073 再会のとき
正司はルンベックを伴って、ボスワンの町に跳んだ。
ルンベックは早速、ラマ国の国主と面会するための手紙を出した。
すると翌日には、はやくも城から返事がきた。
ルンベックは「思ったより対応が早いね」と言いながら、護衛を連れて出かけていった。
自由をもらった正司は、早速とばかりに町へ繰り出す。
まずは以前お世話になった宿屋へ向かった。
「あら、あんた。こっちに来てたのかい」
「はい、ご無沙汰しております」
宿のおかみさんは正司のことを覚えていた。
「今日も泊まっていくかい?」
「あっ、いえ。今は知り合いの所にいますので、顔を見に来ただけです」
「そうかい。それは残念だね。まあいいさ。元気でやっているみたいだし、あたしも安心したよ。あんたの場合、なんか危なっかしくてね」
「そうですか、一応元気でやっています。それでこっちは最近、どうですか?」
「そうさねえ……最近というと、少しずつ物の値段が上がっていてね。このまま物の値段が上がり続けると、宿代も上げないといけなくなるだろうね」
「そういえば以前私が来たときも、お酒の搬入が減らされていましたね」
ボスワンの町は山の中腹にあるため、どうしても外からの搬入に頼らざるを得ない。
だがここへ物を運び入れるのはかなり大変である。
加えて、町の人口密度はかなり高く、生活に必要なもので足りないものが結構ある。
それらを過不足なく揃えるのは難しいと、正司は聞いた。
「酒とか衣類とか、なくても困らないものの搬入が滞るのは過去にもあったんだけど、今回は様々な物が少しずつ値上がりしてね。何を買うにもちょっとずつ出費が増えるようになったのさ」
どうやら、物資不足による物価の上昇らしい。
町全体に買い控えがおきているが、それでも値段の上昇はあるという。
「なかなか大変そうですね」
「そうだねえ。今年いっぱいは、そんな感じかもしれないね」
物の値段を制御するのは難しい。
たとえば野菜の場合、種まきから収穫まで何ヶ月もかかる。
いま野菜が不足しているからと言って、慌てて種まきしても、収穫できるのはかなり先になる。
そしていま一気に種まきしても、供給できる頃には値崩れがおきているかもしれない。
需要と供給をバランス良く維持し続けるのは、並大抵のことではないのだ。
「やはり、山の中腹で暮らすのは大変ですか?」
「大変だよ。だけどその分、安全さ。ここは天然の要塞のようなものだ。町は山に守られているからね」
「ああ……そうですね」
この町にいたる山道は、たった二本しかない。北と南である。
そして町の片側は急斜面で、反対側は山肌が切り立っている。
町中にいる限り、人や魔物の被害を心配することもないだろう。
ボスワンの町は、少ない兵で守ることができる理想的な土地である。
その分、多少の不便は致し方ないのかもしれない。
正司はおかみさんの宿で昼食を摂った。
久し振りの味に満足しつつ、次はどこへ行こうかと考える。
(……やっぱり、次はあそこですよね)
正司は、孤児院へ向かった。自らが手がけた大きな建物。
凶獣の森にある拠点を除けば、あれが初めての試みであった。
(広さと頑丈さだけ気を配ったんですよね。だから無味乾燥な外観になってしまいましたけど、どうなっているでしょう)
最初正司が孤児院を見たとき、廃屋と勘違いしたほどだった。
木造のあばら家で、いつ壊れてもおかしくないほど痛んでいた。
子供たちが遊べる広場が隣接してあり、そこで30人ほどの子供たちが遊んでいた。
あとで聞いたら、孤児院にいる子供たちの総数は60人ほどもいた。
それをワブル院長が住民の助けを借りながら、なんとか切り盛りしているのが現状だった。
「こんにちは」
「はいー」「はーい」「どなた-?」「だれー?」
正司が入り口で挨拶をすると、いろんな声が返ってきた。
同時に駆け下りる足音とともに、小さな子供たちが顔を覗かせた。
「あっ、魔道士様だ」
「ほんとだ」
「まどーしさま?」
「いんちょーせんせー、まどーしさまがきたよー」
子供たちが正司を見て、大はしゃぎをする。
(なんか、すごく歓迎されています……けど、なぜなんでしょう)
「これはこれは、魔道士様……いえ、タダシ様。お久しぶりです」
一階の奥からワブルが顔を出した。
「ああ、ワブルさん、久し振りです……えっと、この子たち」
いま正司の周囲には、子供たちが群がっている。
正司は子供たちに両腕をとられ、腰に手を回され、足にしがみつかれて動けない。
身体をよじ登ろうとしてくる子供もいる。
「ホラ、みんな! 離れなさい!」
ワブルが一喝すると、子供たちは蜘蛛の子を散らすように正司から離れていった。
それでも遠巻きに見ている別の子供たちもいる。
なぜか子供たちの目が、爛々と輝いている。
「本当にもう……タダシ様、子供たちが申し訳ありませんでした」
来客室に通されるやいなや、ワブルが平身低頭して謝ってきた。
「いえ、ぜんぜん構いませんよ。逆に、なぜ子供たちが集まってきたのか不思議なくらいです」
「魔道士様のお話は、子供たちにせがまれてよく話しますので、みんなすごく嬉しいのでしょう」
「そうだったんですか。それで私のことを覚えていたのですね」
正司が孤児院に顔を出したのは、わずか数日間。
子供の記憶など、不確かなものだ。
すぐに顔も名前も忘れても不思議ではない。
ワブルはそれを分かっていたからこそ、何度も繰り返し話して聞かせたのだろう。
「近所の大人たちもよく正司さんの話を聞きにきますよ」
「それは……どうなんでしょう」
どうやら子供だけでなく、大人にも大人気らしい。
さすがに大人は正司の身体によじ登ったりしないだろうが。
「このような立派な建物に移り住むことができたのも、ひとえにタダシ様のおかげです。それに貴重な魔物の素材を提供していただきました。子供たちが予想を超えて増えましたが、そのおかげでなんとか飢えさせずに暮らしてゆけています」
「それは良かったです。ドロップ品は余らしているだけでしたので……って、そんなに増えたのですか?」
ここは孤児院である。
親が亡くなり、他に引き取り手がいない子たちがここに集まっている。
それほど急激に孤児院に来る子供たちが増えたのは、何か理由があるのだろうか。
「いまは120人の子供たちがここで暮らしています」
「ば、倍増ですか」
それはさすがに正司も驚いた。
孤児院は余裕を持って広く造っておいた。
120人といっても、子供の身体は小さい。
ここには十分なスペースはある……はずだが、たかが数ヶ月で倍増とは驚きである。
「このペースで増えなければいいのですが……」
ワブルも状況を理解しているのか、さすがに頬が引きつっている。
「何か原因があるのですか? 戦争は起こっていませんから、魔物の襲来とか?」
「いえ……純粋にそれだけの子がここを目指して集まってきたのです」
話を聞くと、孤児院が大きく立派になったことで、孤児たちを受け入れる余裕ができた。
正司は気付かなかったが、町中には、日々の食い物にも事欠くありさまの子供たちが何人もいたのである。
現代風に言えば、ストリートチルドレンだ。
「なるほど、町中にいたのですか。それは気付きませんでした」
彼らは夜露さえしのげればいい。場所はどこだっていいのだ。
そして単独ではなく、小さな集団を作って暮らしている。
幼年者を年長者が面倒を見て、町の片隅に寄り集まって暮らしていたらしい。
正司が目にしなかったのは、純粋に日中の町中をフラフラと歩いていないからである。
年長者といっても13、14歳くらいである。
そんな彼らが面倒みていた集団がいくつか、この町にあった。
当然大人たちも、そのことは知っていた。
彼らに対して一時的に手を差し伸べることはできても、恒久的に救うことはできない。
彼らにできるのは、ただ「見て見ぬ振り」をするだけである。
何しろ、町中にいれば魔物に襲われることはないのだから。
「七、八人のグループがいくつかありまして、彼らがみなここに越してきました。それで30人ほど増えたのですが、あとは噂を聞きつけた人たちが連れて来たりしました」
行商人が村で行き場を無くした子供たちを連れてきたのだという。
そのような子たちは、総じて目が死んでいたとワブルは言う。
たらい回しされて、どこにも受け入れ先がない子供たちだ。
「どうせここも駄目だろう」とハナから期待していない。
そんな子たちを見て、ワブルはすべて受け入れたのである。
するとどうだろうか。
わずかな期間で、60人が120人にまで増えてしまったのである。
「た、大変だったのですね……」
まさかほんの数ヶ月顔を出してないだけで、そんなことになっていたとは、正司も想像していなかった。
「それだけ今は、身寄りのない子供たちが多いのだと思います」
国からの援助金は僅かなもの。
これまでここは、近所の善意によって支えられてきた。
人数が倍増してしまったいま、遠からず運営に支障をきたすのではなかろうか。
(建物だけでなく、ドロップ品を置いてきてよかったですね。運営費がなくなったら、建物があってもどうしようもないところでした)
当時、何のビジョンもなかった。
ただ、ないよりあった方がいいだろうと、多くの素材を置いてきた。
(当時の私、グッジョブですね。素材を置いてきて、本当によかった)
もしかしたら、経営難で離散していたかもしれない。
「でしたら今回も寄付させてください。えっと……また素材でいいですか?」
「いえ、もう十分です、タダシ様。以前いただいたものを大事に使っております。そんなお気遣いは無用に願います」
慌ててそれを止めるワブル。
そんな風に言われて、正直、正司は意外だった。
(こういう場合、寄付を断ったりしないものと思っていたのですが)
正司が町を去って数ヶ月。たしかに子供は増えた。倍増である。
それに伴って、出費も増えた。
だが、前回正司が渡した素材は膨大な量である。
老朽化していたとはいえ、テーブルの足が折れるほどの分量を積み上げたのだ。
数ヶ月やそこらで、どうにかできる量では無かった。
ゆえにワブルは「これ以上は不要」と断ったのである。
「ですが、それが無くなれば、一気に立ちゆかなくなりますよね」
「しばらく……数年は、本当に大丈夫だと思います」
素材はまだまだ残っている。
ワブルの試算では、軽く二十年分くらいの生活費になると考えている。
一部を商人に売ったところ、それくらい売却代金が高かったのだ。
だが、このペースで子供たちが増え続けると、先のことは分からなくなる。
以前のように詰めれば、数百人の子供を受け入れることができる。
30人だったものが数百人の規模。
想像できないが、出て行くお金は数倍から十数倍になると予想される。
孤児院は普段から、質素倹約を旨としている。
それでも食料や消耗品は、子供たちの数だけかかる。
20年は持つと予想した素材だが、いつ底をつくか分からないと考えたのは、そのためだ。
それでも五、六年は余裕で持つのではと、ワブルは考えている。
「そうですか? うーん、ですが子供たちが増えると、心配の種も増えますよね」
この世界、意外と人件費が安い。
最低賃金法などもないため、仕事内容と能力に応じて、その地域の賃金は大凡決まってくる。
子供たちが増えれば、適正価格で何人も人を雇う必要が出てくるだろう。
その資金は足りるのだろうか。正司は少し不安になった。
(子供たちを見ているだけならば、孤児院の人たちだけで、これまでどおり回せそうですよね。問題は、その他の仕事ですけど)
年長者が年少者の面倒をみるのは、当たり前のことである。
それは仕事ではなく、上の子の義務。賃金は発生しない。
それでも男手が必要なこともあるだろうし、事務仕事も増えてくるかもしれない。
(なんとかしたいと思うのですけど、ワブルさんは受け取りそうもないですし……どうしたものでしょうね)
あまり一個人が、こういった施設に大きな影響力を持つのはよくないのかもしれない。
正司はそんなことを考えつつ、何か別の援助ができないか、探ることにした。
「そういえば、他に困ったこととかないですか? 何でもいいのですけど」
「いえ、本当に満足しています。これ以上のことなど……」
なんとなく恐縮させてしまったなと正司は考え、少し別の方法でアプローチすることにした。
「そうですね、以前と変わったなと思うことってありますか? 私はこの町を離れていたので、よく知らないのですけど」
これはただの雑談。
もし「悪い方に変わった」ものがあったら、それを取り除いてもいい。
そんなふうに正司が思っていると……。
「変わったといえば、さまざまな物の値段が上がってきていますね。最初は気のせいかと思ったのですけど、昨年の帳簿を見比べてみると、単価が上がっている品物が多いことが分かります」
「値段ですか……そういえば、宿のおかみさんも同じ事を言っていました」
「急に上がっているわけではないですし、上がり幅が大きいわけでもないですけど、ウチはどうしても、大量に買いますから」
「ひとつひとつは微々たる差でも、120人分となると大きいですよね」
日本の場合、商品の値段を上げずに量を減らして、一時期騒がれたことがあったが、物価の上昇は必要悪であると正司は考えている。
正しく経済が成長するには、デフレが続いてはいけないのだ。
だからといって、値上げは庶民の財布を直撃する。
今回の場合、たった10円の値上げでも、それを120個購入しようとすれば、1200円の値上げとなる。
正直、一品目で1200円の値上げは痛いだろう。
「なるほど、物価の上昇ですか……」
少し考えてみようと正司は思うのであった。
しばらくワブルと話していると、そろそろ時間なので、子供たちの夕食を作るといいだした。
「もう、そんな時間ですか」
「人数が多いもので、早めに準備が必要なのです。年長の子供たちも手伝ってくれるのですけど」
「120人もいますしね。納得です。……でしたら今日は私も手伝わせてください」
「それは助かります」
正司が夕食の支度をはじめていると、12歳くらいの男女がやってきた。
彼らが当番らしい。
「今日は私も手伝います、タダシです。よろしくお願いします」
そう正司が挨拶すると、子供たちは小さく「はい。こちらこそよろしくお願いします」と小声で言った。
(あれ? みなさん、人見知りでしょうか?)
なぜか挙動がおかしい。正司の顔を正面から見ようとせず、顔を伏せている。
ちなみに一人暮らし歴が長い正司は、男の料理ができる。
フライパンや鍋に具材を入れて、焼くか煮るだけの料理だ。
それでも長年の勘か、調味料を入れて味を調えたら、それなりに食べられるものができあがる。
(甘かったです……)
ここも男の手料理の延長だろうと考えていたら、その上をいっていた。
もっと男らしいのである。
「ワブルさん……それはスープですか?」
「そうです。ここにあるのをどんどん入れちゃってください」
「……はい」
ワブルは大きな寸胴を指す。
学校の給食室にあるような鍋だ。
野菜をブツ切りにして、それに放り込んでいく。
時間のかかる野菜を先に入れるとか、大きさを揃えないと出来上がったときにムラができるとか、そんな細かいことは気にしない。
ジャガイモみたいなものは、半分か四つ切り。
にんじんみたいなものは、ただの輪切りである。
当然皮は剥かないし、捨てる部分もない。
何でもかんでも、切って鍋に放り込むのである。
(……さすがに予想外でした)
聞けば、スープは明日の朝も含まれているらしい。二食分だ。
少しでも調理の手間を少なくして、やりくりしているのだろう。
ちなみに朝はパンを焼くだけ。
一日分のパンを一度に焼いてしまうのだそうな。
「完成しました。タダシ様が手伝ってくれたおかげで、早く作り終えることができました。子供たちを呼んできますね」
厨房を出て行くワブルを見ながら、正司は椀にスープをよそいはじめる。
椀に入れるのは、汁と野菜の塊が二切れと決まっている。
当たり外れに文句を言わないのが鉄則らしい。
食堂に子供たちが集まりはじめたようで、騒がしい声が聞こえてくる。
ちなみに寸胴は、調理場から動かさない。
トレイを重ねて運べる滑車があるので、それで次々と運んでいく。
「みなさんは、しっかりお手伝いできて偉いですね」
正司が年長の子供たちにそう声をかけると、子供たちは顔を赤くして答えてくれない。
(よそよそしいという感じでもないですし……どういうことでしょう?)
やはり、理由が分からない。
正司は首を傾げたが、ひとまず疑問は脇において、配膳に集中することにした。
正司がよそい、お手伝いの子供たちが運んでいく。
よほどお腹が空いていたのだろう。
しばらくして、一心不乱に目の前の食事を平らげている子供たちの姿があった。
(この姿は、まさに給食といった感じですね。これが毎日続いているのですか……はぁ、大変です)
片付けは別の子供たちがするようで、その間にワブルたちが食事を摂るらしい。
「そういえばお手伝いの子供たちですけど、人見知り……ではないですよね」
「いえ? ……ああ、きっとタダシ様を前にして、どうしていいか分からなかったのだと思います」
「えっと……?」
意味が分からない正司に、ワブルはクスリと笑った。
「年少の子供たちは純粋にタダシ様と会えたのを楽しんでいましたけど、年長の子供たちはちょっと違うようです。タダシ様のことをとても尊敬しているようでしたから」
「あー……って、もしかして、これを建てた話ですか?」
「それだけではなく、たくさん戴いたものがありましたでしょう。あれがどれほど凄いことか、分かる子供たちも多いですから」
ワブルが言うには、彼らはだれよりも正司のことを尊敬しているのだという。
崇めているといっていい。その存在が目の前に来たのだ。
「…………」
様子がおかしくなるはずだと、ようやく正司は理解した。
ようは、有名人に声をかけられた一般人のようなもの。
(そういえば、思い当たるフシもありましたね)
あれはコミュニケーション不足ではなく、緊張して、どうしていいか分からなかったのだ。
「ワブルさん、どうかもう、私の話はここでしないようお願いします」
居たたまれず懇願する正司に、ワブルは「そうですか? 寝物語に最適なのですけど……」と、とても残念そうだった。
もしかして、かなり「盛った話」をしているのではと思う正司であった。
「私はしばらく町に滞在しますので、また来ます」
「いつでもいらして下さい、タダシ様」
「はい、それでは失礼します」
こうして久し振りの再会を終えた正司は、穏やかな気分で屋敷に跳んだ。
ラマ国の首都ボスワン。
城の奥深くで、ルンベックは、国主レジルオールたちと会談を続けていた。
「ミルドラルからの提案ですか?」
ルンベックの言葉に、レジルオールがいぶかしげに問い返す。
「はい、提案です。これは三公会議で了承されたものであると、先に述べさせていただきます」
「そうですか。その提案には大変興味があります。……それは一体どのような話なのでしょう?」
「そうですね、対王国戦略の中で出た、抜本的な解決策と申せばよいでしょうか……」
そこでルンベックは一旦口を閉じ、レジルオールの反応を窺った。
食い入るように……とまではいかないものの、真剣な表情でこちらを見ている。
いまからする『提案』こそ、ルンベックがここへやってきた理由である。
そしてそれは諸刃の剣。
提案を口にしたが最後、ラマ国の警戒が、ミルドラルに向かう可能性も秘めていた。
「我々がします提案というのは……問題となっている帝国との陸路を『完全に』塞いでしまおうというのです」
「えっ!?」
グーニーが声をあげた。予想外の話だったのだろう。口が半開きになっている。
「そ、それはさすがに不可能なのではないでしょうか。山脈の裂け目とはいえ、横幅は数キロメートルに渡ってあります。高さはそれこそ天井知らずです。どうやって塞ぐというので……あっ」
レムロスは途中で気付いた。
だが、常識が邪魔をしてそれ以上続けられなかった。
「もしかして……〈土魔法〉ですかな」
レジルオールが慎重に問いかける。
「はい。本人の了承は得られています」
ルンベックの提案。
それは、各国が頭を悩ませている諸悪の根源を、魔法で解決してしまおうというのだ。
「可能だとは思えませんが……本当に可能なのでしょうか」
「この場合、『残念ながら』と言えばよろしいのでしょうか。答えは、『はい』でございます」
「…………」
レジルオールは考えた。
どうやらこれは、自分たちが想像していた魔道士像とは、ケタが違っていたと。
絶断山脈に出現した『大亀裂』は、遠くからみると山脈に入った一本の切り込みのように見える。
絶断山脈は、大陸を縦断するように走っている。
標高も一万メートルを超えるところすらある、超巨大な山脈群なのである。
亀裂の底で、およそ標高四千メートル付近。
幅数キロメートルに渡って、円を描くように深掘りされた形になっている。
ボスワンの町がだいたい二千メートルの地点にあることを考えれば、亀裂の底といえども、かなりの高地になる。
ラマ国はそこに小さな門を築き、それ以外を塀で囲った。
塀の高さは数メートルだが、それでも大事業である。
大亀裂の塀には、常に監視の兵を置いている。
幸い、塀を作ってから、帝国兵が現れたことは一度としてない。
ルンベックはそこを完全に封鎖してしまおうというのである。
もし人力でやろうとすれば、何十年にも亘る大工事になるだろう。
途中で、帝国の妨害が考えられる。
徒に帝国を刺激しないためにも、そのようなことはしない方がいい。
ラマ国の上層部では、そのような意見が大勢を占めていた。
だが、いまルンベックが言ったようなことが可能ならば、問題は一挙に解決する。
ただし……とレジルオールは思う。
(それほどの大魔道士を有しているミルドラルの方が、帝国よりも脅威なのでは?)
魔道士が本気になれば、一夜にして国が滅ぶのではないか。
少なくともこの城など、一瞬でぺしゃんこにだってできる。
レジルオールの手は、小刻みに震えていた。
正司が屋敷に戻ると、ちょうどルンベックが帰ってきたところだった。
「おかえりなさい。ずいぶんと遅かったのですね」
午前中に出て行ったのだから、とっくに戻っていると思ったのだ。
「使者として城に参上したのだけど、さすがにミルドラルの当主を歓待しないわけにはいかないようでね。晩餐まで付き合ったよ」
用件を聞いて「はい、サヨウナラ」とは、いかないらしい。
「それで提案は、どうでした?」
「すぐに結論は出せないという話だったね。それでも早急に結論を出すよう約束してくれたかな」
「そうですか。それはよかったですね」
実は今回の提案。
バイダル公当主コルドラードの発案であった。
コルドラードは、かねてより正司の〈土魔法〉で何ができるのか考えていたこともあり、三公会議が開かれると聞いて、ルンベックに聞いてみるつもりでいたらしい。
――〈土魔法〉で何ができて、何ができないのかをずっと考えていた
それを聞いたルンベックは、「やはり他国はそう考えるのだな」と思った。
もし土魔道士が敵にまわった場合、どのような手を使ってくるのか。
それを考えるにあたって、土魔道士ができることを洗い出したのだろう。
三公会議でその話が出たあと、ルンベックは正司に「これは絶対に内緒の話なのだけど」と前置きをしたうえで、コルドラードの提案を話した。
「大丈夫だと思いますよ。それで戦争が回避されるのでしたら、やった方がいいですね」
戦争とは、ラマ国と王国の話だけではない。将来的に帝国も絡んでくる。
どんなに小さな戦争でも、大勢の人が死ぬ。
それを回避できるならば、いくらでも頑張れる。そう正司は答えた。
翌日の三公会議でルンベックがそう言うと、話が一気に進んだ。
ミルドラルとしては、帝国との陸路は、害悪でしかない。
あれのせいで王国が変な野心を持っている。
なくなれば、どれほど清々するか。
ではラマ国はどうだろうか。
現状では、もてあましている。
当たり前である。
過去、何度かラマ国は帝国の侵攻を受けている。
大亀裂を軍隊が越えるのは難事業であり、帝国軍がやってくる前に上で待ち構えて迎撃する方が、よほど簡単である。
ボスワンの首都が好立地にあるため、いつも帝国軍よりも早く軍を展開できたのだ。
帝国も、ラマ国の対応力を見る意味合いが強かったらしく、毎回撃退に成功している。
ラマ国もあの道だけは、厄災を呼び込む場所として認識されている。
提案すれば、おそらく賛成するだろう。
「しかしのう……それだとミルドラルだけが抜きん出てしまう気がするのじゃ」
ミルドラルを危険視する可能性はあるのでは? とコルドラードが疑問を投げかけた。
「たしかに土魔道士を抱えているわけですから、鋭利な刃物を首に当てているように感じるかもしれませんね」
「いつでも首を斬り裂けるというわけですか」
ルソーリンもルンベックも、コルドラードの懸念の意味を正確に理解していた。
「その場合、二国が急接近し、後顧の憂いを絶つ行動に出やしないかのう」
「さすがにそれは考えすぎでは?」
「どうであろう。それに帝国が加わっては、勝ち目はないしのう」
「…………」
まさかと否定したいものの、他国がどのくらい警戒するか、現時点では分からない。
「まっ、万一そうなったとしても、かなり先の話であろう……いま心配してもしょうがないことではある」
「そうですね。ではこの話」
「うむ。実行してみる価値はあると思う。ラマ国しだいなところではあるが」
「そうですね。これを手紙だけで伺いをたてるには、話が大きすぎます」
「そうじゃのう。本来ならば儂が行くのじゃが……」
そういってコルドラードがルンベックを見る。
「ラマ国へは、私が行った方がいいですね。ついでにタダシくんを連れて行きましょう」
「それが最善であろうな」
「私もそう思います」
そのような話し合いが行われ、ルンベックと正司のラマ国行きが決まったのである。