075 バイラル港
屋敷に戻った正司は、今回のクエストについて考えた。
(マップの白線は、クーファさんから動いていません。ということは、もう一度話をする必要がありそうですね)
今回のクエストは少し特殊だ。
ミムウの願いは、母親のクーファがお腹いっぱい『ラウ麦かゆ』を食べることらしい。
だが、実際にラウ麦かゆを作ってみたが、あまりに不味かった。
それもそのはず。あれは家畜の餌なのだ。
人が食べるものではない。
無理にお腹いっぱい食べさせればクエストがクリアされるのか。
正司は、「それは違う」と判断した。
現時点だとクエストの目的に、矛盾が生じているのだ。
(ミムウさんも、お母さんが食べたがっていたからこそ、その話をしたのでしょう)
ラウ麦かゆが、母親の好物らしい。
(考えても分かりませんね。明日、もう一度クーファさんと話してみましょう)
屋敷の中が慌ただしくなった。ルンベックが戻っていたらしい。
居間にいる正司のもとにルンベックが現れた。
「おかえりなさい、ルンベックさん」
「ただいま、タダシくん。今日は出かけたのかな」
「はい。今日も知り合いに会いに行きました」
「そうかい。私の方は驚かれてばっかりだったよ。理由は聞くなと言っておいたけどね」
三公会議に出席しているルンベックがここにいるはずがない、なぜここにいるのかと、かなりしつこく聞かれたらしい。
「門番からの報告もないでしょうしね」
「そういうこと」
上流階級が住む一角は、一般の居住区から隔離されている。
正司も以前使ったことがあるが、門を通過するとき身分を明かさなければならない。
今回は魔法で直接屋敷に跳んだため、門を通過していない。
つまり、どれほど目を凝らして、耳を澄ませていても、ルンベックの登場は把握できなかっただろう。
ルンベックがここにいることは、国の上層部を除けば、ほとんど知られていないことになる。
「そういえば町で聞いたのですけど、物の値段が少しずつ上がっているようなんです。理由は分かりますか?」
「物価がかね? 戦争特需で買い込んだ品を放出している頃だし、今は下がるものだが……はて」
少し前に戦争の噂があった。これはラマ国に住む者ならば誰でも知っている。
金銭に余裕のある人は、物資の買い溜めをしていた。
当たり前である。このような山の中腹にある町では、物資の大切さは、みな身をもって知っている。
誰に教えられるわけでもなく、戦争の噂が流れれば自然と買い溜めに走るものだ。
だが戦争は回避された。
商人は溜め込んだ余剰分を放出し、町民は溜め込んだ物資を消費するまで、買い物は控えをする。
必然、物の値段は下がることになる。
物価が上昇するはずがないのである。
「ですけど町に物が少なくて、食料品や生活必需品の値段が上がっているみたいなんです」
「どういうことだろうね。考えられる理由は二つかな。商人が更なる買い占めをしたか、この町に入ってくる品物が制限されたか……」
「搬入される物資は増えているようです。荷運び人の人が言っていましたので、確かだと思います」
「だとすると、現時点で十分な物資があることになる。物資不足による物価上昇じゃないとすると、商人の買い占めのセンが濃いね」
「商人が買い占めをするんですか?」
「戦争特需を狙っているのかな。でも、ちょっと根拠が薄いかな」
ラマ国が戦争をすれば、半分孤立したこの町の経済は停滞してしまう。
資源を輸出し、食料を買い入れてこそ、町が正常に機能するのだ。
それを見越して、先に物資を買い占めることもあり得るが、戦争がおきなければ大損である。
よほど確たる証拠がないかぎり、『噂』段階で、買い占めなどはしない。
物資の買い占めには、かなりの元手が必要となり、生半可な覚悟ではできない。
そもそも、物価があがれば、別の商人がどこからか品物を融通してくるものである。
つまり程なくして物の値段は適正価格まで下がる。
買い占めをした商人はどうなるかといえば、物価が下がった状態で在庫を抱えたままだ。
つまり物価が下がる前に、物資不足が起こることが明らかな場合以外、手が出せない。
「他の町の話ですけど、王国商人の開業届が沢山提出されているみたいです」
「開業届? それはまたおかしいね。その町で長期的に展開するなら必要だけど、普通は必要ないからね」
行商人が各町で品物を売る場合、開業届は必要ないらしい。
どこかの商店に品物を卸す場合も同じである。
その町で腰を据えて商売をする場合に限り、開業届が必要となる。
もちろん税金を支払う義務も生じる。
「そんなにおかしいんですか?」
「だって、行商や既存の店舗に卸す場合は必要ない。自分で売る場合だって、屋台や簡易店舗で店を開けばいいのさ。開業届を提出しなくても商売ができる方法はいくらでもあるからね」
「屋台は分かりますけど、簡易店舗というのはなんですか?」
「季節商品を扱う場合などで一時的に開業する店舗のことだよ。普通は、簡易店舗などで何度もその町で商売をして、馴染みの客を掴むんだ。その上で開業する商会が多いね」
一ヶ月から数ヵ月だけ店を開く場合、空き店舗を期間限定で借り上げて商売を行う。
一年のうち、長くても数ヵ月しか開かないような店は、開業届を出さなくてもよいことになっているらしい。
このように開業届を出さなくても、商売上の抜け道はいくらでもある。
にもかかわらず、わざわざ開業届を出すならば、数年から十数年、そこで商売をすることが決まった場合に限るだろうと。
「話を聞く限り、開業届が集中することはなさそうですよね」
「そうだね。よっぽどその町に魅力があって、それが何十年も続くことが決まった場合は別だろうけど……そんな噂は聞いたことないね。気になるなら、その町を配下に調べさせるけど」
聞けば聞くほどおかしいと、ルンベックは言った。
「大丈夫だと思います。私も知り合いから聞いただけですので、今度会ったときに、それとなく今の話をしておきます」
「そうかい。それでいいなら……そうそう、今日会った私の知り合いに、今回の案を裏から支えてくれるよう、頼んでおいたよ。いい感触が得られたと思う」
「壁を作る件ですよね」
「そうだね。概ね賛成してくれたかな。やはり、帝国との交流はもう懲り懲りらしい」
「懲り懲り……ですか」
「妻の講義で知っているかも知れないが、数十年前まで、どの国も帝国と交易をしていたんだ。だけど、労多くして益少なしといった感じで、ラマ国民の評判は悪かったようだね」
「ラマ国は、何度か帝国と戦争をしたと聞きました」
「うん、やっているね。この町は落ちなかったけど、かなり際どい戦いもあったようだよ。帝国内で内乱が起きなければ、今頃ラマ国の半分以上は帝国領になっていただろうね。そうするともう、領土の奪回は不可能だったと思うよ」
ラマ国が帝国軍を水際で止められたのは、ライエル将軍がいたからである。
そしてもうひとつ。天然の要塞である絶断山脈があったからである。
このいずれかが欠けていれば、ラマ国は、単独で帝国に抵抗し得なかっただろう。
「戦争の話は知っていますけど、商売は儲からなかったんですか?」
あれだけ王国が固執しているのだから、交易には、よほど旨みがあるのだろうと正司は思っていた。
「損はラマ国民が引き受けて、利益は他の商人たちに掠め取られていたようだね。ラマ国は街道の整備と帝国に睨みを利かせるために、多大な軍事費を毎年投入していたんだ」
交易が行われれば、街道を行き来する人が増える。
ラマ国内の街道は、ラマ国が安全を守らねばならない。
それがまた馬鹿にならない金額になったとルンベックが説明した。
同時に、帝国がいつ襲ってくるか分からないため、絶断山脈に多くの兵を常駐させていたらしい。
「維持費がかなりかかったわけですね」
「儲かるのは行き来する商人だけということさ。高い通行税を取ろうにも、帝国商人たちが反発してね。そうすると帝国が口を出してくる。ラマ国が引かないと、開戦の口実にもなるから下げざるを得ない」
「なるほど。それはたしかに、労多くして益少なしですね」
商人たち――多くは王国商会の者たちだろう。
彼らのために多大な犠牲を払って、ラマ国は安全を保証していたことになる。
ラマ国民が嫌がるのも分かる。
「それで壁を作ったわけですね」
「そうだね。壁自体は何年もかけて前から作っていたのだけど、壁が完成した後、そこの門を閉じたことで、帝国との行き来が不可能になったのさ。王国はそれを不服としてラマ国と交渉した」
「何度も交渉して決裂。再び、時間をおいて交渉のテーブルについたと聞きましたけど」
「そうだね。痺れを切らしたのが、帝国との交易で旨みを覚えた商人たちだ。最終的に武力で決着をつけようということになって、王国とラマ国の戦争が始まった。ライエル将軍が戦場に出てきた最後の戦いだね」
その結果は、正司も知っている。
王国が多くの傭兵団を引き連れてボスワンの町へ迫り、ラマ国兵と大規模戦闘が繰り返されたが、結局ボスワンの町は落ちなかった。
というよりも、戦争が長期化して軍事費が膨れあがり、それにともなって戦線はグダグダ――泥沼化してしまった。
いかにライエル将軍が優秀でも、複数の戦場に出没できるわけではない。
王国は北と南から攻めれば、ボスワンの町を攻略できるはずであった。
そうならなかった理由は、傭兵団の遅延戦闘にあると言われている。
戦争を長引かせたい傭兵団は、詰めの部分で手を抜き、あえて長期化を狙ったというのだ。
人死にを減らすために、無理な突撃を控える。
これは戦術として正しい。
堅実な戦い方と、手を抜く戦い方は、現場で見ても区別がつかない。
結果、戦費が嵩むものの、戦果がなかなか得られないということに繋がった。
一方ラマ国も軍事費の増大で国が大いに疲弊した。
これ以上の戦争継続は不可能に近い。
落としどころの見つからなくなったこの戦争に手を差し伸べたのがミルドラルである。
ミルドラルは三公の合議制で動く国。
王国と交渉したのがトエルザードで、ラマ国と交渉したのがバイダル。
そしてフィーネを交えた三者で意見をすり合わせ、少しずつ和平合意の道を探っていった。
三公が積極的に動いた結果、最終的に和平を結ぶところまで成しとげた。
これらの経緯を知っている上の世代は、「もう懲り懲り」と思うのは当然だったりする。
もし壁が強化され、帝国との交流が完全に途絶えれば、王国もラマ国に関心がなくなる。
ルンベックの知り合いたちは、「反対する道理がない」と思ったらしかった。
もちろんそれは、将来的にラマ国だけ取り残される危険性をはらんでいるのだが。
「明日はまた別の知り合いと会ってくるよ。タダシくんはどうするのかな?」
「そうですね。今日と同じですかね」
「そうか。もし困ったことがあったら言ってくれて構わないよ。私もそれほど忙しいわけではないからね」
「ありがとうございます。たぶん大丈夫だと思いますけど、何かあったら、そのときはお願いします」
そして翌日。
正司はクーファの家に向かった。
いつもは、母親が寝ている時間帯だったので、ミムウは近所で時間を潰している。
詳しい話を聞きたいと尋ねた正司に、クーファは、ふふっと笑った。
「昨日は娘がいたので、言えませんでしたけど、この国で売っているラウ麦はとても食べられたものではありません」
「やはりそうですか……だとすると、別の国のラウ麦のことを言っていたのですか? でも、家畜の餌ですよね」
「実はですね、私が食べたことがあるラウ麦は、品種が違うのです」
「えっ? では、ラウ麦かゆが美味しいというのは……」
「別のラウ麦を使います……けど、この国では売っていません。あれとは別物です」
名前が同じで別のラウ麦があるらしい。
「そうだったんですか。どうりでおかしいと思いました。……ということは、あれがすごく不味いものだと知っていたんですね」
「ええ……」
ぺろっと舌を出したが、正司は額に手をやった。
舌を出されても年齢的に可愛くない……というのはおいといて、クーファは昨日、知っていて口を出さなかったようだ。
正司がかゆを作るのをミムウがワクワクしながら待っていた。
そのため、黙って見ていたようだ。
「この国では売っていないということは、別の国にはあるということですよね。たとえば王国とか」
「どうでしょう。王国にあるのか……おそらくないと思います。こっちにきて、そのラウ麦を見たのは一度きりですし」
「そうなんですか?」
「ええ、あれはミルドラル経由で入ってきたものだと聞きました」
「ミルドラル経由? ……もしかして、原産国は帝国ですか?」
正司の問いかけに、クーファはゆっくりと頷いた。
「よければ、もっと詳しい話を聞かせてもらえますか? 私には何がなんだか……」
「そうですね。娘のために頑張ってくれたようですし、お話しします。といっても、私も昔のことですので、うろ覚えなのですけど……私は幼い頃、両親に連れられて、帝国からこの国にやって来ました」
クーファの両親は行商人で、家族で荷を売りながら各地を渡り歩いていたらしい。
その頃はまだ帝国とラマ国は国交があり、絶断山脈を越えて帝国からやってきたのだという。
「私がこっちにきたのは、娘と同じ歳の頃でした。それまで商売をしながら帝国を渡り歩いていた感じですね」
ラマ国で商売をしている間に戦争が始まり、家族は帝国に戻れなくなったという。
それどころか戦争で町からも出られなくなり、両親は仕方なく、この町で商売を始めたらしい。
そして時が流れた。
クーファも成長し、この町の男性と恋に落ちて結婚。
両親も亡くなり、もとの故郷はどこだったかも分からず終い。
この町で骨を埋める覚悟は、とうにできているという。
「ラウ麦かゆは、私が帝国領にいた頃、食べていたのです。ただ、どこでも食べられるものではなく、北方の町か村のどこかで栽培していたみたいですね」
「その町か村の名前は覚えていますか?」
「残念ながら……でも雪の降る寒い地方だったのは覚えています。かゆに動物の乳を入れるのも、身体を温めるためです」
クーファの話を正司は頭の中で整理してみた。
まず、ラウ麦の品種が違うのが驚きだった。
クーファが食べたことがあるラウ麦は、変なヒゲも生えてなく、実もふっくらとして、味もよいらしい。
そしてそれは帝国領のどこかの町か村で栽培されている。
一般には知られてなく、地方限定の食べ物らしい。
(寒い地方と言っても広いですからね。地図で調べても、特定できないでしょうね)
簡単なクエストかと思ったら、存外難易度が高い。
「クーファさん、ひとつ質問なのですが、さきほどこの国に来て一度だけ見たと言われましたけど、それはいつのことでしたか?」
「二年ほど前だったと思います。偶然、行商人が持っていたのですけど、扱っている本人も荷に紛れていただけで、食べ方もよく分かっていない感じでした。偶然仕入れてしまったのでしょう」
「それがミルドラル経由でこの町に入ってきたんですか」
「ええ。ですか、考えてみると当然かもしれません。ミルドラルは北回りで船が行き来していると聞きます。王国は南回りですよね」
「そう聞いています。……そうか。ラウ麦は北方で栽培されているから、帝国領でも北の港に集まるわけですね」
それが巡り巡って、クーファの目に留まったわけだ。
クーファは昔を懐かしみ、それでラウ麦かゆを作った。
おそらく懐かしさの補正も加わり、「美味しい、美味しい」と連呼したに違いない。
ミムウはそのことを覚えていたのだろう。
「それ以降一度も見たことはありませんから、ラウ麦は、帝国でもこの国でも一般的に食べられていないと思います」
「同じ名前ですし、知っている人は家畜の餌の方を想像するでしょうしね。買おうとも思わないし、口に入れようともしないでしょう」
家畜の餌として栽培していて、突然変異か、交配などで普段と違うものができたのだろう。
それが品種として定着したと。
(品種違いのラウ麦を探そうにも、帝国領のどこにあるのか分からないですね。あとはミルドラルの商人なら知っている人がいるでしょうか)
クーファの話を聞き終えると、クエストの白線が消えた。
そして次は、表示されていない。
これは前にもあった。
フラグが立たないと、次へ進めないのだ。
「お話はよく分かりました。ミムウさんの願いは、クーファさんにラウ麦かゆをお腹いっぱい食べてもらうことです。食べられる品種のラウ麦が手に入るかどうか、知り合いに聞いてみます」
「それは嬉しいですけど、なにも無理することはないのでは?」
「私はクエストを信奉していまして、誰かの願いを叶えるために旅をしています。今回はミムウさんですね。ですので、もう少しお手伝いさせてください」
「そういうことでしたら、私から何もいうことはできませんけど」
「だからといって、それでお代を頂戴するということもありません。完全に私がしたいからやっていることです。……準備ができたら、また寄らせてもらいたいのですが、よろしいですか?」
「はい。私は構いません。ミムウも喜んでいるようですし」
母親は夜の清掃作業で疲れており、日中は寝ている事が多い。
ミムウはいつもヒマしているらしい。
「ありがとうございます。ではまた寄らせていただきます」
クーファはこれから仕事に備えて睡眠をとるという。
どうやら正司が訪れたことで、寝るタイミングを逸してしまっていたようだ。
正司はそっとクーファの家を辞した。
(さてこれからどうしましょう。ミムウさんのクエストはしばらく進みそうもありませんし……一度ラクージュの町に戻ってみるのもいいかもしれませんね)
会いたい人には会えた。
彼らにも都合というものがある。頻繁に訪れては、今回のように時間を取らせてしまうことになる。
かといって、ただ町をブラついても面白いことはない。
夜になればルンベックも戻ってくるため、それまでリーザのところへ顔を出しておこうと正司は考えた。
人通りのない路地に入り、〈瞬間移動〉でラクージュの町の屋敷に跳んだ。
「あら? タダシ、どうしたの? 向こうで何かあった?」
屋敷の庭に出現したら、ちょうどリーザが庭に出てくるところだった。
「いえ、思いがけず時間が空いたものでしたので、一度、戻ってきたのです」
「そういうことね。お父様の様子はどう? うまくいっている?」
「国主の方にはすぐに面会できたようです。その時提案したみたいですけど、即断はできないと言われたようです。ルンベックさんはいま、その根回しに動いています」
「国主独断で決めると、あとで問題が起きるかも知れないのね。それは真っ当な判断だと思うわ」
リーザも提案の内容は知っている。
十分可能性がある話だと思っているが、さすがに国主ひとりで決められる話でないのも理解できる。
「私は自由な時間をもらったのですけど、やることがなくなりました。いまは少しヒマですね」
「ヒマって……ヒマでホイホイ帰ってこれることがおかしいのだけど、タダシには今さらよね。まあいいわ、ちょうど備蓄庫の視察に行くところだったの。一緒に来なさい」
「はい。それはいいですけど、備蓄庫……ですか?」
「戦争の可能性があるでしょう? だから町の備蓄を確認しにいくの。いざ倉庫を開いてみたら、全然足りませんでしたじゃ困るからね」
ラクージュの町には多くの備蓄倉庫がある。
複数の倉庫に分散して保管してあるらしい。
これらは毎年、トエルザード家が商人から買い付け、古いものから順に安く市場に流している。
それによって毎年少しずつ備蓄品の更新ができるし、金銭的に余力のない人は、安い値段で放出された古い食料品を購入できる。
「備蓄庫の管理は複数の家臣に任せているので、滅多なことはおきないと思うけど、普段は閉めたままなのよ。こういうのは定期的に確認しないとね」
リーザに連れられて向かった先は、小高い丘の上に立つ倉庫群だった。
丸太と土壁で周囲を囲い、厳重な警戒態勢が敷かれていた。
リーザは「ご苦労様」と声を掛けつつ、三つの門を通過していく。
つまり三重の守りである。
「普段からこんなに厳重に守っているんですか?」
「そうよ。戦争や災害、不作などがおきたら、これが頼みの綱になるでしょ。手間をかけて守るに決まっているじゃない」
兵に言って、倉庫の扉を端から開けさせる。
中には木箱や麻袋の束が天井に届く勢いで積み上げられていた。
リーザはそのひとつひとつをよく吟味し、最後に書類にサインをしてからそこを出る。
「明日は別の備蓄庫を回るけど、タダシはどうする?」
「今夜にはボスワンの屋敷に帰ります。明日は……どうしましょう。クエストが進まないと、やることがないんですよね」
「クエストね。……今回は何に首を突っ込んだの?」
「大したことはないんですけど……そうだリーザさん。ラウ麦って知っていますか?」
「ラウ麦? 知ってるわよ。家畜の餌に交ぜて使う麦の一種よね」
「そうなんですけど、同じ名前で別の品種があるんですよ」
「別のラウ麦ってのは聞かないわね。というか、私はラウ麦自体あまり見たことないわ。それがどうしたの?」
知識として知っているだけだとリーザは答えた。
「人が食べても美味しいラウ麦があるみたいなんです。帝国の一地方で栽培されていて、何年か前、ミルドラルの商人が持ち込んだことがあるそうなんです」
「へえ……食べて美味しいのかしら。家畜の餌よね」
「普通のは不味いらしいです」
「そうよね……で、タダシはそのラウ麦を探しているの? 帝国で栽培されているってことは、バイラル港経由で持ち込まれたってことよね」
ミルドラルには、トエルザード家が持つ港がひとつだけ存在する。
「確証はないんですけど、恐らくそうだと思います。帝国の北方で栽培されていると聞きました」
「だったら、我が家の船が持ち込んだ可能性が高いわね。王国は南回りを使うことがほとんどだから」
エルヴァル王国は、アーロンス港とエルダリア港の二つを所有しているが、両方とも南回りを使った方が早く帝国の港へ着く。
そのため、王国の船は南回り、ミルドラルの船が北回りを利用している場合がほとんどである。
「だったら一度、バイラル港へ行ってみる? あと十日もすれば、帝国を出発した船が港に到着するわ。もしかしたら、その船の積み荷にラウ麦が入っているかもしれない」
「その可能性はありますね」
クエストの白線は消えたまま。
これは過去の例からすると、時間か行動が足りていない。
いわゆる「フラグが立っていない」という状態だ。
このフラグに相当するものが今回、船の到着かもしれない。
「一度目は私が巻物で連れて行くわ。そうしたら次からはひとりでも大丈夫でしょう?」
「そうですね。もし今度入ってくる船にラウ麦があるのでしたら、〈瞬間移動〉で往復できると便利です」
「なら、一度屋敷に帰りましょう。巻物を取ってくるわ。港町でお昼を食べましょう」
「でしたらこれを使ってください。余っているのがまだまだありますので」
正司は『保管庫』から〈瞬間移動〉の巻物を取り出した。
「……そうだったわ」
ハンカチを差し出すくらいの気軽さで、正司は巻物をリーザに渡した。
リーザは額に手を当てつつ、巻物を受け取る。
「人目のつかない場所で読むわよ」
大きな木の裏に隠れてから、リーザは呪文を読み上げた。
「さあ、着いたわ。トエルザード家が所有する山林だから、人はいないと思うけど……大丈夫のようね」
ここは港のすぐ近くらしく、耳を澄ますと喧噪が聞こえてくる。
「魔物は出ないんですか」
「ここ? 出ないわね。勝手に開発されないように我が家で所有しているだけだもの」
あまりに港に近い場所なので、切り売りすると家や倉庫がポンポン建ってしまうため、あえて売らずに残してあるのだという。
今後、大きな開発をするとき、ここを使うつもりだろう。
「活気がありますね」
「うるさいくらいでしょ? でもこれが普通なのよ」
「そうなんですか」
正司が見たところ、ラクージュの町と同じか、それ以上に人が多い。
「どけどけっ!」「邪魔だ!」「痛ぇじゃねえか、コラッ!」
「そこの兄さん、見てってよ!」「安いよ、安いよ~!」
荷を運んでいる人、軒先で物を売っている人が声を張り上げている。
また、それ目当てに来る客がいて、道はかなり雑然とした印象を受ける。
客の目を引くためか、道にはみ出すように木箱が置かれ、ときおり人がぶつかっている。
たまに喧嘩なのか、怒号も聞こえてくる。
「これが日常ですか」
「いつもの光景……と言いたいところなんだけど、ちょっと見ない間に、ガラが悪い人が増えたかしら」
「…………」
ムショ帰りですという雰囲気の人が、それなりの数見受けられる。
顔や身体についた無数の疵を見せつけるように歩くさまは、どこぞの世紀末のようだ。
船乗りといえば屈強な男を連想するが、それにしてはみな厳つすぎる。
「中大型船の停泊場はこっちよ」
ここは小型船や中型船の一部が停泊する場所らしい。
いま船から荷揚げされている荷物はすべて、王国からやってきたものらしい。
「大型船は……まだ到着してないようですね」
リーザが案内した場所には、二隻の中型船だけが停泊していた。
「そうね。……ちょっと取引所で聞いてくるわ」
しばらくしてリーザが戻ってきた。
ちなみにその取引所は、トエルザード家が運営しているらしい。
「どうでした?」
「やはりまだ到着していないみたい。航海予定に変更がなければ、十日以内にやってくるって話よ。帝国の船はしばらく入港予定がないそうだし、一番早く来るのはウチの船ね」
「十日後ですか……でしたら、その頃に来ることにします」
もしその船にラウ麦が積んであれば、船が到着した時点でクエストが更新されるかもしれない。
マップに白線が出れば、到着が分かる。
「来てないとは思ったので、それはいいのだけど、少し奇妙な話を聞いたわ」
「奇妙ですか?」
「最近、王国から来る中型船は軒並み、積み荷が少ないらしいのね」
「少ないって……まだ船倉に積めるのに、乗せてこないってことですか?」
「違うのよ。代わりに人を多く乗せているらしいわ。人が増えれば水や食料も一緒に増やさないと駄目でしょ? だから積み荷はいつもの三分の二から半分程度みたい。荷揚げ量で税を課すから、入ってくる船の数に比べて、税収が上がらないかもって言われたわ」
「人には税を課さないのですか?」
「船乗りに税を課そうと思っても、調べられるわけがないじゃない。まあ、税収が下がるのは別にいいのだけど……海路を使って観光しにきたのかしらね」
わざわざ荷の代わりに人を乗せるなど、そのくらいしか思いつかないとリーザは言った。
「観光ですか……もしくはこっちを拠点にしようと商人が大挙してやってきたのかもしれませんね」
ラマ国では、そんな感じで開業届が増えたのだろうか。
正司がそんなことを考えていると、リーザが港の方を見ながら目を細めた。
「この変な活気もそのせいかしらね。やっぱり前に来たときより、ガラが悪くなっているもの」
リーザの声に呼応するように、またどこからか怒号が聞こえてきた。
自警団だろうか。革鎧を纏い、棒を持った何人かが声のする方へ走って行くのが見えた。
それをリーザが無言で見つめていた。
同じ頃、ラマ国の首都、ボスワンの町。
上流階級が住まうとある屋敷の中で、ルンベックが壮年の男性とにこやかに会談していた。
「ご理解いただけたようで、まことにありがとうございます」
「いえいえ、貴重な情報を知らせていただいて、こちらこそ感謝しております」
ルンベックとその男は固い握手を交わした。
「もし国主の許可が得られれば、すぐにでも取りかかるつもりです」
「そうですか……しかし、それ程の魔道士をこれまで秘匿していたとは、さすがさすが。ルンベック公の恐ろしさをまざまざと見せつけられた気分です」
「いやいやそんな……そういえば最近、この町で物価上昇が続いているとか。理由をご存じですか?」
「いえ……物価ですか? たしかに家の者が言っていたような気がしますが、私自身、あまり気にしていなかったもので」
「そうですか」
「何か気になることでも?」
「……この時勢ですからね。物価が下がることはあっても、上がることは滅多にありません。不思議だと思った次第です」
「言われてみればそうですね……ですが、不審な話は飛び込んでおりません。さすがに非正規な動きがあれば、私の耳に入ると思いますよ」
男の言葉に、ルンベックはゆっくりと頷いた。
「でしたら、買い占めのセンはないと考えてよいのでしょうか」
「そうですね。そんなことをされれば、さすがに気付きます。もし物価上昇が止まらないのでしたら、搬入された荷が少ないか、荷を市井に出していないかのどちらかでしょう」
「搬入量は変わらないか、増えているようです」
「そうですか……でしたら、商人たちが倉庫に溜め込んでいるのでしょう。それはさすがに察知できませんから。まあ、商人の名前が分かれば調べることはできますが」
「残念ながらそういったものは掴んでいないのです。規模からして、単独の商会の動きではないでしょう。一人の商人を調べると、すぐ他の仲間に知れ渡ることになりそうですな」
もし計画があって行っているとしたら、それは悪手となる。
たった一人を調べたことで、残りの商人が一斉に警戒し出すからだ。
「ふむ……そうすると秘かに調査するしかありませんが、具体的なものが分からないと日数がかかります」
「それでよいので、少し動いていただけませんか。戦争が回避されたにしては、動きがおかしいので」
「分かりました。極秘裏に調べておきましょう」
「よろしくお願いします。助かります」
「なに、これはわが国の問題です。気に掛けていただいてこちらこそありがたいです」
そう言って男は手を差し出した。
ルンベックはもう一度、笑顔で握手をするのであった。