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060 国境の町リム

 国境の町リム。

 ここはフィーネ公領の中にあって、もっともトエルザード公領に近い町として有名である。


 そのせいか、町の壁から監視する目が非常に厳しい。

 とくにトエルザード公領へ向かう人たちを殊更ことさら注視している。


 それはなぜか?

 フィーネ公とトエルザード公の仲が悪いからか?


 いや、そんな個人の事情ではない。

 自領で悪事を働いた者を他領へ逃がさないためである。




「さっき、町に入りましたよね。この先にまた門がありますけど、あれはなんですか?」

 リムの町に入って少しすると、また同じくらいの高さの壁が出現した。


「あれも町の壁だよ。あの壁の内側が『昔のリムの町』なんだ。この町に人が流入してきたため、町を拡張したことがあってね。そのとき新しい壁を作って、古い壁は壊さなかったのさ」


 まだフィーネ公領が豊かであった頃。

 村から町へ、少しずつ人が流入してきた。


 町の許容人数は、上限に達しようとしていた。

 そこで町の領主は、大金を投じて町の拡張を行ったという。


 先日、正司が新しい壁を作ったが、あれと同じようなことを昔行った人がいたらしい。


「そうだったんですか」

「着工から完成まで、数十年かかったけどね」


「へっ!? そんなにですか?」

「町の予算は有限だよ、タダシくん」


 毎年少しずつ工事を行い、完成を待たずして領主は寿命で亡くなっている。

 次代の領主が工事を引き継いだという。


 親子二代に亘って作った新しい壁。

 将来的に投資した金額は回収できるという前領主の判断は正しかったようで、大きくなったリムの町は、より一層豊かになった。


 ここが国境の町という立地も良かった。

 トエルザード公領からやってくる商人たちで大いに盛り上がった。


「そういえば、私が町外区域に作ったとき、壁に上れるようにしてほしいと言われましたけど、この町の新しい壁もそうですね」


「人が多く押し寄せてくると治安が悪化する。この町も例外じゃない。監視塔を一緒に作ったのだよ」


 正司が作った壁に階段を作り、外を監視できるようにと提案したのはミュゼだった。

 ミュゼはこの町のことを知っていたのだろう。


 フィーネ公領で罪を犯した者が領外へ逃げ出すとき、たいていこの町を通る。

 監視塔でそのような連中を発見して捕まえるのだという。


 ふたつの壁を抜ける大変さに比べたら、町の外を通過する方が何倍も楽だ。

 そう考えて、犯罪者は町を迂回するらしい。


 だが、そのような者も監視塔の兵に発見されて捕まるという。

 犯罪者を水際で捕まえるシステムがここに出来上がっているようだ。


「フィーネ公領の兵士たちはがんばっているんですね」

「トエルザード領だって、罪を犯した者は他領へ逃がさないわよ」


 たまらずリーザが弁明をはじめた。

 フィーネ公領だけでないと言いたいらしい。


 ミルドラルは、三公領で同一の法を使っている。

 それでも自領で出た犯罪者は、自領で裁くのが筋である。


「ちなみにここは外町そとまちで、あの壁の内側を中町なかまちと呼んでいる。扱いも税も変わらないから、住んでいる人たちは気にしていないと思うけど、中町に住む方がより高級と考える人もいるみたいだね」


「へえ、そうなんですか。気持ちの問題ですかね」

 道一本隔てると東京でなくなることもある。


 家賃が同じならば東京に住んでみたいようなものだろうかと、正司は妙に納得する。


 そんな話をしながら馬車は壁を越え、中町へ入る。

 そのまま何事もなく、馬車はトエルザード家の屋敷に到着した。




 屋敷から現れた使用人に、ルンベックは的確に指示を出す。

 リーザという「おまけ」がついてきたが、それくらいで慌てる家臣ではない。


 すぐに部屋を調えるようだ。

 使用人たちがテキパキと動き出す。


(手慣れたものですね)


 正司たちが客間で茶を飲みながら待っていると、上等な身なりの人たちがやってきた。

 この屋敷を管理している一家らしい。


 屋敷の管理者はデンティといい、トエルザード家家臣のひとりである。

 家族は妻と娘。


 左右に秘書らしき者が控えていた。

 歓迎と到着の挨拶が交わされたあと、ルンベックはデンティから最近の町の様子を聞いている。


 そんなとき、使用人の一人がそっとやってきた。


「ギルバー商会の会長が面会を所望しておりますが、いかが致しましょうか」


「もう知られたか。まったく、旅装を解く間もないな。会うことにするから、準備を頼む」

「畏まりました。控室で待たせておりますので、呼んで参ります」


「分かった。ここで会う」

 ルンベックがリーザに目配せする。


「じゃ、タダシ。私たちは部屋に行きましょう」


 突然の来訪である。

 予定があると言って、来客を追い返してもいい。


 だが、ルンベックはそれをせずに会うつもりだ。

 リーザも意図を察しているので、この場所を空けた。


「もうかぎつけたとは、さすが利にさとい商人ね。私たちは退散するのよ」

 屋敷の奥に引っ込むため、リーザは客間を出て行く。


 今回は、通常の旅程とは大きく違う。

 国境付近まで正司の〈移動魔法〉を使っている。


 ラクージュの町で出発を見ていた場合、どんな早馬を使っても追いつけない。

 これほど早く情報が伝わるはずがないのだ。


「なぜルンベックさんが来たことが分かったんですか?」

 正司も不思議に思ったらしく、リーザのあとを追いかけて尋ねる。


「私たちが街道で休憩したでしょ。馬車からは下りなかったけど、それで予想をつけたのね。三公会議の噂は流れているし、街道を張っていたのかしら」


 道中、正司は魔法で索敵していた。

 不審な人物はいなかったと断言できるが、行き交う旅人が皆無だったわけではない。


 あらかじめ頼んでおいたか、情報を届けて金銭を受け取ろうと思った人がいたのか、トエルザード家の馬車が街道にあることを、どうやってか掴んだのだろう。


 あとは用意してあった贈り物を持って、訪問すればいい。

「でも、いきなり訪問しても会えるものなのですね」


「こっちだってそうなるように予定を組んでいるもの。向こうもそれを知っているからやってくる感じかしら。でもこれも、予定が埋まるまでの先着順ね。いち早く情報を掴めた人だけが会うことができるのよ」


 つまりここにも、商人どうしの駆け引きが存在しているようだ。

 どこよりも早く情報を得た者だけが、トエルザード家当主と会うことができる。


 同業者を出し抜くために、心血を注いだことだろう。


 ルンベックの予定は詰まっているため、そうそう多くの来客と会うわけにはいかない。

 国境の町ということで、商人を無下にすると流通に齟齬が生じてしまうが、三公の当主の忙しさは尋常ではない。


 乗り遅れた者は贈り物だけ置いて帰ってゆくらしい。

「なかなか大変ですね」


 商人も、そして当主もだ。


「明日の朝にはもう、予定はすべて埋まっているでしょうね」


 明日の朝ではもう遅いらしい。

 つまり今日中に会いに来るか、面談の予定をいれる必要がある。


 希望する者は後を絶たないはずなので、これはかなり狭き門と言えよう。


「それで出立まで私たちはお父様の邪魔にならないように……あら? タダシ、どこへ行くの?」


「急にクエストマークが発生したのです」

「はい?」


「えっと……困っている人ができたみたいです。この屋敷の中ですので、ちょっと行ってこようかと思います」


「待ってタダシ。私も行くわ」

 正司は屋敷の勝手口のひとつから外へ出て、裏庭の方へ回っていく。


「この先です」

「いまの時間帯だと、うちの護衛たちが屋敷をチェックしている最中だと思うけど?」


 リーザたちが旅装を解いている間、一般の護衛たちは屋敷内を一通り巡回する。

 とくに警備の必要が生じる門周辺や、人目がなくなる庭などは厳重に調べる必要がある。


 正司が向かったのは、そんな薄暗い庭の一角だった。

「こんなとこ、物置小屋以外なにもないわよ」


「その小屋の裏手ですね……って、三人いる護衛の真ん中の人みたいですね。でもあの人、休憩時に私が話したんですよ。なぜあの人が?」


「えっ? ああ、真ん中はラムエルね。先年、お父様が護衛に抜擢したと聞いたけど」


 クエストマークが出ているのは、街道で休憩していたとき、正司と打ち解けた護衛の一人だった。


 名前はラムエルというらしい。

 先ほどまでラムエルにクエストマークは出ていなかった。これは断言できる。


 ほんのついさっき、現れたのは間違いない。

(つまり、クエストが発生したてのほやほやということですね)


 図らずも、クエストが発生する瞬間を見てしまった正司であった。


「こんにちは」

 正司はラムエルに話しかけた。




 トエルザード家の家臣には、いくつかの種類がある。

 直臣じきしん陪臣ばいしんなどがそれだ。


 直臣には町を統治する領主や、管理地を所有する武に秀でた家などがある。

 その他、文官として優れた家もあったりと、その統治機構は国となんら変わりない。


「ラムエルさんって、もとは文官だったのですか」

 ラムエルに何か困ったことが起きたのはたしかだ。


 それを聞き出すため、正司は情報収集する。

 すると、意外なことが分かってきた。


 ラムエルは陪臣の傍系での生まれだという。

 小さな頃から剣に秀でていたため、剣で食べていくことを志したようだ。


 もっとも近道は軍に所属して、兵として鍛錬を積むこと。


「オレは魔物狩人が良かったんだけど、親に反対されてね。結局軍に入ったんだよ」

 それが15歳の時だったという。


 兄弟が多かったこともあり、ラムエルの入隊は家族から歓迎された。

 それから数年間、ラムエルは軍内でキャリアを積んだ……のは良かったが、少々道を踏み外してしまったようだ。


「オレの上司がこれまたズボラな人で、兵を指揮するのは素晴らしいんだけど、細かい数字とかが苦手でね」


「いますよね、そういう人」

 人当たりもよく、カリスマ性もある。


 企画を立ち上げ、人を導いていく。

 リーダーシップを発揮させると人がどんどんと集まってくる。


 そんな完璧超人みたいな人でも、日頃の報告書だけは人任せにしたりする。

 机でじっとしているのが苦手なのだ。


「オレはその上司のもとで五年ほど書類仕事をしていたんだが、オレの異動で部隊が大混乱に陥ったらしくて」


 結局ラムエルは、現場を収拾させるため、もとの所属に戻されたという。


「それでいつしか文官に……」


 ラムエルは27歳。

 都合十年ほど、その上司のもとで書類仕事を中心に活動していたらしい。


「そうこうするうちに、オレにも出世の話がきたんだ。そのとき希望が聞かれたので、剣が握れるところがいいと伝えたんだ」


 訓練だけはしっかりとやっていたが、実戦経験はあまりない。

 十年もの間、上司について書類仕事をしていたのだから、前線にでることはなかった。


 今回、数いる護衛のひとりとして抜擢されたラムエルは、今後文官兼護衛として活動してゆくことが期待されているという。


「そういえば護衛の人って、身の回りの世話をしたりしますね」


「外に出る場合、連れて行ける人数は限られるしね。仕事もできて護衛もできる方が都合がよいのさ」


「なるほど、それは道理です」


 貴族ひとりにメイドが三人ついたとする。

 それに護衛を五人入れたら総勢九名。かなりの大所帯である。


 だったら、いっそのことメイド業務は護衛と兼任させればいい。

 どうせ主人の近くにいるのならば、ついでに守らせよう。


 多少不便があるかもしれないが、戦えもしない者をゾロゾロと連れ歩く必要はない。

 そんな所だろう。


 ラムエルの現状は分かった。

 ちょっとした苦労人という感じだ。


 書類仕事が苦手な上司のところに配属されなかったら、きっと違った道もあっただろう。


「それでラムエルさん、最近……というか、本当につい少し前のことなんですけど」

「少し前……?」


「はい。ラムエルさん自身か、その周囲で困ったこととか起きませんでしたか?」

「困ったこと?」


「この屋敷に着いてからだと思うのです……けど、心当たりがありそうですね」

「ああ……あるっていえば、あるんだが、どうしてそれを?」


 ラムエルの顔色が覿面てきめんに悪くなった。

「私の場合、困った人が分かる魔法のようなものがあると思って下さい。それでやっぱり……困っているのですね?」


「ああ、ある……困ったことになったといえばいいかな。……どうやらオレ、結婚できないらしい」


「はい? 結婚相手がいないのでしたら、私も同じですよ」


「いやそういうことじゃないんだ。オレには付き合っている人がいる。だけど、どうやらオレは、結婚相手として不足らしいんだ」


 ガックリとうなだれるラムエルに、リーザは「また面倒なことを」と頭を抱えた。

 どうやら心当たりがあるらしい。




 詳しく話を聞いたところ、軍役時代にラムエルがいたのは、フィーネ公領との国境付近。

 つまりトエルザード公領側の国境を守っていたことになる。


「いつ他領へ赴くことになるか分からないから、オレたち兵隊は順番で他領を見学しに行くことになっているんだ」


 ラムエルが一番多く訪れたのはもちろんフィーネ公領。

 中でも、このリムの町はラムエルの駐在地から目と鼻の先。


 それこそ何十回となく出入りしていたという。


 ラムエルはそこで「とある女性」と恋に落ちた。フォールインラブである。

 相手もまんざらではない様子で、ときおりヒマを見つけてはこの町まで会いにゆき、静かに愛を育んだ。


「結婚できないというのは、どういうことですか?」

「オレが愛した女性はヒューシャ様なんだ」


「ヒューシャ様?」


「この屋敷の管理者の娘よ……タダシもさっき会ったでしょ」

「? ああ、あの女性ですか」


 屋敷の主人が挨拶に出たとき、その隣に奥方がいて、少し後方に若い女性がいた。

 名前の紹介はなかったので、正司はまったく気にしていなかったが、顔だけは覚えている。


 名乗りがなかったのは、ルンベックとリーザは知っていたからだ。


「ヒューシャ様はデンティ様の一人娘でな、オレたちはそろそろ結婚を考えていたんだ。今回、護衛としてここを通ることになるから、親父さんに挨拶をして、結婚を許してもらおうと思っていたんだが……」


「駄目だったんですか?」


「ヒューシャ様にそれとなく話を通しておいてもらうように頼んでおいたんだが、どうにも結婚相手として、条件が合致しないらしくて……」


 ヒューシャの結婚相手はこの屋敷に住んで管理者の仕事を学ぶ。

 ゆくゆくは屋敷を管理するような、トエルザード家に有益な人物でなければならない。


 屋敷の管理者は上流階級の人とも会うことが多く、それなりの出自でなければならない。

 家に入ってもらうので、できれば功績があった方がいい。


 そもそも、大事な娘の婿になるのだ。

 中途半端な男は願い下げだと言っているらしい。


「デンティが『見つけ出してやる』と息巻いていたのは、このことだったのね」

 リーザがため息とともに首を横に振った。


 どうやら、それらしい人物が今回の同行者の中にいると睨んで、かなり警戒しているらしい。


「つまりあれですか? この屋敷のお嬢様と結婚したいけど、父親の出す条件に届かない。だから結婚できなくなりそう?」


「そんな感じだ……さっきヒューシャ様がこっそりと知らせてくれて、いま名乗りを上げるのは得策じゃないどころか、最悪の結果になると言われてしまった」


「ははあ……」


 正司からすれば、「なぜ?」という印象が強い。

 大人どうしの恋愛に親が口を出すことがどれだけ不毛かよく分かっている。


 ラムエルは27歳。聞いたところ、ヒューシャはその2歳下らしい。

 互いにもう十分独り立ちできる年齢である。


(問題は分かりました。ですがこれ、解決は難しくないですか?)


「ラムエルさんの家は、そんなに釣り合わないのですか?」


「陪臣の傍系だから、一般と変わらないかな。オレは三男だし、家を出るのは問題ないんだが、オレも親もこれといった誇れる職についているわけじゃない」


「家柄も現職も非凡ではないということですね。でしたらほかに誇れることはないのですか?」


「……ないかな。オレ自身はそこそこなんでも出来るが、それを言ったところで意味はないし」


「なるほど、難しいですね」


 デンティの役割は町の情報収集や、上流階級と交流、自領の民が問題を起こしたときの解決だろう。

 外交官のような役割だ。


 世襲しているようだし、もしラムエルがヒューシャと結婚したら、いずれデンティのあとを継ぐことになる。


 そのような大事な職務を継がせられるに足る相手かどうか、デンティが見極めようとするのは間違っていない。

 だからこそ、難しいともいえる。


「難しい問題だというのが分かりました。それでも私はラムエルさんの問題を解決したいと思います。どうでしょう、私に任せていただけませんか?」


「いや、それはどうだろう。これはオレとヒューシャ様の問題だし……」


「はい、結婚にかかわることですし、これは完全に本人が解決すべきこと、そう考えるのは間違っていないと思います」

 他人の色恋に口出すのは愚かなことだ。


「だったらなぜ、任せてくれと?」


「それはラムエルさんが困っているからです。クエストが発生したということは、ラムエルさんの独力では解決できない問題になったと私は考えます」


「クエスト? 独力では解決できないって……?」

「タダシが時々、そう言うのよ」


「私が解決するのは……やや筋が違う気もします。ですが、ラムエルさんだけではどうしても解決できないからこそ、クエストが発生したのだと思います」


 そう言われてラムエルは考えた。

 正司の魔法は休憩時に見せてもらった。


 それはすばらしいものだった。

 ルンベックの馬車に同乗したことからも、当主の信頼厚い人物であることが分かる。


 そしてたった今言われたこと。

 ――独力で解決できない


 これは、ヒューシャも同じことを匂わせていた。

 だから「いまは言うな」と。


 ならばいつが良いのか。

 行きで駄目なら帰りに言えばよいのか。


 時間が経てば、この問題は解決するのか。

 さすがにそれは甘い考えだろう。


「そうだな……任せてみるのもひとつの手かもしれない。何しろ、いまのオレにできることはない。まったく無力だから」


 ヒューシャから「いま名乗らないでほしい」と言われて、それを無視するわけにはいかない。

 状況はかなり悪いと思える。


 このまま名乗らず出発して、そのまま護衛の任につくのが最善だ。

 そのうち反対だったものが賛成に変わるかもとはさすがにラムエルも考えなかった。


 正司の言うように、これは自分では解決できない問題だと理解した。


「決断してくれましたか?」

「ああ、よろしく頼む、魔道士様」


 ラムエルがそこまで言ったとき、「クエストを受諾しますか? 受諾/拒否」の文が表示された。


「ありがとうございます。誠心誠意、頑張らせていただきます。決して後悔はさせません」

 そう言って正司は「受諾」を押した。


 マップに表示された白線は、この屋敷の主、デンティのところへ伸びていた。




「私は、ちゃんとした後継者を選ばねばならないのですよ。そうでなければ、トエルザード家に申し訳が立ちません」

 デンティは一気にまくしたてた。


「……それは立派な考えだと思います」

 正司は白線に導かれて、デンティのところへ行き、話を聞いている。


 デンティは、一人娘のヒューシャの恋について、大凡の見当がついているようだった。

 もちろん娘のことは愛しているし、互いに好き合っているのならば、手放しに喜んでもよい。


 だがデンティはれっきとしたトエルザード家の家臣。

 主家に面目が立たなくなるようなことは避けねばならない。


「ですが、その相手の人とまだ話をしていないですよね」

 ラムエルが名乗っていない以上、デンティはヒューシャの相手が誰か分からない。


 ルンベックとともにやってきた二十人ほどの集団の中にいるのでは? と考えることもあったが、彼らはデンティの部下ではない。

 一人一人呼んで尋問するわけにもいかない。


 なぜそれほど反対するのだろうか。

 正司は真正面から聞いてみた。


「ここはフィーネ領です。舐められたらお終いだといいますか、舐められる材料があるだけで、いろいろと不利益を被ります。しかもここは交通の要所、とても大事なところです。私は誇りを持って職務についています。それは『後継の問題』も同じです。フィーネ公領の民に付け入る隙を与えたくはないのです」


「な、なるほど……」

 これは手強いと正司は思った。


 ようは、デンティの眼鏡に適わない場合、あとを継ぐには不適格という烙印を押される。

 それは父親としての思いよりも、家臣の責務が優先されているからだ。


 ヒューシャが一人娘であることが、ここでネックになっている。

 後継者をどこからか連れてきて……というのもよくないだろう。


 結局のところ、ラムエルがデンティの認める婿像にどこまで迫れるかにかかっている。


(血筋が劣っていると舐められるわけですよね。けれど出自は変えられません。ということは、本人に実績があればいいのでしょうか)


「デンティさん、ひとつ聞いてもよいでしょうか」

「なんでしょう?」


「たとえば、ヒューシャさんのお相手がまったく無名の人だったとします。それでも婿として認められるには、何が必要なのでしょう?」


「私が認めるというよりも、周囲が認めるような人物かどうかだと私は考えます」


 かなり取り付く島のない返答だが、周囲――この場合はフィーネ公領の領主や商人たちに舐められないだけの実績があればいいともとれる。


(周囲に認めさせる必要があるわけですか。これはこれで難しいですね)

 公になるような功績を得るのは、存外難しい。


 顎に手を当て、正司は深く考え込む。

 その様子をリーザが黙って見つめている。


 リーザは今朝、馬車に潜り込む前に母親と話している。


「いいこと。タダシさんのやることをよく見ておきなさい。思いも寄らないことをしでかすかもしれません。それはあなたもよく知っているでしょう」

 リーザは頷いた。


「責任はわたくしが取ります。さすがに人々を不安に陥れるようなことはしないでしょう。ですから、できるだけ黙って見守るようにするのです」


 そう言われてリーザは反論した。

 正司を自由フリーにさせるととんでもないことを起こすと。


「なにもすべてに口出しするなと言っているのではありません。選択はあなた次第です。ですから、わたくしの言葉を胸に秘め、できるだけ邪魔をしないよう……そうですね、わたくしが責任取れないくらいの大事になりそうだったら、止めて下さい。それでいいですわ」


 なんとも大らかな許可である。

 だがリーザは、母親の言葉に「分かりました。できるだけそのようにします」と答えている。


 というわけで、いまも口出しをせずに成り行きを見守っているのだが……。


「お話は分かりました。だれもが認める実績があればいいのですね」

「まあ、そういうことになります」


(お母様、何かすごい方向に話が進んでいますけど、このまま黙っていて、いいのでしょうか?)


 屋敷を出て、まだ最初の夜すら迎えていないのだ。

 なぜ出立した初日にこんな悩みを抱えなくてはならないのかと、リーザは遠い目をした。


「そうですか、だれもが認める実績があればいいのですね……」

 そんな正司の独り言が聞こえてきて、リーザは思わず耳を塞ぎたくなった。




 同じ頃、ルンベックは本日二組目の訪問客を迎えていた。

 やってきたのは、この町に根ざす商会の長である。


 ルンベックは来客とにこやかに談笑し、ときおり真面目な顔をする。

 一介の商人とトエルザード家の当主が何を話しているかというと……。


「なるほど、王国商人はそれほど増えているのですか。いやはや、フィーネ公領の商人としてはたまったものではないでしょう」


「ええ、まったくです。どうやら王国からかなりのテコ入れがあったようです」

「すると政府のバックアップを受けていると?」


「流通にかかる費用がおかしく感じられます。一部の品目は採算度外視だと感じました」

「ほう、その品目とは……?」


「わたくしどもが知る限り、これとこれと……」

 商人があげた品目は、どれも聞き覚えのあるものだった。


「この偏り具合からすると、ルブラン商会が噛んでいるのかな」

「はい、私もそう感じました」


「とすると王国の目的は……」

 そうしてしばらく小声で会話がなされる。



「いや、本日は大変有意義なお話を伺うことができました」

「気に入っていただけでなによりです。わたくしども商人は情報も品物と心得ておりますれば」


「なるほど、我が領の商人にも見習わせたいものですな。我が町にこられた際には、ぜひお立ち寄りください」


「それはご丁寧に、ありがとうございます。そのときは真っ先に寄らせていただきます。では私はこれにて」

 丁寧な礼をして、商人は去っていった。


 なぜルンベックがこのような来客と面談するのか。

 それは双方に利があるからである。


 町の領主との会談も重要。

 だがそれは、互いに自領や自分の町を代表して会うことになる。


 必然、突っ込んだ話はできないし、相手の利になることをホイホイと約束できない。

 重要な会談相手ではあるが、一度の会談で得られるメリットはそれほど多くない。


 今のように、フィーネ公領に根を張る商人はどうか。

 彼らはもちろんフィーネ公領の民である。


 だからフィーネ公領の情報は漏らさない……ということはない。

 先ほどの商人が言ったように、情報もまた品物なのだ。


 政治の話は商売とは別。

 自分たちがやっているのはあくまで商売である。


 そう割り切って、販路を広げるべく、このような機会を逃さないのだ。


 商人には商人しか知り得ない情報がある。

 商人どうしのネットワークは侮れない。


 自分が不利にならない程度に情報を提供してくれる今回のような会談は、ルンベックにとってとても意義のあるものだった。


 しかも相手は、〈移動魔法〉でやってきたにもかかわらず、初日に来訪を掴んだほどの情報網を持っている。


 ――町に着いたら顔を出しなさい


 そう言うくらい、何でも無い。

 ちなみにルンベックは、商人がラクージュの町で新たな商売をはじめたとしても、口利きをするつもりはない。


 ただ、やってきたときに時間を割いて会うだけである。

「あのときはどうも」

 そう言うだけでよい。


 商人もすぐに退散する。

 ラクージュの町で商売をはじめるとき、それが役に立つ。


 商人が商売をはじめて、周囲に挨拶回りをするときに「まっさきにご当主様には、挨拶させていただきました」と言えばいいのである。


 それで信用度が格段に違う。

 お互い、そのことは分かっている。持ちつ持たれつというやつである。


「しかし、王国の動きは思ったより激しいな」

 ルンベックは先ほどの会話を思い出す。


 商人はこちらに情報を提供し、恩を売るようにみせて、自らの利も引き出していた。

 商人が提供した情報は、「王国の動き」そのもの。


 特定品目をこの町で安く卸して、フィーネ公領内の流通を掌握しようというもの。

 品目と価格を聞いてルンベックは驚いた。


 はっきり言って卸価格だった。

 どうも、ルブラン商会の品物をエルヴァル王国が買い付け、それを安値で卸しているらしい。


 ファーラン国王としては、フィーネ公領の生産潰しの意味合いもあり、自身の商会を富ませる目的もあっただろう。


 分かってしまえばなんでもないが、王国の目的を潰すのは難しい。

 王国の品物が安く出回れば、フィーネ公領内の生産者が職を離れていく。


 作ったら作っただけ赤字になるんじゃ、やってられない。

 そういって生産者が生産を放棄すれば、あとは王国の寡占である。


 王国の商品が安値で一気に出回ったため、すでにダブついた商品も出てきているという。

 これで生産者が生産や出荷を控えれば、王国の思うつぼである。


 商人はこの現状を憂えてみせることで、トエルザード公領内でなんとかできないかと訴えかけていたのだ。


 流通コストを考えれば、あり得ないほどの安値で売り出しているいくつかの商品。

 向こうが手段を選ばないならば、こちらも手はいくらでも打てる。


 積み荷検査に時間をかけたり、港の使用に難癖をつけるなど、直接的な嫌がらせだってできてしまう。


 お上品なことばかりしていたら、後手後手に回ってしまう。

 だからこそ、商人はトエルザード家当主がやってきたこの機会を逃さなかったのだ。


「王国の動向は分かったし、明日領主に会ったときに話してみるか」


 両国境の町が共同でことにあたれば、王国商人の商売は途端にやりにくくなる。


 一般の商人に泣いてもらうのは気が引けるが、いま商圏を荒らそうとしているのは王国政府の息がかかった連中である。


 多少手荒に扱っても問題ないとルンベックは考えた。

「……そろそろ本気で王国に思い知らせないとな」


 ルンベックが発した声は、なんとも底冷えのするものになった。



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