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059 フィーネ公領へ

 リーザが乗り込んで来たことで、馬車内の雰囲気が変わった。

 端的に言えば、温度が少し下がった感じだ。


「えっと……」

 正司はルンベックとリーザを交互に見る。


 ルンベックは難しい顔をしている。


 どうやらリーザのことは、ルンベックも知らなかったらしい。

 ひとりで勝手に潜り込んだのだろう。


 出発してまだ数時間。

 だがここはもう、トエルザード領ではない。


 正司の〈移動魔法〉によって途中をすっ飛ばしたのだ。


「もうフィーネ公領に入ったのは知っているかな」

 穏やかな声でルンベックはリーザに尋ねた。


「ええ、もちろんよ。お母様から予定は聞いているもの。最初の町は、ここからあと数時間の距離かしら。そこで二泊して次の町へ出発……それから」


 馬車内の温度がまた少し下がった。

 異変を感じたリーザが黙り込む。


(冷気の魔法を使われた感じですけど……違うんですよね)


 ルンベックは黙ったまま、リーザを睨む。

 一方のリーザは開き直ったのか、悪びれた様子はない。


 リーザが勝手にやってきたのならば、護衛を数人つけて帰らせるのが常識的な判断だ。


 だが、国境まで〈瞬間移動〉を使っている。

 もはや帰れる距離ではない。


「……理由を聞こうか」

 ルンベックの冷ややかな声が、馬車内に響く。


 正司は首をすくめた。


「理由ですか? それは私がいろいろ考えた結果です、お父様」

 ルンベックの押し殺した感情を正確に見抜いても、リーザは態度を変えず、殊勝げに答える。


「それはもちろん分かっているさ。考え無しにこんなことをするとは思えないからね。……じゃ、理由を聞こうか」


 緊張の糸が張り巡らされている馬車内。

 正司は乾いた唇を開いた。


「えっと、今って休憩時間ですよね。……私は外の空気を吸ってこようなかと思います。……で、では、ごゆっくり」


 答えを待たず、正司は転がるようにして馬車を降りた。


(ふう、怖かったです。……しかしどうしてリーザさんはついてきたのでしょう?)


 馬車を囲むように護衛たちが腰を下ろしている。

 何かあった場合、すぐに対処できる陣形だ。


(魔物は……近くにいませんね。では、私もゆっくりするとしましょう)

 マップは灰色のままだが、正司には周囲を探るスキルがいくつかある。


 魔力を乗せた〈気配察知〉で周囲を探り、だめ押しとばかりに〈土魔法〉も使った。

 少なくとも正司が感知した範囲には、脅威となるものは何もいなかった。


 といってもそれが分かるのは正司のみ。

 ひとりだけブラブラしているわけにもいかない。


「あの……少しお話を伺ってもいいですか?」

 正司は護衛の一人に話しかけた。




 馬車内は、気まずい空気に包まれていた。

 正司が出て行ってから、まだふたりとも声を発していない。


「……そろそろ話してくれるかな?」

 しびれを切らしたのか、ルンベックが催促しはじめた。


「お父様の言いたいことは分かります。ですが、必要なことだと思ったのです」

「キミが黙って乗り込んだことが、かい?」


「ええ、そうです。だってお父様、タダシは護衛として連れて行くのですよね」

「そうだね」


「たとえば各町の領主と会われるとき、タダシを紹介するのかしら」

「いや、それはしない。一介の護衛と同じ扱いだ。変に注目されても困るからね」


 予想通りの答えが得られたのか、リーザはゆっくりと頷く。


「お父様が領主から歓待を受けている間、タダシは自由フリーですわね」

「……そうだね」


「私がタダシの話し相手になります」

「…………」


 ルンベックは考えた。

 正司の行動規範はいまだよく分からない。


 リーザやミュゼはある程度察することができるらしいが、小さい頃から為政者としての教育を受けてきたルンベックにとって、正司の行動は不可思議だ。


「無駄が多すぎる」と感じたり、「合理的でない」ことをする。

 つまり、予想がつかない。


「そんなに心配しなくても、時期がくれば、私はちゃんと帰ります。けれど、こう考えてください、お父様。スミスロンの町で三公会議が行われている間、正司はずっと自由フリーなのです。だれかが側にいてやらないと、困ったことになるかもしれません」


「大人しくしているように頼んでも駄目かね?」


「目の前で理不尽なことを見れば、タダシは動くでしょう。どう動くのかはお父様も知っていると思います」


 超巨大トンネルを掘ったり、町外区域の壁を作ったり、博物館を建てたりなど、思い当たることは多い。


「つまりキミは、タダシくんの防波堤ストッパーになると、そう言いたいのかな」


「有り体に言えば、そうですね。それとタダシには、フィーネ公領のいくつかの町を見てもらいたいのです。これまで見てきた町とはまた違った姿を知ってほしいと思います。そのとき、隣にいるのは私が適任と判断しました」


 それが馬車に潜り込んだ理由であると、リーザは語った。


 リーザの言葉を受けて、ルンベックは再度考えた。


 ルンベックとミュゼはいま、両極端の立ち位置にいる。

 一方のリーザは、その中間くらい。


 ルンベックのような常識的な判断を残しつつ、タダシの動きも理解している。

 なにより、正司個人がリーザのことは信頼しているだろう。


「……分かった。ここまで来てしまった以上、すぐに返してはただの損切りだからね。使えるうちは、同行を許可するよ」


「ありがとうございます、お父様。これでもうひとつの目的も達成できそうです」


「……ん? 他にまだあるのかな?」

「フィーネ公領には、おじさまがいます」


「オールトンか。それで?」

「国境の町では逃げられました。今度見つけたら、腹パンをおみまいしようかと、ずっと思っていたのです」


「……腹パン」

 ルンベックは思わず、自分のみぞおちのあたりを押さえた。


 留学に行く前のリーザは、もっと真面目で素直で、お淑やかだった気がする。

 少なくとも、「腹パンをおみまいする」などとは言わない子だった。


 戻ってきてからのリーザは、いやに活動的だ。

 留学させたのは、失敗だったのだろうか。


 ふとそんな後悔が、ルンベックの頭をよぎった。




 同じ頃、ラクージュの町。

 当主であるルンベックが町を離れたため、ミュゼが当主代理となった。


 ミュゼは通常の業務の他に、ルンベックが行っていた職務の一部を肩代わりする。

 といってもミュゼの普段の業務は、有能な家臣たちがこなしてくれる。


 ミュゼに必要なのは、最後に決断すること。


 問題は、当主代理の方である。

 こちらは、人に会うことがやたらと多い。


「困りましたわ……思ったより、面会予定が溜まっていますわね」


 面会予定だけで一日のほとんどが埋まっており、それが数日間も続くのだ。

 これはみな、ルンベックが悪い。


 出立前に王国を詰ますための最後の仕上げをしていたからである。

 もうここ何日も、その下準備にかかりっきりだった。


 その分、通常の領主業務がはかどらなかった。

 ミュゼの仕事は、まずその溜まった面談を片付けることから始まる。


「それでミュゼ様、私はどうすればよろしいでしょうか」

 ミュゼのそばに控えているのは、正司……の偽者である。


 これはルンベックが仕掛けた罠のひとつ。

 ニセ正司はときに派手に、ときに密やかに動いてきた。


 これまでずっとルンベックと一緒にいて、周囲に存在を印象づけてある。

 いまは旅に同行せずに、ミュゼのそばで控えている……ように思われている。


「そうですわね。わたくしが面会中、ときおりチラッと姿を見せるくらいでいいと思います。出過ぎないように、それでいて存在を匂わせる感じでお願いします」


「はい、畏まりました」

 正司……の偽者は、そう言って頭を下げた。


 ここへ来て、周辺国の間諜は、疑心暗鬼に陥っていた。

 最初、洞察力のある者たちは、「正司の偽者」がいるとすぐに看破した。


 ルンベックが偽者を仕立てて、それを側に置いているのだと。

 本命は他にいる。


 だが虚実が散りばめられた噂が流れるにつれて、「いや、偽者こそ本者?」と再び疑い出す者が出てくる始末。

 さらには本物と偽者だけでなく、「第三の人物がいるのでは?」と考える者もいた。


 結局、あからさまな偽者こそ怪しい。だが、果たしてそうなのだろうか。

 などと考えすぎて、よく分からなくなってきたのである。


 これはルンベックの情報操作の妙であるが、間諜たちは確証が持てないがゆえに、振り回される結果となってしまった。

 そして今回、ミュゼがそれを引き継いだ。


 ミュゼの場合、ルンベックほどには露出させず、秘匿する方向で存在感をアピールさせるつもりでいる。


 ここにいるニセ正司が本物か偽物か確証を持たせず、さらに第三、第四の存在がいるかもしれないと匂わせることで、正解を分からなくさせる予定でいた。


「あなたの動きひとつに、トエルザード領の未来がかかっているかもしれません。ともに頑張りましょうね」


「はい、誠心誠意尽くさせていただきます」


 正司がいったい誰で、どこにいるのか。

 それが分からない限り、いや、少なくとも確証が持てない限り、トエルザード家に対して強硬手段は取ってこない。


 だからこそミュゼは、この「まぎ」を効果的に使うことにした。


「本日、姿をみせて良いのは、この方とこの方ですね。面会の前か後に……そうですね、後ろ姿くらい出してみましょう」

「……はい」


 面会予定が多いのは、ルンベックの仕事が忙しかっただけではなく、探りを入れてくる者が多いからである。


「それでは一日、頑張りましょう」

 これもまた戦いである。ミュゼは微笑んだ。




「そうですか、国境の緊張は高まったままなのですね。このまま何もなければよいのですが」

 ファファニアはため息を吐きつつ、憂いだ表情をみせた。


 ここは、ラクージュの町にあるバイダル家の屋敷。

 ファファニアはいま、自領から秘かにやってきた使者と面会していた。


「ラマ国に動きはありませんし、行き来する商人の数も変わっていません。ただ、兵の監視は依然として緩んでいません」


「我が領の対応はどうなっていますか?」


「刺激させないよう、極力兵を前面に出すことはしていませんが、住民の不安も考慮せねばならず、苦慮しているようです」


 バイダル領とラマ国の国境付近は、いまだ安定していない。


 襲撃犯たちがラマ国へ逃げ込もうとしたことに端を発するわけだが、先に兵を出したのはバイダル領の方である。


 戦争は回避されたものの、ラマ国側の不信感は根強いのだろう。

 必然、バイダル側もそれに備えねばならず、互いに緊張したまま睨み合っている形になっている。


「お祖父様でしたら、少しずつ兵を引く方法をいくらでも知っているでしょう。三公会議で町を出てしまったのが痛いですね。……御苦労さまでした」

「はっ!」


 バイダル領とラマ国の間に戦端が開かれれば、当然フィーネもトエルザードも巻き込まれる。

 火急時とは違い、いま戦争しても得るものが何もない。


 かといって、こちら側だけ無警戒では、町の住民が不安がってしまう。

 付き合い程度の兵は残さなければならない。


(頭の痛いことですわね)


 ラマ国が兵を引けば、バイダル側は喜んで兵を引くのだが、そうならないのには理由がある。


(エルヴァル王国が、ラマ国内で不安の種をバラ撒いているのでしょうね)


 商人のネットワークだけでなく、上流階級どうしの繋がりも馬鹿にできない。

 ミルドラルは危険だと、不安を煽っているのだ。


「こちらは先日、使者をたてましたが、三公会議にお祖父様が出席されたのでしたら、入れ違いになったことでしょう。あなたはこのまま戻るのではなく、フィーネ公領まで行ってもらえますか?」


「私の任務はここまでですので、問題ありません」

「でしたら……じい、この前のものを再び用意してください。それと最新の情報をまとめましょう」


「はい。すぐに……それで、いつまでがよろしいでしょうか」

「本日中にできあがるかしら」


「もちろんでございます」

「ありがとう、じい」


 シャルマンの言葉に、ファファニアは満足そうに頷いた。


「ということですので、使者の方。あなたには、翌朝発ってもらいたいと思います。行き先はフィーネ公領のスミスロンの町になります。行けますか?」


「問題ありません。では明日の朝、また来ます」

 そう言って、使者は去って行った。


「……ではじい、お祖父様に書く報告書の内容ですけど」

「タダシ様のことですな」


「ええ、どうしたらいいかしら」

「そうですな。ともに考えましょう」


「その方がいいですわね」

 ファファニアとシャルマンはすぐ協議に入った。


 協議といっても、書く内容は決まっている。

 ファファニアが研修で受けた内容や、実際に見聞きしたことを書くだけだ。


 ファファニアがその日あったことをシャルマンに話し、シャルマンがそれを行動記録として残している。


 自領に送る報告書はそれを要約したものだが、どうにもひとつ、困ったことが起きている。


「正直に書いても、信じてもらえそうにないですわね」

「一応……なんというかこう……やさしく包み込むように書いているのですが……」


「そうすればするほど、胡散臭くなるのですわね」

「……はい」


 トエルザード家はもはや、正司の魔法について隠すことはしていない。

 現在、バイダル家が把握しているのは、正司が〈回復魔法〉〈治癒魔法〉〈土魔法〉〈火魔法〉を使えることである。


 複数の魔道士がいることも考えていたが、ファファニアが意を決して正司に聞いたところ、アッサリと判明してしまった。


 それはすでに報告書に記したのであるが、ここへきて、正司が他にも魔法を使えることが分かったのである。


 ――〈移動魔法〉


 それも複数の人物を難なく運ぶという荒技を見せつけてきた。


 見せつけた……ようにファファニアは感じたが、正司からすれば日常の一部だったのだろう。

 それが分かるからこそ、驚きも大きい。


 また研修時に判明した数々の魔道具。

 あれもまた正司が作ったのだという。


 実際に作成したところを見たわけではないが、そこで嘘を吐く必然性はない。

 正司は魔道具を制作できるのだと、ファファニアはほぼ確信している。


 これらを以前の報告書に加えようとすると……何というか、あり得ない人物像が出来上がるのである。


「信じてくれるかしら?」

「さあ……じいには分かりません」


 文章をこねくり回し、なるべく穏便になるよう、ファファニアとシャルマンは夜遅くまで協議するのであった。




 ここはフィーネ公領の中で海に近い場所。

 北西の町デーニック。


「やあ、お世話になりました。ここはいいところです。また訪れたいですよ」


 そう言ってリュートをかき鳴らしたのは、オールトン・トエルザード。

 ルンベックの実弟である。


 リーザが今度会ったら「腹パン」すると言った人物である。


 オールトンは屋敷の玄関口に立ち、ボロロンと、即興で思いついた旋律を奏でる。


「いえ、こちらはなんのお構いもできませんで」

 オールトンを見送りに出たのは、エラリエルという女性。


 その後ろには、背の高い男性が立っている。彼はエラリエルの夫のジョアーノ。

 この屋敷の主人である。


「私が言うのもどうかと思いますが、本当に兄のところへ寄らなくて良かったのですか?」

 ジョアーノが心配そうな声を出したが、それには理由がある。


 ジョアーノの実兄はデーニックの町の領主。

 本来、ジョアーノより優先されるべき相手である。


「僕たちは同じ境遇で、同じ次男どうしでありませんか。それに今回はお忍びですから……ね」


 ウインクをするオールトンに、ジョアーノは「まあ、そうですけど」と苦笑いする。


 ジョアーノとオールトンは、ともに次男である……が。

 トエルザード家とフィーネ公領にある一地方の領主では、かくが違う。


 その辺を分かっていて、オールトンは互いを「同じ境遇」と評したのだ。


 ちなみにジョアーノが苦笑したのは、「今回はお忍び」という部分である。

 ジョアーノの知る限り、オールトンがお忍び以外でこの町を訪れたことはない。


「それでオールトンさんは、これからどこへ行かれるのですか?」

「そうですね。風の吹くまま、気の向くまま……行き先はリュートが教えてくれます」


 ――ボロロン


「相変わらずですね」

「昔から変わらないな」


 オールトンとジョアーノは、旧知の仲である。

 オールトンが各地を放浪していた頃に知り合っているため、もう十五年以上のつきあいとなる。


 エラリエルとはまだ十年ほど。

 ジョアーノが結婚したときに初めて会っている。


「この家でしたら、いつでも来てください。私たち夫婦はこの町に骨を埋めることでしょう。いつでも来訪を歓迎します」


 その言葉にオールトンは「おやっ!?」と眉根をあげた。

 だがそれはほんの僅かなことだったので、ジョアーノもエラリエルも気付かなかった。


 ミルドラルでは、領主の仕事に一定の責任を負わせている。

 管理する土地で、人々の安全を守ることがそうだ。


 ひとつの町と複数の村がひとまとまりとなり、一人の領主がその面倒をみる。

 ゆえに領主は一族や家臣たちと協力して、ことに当たっている。


 領主の実弟であっても、村に派遣されることもあれば、魔物討伐のために兵を率いてどこかに常駐することもありえる。


 先ほどのジョアーノの言葉は、「第一線から身を引いた」ことを意味する。

 よほど一族が多いのか、優秀かつ出しゃばらない家臣が大勢いるのか。


 少なくともジョアーノは必要とされておらず、本人もその境遇に甘んじている。

 そこまで理解してもオールトンはまったく表情を変えない。


「それではおふたりとも、僕はこれにて失礼します。また、風が吹いたときに会いましょう」


 気障ったらしく片手を挙げ、オールトンは颯爽と去って行った。




「さて、このまま町を出てもいいのだけど……」

 オールトンはいまだデーニックの町の中を歩いている。


 大通りを外れ、小道に入った。

 そのまま寂れた一角へ足を向けた。


 細道を進み、人通りがまったくなくなった頃に、それはあった。

 木々が植えられ、花が咲き乱れた一角――町の共同墓地である。


 オールトンは無言で墓地の中まで進み、とある場所を目指した。

「あそこかな」


 目的の場所は小高い丘になっていて、周囲は柵で囲われている。

 柵を作った人物は、墓参りを拒絶する意志はなかったようだ。鍵が開いている。


 柵の戸を開けて、オールトンは中まで入っていく。

 いくつかの墓石が目に入った。


 よこに掲げられているプレートには、彫り文字加工でベッカー家の墓であると書かれていた。


「ここで合っていたか。ということは、どこだろう……ああ、あったあった、これがそうか」


 奥に一枚の石碑があった。

 亡くなった順に彫り込まれているようで、左から順に名前で埋められている。


 一番右に書かれた名前を指でなぞり、オールトンは険しい顔をした。


 ――シルジャーノ・ベッカー ここに眠る 享年3歳


 七年前、ジョアーノとエラリエルは、水難事故で最愛の息子を喪っている。


 各地を放浪し、時々自領へ戻るオールトンにとって、ルンベックの執務を手伝っている間だけ、各地の情報を得ることができる。


 オールトンが友人の息子の死を知ったのは、亡くなってから半年以上経ってからであった。


「弔う機会を逃してしまったからかな」

 それ以降、オールトンはこの地へ足が遠のき、その存在を忘れていた。


 思い出したのはつい最近だった。

 たまたま町で結婚式を見て、旧友の顔が思い浮かんだ。


 オールトンがジョアーノと最後に会ったのは、彼が結婚したときだった。

「僕が知らないうちに子供をこさえて、亡くしていたなんて」


 オールトンは、墓の前でリュートを奏でた。

 それは、幼くして亡くなった子への鎮魂歌。


 墓地にリュートの音色が響く。


「ご静聴ありがとうございました。続きはまた」


 観客のいない演奏会は終了し、オールトンは居並ぶ墓石に向かって恭しい礼をすると、それらに背を向けて去っていった。


(さて、次はどの町へいきましょうか)


 ――ボロロン


(なるほど、分かりました。そうしましょう)


 リュートの音に耳を傾け、一度だけ満足そうに頷くと、オールトンはデーニックの町を出て行った。




 休憩が終わり、正司が馬車に戻ると、中の雰囲気は一変していた。


「お帰りタダシ。外の護衛と打ち解けたようね。話し声が中まで届いたわよ」


「そうですか。最初、話しかけたら避けられている気がしました。ただ、同じ護衛仲間ですし、なんとか打ち解けられないかとがんばってみたのです」


 護衛の中で、正司のことを知らない者はいない。

 ルンベックの馬車に同乗していることからも、注目の的である。


 避けられていると感じたのはもちろん間違いで、正司が話しかけたとき、「何か不手際でもあっただろうか」と護衛が戦々恐々としていたのである。


 一方、「同じ護衛どうしですし」と正司が言ったとき、「ああ、そういう設定ですか」と理解されてしまった。


 このところ、正司という魔道士の噂は虚実取り混ぜられて、ルンベックを守る者たちですら、ワケが分からなくなっていた。


 ルンベックから直接厳命も出ている。

 過度な接触は禁止、詮索は不要、分からないことがあっても気にしないようにと言われている。


 いまの「護衛」発言も「高度な政治的駆け引き」があるのだろうと護衛たちは考えた。

 自分たちはそれを理解できないが、気にしてもいけない。そう思ったのである。


 正司については、半ば腫れ物扱い(アンタッチャブル)になっており、だれも問いただそうとしない。


 こうして互いに気を使いながら、休憩中の雑談が始まったが、両者の歩み寄りの結果、徐々に打ち解けていった。


「それでですね、リーザさん。ミュゼさんから習ったフィーネ領の知識が早速役に立ちましたよ」


「それはよかったわね。魔物の湧きは、街道のすぐ近くで起こるから注意なさいってことかしら」


「なんでそれを知っているのです!?」


「常識ね」

「それは常識だよ、タダシくん」


 即座に突っ込まれて、正司はしゅんとなった。

「……考えてみれば、そうですね」


 自分の生き死に関係する情報だ。知らなければ、巻き込まれて死ぬ。


「ちなみに、ミルドラルだと、フィーネ、トエルザード、バイダルの順に魔物が湧くわよ」

「地域ごとで、違うのですか?」


「ええ。荒れ地が多いバイダル領は、魔物の被害は少ないわ。一番魔物が湧かないのが砂漠で、次が荒れ地だもの。私たちが住む岩場地帯は、その次かしら。そのあとは覚えている?」


「次に湧くのが草原地帯で、一番多いのが森林地帯ですよね」


「はい、よくできました。……というわけで、領全体が森林に覆われているフィーネ領は、トエルザードやバイダルと比べて、魔物の湧きが多いから、魔物の被害も多いの。どう、理解した?」


「理解しました。フィーネ領は森林ばかりだから、注意が必要なんですね。……先ほど、休んでいるときに突然魔物が湧いたので、ちょっと驚きましたけど」


「外の歓声はそれだったのね。魔物が湧いて、タダシが魔法で倒したのかしら」

 それだけでリーザは理解した。


「その通りです」

「あまりハデにやらないでね」


 正司の魔法は呪文と秘薬を必要としない。

 それで威力は桁違いなのだから、少し控えろと言っても、焼け石に水状態だったりするが。


「はい、手加減は大丈夫です。任せてください」

 そして言われた正司は、なぜか自信満々だったりする。


 それについてはもはや、リーザは何も言わない。

 無駄と知っているからである。



 馬車は動き出し、ゴトゴトと車輪が道の小石を噛みしめる音が聞こえてきた。

 リーザは小窓を開けて、外の景色を眺める。


「山と森に囲まれたトエルザードとは違って、フィーネ領は平地が多いのよ。本当は一番住みやすいはずなのだけど、魔物の被害は一番多い……嫌になってしまうわね」


 森林地帯と聞いて、正司は日本の山林を思い浮かべるが、この世界は少し違う。

 起伏のない土地に、木々が乱雑に生えている感じだ。


 日本の場合、そのような場所を雑木林ぞうきばやしと呼び、開発され尽くされている。

 都会に住んでいると、雑木林自体、目にする機会がない。


(凶獣の森もこんな感じでした。あのときは青木ヶ原の樹海が一番近いと思いましたが、ここもそんな感じですね)


 延々と続く木の連なりは、正司がこの世界に初めて落ちたあの場所を連想させる。

 思えば遠くにきたものだと、正司が感慨深く思っていると、リーザがポンッと手を叩いた。


「そうそう、タダシ。町に着いても、『私はいない』ことになっているから、覚えておいてね」

「へっ!? どういうことですか?」


「公式に訪問するのはお父様だけということ。身分を名乗って他領入りすると、相手に気を使わせてしまうでしょう。それを避けたいのよ」


「ああ、そういうことですか。ラマ国に入ったときと同じですね」


「そんな感じね。お父様が町の領主に呼ばれているときは、私と一緒にいられるわよ。時間の余裕もあることだし、町を案内してあげるわ」


 領主や上流階級の人たちにとって身分は重要。

 正司には分からない苦労があるのだろう。


 正司は、ルンベックから旅の予定を聞いている。

 フィーネ公領の町には、トエルザード家所の屋敷がある。


 町では必ず、そこに宿泊することになる。


 ルンベックは当主として仕事があり、町の有力者と会談の予定も入っている。

 室内の護衛に関しては、剣を使える優秀な者が揃っており、正司の出番はない。


 各町に滞在中は人に迷惑をかけたり、目立つことをしなければ、正司の好きにしていいと言質をもらっていた。


 どうやらその「自由時間」は、リーザと一緒に行動するらしい。


「私も何度か来たことがあるから、いろいろ案内してあげるわ」

「そうですか。期待しておきます」


 国内はなるべく若いうちに見て回った方がいいという判断のもと、リーザはルンベックの視察に何度も同行していた。


 幼い頃からそのようにして各町の領主の顔を覚え、町の雰囲気を掴んできたリーザである。

 町の雰囲気を肌で感じることによって、忘れられない記憶となる。


「このフィーネ領で、リーザさんのお薦めはどこですか?」


「うーん、難しいわね。フィーネ公領はあまり発展していない場所が多いのよ。その分、雄大な景色が楽しめるわ。多少危険でも構わなければ、案内できるところは多いかしら」


 どこでも魔物が出るため、手つかずの自然が多く残っているらしい。


 名所となり得る場所でも、道中が危険だったりして人が訪れない。

 そんな場所がいくつもあるという。


「やはり問題は魔物なんですね」


「それはそうよ。『約束の地』を探して、北の地を歩いた人も多いらしいけど、結局見つかってないしね」


「何ですか、その約束の地というのは」


「約束の地は、まだお母様から習ってないかしら。かた口伝くでんにその言葉があるの。とある一節の翻訳に成功して、そこに出てくるのよ」


「それは聞いていませんでした。語り部についても、以前リーザさんとミラベルさんから教えてもらっただけですし」


「ふーん、そうなの。……まあ、口伝については分かっていることも少ないし、重要でもないから、後回しになっているのね」


「その口伝がどういうものか、教えてもらえますか?」


「興味があるの?」


「そうですね。語り部とか、口伝というものに興味がありますが、約束の地がなんだか、気になります」


「いいわよ、話しても。語り部の一族はトエルザード家で保護しているけど、謎が多いのよ。分かっていることは、すごく少ないの」


 そう前置きしてから、リーザは話しはじめた。


 語り部の歴史は古い。

 大陸の西側に人々が渡ってくる前から、語り部が存在していたのは確からしい。


 このことから、語り部の発祥は帝国領であると考えられている。

 彼らが口伝として伝える言葉は、他のどれとも合致しない。


 そして奇妙なことに、彼ら自身もまた、その言葉の意味を知らない。


 長い歴史の果てに忘れ去られてしまったのか、はじめから言語として話されていなかったのか、分からない。


 ただ、彼らは口伝として「誰にも理解できない言語」をずっと引き継いでいる。


「まるで詩の朗読のように韻を踏んでいるけど、帝国内のどこを探しても、似たような言語は存在しないのよ。そして語り部の一族の言葉は、文字におこせない。丸暗記しているだけだから、翻訳するのも一苦労。長年研究しているけれど、成果はほとんどなし」


「謎すぎですね」

「まあね」


 いくつかの単語や、構文が翻訳されたに過ぎないという。

 これは言語サンプルがあまりに少なすぎるからだろうと、正司は考えた。


 地球でも古代文字を解読するとき、サンプルが少ないと、正解を導くのが難しいらしい。


「○○は、□□する」という文章があったとする。

 ○○と□□に入る言葉の組み合わせは、無数に存在する。


 サンプルが多ければ多いほど、絞り込みが可能になってくるが、そうでない場合、正解を出すのはほぼ不可能といえる。


「それでもいくつかは成功したのですね」

「そうよ。約束の地というくだりも、そのひとつね」



 ――北に現れし大地


 ――そこは飢えることのない常幸とこさちの地


 ――いざゆかん、約束の地へ



 翻訳が成功したのは、100年近く前のことらしい。

 どうやらどこかに飢えることのない広大な土地があることが分かった。


 語り部たちは、それを子孫たちに残したのだ。

 ならば、約束の地へ行こうではないか。


「北」の「大地」といえば、場所はひとつしかない。

 未開地帯である。あの中に約束の地がある。


 そう考えて、多くの人が向かったらしい。


 語り部の発祥が帝国領であるから、帝国領側の未開地帯へ、人々は入っていった。

 だが、ついぞ見つけることは叶わなかった。


 未帰還の者も多い。

 約束の地を見つけて戻らなかったと考えた者は少ない。


 未開地帯は、生きるのに厳しすぎる場所だから。


「北」とは、語り部が住んでいた場所から見て北側ではないかと言い出す者もいた。


 そもそも語り部がどこに住んでいたのか分からない。

 そうなってくるともう、判断のしようがない。


 しだいに『約束の地』は忘れ去られていったという。


「ただね、タダシくん。語り部たちは過去のことを口伝として残しているわけではないと言っている人たちもいるんだ」


 ここでルンベックが意外なことを言い出した。

「過去のことではない……ですか?」


 過去ではなければ、何だろう。

 正司が首を傾げていると、ルンベックは囁くように告げる。


「語り部の口伝は意味不明で、わけが分からない。だけど、一族のみしか伝えられないという点に、私は恐ろしさを感じている」


 口伝であるため、文章には残せない。


 ならば一族以外にも多くの人が覚え、口伝を広めていくことで、新しい何かが分かる。

 そう考えて実践したらしいが、その試みはことごとく失敗したという。


 正司がリーザの方を向くと、リーザが首を横に振った。


「一族以外に、正確に口伝を残すことができないのよ。何か大きな意志が介在していると、おそれる人もいるわ。語り部の一族のみが、それを伝えられるのだから」


 だからトエルザード家は、語り部を保護した。

 すでに約束の地は否定され、語り部たちの存在意義も失われている。


 酔狂に翻訳作業を継続しているのは、トエルザード家だけである。

 10年、20年後、いや100年、200年後に口伝が解明されるかもしれない。


 だから援助をしている。


「私はね、こう考えるのだ。語り部たちは、未来のことを予言しているのではないかと」

「まさか……」


 ルンベックが冗談を言ったのではないと、正司は分かった。

 ルンベックの顔は大まじめだ。


「語り部は未来を語るのですか?」

「断片的に判明した語彙からの類推だけどね」


 それはどうなのだろうかと、正司は思った。


 ノストラダムスの予言にしろ、マヤ文明に残された予言にしろ、それらは未来を予言しているようでいて、どうとでも解釈できる内容だったはずだ。


 他の予言書もそうだ。

 未来を当てたというより、「そう解釈できる」といったものが多い。


 予言など、考え方、捉え方でどうとでもなってしまう。


「約束の地はまだ存在しない……と私は考えている。いつか分からないけど、これから先、北の大地に出現する。そう考えているんだ」


「なるほど……勉強になります」

 ルンベックはもっと現実主義者かと正司は思ったが、意外にも夢見がちな一面があるらしい。


(今の話を聞いて、少し親近感が持てましたね)


 語り部の研究が進んだのは、ここ何十年かであるらしい。

 分からないことは、まだまだ多い。


 ならば夢を見てもいいではないか。

 正司がそんな大らかな気持ちでいると、今度はリーザが真面目な顔をした。


「そんな夢みたいな土地なんて、あるわけないわよ」

 この点に関しては、リーザの方が現実主義者らしかった。


「まあ……そうかもしれませんし、そうでないかもしれません」


(それでも夢みるくらいは、許されると思います)


 正司は黙って頷いた。

 それはルンベックの話に共感したのか、リーザの意見に納得したのか。

 正司は答えなかった。



 馬車はゆっくりと進み、フィーネ公領の国境の町へと入っていった。



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