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067 問題点

 翌日、正司はもう一度、演芸場へ向かった。


「あれ? 今日は、別の一座ですか?」

 入り口には、木の看板が掲げられている。


 だが、昨日見たロルの一座の名前ではなかった。

 看板はそれぞれ一座が持ち込むものらしく、日本だと『道場の看板』に近い。


 掲げられた看板は、一座の顔になるのだ。


「時間で交代するのよ。ちょうどホラ、入れ替わっているでしょう? 看板も付け替えるんじゃないかしら」


 贔屓の一座が終わったからか、多くの観客が演芸場から出てくる。


「そんな簡単に入れ替えって、できるものなのですか?」


「入れ替え時には、休憩が入るもの。その間に食事をする時間くらいあるわね。それに一座の中には専用の職人もいるし、スムーズにできるんじゃないかしら」


「すごいものですね」

 ひとつの会場で、複数の一座が公演するらしい。

 搬入、搬出時の荷物とか、どうなっているのか。正司は細かいところが気になってしまう。


(でも学校の発表会では、次々と入れ替わっていましたね。ああいった感じなのでしょうか)


 プロの公演と学芸会を比べるのはアレだが、やっていることは一緒である。

 どうやら、素早くセッティングして、素早く撤収するのも芸のひとつとされているらしい。


「さっ、タダシ。聞きに行くんでしょ」

「あっ、はい。そうでした」


 感心しているところをリーザに急かされて、正司は楽屋に向かって歩き出した。




「お忙しいところ、申し訳ありません」

「いえ、始まってしまえば、私の出番はありませんので……といっても、二時間後には撤収をはじめなければなりませんが」


 正司とリーザが楽屋向かったところ、ちょうど次がロルの一座だったらしい。

 開始準備があるというので、少し待った。


 舞台が始まったいま、ようやくロルと話せるようになった感じだ。


 ちなみにここは楽屋である。

 いまは公演中なので、舞台に立つ者以外が楽屋に控えている。


 ここにいるのは、衣装やセットを受け持つ者、搬入、搬出を受け持つ者など、表舞台に立たなくても、舞台の成功の一翼を担っている人たちだ。


 彼らの視線から守られた仕切つきの場所で、正司は昨日の続きをすることになった。


「今日は、昨日のお話をもう少し詳しく聞きたくて、こうして足を運んだのですが」

「話ですか……うーん、昨日お話したことがすべてですけど」


 たしかに昨日、一通りの話は聞いた。

 だが、クエストの白線はロルを指したままだ。


「少し考えたのですが、たとえば……総代の仕事をふたつに分けるのはどうでしょうか?」


「……といいますと、舞台に立つ者と、後援者や同業者たちと折衝する者に分けるということですか」


「ええ、そうです。兄弟子のシャルタンさんに、総代の仕事の一部を手伝ってもらったらどうかと思いまして」


「なるほど……そういう考え方もあるでしょう。ただ、私どもがよくても、他が納得しないような気がします」


 舞台舞踊は伝統芸能のひとつ。

 総代に求められるものは、きっちり決まっている。


 ただ躍るだけではない。

 総代は、一座を引っ張っていく力も周囲から見られている。


 後援者たちも、総代以外の者が出てきたらいい顔をしないし、総代でもないのに、そのような場所へ出向いても、シャルタンはやりづらいだろう。


 そして総代は、次代を育てる義務を負う。

 次代が育てば、総代は引退する。


 引退後は、ロルのように一座の座長として裏方に回る。

 ようは、すべてをひとりで行うから『総代』なのである。


 総代が一座の顔であり、総代のやり方が一座の色を決める。

 それを分けてしまえば現場や外が混乱するし、本人にもよくない。


「そうですか……難しいですね」

 ロルと話をしていくうちに、何が正しいのか分からなくなる。


 現場に合わせて伝統を変えていけばいいのではとも思うが、それを外部の者が言うべきではない。

 となると、正司ができることも限られてくる。


(結局これって、ロルさんの心次第なのではないでしょうか)


 ガスパールを総代に指名して「本当にこれでよかったのか」とロルは悩んでいる。

「大丈夫です」と自信をもたせてほしいのか、「それはよくない。変えた方がいいです」と背中を後押ししてもらいたいのか。


「ロルさんの気持ちを確認したいと思います。本当のところ、この現状をどう思っているのでしょうか?」

 結局、これが大事なのだ。正司は直球に聞いてみた。


「……正直分かりません。ガスパールが改心してくれればこんないいことはないでしょう。ただ、性格を変えるのは無理でしょう。このままでは、遠からず我が一座は分裂してしまいます。かといって、総代を変えるのは至難の業です。馴染みの客はみな離れていってしまいます。そうなれば、一座の公演を続けられるかどうかも分かりません」


 思考の沼にどっぷりと嵌まって、結論が出せないらしい。

 あまりに悩みすぎて、どうしていいか本気で分からなくなっている。


 この後も正司はいろいろ質問したが、どうにも要領を得ない回答が続いた。

 質問している正司もよく分からなくなってくる。


「……そろそろ公演が終わりそうですな」

「あっ、もうそんな時間ですか」


 公演が終わればカーテンコールが待っている。

 ロルも準備しなければならない。それが終われば代表や総代が楽屋に戻ってきてしまう。


「それではお話はここまでですね」

 タイムリミットがきたことで、正司は席を立った。


「本当にどうしたらいいんでしょうね」

 力なく笑うロルに、正司はどう言葉をかけていいか、分からなかった。


 結局、この日もクエストに進展がなかったのである。


 それどころか、この日から数日経っても、何の動きもなかった。

 ただ徒に、日にちだけが過ぎていった。




 三公会議を終えて、ルンベックは屋敷に戻ってきた。

「お帰りなさいませ、お父様」


「ただいま、リーザ。留守中、何か変わったことはなかったかな」

「今日、お母様に会ってきました」


「ラクージュの町へ戻ったのか? タダシくんの魔法だね。でも、あまり頻繁に行き来するのは感心しないよ」


「分かっています。ただ、屋敷の方も気になったものですから。向こうでは、必要最小限の人にしか会っていません」


「分かっているのならば、それでいい。そのかわり、家臣の目があると常に意識しておいてね」

「はい、お父様」


「屋敷内とはいえ、周囲すべてが味方とは限らない……そういう言い方はよくないか。味方だが、そのせいでキミが困ったことになるかもしれない。言動には十分注意しておくようにね」


「承知しました。タダシと私のこと……ですね、お父様」

「分かっているようだね」


 家臣の中で、いま正司の力に依存しようとする動きが出てきている。

 巨大なトンネルを作ったり、町の外に壁を作ったりと、隠しおおせられないことが多すぎた。


 そして博物館と塔の問題もある。

 正司の情報を知らない者は、家臣の中にはいない。


 そうなってくると、正司の力にあやかろうとする者が出てくる。当然の話だ。

 ところがルンベックは、正司から一線を引いて接している。


 いま正司と親しいのは、リーザかミュゼということになる。


 そしてミュゼは、そういった勢力に対しては相当「したたか」であり、のらりくらりと、得意の微笑みですべてかわしてしまう。


 残るはリーザだが、御しやすしと見て近づいた家臣たちは、みな痛い目をみている。

 ミュゼとリーザ、やはり母娘おやこであったのだ。


「お家騒動はごめんです。タダシの力をアテにした所領運営や、防衛対策、それに人心掌握を考えているのですから、まったく頭がいいのか、悪いのか」


 リーザは嘆息するが、実際表に出ないだけで、家臣の間では、いくつもの領地改革案が話し合われているらしい。


「ああいった魔法は、何かあったときの『おまけ』程度に考えてくれればいいのだけどね」


 ――有益な力なのだから、我が領のために働くべきだ


 一部の分かっていない家臣たちは、そのようなことを本気で考えている。

「バランス感覚が欠如した人たちと話す時間も惜しいです」


 それゆえに、リーザは町を出た……というか、馬車に潜り込んだ。

 弟のルノリーが育ち、立派になるまでに時間がかかる。


 その間をしっかり守っていきたいとリーザは思っているが、家督争いで弟を押しのけたいと思ったことは一度もない。


「そうすると、こっちに来たのは正解だったのかね。……それで、地元の様子はどうだったかな」


「はい。お母様が問題なく処理しておりました。家臣の一部が偽タダシに躍らされたらしく、諜報に入った他国の者たちも混乱しているようです」


「それは傑作だね。タダシくんの容姿は知らせてあるからね。引っかかるのも分かるけど……そりゃ、家臣が引っかかったら、優秀な諜報部隊も引っかかるか」


 写真のないこの世界では、実際に会って紹介されない限り、顔を覚える機会はない。

 今回の場合、容姿の描写だけが先行してしまっている。


 正司本人に会ったことがない者が大勢いるため、ルンベックと一緒にスミスロンの町に来たことすら気付いていない家臣がいるらしい。


 欺瞞工作が成功して嬉しいやら、家臣が不甲斐ないやらとルンベックは思う。

「まあ、ここは喜んでおこうかね」


「それでお父様。三公会議の方はどうなっているのですか?」

 リーザの問いかけに、今まで笑顔を見せていたルンベックの表情が曇った。


「……そうだね。少し話そう」

 その様子から、状況が芳しくないことを察し、リーザは声を潜めた。


「まさか、この前のように意見が割れたのですか?」

 つい先日、ラマ国との間に、戦争が始まりかけていた。


 フィーネ公が賛成して、バイダル公は反対した。

 残るトエルザード公は、中立の立場を貫いた。


 リーザは思う。

 あのとき、開戦に踏み切らなくてよかったと。


「いや、意見は割れていない。それは大丈夫だ。だけどね、少しおかしいんだ」

「……?」


「順を追って話そう。大まかな案件が処理されてきたので、王国を詰ませる話を始めたんだ」


「出発前に、お父様が頑張っていたお話ですね」

「そうだね。想定される問題を事前に予測して、その解決策は出発前に作ってある」


 多くの有力者や商人と、ルンベックは間を置かずに面談していた。

 それもすべて、王国に対抗するため。


「うまく行かなかったのですか?」


「いや、問題は解決しつつある。フィーネ公の借金の額が分かった。予想よりも多かったが、ウチとバイダルが支援することで、返済の目処が立った。これは明るいニュースだ」


「そうですね、お父様。それでも、お金以外の問題もありますね」


「あるね。北の未開地帯に近い町は、いまだ魔物の被害が多い。なにしろ、フィーネ公領の兵が減ってしまっている。だから若手の経験を積ますために、ウチからも防衛の兵を送ることにしたよ。残りは傭兵団だね。幸い、戦争を当て込んで流れ着いた傭兵団が多数いるから、金さえ払えば、防衛の要となって働いてくれるだろう」


「話を聞くと、ほとんど問題が残ってないように思えますけど。王国は、借金をたてにして、フィーネ公領にいくつか要望を叶えさせようとしていたと思いましたが」


 借金がなくなれば、王国のいうことを聞く必要はなくなる。


「そうだね。王国の要望……命令と言った方がいいけど、それは撥ねのけることができると思う。肝心の借金がなくなれば、その辺はどうにでもなるからね。でもそれだけじゃ、現状維持だ」


「はい。王国を詰ませることができないと思います。ですが、お父様。そこから斬り込んでいくのですね」


「分かっているね。王国の商人には敵が多い。王国内ですら、敵対する商人がいるくらいだ。私はそのような商会の代表者と、何十人も面談した。敵対する王国商人をともに商圏から弾きだそうと、一致団結もできた」


「素晴らしいですわ、お父様」


「そうかね? そうかもしれないね。これまでにない成果だ。ラマ国にもその話が広がりつつある。王国包囲網が完成しそうな勢いだよ。これからは、地域密着型の商形態へ移行できるんじゃないかと、私は思っている」


 これまでは、行商人ばかりが得をしていた。

 一般の商人たちは、どうしても品揃えが少なかったり、過剰在庫に怯えて、在庫を少なくする傾向があった。


 資本で負ける商会は、大規模展開できない。

 結局一番大きな利益を王国の商会にずっとかすめ取られていたことになる。


 今回、ルンベックはそんなあり方に一石を投じた。

 為政者が商売に口や手を出してもロクなことにならない。


 だが、現行システムでは、一部の者だけしか大もうけできない。

 こんな不均等な商圏は、上から叩きつぶすしかない。


「ただ少し問題もあってね、平地の多いフィーネ公領では、塩と鉄だけは王国から買い入れるしかない」


「鉄も塩も、ウチにだって余剰はありません。仕方ないですわ」

「ラマ国も同様だね。生産量をあげようとしても、多大な設備投資が必要だし、なにより、恒常的に生産量をあげるには、時間がかかる」


「分かります。ですが、お父様は手を打っていますよね?」


「たしかに余剰はないが、少しならば回せる分はある。それと国境の町を厳しくできれば、無闇矢鱈と荷が出入りするのを防げるようになる」


 鉄や塩のような必需品は、不足すると困ったことになる。

 足りているのか、だれも判断できない場合、どうなるのか。


 不安を煽られれば、買い走りがおき、その間は値段つけ放題。

 完全な売り手市場になってしまう。


「国境の町……そこが肝心ですわね」


「そう。おそらく国境を越えるときしか、荷の数量は把握できない」


「それを防ぐ算段はあるのですか?」

「国境の町の領主さえ説得できれば、問題ない。そして私が通ってきたところは問題がなかった。王国が塩と鉄で仕掛けてこようとも、流通量さえ把握していれば、町民の不安は抑えられる」


「やはり、お父様の思惑通りに進んでいると考えますが……何がいけないのですか?」


「フィーネ公領への援助は問題なかった。今後の布石も打てた。商人たちの団結はこれからだが、感触もいい。このまま行けば、王国を詰ませられる。あとはミルドラルとラマ国の親密な関係……同盟関係が必要になってくる」


 両国が同盟を結んだのちに不戦条約を締結すれば、王国が何をやろうとしても意味をなさなくなる。


「……もしかして、駄目だったのですか?」

 リーザの問いかけに、ルンベックは静かに頷いた。


「フィーネ公は、ラマ国と戦うのは賛成のままだ。バイダル公は反対。現時点では私も反対だね。だけどもし、フィーネ公が独自に戦いをしかけたら……」


「ミルドラル全土が戦争をしたのと同じになりますわ」

 それがミルドラルの法である。


 どこかの公領が戦争した場合、他公領は拒否できない。

 全力で支援することが義務づけられている。


 公領を見捨てない。

 それがミルドラルであり、すべての公領が守るべき法である。


「フィーネ公は、そこだけはがんとして譲らなかった。王国に操られているのだと私は予想したが、その理由が分からない」


 ミルドラルがラマ国と戦争しなければ、王国は手出しできない。

 そして王国がラマ国と戦争する方法はふたつ。


 ひとつは、ミルドラルとラマ国が戦争し、王国が巻き込まれた場合。

 その場合、王国はどちらへ宣戦布告してもいい。


 もうひとつは、王国とミルドラルが戦争し、王国が勝利した場合。

 ミルドラルを支配すれば、ラマ国へ攻め入るように命令できる。


「王国はてっきり、ミルドラルに攻め入ってくるものと思っていましたが」


「その可能性は高いね。ラマ国より開戦の敷居が低いから、選択肢の中に入っていると思う。しかも上位に位置しているだろうね」


 ただ、いまのところ、王国はミルドラルと事を構えようとはしていない。


 これはまだ、王国の準備ができていないことが予想される。

 八老会で開戦が決定され、その後準備にはいるものと思われる。


 そして王国が戦う場合、傭兵団を多数雇うため、金と人の動きで丸わかりだ。

「それでも、ミルドラルに攻め入るには、一大決心が必要ですわ」


 ミルドラルの団結力は馬鹿にしたものではない。

 他にもラマ国との関係もある。


 そして最大の懸案事項。

 突如出現した大魔道師の存在が、大きい。


 正司の存在が、王国に二の足を踏ませているものと思われる。


「なんにせよ、三公会議はまだまだ続く。時間をかけてフィーネ公を説得していくことになるだろうね」


 幸い、王国関連の議案は早い内から審議されている。

 他の議案もあることから、会議はこの後も続けられる。


 折を見て、フィーネ公の気持ちが変わるよう、説得していくとルンベックは語った。




 その頃正司は、与えられた部屋で悩んでいた。

 ここ数日、ずっとクエストが停滞しているのである。


(なんというか、フラグが立たないゲームをやっている気分ですね。延々と話を聞いて回っているような……)


 昔のゲームによくある、特定の誰かと話さないとゲームがまったく進まない状況に陥っていた。


(明日もロルさんのところへ行きますか。でも、頻繁に顔を出しても、話すことはないですし……それ以上に、嫌がられたりしないですかね。少し間をあけましょうか)


 クエストを進行させるには、時間、人、場所などが重要なのだと正司は理解している。

 おそらく今、そのどれかが足りないのだ。


 ただ、クエストが進まないからといって、後回しにすると手遅れになることも考えられる。

(やはり、明日もお邪魔することにしましょう)


 これは正司のクエストであると同時に、ロルの悩みでもある。

 正司の場合、クエストが失敗しても、貢献値が入らないだけだ。


 ロルはどうか。

 正司がクエストを失敗したとき、一座はどうなるのか。


 それを考えると、これはただのクエスト……などとは言えない。

 全力で当たるべきである。


「よし、明日も行きましょう。そうと決まれば、早く休んだ方がいいですね」

 正司はベッドに入って就寝した。




 翌朝、ルンベックは会議のために早くから屋敷を出て行った。

「さっ、タダシ。今日も行くんでしょ?」

 朝食もそこそこにリーザは正司を連れ出そうとする。


 それに対し、正司は首を横に振った。


「今朝考えたのですけど、できれば今日、他の舞台舞踊を見ようと思うのですけど」

 正司が見たことがあるのは、ロルの一座のものだけだ。


「ロルのところへは行かないの?」

「いえ、その後で寄るつもりです」


「そうね。そういうのもいいかもね。演芸場は他にもいくつかあるし、私も見てみたいわ。だったら、次に有名なところへ行ってみましょう!」


 もとよりリーザは、舞台舞踊は大好きだ。

 聞いてみたところ、留学中に王都で、何度か見たことがあるらしい。


 かねてより、一度本場で見てみたかったそうだ。


 リーザに連れられて向かったのは、少し小さめの演芸場。

「ここも人で一杯ですね」

「そうね。舞台舞踊はどこでも人気があるもの……こっちに来なさい」


 リーザに連れられて、演芸場の中に入る。向かうのは貴賓席だ。

 ちょうど最初の舞台が始まるところらしい。


 正司とリーザは、午前中をその演芸場で過ごした。


「……それで公演はどうだった?」


 演芸場にはレストランが併設されている。

 値が張るものの、個室が利用できるらしく、リーザは休憩のときに予約しておいた。


「私は舞踏についてまったくの素人ですけど、ロルさんの一座の方が素晴らしいと感じました。とくに総代の差は一目瞭然でした」


 ロルがガスパールを「十年に一人の逸材」と評しただけのことはある。

 最初にガスパールの舞踏を見ているせいか、正司が今日見た舞踏は、どことなく地味に思えたのである。


 地味……総代に華がないのである。


「そのくらい違いが分かるなら、いい感性を持っていると思うわ。タダシも早くこっち側に来なさい」

 カラカラと笑うリーザ。どうやら正司の回答はお気に召したらしい。


「先ほど看板を付け替えているのを見ました。午後には別の一座が行うみたいですね」

「午後のは少し変わった趣向の公演ね。代表が大勢で舞台に立つらしいわ」


 レストランの壁には、次の演目が掲示されはじめた。

 載っている演者の一覧が多い。


 午前中に見たのは、常時四、五人が舞台に立って躍るものだった。

 午後はその三倍くらいの人数が舞台に上がるらしい。


「そういう売り方もあるんですね」

 日本でもセット売りのアイドルがいたなと正司は思い出す。


 正司がまだ小さかった頃、アイドルといえば二人とか三人のグループ。

 多くても四人で売り出すことが多かったが、最近は十人を軽く超えるアイドルが主流らしい。


「そろそろ始まるから行きましょう」

「そうですね……って、リーザさん!?」


 リーザは上機嫌で正司を引っ張った。

 どうやら早く席に着きたいらしい。席はキープしてあるのだが……。




 午後もそこで公演を見た。

 夕方近くになって、ようやく正司とリーザは、ロルのもとを訪れた。


 周囲は暗くなり、もう夜になろうとする時間帯だ。

 それでも演芸場は、まだまだ活気に満ち溢れている。


「今日は夜の公演なのですね」

 二人が訪問したとき、ちょうど公演の真っ最中だった。


 楽屋の中は、いつも通り。

 座長のロルを除けば、舞台に立たない者がいるだけだ。


「毎日、上演時間は少しずつずれるのです。その時間帯で仕事の都合の付く方がいらっしゃいますから」

「なるほど……ということは、明日は午前中からですか?」


「いえ、明日は休みです。明後日は常連の方との触れ合いの日ですね。その翌日は稽古日です。次の公演は、四日後となります」


 どうやらローテーションがしっかりと組まれているようだ。


 上演日や演目、上演時間は前もって発表してあるため、観客たちはそれに合わせて時間を都合つけるのだという。

 よく考えられているなと正司が思っていると、外が騒がしくなった。


「おかしいですね。公演はまだ続いているのですけど……」


 夜の公演は、日中とは違った趣を見せている。

 上流階級の人たちが多くやってくる。彼らはここを社交の場として利用する。


 客層が上品であるため、あまり騒がしくなることがない。

 一座の人がやってきて、ロルに耳打ちした。


「すぐにお通ししろ……失礼。どうやら客人がこられたようです」


 少しして楽屋に現れたのは、ルンベックを先頭とした七、八人の集団だった。


 楽屋は広い。

 衣装も小道具も置いてあるとはいえ、楽屋は何十人もの人間が着替えたり、休憩したりする場である。


 正司たちは、その一番奥まったところでロルと会話していた。


 そこへ現れたのがルンベックたちである。

 正司とリーザを見つけ、一瞬だけ硬直する。


「……ん? なんじゃ?」


 ルンベックの後ろから顔を覗かせたのは、コルドラード・バイダル。

 バイダル公本人である。


「あっ、コル……痛っ!」

 正司が声をあげようとして、リーザにスネを蹴られた。

 黙ってろということだ。


「おお、タダシ殿ではないか。こんなところで会えるとは! 奇遇ですな」

 リーザの願い虚しく、バイダル老公が声をかけてきた。


「コルドラードさん。お久しぶりです」

 正司が軽く頭を下げている間に、リーザがスッと前に出た。


「コルドラード様、お久しぶりでございます。『リザ』でございます」

「おおっ~…………リザ殿も、お久しゅう」


 すぐに事情を察し、バイダル老公は話を合わせた。

 この辺の機微について、バイダル公はよく分かっている。そして……。


「トエルザード公……このタダシという方はもしかして……?」

 ルンベックの後ろには、肘に手をあて、正司をじっと見ている女性がいた。


 現フィーネ公のルソーリン・フィーネである。


「ああ、『彼』だ」

 仕方なく、ルンベックは正司をそう紹介した。


 魔道士の情報は国家間でやりとりされる。そのくらい貴重である。

 正司がしでかした事の大きさは、当然フィーネ公の耳にも入っていた。


 といっても分かるのは名前くらい。

 それ以上になると、ガードが堅くて、有益な情報は一切入ってこない。


 ゆえに正司をみたルソーリンはまず「若い」と思った。

 高齢な大魔道士を想像していたため、正司を見て驚くとともに、恐ろしさも感じた。


 同時に、「これはミルドラルの外には出せない」とルソーリンは納得し、あとに続く言葉を飲み込んでいる。


「それでルンベックさんは、どうしてここに?」

 不思議そうに正司が尋ねると、ルンベックは苦笑して答えてくれた。


「今日は会議を少し早めに切り上げてね。舞台舞踊を観賞しに来たんだよ。と言っても最後まではいられないから、座長に挨拶して帰るつもりだったのさ」


「なるほど、そういうことだったんですね」

 納得顔の正司とは裏腹に、ロルの顔色が冴えない。


 リーザがロルとの面会を所望したとき、トエルザード家の紋章を掲げてきた。

 それはトエルザード家が認めた者しか持てないもので、正司も実は同じものを所有している。


 ロルは、演芸場の支配人からそれを聞かされ、正司とリーザ(ここではリザ)が、上流階級の人間であると理解していた。


 そしていまの会話。

 ルンベックやコルドラードの名前は、ロルだってよく知っている。


 そして一緒に現れたのは、紛れもなくこの町の当主、ルソーリン・フィーネである。

 つまり、三公がこの場に集まったことになり、そこに何食わぬ顔で会話に参加できる正司は一体何者なのか。


 思った以上に、正司は大物だったとロルは理解した。

 そのことが分かって、ロルの背中に冷たい汗が流れはじめた。




 ルンベックたちが座長に挨拶しにきたというので、正司とリーザは脇に退いた。


 そして三公はそれぞれ、ロルに今日の舞台の感想を述べた。ロルにとっては大変名誉なことである。


 本来ならば、満面の笑みを浮かべるところだが、どうにも正司のことが気になるようで、チラチラと会話が途切れたときに、無意識に目で追っている。


 それもそのはずで、ここ数日、毎日ロルの所へやってきていた人物が、三公相手に気さくに話せる人間だとは思っていなかった。


 どのような人物なのか、かなり気になっているようだ。


「それはそうと、タダシくんがここにいるということは、誰が悩みを抱えているのかな」

 ルンベックは周囲を見回した。以前リーザから聞いた話から、大凡の見当はついているが、それはおくびにも出さない。


「そうじゃな。流れからすると座長の悩みかのう」

 コルドラードも、正司が人の悩みを解決するために行動していることを知っている。


「その悩みというのは一体?」

 唯一、事情を知らないのはルソーリンだ。


「タダシくんは、人の悩みを解決することを信条としているようでね。本人は、『クエストを信奉している』と言っているけど」


「人の悩みを……解決?」

 ルソーリンは首を傾げる。


「フィーネ公も知っておいた方がいい。タダシくんはそういう人物だ。それで、悩みを抱えているのは、誰かな?」


 ルンベックにここまで言われては、ロルも黙っているわけにはいかない。

「私でございます」と消え入るような声で答えた。


「当代随一という総代を抱えている一座の座長に悩み? それは私も気になりますね」

 ルソーリンの目が光った。


 楽屋に三公がやってきたことで、一座のメンバーは席を外している。

 ここにいるのは、ロルと正司たち。そして三公とその護衛だけである。


 フィーネ公が「気になる」と言えば、ロルとしても話さないわけにはいかない。

「実は……」


 ロルはポツリポツリと、自らの悩みを語るのであった。




「やあ、良い天気ですね」

 ぼろろん。


 町の間を行き来する馬車の上で、リュートを奏でているのは、もちろんオールトン。

 周囲の乗客も、最初はそんな様子を物珍しがって見ていたが、いまでは苦笑いしている。


「こんな日は、創作意欲が湧いてきますね」


 そう言うわりには、先ほどから悲しい旋律ばかりだと乗客たちが思っていると、馬車の車輪が石を引っかけたようだ。


 ゴトンと馬車が揺れ、オールトンはバランスを崩す。

「きゃっ」


「これはお嬢さん。申し訳ありません。手をついてしまいました。私の不注意ですね」

 女性の足下に手をついたオールトンは、優雅に謝罪する。


「い、いえ……」

 上等な服を身に纏い、苦労したことのなさそうな顔のオールトン。


 どこかの御曹司だろうと、乗客たちは予想している。

 多少浮き世離れしていても、気にしないようだ。


「そういえば、この馬車……どこへ向かうのでしょうね」


 ――ぶふぉおっ!


 乗客全員が噴いた。

『目的地すら分からずに乗っていたのか!』と、心の中で全員が突っ込んだ。


 浮き世離れするにも程があると、周囲が困った顔をしていると、先ほどの女性がおずおずとした様子で答える。


「この馬車は、スミスロンの町に向かっていますよ」


「ほう……スミスロンといえば、知っていますか? フィーネ公の住む町なのですよ」


『知ってるわっ!』と、やはり乗客から心の中で突っ込まれた。


「そうですね。いまは三公会議が始まっているとかで、人も物もたくさん集まっているようです」


 かくいうこの女性も、多くの物が集まるということで、わざわざ町に買い物にきたのだ。


「ほう、三公会議ですか。それは知りませんでした」

 三公会議の開催は、別段秘匿されているわけではない。


 ただ、大っぴらに話すようなことでもなければ、普段の会話の中であがることもない。

 たまたまオールトンの耳に入らなかったようだ。


「しかし、そうすると……どうしましょうね」

 オールトンは悩む。


 三公会議といえば、ミルドラルの三公が集まる会議である。

 当然、当主のルンベックも来ているはずである。


「……まっ、会うこともないでしょう」

 一瞬で結論を出したオールトンは、そう独りごちる。


 ――ぼろろん


 晴天の下で、リュートの音色が風に乗って、流れていった。


 フィーネ公をめぐる物語は、ここで風雲急を告げる。



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