066 三公会議
スミスロンの町の中央に、大きな建物がある。
そこにトエルザード家、バイダル家、そしてフィーネ家の三当主が顔を揃えた。
賓客をもてなすために建てられたこの建物は、いま多くの人でごった返している。
そこの奥まった一室で、これから三公会議が開かれようとしている。
「ルソーリン殿は、初めてであろう。会議は長期に亘って続けられる。気を長く持って、臨んでもらえるとありがたい」
「夫から三公会議の様子は聞いております。問題ございません」
「そうじゃったか。それは重畳。……では始めるとするかの。よいかな、トエルザード公」
「ええ、私は問題ありません」
「うむ。ではこれより、三公会議をはじめよう」
一番の年嵩であるバイダル公が開始の音頭をとった。
ここで話し合う内容は、多岐にわたる。
何度も小休止を挟み、ときに部下からの報告を受けつつ、決まったものから速やかに事務方に移され、次々と別の審議が話し合われてゆく。
すぐに決まるものもあれば、一度持ち帰るしかないものもある。
できるだけ三公が集まったときに決めてしまいたいが、思いもかけない理由でそれが難しい場合もある。
簡単な議案は即時処理され、日を追うごとに複雑な議案だけが残っていく。
できるだけすべての議案が承認されるよう、三人は協力して動くことになる。
「これは……なかなか疲れるものですね」
会議が始まって六時間と少し。
間に二度休憩を入れたが、その時間は部下との打ち合わせに使うため、三公に休んでいる時間はない。
「なに、本日は初日だからな。あと四、五時間で終わるだろうよ」
バイダル公が、年齢を感じさせないくらい元気な声で答えた。
「会議の間、ずっと気を張る必要はないのですから、気長にやりましょう」
トエルザード公も多少の疲れを見せるものの、まだまだ続けられそうだ。
「お二人の言っていた意味が、いま分かりました」
すでにここまでの会議で、残った議案はいくつかあった。
明日の会議で再提出されることも決まっている。
三公会議が終わっても、家に帰ってその調整が残っているのだ。
初日から気を張っていては、途中で倒れることになりかねない。
「さあ、次の議案はなんじゃ?」
「雇った傭兵団が国境付近に魔物を追い立てているとラマ国から苦情が出ています。国境の軍備と魔物狩りのあり方を今一度、しっかりと決めた方がよいようですね」
「ふむ。先日の軍を配備したときも、似たような話は来ておったわ」
「そういえば、そうですね。我が領経由でバイダル領へ伝えてほしいと、ラマ国の国主より依頼が来ていました。ラマ国としても無用な争いは避けたいのでしょう」
「三公と同じ取り決めは難しいしのう……どうしても軍配備は神経を使う」
「そういうことです。ラマ国が納得できる返事をするとともに、自領の安全も守る策を練り直しましょう。幸いなことに、部下が作った草案が間に合いました。これを見て下さい」
「どれ見させてもらおう」
「私も拝見致しますわ」
こうして三公会議の初日は過ぎてゆく。
その頃、正司とリーザはスミスロンの町の演芸場にいた。
スミスロンの町を発祥とする舞台舞踊を観賞したのである。
演者と観客が一体となって行うそれは、一種独特な芸術作品だった。
本来ならば、「あー、面白かった」とその場を後にするのだが、今回は違う。
演目が終わって、さあ帰ろうという段になって、正司が珍しく我が侭を言った。
どうしても、『最後に出てきた人物』に会いたいというのである。
「珍しいこともあるものね。またクエストかしら」
「はい。あの人がクエストを持っています」
「そう……なの? だったら、そうね。何とかできるかもしれないわ」
何故クエストが分かるのかと、リーザは聞かない。
すでにリーザは、「正司はそういうもの」と認識している。
「何とかできるのですか?」
「ええ……おそらくね。私は魔法は使えないけど、魔法みたいなものは使えるもの」
「……?」
「黙ってみてなさい、タダシ」
「はい」
その後、何をどうしたのか、正司には分からない。
リーザは、次々と演芸場の人と面会し、少しずつ上の者に取り次いでゆき、最終的には正司の願いを叶えてしまった。
リーザが使った「魔法みたいなもの」。
それはまさしく「権力」という魔法であろう。
「私が座長のロルと申します……なんでも、私にお話があるとか?」
やってきたのは、髪に白いものが交じっている50代後半くらいの男性である。
マップには、しっかりとクエストマークが表示されている。
まさに正司が求めた人物。それをリーザは、ちょいちょいと話すだけで呼び出してしまった。
「突然呼びたてて申し訳ないわね。ゆえあって、私は名乗れないの」
今回、幾分柔らかい表現を使っているものの、リーザの言動は、上流階級のそれである。
「分かりました。それでは、何とお呼びすれば……?」
「話は彼がするから、私のことは無視していいわ。それでも不便でしょう。私のことは、リザと呼ぶことを許します」
「リザ様ですね。畏まりました」
ロルは深々と頭を下げた。
どうやら座長のロルは、リーザの素性を高貴な人物と認識しているようだった。
座長という肩書きを持っていることから、上流階級の人と話をする機会も多いのだろう。
(さすがリーザさんです。普段から人に命令し慣れているだけのことはありますね)
自分は関係ないといいつつ、リーザはこの場を支配していた。
ちなみにリザというのは、旅の途中でリーザが使用していた名前である。
やむにやまれず、名乗るときもあったのだ。おもに正司のクエスト関連で。
そしてロルを前にしての名乗り方。
明らかに偽名だと分かるが、ロルは気にしていないようだ。
上流階級には色々あると思われたのだろう。
「では、この者が話すわ」
リーザに促されて、正司はひとつ咳払いをした。
「急にお呼びだてして申し訳ありません。私はタダシと申します。実はクエストというものを信奉しておりまして……」
正司は最初に自己紹介し、その後、お決まりの話をした。
あとは、ロルの反応待ちである。
一方のロルは、目の前にいる相手が貴族であると理解している。
三公会議に合わせてやってきたのだろうと予想もできた。
他領の貴族、しかもかなり上位に連なる者だ。
これは下手な対応はできない。
だが「なぜ自分に用事がある?」とも思う。
そのため、ロルは黙って正司の話を聞いていたが、それは何ともおかしなものだった。
「そうですね、いま伺ったお話を整理させてください」
「はい、質問がありましたら、できる限り答えたいと思います」
「質問というかですね……私がいま困っている事があり、それをタダシ様が解決すると……そう仰っていますか?」
「はい。単刀直入に言えば、そういうことです」
「…………」
やはり自分の聞き間違えではなかった。
ロルは困ってしまった。
たとえばこれが、何それという町に行って、公演をしてほしいというのならば、待遇を聞いて、スケジュールと相談しながら決めることができる。
それ以外の依頼でも、無理難題でなければ前向きに考えてもよい。
だが、いまロルが聞いた話は、予想していたどれとも違っていた。
「ロルさんの悩みをぜひ私に解決させてください」
「そう言われましても……」
なぜか知らないが、「悩み」があること前提で話が進んでいる。
それにはロルは大変困惑した。
悩みがない……のではない。あるのだ。
たしかにロルはいま悩んでいる。間違いなく悩んでいる。
悩みはある。だがそれは、『誰にも』話していない。
相談どころか、周囲に匂わせてすらいなかった。
だからこそロルは不思議に思った。
正司の言葉が「あてずっぽう」とも思えなかった。
(なぜこうも確信を持って言えるのか……)
ロルは、マジマジと正司の顔を見た。
「どうでしょうか?」
ロルはゆっくりと息を吐いた。
「……そうでございますね。誰にも話したことがない悩みですが、ひとつだけございます。本日の公演は、ご覧になったのですね」
「はい、見させていただきました」
「それはようございました。毎回、出来上がりが違うのですが、今日は私が見ても大変良いものだったと思います。総代が観客を魅了し、各代表もまた総代をよく助けたと思います。そして観客が演者と一体とならねば、あれほどの完成度はそうそうできあがりません」
「なるほど、演者と観客の双方がよくないと、公演は成功しないのですね。お話を聞くと、舞台舞踊というのは大変ですね。見ている私は、大変楽しませていただきましたけど」
「大変な部分はありますが、みな力を合わせてやってくれています。私はそれが嬉しく、また誇りにも思っています」
ロルはそこで肩を落とした。
「舞台は成功したのですよね。何か不満があるのでしょうか」
「いえ、不満はありません。ですが最近、これで良かったのかとずっと……考えているのです」
「どういうことですか?」
「いまの総代は、十年に一人の逸材です。それは間違いありません。ですが、総代に相応しいのは、もう一人いるのです。私は、自分の選択が本当に良かったのか、ずっと悩んでいます」
この舞台舞踊は、師弟制を採用している。
ロルには何人かの弟子がおり、その中で抜きん出たのが、シャルタンとガスパールだった。
「兄弟子のシャルタンは非常に気さくな感じで、人望もあります。人当たりがよく、皆に好かれます。黙っていても周りに人が集まる……シャルタンはそんな人間です」
「人を導くには、理想的な人ですね」
「はい。私もそう思います。弟弟子のガスパールは芸術肌といいますか、やや偏屈ですが、自分に厳しい。それはもうストイックな性格をしています」
ロルは一瞬、遠い目をした。
どうやら昔を思い出し、懐かしがっているようだ。
「ある日、私は確信したのです。ガスパールには、余人にはない舞踏の才能があると」
「…………」
弟弟子が兄弟子を抜く。それは稀にあることらしい。
そしてロルは言った。日々見ていても分かる。「二人の差が開いていった」と。
「次第にそのことが知れ渡りました。もう技量の差は、誰の目にも明らかでした。ガスパールは、十年に一人の逸材。私はそう確信しました。ゆえに次の総代にガスパールを指名したのです」
ガスパールは当然とばかりに首肯し、他の代表たちもそれを受け入れた。
その頃には、誰が見てもシャルタンの技量をガスパールが越えていたのだから。
「シャルタンはそれを根に持つタイプではありません。彼の技量は十分総代としてやっていけるレベルにあります。本人もそれが分かっております。ただ、ガスパールがそれを軽く越えていただけです」
総代がガスパールに決まり、一座は新しい体制でスタートを切った。
その直後から、全体の雰囲気がおかしくなったという。
「何かあったのですか?」
「ガスパールは良くも悪くも、芸術家肌の男です。舞台の上で映えるのは間違いありません。ですが、普段は取っつきにくく、また他者とのコミュニケーションも容易に取れません」
総代はなにも「舞台の上」だけで活動するのではない。
稽古も率先して代表たちを引っ張ってゆかねばならないし、新しい演目も考える必要がある。
支持者や支援者たちとの会合もあれば、同業者たちの集まりだってある。
総代は一座の顔なのだから、稽古と同じようにそれらも大事にしなければならない。
つまり総代は、一座のだれよりも忙しいのだ。
「最近、一座の中でトラブルが多発しております。そのほとんどにガスパールが絡んでいるのです。また一座の外でも同様にトラブルが増えてきました。私は何度が注意したのですが、本人の性格はなかなか変わりません」
ガスパールは、自分に厳しい。周囲にも厳しい。
それは稽古に厳しいことを意味する。
ガスパールは、自分と同じ完成度を求めるため、一部の代表たちはついて行けなくなっていた。
そうなってくると、関係は徐々に悪化してくる。
「いままったく口も利かなくなってしまった者もおります」
ガスパールが演目や稽古に真剣になればなるほど、他の代表との温度差が浮き彫りになってくる。
いまはロルやシャルタンが取り成しているからよいが、このまま行けば、遠からず代表たちが暴発してしまうかもしれない。
「原因はそのガスパールさんにあるのですか?」
「そうですね……彼は誤解されやすいところもありますが……それでも彼が原因を作っているのは間違いないでしょう」
コミュニケーション不足だけではない。
ガスパールが求めるものが高すぎて、他の代表がついていけないことも問題である。
また、総代の他の仕事を蔑ろにするのも、ロルが困っている要因となっている。
会合があったとして、総代がいつも欠席では、他所様を軽んじていると言われても仕方ないのだ。
「最近、つくづく思うのです。天才は孤高であると。天才に通常の業務を任せてはいけないのではなかったかと」
「なるほど……仰りたいことは分かります」
それは、「良い」とか「悪い」で簡単に判断できる話ではない。
人には得手不得手がある。
そして適材適所という言葉も。
話を聞くだけでも、ガスパールの性格は分かる。
正司の会社であれば、「営業職に向かない」と適性診断されることだろう。
取引相手から理不尽な言葉を投げつけられたとき、笑って膝を屈することができないタイプは営業には回さない。
ガスパールはおそらく、研究職や技術職に就くと成功するタイプである。
「そうすると、ロルさんの悩みというのは、ガスパールさんの総代についてになりますか?」
「その通りです。このまま行くよりも、シャルタンに総代を変えた方がいいのではないかと私は思っています。ですが、観客はどう思うでしょう。十年に一人の天才を降板させて、一流の技量を持っているとはいえ、明らかに見劣りする者が総代になったとき……長年の愛好家たちは怒り出すのではないかと思うのです。そして離れていってしまうでしょう」
それは観客を裏切る行為だと、ロルは言った。
結局、どうしたらいいか分からない。考えれば考えるほど悩んでしまう。
けれど解決策がない。それが現状らしかった。
「以上が私の悩みです。タダシ様はこれを解決してくださるので?」
話を聞いたあとならば分かる。この問題に、万事うまく収まるような解決策はない。
ロルが正司に問いかけると、目の前に『クエストを受諾しますか? 受諾/拒否』という一文が表示された。
「お話は分かりました。私に解決のお手伝いをさせてください」
そう言って正司は、『受諾』を押した。
言ってみたものの、引き受けるとは思わなかったのだろう。
正司の言葉にロルの頬がやや引きつった。
この舞台舞踊は、スミスロンの町内でも十ほどの一座が存在している。
みなそれぞれにファンがつき、舞台舞踊文化発祥の地として、日々、腕を競い合っているという。
「座長というのは、引退した総代の名誉職なのですね」
「はい、そうです。ガスパールはまだ若く、総代を引き受けるには最低でもあと五年は必要と、周囲に言われました」
芸事は、経歴がものをいうらしい。
だが、そんな言葉もガスパールは実力で撥ねのけてしまったという。
ロルの弟子の中には、ちょうどよい年齢の者もいたようだが、中継ぎで総代を決めたところで、揉め事が増えるだけ。
そう考えて、一気に新体制へと移行させてしまったらしい。
それがここへきて悩んでいるというのだから、誰にも相談できないわけである。
「ひとつ分からないのですけど、問題があるのでしたら、普通は改善するか、人を変えるかしますよね」
ガスパールの性格に難があり、このままでは内部崩壊しかねない。
総代を変えると観客が納得しないとはいえ、観客は一座が自滅することを望むとは思えない。
解決の糸口はあるのではないかと、正司は思うのである。
「一番は、私の気持ちかもしれませんね。ガスパールの舞踏はとても素晴らしいものです。一座を失ってもいいほどに……そう思うからこそ総代交代に、踏み切れないのだと思います」
座長のロルすら魅了してやまないガスパールの舞踏。
スミスロンの町の観客はみな、目が肥えている。
彼らもまた、同じ気持ちなのかもしれない。
天才を差し置いて、努力の人が頂点に立つのは許されないと思うほどに。
「お話を聞けば聞くほど、答えのない問いに聞こえますね」
「やはりそうですか。だからこそ、解決策がないとも言えますね」
今回のクエストは、これまでと大きく違う。
果たして、ベストな解決方法はあるのだろうか。
「華やかな世界に見えたけど、悩みはあるものね。ウチも他人事ではないのだけど」
帰路、馬車の中でリーザは首を横に振った。
「どういうことですか?」
「トエルザード家だって同じってことよ。家臣の中には、私を次の当主にと推す声もあるわ」
リーザと親しい者たちは、彼女に次代を担って欲しいと願っているらしい。
女性当主は珍しくないらしく、過去何人もいたという。
どうやら地球と違って、女性が継承することもままあるという。
「でもいま、ルノリーさんが跡継ぎとして育てられていますよね」
「そうね。でもあの子に何かあった場合、後継者の教育をそのあとからしても遅いでしょ」
「つまり、リーザさんも幼少時からそういう教育を受けているのですね」
「そう。私の場合、声が大きくなる前に留学しちゃったけどね」
正司は再度納得した。
妙に人に対して命令し慣れているのは、教育の賜だろう。
そして若くして単身で他国へ留学したのも、勉学とは別の理由が存在していたことになる。
「後継者というのは、大変ですね」
「……まあね。大変なのよ、本当に」
リーザが自領へ戻ってきたことで、次期当主の話は再燃している。
しかも、今回は正司が巻き込まれている。本人の知らないところで。
というのも、リーザが当主として君臨し、正司がその補佐をすればいいと思う者たちがいるらしい。
今はまだ潜在的なものだが、これが家臣たちの共通認識になった場合、どのような変化をトエルザード家内にもたらすか、まったく予想できない。
「権力というのは、持てば持ったで大変なんですね」と、一歩離れたところで感想を述べている正司を見て、リーザは深いため息を吐くのであった。
「そうね。大変なのよ」
トエルザード家の後継問題が表面化したとき、台風の目にいるのは、間違いなく正司なのだから。
一方で正司は、まったく別のことを考えていた。
(なぜ、白線がロルさんから動かないのでしょう)
クエストを受領したあと、マップには次の行き先が表示される。
それを辿って……正司が思っていたら、なぜか白線はロルを指したのだ。
(つまり、まだ話を聞き出さなければいけないことがあるわけですね)
クエストを受けたあとも、正司はロルと話すことにした。
それなりの情報を得た後でも、白線は動かない。
(次の目的地が現れない場合はありましたが、あれとは違います。白線はロルさんを指しているわけですから、また会う必要があるのは確実です)
会って話をすればいいのか、それとも別のイベントがおきるのか。
正司はマップを目で追いながら、明日はどうしようかと頭を悩ますのであった。
その日の夜遅く、会議を終えたルンベックが屋敷に戻ってきた。
「お帰りなさいませ、お父様」
「まだ起きていたのか」
「ええ、少し報告がありますので……その前にですが、会議はどうでしたの? しばらくは難しい案件もあまり出ないと聞きますけど」
「半分は即決だね。問題ない。残りは譲歩しつつ決着つけたのもあるし、そうならなかったのもある。明日以降も引き続き議論を重ねていく感じかな。それで、話っていうのは、何かな?」
「タダシが新しいクエストを見つけたみたいです」
――ブフォォ!
ルンベックが口に含んでいた水を噴き出した。
喉の渇きを癒やすために、使用人に持ってこさせたものの半分が霧となって室内に舞っている。
「お父様、汚いですわ」
「……す、すまない。ちょっと動揺してね」
正司とクエストという組み合わせは、口に含んでいたものを噴くくらいには、トラウマになっているようだ。
「クエストの内容が気になりますか? 舞台舞踊一座の後継問題が焦点です」
「舞台舞踊というと、演芸場などで催されている、あれかい?」
「ええ……とある一座の総代についてですね。座長がどうしたらいいか悩んでいるそうです」
「そうかい。それはよかった。また魔物やら害虫やらで困っている村人が助けを求めてきたら、どうしようかと思ったけど」
正司は、クエストを成功させるために、その原因となったものをすばやく取り除こうとする傾向がある。
魔物に脅かされている? だったら殲滅しましょう。
害虫のせいで作物が全滅しそう? ならば殲滅しましょう。
そんな感じで解決してしまうものだから、周囲への影響力が凄まじいことになっている。
「タダシくんが関わったとしても、後継者問題ならば安心だね」
「そうそう変なことはおきないと思います。ウチの場合でしたら、分かりませんけど」
ルノリーとリーザを推す勢力が争うことになったらどうなるのか。
トエルザード公領を巻き込んだ一大抗争に発展しかねない。
「それは大丈夫だよ。引き受けてくれと言っても、彼は逃げ出すだろうからね」
その言葉に、リーザは一瞬だけ動きを止めた。
リーザは次代のことを話したのに対し、ルンベックは当代のことだと勘違いして、ルンベックとオールトンが当主の座を争うと思ったのだ。
察しの良いルンベックにしては珍しいことだが、単純な勘違いをするあたり、やはり日中の会議の疲れが残っているのだろう。
「そういえば、叔父さまの消息はいまだ……ですね」
どこで何をしているのやらとリーザはあきれ顔で言った。
「きっと今頃、存分に羽を伸ばしているだろうね。でも勘違いしてはいけないよ。彼はあれで、私たちにはない直感で動いているからね」
「どうでしょう。私にはその辺はあまり分かりません」
オールトンのことは、リーザも幼い頃から「よく」知っている。
奇行は数知れず、言動も浮き世離れていて、話が通じないことも多い。
あれもまた、芸術家肌の人間であるとリーザは考えている。
(総代のガスパール……あれも叔父と同じタイプの人間なのかしら)
だったら、とことん話が合わないなと、リーザはひとり嘆息した。
同時刻。
フィーネ公領最北にあるカーフェンの町。
「へえ、あのとき本陣近くにいたんですか」
場末の酒場で、オールトンは今日も酒を飲んでいた。
といっても本人の酒量はそこそこ。嗜む程度にしか飲んでいない。
その分オールトンはよく喋り、よく謳う。
酔客を見つけては酒を奢り、話を聞いてまわった。
「あのとき、撤退の命令は出なかったな。不思議だったよ」
男は鼻の頭を真っ赤にしながら、トロンとした目をオールトンに向けた。
「魔物の大軍がやってきて、先代様が時間を稼いだって聞きましたけど」
「時間を稼いだか……たしかにそうだったかもな。オレにはよく分からん。戦場は混乱してたし、魔物と人が戦う音がそこかしこで聞こえていた。何がどうなっていやがるのか、正確に知っているやつなんか、いなかったよ」
「激戦だったらしいですね」
「そうだな……思い出したくないが、忘れることもできねえ」
親しい者が傷つき、亡くなったと男は言った。
「辛い記憶だったんですね」
「それでもオレは幸せな方だな。あの時、心をやられちまった奴も多い。夜中に飛び起きるくらいならまだマシな方だ。怖いんだか、怖くないんだか、精神がマヒしちまった者がいる。そういった連中はまた魔物を狩るために未開地帯に入って、そんで帰ってこなくなっちまった」
戦いの中でしか生きられない者もいる。
それでも普通の生活に戻れば、そこが安住の地であると理解しだすのだ。
だが、中には、死が間近になる戦場へ身を躍らせる者もいる。
「貴重なお話が聞けました。ありがとうございます。もう一杯どうですか?」
「おっと、すまねえな。最近は稼ぎが悪くて、かあちゃんがこええのよ」
「魔物よりもですか?」
「ああ、魔物よりもだ。いつだって一番怖いのは人間だよ。……そういえば」
「どうしました?」
「あの後、オレのダチがしばらくいなくなってよ」
「……?」
「当主様が死んだあの戦いのあとだな。オレとダチは同じ部隊にいたんだわ。そんで町に戻ってきたとき、ダチ公は……」
何かに怯えているようだったと、男は言った。
男が尋ねてもその友人は首を横に振り、口を閉ざしていたという。
「戦場にあてられたのでしょうかね」
戦いは異常が支配する場だ。どこか精神に異常をきたしてしまうこともある。
「かもしれねえ。だからそっとしといたんだ。そしたら急に町を出て行って……半年くらいいなかったかな。怯えながら戻ってきたよ」
「怯える? 魔物にですか?」
「だったら、町を出たりはしねえよな。恐れてたのは、人間だよ。自分を見ている奴はいないか、町に戻ってきてからもビクビクしながら暮らしていたさ」
人と話せるようになったのは、それから一年もしてからだったという。
「どうしちゃったんでしょうね」
「大変な目に遭ったんだとオレは思ったが……戦場はどこも大変だった。あいつだけが苦労したわけじゃねえ。……まあ、昔の話だ。なんか急に思い出してしまったよ。つまらん話だ」
「いえ、貴重な意見だと思います。そのお友達というのは、何て名前の方ですか?」
「興味あるのか?」
「酒の肴のつもりでしたが、少しばかり……」
「そうか。あまり人には言いたくねえんだが……」
「昔の話ですよね。本人ももう覚えていないかもしれません」
「まあ、そうだろな……あいつの名前はチェアダスだ。いまは町の外れで靴職人をやっているが……最近はほとんど会ってねえな。あれ以来、人の多い所には来やしやがらねえ」
「そうですか。もし気が向いたら訪ねてみたいと思います」
「あんたも物好きだな。そんな昔の話なんて聞きたがって」
「この町出身ではありませんからね。何が行われていたのか、興味があるのですよ。……これはお礼です」
「おおっと、こりゃすまねえな」
オールトンは、男に新しい酒を注文した。
そのあとも男は杯を重ね、いつしか寝入ってしまった。