056 従業員教育
時間は少し遡る。
正司は〈森林浄化〉スキルの検証を早いうちに行いたいと考えていた。
(結果が出るのはまだ先ですし、種まきだけは早めに終えておきたいですね)
管理地に湧く魔物はG1からG3まで。
スキルを3段階まであげであるので、この地に魔物は湧かないはずである。
ではG4、G5の魔物が湧く地はどうなのか。
(説明文の通りでしたら、湧くグレードが3つ分下がるはずですよね)
G4の魔物が湧く地ならばG1の魔物までしか湧かない。
G5ならばG2の魔物になる。
それを検証するため、正司はいくつかの場所に向かい、〈森林浄化〉の魔法をかけて回った。
(マップには浄化した地が分かるようになっていますし、これがマップから消えたら効果がなくなったと考えるのかもしれません)
それを含めての検証である。
(残り貢献値は4ですので、これはとっておきましょう)
〈森林浄化〉スキルをこれ以上上げるのは止めておいた。
スキルが有用かどうかを判断してからになる。
数日かけて仕込みは終えた。
あとは定期的に見に来るだけでいい。
朝の講義が終わり、正司は昼食を食べ終えたところだ。
さて今日は何をしようかと思っているところに、レオナールがやってきた。
「タダシ殿、募集しておりました従業員についてお話ししたいのですが、お時間よろしいでしょうか」
「レオナールさん、もう従業員が決まったのですか?」
「全員ではございませんが、半数以上は決まりましてございます」
博物館の従業員を雇うにあたっては、トエルザード家が完全に後ろについた。
……というよりも、トエルザード家主導によって従業員が集められた。
ミュゼから「初めが肝心ですわ」とか「契約のこともありますから」と言われて、正司は納得した。
この世界で正司はまだそれほど知人やコネが多くない。
さらに一般の雇用契約について、まだ何も知らない。
トエルザード家に契約関連の専門家がいると聞いて、任せることにしたのだ。
そういった事情があって、従業員は「トエルザード家の名」を使って集められた。
トエルザード家は博物館経営には関わらないため、最終的な雇用契約は代表の正司と行うことになる。
今回、レオナールが正司に確認しにきたのは、その辺が関係している。
「すでに契約書は作成してあります。後刻お目通しくださいませ。一般的な教育はできている者ばかりですので、その辺の心配もございません。ですが、博物館での仕事内容をどう伝えればいいのか、その辺をご相談したくあります」
今回選抜されたのは40名だという。
レオナールやエリザンナを含めて、博物館の各部門のトップはトエルザード家家臣の中からすでに選んである。
それを加えると、決まった従業員の数は50名になる。
そしてここが重要だが、彼らはみな優秀であり、「基本的な研修」は必要ない。
博物館オープンに向けて、「実践的な研修」を受けさせたいとレオナールは考えたようだ。
「でしたら、実際に博物館を見てもらった方が早いですよね」
「その方がよいかと存じます」
「でしたら今日は、従業員のみなさんを博物館に連れて行きましょう」
「……分かりました。それではみなを集めて参ります」
「外で待っているので、よろしくお願いします」
正司は博物館の代表、いわゆるオーナーである。
経営には携わるし、アイデアは出すが、実務は丸投げになる。
レオナールが総支配人として従業員たちのトップに立ち、副支配人にはエリザンナの就任が決まっている。
金銭面の管理は、エリザンナがすることになるだろう。
マリステルは六つある各部門のトップに就任してもらう予定で、パウラはレストランとお土産、そして屋上のプレイランドを統括してもらう予定である。
他にも優秀な者たちが多数参加していると、レオナールは言っていた。
彼らに任せれば、運営に支障をきたすことはないと太鼓判を押していたほどだ。
それほど優秀な人たちがくるのかと、正司としては恐縮することしきりであるが、せっかく始めたことなので、途中で頓挫させたくない。
「みなやる気に満ちておりますわよ」
ミュゼからそんなことを言われれば、「よろしくお願いします」と言うしかない。
ちなみにミュゼは当主の妻であり、政治的にも重要な役割をいくつも担っているため、博物館に関わることはない。
それでもトエルザード家としてバックアップすると明言しており、正司は何らかの肩書きを与えた方がいいのではないかと考えていた。
(相談役とか顧問とかいろいろありますよね。その辺は要相談でしょうか)
なんにせよ超大型の博物館など、世界初の試みである。
最適解など最初から見つかるはずがない。
人事、運営含めて、すべて手探りで進んでいくしかないのである。
その日の午後、レオナールによって従業員が集められた。
集まった一同を見渡し、正司は自己紹介をはじめた。
「みなさん初めまして、私が博物館オーナーのタダシです。よろしくお願いします」
正司が名乗ったとき、一瞬だけ従業員たちの間がざわついた。
正司は「まだ若い者がオーナーと聞いてがっかりしたのかな」と考えたが、真実は違う。
実はこの頃になると、ルンベックが作り上げた「タダシ」という魔道士の噂が一人歩きしていたのだ。
噂を伝え聞いた者たちの何人かが、「あれが噂の!?」とか「やっと本人と出会えた」と、正司の自己紹介で、感情が表に出てしまったからである。
この噂であるが、一人歩きしているものの統一性がないあやふやなものとなっていた。
ルンベックの側近中の側近、放浪の魔道士(これはシュテール族の外套を纏ったことから由来する)、先代の隠し子、大金を投じて英才教育した傑物など多岐にわたる。
これらすべて、本物の正司を隠すための措置であり、その意味ではルンベックの目論見は成功している。
背格好の似た家臣を使って『ニセ正司』まで作り出し、そばに置いているのだから、よほど注意深く噂を集めないと、真実に到達できないようになっている。
そしてレオナールによって集められた従業員の中には、ごくまれに「本物」がいた。
流された噂に惑わされない本物である。
すぐにルンベックの側にいる者が偽物と気づき、政治的判断によって秘匿された人物だと見抜いていた。
他にも巷間に流れている噂との乖離から、「何かおかしい」と感じ取った者もいる。
外見は風評通りだが顔が違うと看破した者もいれば、そもそもここにいるはずがないと訝しんだ者もいた。
さすがはトエルザード家が選んだ者たちである。
その代わり、中には噂だけしか聞いておらず、「これがその当人なのか」と考えた者も半数ほどはいたのだが。
「今日はこれからみなさんと一緒に博物館に向かいます。見学しながら、博物館がどういったものなのかを理解してください。気負わなくてもいいですよ。今日は見るだけですから。……それでは出発しますね」
博物館で「実践的な研修」をすると正司が伝えたため、レオナールが数台の馬車を用意していた。
一行はそれに分乗して博物館に向かった。
ラクージュの町に新しい名物が誕生した。
天高くそびえる一本の塔である。
町のどこからでも見えるその塔に上った者はいない。
なにしろ巨大な壁に阻まれて、塔まで近づけないのだ。
「あの壁の中には何があるのか」
町の人々の興味は尽きない。
つい先だって、ただの壁だった場所の一部が削られ、鉄製の重厚な門が備え付けられた。
それを発見した町の人々は首を傾げることになった。
「ハテ? いつこんなものが?」
気がついたら鉄門ができていたのである。
工事中の作業員を見た者はいないし、工事の音も聞こえなかった。
「何とも立派な門だろうか」
町の人々は突如現れた鉄門をそう評したが、これは職員用の通用門として正司が作ったものだ。
正門ではない。
防犯を考えて、材質はすべて鉄である。
搬入に使えるよう、左右に開くタイプにしてある。
扉があまりに大きく立派であるため、町の人が正門だと思ってしまったのも頷ける。
従業員たちですら、門を潜るとき、「これが噂の正門か」と感激したほどだった。
「着きました。ここがみなさんに働いてもらう博物館です」
「「「…………」」」
従業員たちは、初めて巨大な壁に囲まれた中に入った。
そして噂の塔と、未知の建物を目にすることになった。
瞬時にして建ったと言われる塔のことは、よく知っている。
実際、毎日遠くから眺めている。
壁の中については情報が秘匿されて分からなかった。
ついにその中に入ることができた……と思ったら、噂以上であった。
と言うか、中はあまりに異常であった。
超巨大で、豪華絢爛かつ、重厚重圧なあの建物は何なのだ?
それがまず目に入った。次に……。
――ドッドッドッドッドッドッ……
建物の前にある巨大な噴水。
そこから水が、天に向かって溢れんばかりに噴き上がっていた。
あまりに幻想的かつ、非常識な光景である。
「あの……水! なぜ噴き上がって……というか、どうなっているんですか?」
従業員のひとりが、噴水を指して絶叫した。
高低差を利用して滝のように流れ落ちるものならば見たことがある。
だが、下から上へと噴き上がるのはどういった理由なのか。
「溜めた水を循環させてあります」
「いや、聞きたいのはそっちではなくて……って循環!? ど、どうやってです?」
「魔道具ですね」
「…………」
原理はポンプと一緒なので、原理さえ分かれば、作るのはさして難しいことではない。
そう思って正司は、ぱぱっと作ったので、あまり記憶に残っていない。
正司は噴水の構造に詳しくないため、かなり自己流である。
ふたつの噴水の地下に大きな貯水タンクを作った。
そこには常時、水が蓄えられている。
そこからパイプが伸びており、魔道具で水を吸い上げる構造になっている。
タンクに入れる水は最初こそ〈水魔法〉で作りだしたが、あとは循環させるだけでいい。
水が足りなくなっても、雨水の一部が流れ込むようにしてあるのでその辺も問題ない。
(ゴミを取り除くようにしてありますし、問題はないはずですが……ああ、噴水が珍しいのですね)
たしかに噴水は珍しい。珍しいが、何かが違う。
そして他の従業員たちはというと……どれもみな、挙動がおかしかった。
噴き上がる水の奔流をじっと眺める人がいる。
原理に興味があるのだろうかと正司は考えた。世の中には、仕組みを解明したくてしょうがない人が一定数いるものである。
塔に俄然注目している人がいた。
フラフラと吸い寄せられるように入り口に近づいていって、同僚に止められている。
正司は「高いところが好きな人もいましたね」と温かい目で彼らのやりとりを見つめている。
「おい、危険だ。中に入ったら、生きて帰れないかもしれないぞ」
「いやこれは幻に違いないんだ。こんな高い建造物があるはずが……」
などとやっている。
かと思えば、植栽に興味津々な人もいる。
「一体どこから運んだんだ?」とブツブツ言っている。
ほかにも、博物館の建物を凝視している人もいる。
博物館の建物は一番目立つので、それに注目している人が一番多い。
「まあ……そうなりますわよね」
そんな従業員の有様を見て、ミュゼは達観している。
「装飾に凝った甲斐がありましたね。喜んでもらえそうです」
「いえ……そうではな……いいですわ」
ミュゼは苦笑した。
これまで正司は、ヒマを見つけては、博物館に〈瞬間移動〉で来ていた。
というのも、博物館の外観があまりに殺風景だったのだ。
そこで正司は一計を案じ、建物の壁に文様を彫り込んだ。
装飾は若葉をモチーフにしたもので、正司のイメージとしては古代のギリシャ彫刻である。
空いている時間を見つけてコツコツと作成したもので、最近ようやく完成したのだ。
正司は、この装飾を大変気に入っている。
所々凝りすぎて、ギリシャ彫刻よりもガウディの建築物みたいになっているところもあるが、和洋折衷という言葉があるように、イタリア様式が多少混ざっても問題ないだろうと正司は考えている。
「それではみなさんが働いてもらう場所に案内します。といっても建物の中ですけど。……まだみなさんの部門分けは終わっていませんので、今回は説明しながら全部回りますね」
建物に入り、最初に正司が連れて行ったのは地下倉庫である。
ここの広い空間の半分ほどに、すでにもう魔物の石像が並んでいる。
魔物が湧く土地へ赴き、多くの魔物を見てきた。
その集大成がこの石像たちである。
「これが展示物になります」
「「「………………」」」
所狭しと並べられた石像を見て、全員が固まった。
ミュゼとレオナールは何度もここへ足を運んでいるため、まだ耐性がある。
二人とも、これをはじめて見たときの驚きを思い出した。
最初は絶句し、あとでなんてものを作ったのだと呆れたほどだ。
これまで「出会ったら死ぬ」とまで言われてきたG4以上の魔物をマジマジと見たものなどいない。
死体を残さないため、G1の魔物でもそうだ。
それが今にも襲いかからんばかりのポーズをとって、並んでいるのだ。
一応レオナールは、ここに来る前、口がすっぱくなるほど石像について説明しておいた。
それがまさに功を奏した。
半狂乱になって叫び出す者が出なかったのは快挙といえよう。
それを誇る時点で、従業員たちの驚きが分かるというものである。
「やはりみなさん驚かれましたね」
正司は続けた。
「同じ魔物の石像が並んで驚いたと思いますが、みなそれぞれポーズが違います。グレードの低い魔物ですと、集団で行動している場合もあります。また目を楽しませるために、一体よりも複数いた方がよいと考えたのです」
(いや違う! そうじゃない!)
全員が心の中で突っ込んだ。
「それとこの石像ですが、一見重そうに見えると思います。これ、実は中が空洞になっています。さすがに持ち上げることは無理ですけど、移動は結構簡単だと思います」
石像と言っても、厚さは数ミリで出来ている。そして中は空洞だ。
持ち上げれば分かるが、よくあるブロンズ像よりも軽い。
ただし見た目はかなり重厚であるが、正司が〈土魔法〉で強化させたので、頑丈かつ軽量だったりする。
「私が見たままを石像にしましたので、みなさんから見ておかしいところはないでしょうか。もしあったら、早めに言ってください。できるだけ直したいと思います」
「…………」
薄暗い倉庫内で、塗色されていることもあり思った以上に雰囲気が出ている。
そして従業員たちは、細部まで精巧につくられた石像群に「ここがおかしい」と突っ込めるだけの知識を有していなかった。
いまにも動き出しそうな躍動感をもっていることも相まって、生きた心地がしない従業員も多い。
冷静に見られるものではない。
(……というか、これ以上に詳しく魔物を見た者はいるのか?)
そう思ったが、口には出せなかった。
「そうそう、石像には台座が着いていますよね。これは転倒させないための措置です。台座をよく見ると、魔物の名前と通し番号がついています。キャプション……説明文は私が用意しますが、まだできていません。そのうち説明文の一覧を作りますので、それまで待っていてください」
正司は『情報』の説明文を博物館のキャプションに流用するつもりである。
『情報』に書かれている内容は、この世界でまだ知られていない特性もあったりするが、それについて正司は理解していない。
「それと床を見て下さい。マスになるように線が引いてあると思います。そしてマスの中にある数字。これが魔物の台座に書かれている数字と合致します。一対一で対応させています。ここは倉庫ですので、石像をここから出して展示して、必要なくなったら同じ場所に戻す感じですね。……ここまでで何か質問はありますか?」
「「「………………」」」
何もなかった……というか、何を聞いていいのか分からないようだ。
最初のうちは頑張って頭に入れていたが、脳が飽和状態になっていき、これ以上新しい情報を入れるのが難しくなっていた。
「質問がないということは、みなさん理解してくれたようですね。よかったです。では次に行きます。中央の搬入エレベーターの説明をしながら一階へ出ましょう」
こうして正司の解説は、夕方まで続いた。
大事なことだからもう一度。
正司の解説は同じペースで夕方まで続いた。
その日の夜。
ミュゼはルンベックの執務室を訪れた。
ルンベックは分かっていたらしく、仕事を片付けて待っていた。
「なかなか衝撃的だったようだな」
ルンベックは苦笑している。
昼間何が起こったのか、ルンベックはすでに知っていた。
従業員から聞き取りをしたのだろう。
「あの従業員の人たちは、他の従業員を先導してもらいたいですし、最初からありのままを見せた方が良いと考えたのですわ」
「家臣から推薦があった者たちばかりだ。辞退する者はおるまい。多少刺激的でもなんとか持ち直すだろう……ん? それは何だ?」
ルンベックはミュゼが手の中でチャラチャラさせているものに目をやった。
「博物館で売り出す土産物のひとつですわ。王国銅貨、数枚で手に入りますの」
王国が発行している銅貨が数枚ということは、パン一個程度の価値しかない。
「それで手に入る……?」
「ええ、銅貨を入れて、取っ手を回すとこれが一枚出てくる置物がありますの。ご覧になります?」
そう言ってミュゼは、ルンベックに手の中のものを手渡す。
ルンベックはそれをマジマジと見つめた。
「これは……石で出来たメダルか。表面の精巧な彫り物は……なんと! すべて違う魔物が描かれているではないか。これが銅貨数枚だと?」
「冗談ではありませんのよ。土産物コーナーの一角に設置して、子供の小遣いでも買えるようにとタダシさんが思ったようですの」
「おまえ……これ……一流の職人が何日もかけて彫ったと言われても信じるぞ……これを子供の小遣いで買える土産にするのか!?」
ルンベックは遠い目をした。
「もとはただの岩だから、原価はまったくかかっていないみたいですの」
「だからと言って……」
そこでルンベックは詰まった。
博物館の三階で土産物を売るとは聞いている。
小さな魔物の石像――正司が言うところのフィギュアや、魔物のドロップ品やそれで作った様々な道具を売るとは聞いていた。
博物館に来た人たちしか土産物コーナーに足を運べないらしく、物珍しさから人が殺到するだろう。
転売を目論む商人が来るかもしれないとレオナールに伝えてある。
かなり高価な物も並ぶとルンベックは予想していたが、子供の小遣いで買えるものがこのレベルらしい。
ルンベックにしても、ちょっと想像の埒外だった。
ならば他の土産はどんなものになるのだろうか。ルンベックの視線を受けて、ミュゼが微笑んだ。
「ちなみにタダシさんは、これが出る置物を『メダルガチャ』と名付けましたわ。みなさん有り金が空になるまで回しておりましたの。わたくしは残念ながらもちあわせがなかったので悔しい思いを……」
ふふっとミュゼが笑った。
逆にルンベックが目を剥いた。
「ちょっと待て!」
「あら、何かしら?」
「もしかして稼働させたのか?」
ルンベックの声が大きくなった。
「従業員の見学のときにタダシさんがメダルガチャの使い方を実演してくれましたの。それでみなさん興味をもたれて……シークレットメダルやレアメダル欲しさに列ができましたわ」
「…………」
なんてこった……ルンベックはそんな顔をした。
つまり従業員の有り金分くらいは出回ったことになる。
銅貨数枚で交換できるメダルは材質が石であるから価値がない……わけがない。
ならば芸術家の描いた絵画は布と絵の具の価値しかないのか。
そんなはずはない。
価値とは材質で決まるものではない。
また大量に作れるからといって、価値がゼロになることもないのだ。
ルンベックはメダルをもう一度よく眺めた。
まるで生きているかのようだ。
戦いの一部を切り取ったかのように彫られた姿はまさに芸術品。
高価な品にしかみえない。
「とくにレアメダルが出た人は大喜びでしたわ。なにしろ紫水晶でできたメダルでしたし」
「ちょっと待った!」
「あら何かしら」
二度目のちょっと待ったである。
「紫水晶に精緻な加工ができたのか?」
「実際にできたからレアメダルがあるのだと思いますけど」
「そうか……そうなのか?」
あれは簡単に加工できるものだったか? そう考えて頭を振った。
正司が絡んでいるのだから、そんなことを考えても無意味だ。
「そのレアメダルは当たりらしくて、たくさん回しても滅多に出ないみたいですわ」
残念ですわねと、ミュゼはホッと息を吐く。
メダルの大きさは五百円玉ほど。
材質はどこにでもあるただの石。描かれている魔物はどれも違う。
これが市場に出回ったら、だれがどうやって彫ったのか、誰もが気になるしろものだ。
そのため、ルンベックは問わずにはいられなかった。
「ほかに……」
「何ですの?」
「ほかに何があるんだ? その土産物とやらは」
当然の疑問である。
「わたくしも全部は聞いておりませんの」
「知っているだけでいい」
「そうですか? まだ完成していませんのに……わたくしが知っているだけですと、石像のフィギュア以外でも、レリーフやタリスマン、パズルに遊技盤、可動人形、記念バッジ……他にあったかしら」
「ず、随分と多いのだな」
「ええ、あとは一部のドロップ品やそれで作った品物も売るようです。魔道具も並べると言ってましたわ」
「色々と世間がひっくり返りそうだな」
「コインも売るつもりだったみたいですけど、買い手が争って刃傷沙汰になりそうですので、控えるようにお願いしましたの」
「賢明な判断だ」
もし土産物コーナーでコインが売られていたらどんな騒ぎになるか……ルンベックは眩暈がした。
「コインは展示に切り替えるつもりみたいですの」
「…………」
まあ、売られるよりはいいかもしれない。
ルンベックはそう思うことにした。
「なんというか……従業員に同情するな」
初見でそんなものを見せられたら、これまでの常識が足下から崩れ去りかねない。
「良い経験になったのではないでしょうか」
ふふふっといい笑顔を見せるミュゼに、ルンベックは「おまえは変わったな」という言葉を飲み込んだ。
その翌朝、正司がミュゼから講義を受けている間。
レオナールは、トエルザード家を守る精鋭がいる場所――護衛隊詰め所に足を運んだ。
「本日の護衛任務が入っていない者はどのくらいおりますかな?」
詰め所でレオナールがそう問いかけると、10人ほどが手を挙げた。
「任務のない方々は、本来鍛錬が入っていると思います。本日、それは免除します。ついてきてください」
レオナールは屋敷の奥まった一室に彼らを連れてきた。
「いいですか。これから話すことは他言無用です」
全員が頷く。トエルザード家の奥まった場所を守る彼らである。
職務にかかわることを普段から喋るような者はいない。
「これを見て下さい」
レオナールは透明な箱を取り出した。
ガラスでできているのだと兵たちは思ったが、それにしては透明過ぎる。
それに全面ガラス張りなのに、つなぎ目がない。
そして箱の中には……なぜかコインが入っていた。
G5の魔物からごくわずかにドロップするあのコインである。
「本日の夕方、私はまたここに来ます。それまでにこの箱を壊し、コインを取り出せた場合、あなた方にそれを差し上げます」
「!?」
全員が息をのんだ。
コインが貰える? 信じられないことをレオナールが言った。
「手段は問いません。他者の力を借りたり、人に話したりしたらその権利を失います。あくまでここにいるあなた方のみの力で、この箱を壊してください」
「あの……質問、よろしいですか」
「どうぞ」
「箱を壊すだけで……そのコインは貰えるのですか?」
「そうです。あなたのその手に持っている剣を使ってもいいです。穴を開けても、ハンマーで殴ってもいいです。他者に話さない限り、どのような手段をもちいても構いません。夕方までにこの箱を壊した場合のみ、このコインは差し上げます」
「「うおおおっ!」」
全員がレオナールの言ったことを理解した。
と同時に、がぜんやる気になった。
こんなガラスの容器など、落として踏みつけるだけで割れる。
いや、それはさすがにないかと思い直す。
おそらく頑丈なガラスなのだろう。だから壊せと言ったわけだ。
だが期限は今日の夕方。時間はたっぷりある。壊せないはずがない。
そしたら中のコインは自分たちのものだ。
「おい、鍛冶師んとこ行って、大槌借りてこい!」
「オレが行ってくる」
「じゃあ俺はこの剣で……」
「油をかけて燃やすか?」
「ノコギリで挽いたらどうだ?」
「それより石を積んで押しつぶしたらどうなんだ」
レオナールが部屋を出て行くとき、背後から甲高い音が響いた。
だれかが待ちきれず、腰の剣で斬りつけたのだろう。
「あっ、レオナールさん、こんにちは」
「本日もよろしくお願いします、タダシ殿」
その日の午後、ミュゼの講義が終わる頃になってレオナールが現れた。
「レオナールさん、ミュゼさんと話していたのですけど、今日は外壁のところに行こうと思います」
「もちろん私もご一緒しますぞ、タダシ殿」
「ええ、分かっています。ちょっと持っていくものがあるので、準備してきますね」
タダシが荷物を取りに、ミュゼとレオナールから離れた。
「レオナール。強化ガラスとやらは、どうなりました?」
「現在、10人の護衛隊に破壊させている最中でございます。夕刻までに終わらなければ終了とさせております」
「そう……破壊できるのかしら」
「さて、タダシ殿の言葉通りでしたら不可能でしょう」
先ほどレオナールが提示した条件。
それは正司が作り出した強化ガラスを破壊すれば達成できる。
コインを展示するとなったとき、盗難が心配だというミュゼに対し、正司は「G5の魔物でも壊せないガラス」と称して強化ガラスを提示した。
固くて強い。そのうえ粘性があり、力を吸収分散させる。
人の力では破壊不可能だと正司は言った。
それでいて完全に透明なのである。
そんなガラスが存在するはずがないのだが、正司が出してきたのならば、是非は問うまい。
検証して大丈夫ならば使えばいいのである。
問題は、誰に検証を頼むかだが、力が強く、口が堅い者として護衛隊が選ばれた。餌付きで。
高給取りである彼らだが、コイン一枚が報酬となれば本気を出す。
見事夕方までに達成できるか。
レオナールとミュゼは「不可能」とみている。
そして護衛隊が一日かけて破壊できないのならば、おそらく他の誰でもできない。
博物館で展示しても、盗難を心配するだけ無駄である。
「徒労となる彼らにはちゃんと説明した方がよいかもしれません」
一日かけてもガラスすら砕けない。
その事実に、彼らの心が折れないか心配である。なんとも贅沢な悩みであろうか。
「彼らへのフォローは戻ったときに考えましょう」
「そうですわね。……タダシさんが戻ってきたようですわ」
「もう大丈夫です。お二人とも準備はいいですか?」
「わたくしは問題ありませんわ」
「私も大丈夫です」
「では行きますね」
正司は跳んだ。