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078 バイラル港

 ルンベックは言う。

 バイダル港とリンフルの町が狙われたのは、偶然ではない。


 外と接しているからこそバイダル港が狙われたのだと。

 リンフルの町は、バイダル港から一番近い町。


 その上、要塞都市の異名を得るほどに町の壁は堅牢を誇っている。

 もしリンフルの町を落とすならば、奇襲がもっとも効果的である。


 リンフルの町から東西南北へ四本の街道が走っている。

 ここはまさに交通の要。


 逆に言えば、いくらバイダル港を落としたとはいえ、リンフルの町が健在ならば、どこへも行けない。


「お父様、リンフルの町の領主が手紙を出したのはいつですか?」

「二日前だ。鳥が夜間飛べないことを考えると、妥当だね」


 鳥がやってきたのは早朝……とはいえ、この鳥は夜間飛行できない。

 夜の間は、どこかの樹上で休んでいたはずである。


「二日前ですか……だとすると、バイラル港が落ちたのはそれよりも前ですか」

「その前日だろうね」


「やはり私がバイラル港の様子を見に行って……」

 リーザの提案に、ルンベックは首を横に振る。


「それは駄目だと言ったはずだ。バイラル港から鳥が飛んでこなかった。これは何を意味するか分かるはずだ」


「外部に連絡する前に町が落ちたと考えています」

「そうだ。奇襲によって港は落とされたとみていい。そして避難民がリンフルの町へ続々とやってきたことを考えると、町全体が敵の手の中にある」


 バイラル港は、いま完全に敵の支配下にある。

 ルンベックは繰り返し、そう言った。


 リーザもそれは分かっている。分かっているからこそ、見に行きたいのだ。


「…………あの」

 そんなとき、これまで黙っていた正司が手を挙げた。


「どうしたの、タダシ?」

「その……バイラル港ですけど、私が行ってもよろしいでしょうか」


「タダシ?」

 一体何を言っているのかとリーザは正司の腕を掴む。


「ちょうどこの前、リーザさんに連れて行ってもらいました。もう私ひとりでも行けます」


「いやそれは駄目だ。町の状況が分からないから危険なのだ。それにキミの身に何があったら、どうするんだ」


 正司はこの世界にとって、唯一無二の存在である。替えは利かない。

 もし正司の身に何かあったら、人類の大きな損失となる。


 決して一人で行かせるべきではない。

 それはルンベックだけの考えではない。ミュゼもリーザもそう思っている。


 様子を見る……ただそれだけのために、危険な場所へ有能な魔道士をひとりで行かせるものか。


「お父様の言う通りよ。危険だから駄目。行くなら私が行くわ」

 リーザは正司の腕を強く握りしめた。


「ですが、クエストがそこへ行けと導いているようなのです」

 そこで全員が黙り込む。


「……クエストか」

 それはまたやっかいな、とルンベックは思った。


 正司が何か事をおこすとき、ほとんどの場合、クエストが関係している。

 大きな事、小さな事、特大な事……それらはすべてクエスト絡みであった。


 ならば尚更、行かせない方がいい。

 ルンベックはそう判断するものの、クエストのこととなると、正司はやたらと腰が軽い。


 どうしたものかと、ルンベックはミュゼを見る。

 何とか説得してくれと目で訴えかける。


「タダシさん。それはとても重要なことなのですか?」

「はい。時間制限がついている可能性が高いです」


 正司はキッパリと答えた。これには確信があった。

 クエストの進行で白線が出ていない場合、目的地に行っても何もおこらない。


 今は違う。行けば何かがおこる。目的地はバイラル港だろう。

 そしてバイラル港は、現在進行形で戦争の被害に遭っている。おそらくタイトな時間制限がついていると正司は感じている。


「なぜバイラル港なのかしら」

 クエストの内容を知らないミュゼからすれば、当然の疑問である。


「恐らくですが、帝国から戻ってきた商船が関係していると思います。その積み荷の中に私が求めているものがあると考えました」


 前回リーザとバイラル港に行ったとき、船はまだ到着していなかった。

 期日的にそろそろ着いてもおかしくない。

 そして白線が現れたということは……。


「船か……占領下にある港へ入港はしないだろうね。この場合、沖に停泊して様子を窺うかな。駄目ならば別の港へ向かうしかない」


 ミルドラルには、港はひとつしかない。

 ここが駄目となると、南下して王国のアーロンス港へ向かうことになる。


「とするとクエストの期限は、船が見切りをつけるまでですね。やっぱり行かねばならないと思います」


 普段からあまり物事をハッキリと言わない正司だが、クエストのことになると意志堅固となる。

 説得は難しい。だが、もし正司を失ったらと考えると、送り出すのは躊躇われる。


「そうね……タダシさんの意志を尊重しましょう」

「お母さま!?」


「ですが、危険と思うことはしない。危険だと感じたらすぐに戻っていらっしゃい。バイラル港には領主を含めて有力者が住んでいますが、おそらく捕まっていることでしょう。そばには必ず見張りがいますので、彼らには近づかないこと。それは守れますか?」


「……はい。大丈夫だと思います」


「先ほどタダシさんは時間制限があるとおっしゃいましたが、それでも二、三日は余裕があるとわたくしは考えます。無理をせずに、何度でもいいですからここへ戻ってくること。それも約束してください」


「分かりました」

「タダシさんは魔物に見つからないように気配を消せましたね。人にも見つからずに移動できますか?」


「はい。〈気配遮断〉を使えば見つからないと思います」


「なるべく、その〈気配遮断〉を使って行動してください。それだと人と話せないと思いますが、見つかるよりはマシです。そう思いませんか?」


「そうですね。その通りだと思います」

 正司の返答にミュゼはにっこりと笑う。


「いま言ったことを守ってください。それだけで安全度は格段に上がります。……あなた、他になにかありますか?」


「どんな場合でも安全第一、これに尽きるね。本当は行かせたくないのだけど」

 ここで駄目と言っても、実際、正司を止める手段はない。


 ならばせめて、危ないことをさせないよう、しっかり釘を刺したうえで送り出すしかない。


「ありがとうございます。時間は貴重です。それでは行ってきます」


「えっ、あっ、ちょっ……」

 リーザが手を離した隙に、正司の姿はかき消えた。




 バイラル港には、トエルザード家所有の倉庫がある。

 その倉庫の裏地に正司は出現した。


〈気配遮断〉はしっかりと発動しているようで、自分の存在が目に見えない小さな点になった気がしている。


(木々が焼けたのでしょうか? 焦げ臭いですね)


 すぐに異臭が鼻をついた。

 周囲を嗅いでみると、我慢できないほどではないが、かなりすす臭い。


(クエストの白線は、やっぱりバイラル港に……って、港を抜けて、海に出ているんですけど?)


 白線はあった。たしかにバイラル港まで続いていたのだ。

 だがそこで終わりではなく、そのまま港を抜けて、海の方へ延びていた。


(この海の先に何があるのでしょう……)


 海上を進むわけにはいかないので、木々の間を抜けて、町に出た。


(これは……)

 焼け野原が広がっていた。


 港町ということで、潮風に耐えられるよう、家々の壁は石でできていた。

 だが、港には多数の物資が置いてあり、前回来たときには、木箱が積み上がっていた。


 それらが一斉に燃えたのだろう。

 そこかしこで燻って、黒煙をあげている。


「……ひどい。みんな燃えてしまったんですか」

 港は半壊していた。


 残っているのは石でできたものだけという有様。壊滅と言ってもいい。

 燃えそうなものは、何もかも燃えてしまったらしい。


 左右をみるが、人の姿はない。

 気配を消したまま、町の中心部へ歩いて行く。


 武器を手に持ち、大股で歩いている者たちがいた。

 町中だというのに、盗賊と変わりない姿をしている。


(港で働いていた人たちは大勢いたはずです。彼らはどうしたのでしょう……)


 マップで確認してみる。

 一番広く表示できるようにしたところ、緑色の点が多数見受けられた。


 マップ上では、魔物は赤点、人は緑点で表される。

 敵味方の判別はつかないが、これで人がいる場所だけは分かった。


(多いのは船の中と町中……そして町の外ですか? なんでまた)

 気配を消したまま、正司は町を歩く。



 バイラル港を襲ったのは、もちろん王国兵である。

 だがその実、ほとんどが王国が雇った傭兵団だったりする。

 ここにいる正規兵は、全体の二割ほどである。


 傭兵団に与えられた任務は、兵を倒して町に火を放つこと。

 彼らはそれを忠実に実行した。


 襲撃のあった日、各所で上がった黒煙と炎を見て、町の住民たちは我先にと逃げ出した。

 傭兵団もそれを追うことはしない。


 何しろ火をつける場所は無数にあるのだ。任務はまだ終わっていない。

 彼らの中には、手癖の悪い者もいる。火事場泥棒というやつである。


 そんな者たちは、人のいなくなった家屋に侵入して戦利品漁りに精を出した。


 一方、正規兵たちは重要拠点の確保を優先した。


 領主の屋敷を含めて、あらかじめ決めてあった襲撃場所へ彼らは直行した。

 すでに町は大混乱に陥ってあり、彼らの行動を阻む者は少なかった。


 正規兵の目的は、ほぼ達せられた。

 重要人物を人質にとったのである。


 彼らはあとで交渉の材料として使われる。

 最後は身代金と交換になるため、ひとりでも多くの人質が望まれた。


 奇襲は概ね成功し、目的もほぼ達せられた。

 唯一気がかりだったのは、「何も知らない」他国の商人たちである。


 彼らを傷つけると、あとで困ったことになる。

 そのため、彼らを商船の中に押し込め、隔離したのである。


 奇襲から始まった一連の行動は、完璧であった。




(……なんてひどい)

 正司は憤っていた。


 戦争は、武力で己の意志を通させる行為である。

 そのための犠牲は、許容されている。


 だからといって、目の前の惨状が肯定できるだろうか。

 正司にはできなかった。


 戦って果てたのであろう。

 兵士の死体がそこかしこに散らばっている。


 逃げ遅れたのか、町民らしき死体も多数あった。

 ほとんどの家は焼け落ち、すすで真っ黒になった壁を残すのみ。


 小高い丘の上にある建物は、運良く消失を免れていた。

 だれもその建物には、火をつけなかったようだ。


 また、周囲に木々や建物がないため、延焼しなかったようだ。

 マップで確認すると、建物の中に多くの人がいるのが分かった。


 建物は大きく、立派な作りになっており、港を一望できる。

 これだけ目立つ建物であるし、おそらく領主の屋敷だろうと正司は予想した。

 それにしては中にいる人の数が多い。


(そういえば、人質をとっているとミュゼさんが言っていましたね)


 見張りが大勢いるから接触するなとも言っていた。

 ならばその建物の中にいる多数の人は、人質と見張りということになる。


(焼け残った建物は多くありませんけど、そのどれにも人がいるようですね)

 様子を見に行きたい衝動にかられたが、ミュゼとの約束を思い出して、正司は自重する。


(人が集まっているのは、船の中と焼け残った建物……それに、町の外ですか)


 町中を徘徊している者もいるが、思ったほどではない。

 人が固まっているのは、その三カ所以外になかった。


 正司は〈気配察知〉をかけたまま町を出て、人が多くいる方へ向かった。

 そこは林の中だ。しかも細い木々が多く、音を立てずに中へ入るのは難しい。


(あと300メートルくらい先ですか。枯れ枝が服にひっかかるし、下草が伸び放題で先が見えませんね)


 手入れがされていないのが丸わかりの林である。


(ああ、なるほど。ここは魔物が湧かない森だからですね)

 魔物がいれば、魔物が徘徊するだけで下草が踏みつぶされる。


 またここは、町のそばである。

 湧いた魔物を倒すため、定期的に人が入ってくるはずである。


 そんな様子が一切ない。

 普段から人も魔物も、この林には足を踏み入れないのだ。


 ちなみに正司の予想は当たっていて、ここは町を拡張するときに開発できるよう、トエルザード家が残してある土地のひとつである。


「これはっ……!?」

〈気配察知〉をかけているにもかかわらず、正司は思わず声をあげてしまった。


(町の人たちですね。逃げてきたのでしょう……ですが)


 そこにいるのは、小さな子供や老人、怪我人たちだった。

 というか、ほとんどがそうだ。まともに歩ける者はここにいない。


 腹部から血を流し、いまにも事切れそうな女性がいた。

 苦しそうにうめき、それがだんだんと弱々しくなっていく。


 介抱している者たちがいるが、どうしようもないようだ。


「治します」

「うわっ!?」


〈気配遮断〉を解いた正司を見て、何人かが驚いた声をあげた。

 今までそこには誰もいなかったのだ。


 正司は気にせず、女性に〈回復魔法〉をかける。


「えっ? 痛く……ない?」

 すぐに女性が目を開けた。


「大丈夫ですか?」

「は、はい。いまのは……?」


 正司がいつ現れたのか気にする者もいたが、自分が疲れて気付かなかっただけだろうと考えることにしたようだ。


「魔法で治しました。他に怪我をしている方はいますか?」

 正司の声に、何人かが名乗り出る。そしてそれは、伝言ゲームのように広がっていった。




 林の中にいたのは、およそ二百人。

 彼らはみな、逃げ遅れた町の人たちである。


 逃げ遅れたといっても、もとから逃げることができない人がほとんどであり、持ち出した僅かな水と食糧を分け合って、ここで隠れているのだという。


「昨日はもう少し外に近い方にいたんだ」

 集団のリーダーをしているのは、商船の船長をしているトーラムという男だった。


 実家がこのバイラル港にあり、足の悪い母親を背負ったままでは逃げられないと思い、この林に分け入ったのだという。


「ここは何かあった場合の避難場所のひとつなんだ。町に住んでいるやつらは、ここのことを知っている」


 徐々に林に逃げ込んできた者が増えたため、トーラムは決断したという。


 ――ここは俺に任せて、歩ける者はリンフルの町へ向かえ


 そう言ったらしい。


 ここには食糧も水もない。

 歩けない者たちだけがここに残り、救援を待てばいい。


 歩ける者はリンフルの町へ行き、救援を呼んできてくれと。


「そういうわけで、いま残っているのはこんな連中ばかりだ。魔道士様がきてくれたおかげで、歩ける者が増えた。本当に感謝している」

 トーラムは頭を下げた。


「いえ……それより少し聞きたいのですけど、港で何が起こったのですか?」


「急に襲われた。そのとき俺は倉庫の中にいたから、詳しいことは分からねえ。だけどみなが言うには、町中で赤い煙が立ちのぼったそうだ。その直後、町中にいた連中が急に武器を振り回し始めたって聞いている」


「赤い煙ですか……それが襲撃の合図だったのでしょうか」

「そうだと思う。町の兵たちが暴れた者を鎮圧しようと動き出したが、あちこちで火事の煙が発生したんだ。そこからもうパニックさ。港にいれば安全だろうと思ったら、そうじゃなかった」


「何があったんですか?」


「ゴロツキどもがやってきやがった。最初は応戦しようと思ったんだが、数が多いうえに、統率がとれていた。俺たちはすぐに傭兵団の襲撃だと理解して逃げた」


 荷物を守って斬り結ぶことはしなかったようだ。

 そのため、トーラムは生き延びることができた。


 町中に入ったトーラムは、あちこちで同じような光景が繰り広げられているのを見て、町から出ようと決心したという。


 家に戻り、母親を背負って燃えさかる炎の合間を縫って進み、町の外へ出た。


「敵は追ってこなかったんですか?」


「不思議とそういうことはなかったな。刃向かった連中には容赦なく襲いかかったが、あとは知らんぷりだ。どちらかといえば、家を破壊する方に一生懸命だったと思う」


 多くの町民は街道を東へ進み、リンフルの町へ向かったらしい。

 その間、トーラムたちはずっと林の中で身を潜めていたという。


(私もマップで確認しなかったら、気付けませんでした。普通林の中まで探しませんし、ここはよい隠れ場所なのでしょう)


「魔道士様、申し訳ないんですが、子供たちが限界なんです。もし少量でも水を持っていたら、分けてもらえないでしょうか」


 水や食糧を持って逃げ出せた者は、存外少なかったようだ。

「それは気付きませんでした……ちょっと待ってください。いま用意します」


 正司は〈土魔法〉で風呂桶を作り出し、その中に水を張った。

 次にコップ、手桶、洗面器も作り出す。


「どうぞ、魔法で作り出した水です。顔も手も洗いたいでしょうし、あといくつか作りますね」

「お、おい……えっ?」


 トーラムが目を丸くしている間に、あと二つ、同じものを作った。

 顔が煤で真っ黒な人もいる。水がなかったのだから、顔を洗うこともできなかったのだろう。


「お腹も空いていますよね。魔物の肉しかないですけど……」


 卓球台くらいの台を作り、台ごと〈火魔法〉で加熱する。

 一瞬で台が真っ赤になると、正司は『保管庫』から取り出した肉を次々と並べる。


 すぐにジュウジュウと肉が焦げるいい匂いが立ちこめた。

「どうぞ食べてください」


「いまの……ど、どうやって……」


 トーラムは、正司のことを〈回復魔法〉が使える魔道士だと考えていた。

 目の前で、何度も怪我人を回復させていく様を見たのだから、トーラムがそう思うのも無理はない。


 正司は〈回復魔法〉が使える魔道士。

 そう思っていたところに、〈土魔法〉と〈水魔法〉を使ったのだ。


 驚きのあまり、マジマジと正司の顔を見てしまった。

 すると正司は……。


「どうやってって……ああ、すみません。準備が足りなかったですね。いまお皿も作ります。ナイフとフォークもあった方がいいですね」


 トーラムの「どうやって」を「どうやって食えばいいのか」と勘違いした正司は、すぐに大皿と小皿を何十枚と作り、続けてナイフとフォークまで作ってみせた。


 ナイフとフォークは陶器というよりセラミックに近い質感に仕上がっている。

 十分実用に耐える出来映えだ。


 次々と出来上がるそれを見て、周囲の人たちは我先にと手を伸ばす。

 丸一日以上何も食べていない者がほとんどだったのだ。


 正司の魔法に驚くトーラムを尻目に、みな無言で肉を頬張っていく。


「喜んで貰えてなによりです」

 そんな様子を見て、正司は微笑んだ。


「…………」

 このとき、最初に正司へ話しかけたトーラムだけは、まだ現実に戻れていなかった。




 腹も膨れて人心地が付いた頃、一人の老人がポツリと言った。


 ――ターネン婆さんの姿が見えんが、無事脱出できたんだろうか


 ようやく自分の命以外の心配をする余裕が出てきたらしい。

 すると今まで幸せそうな顔をしていた何人かの表情が曇る。


「ビドネインさんとクレアさんの姿もないんじゃ。あの二人は足腰が弱くて、よく歩けん」


「オラん家の隣のじいさんもそうだ」

 そんな声が次々とあがる。


「避難できる場所は他にねえもんな……リンフルの町までとても行けたとは思えねえ。きっとまだ町ん中だ」


「あの火事だ。心配だな」

「ああ」


 どうやら、逃げ遅れた人が町にいるらしい。

 彼らは、町を覆う大火を見ている。


 とてもではないが、町に戻って救出を諦めざるを得ないような、そんな火の勢いだったらしい。


(そういえば、町中にいたとき、まばらに人の気配がありましたね)

 正司が最初に見たのはゴロツキのような連中だった。


 それらが町中を徘徊していた。

 それを見て正司は、マップの緑点はすべて彼らだと考えていた。


 だが今の話からすると、歩いて逃げることができない人々がその中にいた可能性がある。


(ミュゼさんと約束したのですよね……どうしましょう)


 敵の占領下にある町をフラフラ歩くのでさえ危険である。

 逃げ遅れた人を探し回るのは、約束に触れるのかどうなのか。


(人質がいる所には近づくなと言われました。逃げ遅れた人は人質ではないですし……ギリギリセーフでしょうか。危険に近づくなと言われているんですよね。ですが一日遅れるだけで、亡くなる方も出るかも知れません)


 体力のない子供や老人は、健常な大人よりはやく限界が来る。

「分かりました。私が探しに行ってこようかと思います」


「おおっ……」

「行ってくださるかや」

「じゃけんど、中にはまだ敵の兵隊たちがぎょうさんおるで」


「もちろん隠れながら行きますし、危なくなったらすぐに逃げます。人が取り残されていると知って、知らんぷりはできません」


「そ、そうですか……」

「ありがたや」

 何人かが正司を拝んだ。拝んでいるのは老人が多い。


(そういえば、砂漠の集落でも拝まれたことがありましたね。井戸を作り直したときでした)


「魔道士様、いくら取り残された人がいるとはいえ、一人で行くのは危険ではないですか?」

 トーラムは純粋に心配しているようだ。


「いえ、一人だからこそ大丈夫だと思います。気配を消して行きますので、気付かれることはないでしょう」


「さすが魔道士様……」

 では逃げ遅れた人を見つけた場合、どうするのか。


 正司には何か考えがあるのだろうと、トーラムは深く聞かなかった。

「こういう場合、早い方がいいですね。行ってきます」


 正司は〈身体強化〉を施してから、町に戻った。




(……マップに表示される緑点は、意外と多いんですよね)

 気配を消して進んでいるため、正司を認識している者はいない。


 それでも一応、道を歩く人たちを避けるルートを選んでいる。

 これまで正司がすれ違った者たちはみな、ゴロツキ然とした者たちばかりである。


 金目の物を漁っていたのか、貴金属をジャラジャラと身に纏っている者もいた。

 それらを無視して正司は進む。


(中心部は燃え残った家が少ないですね)


 無事に生き残っていて、しかも歩けるならば、夜のうちに町を脱出しているはずである。

 いま家の中にいる者こそ、正司が探している人たちではなかろうか。


 そう考えて燃え残った家を探していると……見つけた。


(この家の中に、複数の反応があります。近所から避難してきた人たちかもしれません)


 周辺の家はみな燃えて残っていない。

 この家だけは、ちょうどうまい具合に火災に遭わなかったらしい。


 正司が中へ入ると、物音と話し声が聞こえてきた。

 反応は五つ。そっと正司は家の中に入る。


「おい、見ろよ。こんなところに隠れてやがったぜ」

「さっき探したときにはいなかったんだがな」


 どこかに隠れていたのだろう。

 老夫婦が男たちに引っ張り出されていた。


 妻をかばったのか、夫が妻に覆い被さっており、背中から剣を生やしていた。


「家ん中にはめぼしいものはねえ。さっさと殺して次へいくぞ」

 夫の方は、すでにぐったりしている。


「りょうかいっと!」

 一人が剣を振り上げた。


「駄目です!」

 正司は、男と老夫婦の間に土壁を作った。


「うおぁっ!?」

「何だこれは!?」


「いつの間に!?」

 魔法を放ったからか、正司の姿は見えてしまった。


 二人が正司に剣を向ける。

 正司は構わず、魔法を続ける。


 老夫婦を囲っていた三人の男たちをそれぞれ土壁で覆う。

「ちょっ、これはっ!」

「前が見えねえ」


 騒ぐ男たちに構わず、正司は老夫婦に駆けよる。

「すぐに治します」


〈回復魔法〉をかけると、夫はぐったりした状態から身体を起こせるようになった。

 状況が分からず、キョロキョロしている。


「あなたっ! あなたっ!」

「おおっ、大丈夫だ……ぜんぜん、痛くない」


「大丈夫ですか?」

「は、はい。いまのは魔道士さまが? 瀕死だった私を治してくださったのですか」


「間に合ってよかったです」

 正司がそういうと、老夫婦は「ありがとうございます」と何度も頭を下げた。


 聞くところによると、妻の足が悪くて逃げられず、夫が介護しながら隠れていたのだという。


 何度か家捜ししにきた者がいたが、その時は古い食器棚の中に隠れて、やり過ごしたらしい。


 だが、家の中の金目の物がなくなって、ついに食器棚まで探す者が現れたため、見つかってしまったのだという。


「お二人を安全な場所で連れて行きたいのですが、その前に……」

 正司は、三つの虫かごを見た。


 中にはそれぞれ人が入っている。

「開けろ」「出せ」「ふざけんな」と鳴いている。


 老夫婦は言っていた。何度か来たと。

 ここに来るまでの間にも、貴金属を身につけたゴロツキたちがいた。


 家捜しして、人がいたら殺して回る。

 彼らはそれを繰り返しているのだ。


(無性に腹が立ちます……が、ミュゼさんとした約束は守らなければなりません)


 正司の方から彼らに近づくなと言われた。

「分かりました」と正司は答えた。


(でしたら、近づかなければいいですよね)


 そうだ、それがいい。そうしよう。

 正司はそう考えた。


「すみません、少しやることができました。お二人はあとで必ず安全なところへ連れて行きます」


「私どもはずっと隠れていましたので、大丈夫です」

「すぐに済むと思います。念のため、手出しできないように囲っておきますね」


 老夫婦を男たちと同じように壁で囲った。

 上部が天井にほぼ達しているため、何かをされることもないだろう。


 家を出て、正司はマップを見た。

 人を示す緑点は、あちこちに表示されている。


(全員個別に囲ってしまいましょう)

〈身体強化〉した身体で、町中を走り回る。


 マップに人が表示されたら、それをすべて虫かごで囲った。

 だれかれ構わず、囲った。


 一人にひとつずつ、個別の虫かごだ。

 床と側面は土壁で覆い、上部だけ格子状になっている。


 とにかく町を巡り、マップに映った端から、すべて虫かごに入れていく。

 マップと連動しているため、漏れはない。


 正司はマップの灰色部分がなくなるまで、それを繰り返した。

 そして先ほどの老夫婦の元に戻り、二人を林の中へ連れて行く。


 老夫婦をトーラムに渡し、正司はこう言った。

「あと半日、ここにいてもらっていいですか。すべて終わったら迎えに来ますので」


「あと半日ですか? 魔道士様それは一体……」

「あと半日ですべてを終わらせます」


「……わ、分かりました。魔道士様がそう言うのでしたら、俺たちはここで大人しくしています」

「ありがとうございます。終わったら、すぐに迎えにきますので」




 そして半日後、本当に正司は迎えにきた。


 その間、何をやっていたのかというと、正司は一度ラクージュの町に戻り、事情を説明した。

 そこで信頼できる者たちを連れて、ふたたびバイラル港に向かった。


 正司の作った虫かごは、いわば個室。

 たとえ隣に誰かいようと、他者に影響を与えることは叶わない。


 ルンベックとミュゼの信頼できる部下と家臣たちが正司の〈瞬間移動〉の魔法でバイラル港に入ると、彼らはすぐに行動を開始した。


 町の住民や有力者を保護し、敵兵は拘束する。

 正司と一緒に、作業のように繰り返したのだ。それはもう延々と。


 正司がバイラル港に向かったのが早朝だったため、その日の夕方にはすべての「仕分け」が完了した。

 予定通りである。


 敵兵は一カ所にまとめられ、決して脱出できないよう、完全に隔離された。

 巨大な虫かごの中に入れられたのである。


 その後、林の中にいた人々は、町中に戻ることができた。

 正司が宿泊できる建物を〈土魔法〉で作り、そこに入ることになった。


 ほとんどの家が焼失してしまったため、相当数の建物を大急ぎで作ることになった。

 領主ならびに、町の有力者たちは、助け出されたあとも憔悴しきっていた。


 どうやらずっと、水も食糧も制限されていたらしい。

 逃げ出されないよう、もしくは逃げ出しても、自力で走れないよう、ギリギリで生かされていたようだった。


 船に押し込まれ、閉じ込められていた商人たちも解放された。

 その中に帝国から戻ってきた大型船の姿はなかった。


 どうやらいくつかの船は、炎上する町を見て港に寄らず、沖に出てしまったらしい。

 港で働く人々の無事な姿を見せれば、戻ってくるだろうとのこと。


(白線は相変わらず沖に向かって延びていますし、大型船はその先にあるのでしょう)


 こうしてその日は終わり、翌朝のこと。


 正司は領主の屋敷から、壊滅しているバイラル港を見た。

 相変わらずの焼け野原である。


 その中で正司が作った宿泊施設と、敵兵を閉じ込めた建物だけが異様に目立っている。


(……決めました)


 この時の正司の決意が、世界の歴史を大きく変えることになる。


 正司が最初にした決意は、『棄民の救済』だった。

 日本は飽食ほうしょくの時代と言われて久しい。


 衣食住の心配なく育った正司は、この世界に来てはじめて棄民を間近で見た。


 魔物の脅威があるとはいえ、彼らを何とかしたいと本気で思った。

 それはただ、目の前の困っている人を救うというのではない。


 正司の目の届かない所にも、確実に棄民は存在している。

 神ならぬ正司では、すべてを救うのは不可能である。


 だがそれでも、できるだけ多くの人を救いたいと思った。

 それが最初の決意。


 そして今回、戦争によって、多くの死者が出た。

 ほとんどの人が家を失い、財産を失った。


 今後彼らはどうなるのか。

 国が何らかの救済措置――補償が出たとして、家族を失った心の喪失は計り知れない。


 このような悲劇を何度も繰り返してほしくない。

 親を失った子供、子を失った親。


 伴侶、もしくは恋人を亡くした者もいる。

 家族、友人、知人も多く亡くなっただろう。


 そのような悲劇が、またおきて欲しくない。


(私になにかできないでしょうか……)


 根っからのお人好しである正司は、この世界で自分にできることを考えた。

 考えに考え抜いた。


 焼け出された人々の姿を思い出す。

 林の中で隠れるようにしていた老人たちの顔が目に浮かぶ。


 どうしたら彼らのような善良な人々が、安心して暮らせるだろうか。

 正司は考えた。


 そして正司は考え抜いた末、ひとつの案を思いついた。


 それは…………



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― 新着の感想 ―
この作品、とても面白くてお気に入りなんだけど『不殺もの』の作品によくある「主人公が不殺で甘ちゃんなせいで読者に過度なストレスが溜まる」部分だけが気になるんだよね・・・ まあ不殺でも十分面白いんだけどさ…
[一言] 港で一般人までも殺したごろつきや傭兵、王国兵は皆殺しでいいと思います。 結局タダシは手を汚したくないだけなんでしょう。
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