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070 次代を見据えて

 前フィーネ公ラグラットが当時、何を考えていたのか。

 ルンベックは分かったという。


 戦場で散った当主の考えが分かる。

 ルソーリンにとって、あれは忘れることのできない出来事だった。


 ルソーリンは、可能な限りの情報を集めた。

 がしかし、当時のことはよく分からないままだった。


 それゆえルソーリンは、平静ではいられない。


「い、今の言葉は、どういうことです? あのとき夫は、何を考えていたというのです?」


 興奮気味のルソーリンに、ルンベックは「落ちついてください」となだめにかかった。


「わ、私は落ちついています。それで、先ほどの話はどういう意味なのですか?」

 ルソーリンの声はうわずっている。


「フィーネ公、そのように食ってかかるものではない。トエルザード公が何を話すのか、儂も興味ある。まずは話を聞いてみたらどうかな」


「……そ、そうですね。しょ、少々取り乱しました」

 コルドラードにピシャリと言われて、ようやくルソーリンも落ちついた。


「それにしても、先代フィーネ公が何を考えていたのかなど……どうして分かるのじゃ?」


 心底不思議そうに尋ねるコルドラードに、ルンベックは「不思議ですよね」とやや他人事ひとごとのように返す。


「これから話すことを聞いて判断してください。それが嘘か真実なのかを」


「うむ……そうじゃな」

「分かりました」


 ふたりが聞く姿勢に入ったので、ルンベックは咳払いをひとつする。

「これはつい先日分かったことなのですけど……」


 そう前置きした上で、ルンベックは、ここ数日に起こったことを語った。


「実はですね。とある偶然から、弟がこの町に来ているのです」

 ルンベックの弟と言えば、オールトンしかいない。


「弟というと……ああ、あの」

「噂はかねがね……」


 コルドラードもルソーリンも微妙な顔だ。


 ふたりともオールトンのことは、『噂』でよく知っていた。

 それゆえ両人とも「あのオールトンか」と思うのである。


「弟はフラフラと気の向くまま、旅を続ける習性がありまして……」

 それはよく知っているとふたりの顔が物語っていた。


「たまたまですね、カーフェンの町で、先代の最期を看取った兵と出会ったようです」

「夫の最期……乱戦の中、魔物の群れに突撃していった……あの時ですか」


「ええ、ちょうどその周辺で戦っていたようです。その兵は激戦を生き残ったらしく、当時のことはもう思い出したくないと言っているとも聞いています」

「…………」


 なぜオールトンが、そんな一般兵と知り合ったのかとは聞かない。

 オールトンは堅苦しいのが嫌で、いつも当主一家の責務から逃げ回っているのは周知の事実だからだ。


 そういう振り(・・)をしているのではない。

 真実、堅苦しいのが苦手らしい。


 トエルザード家の家臣がそうこぼすのを聞いたこともあるし、コルドラードなどは先代のトエルザード公が本気で怒っていたのを目撃したこともある。


 とにかくオールトンは若い頃から気まぐれで、よく市井の中に紛れ込むような人物だったらしい。


 カーフェンの町で元一般兵と知り合ったと聞かされても「オールトンならばそういうこともあるか」と納得できたりする。


「それで、夫の最期は……ど、どうだったのですか?」


 ルソーリンはただ「戦死した」とだけ聞かされていた。

 その場にいたラグラットの側近は、みな帰ってこなかった。


 いまはじめて、ラグラットの最期を知っている者が出たことになる。


「亡くなる前、本当にわずかですが、言葉を残しています」

「な、何と言っていたのですか?」



 ――これで、呪縛から解放される



「そう話していたそうです。その前後の言葉は聞き取れなかったようです」


「呪縛? 解放されるとは……? 先代フィーネ公は、何に呪縛されておったのじゃ?」


「さあ、夫は何も言っておりませんでした」

 ルソーリンは分からないらしい。


「ふむ。どういう意味じゃろう? 分かるか、トエルザード公」

「私も最初、意味が分かりませんでした」


「それでは今なら、分かるのですね?」

「……そうですね。先代が何を望んでいたのかは、分かると思います」


「もったいつけおって。どういうことなのじゃ?」

「それをお話しする前に、みなさんが先日会った、タダシくんのことは覚えておいででしょうか」


 突然話が変わって、ふたりは拍子抜けした顔をした。


「もちろんじゃ。タダシ殿は、孫娘の命の恩人じゃしのう。忘れるわけがない」

「よく覚えていますわ。あれほど若い魔道士だなんて……」


「あのときタダシくんは、とある一座の後継者問題を解決しようと動いていました。そしてつい最近、急に北の町へ行くと言い出したのです」


「……?」

 話がまったく見えない。コルドラードもルソーリンも顔にはてなマークが浮かんでいる。


「タダシくんの行き先はダウテの町でした。あそこは北の三町のひとつですね」

 魔物を討伐するために拠点とした町は三つある。ダウテ、カーフェン、ジュネである。


 ラグラットは、カーフェンの町から出陣して亡くなったが、他の二町も当然訪れている。

「夫は初年度、ジュネの町を拠点としていました。次の年にダウテの町へ移動し、最後の三年目にカーフェンの町へ移動したのです」


 町は前線基地のようなものだ。

 当主の仕事と未開地帯の開拓。一年のうち、何度も行ったり来たりしたらしい。


「ダウテの町には、当主の屋敷があるようですね。今は使われていないようですが」


「ええ……たしか拠点としたときに、屋敷をひとつ買い上げていると思います。私が当主になってからは訪れていませんし……屋敷もたしか、使用人を解散させて、閉めたままになっていると思います」


「そのようですね。荷物も何もない無人の屋敷だったと聞いています。これはフィーネ公に謝らねばならないことですが、タダシくんはどうしても必要があって、屋敷に入ったそうです」


「必要があったのでしたら、何も言いますまい。訪れたことのない私が言うのもあれですが、あそこは空き部屋ばかりのはずです……なぜそんなところに?」


「書棚の中にある一冊の本が必要だったようです。タダシくんは、そういうのが分かる魔法が使えるようで……なんでもクエストの白線に導かれてとか」


「夫のことが分かるのでしたら、別段屋敷に入ったとか、残された本がどうだとかはどうでもいいです。それで、何が分かったのですか?」


「本には、書きかけ……手紙の下書きが挟まっていました。紙ゴミとして捨てるわけにもいかず、燃やすには時間がなかった。一時的に手近な本に挟んで隠したのではないかと私は推測しました。その下書きには、先代の独白がありました」


 そこでルンベックは一旦言葉を切った。

 ルソーリンとコルドラードは、黙ってルンベックの話を聞いている。


「それには、妻が息子の死の呪縛にとらわれたままであること、何とかしたいが自分の声が届かないこと、妻が贖罪するかのような態度を見るたび、いたたまれない気持ちになることなどが書かれていました。おそらく、その手紙をだれかに出そうとしたのでしょう」


「誰宛じゃ? 分かるのだろう?」

「おそらく、リグノワル殿かと」


 リグノワルとは、ラグラットの弟である。


「……なぜ?」

「ラグラット殿が当主でありながら北の町に赴き、率先して軍を率いたのも、屋敷にいたくなかったのかもしれません」


 息子を亡くした罪を背負い、フィーネ家のためになさぬ子を育てあげようと必死になるルソーリンを見ていたくなかった。だから家を空けがちになった。

 それは、残酷な言葉だった。


 ルソーリンの心は、湖上で息子を亡くした日から、まったく前に進んでいない。

 それを感じ取ったラグラットは、次代を弟に譲るつもりでいたのかもしれない。


 ただ、見つかった手紙は下書き。

 ラグラットにその気持ちがあっても、実際に手紙を書いたかどうかは分からない。


 ルソーリンは、フィーネ公領のためによかれと思ってやったことだったが、それがルソーリンの心を蝕んでいる。


 ラグラットはずっと、ルソーリンの心を楽にしてやりたいと願っていたようである。


「タダシくんは、手紙の下書きは持ち帰らずに元の場所へ戻しておいたそうです。ですので、ここにはありません」


「ほんの数日で、ダウテの町を往復したのか?」

「それはまあ……タダシくんですから」


「なるほど」

 多くは語らないが、コルドラードはすぐに察した。


「では夫は、当主の座を弟に譲ろうとしていたのですか」


「そういうつもりで手紙を書こうとしたらしいとしか、私には言えません。そして戦場の兵が聞いた、『これで呪縛から解放される』という言葉を考え合わせると……」


「夫は死の間際、これで私が解放されると……そう言いたかったのですね」

 フィーネ公が死ねば、次代は自動的に弟が引き継ぐ。


 さすがにラコル――七歳の息子にお鉢が回ってくることはないだろうと思ったのだろう。


 実際には、フィーネ公領は混乱し、ルソーリンが事態を収束させるよう手早く動くことになった。

 ルソーリンは被害を押さえたばかりか、求心力そのままに領内を安定させてしまった。


 おそらくラグラットが死の間際に見たのは、心穏やかに暮らすルソーリンの姿だったのだろう。


 フィーネ公領という重荷は弟に背負わせ、もうこれ以上思い詰めなくていい。

 ラグラットはルソーリンの幸せを願っていた。


 それはルソーリンの肩の荷を少しだけ軽くする出来事だった。


「先代フィーネ公も、いろいろ考えておったようじゃな」

 コルドラードは一連の流れを頭の中で整理する。


 ルソーリンは、死んだ息子の代わりに、双子の妹の子を連れてきた。

 なぜか。次代のフィーネ公にするためである。


 おそらく、そのように教育しているのだろう。

 ラグラットは、そんなルソーリンを見て危ぶんだのかもしれない。


 ルソーリンの心の内の多くは、死なせてしまった息子への贖罪。

 他の子を育てることによって、心の均衡をはかっている。


 このままでは、ルソーリンの心はずっと前に進めないままではないか?

 それを危ぶんだラグラットは、弟に当主の座を譲ろうとした。


 手紙の下書きはそのとき書いたものだったのだろう。

 これから先、何十年とルソーリンの人生は続く。


 それを贖罪のために費やして欲しくなかったのだとコルドラードは推測した。

「結局手紙は出さずじまいじゃったのか……」


 気が変わったのか、それとも別の理由があったのか。

「大きな問題が片付いてからと思ったのかもしれませんね」


「魔物討伐か」

「ええ……三公領のうちで、フィーネ公領が真っ先に棄民で溢れることを心配したのだと思います」


 しっかりと道筋をつけてから次代に託したい。

 そのために、多少強引でも未開地帯を開拓したい。そう考えたかもしれない。


「でも手紙を書いたのは、魔物討伐の二年目じゃろう? 雲行きが怪しくなってきた頃であろう」


「だからこそ、手紙は書けなかったのでしょうね。そして運命の三年目。あのとき先代フィーネ公は、こう思ったのかもしれません。ここを乗り切っても、復興まで何年かかるか分からない。ヘタをすると十数年かかるかも。これでは当主の座を譲ることはできなくなるし、妻はその間、ずっと呪縛に捕らわれたままだと」


「だからこそ、これで解放される……か」

「予想でしかありませんけどね」


 オールトンは「あれは覚悟の自殺だったという兵がいた」と言っていた。

 そう。自分の死によって、フィーネ公領がもとに戻る。


 そう考えての突撃だったのかもしれない。

 それはたしかに、覚悟の自殺となんら変わりない。


「……夫の心の内が分かって良かったように思います」


 長い時間が経ったあと、ルソーリンはそう言った。

 手紙の下書きはまだ見ていないが、ルンベックがここでそんな嘘を吐くはずもない。


 おそらく本当に下書きはあるのだろう。それが分かったならば、あとで読めばいい。

 それが分かったことが重要なのだから。


 実際、今回のことがなければ永遠に分からなかったはずだ。


「よいのですか。勝手に暴いた感じになりましたが」


「お心遣い、ありがとうございます。今の話で思い当たることがいくつもあります。夫に避けられているかもとはずっと思っていました。息子を亡くしたことへの怒りかと考えていましたが、どうやら違っていたようですね」


 だったら直接言ってくれれば……とルソーリンは思うものの、当時の精神状態では、素直に聞くことができたかどうか怪しい。


 あの頃はもう、新しい息子を立派に育て上げることだけしか目に入ってなかった。

 今なら分かる。あの時の自分は、視野狭窄になっていた。


「フィーネ公は苦労したのじゃ。だれも責めはせんよ」

 コルドラードの言葉に、ルソーリンは小さく頭を下げた。


 ルンベックは、『覚悟の自殺』とだけは、あえて言わなかった。

 ラグラットが無謀とも言える突撃をした謎はそのままにしておきたい。


 ラグラットが戦地へ赴いたのは、罪の意識に苛まれた妻を見たくなかったからだろう。

 弟に当主の座を譲ろうとしたのも、家族の安寧を選んだひとつの選択でもある。


(自然な当主交代をするには、当主が事故で死亡するのが一番……)


 ルソーリンの目を覚まさせるために命を絶ったといえば、また余計な闇を抱えることになる。

 だからルンベックは語らない。


 突撃の真相は、もちろん藪の中。




 三公会議は着々と進み、すべての議案が話し合われ、大凡の決着をみた。

 そして、とある日の午後、『三公会議の終結』が宣言された。


 これを聞いたスミスロンの町の住民たちは大いに喜んだ。

 ミルドラルの将来を決めるとても大切な会議。


 それが成功裏に終了することができた。

 これでミルドラルはより発展する。


「ミルドラル万歳! 三公会議万歳! ルソーリン様、万歳!」

 そう言って人々は、終了宣言に惜しみない声をあげた。


 同日、ルソーリンは広場に町の人々を集めた。

 何事かと集まる町民の前で、ルソーリンはフィーネ公の引退を宣言した。


 これまでフィーネ公領を引っ張ってきたのは先代の遺志を継いでのことであり、この三公会議終了を持って、自分の役目は終わった。


 当主の座をリグノワル・フィーネに譲り、自分は参与さんよとして裏方に徹する。

 新しいフィーネ公誕生に祝福あれと、述べたのである。




 フィーネ公の引退発表から、三日が過ぎた。

 正司たちはいまだ、スミスロンの町にいる。


 ルンベックは、連日行われているパーティに出席している。

 会議終了後のパーティは予定されていたことで、欠席は許されない。


 どうやら帰還は、もう少しあとになりそうである。


 さて、ここでひとつの疑問が残る。

 正司はどうやって、あの下書きを見つけたのか。


 それは、オールトンがリーザに捕まった日の夜にまで遡る。


 あのとき、オールトンから話を聞いた直後、マップからクエストの白線が消えた。

 どうやらクエストにおけるオールトンの役目は、これでお終いらしい。


 さて、この後はどうすればと正司が思っていたところ、ある時、白線が北に向かって伸びたのである。


「フラグが……立った?」


 その頃すでに正司はリーザに連れられ、カーフェンとジュネの町へ赴いていた。

 白線は北を指している。


 ならばそこまで魔法で跳べば、移動時間が短縮できる。

 あとは白線に従って進めばいい。


 そして到着したのが、ダウテの町だったのだ。


「……ここが目的地?」


 白線は、町中の放置された屋敷へと続いていた。

 屋敷の入り口は閉ざされ、何年も使われた形跡はない。


 門に彫られた紋章から、ここがフィーネ公の屋敷であることが分かった。


 正司はリーザと相談し、この使われなくなった屋敷へ入っていった。

 中はガランとして、ここが廃棄されたものだとすぐに分かった。


「未開地帯の開拓で、臨時に使用したのかもしれないわね。廃棄されたところをみると、ここはもう使うつもりはないようね」


 金目のものや重要なものはすべて運び出したあとらしく、家具や置物ひとつ見当たらない。

 書斎と思しき部屋には、備え付けの書棚があった。

 そこに古い本が無造作に並んでいた。


「……この本みたいです」

 正司が取った本をめくる。するとページの隙間から紙片が足下に落ちた。


「殴り書きみたいだけど……これは手紙の下書きかしら? ねえ、こんなもののためにここへ来たの?」

「だと思います」


「ふうん……何が書いてあるの?」

「いま読んでみます」

 正司が紙片に目を通す。


「……あれ? これ、もしかしてフィーネ公が書いたものじゃないですか?」

「そうなの? どれ……」


 内容を読み進めたことで、正司とリーザは、先代フィーネ公が何を伝えたかったのかを知ることになる。


「これはお父様に報告した方がいいわね」

「戻りますか?」


「そうね。そうしましょう」

 手紙をもとの場所に戻してから、正司たちは屋敷に跳んだ。


 その後、会議を終えて帰ってきたルンベックに、日中のことを話したのである。

 それが、今回のことの顛末。




 正司とリーザは、久し振りにロルと面会した。

 今日は演芸場の移動日だったらしく、舞台に上がる人たちは休みを取っていた。


 それ以外の人たちが、忙しく動いている。

「お久しぶりです、ロルさん」


「これはタダシ様、リザ様、ようこそいらっしゃいました」


 かつてルンベックたちが楽屋を訪れてから、より一層、ロルの態度は丁寧なものとなっている。

 ちなみにリザとはリーザの偽名である。


 このところ、正司はクエストを進行させるために目立った動きはしていなかった。

 だが、今日になってクエストの白線はロルを指しはじめた。


 もともとこのクエストを受けたときから、正司が感じていたことがある。

 総代をどう判断するにしても、それはロルの心次第。


 正司ができるのは、思いとどまらせるか、背中を後押しするかである。

 白線がロルを指したならばそれは、ロルが何らかの答えを出したことを意味する。


「その顔は、決めたみたいですね」

 これまでと違い、ロルは晴れやかな顔をしていた。


 背筋も伸び、ゆったりとした動作は、心に余裕のある態度にみえる。


「ええ、その節は大変お世話になりました」

 ロルは頭を下げた。


「私は悩みを聞いただけです」

「そんなことはございません。話を聞いていただいて、私がどれほど楽になったか。あれで私も問題に正面から向かい合うことができました」


「これまでとは、別人のような顔になっています」

「そうですか。でしたら、ふっきれたのでしょう。あの頃はずっと悩んでいましたから」


「それでどうなさるつもりですか?」


「総代を交代することにしました。ちょうど次の公演で一区切りです。その時に発表しようかと考えています」


「それはおめでとうございます。どのような決断にしろ、悩み抜いた結果でしたら、後悔のない選択だと思います」


「ありがとうございます。直接の決め手は、なんといってもルソーリン様の引退宣言でしょうか」


「広場に町の人を集めて宣言したあれですね」

「はい。私も聞きに行きました。恥ずかしながら、感動で涙が出たほどです」


 正司は「はて? そんな感動的な話だっただろうか」と首を傾げた。

 ルソーリンが話したのは、自らの引退と、次のフィーネ公のことのふたつのみ。


 その後、一時的に領内は混乱することを告げ、十年後のフィーネ公領のためにいまは耐えてほしいと訴えかけたのである。


「これまでうまく領内を切り盛りしていたルソーリン様でございます。それが何の未練もなく引退宣言です。さすがだと感心した次第でございます。しかも、一年後ではなく十年後を見据えて引退するなど、中々できることではございません」


「そうですね、私も英断だと思います」

 正司の場合、その裏にある正統後継者の問題を知っているわけだが、ロルは知らない。


 ロルは発表された宣言を聞いて、そのまま「凄い!」と感動したクチらしい。


「私も倣って、一座の十年先を見据えることにしました。総代を交代させれば、間違いなく観客は離れていくでしょう。イチからスタートできればいい方で、ゼロからスタートかもしれません。それは覚悟しました。ですが十年後、必ずや新総代が今以上に発展した舞踏を見せてくれることでしょう。そのために私は総代の交代を決意しました」


 町で大人気の総代を下ろす。

 生半可な覚悟でできるものではない。


 演者と観客が一体となって行う舞台舞踊では尚更だ。

 それでもロルは十年後を見据えて、演者内の不和を取り除こうとしたのである。


「やっぱり、おめでとうと言わせてください。きっと成功すると思います」


「ありがとうございます。最下位からのスタートになりますが、いずれタダシさんのいる町にも名が届くような、そんな一座にしたいと思います。本当にありがとうございました」


 ロルが深々と頭を下げたとき、正司の目の前に「クエスト完了 成功 所得貢献値1」という文字が表示された。


 そこでようやく正司は、ほっと息を吐き出すことができたのであった。

 クエストは無事、完了したのである。




 その日の夜。

「そうか。タダシくんは、クエストが終わったと……そう言ったのだね」


 パーティから戻ってきたルンベックは、リーザから報告を受けていた。


「座長が決断したきっかけは、ルソーリン様の引退宣言みたいでした」

「なるほど。それはよい感じに感化されたようだね」


 ルソーリンの引退宣言は、町民たちにとって寝耳に水の出来事であった。

 一応家臣の間には根回しをしたようだし、リグノワルの了承は得られている。


 フィーネ公領には優秀な家臣が多くいるし、ルソーリンは参与として政治に関わることになる。

 トップが変わっても、他の二公家が支援をしっかりすれば、それほど混乱はない。


 だが突然の引退宣言に、町の人は大混乱をおこしてもおかしくない。

 それがほとんどおきなかったのだ。


 立派な引退宣言をしたことで、「さすがルソーリン様」と持ち上げる者たちが後を絶たず、参与としてこれからも自分たちの生活を見守ってくれると分かってからは、すぐに落ち着きを取り戻した。


「それでお父様、私は自領に帰ります。お父様はなんでも……ラマ国へ行かれるとか」


「ああ、三公会議で決まったことを履行しにね。ラマ国国主と会談してくる」

「なぜお父様が行かれるのです?」


「フィーネ公は手が離せないだろうし、バイダル公は老齢だからだ。私が行くしかないね」


 三公会議で上がった議案の中で、いくつかラマ国に関わることが持ち上がった。

 それの調整をしに向かう。


 ただ行けばいいというわけではない。

 ミルドラルの立場を説明し、できれば協力して歩んでいかねばならない。


 そのため話の詳細が分かっていて、ある程度ミルドラル全体に関わる権限を有している者がいくべきとなった。


「分かりました。叔父さまは連れ帰っておきます」

「それがいいね。タダシくんの魔法で帰るんだよね」


「そうですけど?」

「王国の監視もあるし、あまり大っぴらになるような行動は……と言っても、分かっているか」


「はい、大丈夫です、お父様。それでタダシもラマ国へ連れて行くのですわね?」

「私の護衛だし、そうなるね」


「気をつけてくださいね、お父様。タダシは目を離すと、いろいろとアレですので」

「そうだね……でも今回は大人しかったじゃないか」


 今回のクエスト。

 正司は魔法で周囲に大きな変化をもたらしていない。大変大人しかった。


「タダシがどこへ行きたい、何をしたいと言い出したとき、それはクエストがらみです」

「うん? そうだね」


「今回の場合、叔父さまを見つけるのもそのひとつでした」

「ああ、たしかにそうだった。タダシくんはどうしてそういうのが分かるのかね。何にせよ、あれは助かった」


「叔父さまを見つけた理由はおそらく……ラグラット様の最期を知るためです」

「弟が偶然知り合ったという兵士だね」


「叔父さまが偶然知ったのは否定しませんが、もし叔父さまが知り合わなくても、タダシは本人――生き残った兵の所へ行ったでしょう」


「さすがにそれは……どうだろう」


「タダシにはやるべきこと、行くべき場所が分かっているようです。そして今回の場合、一座の後継者問題を解決するために必要な動きでした」

「…………」


「タダシの行動は一貫して同じ、クエストを持った者の悩みを解決することです」

「すると……あれかい、リーザ」


「なんでしょう、お父様」

「タダシくんが道で弟と出会ったのも、一座の後継者問題を解決するためだと?」


「はじめからそう言っているではありませんか」

「で、では……廃棄された屋敷で紙片を見つけたのも……?」


「当然です、お父様。一座の後継者を決めるのに必要だから、タダシが見つけたのだと思います」


「だとすると一座の後継者をだれにするか……そのためにフィーネ公が代替わりしたように聞こえるのだけど」


「おそらくそうだと、私は考えます。座長に決断させるために、フィーネ公は引退したのです」

「…………」


 ルンベックは否定しようとして言葉に詰まった。

 なぜ、ああも簡単に証人と証拠が出そろったのか。


 なぜ、正司がそれをいとも簡単に見つけることができたのか。

 答えは簡単。



 ――クエストだから



 クエストとは、正司が解決しようとしている悩みそのもの。

 今回の場合は、舞台舞踊一座の後継者だ。


 そのために当主の座がダシに使われた。


「……なんてことだ。被害甚大じゃないか」

「被害と呼ぶのには、言葉が過ぎると思いますけど」


「そうだけどね……主体と客体が逆転した場合……いや、それよりも本当なのかい。今の話」


「さて、私の経験則から話しただけです。ですが、否定する材料は見当たりませんわ」


 いつも不思議な縁で、正司はクエストを解決に導いている。

 今回の場合、大きな魔法を使わなかっただけ(・・)の話で、結果としては過去最大の影響を周囲に残している。


「これがタダシくんのクエスト……?」


「はい。ですので、目を離さないようにした方がよいと、私は思うのです」


 それはそうだ。兄弟子と弟弟子、どちらが一座の「総代」に相応しいか。

 その悩みに対して、間接的にしろフィーネ公の首がすげ変わったのだから。


「ただ大きな魔法を使わないでほしいと願っただけじゃ……」

「当然足りませんわ。目を離さないで、しっかりと見ていないと」


「………………そうだね」

 これがリーザやミュゼが通ってきた道かと。


 町民の悩みひとつで当主が変わるようなことは何としてでも避けたいと、ルンベックは心底思うのであった。



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