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071 王国の決断

「――どういうことだってばよぉおおお!」


 ここはエルヴァル王国の王宮内。

 国王ファーラン・デュ・ルブランは窓に両手をかけ、大空に向かってそう絶叫した。


「なんですか、騒々しい。だから拾ったものは食べるなと、あれほど言いましたのに……」


 ファーランの背後に現れたのは、王妃ミネア。

 デルキス商会の会長を父に持つ、やり手の女傑である。


「食ってねえよ! つか、拾ったものを食ったことなんか……たぶんねえよ」


「いま一瞬、間がありましたね。やはり……」

「違げーって! ガキの頃はどうだったか、思い出していたんだよ!」


 どうやらファーランは、相当頭を掻きむしったらしく、頭髪が乱れに乱れている。

 なんともひどい有様である。


 唯一の救いは、髪が薄くないことだろうか。

 ミネアはそんなことを思いつつ、息をひとつ吐き出した。


「それで? 今度は、どのような『予定外』がおこったのですか」


 このところ、ファーランが頭を掻きむしる機会が増えている。

 計算高いファーランにしては珍しく、失敗続きなのだ。


 策謀は、相手の動きひとつで状況はいろいろと変化するものだし、そういうこともある。

 ただ、これまでのファーランは、計算高く人心を操り、権力を存分に使ってライバルを蹴落としてきた。

 同業者からは、「とても恐ろしい王」として認知されている。


 国王として大過なく職務を全うしてきた……とはやや言い難いが、国民を富ませる政策を次々と実行してきた。

 人格はやや難があるものの、為政者としての能力は問題ない。


 平穏より動乱を好む王。

 それがファーランに対する周囲の評価だと、ミネアは考えている。


 だが最近はどうだろうか。

 はかりごとがことごとく失敗し、目に見えて悪手を打つ回数が増えてきた。


 ミネアは今回もまた、どこかで計算違いがおこったのだろうと、あまり深刻に考えていない。


「バイダル公領へ向かわせていた調査団から報告がきた」

「……それは興味ありますね」


 ミネアは、ファーランが大規模な調査団を派遣したことを知っている。


 ファファニアを襲撃し、タレースを誘拐させた犯罪結社と傭兵団の面々は、みな捕まってしまった。

 その事実にファーランは大いに驚くも、すぐさま次の手を打った。


 捕まった傭兵団や犯罪結社との関係を切り、証拠の隠滅をはかった。

 素早い対応である。


 そして次に行ったのが、バイダル公領とラマ国の間にできた大壁の調査である。

 眉唾物と一笑に付さないあたり、ファーランの判断は正しい。


 調査には、魔法研究者と技術研究者の両方を派遣することになった。

 結成された調査団は総勢60名という大所帯。

 彼らをすぐに向かわせた。


「この前の調査団ですね。それで、結果はどうなりました?」

「ない」


「……はっ?」

「ないんだよ。つい先日まであった大壁がなくなっているって書いてある」


 調査団からの報告書には、長々と調査内容が書かれていた。

 それらをすっとばして結果だけみると、書いてあることは至極単純。



 ――大壁はたしかにあったと誰もが証言するものの、いまは影も形もなし



 つまり調査団が到着したころには、もうなにも見当たらなかったと。


「どういうことです?」

「だから、それをいま俺が絶叫しただろ」


 窓から遠吠えをしたのはこのことかとミネアは理解したが、報告書の内容だけは首肯しがたい。


「王都に『大壁』出現の報告が来てから調査団を結成しましたよね」

「ああ、声を掛ける者を厳選するのに三日かかった。全員を集めるのに七日くらいだったかな」


 60名の大所帯である。

 都合10日で全ての人員を集めたのだから、それなりに仕事が速い。


「急に声かけしたわけですし、他に仕事を持っている専門家ばかりですからしょうがありませんね。出発したのは?」


「準備を整えて出発したのが……その四日後だったな。大人数で移動したから、現地まで十日弱で着いたはずだ」


「最初の報告が来るまでにも日数がかかっていますし、その間に自然に崩れたとかではないですか?」

「自然に崩れたら、痕跡くらい残るだろ」


「だとすると考えられるのは……」

「大魔道士が消しにきた……もしくは、すべて幻だったかだ」


「幻なんですか?」

「違うだろ。現地の商人が実際に触って確かめている。確実に『大壁』はあった」


 だからこそ、ファーランは魔法と技術の両面から調査しようと、専門家チームを組んで、派遣したのだ。


「残念でしたわね」


「くっそー! 証拠隠滅するならするって、先に言え! どういうことか結局分かんなかったじゃねえか!」


 あの場所に大魔道士がいたのは本当だろう。

 その魔法がどれほどなのか、本気の調査をする前に大壁が消えてしまった。


 ファーランも、まさか消えるとは夢にも思わなかった。

「なあ、限りなく本物に近い偽者ってセンもまだ、残っているよな? 可能性はあるよな?」


「土魔道士ですか? さあ、妾にはなんとも……それよりも調査ができなかったのですから、調査団を呼び戻したらどうですか。あまりうろついていると見つかりますよ」


「それもそうだな……つか、俺の質問に答えてねえじゃん」


 結局真相は分からないまま、ファーランは調査団を引き揚げさせる手紙を書くハメになった。




 そして日が流れ……。

「――マジもんって、どういうことだよぉおおおお!」


 絶叫したのは、もちろんエルヴァル王国の国王ファーラン。絶叫の似合う男である。

 ちなみに今回は、天井に向かって吠えている。


 なぜファーランが絶叫したのか。

 それほどの事態がおこったのか。


 トエルザード公領にあるムロバツの町に、巨大トンネルが出現した。

 その報告を受けてファーランは、「今度こそは!」と意気込み、すぐさま調査団を派遣した。


 それはもう、電光石火の早業である。

「消えないうちに、急げ! 今度こそ徹底的に調べるんだ! 王命だ! 最優先事項だぞ!」


 まるで叱責されたかのような物言いに、調査団の面々はまるで馬車馬のように口泡をとばして急行した。

 そのときすでに、巨大トンネルには見張りが張り付いており、近づくことすら叶わなかった。


 このままでは目的が達成できない。王命を受けたのにすごすご帰るのか?

 悩んだ調査団は現地の人を雇い、魔物の出る山々を迂回して、トンネルの出口と思しき場所まで直接向かうことにした。


 トンネルなのだから、反対側の出口に向かえばよいと考えたのである。

 そうして惜しみない金銭を注ぎ込み、調査が始められた。


 調査をはじめてすぐに、魔法研究者たちは「ここに土魔法が使われた」という結論を出した。


 というのも、トンネルの壁面は魔法によって強化されていることがすぐに分かった。

 最低でも壁面を強化し、コーティングした土魔道士がいることは確定した。


 また、技術研究者も「これは人の手で掘ったものではない」という結論を出した。


 周辺の土質を調べたところ、ほとんどが岩盤で、これは相当固いものであることがわかった。

 その反面、トンネルの床や壁面はまるで削り取られたかのようななめらかさを有している。


 人の手では掘削できない。

 もし人力でやろうものなら、数十年から数百年単位で考えなければならない。


 消去法により、出来上がった巨大トンネルは、魔法で作られたものと結論づけられた。


 そして、ムロバツの町の住民におこなった聞き取り調査。


 ここの住民は、だれひとりとしてこれまでトンネルの存在を知らなかった。

 また、反対側に住んでいた少数の住民が口を揃えて、半日くらいで出来上がったという証言までもが集まった。


 嘘をついていたり、口裏を合わせているのかと疑ったが、たまたま町に来ていた商人や職人たちも同様の証言をしている。

 証言を疑おうとすればするほど、裏が取れてしまったのである。


 作成された報告書はすぐに王宮に届けられた。

 そしてファーランが絶叫することになったわけである。なにしろ……。


偽者フェイクの可能性があったんじゃねーのかよ!」

 土魔道士がいるとみせかけて実はいない。


 そんな詐術を仕掛けてきた可能性もほんの僅かに残されていた……のだが、それはあっけなく崩れ去ってしまった。


「というか、信じていたのですか?」

 王妃ミネアの目は冷たい。


「そりゃ、信じたくもなるだろ! トエルザード家の情報操作の賜って可能性はあったんだよ。実際はたいしたことないと思いたいじゃん」

 一縷いちるの望みを抱いていたファーランは、見事に裏切られたのである。


「つまりトエルザード公は、本当に大陸一の土魔道士を有していたわけですね。相変わらず怖い人ですわね」

 情けない顔のファーランとは対照的に、ミネアは納得した表情をしている。


「ねえ、なに落ちついてんの? 事の重大さが分かってる?」

 ファーランの悲壮な叫びにも、ミネアは「もちろんですとも」と真顔で返す。


「どーすんだよ、トエルザード公領の攻略を練り直さなくっちゃいけないんだよ?」

 すでに王国は、戦争に向けて動き出している。


 もちろん水面下での活動であるため、今までそれと悟られるようなことはしていない。

 極秘裏に傭兵団が集められ、契約し、少しずつ物資が移動している。

 ただ、表向きは平静そのものだ。


 ファーランが心配しているのは、開戦後における土魔道士の実力である。


 土魔道士の力が本物だったとして、どの程度の力が発揮されるのか、どのくらいの連続使用で魔力切れを起こすのか、そういった情報がいまだ集まっていない。


 そして今、トエルザード家の力を上方修正することになったことで、戦略の練り直しが求められる。


「軍務省に相談するしかありませんね」

「ラーゼンか……あれ、説得するの、面倒なんだよなあ。しなきゃ駄目かなあ」


「もともとの計画には、土魔道士のことは入ってなかったのですよね」

「そうだな。まったく入ってねえな」


「でしたら話し合うべきでは?」

「そうだよな。……ったく、面倒この上ねえぜ」


 愚痴をこぼしつつ部屋を出て行くファーラン。

 それをミネアは、醒めた目で見つめる。


 ミネアは考える。

 今回、やけに情報が簡単に集まった。


 調査団が優秀だったのか、それとも情報を集めされられたのか。

 もし情報収集の段階で、相手側の意図が介在していたとしたら?


(トエルザード公の指示があったのでしょうね)


 報告書にあった協力者(現地で雇った人物たち)はみな、トエルザード家の息がかかった者たちではないか。


 トンネルのことを隠さずに、自分たちでその情報を管理しよう。

 そのためには、外から入ってくる者たちを監視するだけではだめだ。


 内部に潜り込んだ方がいい。

 だったら、相手が求める人材になりきってしまえばいい。


 そんな思惑があったのではないか。

 そして派遣した者たちは、結果を急ぐあまり手の平で転がされ、いとも容易く「取捨選択された」情報だけが集まったのではないか。


 そうミネアは考えている。


「大壁の痕跡を消した時点で、次の調査は心理的に時間制限がついてしまう……壁の消失はそれが狙い? だとすると、情報戦で出し抜かれたことになります。これはかなりやっかいですわね」


 だれもいない部屋で、ミネアはそう呟いた。




 後日ファーランは、軍務省トップのラーゼン、ルクエスタ経済省長官、そして宰相ウルダールを秘かに呼んだ。


 王宮の奥まった部屋に集まったのは五人。

 一人多い。


「なんでおまえがいるんだよ!」

「もちろん夫が悪巧みをするようでしたので……監視?」


「おまえに監視されるいわれはねーよ」

 ちゃっかりと席に座るミネアに、ファーランは盛大に文句を言う。


 もちろんミネアはどこ吹く風。

 一向に席を立とうとしない。


「……ったく、しょーがねーな」


 ファーランは髪をかき上げつつ、席に着いた。

 言い争いをしても無駄だと悟ったのだ。


「それで今日は何の集まりですの?」


 ミネアがそう質問する。

 秘密会議があることだけは分かったが、その内容までは掴んでいなかった。


 そもそも王妃の役目は、王を陰から補佐するもの。

 たとえ王妃が功績をあげたとして、それは王の功績であり、王妃個人に帰されるものではない。


 夫婦という枠組みがある以上、浮くも沈むも王と王妃は一蓮托生。

 二人は運命共同体である。


 宰相のウルダールもそれが分かっているから、ミネアの出席に文句は言わない。

 他の者も同様である。


「さて、集まってもらったのはほかでもない……ミルドラルとの開戦の件だ」


 いまの説明はミネアに向けたものである。

 他の者には、すでに招集時点で説明してある。


「ミルドラルに攻め込むわけですね」

「ああ……さすがにウチがラマ国と事を構えるわけにはいかねえしな」


 ファーランの……いや、エルヴァル王国の最終目標は、帝国との陸路貿易である。

 それは王国の悲願でもあり、多くの商人が求めて止まないものでもあった。


「突き上げが激しいですか?」

 ミネアはそう問う。


 ファーランは「だれの?」とは返さない。質問の意味はよく分かっている。

 土魔道士の件が表に出た以上、本来ならば半年や一年かけて、情報を集めるべきである。


 それをしないで開戦の話をする。

 つまり、開戦を望んでいる者が殊の外多いことを意味する。


「厳しい意見が多いな。出資した者が、痺れを切らしている」

 帝国の国土はいま、内乱で荒れに荒れている。


 物資の価格は高騰し、色んな物が不足している。

 何しろ、内乱で帝国内の生産者が減ってしまっているのだ。


 物流が滞ったところも多い。

 インフラが寸断されて物が入らなくなり、需要が極端に高まっている町もある。


「長引く内乱で、物があればあるだけ売れるようですな。そして軍は物資を消費するだけで生産性はなし。そもそも兵は、内乱鎮圧のために国中に散っている。まとまった軍が大陸の西にやってくるには、まだまだ時間がかかる。いまが商いどきでしょうな」


 ルクエスタが帝国の内情を諳んじているが、ここにいるだれもが、そのことをよく知っている。


「なのに北回りか南回りの大型船しか流通経路がないときたもんだ。いいかげんにしろと各方面から突き上げをくらっているよ」

 ファーランは「俺のせいじゃないのに」と文句たらたらだ。


 たしかにこれは、ファーランのせいではない。

 先代国王がラマ国と期間限定の停戦条約を結んでしまったからである。


 しかもミルドラルが仲裁に入ってからのできごとで、調印した条約には、ミルドラルの名もしっかり刻まれている。


 そのせいで王国は、ラマ国に攻め入ることができなくなってしまった。

 もちろん『条約を無視』して攻め込むことはできる。


 だがそれをすれば、ラマ国は徹底抗戦の構えをみせるだろうし、顔を潰されたミルドラルは敵にまわる。

 そして今度はおそらく、停戦条約を結べない。



 ――だっておまえたち、条約を結んだって破るじゃん



 そう言われてしまうほどには、信用を無くす。

 王国の最終目標は、帝国との陸路貿易である。ラマ国を滅ぼすことではない。


 適当なところで手打ちにして、山道の開放を求めたいだけなのだ。

 そしてもし、王国が条約を無視してラマ国へ攻め入った場合、王国商人たちの評判が地に落ちる。


 王国内のすべての商人が、同一の思考をしているわけではない。

 かならず非難する者が現れる。


 何しろ、「王国は信用ならない国」と大陸中に広まるのだ。


 商売がやりにくくなるのは必定。

 今後長きに亘って不利益を被るのが分かった時点で、商人たちは王を非難するだろう。


 そしてもっとも問題となるのが、帝国である。

 たとえ陸路が確保されたとして、どう帝国と『通商条約』を結ぶのか。



 ――条約を結びましょう。都合が悪くなったら一方的に破るけど



 それが受け入れられるものなのか。いや、間違いなく警戒される。


 ミルドラルとの関係もそうだ。

 わざわざ仲介に入ってまで行った停戦条約を破られたのだ。



 ――この前顔を潰したけど、これまで通り仲良くしようね



 こちらも反発は必至であろう。

 このように、数年と期限を切った停戦条約すら守れない国は、周辺国に対して大いに信用を無くす。


 信用第一の商業国家において、それは悪手。

 ファーランがこれまで搦め手を用いてきたのは、そういった背景があった。


 そういうわけで、ファーランはラマ国を横に置き、ミルドラルを攻略することにした。


「傭兵団の準備はほぼ終わりつつあります」

 軍務省のラーゼンは、重々しくそう述べた。


 ラーゼンは、ファーランから秘かに兵を集めるよう、指示されていた。


「質はどうだ? ちゃんとそれなりの連中だろうな」

「多数の荒くれ者が交じっておりますが、戦意は高いと申せましょう」


 通常時、傭兵団の主な仕事は魔物退治である。

 だが、「それだけではツマラナイ」と考える者も多い。


 対魔物戦をこなすうちに、「自分は他者より強い」という認識を持ちはじめる。

 そのうち、どのくらい強いのか知りたくなる。


 そうなった者は対人を渇望するようになり、傭兵団どうしで諍いが発生する。

 よくない兆候である。


 彼らの中には、歯止めが利かなくなってくる者がでてくる。

 荒くれ者と一緒である。


 そんな盗賊と紙一重の集団を王国は多数飼っていた。

 平時は邪魔な存在でも、何かあったときには便利な駒となる。


 ラーゼンは彼らを軍所属の傭兵団として、取り込んだのである。


「正規兵と傭兵団を合わせれば、ミルドラルを落とすくらい簡単だ。それくらいの破壊力はある。だが、ここへきて新たな問題が発生した」


「土魔道士ですわね」

 ミネアの言葉に、ファーランが頷く。


「そうだ。調査の結果、土魔道士は『本物』だと判明した。どうやらトエルザード公はもう隠すつもりはないらしい」


 正司の情報は、すぐに広まった。

 数ヶ月前まで、その存在は毛ほどに感じさせなかった。


 だがいまはどうだ。

 大陸中の注目を一身に集めていると言っても過言ではない。


「それで、攻略の目処は立ったのですかな」

 ルクエスタが横から口を挟んだ。


「まあな」


「それはようございました。すでに戦時体制に移行させておりますので、準備期間が長くなればなるほど、戦費は嵩みます」


「戦費って……相変わらず、金のことにはうるさいな、ルクエスタは」

「それが仕事でございますれば」


「対策は……ある。というか、トエルザードの土魔道士……タダシと言ったか。あれはいま、ラクージュの町にいない」


 周囲から「ほう」っという声があがった。

「本当に? 理由を聞いても?」


「三公会議についていった。ラクージュの町に身代わりを置いたようだが、入念な調査の結果、偽者だと判明した。俺んとこの諜報は優秀だぜ、間違いない」


 王国の諜報員だけでなく、自分の商会網すら使ったらしい。

 間違いないと断言するのだから、おそらくそうなのだろう。


「でしたら、今のうちに進撃するわけですか?」

「いや、こっちも微妙に準備が終わってねえんだ。ラーゼン、説明してやれ。俺たちの緻密な作戦を」


「全部説明してよろしいのですか?」

「ああ、全部だ」

 なぜかファーランはどや顔である。


「では、説明させていただきます」

 ラーゼンは、テーブルの上に大きな地図を広げた。


「まず宣戦布告と同時に、我が軍はラクージュの町を目指して進軍を開始します」

 王国とトエルザード公領の街道に、兵をかたどった木駒を複数おく。


「規模は?」

「兵数は一万です。正規兵が七割、残り三割は傭兵団となります。輜重しちょう兵は後方に待機する感じです」


「町を落とすには十分でしょうけど、それだけでラクージュの町まで届くかしら?」

「ラーゼン、説明してやれ」


「はい……進軍には帝国から借り受けました『破軍はぐんの錫杖』を使います。相手の準備が整う前に、国境の町を含めたいくつかの町を占領できるでしょう。そこからは時間の勝負になりますが、おそらくラクージュの町には間に合いますまい」


 土魔道士が戻ってくるまでにラクージュの町を攻略できればよいが、よほど順調に攻略を進めない限り、間に合わないとラーゼンは説明した。


「ふむ……たしかに」

 ミネアはざっと距離と進軍速度を頭の中で計算する。


 兵が国境を越えた瞬間に察知され、ラクージュの町に向かって鳥が放たれるだろう。

 鳥の知らせを受けたら、すぐさま当主に連絡をいれる。


 おそらくは鳥を使うだろうが、その頃ちょうど当主はスミスロンの町から帰還途中のはず。

 帰還まで通常で10日かかるが、知らせを受けて急行すれば、半分以下の日数で到着する。


 一方、王国兵は通常の1.5倍の速度で移動したとする。

『破軍の錫杖』があれば、その倍の速度が出る。通常の三倍だ。


 順調に進軍すれば、三日あれば盆地の麓まで到着できる。

 敵もまさか国境を越えてから三日で麓に現れるとは思わないだろう。


 麓の町は落とせるかもしれない。

 だが、そこからは難しい。


 盆地を越えるのに急な坂道を丸一日上らねばならない。

 三日間移動しっぱなしの軍隊にそれ以上の進軍は不可能。


 待ち構えている軍に蹴散らされてしまうだろう。

 となれば麓の町で休息を入れるしかない。


 もし麓の町に敵軍が集結していれば、町を落とす前に戦闘になる。

 どちらにしろ、すべての戦闘を回避して、一気にラクージュの町を落とすのは不可能そうだ。


「土魔道士が戻ってきた場合、壁を作るなどして遅延作戦をしてくることでしょう。おそらく時間が経てば経つほど、我が軍は不利になります」


「時間をかければ、バイダルとフィーネも参戦してくるでしょう。一旦不利になったらひっくり返せませんね」


「その通りです。『破軍の錫杖』を使って進軍しても、かなり分の悪い賭けになります」


「……ということは、この作戦は破棄すると?」

「いえ、今の作戦はすべて囮です。これは本来の進軍計画でしたが、これをすべて囮として使うことにしました」


 本来の派兵計画を囮に使うというのである。

 すべては土魔道士を欺くためだと、ラーゼンは説明した。


「とすると、本命は……」

 ミネアの目が、地図のある一点に注がれる。


 王国から進軍する場合、ラクージュの町へ向かう道は他にない。

 だが、ひとつだけ方法があった。


 陸路はどこを使おうとも盆地を越える道は限られている。

 となれば、海路しかない。


「本命はバイラル港です。ここはミルドラル唯一の港、ここを抑えに向かいます。……といっても、すでに向かっています」


「すでに向かっている?」

 ミネアの顔がいぶかしげに歪んだ。


「よっし、ここからは俺が説明するぜ。土魔道士の力が本物と分かった時点で、最初の進軍案は暗礁に乗り上げた。だからいっそのこと、それを囮に使ったらいいんじゃね? と思ったわけだな」


 そう言って、ファーランは船の模型をバイラル港におく。


「実はもう、船員に紛れ込ませて、多くの傭兵連中をバイラル港に忍び込ませてある。不審感を持たれないために少しずつなんで、まだまだ時間がかかる。こっちの準備ができてないってのはそういうことだ」


 荷物の中に武器を入れ、それも搬入済みらしい。

 急に人が増えると警戒されるので、本当に少しずつしか移動できていないという。


 最後は修理の終わった大型船ジーリーナ号で、乗り付ける計画だという。


「たしかに港は落ちるでしょうけど、あそこは守るに難しい土地。すぐに奪回されますわよ」


 バイラル港は海に面して開いているだけでなく、陸地側も開かれている。

 出入りが多いため門が広く、高い城壁も少ない。


 トエルザードの持つ町の中では、かなり籠城しにくい場所といえる。

 その分、占領しやすいが、町民は簡単に兵のいない方角へ逃げていくだろう。


「そうなんだよ。だから港町は破壊する。本命は次のリンフルの町だな。港を破壊して、次の要塞都市を占領するのが作戦だ。そこを押さえてからトエルザードと交渉だな」


 リンフルの町は、周辺の町が落ちた場合の集合場所となっている。

 城壁は高く、守りに適した立地でもある。


 すでにリンフルの町にも、子飼いの傭兵たちが潜入しているらしい。

 ラーゼンの説明は続く。


「最終的にすべての物資と兵をリンフルの町に集めまして、町の民を人質にとります。そこを拠点に、各地を襲撃させる感じになります。土魔道士が出てくれば、正規兵による二面作戦を敢行します」


 つまり正規兵には「いつでもラクージュの町を攻める」と脅しをかけさせ、傭兵団たちに港側から残りの町を蹂躙させるらしい。


 リンフルの町は出入りできる門が少ない。

 占拠すれば、町民はほとんど町から出られずに閉じ込められてしまうだろう。


 ゆえに人質。

 そして人質は、作戦の成功に寄与する。トエルザード公軍は、思い切った作戦ができなくなる。


「作戦の成功確率は、どんな感じになっています?」


「正規兵はラクージュの町の手前まで進軍できると思うぜ。『破軍の錫杖』の威力は半端ねえ。だめでも二つ手前の町までは占領可能だ。もうひとつの方は、港とリンフルの町は占領可能だ。すでに兵を忍び込ませてあるんだ。すべての兵を送り込んでから決起すれば、簡単に制圧できる。そこからいくつ町を落とせるかは……そのときの状況次第だな。そのかわり、ラクージュの町は諦めた。土魔道士を暗殺できりゃいいんだが、それを前提に話は進められねえ」


「さきほど交渉と言いましたけど、何を要求するつもりですか?」


「最初は領土割譲をぶちかまして様子をみる。向こうは譲らねえだろう。じゃ、代わりにって、ラマ国に圧力を掛けさせる」


 何でもいいから、ラマ国から陸路の許可をもぎ取らせる。

 複数の町と引き替えに、ラマ国から譲歩を引き出させるよう交渉させるのが狙いだとファーランは言った。


「……それで」

 とミネアがやや低い声を出した。


「ん? なんだ? 問題でもあったか?」

 こういうときは良くない兆候だとファーランは理解し、本能的に脳天気な声をあげる。


「港を破壊する意味はなんですの?」

 ファーランは港を占領し、すぐに破壊すると言った。


 わざわざそんなことをする意味を問うているのである。

「ん~~~、あれだな。あとで有利に働くから?」


「バイラル港を破壊してトエルザード公の怒りを買うのは得策ではないと思いますね。相手側を本気にさせる必要はないでしょう」


「だけどよぉ、こっちが本気だって見せつける意味もあるぜ。従わない場合は、他の町も同じ目に遭わせるって」


「住民の憎悪をことさら煽る必要もないと思いますが」

「それ以上に実利があるんだから、やった方が得だろ」


「…………」

 ミネアは黙った。それは決して納得したからではない。


 ファーランの返答を聞いて、「はぐらかしているな」と感じたのである。

 ここで追及しても、本当のことは言わないという確証があった。


(どこかの商会に頼まれましたね)


 バイラル港が使えなくなれば、新たな流通経路が生まれる。

 その利権は大きなものになるだろう。


 戦争を商売の道具にしようと、いくつかの商人たちがファーランに袖の下を届けたのだろうとミネアは思った。

 戦争は、目的を達成させる手段として悪くない。


 その過程で多少の無茶も許されよう。

 嫌ならば、最初から軍門にくだればいいのだから。


 だが、占領した町を蹂躙するのはどうだろうか。

 必要以上に憎悪を溜めるだけで、いいことはひとつもない。


 ファーランは頭が良いが、権力と財力で大抵のことはなんとかなってしまうために、こういった人の心の機微きびについて疎いところがある。


「……まあ、いいでしょう」

「なんだよ、偉そうだな」


 口を尖らすファーランだが、ミネアのわざとらしい嘆息に、抗議の声はなりを潜めた。


「それと、まだラマ国との交渉内容について聞いていませんが、どの程度のことを望まれますか?」


 あまり無茶な要求だと、ミルドラル側も条件を飲むことはできないだろう。

 その場合、戦争が長期化し、泥沼化することに繋がる。


「陸路の開放だな。ただ、無条件に開放させるとラマ国もうるせえだろうし、段階的に開放させる感じだろう。特定の商会を通行させることに同意させて、その後規制を緩めていく」


「つまり限定的に開放して、自分たちの商会だけ利益をあげるわけですね」


「人聞きの悪いこと言うんじゃねーよ。国が認めた商会って条件をつけるだけだ。そうでもなきゃ、際限がなくなってしまうからな」


「どうだか」


「本当だって。それにそのくらいの方が、帝国側も受け入れやすいだろ? あっちはあっちで、物資がかなり不足しているわけだし、信用ある相手からの商品ならば喜んで買うだろ」


「まあ、無制限に開放すれば叛乱勢力への物資援助も考えられますから、帝国も首を縦に振りにくいでしょうけど」


「そうだろ? 段階的に開放していけば、予想外のトラブルも起こりにくいし、起こったとしても影響は小さくて済む。いい案だと思うぜ」


「それをミルドラルからラマ国へ提案してもらうわけですね」


「そういうこと。こっちだって根回しはするけど、交渉はあくまであっちだ。まあ、両国が強く言ってくれば、ラマ国も拒否はしづらいだろうしな」


「限定的に開放ならば、受け入れやすい条件でもありますね」

「そうなんだよ!」


 だいたい聞きたいことは聞けたと、ミネアはそこで口を噤んだ。


 その後は、戦費についてあーだこーだと激論がはじまり、細かい打ち合わせが夜遅くまで続いた。


「まあそういうわけで、今回の作戦に死角はねえ」

 どや顔のファーランに、ミネアは気付かれないように、横を向いて息を吐く。


 ミルドラルは強国だ。

 その中のトエルザード家を相手にしても、圧勝とはいかないだろう。


 どうしてこう、脳天気に勝利を確信できるのか。

 ミネアは頭が痛くなった。


(これは一度、父上に報告しに行った方がいいですね)

 こめかみを抑えつつ、ミネアはそう決心した。




「なぜ来た?」

 冷たい声がミネアに降り注ぐ。


「必要と思いましたので、仕方なく」

 一方のミネアは、それだけ言うと、頭を垂れて静かに返答を待つ。


「兄との不仲説を解消したいわけでもあるまい」

「はい。ですので、店には寄らないで戻ろうと思います」


 これは一体、誰と何の会話なのか。


 ここはデルキス商会本部ではない。

 ミネアが生まれ育った実家、デルキス家の屋敷である。


 そしてミネアが相対している人物こそ、デルキス商会の商会長ニノムス・デルキスである。

 ニノムスは、髪に白いものが交じりはじめた64歳。

 八老会の一員として王国に君臨する豪商のひとりである。


「まあいい。重要な話があるのだろう」

「はい。つい先日……」


 ミネアは、この前の会議の内容を父に伝えた。

 ニノムスは黙ってそれを聞き、ときおり参加したメンバーの反応などを質問した。


「……王の考えが、どうにも解せんな」

「?」


「土魔道士の存在が明らかであるのに、戦争を仕掛けるとは思慮の足りないことだ」

「八老会の会合が近いからではないのですか?」


「たしかに近い。戦争が始まれば、会合は延期されるだろう。だからといって、正体不明の土魔道士がおって、戦争をしかけるなど、無策にも程がある」


 魔道士レベルになると、戦争における影響力はかなりのものとなる。

 戦場で魔法を効果的に使われた場合、戦局がひっくり返ることすらあり得る。


 事実、帝国が大陸の東半分を征服したのも、魔道士たちの活躍があったからこそである。

 英雄と持てはやされる者は多いが、その陰には必ず魔道士の存在がある。


 魔道士は、舐めてよい相手ではない。


「軍務省は勝てるつもりのようでした」


「魔道士がひとりだから、二面作戦を敢行するのはよい。だが、どちらかが壊滅することも可能性として残っている……実際の運用をどうするか知らんが、撤退したときのことも考えておかねばならんな」


 撤退……つまり、両方とも失敗する可能性があるとニノムスは言っている。


「それほど成功率が低いのですか?」

「鳥が昨日来た。読んでみるといい」


 ニノムスは懐から紙片を取り出した。

 ミネアが目を通す。


「フィーネ公が引退? まさか!?」

「三日前の出来事だな。私も目を疑ったよ」


「ということは、取り替え子の話は……」

「ああ、意味がなくなった」


「ここにきて決断するとは……想像できませんでした」


「私もだ。タイミングとしては、一番必要なときに先手を打たれたことになるな。有力な駒を失ったに等しい。大打撃だよ」


 ニノムスは、フィーネ公ルソーリンの秘密を握っていた。

 そしてそれをデルキス家以外の誰にも漏らしていなかった。


 秘密のまま保持し、ここぞというときに使うため、大切にしていたのだ。


 ゆえにファーランは知らない。

 もしファーランが知っていたら、かなり大規模な譲歩をフィーネ公に求めていただろう。


 その方がより王国の利益になる。

 その分、フィーネ公の決別は早かっただろうが。



 紙片には、三公会議が終了したこと、フィーネ公が引退したことが暗号で書かれていた。

 この暗号を読めるのも、デルキス家の者だけである。


 ちなみになぜ、ミネアがデルキス家の一員として扱われているのか。

 ファーランのもとへ嫁いだのだから、ルブラン家の人間になったはずである。


 もちろん世間的にはそうなっている。

 そもそもミネアは、実の兄と折り合いが悪く、なかば家を出るようにしてライバル商会へと嫁いだことになっている。


 兄との不仲説は有名である。

 父親のニノムスだけは娘を溺愛し、ときどきこうして兄の目を盗んで会っている……ということになっている。


「おまえをあの若造にやったのは失敗だったのかもしれん」

「どうでしょう。当時のあの人はキレ者で怖い物知らず。敵に容赦しない新進気鋭の商人でしたから」


「そうであったな。今では失敗の方が多いようだが……私の目が曇っていたのか?」


「予想外のことが多すぎました。考え足らずなところはそのままなので、失敗がより目立つのでしょう。目に見えないところでの成功は多いのですが」


「そういうものか。……して、このたびの戦争、どうなると思う?」

「予想外のできごとがおこるとき、必ずと言っていいほど例の土魔道士が関与しています。そう考えると、戦争もまたしかり。深入りしない方が得策かと思います」


「私と同じ意見か。フィーネ公が敵に回った以上、ミルドラルはたやすく落とせん。傷口が広がらないうちに手じまいしておくか」


 ニノムスはファーランに頼まれて幾ばくかの金を貸している。

 必要な人員を貸し出したりと、『溺愛』する娘の婿のため、骨をおっているのである。


「兄様に伝えてください。この度の戦争。勝率は思ったほど高くないと」

「たしかに伝えよう。できれば勝って、帝国との交易が自由にできるとよいのだがな」


「そうなることを祈っておりますが……」

「おそらく無理か」


「土魔道士しだいですね」

「そうだな。戦争の結果しだいでは、八老会が荒れる」


「分かります」

「次のシナリオを考えておくといい」


「なるほど……分かりました」

 目を伏せて、ミネアは小さく頷いた。


 その後、あまり遅くなると勘ぐられるからと、ミネアは実家をあとにした。

 帰りしな、ニノムスから「いつでも帰ってきていい」と助言をもらったが、ミネアは苦笑いするだけで、答えなかった。



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