076 壁と戦争
正司がボスワンの町に来てから五日目の朝。
トエルザード家の屋敷に、国主レジルオールの使者がやってきた。
ラマ国の押印がされた、正式な書状。ルンベックの登城を促すものだった。
「すぐに行ってくるよ」
前回と違い、ルンベックの登城が記録に残る。
ならば良い知らせだろうと、ルンベックは判断したのだ。
夜になって「壁の設置が認められたよ」と上機嫌で帰ってきた。
予想は当たっていたようだ。
「それは良かったです」
出迎えた正司が苦笑いするほど、ルンベックは喜んでいる。
「反対者も出たようだけど、最終的にはみな納得したようだね」
あと数年で、エルヴァル王国との不戦条約が切れる。
王国は虎視眈々とラマ国を狙っている。
これで条約が切れたら、王国がどうでてくるか。
王国だけではない。帝国は、いま内乱の鎮圧中。
それがいつ終息するか分からないし、余力が出れば、こちらに目を向けるかもしれない。
王国と帝国の双方から狙われている地を持つラマ国としては、気が休まる時がない。
もういっそ永久に行き来できない方が幸せになれるんじゃないか。
重鎮たちの思いは、それで一致したようだ。
「ですが、うまく立ち回れば大陸の東西貿易で稼げますよね」
「可能性はあるね。でもそれは本当に僅かな可能性だし、ずっと商国や帝国の侵攻を警戒しなければならない。それが重荷なんだろうね」
いくら儲かるかもしれないとはいえ、危うい均衡を保ったまま何年、何十年と続けられるわけがない。
為政者は、儲けより安全を優先するものだとルンベックは言った。
「たしかにその通りかもしれません。それで私は、どうすればいいのですか?」
今回は、ミルドラルの提案でラマ国が了承した形になった。
とはいえ、壁を作るのは正司である。というか、正司なしでは不可能だ。
「詳細を聞いてきた。『大裂目』にできるだけ高い壁を作ってほしいらしい。追加として、帝国側を監視できる足場をお願いされた。それ以外はとくに注文はなかったね。とにかく王国も帝国も諦めるような壁になればいいという話だ」
この数日の間に、レジルオールは軍事費がどれだけ浮くか試算させたという。
壁があれば、常駐させている兵士や、交代要員としてボスワンの町に留め置いた兵士たちが丸ごと削減できる。
それらを街道の警備にあてたり、町や村の治安維持に回すことで、大幅な治安回復が期待できる。
それでもまだ兵が余る。
これまで後回しにされてきた「魔物が出ない土地」の開発にも着手できることが分かった。
十年以内に、生産力が三割から四割アップすることがほぼ確定した。
「軍事費が削減されて、生産力がアップですか。いい話ですね」
「減った分を他所に回せるからこそらしいけどね。というわけで、頑丈な壁をお願いされたよ」
「分かりました。二度と戦争が起きないように、しっかりとしたものを作ります」
「よろしく頼む」
「はい」
正司は力強く頷いた。
この時点でルンベックは、少しだけ正司のことを勘違いしていた。
いや、正司のサービス精神旺盛な性格をしっかりと理解していなかったといえる。
それはラマ国の国主や重鎮たちも同様である。
翌朝、ルンベックが起きると正司の姿がなかった。
「あれ? タダシくんは?」
「先ほど出かけられたようです」
使用人の言葉に、ルンベックは不審な顔を向ける。
「出かけたのか。壁の打ち合わせをしたかったのだけど……彼はどこへ行ったのだろう」
「行き先は告げていかれませんでした」
「そうか。昨日のうちに予定を伝えておけば良かったな……まあいい、帰ってくるまで待つとしよう」
正司の〈土魔法〉でどこまでできるのか、ラマ国は一切把握していない。
ルンベックも話していない。
もっともルンベックも、正司の限界を分かっているわけではない。
計画の要となるのは正司の〈土魔法〉なので、本来、国主レジルオールにだけは、伝えてもいいはずである。
だがルンベックは、大陸最高の魔道士がせっかく協力の姿勢を見せたのだからと、ラマ国側も詳細は聞かなかった。
そのため、ラマ国側も詳細な注文は難しくなった。
ルンベックが「絶対に大丈夫です。私が保証します」と太鼓判を押すので、信じることにしたのだ。
国の命運をかけるにはあやふやな話だが、魔道士の情報は秘匿されるものであり、ホイホイと話すとも思えない。
とりあえず完成したもので評価しようという雰囲気になったのである。
つまり、何が言いたいのかというと……。
大壁の設置は、ルンベックに一任された。
それはとりもなおさず、『正司に一任された』と同じ意味を持つ。
ルンベックは、正司と協議しながら話をまとめようと思っていた。
「……本当にタダシくんはどこへ行ったのかな」
その頃正司は、すでに現場に到着していた。
大陸を東西に分ける絶断山脈は、複数の山の連なりでできている。
人が登攀できないほど高い山々が幾重にも連なっているのだ。
その絶断山脈に、ただ一カ所だけ、上から大きな鉈で叩きつけたように山が抉れている場所がある。
これが大裂目である。
幅は、一番狭いところで数キロメートル。
一番抉れて低くなっている場所ですら、標高は四千メートルにも達している。
ボスワンの町が標高二千メートル付近であることを考えれば、かなり高所といえる。
「こんにちは、壁を作りにきました。タダシです」
大裂目の手前に、兵の駐屯地がある。
木造の簡単なものだが、それが五棟並んでいる。
常時数百人の兵がここに詰めて、帝国側を監視している。
「話は聞いているが……もしかして一人か?」
守備隊の隊長らしい男が首を傾げる。
「はい。壁を作るのは、私一人です」
「そうか……そういう意味で言ったのではないのだが……今日は見学だけかな」
職人を総動員すれば軽く数十年かかるような壁を作ると隊長は聞かされていた。
それを土魔道士が行うとも。
隊長の頭の中には、土魔道士や土魔法使いを数十人規模で集めて作ると考えていた。
職人を使わなければ、人件費が浮く。工期もある程度短縮されるだろう。そう思っていた。
だが、やってきたのはただの一人。
まず現場を見に来たのだと隊長が判断しても、不思議ではない。
隊長は一人で納得すると、部下を呼び寄せた。
「壁作りに協力するよう、我々のもとにも話が来ている。この二人をつけるので、分からないことはすべて彼らに聞いてほしい」
「モルドです」
「ヤコブです」
二十代前半くらいの青年たちだった。
二人は正司に向かって敬礼をした。
「タダシと言います。壁を作るために来ました。よろしくお願いします」
「タダシどののお世話はわたしどもが行います」
「委細お任せください」
「……はい」
壁を作るまでと言っても、それほど時間がかかるわけではない。
何を世話するのだろうか。
そう疑問に思ったが、正司は追及しないことにした。
聞いたところで、四角四面な答えが返ってきそうだったのだ。
「えっと、どの辺に壁を作ればいいですか?」
「ここから先はずっと平地になっております。そのどこでも問題ないと思います」
作りやすい場所で、まったく問題ないらしい。
「いま設置してあるのは、木の柵、土嚢、鉄の杭になっています。それがある辺りが一番良いかと思います」
聞かれたことに、モルドとヤコブはハキハキと答える。
「ではそこを見に行きましょう」
「「ご案内致します!」」
連れられて向かった先にも兵士がいた。
三人ひと組になって巡回している。
正司が見た範囲でも、五組の兵士が巡回していた。
丸太を組んだ見張り台にも兵の姿が見える。
「こんな風になっていたんですね」
平地といってもそこは山の上である。
足下はそれなりにデコボコしている。
そこへ鉄の杭が三本セットになって植えられていた。
ちょうど街路樹を固定するような形で地中に刺してあるのだ。
(鉄の杭は馬車とかが進めないようにしているのでしょうね)
鉄杭を抜かなければ、馬車が通れない。
軍隊の遅延行動としては優秀である。
他にも土嚢を積み上げたり、木の柵を幾重にも張り巡らせたりしてある。
どれも帝国側からの進軍を阻む意図が見える。
そして高さ三メートルほどの壁が端から端まで走っていた。
壁には門が二カ所あるが、これは岩で塞いであった。
(これがいまある壁ですか。思ったより低いですね。無理もないですけど)
酸素の薄い高所では、作業は大変だろう。
資材を運び込むのも重労働だ。
(左右は……切り立っていますね。ここは上れそうにありません)
正司はそそり立つ左右の岩山を見た。
上へ向かうほど広がっており、その高みは遙かかなた。
(さて壁ですけど……頑丈に作るのは、下の方だけでいいですよね)
正司はまず、高さ二十メートルほどの壁を作り上げた。
厚みも同じ二十メートルにした。
これは基礎。重要な土台となる。
基礎に手を抜くわけにはいかない。
(よし、これでいいでしょう。かなり頑丈になったと思います)
後ろから「うえっ!?」「なぬぅうう!?」と聞こえたが、作業はまだ残っているので、いまは気にしない。
(土台から上を作るわけですが、絶対に上れない高さにしないといけないですよね)
正司は、さらに五十メートルほど、土台の上に壁を追加した。
厚みはさきほどの半分以下にしたので、八メートルほど。
ざわざわと、後方が騒がしくなる。
巡回していた兵士たちだろう。砂利を蹴って、走ってくる音が聞こえた。
(ある程度の高さをもった壁が出来上がりました。一応これで大丈夫なはずですけど、念には念を入れましょう。ただし、上はもっと薄くてもいいですよね)
壁の厚みは気にしなくていい。問題は高さである。
あとどのくらい伸ばせばいいか分からないため、少し高めに作っておくことにした。
正司はしばし考えて、目標値を決める。
できた壁から、さらに八十メートルほど追加した。
合計で百五十メートルの高さになった。
(上部はやや厚みが足らないでしょうか……いや、さすがに大丈夫でしょう)
壁の最上部の厚みは三メートルほど。
いささか心許ないが、あとで硬化させれば、強度は申し分なくなる。
(……っと階段を忘れていました)
正司は目の前の壁を見上げ、しばし考える。
(らせん階段は目が回りそうですよね。こういうときはつづら折りの階段がベストでしょうか)
登山道のように左右に向かいながら登っていくアレである。
(手すりはあった方がいいですよね。ということは少し広めにして……)
ちょいちょいと階段を三つばかり作成した。
「できました。壁の上まで階段をつけましたので、これで監視も楽になります……でも、上まで登るのに苦労しそうですね」
「…………」
「…………」
モルドとヤコブは声も出ない。
口を大きく開けて、出現した巨大な壁を見上げている。
(忘れていました。壁を硬化させないといけませんね)
周辺の岩盤を使ったので、もともとの硬さは申し分ないが、それでもやっておいた方がいい。
正司は壁全体を硬化させて、作業を終わらせた。
「それでは私は戻ります。何か問題があったら言ってください。その時は修正しますので。それでは」
正司は唖然とする兵士たちを尻目に、山を少し下り、人がいなくなったところで屋敷に跳んだ。
「ただいま戻りました」
「おかえりタダシくん。朝食はまだだと聞いていたけど、どこへ行っていたのかな」
「壁を作ってきました」
「そうかい、壁を……えっ?」
「昨日言われた通り、壁の上に出られる階段も作っておきました。あと全体を硬化したので、まず崩れることはないと思います」
「そ……そう……なの……かい? と、というか……本当に……壁を?」
首を傾けたまま固まったルンベックと、朝食にかぶりつく正司。
「朝食の前に運動すると、お腹が空きますね」
正司は美味しそうに朝食をとっている。
どうやら朝飯の前に、壁を作り終えてしまったらしい。
「本当に作ったんだね……」
それはさすがに常識外ではなかろうか。
ルンベックは、今さらながらにそう思った。
一方、ラマ国はというと……大混乱をおこしていた。
これまで壁を守っていた兵士たちが、転がるようにしてボスワンの町へ駆け込んだ。
日頃から簡潔に報告することを骨の髄まで叩き込まれている連中である。
彼らは頑張った。
目の前で見ても理解不能な現象を簡潔にまとめて報告したのだ。
あまりに簡潔過ぎて、相手に伝わらなかったが。
それでも言葉を尽くして説明すると、「冗談も休み休み言え!」と怒鳴られる始末。
信じてもらえなかったが、内容は理解してもらえた。
「もういい。人をやる」
健脚な者たちが選ばれ、山を登っていく。
そして翌日、最初の兵士と同じ報告が成されるに至って、嘘や冗談、幻覚の類いでないと理解するようになった。
このときになって初めて、事情を聞いた多くの者が壁を確認しようと登山をはじめた。
約半日かけて到着した一行は、激しく息切れしていたが、壁を見て息が止まりかけた。
何人かは過呼吸を起こして倒れた。
「こ、これが一瞬でできただと!?」
ようやく復帰した一人が叫ぶと、集められた兵士たちが無言で頷く。
彼らだって叫びたいのだ。
作る様子を見ていてすら、信じられなかったのである。
町からやってきた者がどう思うか、痛いほど分かっている。
「信じられないかもしれませんが、事実です。一瞬で出来上がりました」
守備隊の隊長が代表して、沈痛な面持ちでそう答えた。
大勢の土魔道士が、何年もかけて作るのならば分かる。
たったひとりがやってきて、ポッと作って去って行きましたと報告すれば、正気を疑われるのは分かっている。
だが何度見ても壁はそこに存在し、つい先日までは影も形もなかったのだからしょうがない。
結局、把握に三日費やし、ラマ国上層部はようやく事実を認めた。
いわく、壁は依頼通り、完成したのだと。
「バイダルとフィーネには人を送ったよ。壁ができて本当によかった。三公会議を開いた甲斐があったね」
ルンベックは上機嫌である。
ルンベックはすでに正司の〈瞬間移動〉によって、こっそり壁を見に行っている。
壁はボスワンの町からでも見えないところにあり、町の人々はいまだ壁ができたことを知らない。
そのうち大々的に発表することになるだろう。
「その前に帰りたいのだけど、そうもいかなくてね」
壁の確認は終わったが、それで「はい。さようなら」とはいかない。
ラマ国が威信をかけて、ルンベックをもてなす義務が生じてしまった。
「そういうのって面倒ですよね」
「いい加減にしていいことではないからね……急いで式典の準備をしているだろうね。それよりも、タダシくん」
「はい、何ですか?」
「ラマ国から謝礼が出ると思うけど、タダシくんの希望はあるかな?」
「えっ? 謝礼なんて別にいらないですけど」
「壁はこっちから言い出した話だけど、だからといって何も返さないんじゃ、国の威信が損なわれるからね。同等のもの……は出せないけど、何らかの返礼は必要でしょ」
「そういうものなのですか?」
「そういうものだし、貰っておいた方がいいかな。向こうは借りになってしまった方が困ると思うし」
「そうですか……うーん、特にないんですけど」
「だったら考えておいてね。大々的に発表すると思うから」
今回の壁については、ラマ国とミルドラルの共同制作になりそうだとルンベックは説明した。
これを成し遂げた土魔道士についての情報はある程度開示されるだろう。
それもたった一人でなし得たのだから、世間が受ける衝撃は大きいはずである。
それだけのことをしたのだ。ラマ国は土魔道士に感謝の意を送ることになる。
もちろん「ありがとう」の言葉だけで済むはずがない。謝礼品を含めての「感謝」である。
「……いや本当に、何も思いつかないんですけど」
「考えておいてね」
正司の意見は、聞き入れられそうになさそうだった。
数日が経った。
ルンベックと正司はラクージュの町に帰還……できるはずもなく、ルンベックは各方面から招待を受けて、毎日忙しくしている。
正司も呼ばれているのだが、そこはルンベックがうまく断っている。
「多大な魔力を使ったため、いま伏せっております」
そう言われては、無理に呼ぶわけにもいかない。
正司は日がな一日、こっそり町を散策したりして過ごしているので、そんなことはまったくないのだが。
ちなみに正司は時折、「希望と言われても……何も思いつかないんですよね」と頭を悩ませていた。
「タダシいる!」
そんなある日、屋敷にリーザが飛び込んできた。
「あれっ? リーザさん、どうしたんです? そん」
そんなに慌てて……と言いかけた正司の胸にリーザが顔を埋めた。
「ど、ど、どう、どうしたん……です?」
アワアワと正司は、リーザの肩に触れて、そっと胸から引きはがす。
「緊急事態なの。王国が宣戦布告してきて、国境の町が攻撃を受けたの!」
悲愴な顔のリーザから告げられた内容は、衝撃的なものだった。
「えっ? どういうことです? 宣戦布告って……ええっ!?」
もしかするとと言われていた王国との戦争。それが始まったらしい。
「戦争よ。領民が……危険に晒されているのよ」
「落ちついて下さい、リーザさん。く、詳しい話を……その前にルンベックさんに知らせないと」
「お母さまはタダシに判断を仰ぎなさいって」
「ミュゼさんがですか? 私は戦争は素人ですよ」
「お母さまは、今回の戦争は普通と違うって」
「話が見えません。えっと……分かるように説明してもらえますか」
戦争は偶発的におこるものと、計画的におこすものがある。
計画的に戦争をする場合、相手国への宣戦布告は重要な手続きだ。
戦争の正当性を主張し、進軍する目的を明確にする。
それによって相手国は、受けて立つか譲歩するか決められる。
たとえ戦争に発展したとしても、相手国の目的が分かっているのだから、落としどころも探りやすい。
また戦争の範囲を指定しておけば、民間人への被害も最小限に抑えられる。
王国とラマ国が戦ったとき、壁の開放を望む王国が宣戦布告し、ラマ国が受けて立っている。
その際、領民への被害をなくす旨の書面が取り交わされ、守られている。
ミルドラルが仲裁して和睦したあとでも、両国の国民感情がそれほど悪化しなかったのは、民間の被害が少なかったことがあげられる。
もし多数の民間人を巻き込んだ戦争になっていれば、戦争終結後、ラマ国に向かった商人は、軒並みラマ国民に襲われていただろう。
身近な者を敵国兵に殺された恨みは、なかなか忘れられるものではないのだ。
では今回はどうなのだろうか。
王国はミルドラルに宣戦布告してきた。
だがその方法は通常と違う。
「ついさっき、レーギスの町から鳥がきたのよ。運良く一羽目で届いたみたい」
鳥はこの世界でもっとも早い伝達手段だ。
各町には伝令用の鳥が飼育されていて、帰巣本能を利用して、迅速に手紙を届ける役割を担っている。
ただし、途中で迷子になったり、飛翔中に肉食の鳥に襲われたりすることもある。
ゆえに、鳥で連絡する場合、同じような内容の手紙を複数送るのが常となっていた。
「何が書いてありました?」
「早朝、突然王国から宣戦布告されたみたい。何かの間違いかと思ったようだけど、すぐに門を閉じたそうよ」
さすがは国境の町を預かる領主である。
半信半疑ながらも、行動は迅速だったようだ。
領主の決断が町を救ったといえる。
「宣戦布告は本来、ラクージュの町まで届けるものよ。国境の町に届けてお終いでは、何の意味もないもの」
領主は近隣の町へ知らせるため馬を出させ、同時にラクージュの町へも使者の馬を送った。
「すぐに町の外に兵の集団が見えたそうよ。時間的に、宣戦布告前に軍隊が国境を越えていなければおかしいのだけど、それはいま置いとくわね。幸い、町の門は閉めてあるし、兵に召集をかけた後だったから、町には入られていないみたい。集まった兵を町壁の上に並べて威嚇したら、一部の兵を置いて先に進んだって書いてあったわ」
領主は敵兵が見えた時点で、鳥を飛ばしたという。
受け取った手紙からミュゼは、王国の意図をある程度察したという。
まず宣戦布告文の内容。
ミルドラルがラマ国と組み、王国に対して卑劣な罠を仕掛けてきたことへの抗議。
度重なる挑発に対し、我慢を重ねてきた王国は、ついに抗うことを決意した。
そんな内容が書かれていたという。
「それって、ぜんぶ言いがかりですよね」
「そうよ。つまり開戦の理由なんてどうでもいいってことよ。勝てる算段があるからあとで取り繕うつもりなんでしょうってお母さまが言っていたわ」
理由をでっち上げてまでなぜ戦いたいのか。
そしてどう戦うつもりなのか。
「ラクージュの町ではなく、国境の町に宣戦布告したのは、私たちに準備する時間を与えないためよ」
王国軍は、迅速に行動することを第一義としているらしい。
となると、最終目的地はどこになるのか。
トエルザード家が住むラクージュの町が最有力だ。
バイダルとフィーネの軍がやってくる前に占領したいだろう。
「立ちはだかる者は、兵だろうが民間人だろうが容赦なく斬っていくと思うわ。町を落としても占領せずに進むって、お母さまは言っていたわ」
町を落としたら戦力を削り、反抗できないようにしてから先に進む。
本来は、町を支配するのに何日もそこに滞在する。
それをせずに先に進むだろうと。
「そうすると後方が脅かされますよね」
「反抗心を持たないようにさせるんじゃないかって言っていたわ」
短時間で領民の心を折る戦略がとられるだろうと。
それには何が最適か。
町に血の雨が降ることになるかもしれない。
「彼らは少しでも速く進軍するために、何でもやると思うの。それを止める手段は今のところ、見つかっていないの」
だからリーザはここへ来たのだという。
「タダシはきっと人の命を救ってくれるって、お母さまが……」
正司の表情が変わった。
それまでの正司は少し戸惑っていた。
急に戦争と言われても、心の準備ができていなかった。
だが、リーザのいまの言葉を聞いて、正司の心が急に落ちついた。
「戦争……人死に……そうですよね」
これはゲームや物語ではない。
遠い国の話でもない。戦争がおきれば人が死ぬのは道理だ。
そしてリーザの話からすると、今まさに兵が進軍し、町が攻撃を受けている。
町には多くの人が住んでいて、彼らの命が危険に晒されている。
ミュゼは正司と一番親しいリーザを遣わした。理由は明白。
ここでもしリーザが「戦争に参加して欲しい」と頼んだとしても、正司は絶対に首を縦に振らなかった。
多少の縁や義理があろうと、それとこれは別である。
だが、無辜の町民の命が脅かされるとなれば、どうだろうか。
正司の心は揺らぐ。
真っ当なやり方ではないが、ミュゼは正司の心につけ込んだのである。
リーザの話を聞いてしまった正司がどう動くのか、ミュゼには予想がついていたのだろう。
「分かりました。私にできることでしたら協力します」
「本当? いいの?」
「軽く扱っていい命など、私はないと考えています。敵も味方も同じです」
「ありがとう、タダシ。正直助かるわ。……それでお父様はどこかしら」
今の今まで、話に出なかったが、ルンベックはトエルザード家の当主である。
当主にしては何とも扱いが軽いが、それだけリーザも動転していたとも言える。
「ルンベックさんはお城で接待を受けています。戻ってくるのは夜になるでしょう。呼びに行った方がいいですね」
「そうね」
リーザは使用人を呼んだ。
「城に行って、お父さまを連れてきて。国の一大事だから、すべてにおいて最優先であると伝えなさい」
「はいぃ!」
話を聞いて、使用人は真っ青な顔ですっ飛んでいった。
「それとリーザさん。ひとつ気になったのですけど、国境からラクージュの町までかなりの距離があります。最短で落とすといっても、限度があると思うのですけど」
馬車で何日もかかる距離だ。しかも、ラクージュの町は盆地の中にある。
斜面を登るだけでも、相当な労力が必要だろう。
「占領もしないで退路も確保しない……食糧は現地で掠奪するのかもしれない。それで進むのなら、日数はかなり短縮できるわ」
「そうですね。ですが、退路がないのに前へ進めと言われれば、兵は動揺すると思いますけど」
「レーギスの町は少数に包囲させて落とさなかったわ。他の町も同じように考えているのだと思う」
レーギスの町は、国境を守るために堅牢にできている。
そこを放置して進んだからには、もはや後戻りはできない。
僅かな兵で町を囲ったあと、二番目の町へ向かっている。
これはどういうことか。
二番目の町だって堅牢にできている。そう易々と落ちたりしない。
二番目の町でも同じことがおきるだろう。
トエルザード領内の奥深くに入られれば入られるほど、魔物から町民を守る程度の壁しかないし、兵もそれほど置いてない。
「ですが、ラクージュの町は守りに適していますよね」
「そうよ。だからこれまで、あまりそういった戦法を採られるとは思わなかったの。だって、町が落ちる前に、バイダルやフィーネからの援軍が間に合うのですもの」
だがもし、援軍が間に合わなかったら?
そのときはトエルザード家のみで、王国軍を相手にしなければならない。
「いいたいことは分かりました。ラクージュの町を落とすまで、振り返らないということですよね」
「そう。一見無謀に見えるけど、勝算があるならば、これほど効果的な作戦はないわ」
「そうですね……でもどうなんでしょう」
機動力を生かして敵陣奥深くまで進軍する。
もとの世界でいう電撃戦だ。
これに対抗する方法はいくつかあるが、史実だとナポレオンや第二次大戦中にドイツ軍が、ソ連に対して奥深くまで誘いこまれて敗北している。
侵攻軍は拠点を確保して、ひとつひとつ足場を作ってから進んでいくのと違い、ひとたび躓くと、退路を遮断されて全滅する。
「分かりました。現地へ行きましょう」
「私が巻物でタダシを送るわ。お父様を待っている時間はないの。すぐに行ける?」
「はい、私は問題ありません」
「なら行きましょう」
こうして二人は、跳んだ。