069 そして決断
ルンベックは、疲れた顔で屋敷に戻ってきた。そこへ……。
「……おかえり、兄さん」
「ただいま……ってオールトン、おまえ……捕まったのか?」
出迎えたオールトンの顔を見て、ルンベックはしばし固まった。
「捕まったって……それはヒドいな。まるで僕が犯罪者みたいな言い方じゃないか」
「三公会議がここで開かれるのが分かった時点で、おまえは寄りつかないね。それなのにここにいるってことは、そういうことじゃないかな」
「まあ……そうなんだけど」
「珍しいこともある。おまえが捕まったのは……ん? もしかしてこれが初めてかな?」
ルンベックがいくら記憶を遡らせても、オールトンが過去に捕まったという事実はなかった。
「叔父さまは、道を歩いているところを私に発見されたのです」
「ほう……道を? それは迂闊だったね」
どうやらオールトンが失策したらしい。
そう考えたルンベックは、珍しいこともあるものだと、少し気分がよくなった。
とにかくオールトンは、昔から堅苦しい場所が大嫌い。
面倒なことはしたくないと、何かあるとすぐ屋敷を飛び出した。
先代のトエルザード公はそのたびに使用人を使って探させたが、ついぞ見つけることは叶わなかった。
最後は兵を持ち出して町中を捜索させたが、成果はなし。
費用対効果を考えて、放っておくことにしたという経緯がある。
「今回ばかりは逃げられなかったね……とほほだったよ」
消沈するオールトンの肩をルンベックが叩く。
「これを機に、これまでの行いを反省して、行動を改めてくれるといいのだけどね。そういえば、リーザ。よく見つけたね」
「タダシのクエストで町の北へ向かったら、そこに叔父さまがいたのです」
「クエストというと……舞台舞踊一座のアレかい?」
「ええ、そうです。タダシが言うには、クエストに叔父さまが関係しているようです」
「……? それは一体?」
「詳しいことは私にも分かりません。タダシもよく分かっていないようです。ですが、先ほど叔父さまから聞いた話が、もしかすると関係するのかもしれません」
「なんだい、その話というのは。興味があるね」
「あまり大っぴらにできない話です。そうですわね、叔父さま」
「そうだね。リーザから兄さんに伝えてもらった方が良かったんだけど……しょうがないな、僕が話すか」
もしリーザに捕まらなかったら、オールトンは時期をみて家に手紙を書いただろう。
今回は、それが早まっただけのこと。
「兄さん、これは僕が実際に見聞きした話なんだけど……」
そうしてオールトンは、先ほどの話を繰り返した。
「……それはまた奇妙な話だね」
「言っておくけど、確証があるわけではないからね」
「分かっている。これで証拠まで出てきたら、世間がひっくり返る」
次期フィーネ公であるラコルが正統後継者ではないという話は、いまのミルドラルにとっても大問題だ。
公表されたらフィーネ公領が揺れる。間違いなく揺れる。
最悪、対王国包囲網にほころびが生じてしまう。
「お父様、今の話の信憑性ですけど、どのくらいあるとお考えですか?」
「さて、当事者でない私には分からないけど……なぜか、今日の会議のことが頭をよぎったよ。はてさてこれはどういうことかな」
ルンベックは、静かに考え込んだ。
複雑な思考をするとき、よくこうして一心不乱に考え込む。
絵筆を握って塔に登り、思うままに景色を描くこともある。
いずれにしろ、より深く考えるために、ルンベックはずっとそうしてきた。
そして今、与えられた様々な断片から、これまで感じた違和感の正体を探ろうとしているようだった。
「なるほど……もしかすると」
ルンベックがそう呟いたのは、大分時間が経ってからだった。
「何か分かったのですか、お父様」
「今日の会議でも、フィーネ公の言動はおかしかった。問題はほぼ解決しているのに、ラマ国への参戦にはずっと積極的。状況を冷静に判断すれば、撤回してしかるべきなのにそれをしない。何かあるとずっと考えていたのだけど」
「ラマ国との戦争……それは昨日の話ですわよね」
「そうだね。今日も、結局フィーネ公を翻意させることはできなかった。なぜ、ああも頑ななのか、帰りの馬車の中でもずっと考えていたのだけど……」
「何か分かったのですか?」
「フィーネ公の言動の裏には、王国の思惑があるかもしれない」
「……王国ですか?」
リーザは「わけが分からない」という顔をし、オールトンは、やれやれと首を横に振った。
「たとえばだよ。オールトンが聞いてきた話が事実だとしよう。フィーネ公のご子息がすでに死んでいた場合、子供を交換したことになるね」
「はい。死んだと思われていた双子の妹の子が、生きていたことになります」
「そう。そしてそのことを王国が知ってしまった場合……フィーネ公は巨大な秘密を握られたことになる」
王国はその秘密を最大限に活用するだろう。
秘密を知っていることをチラつかせ、何らかの譲歩を引きだそうとする。
ただしこれは諸刃の剣。
周囲に不信感を持たれない程度にしなければならない。
あからさまに行うと、「あまりにも怪しい」「そこに何か秘密がある」と、秘密を探ろうとする者が必ず現れる。
「フィーネ公が王国に弱みを握られている。そう考えているのですか、お父様」
「戦争に反対の立場を取らない理由があるのは確かだ。もしそうならば、私たちは無駄な説得を続けていたことになる」
いまだフィーネ公の心の内は分からない。
フィーネ公は聡明である。いまの状況を読めないわけではない。
にもかかわらず、頑なな態度をとり続けるには、大きな……とても大きな理由があるのではないか。
そしてフィーネ公と王国の間で、秘密を介在させた密約があるのならば、どれほど説得したとしても、首を縦には振らないだろう。
ルソーリンは歯を食いしばりつつも、フィーネ公領の安寧を選択するはずである。
「……というわけで、兄さん。僕の話は以上だよ。そしてリーザ、そろそろ僕のリュートを返してくれないかな」
オールトンがここにいるのは、リーザに愛用のリュートを取り上げられたからである。
情けないことに、オールトンは「あれがないと僕は旅ができない」と言い、虚空を掻き鳴らすしぐさをした。
元の世界風にいえば、エアリュートである。もちろん音は出ない。
「駄目です。リュートを返したら、叔父さまはどことも知れない場所へ旅立ってしまうでしょう?」
「それは……僕はリュートの音色に従うだけだからね」
「ということですので、お返しできません。それより叔父さま。今のお父様の話を聞きましたわね」
リーザが顔を近づけ、威圧をかけてきた。
「そりゃ聞いていたさ。だけどそれがどうしたんだい?」
「何か思うことはないのですか? もしくは、他に重要な情報を知っていたら、すぐに話してください。ことは叔父さまの胸の内におさめられるほど小さくありません。フィーネ公領だけでなく、ミルドラル全土に関係してくるかもしれないのです」
「他に? そんな急に言われてもね……」
オールトンは困った顔で正司の方を向く。
正司は同席していたものの、これまで一度も発言していない。
政治的な話に口を挟むのはよくないだろうと考えていたし、そもそもこれは、ほとんど家族会議みたいなものだ。
出しゃばるものではないと、静かに佇んでいた。
そのかわり、正司は別のことがずっと気になっていた。
いまだクエストの白線が、オールトンを指しているのである。
話を振られたので、いい機会だから、聞いてみることにした。
「オールトンさん、ほかに何かないですか? おそらくまだあると思うのですけど」
「ほら、タダシもそう言っているじゃないですか。叔父さま、何かありませんか?」
「タダシくんまでそんなことを言うのかい?」
「えっと、そうです。クエストがまだ進んでいないし、白線はオールトンさんを指したままなので、きっとまだ言い残したことがあるように思えます」
「どういうことかな?」
クエストの白線を信じれば、オールトンの役割はまだ終わっていない。
「言っていないことがあれば、さっさと言いなさいってことです、叔父さま。これまで民の税で好き勝手してきたのです。ここらで精算させたらどうでしょう」
と、リーザが辛辣なことを言う。
ちなみにこれは真実なので、オールトンは反論できない。
「困ったな。そう言われてもね。僕としても他には……ん? そういえば」
「そういえば? 何かあるのですね、叔父さま」
「うん。ひとつだけ思い出したことがあってね。大したことじゃないのだけど、先代のフィーネ公を看取った兵がいうには、これで呪縛から解放されるとか……全部聞き取れなかったようだけど、そのようなことを言っていたらしい」
「呪縛から解放される……ですか?」
「どういう意味だろうね」
「さあ……それだけではなんとも」
「僕が聞いたのは、それが最後さ。酒を何度も奢って、少しずつ聞き出したんだからね。もう何年も前の話だし、彼は思い出したくない記憶のようだったね」
生き残った兵は、凄惨な戦場を生き抜いた。
当時を思い出したくないのも頷ける。
「そういうわけで、この話はもうお終いでいいかな?」
「どうなのタダシ?」
「すごいです。白線が消えました。これ以上お聞きすることはないみたいです」
「? そうなの?」
「お終いみたいだね。じゃ、僕はもう休むよ。できれば明日、リュートを返してくれると助かるのだけど……期待薄かな」
そう言って、オールトンは部屋を出て行った。
正司はマップに目をやる。
つい先ほどまであった白線は出ていない。今の話のあと、消えたのだ。
(これは前と同じですね。ここから先は、することがない。状況が動くのを待つ感じでしょうか)
「さてと……今日はタダシくんのおかげで、よい話がきけた。私も部屋で明日の準備をするよ。タダシくんのクエストも、このくらい周囲に影響がないといいね」
「お父様、それは一言余計です」
「おっと、すまなかった。悪気はなかったのだけど……許してくれるかね、タダシくん」
「ええ、私は別になにも」
「それはよかった。どうやら私も疲れているようだ。部屋に戻らせてもらうよ」
オールトンに続いて、ルンベックも出て行った。
「私たちも休みましょう。このままだと寝不足になってしまうわ。明日はどうするつもり?」
「そうですね。クエストは様子見でしょうか。フラグが立たないと次に進めないようですし」
「フラグ?」
「ああ……えっと、何かが起こらないと、次に進められないという意味です。いま私ができることはすべてしてしまったので、状況が変わるまで……何もすることがありません」
「そうなの? だったら、そうね……北の町へ行くのはどうかしら?」
「北の町ですか?」
「叔父さまがカーフェンの町へ行ったでしょ。フィーネ公領の最北にあって、未開地帯に接しているの。私も一度、北の町をこの目で見てみたいと思っていたの。どうかしら」
「いいと思います。フィーネ公領のいろんな町を見てみたいですし」
「だったら決まりね。明日、出かけましょう」
「はい」
こうして明日の予定も決まり、リーザと正司は就寝した。
翌朝ルンベックは、ほとんど寝ずに準備を済ませ、屋敷を出て行った。
朝食を終えた正司は、〈身体強化〉を施してからリーザを背負う。
俗にいうおんぶというやつである。
「じゃ、タダシ。がんばってね」
「……はい」
その姿で正司とリーザは、北の町へ『一直線』に疾走した。
そう、魔物の出る地をそのまま突っ切って。
フィーネ公領は平地が多い。
障害物がなければかなりの速度が出せる。というか、出した。
最初は目を瞑っていたリーザも、一時間も走れば慣れもする。
背負われたまま、会話をする余裕もでてきた。
「ねえタダシ、いまどのくらい進んだか分かる?」
「時速100キロメートルで一時間と少し進んでいますので、スミスロンの町から直線で120キロメートルくらい離れた感じでしょうか」
「直線で120キロメートル……意外と離れたわね。というかもう、目的地の半分近くまできているわ」
リーザは頭の中でフィーネ公領の地図を思い浮かべる。
あと二時間もしないうちに、最北の町のどれかに着いてしまう。
「疲れたのでしたら、休憩を入れますけど」
「タダシの方が疲れたんじゃないの?」
「私は平気です。ときどき〈回復魔法〉もかけていますので」
「……そう。魔物が出るところで休みたくないし、このまま行ってちょうだい」
「分かりました」
正司は一度も休憩を取らずに進み、三時間ほどで最北の町ジュネに到着した。
「ここが最北の町ですか」
「そうよ。魔物の大軍と戦った町ね。一度私が見ておきたかったのと、タダシにも見せておきたかったのよ」
「私にですか? 活気のあるいい町だと思いますけど、別に変わったところは見当たりませんけど」
「そう見えるわね。私も直接来たのは初めてだし、偉そうなことは言えないのだけど、この町にはいま、多くのお金が投入されているの」
フィーネ公領から集めた税金を復興のために投入していると、リーザは説明した。
もともとこの町は、未開地帯と接していることで、昔から魔物の被害が多い。
ゆえに駐屯する兵も多く、それを当て込んで商人が遠くからやってくる。
危険はあるものの、賑やかな町というのが昔からのイメージである。
「未開地帯の開拓で、多くの人が亡くなったわ。町にも被害が出たの。その復興と贖罪を兼ねて、多くの税金が使われているのよ」
これはルソーリンの政策のひとつであるらしい。
ルソーリンは、大きな被害があった町には大きな支援をすると発表し、それを守っている。
「たしかエルヴァル王国に多額の借金をしているのですよね」
「ええ、しているわ。復興にはお金がかかる。自領の税金だけでは賄いきれないのでしょうね」
借金は膨らむばかりだが、ルソーリンは支援を辞めようとはしない。
「そういえば、ここは危険な町と言われていますけど、町の外に棄民の集落がありました。危険ではないのですか?」
「町に多くのお金が投入されているから、ここならば働き口があると思う人は多いのでしょう。そういう人たちは多少の危険をものともせず、やってくるのよ……というより、村よりはマシという理由で出てきているから、帰れないのだと思うけど」
危険だからこそ、人々が集まって暮らしているらしい。
彼らだって、武力に秀でていれば、剣一本で喰っていける。
だが、だれしも剣に適性があるわけではない。
戦えない者は徒党を組む。
ただの村の若者が魔物狩人になれば、二年と経たずして鬼籍に入る。
特殊な訓練をしていない素人が毎日魔物を狩って暮らすのは、なかなか厳しいのだ。
専門の者から剣を学ぼうにも、そういった若者たちには、先立つものがない。
自己流でなんでも解決しようとして、学習する前に大怪我をするか、命を落とす。
これで勉学ができれば、商人として下積みからでも始められる。
だが、なまじ村で畑仕事ばかりやっていた者たちは、大人になるまで勉強した記憶がない。
村が苦しくなれば、真っ先に「お前は若いんだから外へ働きに出ろ」と追い出される始末である。
「町には仕事はあるけど、安い手間仕事ばかりね。魔法が使えたり、字がうまかったり、計算ができたり、技術を持っていれば別なのだけど」
そういった若者は、稀少である。めったにいない。
「ということは、町の外に住む人たちは……」
「町の中で、あるかないかの仕事を奪い合う感じかしら」
「……大変ですね。若者の働き手は貴重だと思うのですけど、村では養えないのですか?」
「無理よ。畑を広げられるならまだしも、どこだってそんな空き地はないわ。村の人口が増えれば、村全体の税金だって上がるもの。といっても村の人口は確実に増えるし、場所は有限。どうしたってあぶれる者は出るじゃない」
村は柵や土壁で囲った中にある。柵の外に畑は作れない。
そんな村では、養える人数は決まってくる。
各農家が子供を七人産めば、瞬く間に村の限界人口を超えてしまう。
結局、土地を拡張できないがゆえに、彼らは村から出てゆかざるを得ないのだ。
「町の中を見て回りましょ。次はカーフェンの町に行ってもいいわね。とにかくここが、フィーネ公領の政策がよく分かる場所なの。できる限り見ておきたいわ」
ちなみに、帰りはもちろん正司の魔法である。
この日リーザと正司は、暗くなるまでジュネの町を散策した。
一方、朝早くから会議に出かけたルンベックはというと。
三公会議を始める前に、密談を提案した。
ルンベックは護衛や書記を退出させ、三人のみでの話し合いを望んだのだ。
書記がいなければ、正式な三公会議とはなりえない。
雑談のような扱いになる。
多少訝しんだものの、ルソーリンもコルドラードもそれを了承した。
そしてルンベックは、昨日聞いた話を披露した。
「そう……いつかこの日が来るかもと思っていたわ。思ったより早かったかしら」
「……素直に認めるのじゃな」
コルドラードはルンベックの話を黙って聞いていた。
最初、「何を馬鹿な」と一蹴しようとしたのだが、ルソーリンがあっさりと認めた。
コルドラードは、驚いた。
諜報に格別力を入れていたゆえに、その驚きは大きい。
当主として、息子や孫にはいつも情報の重要さを言い聞かせていた。
だが、まさかコルドラードの与り知らないところで、そのようなことが起きていたとは、本当に知らなかったのだ。
「ええ、もちろん認めます。ここで否定してもしょうがありませんもの」
「ふむ……儂には経緯がよく分からんが、その話が真実だと仮定して、なぜそのようなことをした?」
ルンベックが掴んだ秘密が、どこまで正しいのか分からない。
この手の秘密は、虚実入り交じらせておけば、なかなか真実に辿り着けなくなるからだ。
だが、今回は違う。
ルソーリンが言い訳をせずに素直に認めたことから、ルンベックの話はほぼ真実なのだとコルドラードには思えた。
だとすれば、不思議でしょうがない。
なぜ死んだ我が子に身代わりをたてたのか。
「覚えていませんか? 七年前の戦争のときのことです。私は今でも昨日のように覚えていますけど」
当時、ラマ国とエルヴァル王国は戦争中だった。
王国は、一方的にラマ国へ攻め立てていたのだ。
「七年前の戦争か……ミルドラルも決断を迫られたのう」
「ええ。王国に与するわけにはいきませんでしたが、戦争に介入するかしないか、家臣は割れていました。外は戦争、中は紛糾です。連日会議は大荒れでした。私は息子を連れて避暑にでかけるよう、夫から言われたのです」
町にいると、変に注目を浴びてしまう。母子が政治に利用される可能性を考慮して、一旦町を離れてはどうかと言われたらしい。
「それで湖へ?」
「滅多にない機会です。それで妹の子を見にいくことにしました」
しばらくすれば戻ることができる。
それまでは楽しもう……と思っていた矢先、湖上のボートで事故が起きてしまった。
「ちょうど私が立ち上がったとき、突風が吹いたのです。それで船が揺れて……気がついたら、あの子が湖に投げ出されてしまったのです」
三歳の子供である。一番目を離してはいけない年頃だ。
湖に落ちた子供はすぐに沈み、助けに潜ったが、ついに見つけることはできなかった。
「運が悪かったのです。本当に運が悪かった……その日、たまたま家臣から当主にリグノワルを推す動きがあると報告が入ったあとで……」
リグノワルとは、当時フィーネ公であったラグラットの弟である。
「当主交代劇か。その話も知らんのう」
「明るみに出る前に、夫がうまく処理したようです」
七年前のあのとき、戦争不安だけでなく、政治不安も出てきた。
そんな中で継嗣が死んでしまったら、フィーネ公領はどうなってしまうのか。
もし、対抗勢力が勢いを増して、内乱に発展してしまったら……。
ルソーリンは恐ろしくなり、真実を明かすことができなくなったらしい。
そこで死んだのは双子の妹の子にして、後継者問題がおきるのを防ごうと考えた。
「そんなことをして……ラグラット殿はどうしたのじゃ?」
「夫には話しました。けれどそれは、ことが終わったあとです。夫には心の底から謝罪しました。夫は歯を食いしばりつつ、その現実を受け入れたのです」
それほど当時、家臣たちの意見は割れていたらしい。
その結果、死亡したのはエアリアル。
次期フィーネ公であるラコルは生きている。そう決着させた。
「私たち姉妹は双子だったからでしょう。子供たちの顔もよく似ていました。誰からも気付かれ……いえ、気付いた者がいました。そのとき交流のあった商人です」
懇意にしていたデルキス商会の商人が、その事実に辿り着いた。
「ひとつ不思議な事があるのじゃが、その双子の妹夫婦はどうしたのじゃ? 自分の子を渡すことに同意したようじゃが」
「領が割れそうだという話は以前からしておりました。そしてあの時期にもし家臣が割れていれば、取り返しのつかないことになったのは、理解していましたから」
使命感にも似た共通認識で、領を守ろうと一致団結したのだという。
妹夫婦は自分の子供を預け、自らは政治の世界から一歩引いた。
今では、とある町でひっそりと暮らしているらしい。
そこへ訪れたのがオールトンだったわけだが、彼らは旧友にも真相を一切告げていない。
ただ、数奇な運命の巡り合わせによって、オールトンが真相を知っただけである。
ルンベックは思う。
七年前、フィーネ公領が荒れかけていた話は知っていた。
もしフィーネ領内で内乱がおきれば、ミルドラルはそれにかかりきりになる。
王国とラマ国の戦いは継続され、泥沼の様相を呈したであろう。
あの時、ミルドラルの睨みが利いたからこそ、王国は停戦に同意した。
そうでなければ、ラマ国が落ちた可能性だってあった。
そうなれば今頃、帝国と鉾を交えているかもしれない。
「領を思えば、英断だったと思います。個人の事情を除けばですけど」
ルンベックは大きく息を吐き出した。
大事にならなかったからこそ、あのとき戦争は回避されたのだ。
「すると問題になってくるのは、真実にたどり着いた商会じゃな。デルキス商会といえば、王妃の実家であるぞ」
「はい。あの頃はまだ今の王が立っていませんでしたので、デルキス商会も王国にある大店という印象でした。そして先年、デルキス商会の者が訪ねてきまして、あの時の話を持ち出したのです。黙っている見返りは、ラマ国への出兵だと」
「「…………」」
ルンベックとコルドラードは一様に難しい顔をした。
弱みを握っておき、ここぞというときにカードを切ってくる。
商人としてはうまいやり方だ。
前フィーネ公ラグラットには、子供は一人しかいなかった。
ラコル・フィーネ。当年10歳である。だが、本当は妹の子。
そしてラグラットには弟がいる。
ルソーリンの義弟となる人物で、名前はリグノワル・フィーネ。
リグノワルはいま、スミスロンとは別の町で領主をやっている。
「リグノワル殿はどのような人物かのう。儂は数度会ったことがあるが、あまり覚えておらん」
ルンベックも頷いた。たしかに会ったことはあるが、よく覚えていない。
影の薄い……まったく印象に残らない人物という印象がある。
「内需拡大を掲げていますが、町政ではあまり成果を出せていません。夫はよく、あれには覇気がないとこぼしていました」
「おお、思い出した。ずっと下を向いていた人物じゃな」
さすがにヒドい言い方だが、ルンベックもそれで思い出した。
どこかのパーティ会場で、何十人と挨拶した中に交じっていた。
そしてひとつの疑問が氷解した。
ラグラットは、なぜ子供の取り替えを受け入れたのか。
継嗣がいなくなれば、フィーネ公の継承は弟やその子に向かう。
これほど問題が山積みになっている現状。
世の中が荒れているこの時期に、半端な者には任せられない。
家臣がなぜラグラットではなく、弟を推したのか。
自己主張しない人間の方が扱いやすいからである。
「夫が亡くなったとき、私はリグノワルに継いでもらおうと考えました。ですが、兵はいまだ北に張り付いたままです。魔物の被害は相変わらず。状況はどんどん悪くなる一方でした。しかたなく私は、当主代行として事態の収束をはかったのです」
「いやあれで正解じゃったぞ。犠牲を少なくできたし、よく兵の手綱を握った。そこらの者には真似できん采配じゃった」
「ありがとうございます。落ちついた頃には、そういった声もあがってまいりました。すると今度は、実権を義弟に譲るのが難しくなってきたのです」
フィーネ公の家臣たちはルソーリンを当主として内を固めに入っていた。もしここで他の者を引っ張ってくれば、また荒れる。
いまは代行だからと自分に言い聞かせ、一年、二年とやっているうちに今日まできてしまったのだという。
「……なるほどのう。後継者の問題は難しいのう、トエルザード公」
「そうですね、バイダル公。領内の問題だけでなく、領外、そして他国の問題も絡んできます」
「それを踏まえてフィーネ公に尋ねたい。こうして隠していたことが明るみに出たが、おぬしはどうしたいのじゃ?」
「私の望みは領を安定させることです。それこそ夫が生涯を賭してなし得ようとしていたことですから」
「義弟の器量はどうなのじゃ?」
「難局を乗り切るのは難しいでしょう。義弟は、町の領主が精一杯ですね」
もしリグノワルに当主を任せようと思えば、機会はいくらでもあった。
だが、いまだルソーリンがこの場にいるのが答えである。
控えめに扉がノックされた。
「外でしびれを切らした者が大勢いるようじゃな」
「すっかり話し込んでしまいましたが、どうしますか?」
「そろそろ会議を始めねば、不審を持たれよう。幸い今日は、王国からみの議題は少ない。まずは会議じゃ」
「そうですね。フィーネ公もよろしいですか?」
「ええ、問題ありません」
この問題はいったん、横に置かれることになった。
フィーネ公の後継問題を一度棚上げし、三公会議は続けられる。
多くの議案が取り上げられ、そのひとつひとつに合意がなされていく。
そして前回の密談から数日後、再び三公のみが一室に集まった。
すでにほとんどの議案が終了し、残すは王国関連のみになっていた。
今回、この密談を提案したのは、ルソーリンである。
ルンベックとコルドラードは、黙ってそれに従った。
「義弟と連絡を取りました」
あの日のあと、ルンベックとコルドラードは、独自に情報を集めていた。
リグノワルは、ここから半日の距離にある小さな町で領主をやっていることはすでに掴んでいる。
ルソーリンがそこへ使いを出しているのも報告を受けていた。
ふたりは黙して語らない。
ルソーリンはそんな様子を眺めながら、キッパリとした口調で続けた。
「私は三公会議を終えたあと、フィーネ公の座から退きます」
「リグノワル殿の了承は得られたのかな?」
「ええ……決断が遅すぎたかもしれません。それでも、手遅れにはなっていないと判断しました」
後継者が実の子でないと分かれば、どのみち領内は荒れる。
様々な思惑が入り乱れて、暗殺、内乱、離反がおこるかもしれない。
かといって、不安の種を抱えたまま王国のいいなりになれば、いつ何時、同じことが起きるか分からない。
「私は……英断だとは思いますが、正直今後が不安です。あと数年すれば、魔物被害の痕も癒えるでしょうが」
魔物によって多くの兵が死に、町を復興させるために多くの税金が投入されている。
三公の中で一番不安定なのが、フィーネ領である。
完全復興まであと三年と、ルンベックはみていた。
それも他の二領が全面協力してである。
「この一、二年が大事だと思いました。これまで決断できなかったのは私の責任です」
「うむ。儂は賛成じゃ。どのみち禍根を残すのだ。早い方がよい」
「準備なしにトップが変われば、領内は荒れますよ」
「分かっておるわ。じゃが、一年先ではなく十年先を見据えた決断じゃ。儂らが支えてやろうぞ」
それはコルドラードの言う通りであった。
いまはキツくても、十年先を見れば、当主交代した方がいい。
フィーネ公領に一番必要なのは何か、それをルソーリンは誤らずに見つけられたことになる。
「……分かりました。我が領も全面的に協力します。もとから、王国に対抗するためには、その必要があると思っていましたので」
「うむ、それで次期当主は弟御になるわけじゃな」
「はい。これまでも私は当主代理という立場でしたから」
『当主』と呼ばれているルソーリンだったが、公的には次の当主までのつなぎとして発表されている。
次の当主が息子のラコルではなく、先代弟のリグノワルに変わっただけである。
「しかし……次代の手腕は未知数ですか。痛いですね」
ルンベックは、難しい顔をする。
「仕方あるまい。これはフィーネ公がしっかりと引き継ぎをすべき案件じゃ」
「そうですね。ところで、発表はいつにします?」
「三公会議の終了宣言の後を予定しています。表向きは役目を終えたということで」
「なるほど。それで王国がどう動くかですね」
当主交代が知られれば、ミルドラルは完全に王国と敵対の意志を固めたと見るだろう。
そうなれば、もはや王国にとってミルドラルは敵国。
戦争を仕掛けてくることも考えられる。
「準備すべきじゃな」
「そうですね。領内が少々騒がしいので、そろそろネズミを捕まえてみます」
「儂のところもやっておくか」
「では、私もそれを最後の仕事とします」
これまでルンベックは、王国の諜報員を放置してきた。
捕まえられるのは実行犯のみ。いわゆる下っ端である。
大した情報を持っていないし、捕まえれば相手に警戒される。
さらに地下へ潜られてしまうと、再び把握するまでに時間がかかってしまう。
そのため、ずっと泳がせていたのだが、いまが狩り時である。
ミルドラルからの情報を一度シャットダウンさせられれば、かなりの効果が期待できる。
「よし、では最後の三公会議といくかのう」
「そうですね……っと、その前にひとつだけ、おふた方に話すべきことがありました」
ルンベックはポンッと手を叩いた。
「……なんじゃ?」
「何でしょう?」
「先代フィーネ公のことです」
「夫のこと?」
「ええ、当時のラグラット殿が何を考えていたのか、それが分かったのです」
分かったのは偶然ですけどねと、ルンベックは片目を瞑った。