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055 浄化

 ミュゼとマルロウは、ビストを騙した商人クエーチェットについて話していた。


「とっくに領を出て行ったと思ったのです。ですが名を変えて、近くの町で活動しておりましたの」


 にこやかに告げるミュゼの声音に、正司はそら恐ろしいものを感じた。

 それはマルロウも同様だったようで「なんと無謀な……」と言ったきり絶句してしまった。


 このラクージュの町でもクエーチェットは複数の名前を使っていた。

 記憶に残らないほどの接触を合わせれば、もっと多いかもしれない。


「彼と会ったことのある商人は、十人を超えていましたの」

「…………」


 マルロウは理解した。

 トエルザード家はその者を大金で雇い、複数の町へ派遣したのだと。


 自領で入念な聞き込みをすれば、怪しそうな人物は浮かび上がってくるだろう。

 何しろ領主が探しているのだ。隠し立てする者はほとんどいない。


 本人に会った者を派遣すれば、判別も容易だっただろう。

 クエーチェットもまさかそこまで自分を探しているとは思わなかったに違いない。


 名を変えて紛れてしまえば、見つかるはずがないと高をくくった結果がこれである。

 マルロウは居住まいを正して、ミュゼに向き直った。


「彼は我が商会の名を騙った不届きな者です。こちらでも捜索の手を広げておりました」

「そうでしょうね。分かります。わたくしどもが先に見つけたのは、たまたま……運がよかったからでしょう」


 運がよかった? そんなハズがない。

 クエーチェットは名と姿を変えて活動していたはずだ。


 儲け話を各方面に持ってゆき、反応を見ていたのはここと同じだろうが、それだけで本人に辿り着けるものでもない。


 人海戦術が使われたのだろう。

 マルロウはトエルザード家の本気を見たような気がした。


「それでですけど、一通り話を聞き出した後は、領外へ放逐しようかと思いますの」

「牢に入れるのではなくて?」


「ええ。明確な法を犯しているわけでないですもの。あくまで事情を聞くだけですわ」

「…………」


 マルロウは心の中で「そんなわけあるか」と突っ込んだ。

 ここまでトエルザード家が動いたのだ。話を聞いて、「はい、さよなら」で終わるわけがない。


 わざと牢に入れないに違いない。

 ではなぜそうするのか。マルロウは頭を働かせた。


「そうですわね。王国まで護送するのが一般的かしら。でも我が領はいま、人が足らなくて……」

 なるほど、そうきたかとマルロウは思った。


「でしたらその役目、私が受け持ってもよろしいでしょうか」

「まあ、それは助かりますわ。マルロウさんでしたら安心してお任せできますもの」


 しらじらしい会話だが、一応の名目がたった。そんな感じだろう。

 マルロウは素早く計算した。


 王国の商人たちはみな仲がよい……わけがない。どちらかというと、仲がよい振りをしているだけだ。

 利害関係が衝突すれば、互いに暗殺者を送り合うくらいには仲がよい。


 追い落とす材料があれば、存分に使うことを躊躇わない。

 今回は自分の商会がダシに使われた。落とし前をつけさせる必要があるとマルロウは感じていた。


 トエルザード家も同様だろう。自領で暴れ回られたのだ。

「事情を聞くだけ」という話を信じるマルロウではない。「黒幕を追い詰めるための準備を終えたら」と、二重で聞こえたくらいだ。


 マルロウの予想では、クエーチェットを動かしたのは、同じ八老会のどこか。


 どこの商会か、およそ想像がつく。

 そもそも八老会にちょっかいをかけるのは、同じ八老会くらいしかいない。


「分かりました。護送される日が決まりましたらお知らせください。引き取りに伺います。そしてかならず王国まで届けることを約束します」


 マルロウはそれ以上言わなかったが、ミュゼには「そしてフォングラード商会へ直行します」とダブって聞こえた。


「ええ、よろしくお願いしますわ」

 ミュゼとマルロウ……いや、トエルザード家とフォングラード商会の思惑が一致した。




(……なんだったのでしょう、さっきの会話は)


 屋敷に戻っても正司は放心したままだ。

 あの後ちゃんと、マルロウから丁寧なお礼の言葉をいただき、クエストは無事クリアされた。


 貢献値1もらって、残り貢献値が8に増えた。

 大変喜ばしいことである。


 だが、ミュゼとマルロウの会話を聞いたあとでは、毒気を抜かれてしまって、素直に喜べない。


 あそこで何らかの合意がなされたのは確かだ。

(私の知らない何かがあったようです……本当に奥が深いですね)


 政治的な話や商売上の話をされても正司には理解不能なので、それ以上考えないことにした。

 それよりも貢献値である。


(貢献値が8まで溜まりましたし、4使って第3段階まで上げてもまだ4残ります。全部使って第4段階まで上げてもいいですね。さて、何がいいでしょうか)


 スキルを眺めて想像を膨らませるのは、正司にとって至福の時間である。

 魔法、生産とやりたいことは多いが、貢献値の関係でやれることは少ない。


 だが、焦らなくてもいいと正司は考えている。

 少しずつクエストをこなし、少しずつスキルを取得していけばいいのだ。


(問題は何を取るかではなく、何をするかですね)


 できれば人のために使いたい。

 それも、今まさに困っている人々のために。


(〈土魔法〉で町を広げるにも限界がありますし……)


 先日正司は、町の外に住んでいる人々のために、擁壁を作った。

 できるだけ広く作ったつもりだが、それにも限界があった。


 魔物が湧くギリギリを攻めるのはよくないということで、「魔物が絶対に湧かない」と言える場所までしか広げられなかったのである。


(魔物がいることが、すべての原因なんですよね)


 魔物が湧くため、居住地域が広げられない。

 つまり、これ以上発展できないよう制限されていると同じだ。


 建物を上に伸ばせば、仕事や住居の問題はなんとかなる。

 だが、人が増えれば食糧供給がかなり厳しくなる。


 道路などのインフラや、冷凍技術が発達していないため、遠くの地に食料を運ぶのが難しい。

 現代日本に比べて、流通が未発達なのだ。


 その問題が重くのしかかっているため、どうしても地域ごとに生存できる人の数が制限される。

 余剰人員は棄民となり、遠隔地で自給自足に近い生活を強いられる。


 魔物が湧かない地はまだいくつもあるらしいが、住むには厳しい場所が多い。

 それでも他所と交流しなければ、細々と暮らしていける。


 正司がこれまで見てきた棄民や砂漠の民がそれである。

 そんな生活をする人々を見て、「生きていけるだけマシ」と上から言える人がどれだけいるだろうか。


 少なくとも正司には無理だった。

 だからこそ、彼らをなんとかしたい。


 正司はスキル一覧を眺めた。


(問題は魔物なんですよね。魔法で一掃してもすぐに湧いてしまいますし、スキルで何かよいものはないでしょうか)


 いかに強固な壁で囲おうと、その中に魔物が湧いてしまっては意味がない。

 永続的に魔物の脅威を取り除くスキルはないかと、スキル欄を眺めていると……。


(ん? この浄化系スキルって、もしかして)


 このスキルは何かを綺麗にするのかと思っていたが、違った見方もできる。

 たとえば土地を浄化とか。


「浄化スキルが並んでいますけど、これで魔物の湧く地を浄化できないですかね……ハハッ」


 声に出してみると、妙に現実味を帯びてくる。

「もしかしてできるのでは?」と思えてしまうのだ。


(もし魔物の湧く地が浄化できれば……)

 正司はごくりと唾を飲み込んだ。


 スキルを取得しない限り、『情報』欄に説明が記載されない。

 説明を読むだけで、貢献値が必要なのは痛い。


(どうしましょう……すごく気になってきました)


 正司は悩んだ。

 貢献値は貴重である。なかなか手に入らない。


 だからといって、ずっと温存させてもいいことはない。

 使うときは使うべきである。


 問題は、この浄化系スキルがそれに値するかである。

(結局ここで悩んでいても、問題は解決しないんですよね)


 いくら眺めていても、説明が浮かび上がってくるわけではない。

 貢献値を使うか使わないかだ。


(……決めました。スキルを取得しましょう)

 可能性があるならば、それに賭けてみるべきである。


 そう考えて正司は、〈森林浄化〉スキルを取得した。

 他にも〈草原浄化〉や〈荒地浄化〉などが並んでいる。


〈森林浄化〉スキルがスキル欄から消えた。

(これでスキルはメニューの方に記載されましたね。使った貢献値は1。これは痛いですが、かわりに『情報』でスキルの詳細が確認できます)


 正司はすぐさま確認した。すると……。



 浄化――魔力を使って念じることで、その地に湧く魔物のグレードを下げることができる。スキルの段階によって効果範囲、魔物のグレード、有効時間が変わる。



(おおっ、思った通りです……けど、時間制限ありですか?)


〈森林浄化〉スキルはまだ第一段階しか取得していない。

 その地に湧く魔物のグレードが下がるということは、第一段階分下がるということだろ。


(第一段階分というと、魔物のグレードがひとつ下がる感じでしょうか)


 たとえばグレード3までの魔物が湧く場合、ひとつ下がって最大はグレード2になるのだろう。


 スキルを第二段階まで上げるとグレードが二つ下げられる。

 すると湧く魔物のグレードは最大が1になって、第三段階まであげれば魔物は湧かなくなるのかもしれない。


 また段階が上がれば、その効果範囲が広がって、有効時間も延びる。

(なるほど、これはたしかに有用ではありますが、期限付きですと一時しのぎですね。問題解決にはなりません……いや)


 正司は以前ミュゼから受けた講義を思い出した。

(フィーネ領が失敗した時の話でたしか……)


 ミルドラルにおいて、トエルザード、バイダル、フィーネの三公領は、行政権と裁判権が独立している。

 三つの小国があると考えてもいい。


 この三公の中でもっとも北にあるのがフィーネ公領である。

 フィーネ公領は、人が生活できる地が、他と比べて少ない。


 ゆえに領の財政はいつもカツカツ。

 それを表に出すわけにはいかないが、他領からの輸入に頼る面が大きく、どうしても領の懐事情は知られてしまう。


(あのときミュゼさんは、何て言ってましたっけ)


 魔物の湧く地をなんとか開拓しようとして、フィーネ公は大金を投じた……がその政策は失敗した。


 それがもとでエルヴァル王国から多額の借金をすることになり、いまもその時の傷が癒えていない。

 そしてこうも言っていた。


「北の未開地帯を『浸食』によって、少しで減らそうとしたのです」

 そう、ミュゼは『浸食』と言っていた。


(『浸食』と『変化』でしたっけ)


 魔物の湧かなくさせる方法が二つ見つかっている。

 それが『浸食』と『変化』だ。


『浸食』は、魔物の湧かない場所を広げていく方法。


「魔物の湧く森林」に「魔物の湧かない草原」が接している場合、森林の木を端から伐っていけば、その土地に魔物が湧かなくなる。


 これは森林と草原に湧く魔物が違うためにおこるらしい。

 年単位の時間がかかるものの、土地の属性を変えれば、魔物が湧かない地を徐々に増やすことができる。


(フィーネ公はそれを推し進めようとして失敗したようですけど)

 言うは易し、現実にはなかなか難しいらしい。


 もうひとつは『変化』。

 たとえば、魔物の湧く森林の中に草原を作ってやればいい。

 これも年単位の時間がかかるが、そのうち魔物が湧かなくなる。


 先の『浸食』と比べて、どこでも魔物が湧かない地を作ることができるが、魔物が湧く中にポツンと作るのである。

 難易度は『浸食』の比ではない。


 魔物の湧く地を湧かない地に変える方法は他にもあるかもしれないが、現在この二つだけが発見されている。


(もしかしてこの浄化系スキルと『浸食』や『変化』を組み合わせたら、何とかなるんじゃないでしょうか)


〈森林浄化〉スキルで魔物が出ないようにさせて、土地を開拓していく。

(そうすれば開拓途中に魔物が湧いて襲われることがなくなりますね)


 効果が切れる前にスキルで浄化し直せばいい。

 それを繰り返せば、魔物が湧かない地を無理なく作れそうだと正司は考えた。


(これは……いやでも、確かめる必要がありそうです)


 正司は、以前もらった管理地について考える。

(G3までの魔物が湧いて、サイクルは15日でしたね)


 管理地の魔物を全滅させたあと、最初に「湧き」がおこるまでの日数を調べてみた。

 マップで確認したところ、15日目には魔物を示す赤丸が散在していた。


 ミュゼは「30日くらいで」と話していたが、その半分のインターバルで魔物が湧いたことになる。

 これには正司も驚いた。


(しっかり確認したわけではありませんので誤差でしょうか)


 誤差と呼ぶにはあまりにズレ過ぎているが、「湧き」の日数を正確に計る方法がない以上、「魔物を発見した日」を「魔物が湧いた日」に規定したのだろう。


(もしかすると魔物を全滅させるのに数日かかっているかもしれませんね)

 発見が遅れただけでなく、考え方、計算方法によって簡単に数日のズレが出る。


(ミュゼさんは別の要因も疑っていましたけど……)

 古い帝国の文献には、魔物が早く湧いたり、多く湧いたりすることで、一定地域の魔物が飽和し、これ以上湧く余裕がなくなると魔物が「進化」すると書かれているらしい。


 凶獣出現の前後で、帝国全土で魔物の被害が増えていたらしい。

 あぶれた魔物がテリトリー外へ徘徊し出したのだ。


 多くの魔物狩人や猟師が魔物の異常行動を訴え、行商人もそれに同調した。

 何かが起きているのか? そう訝しんだ直後に巨大な魔物が出現したらしい。


 のちに凶獣と呼ばれるようになったそれは、増えすぎた魔物を象徴するかのように凶暴だったという。


 それが出現したせいで、『南の未開地帯』と呼ばれていた場所が『凶獣の森』と呼ばれるようになったという。


(他の場所でも魔物が湧くサイクルは短かったんですよね……でもそれはミュゼさんを通して、ルンベックさんにも伝わっているようですし、私が気にすることではないですね)


 実験と称して、いくつかの地の魔物を正司は全滅させている。

 再び魔物が湧くまでの日数を調べるためだ。


 その結果、15日から20日近くの日数で、再び魔物の存在が確認された。

 正司としては満足いく成果が得られたものの、ミュゼたちは首を傾げる結果となった。


 なんにせよ、再びあの地を使って、正司は実験することに決めた。




 同じ頃、レオナールはルンベックのもとを訪れ、本日の報告を行っていた。


 ――報告は最優先である


 はじめ、そう言われたレオナールは本気にしなかった。

 ルンベックの仕事は多岐にわたり、忙しいどころの話ではない。


 仕事に優先度をつけるのは当たり前で、最優先など家の浮沈に関わるくらい重要な案件だ。

 恭しく頭を下げたレオナールだったが、ルンベックの言葉を信じられなかったのは当然といえる。


(長年仕えてきたことに対する温情も入っておるのでしょうな)


 古参であるレオナールを重く扱うことで周囲に示す。

 そう捉えていた。


 だが、正司の思考や行動、そしてやらかした事態の大きさを知ってからは、そんな考えも吹っ飛んだ。


 報告が遅れれば、それだけ家の浮沈に関わるかもしれない。

 そう思うようになった。


 そこでレオナールは、文字通り最優先で「本日の報告」を持ち帰るようになった。


「……以上より、フォングラード商会とはある程度の合意が結ばれたと思います」

 報告を終えたレオナールはホッと息を吐き出した。


 今日の役目も無事果たせたという安堵が大きい。

 正司の場合、「庭にゴミ捨て用の穴を掘りました」と同じ感覚で「邪魔なので山を消しました」と言いかねないのである。


 つつがなく終わったと報告できるのは、何よりなのだ。


「王国を追い落とす最後の一押しが中々見つからなかったが、これを機に攻勢がかけられそうだ」


「それはようございました。マルロウ殿もこちらの意図を汲んでいただけたようですので、王国内部でも動きがあることでしょう」


「次の八老会は荒れそうだな」

「はい」


 現国王のファーランが商会長をつとめるルブラン商会と水面下で勢力争いをしているのがジュドム商会である。


 八つの商会のうち、ルブラン商会、デルキス商会、ラウルス商会の三つの商会が蜜月の関係であり、それと相反するようにジュドム商会、フォングラード商会、ハルマン商会が存在している。


 この二大勢力とは別にワフカリ商会とカカドリム商会が、中立もしくは独自路線を歩んでいる。


 八老会で意を通すには、この二商会を味方につける必要がある。

 多数派工作というやつである。


 より多くの利を提示できた方が優勢となるが、それ以外の方法も存在している。

 相手商会の信用度が落ち、勢力が減じてしまえばよいのである。


 今回、クエーチェットがラクージュの町で名乗った商会名には共通点があった。

 いずれもルブラン商会に属していない……それどころか潜在的に敵対している商会名ばかりだったのである。


「ついでに相手の信用度を下げてやれ」という発想だろうが、そのせいでどの勢力に属しているのかモロバレである。


 トエルザード家で用なしとなった後は、敵対している商会へ渡してやるのが筋というものである。

 最後まで使ってくれるだろうとルンベックは考えている。


「ニュブリガン商会も持ち直したようだし、すべて良い方向に向かったのかな」


「今のところは問題ないかと思います。各商会とも連携をとりまして、おかしな話が来たらすぐに知らせるよう手配致しました」


「我が領内で蠢く連中のあぶり出しは継続中だ。そろそろそちらと連携をとらせた方がいいな。王国を詰ませる算段がついてきたが、三公会議の準備が間に合うか微妙なところだ。しばらく私はそちらにかかりきりになると思う」


「畏まりました」

「タダシくんの件は引き続き頼むぞ」


「もったいないお言葉でございます」

 レオナールは恭しく頭を下げた。


 王国を詰ます算段がついてきたとルンベックは言ったが、それは容易なことではない。

 利害関係を同じくする者たち以外にも説得しなければならない者も多いのだ。


 ルンベックは寝るヒマもないだろう。

 かといって、各種団体の代表者たちに「配下の者」だけを送り込むわけにもいかない。


 レオナールができるのは、主の意を汲んで、つつがなく一日を終わらせることだけである。




 翌日の午後、正司はミュゼとレオナールをともなって、管理地まで跳んだ。

 昨日の段階で、〈森林浄化〉スキルを三段階まで上げている。


 使った貢献値は4。これで残りも4になってしまった。

 四段階まで上げないのは、ここがG3までの魔物しか出ない地だからである。


(あとでG4が出る地に行けばいいですね。まずはこの地が完全に浄化できるかですけど……果たして上手くいくのでしょうか)


 正直、正司は不安であった。

 限定された範囲内で時間制限つきの浄化である。


 これはどのくらい有効なのか。


「タダシ殿、本日はなにをされる予定なのでしょうか」

「実験したいことがあるのですけど、まだどうなるか分からないです」


「なるほど……実験ですか」

 正司は前もここで実験している。

 あの時は魔物が湧くようになるまでの期間を調べていた。


 レオナールはその延長にあるのだろうと、深く聞かなかった。

 どんな実験であろうと、ここならばひと目に触れることはない。


「では始めますね」

 正司は浄化を念じてみた。


(……ん? マップに白いもやがかかりましたね)


 うっすらとだが、微小な白い点々がマップに表示された。

 正司を中心に半径一キロメートルくらいだろうか。


(これが浄化の効果範囲でしょうか。あっ、でも魔物を示す赤点は消えませんね)


 浄化を使っても魔物が死ぬわけではないらしい。

 正司は移動してあちこちに〈森林浄化〉をかけてみた。


 最初はその場所で〈森林浄化〉、また移動して〈森林浄化〉とやっていたが、途中から面倒になり、〈森林浄化〉をかけながら移動をはじめた。


(この方が便利ですね。あまり魔力を使った感じはしませんし、これで行きましょう)


 やはり魔物が残っている。〈気配遮断〉を使っても、魔物が残ったままならば、検証作業はどのみちできない。

 正司は〈火魔法〉で適度に攻撃し、すぐに殲滅させた。


(よし、これでいいですね)

 管理地を浄化し終えて、今日の作業は終わった。


 この場所にいつ魔物が湧くのかは分からない。

 結果が出るのはかなり先になるはずだし、効果時間を検証するのも今回の実験に含まれている。


「ありがとうございました。実験はひとまず終了です」

「そうですか。それはようございました」


「結果が出るのはまだかなり先になりますので」

「なるほど」


 正司の言葉に、レオナールはまたここへ魔物の湧き具合を調べにきたのだと判断した。




 バイダル領からトエルザード領へ続く街道を、一台の馬車が進んでいる。

 その前後には、騎乗した多くの護衛が付き従っている。


 それもそのはず。

 馬車にはバイダル家の紋章が掲げられている。


 道行く人々は、その紋章を見ては道を譲る。

 多くの護衛を引き連れた馬車は、ゆっくりと、だが確実にトエルザード領へ近づいていった。


「ファファニア様、そろそろ領境になります」

「まあ、そうですの。でしたらその先はトエルザード領ですわね」


「はい。この先は緩衝地域でございます。数時間後にはトエルザード領に入っていることでしょう」

「うふふ……それは楽しみですわ」


 馬車の中にいるのは三人。

 進行方向に向かって座っているのは、バイダル公の孫娘であるファファニアである。


 ランセットという護衛がファファニアの向かいに座っている。

 彼女はファファニアの護衛であるが、今回、侍女としての教育も受けてきた。


「トエルザード領に入ってからですが、ラクージュの町に着くまで、少々日数がかかってしまうかもしれません」


「各町の代表に会うのでしょう。それは仕方ありません。じいに任せます」

「はっ、なるべく早く到着できるよう、調整致します」


 頭を下げたのは「じい」と呼ばれた老人、シャルマンである。


 ファファニアとランセット、そしてシャルマンの三人は、ウイッシュトンの町を出発して、順調にここまできた。


 先ほどファファニアが言ったように、ここから先は各町の有力者との面会や歓談が待っている。


 ファファニアは、バイダル公の代わりに渉外活動の一部も任されていた。

 それゆえ、ここからは自分の都合のみで動くことは叶わない。


「タダシさんに会えるのが待ち遠しいですわ」

 ファファニアのウキウキとした声がその愛らしい唇から発せられる。


 これに対し、シャルマンは沈黙を守っている。

 ランセットはやや目を伏せた。


 今回の旅。

 ファファニアが正司に会いたいと願ったゆえの結果……だけではない。


 バイダル公は、正司がバイダル領でやったことについて、ほぼ正確な情報を掴んでいた。

 何しろ多くの目撃証言があるのだ。隠せるわけがない。


 バイダル公は、何度も入念に聞き取り調査をさせ、膨大な資料を作成させた。

 ファファニアもシャルマンも、その資料には目を通している。


 ファファニアは「まあ、さすがタダシさんですわ」と上機嫌だったが、シャルマンは血を吐きかけた。

 火魔術師であるシャルマンにとって、それはあまりに常識外過ぎた。


(しかしトエルザード公は、なぜ表に出すことにしたのでしょう)

 シャルマンはバイダル公から密命を帯びている。


 正司の素性は謎に包まれている。というか、謎しかない。

 正司本人やトエルザード公に大きな借りがあるバイダル公は、表だって詮索できない。


 今回、「なぜか」その正司なる人物が博物館を経営し、その従業員を募集し始めた。

 シャルマンとしては、首を傾げざるを得ないことである。


 どんな理由があったら、そんなことになるのだろうか。

 いくら考えても合理的な説明が浮かばなかった。


 バイダル公も同様だったようで、シャルマンをファファニアに付け、委細漏らさず報告するように伝えた。

 さすがにバイダル公も、放っておくことができないと感じたようだ。


 もちろんシャルマンは「必ずやり遂げます」と答えた。

 これまで陰ながらバイダル家を支えてきたシャルマンは、この旅を「最後の奉公」と考えた。


 バイダル家からトエルザード家に送った使節団が調べた内容は当たり障りのないものばかりであり、正司の素性に繋がるものはなかった。

 ルンベックがそばにおいていないことだけは確認された程度である。


 使節団は、ファファニアの件のお礼に伺ったのだから、正司のことを話題にしても不自然ではない。

 というか、意識して避ける方が難しい。


 結果、何度目かの話し合いのときに、正司が博物館を経営すること、その従業員を募集することを突き止めたのである。

 そして実は、ファファニアからもある「お願い」が使節団にもたらされていた。


「まだタダシさんとちゃんとお話ししていませんの。別れの場でもご挨拶程度しかできなかったのです。ぜひ会ってお話しできるよう取りはからっていただけませんか?」


 ファファニアの必死な頼みである。


「手段は問わない」「できれば向こうに行きたい」「もっと欲を言えば、ずっと一緒にいたい」と言われては、使節団の面々も頑張るしかない。


 ただ「一度会わせてほしい」と言ったところで叶うかどうか分からない。

 ならばいっそ、その博物館の計画に乗ってしまおう。


 当主孫娘の願いを撥ねのけるほど、トエルザード家も薄情ではないはずだ。

 そんな思惑の果てにファファニアの希望は叶えられたのである。


「楽しみですわ」

 何度目かの微笑みをファファニアは浮かべた。


 ファファニアのこんな笑顔が見られるのも、正司が治療したおかげである。

 護衛のランセットは、目を潤ませてそれを見ている。


 彼女は通いの護衛であった。

 あの襲撃があった日、ランセットだけでなく通いの者はみな難を逃れた。


 一部の住み込みの者たちはファファニアを守ろうと果敢に戦い、命を散らしている。

 襲撃の翌朝、事態を知ったランセットは泣き崩れた。


 主を守れなかったばかりか、そばにいることすらなかったのだ。

 一生の不覚。ファファニアが回復しなければ、自分も自害して果てるつもりでもあった。


(それがこんな幸せそうに笑えるようになって……)


 25歳のランセットは、17歳のファファニアを「守るべき存在」だけでなく、自分の妹のように思っている。注ぐ愛情に限界はなかった。


 こうして幸せそうにしているファファニアを見るのは嬉しいことだが、どうしても守れなかったという負い目が、時々ランセットに暗い影を落とす。


(もう二度と、あんなことはさせません!)

 それはランセットの不退転の決意である。


 あの日以降、ランセットは住み込みでファファニアの世話を願い出て、護衛から護衛兼侍女となっている。

 もはや片時も目を離さない。そんな決意をランセットは胸に秘めている。


 ……いや、周囲から「自重しろ」と言われるほどにはくっつき過ぎている。




 馬車は無事、トエルザード領へ入った。

 トエルザード領内は、バイダル領と違って、多くの人が行き交っている。


 行商人が多いのだ。

 そのため、巡回兵とすれ違うことも多い。


 巡回兵たちは魔物から人々を守るために日々街道を行き来している。

 それがファファニアには頼もしく見えた。


「さすがトエルザード家ですな。このような辺境にも多くの兵を配置しております」

 シャルマンが感心するように言う。


「我が領では難しいですわね」

 バイダル領の場合、兵の数は人口比によって人数が決められている。


 必然大きな町には多くの兵が常駐しているが、そうではない場所は、おざなりになりがちである。


 といっても、領内すべての安全を確保するのは不可能であるため、これは致し方ない。

 トエルザード家の方が異常なのだ。


「ねえ、じい。あと何日くらいでラクージュの町に着くのかしら」

「途中の町で引き留められることを考慮しまして、十日ほど見た方がよいかと思います」


「……そう。荷物の方が先に届いてそうね」

 ファファニアが出発後、居住環境を整えるための私物を荷馬車が運んでいる。


「ファファニア様が到着なされる頃には、荷の片付けも済んでいる頃でしょう」


 ミュゼたちが予想したとおり、ファファニアの訪問は完全にバイダル家の希望によるもので、トエルザード家に負担をなるべくかけさせない配慮がなされている。


 同時にファファニアを雇用する正司の負担も考慮され、ファファニアの世話はもとより、小さな荷物ひとつに至るまで、バイダル家が準備している。


 そうまでしてファファニアを他領へ送る理由はなにか。

 ひとつはファファニアの希望が叶えられた結果である。


 だが、思惑はそれだけではない。

 というか、ファファニアの訪問を許可した目的は別にあったといってよい。


(なんとしてもファファニア様の恋を成就させねば)

 ランセットは両手で握り拳を作り、秘かに決意する。いや、周囲にバレバレである。


 ファファニアが正司に恋したのは明らか。

 だがランセットは、まだ正司を見たことがない。


 見た目は冴えない中年男性と聞いている。

 大魔道士であるのは確かなので、そんな若い歳でよくぞと思いはするものの、歳が釣り合わないとは思わない。


 魔道士と呼ばれるほど魔法に秀でているのならば、真っ白なヒゲの老人であってもおかしくないのだ。


 ただ問題は、ファファニア当人がまだそれほど正司と会っていないことである。

 正確には別れの挨拶を少しした程度らしい。


 ファファニアにしては強烈に印象づけられたらしいが、正司の方はどうなのだろうか。

(そしてトエルザード家は、どう出るのでしょう……妨害も視野に入れた方がいいですね)


 ランセットの心配はつきない。

 出発前、バイダル公は「骨を埋める覚悟で行ってこい」とファファニアを激励した。


 ファファニアともども帰ってこなくて良いという意思表示である。

 大魔道士正司と縁が持てるならば、それで良いとランセットは理解している。


 そのためか、同乗しているシャルマンもまた、「この地で人生を終えるのも悪くないですね」などと感傷に浸っている。


 帰る気どころか、帰ることすら念頭になさそうである。

 そうするともう、ランセットの役割は決まってくる。


(かならずお嬢様と大魔道士様をくっつけてみせます!)


 瞳に炎を宿し、ランセットは虚空に向けて誓うのであった。


「ねえ、ランセット。さっきから何をしているの?」

 ファファニアが不思議そうにたずねてきた。




 ファファニアたちは、もう少しでラクージュの町という所にきた。

 距離は近いが、強行はできない。


 ここからは盆地を上るため、馬を休ませる必要があるのだ。

 町にあるバイダル家所有の屋敷に入ったところで、思いがけない知らせを受けた。


 どうやらラクージュの町で布告がなされたようで、いま町では、その噂でもちきりだという。


「どのような布告ですか?」

 町民に広く知らしめる布告を発するなど珍しい。


 その内容を聞いて、ファファニアは驚いた。

「どういうことでしょう。じい、分かります?」


「さて……トエルザード公と奥方様の仲がこじれたなど、聞いたことはないですが、私には分かりかねますな」


「ミュゼ様のお言葉のようですけど……」

「はい……しかしなぜこのような」

 シャルマンもしきりに首を捻っている。


「お嬢様、次はもうラクージュの町でございます。明日出発してすぐに町を目指せば、夜には到着します。明日には詳細が分かるのではないでしょうか」


「そうね。ちなみに、ランセットはどう思います?」

「ことによったら、トエルザード領が荒れるかもしれません」


「そうですわね。その可能性はありますわ」

 ファファニアは思案顔で頷いた。


 ラクージュの町で何がおきたのか。

 なぜミュゼはこのような布告を出したのか。


 いくら考えてもファファニアは分からなかった。

 シャルマンもランセットも同様だ。


 先日ラクージュの町からミュゼの名である布告が発せられた。

 それは一体なにか……。



 ――ミュゼが『棄民救済』を打ち出したのである



 その布告を読んだ人々は、大いに困惑した。



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― 新着の感想 ―
今更だけどファファニアが回復した時に後頭部をぶつけた護衛はランセットか。
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