートが薬師であることに驚いていた。
言うなれば、「らしくない」と言ったところだろうか。
この格好で戦士や傭兵を名乗るならばまだ分かるが、薬師とは意外を通り越して、ありえないと思えるほどであった。
「タダシさんは、砂漠から来た旅の魔道使いですか。ここで会ったのも縁でしょう。わたしどもの集落へ来てはいかがでしょうか。しばらくは家もありませんし」
聞けば、ここからさほど遠くない場所にクレートが住む集落があるらしい。
クエストを持っている人がいるかもしれないと、正司は快く了承する。
「タダシさんのそれは、シュテール族の外套ですね」
「知っているのですか?」
「ここは砂漠に近いですからね。多少なりともシュテール族の方もいらっしゃいます」
「そういえば、砂漠を出ても、近くの集落で暮らす人が多いですよね」
「人は皆、故郷を遠く離れるのに慣れていないのかもしれません」
そんな話をしながらクレートさんに連れられて集落に到着した。
クレートさんが住む集落は、近くに湖がある緑の多いところだった。
「この近くには生えていない薬草がありまして、今日はそれを採取しに向かったのです。G2の魔物が出るので、やむなく武装して向かったわけですよ」
なぜ薬師が全身鎧を着ていたのか、謎がいま解けた。
鎧は常時着ていなくてもよいのだが、脱ぐと手荷物になる。
それはかえって面倒と、装備したまま移動しているらしい。
「慣れない鎧姿で疲れたので、草原で休憩していたわけですか」
「そんなところです」
フタを開けてみればミステリーでもなんでもなかった。
ただ、自給自足の薬師が必要に迫られて武装していただけなのだ。
クレートさんの集落に向かい、家に入れてもらった。
そこは人々の注文に合わせて薬を調合するための機材や素材がたっぷりと置かれていた。
素材の一つ一つを品定で確認していく。
分かるのは名前だけだが、現物を見て名前が分かれば、情報に記載される。
あとでじっくりと見てみようと正司は考えて、じっと舐めるように素材を確認していると、採取した薬草を置いたクレートさんがやってきた。
「薬師に興味がありますか」
正司としても、ここにある薬草はみな興味のあるものばかりであるし、いずれはスキルを取得したいと考えていた。
「いろんなものに興味がありまして、いずれは薬師にもなりたいと思っています」
「なるほど、好奇心旺盛のようですね。何か聞きたいことがありましたら、遠慮なくどうぞ」
クレートはお茶を持ってきてくれたようだ。
「ありがとうございます。では少しいいですか?」
正司はお茶を飲みながら、薬師の仕事について質問した。
「手間も大きいですが、やりがいもあるのですよ」
クレートはニコニコと、正司の質問に答えた。
薬師には薬草の知識に加えて、薬を作るために必要な様々な知識が必要らしかった。
それだけでも大変であるのに、病気や怪我の症状に合わせたものを作る。
そのため、病気や怪我そのものにも詳しくなる必要があるのだ。
「習熟するのにはかなり時間がかかりそうですね」
「そうですね。薬師を目指すならば、生涯かけて学んでいくことになるでしょう」
「……なるほど」
正司の場合、スキルを取得すればすぐにでも薬師を名乗れる。
日本の場合、薬を出すには処方箋が必要である。
正しい診察のもとで、正しい薬を選ばなければならないのだ。
スキルを取って薬師を名乗り、薬を渡してはいおしまいではないのだと、正司は気付かされた。
「それとですね、薬を作るにはこれがまた技術がいるのです」
丸薬、錠剤、飲み薬……それぞれに適した作り方があり、分量も正確に測る必要がある。
1粒が1グラム程度の錠剤の場合、10種類の薬効成分を入れたとする。
目分量で作ることは不可能だと素人でも分かる。
「薬師への道は遠そうですね」
「精進あるのみだと思っていますよ」
「……はあ」
スキルを取得して使いこなしていく。
それが正司の目標になっている。
凶獣の森にいた魔物を見たあとでは、戦闘系のスキルは取得したくない。
あんなものと近距離で戦うなど、もってのほかだと正司は考えている。
すでに魔法系もある程度使えるので、今後は生産系を極めたいと思っているが、道は長いと思い知らされた。
「あちこち手を出すと、すべて中途半端になってしまうかもしれませんね」
クレートの言葉に、正司は頷いた。
「はい。そうですね」
一部のスキルは、取得してもその能力を十全に発揮できないかもしれないと思えた。
さて、クレートと話をしていろいろと勉強になったが、正司の場合は貢献値を得ないことにはどうしようもない。
ひとつのスキルを極めるのに貢献値……つまり、クエストを16もこなす必要があることから、あれもこれもというわけにはいかない。
そこは取捨選択する必要があるだろうと正司は考えている。
ならば、薬師のように手間のかかるものは止めておいた方がいいかもしれないと思うのであった。
「ひとつお聞きしたいのですけど」
「なんでしょう」
「病気や怪我ではなく、呪いを治す場合はどうすればいいのでしょう」
正司が気になっているのが、『スキル』欄にある〈呪術〉であった。
スキルを取得していないので、詳細は分からない。
これは魔法と違うことは分かっているくらいだ。
呪術が正司が知るものと同じであるならば、解呪できないと、一方的に攻撃を受けるだけになってしまう。
防御も反撃もできなければ、最悪何もできずに死ぬことも考えられる。
ところが、『スキル』欄をいくら探しても、解呪のスキルは乗っていなかったのである。
(呪術の段階を上げると解呪できるかもしれないし、呪術をある程度収めることが、解呪のスキルを得る条件なのかもしれない)
いろいろ予想はつくが、想像の範囲を出てはいない。
とりあえず正司は、呪術がどんなものか、それを解く方法は何なのかは知っておきたいと思っていた。
「あなたか、もしくは知り合いが呪われたのですか?」
「いえ、呪術の存在を人から聞いただけです。どういう効果があるかすら知りませんが、そういうものに出会ったときに、どう対処すればいいか、知りたいと思いまして」
「……なるほど。呪いについては扱いが難しいですね。魔法や薬では治らないです。状態を維持もしくは少量ならば緩和させることは可能です。ただし、治療はできません」
クレートさんは分厚い本を持ってきた。
正司はこの世界で本をはじめて目にした。本は普通に流通しているようである。
「呪術は専門ではないので、ここに書かれていることだけ話しますね」
「はい、お願いします」
「呪いは人や物を媒介としてうつるとされています。他と違うのは、魔法や薬では治らないことです。呪いとそれ以外を見分ける方法は簡単で、呪いを受けた場合は、身体のどこかに痣が記されるとあります。痣が濃いほど、そして大きいほど呪いは強いと言われていて、最悪生命を蝕みます」
「呪いを治療する方法はあるんでしょうか」
「呪いは直接治すことができません。必ず原因となるものがあって、それは痣から判断するしかありません。占術で原因を特定し、その原因となるものをどうにかするしかないようです」
死者の穢れが原因ならば供養するし、恨みが原因であればそれを解消する。
呪いをかけた者がいるのならば、殺すしかない。
このように、呪いには必ず因果関係が存在するので、その原因となるものをなくしてやればいいらしい。
それを指し示すのが〈占術〉であるという。
正司はスキル欄を調べて、そこに占術があることを確認した。
占術は簡単な占いができるスキルだが、呪いの原因究明にも使えるらしい。
逆に、正司のスキル〈呪術〉はそれらをすっとばして相手に呪いをかけることができるのだろうか。
だとすると、それはそれで怖すぎると思う正司であった。
その日の夜は、クレートと薬草トークで盛り上がった。
といっても正司は『情報』から得た知識をフルに活用してだったが。
翌朝、正司は集落の中を散歩した。
この集落には魔物避けの草はないらしく、集落を囲むように木杭を設置し、その外に堀を巡らすことで、魔物の襲来を防いでいた。
集落はさほど大きなものではなく、半径一キロメートル程度の円形をしていた。
集落の中をゆったりと歩いた正司は、黄色い三角――クエストマークをひとつ見つけた。
マークがあったのは、粗末な家の中。
周囲に多くの花を植えており、センスの良い庭が見て取れた。
そこは正司の知らない家である。
正司が家を訪問するのは躊躇われた。
(クエストを見つけたのはすごくラッキーだけど、急に訪ねるのは不自然だよな)
今まで正司がクエストを受諾できたのは、集落を救ったりしたからである。
先に信頼関係ができていた。
見ず知らずの人間に自分の抱えている悩みを告げる人は少ない。
少なくとも相手の信頼を得ないことには、クエストが受けられないと考えるのが普通である。
そして大事なことだが、ファーストコンタクトに失敗した場合、それを挽回するのはかなり難しい。
せっかくのクエストにもかかわらず、最初に不信感をもたれては目も当てられない。
できる限り、不安要素はなくしておいた方がいい。
「いきなり訪問するよりも、クレートさんに相談した方がいいでしょうね」
家の場所だけ覚えて、正司は急いで戻った。