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054 ミュゼの心変わり

 ミュゼがルンベックと語り合った翌日。

 午前中はいつも通りの講義が始まった。


 聞きたいこと、疑問に思うことを正司が決め、それについてミュゼが語っていくというものだ。

 レオナールが午後にやってくるのも相変わらず。


「タダシ殿、本日もよろしくお願い申し上げます」


「こんにちは、レオナールさん。今日はちょっと遠出しようと……町の外に行く予定で、魔物が出る可能性も」


「もちろん付いて行きますとも」

「ですよね」


「もちろんタダシ殿がおつきあいする女性がいるなど、個人的なものでしたら、遠慮致します」

「いえ……そのような相手はいません。博物館の件ででかけます」


「でしたらご一緒させてください」

 レオナールは恭しく、頭を下げた。


 先日正司は、レオナールにどんな博物館にしたいのかを熱く語った。

 少しでも理解してもらいたいと考えてのことだ。


 説明はとても時間のかかるものだったが、話していくうちに頭の中に漠然と描いているものが形になっていくのが正司にも分かった。


 またレオナールも正司の話を聞く過程で気付いたこと、足りないものをあげていった。

 一人で考えていると、どうしても見落としも出てくる。


 人に話すことで形ができてきて、足りないものも見えた。

 正司は徐々に聞き役となっていくのが分かった。


 やはり長く生きた人は、見る視点が違う。そう思わせる質問や、疑問がでてくるのだ。

 そこに足りないものをレオナールが補う。


 いまやレオナールは、名実ともに正司の次に博物館に詳しい人物である。


 何しろ博物館がオープンしたら、総支配人として運営に携わることになっている。気合いも入ろうというものである。


 博物館従業員の選別はマリステルが行っており、雇用後はレオナールが彼らを取り仕切ることになる。


「そういえば、レオナールさん。この前、従業員を『選別』していると聞きましたけど、それってどういう意味ですか?」


「よろしくない者を排除するということです」

「そうですか」


「ふさわしい者だけを選りすぐっております。ご安心ください」

「……はい」


 レオナールとエリザンナの二人が組んで『選別』を行っているらしく、正司は口を挟めない。


 どうやらとても重要なことらしく、二人ともかなり神経質になっている。

(有能すぎる人が来てしまう場合もあるからですかね)


 重職に就いている者が来ても、ふさわしい仕事はない。

 世に人が多くいても『人材』と呼べる者は意外と少ないのだ。


 有能な人物には、ふさわしい場所が与えられてしかるべきである。


(博物館の職員にするのはもったいないですしね)

 正司はそう考えた。


 もちろん事実は違っている。

 今回の人員募集。ルンベックとミュゼを通して家臣たちにも広く知れ渡っている。


 彼らは自分の家族、親類、縁者、息のかかった者などを送り込んできている。

 噂は広がり、商人、職人、町の有力者の縁者たちもまた色めき立ってしまった。


 彼らは厳選した人物を送り込んできている。

 とても優秀な者たちばかりだ。


 昨今、トエルザード家が大きく変動しているのを知らない者はいない。

 今回の人材募集と絡めて何かを想像する者も多い。というか、関連して考えられない者など必要ない。


 そんな裏事情があり、従業員募集を担当しているマリステルを大いに困らせる事態に陥っていた。


「そういえばタダシ殿。バイダル家のご息女ファファニア様が、向こうを発つと報告がございました」


「えっ、まだオープンの日だって決まっていないですよ。なのに来るのですか? 受け入れの準備はできていませんよね」


「バイダル公より扱いは他の方々と同じでよいとの返事が届いております。従業員の『選抜』が終わる頃には到着しているでしょう」


 バイダル公の孫娘ファファニアは、なぜか博物館の従業員に応募してきた。

 ちょうどバイダル領から使節団がやってきていたので、その時に話が出たのである。


 最初から特別扱いしなくてよいと言われていたが、相手はミルドラル三公の直系である。

 そんなことを言われても、軽々しく扱うわけにはいかない。


 また他の人にくらべて教育、教養はずば抜けている。

 血筋は申し分なく、本人のやる気もあるという。


 ノーサンキューと断る理由が見つからないため、「ぜひお越し下さい」と言うしかなかった。


 するとあれよあれよという間に話が進んでしまい、なんと本人がもうすぐバイダル領を発ったという。


「やっぱり本気だったんですね」

「打診があった段階で本気でございましょう」

「ですよねー」


 ファファニアの立場は、トエルザード家でいえばリーザやミラベルと同じである。

 正司がファファニアを従業員として雇うのは、ややおかしい。

 あべこべではないかと思ってしまう。


「バイダル家も委細分かっておるでしょう。しばらくは町内にあるバイダル家の屋敷に滞在すると思います。ファファニア様のことは、着いてから考えても遅くはないと思います」


「そうですか……急におしかけても準備ができてないくらい想像できますものね。しかし、もう少し気楽に始められると思ったんですけど」


 せっかく広い土地があるのだから何かしてみよう。何がいいだろうか。そうだ、〈土魔法〉で作った石像があるじゃないか。あれを展示したら町の人に喜ばれるかも。


 カルリトの助言もあり、そんな思いで始めた博物館構想である。

 ぶっちゃけ、イメージ先行の見切り発車といっていい。


 自分ができることで何が一番楽しんでもらえるか考えた結果であったが……なぜか正司が思った以上に話が大きくなってしまった。


「それでタダシ様、本日はなにをする予定でございましょう」

「ああ、そうでしたね。今日は建物の周囲に植林をしたいと思います。ですので森へ行きます」


 博物館だけでは、殺風景である。緑が欲しいと正司はずっと考えていた。

 すでに擁壁の周囲に、〈土魔法〉で大きな溝を掘ってある。


 ここへ等間隔に木を植えるつもりである。

 溝はかなり深く、幅も広く掘ってある。森の土ごと持ち帰る予定だからだ。


 そこで今日は、正司が譲り受けた管理地へ向かう。

 あそこには、大小様々な木が生えている。


 その中で比較的管理がしやすそうな木を選ぶつもりであった。


「では行きますね」

 正司はレオナールとミュゼを連れて跳んだ。




 魔物の湧き具合を調査するため、管理地へは何度も通っている。

(まずは、周辺の魔物を全滅させましょうか)


 ミュゼとレオナールがそばにいるための措置だ。

 マップと〈火魔法〉を連動させてピンポイントで魔物を狩っていく。


 森の各所で破砕音が轟き、火柱があがるとミュゼとレオナールの頬が若干引きつった。

 分かっているが、目の前で見るとやはり表情に出ざるを得ないのである。


(えーっと、これから成長することを見越して、枝振りがいいのを選びましょうか)

 目当ての木を見つけると、〈土魔法〉で根っこの土ごと掘り起こす。それを数回繰り返した。


「一旦、戻りますね」

 十数本の木が集まったところで、正司たちは博物館に戻る。


(最初から密集させて植えると、成長したときに葉と葉がぶつかり合ってしまいますね)


 当初、十メートル間隔で予定していたが、木の成長分を考えるともう少し広げた方が良さそうである。

 余裕をもたせて、溝に十五メートル間隔で並べていく。


 先に〈水魔法〉で水を流し込み、そこへ一本、一本、置いていく。

 置いたあとで微調整をして全体のバランスをみる。


(いい感じですね)

 ちょうど良い距離に並んでいる。木の高さと距離のバランスもいい。


「タダシ殿……もしかして、ここにある溝すべてに木を植えるのでしょうか」

 レオナールの声が震えている。


「はい、そうですけど」

「それはいささか……」


 そこまでレオナールが言ったとき、ミュゼがレオナールの肩を叩いた。

「タダシさん、わたくしたちのことは気にしないで、好きなようにやってくださいな」


「……? はい、ありがとうございます」

 よく分からないが、ミュゼは問題ないらしい。


(ここにいる時間が長引くと、魔物の被害に遭う可能性が高くなるからでしょうか)


 ここは魔物が出る地である。本来、戦闘能力を持たないミュゼやレオナールを連れてくるのは下策。安全を考えれば、博物館で待っていてもらいたい。


 だが、ミュゼもレオナールも一緒に行くと譲らない。

(脅威になる魔物は近くにいないですし、突然の『湧き』にさえ注意すれば大丈夫でしょう)


 魔物の『湧き』はマップで確認できる。

 正司はそれに注意しながら、良さそうな木を選んでいく。


(とくに問題ないようですね)

 ミュゼもレオナールも黙って正司を見守っている。


 やり方さえ分かればあとは早い。

 木を集めて博物館に戻って植えていく。


 往復を何度も繰り返し、流れ作業のように続けると、日が沈む前にはすべて植林し終えた。


 いや、あと一本だけ残っている。博物館の正面に植える木である。

 これは見栄えのするものを選ばねばならない。


(できればシンボルとなるくらい大きな一本がほしいですね)


 テレビのCMに使われるような大木が理想である。

(あれがいいですね。山の頂上にあるやつ)


 一際高い場所に生えており、日差しを存分に浴びたのか、見事な枝ぶりである。


「できました。これで完成です」

 日が暮れる前に、正司はそれを移植してすべての植林を終わらせることができた。


(これまで石しかなかった場所が、急に華やぎましたね。周囲に芝を植えたいところですが、なくてもいい感じになりました)


 正司は満足して、その日の作業を終えた。

 ちなみにあれからレオナールは、ほとんど口を開いていない。




 その日の夜。

 めずらしくリーザの部屋に、ミラベルがやってきた。


 今日も正司と一緒に夕食を摂っている。

 そのとき、正司から今日の出来事を聞いている。


 リーザは先ほどの考えを整理するため、大きなベッドに腰掛けたまま動かない。

 その横でミラベルは、うつぶせになりながら足をバタバタさせている。


 これだけを見ると、どこにでもある仲の良い姉妹である。

 だが二人が考えていることは、平穏とはほど遠いものだった。


「ねえ、お姉ちゃん。夕食のときの話だけどさぁ……」

 最初に口を開いたのはミラベル。


 リーザはピクッと身体を動かした。

「タダシさんから聞いたお母さんの話、おかしかったよね。どうしちゃったのかな?」


 正司がこの家に住むようになってから、夕食は四人で食べることになっている。


 これはルンベックが、正司をなるべく一人フリーにさせないために指示したことで、就寝時以外、大概だれかと一緒にいる。


 そして正司は、リーザたちに「今日の行動」について話すのが日課になっていた。


「今日の午後は、博物館に植える木を持ってきたのです」

 そう話しはじめた正司に、リーザは「……ん?」と引っかかった。


「管理地から良さそうな木を選んで運び込んだのですけど、なかなか骨の折れる作業でした」

 のほほんと告げる正司に、リーザは「えっ!?」と軽く驚いた。


「疲れましたけど、見栄えのよい景観になったと思います」

 にこにこ顔で話す正司に、リーザは痛くもない頭を抱えることになった。


 更地だった場所に「一瞬にして」壁がそそり立ち、巨大な建物が建ったことは、すでにもう事実として町中に広まっている。


 壁がある限り、中が伺い知れない……などとリーザは思ったりしない。


 どれほど高い壁であろうと、手段を選ばなければ、中を見ることはできるのである。

 一日中、壁のすべてを監視するのは不可能だし、ブロレンのような風魔法使いがいれば簡単だ。


 入り口を塞いだからといって、中を探ろうとする者が諦めるとは思っていない。

 リーザもミラベルも、情報の重要性は充分過ぎるほど理解している。


 ラクージュの町にいる他国の者たちが結託して、壁の中の秘密を探ろうとしてもリーザは驚かない。

 そのくらいの価値がある。


 そして今日、正司の言葉が確かならば、多くの木が「一瞬にして」植えられたことになる。

 このことは、数日のうちに「知る人は知る事実」となるだろう。


 おそらく今も、何十人という間者が壁を監視しているに違いない。

 そして彼らは気付くのである。


 ――いつどうやって木を運び込んだのか?


 正司から「今日は植林しました」と聞いたとき、リーザは「そのとき母親は何をしていたのか」と訝しんだ。


 念のため聞いてみると、レオナールもミュゼも一緒だったらしい。


「――やはりおかしい」


 そうリーザは思った。

 ミラベルも同様だったらしく、夕食の席で、一瞬だけ二人の視線が交差した。


 ちなみにルノリーは「タダシさん、凄いですね」と気付いてなかったため、別の意味で頭を抱えることになったのだが。


(突然、大量の木が出現したら、〈瞬間移動〉の魔法が疑われるわよね)


 壁と建物は魔法で作ったとしか考えられない。

 ならば植林もまた、魔法繋がりで連想するのはほぼ確定だろう。


 昼日中、監視の目を盗んで木を運び込む方法など、他にない。


(〈土魔法〉が知れ渡ったのは仕方ないとして、〈瞬間移動〉を連想させることをどうしてお母様は許可したのかしら)


 リーザは、正司にそれとなく母の行動を聞いてみた。


「すごいって褒めてくれましたよ」

 まさかの承認である。しかも褒めたという。


(どういうこと!?)

 さすがにリーザは泡食ったが、それを表情に出さないようするのに精一杯であった。


 ミュゼの頭がおかしくなったのでなければ、考えられる理由はひとつ。

 何らかの方針変更があったのだろう。


 リーザの知らない「何か」があったと考えるのが普通だ。

 でなければ、植林を始める前にミュゼが止めるか、自重するように言うはずである。


 では「何が」あったのか。


 頭の中に色んな可能性がグルグルと渦巻き、リーザは何を食べたのかさっぱり思い出せない夕食となった。


 そしてベッドの上。

「ねえ、ミラベル」

「なあに、お姉ちゃん」


「あなただったら、お母様の行動にどんな理由をつけるかしら」

「うーん」


 問われてミラベルは、足の甲で何度も布団を叩いた。

 ミラベルだって、母親の行動がおかしいからこそ、最初の質問をしたのである。


「あなただって、お母様が今までと違うことは気付いているでしょ。その理由はなんだと思う?」

 リーザは重ねて問う。


 一応リーザには答えらしきものがあったが、それは認めたくないものだった。

 ゆえにミラベルの意見を聞いてみたかった。


「お母さんの気持ちでしょ? うーんとね、その方がタダシさんが気持ちよくやれるからじゃないかな」


「ミラベル……あなたね」


 さすがにそんな理由はありえないとリーザが言おうとしたところで、ミラベルがうつぶせのまま伸びをした。


「タダシさんだって、認められたら気分いいでしょ」


 同じことをしても「よくできました」と言われるのと「それはちょっと……」と言われるのでは感じ方が違う。

 前者の方が嬉しいのは当たり前だ。


 ただ、そんな理由でミュゼが方針変換したとは、さすがにリーザは思えなかった。

 思案顔のリーザに「ほら、そういう反応ばかりだとつまんないもん」とミラベルは怒り顔だ。


「ごめんね、ミラベル」

「わたしのは冗談だけど……お姉ちゃんは何だと思うの?」


 今度はミラベルから問われてしまった。

 ミュゼに何らかの心境の変化があったことは確実だ。それは一体なにか。


「私も……ミラベルと……似たような意見かな」

 リーザは悩みに悩み、そう言った。


 もちろん真実ではない。リーザは別のことを考えていた。

 ミュゼが「正司の力を戦争に使うのでは」と思ったが、それは口に出さなかった。


 戦力は隠した方がいい場合と、見せつけた方がいい場合がある。

 切り札はとっておくもので、常備力は誇示した方が抑止力となってよい。


(まさか、お母様に限って、それはありえないわよね)


 正司をトエルザード家の常備兵力として見せつけたかった……リーザはそんな予想を頭から追い払った。


(でも……だったら、どうして?)

 いくら考えても、その答えはリーザの中にはなかった。




 同じ頃、ミュゼはルンベックの部屋から退出した。連日の話し合いである。

 忙しい双方としては、珍しいことだ。


 そもそも夫婦と言えども、執務室や寝室は別である。

 仕事場をなるべく離してあるので、同じ屋敷にいても顔を合わせる機会は意外と少ない。


 重要な書類や決裁が相手のところへ紛れ込んでしまったら、大変なことになる。

 二人とも仕事と私生活が曖昧であるがゆえに、そうせざるを得ないのだ。


「まだ起きていたのですか」

 ミュゼが自室の前に行くと、エリザンナが待っていた。


 エリザンナは、ミュゼが信頼する秘書のひとりとして、若いながらも忠実に職務をこなしている。

 やや忠実すぎるきらいがあると、ミュゼが心配するほどだ。


「町内でクエーチェットなる人物の動きが分かりましたので、まとめておきました」

「そう……中で伺います」


 ここ数日、ミュゼはこの町でクエーチェットが何をしていたのか、エリザンナに調べさせていた。


「複数の偽名を使い、いろいろとやっていたようです。外見や話し方、出没した時期から同一人物と思われる者をリストアップしました。資料の通りです」

 ミュゼはさっと目を通した。


「名前は微妙に変えているけれども、接触しているのは、我が家と取り引きのある商家ばかりね」


「聞き取り調査をしただけですので、他にもまだ出てくるかもしれません。ある程度大きな商家に狙いを定めて、儲け話を持ちかけていたようです」


 エリザンナが調査させたことで浮かび上がってきたが、本来商売に関することをベラベラ喋る者はいない。


 相手が儲け話を持ちかけてまわっているフリーの商人といえども、そうそう噂になるものでもないのである。


 また思ったほど感触が得られなければすぐに引いているため、余計記憶に残り難かったようである。


「はじめから騙すことを前提にして接触しているわね。名前も所属もすべて偽物。有名どころの商会の名を出して……胡散臭さがものすごいわね」


 あとで思えば、なぜそれほどの大店が自分のところに? と不思議に思うだろうが、話を持ちかけられた当初は疑いもしないのかもしれない。


「怪しい儲け話ですし、相手はだれでも良かったのかもしれません」


「我が家に揺さぶりをかけにきたのでしょうね。まったく……王国は本当に裏から手を回すのが好きみたいね」


 ミュゼとエリザンナは知らなかったが、ラマ国では上流階級の者たちが狙われていた。


 トエルザード家の場合、家臣たちに取り入る隙がなかったため、出入りする商人を通してダメージを与える作戦に出ていただけで、フィーネ公領にしろ、バイダル公領にしろ、王国は手を変え、品を変えてちょっかいをかけている。


「もう少し埃を出しておきたいわね。引き続き調査をお願い。さすがに町を出たあとまでは辿れないでしょうけど、他の町に人相と特徴を記した警告文を送ってちょうだい。帰りがけの駄賃と、まだどこかで暗躍している可能性もありますから」


「畏まりました。すぐに取りかかります」


「それとタダシさんの周囲が少々騒がしくなるかもしれないわ。秘書部には再度、タダシさんに繋がる情報の扱いに注意するよう伝えてくれるかしら」


「秘書部の中には、だれ一人として、軽率に動く者が出るとは思えませんが」

「そうね。だけど今後、秘書部の中にも動揺する者が出るかと思うの。ですから、念のため……ね」


「……動揺ですか?」

「ええ、これは主人にも内緒……というか、伝えても無駄だと思うの」


「……?」


 エリザンナは首を傾げた。

 たしかにこの日、ミュゼの行動はおかしい。


 屋敷に帰るとすぐに何かの資料を作り始め、夜になるとルンベックと話し合っていた。

 ようやく自室に戻ったと思ったら、以前出した命令を再確認させ、さらに「動揺することがある」と言い出した。


 エリザンナがただの家臣であるならば、「承知いたしました」と引き下がるところである。

 だが彼女は違う。与えられた仕事をこなすためにいるのではない。必要と感じたら、諫言すら厭ってはならないのだ。


「ミュゼ様、これから何がおころうとしているのでしょう……いえ、何をするつもりでございますか?」


「ずいぶんと率直に聞いてきたわね」

「その方が答えやすいと愚考致しました」


 その言葉に、ミュゼはくすりと笑った。


「わたくしの夫はとてもデキ過ぎるので、理解できないと思うのよ」

「……?」


 今日の主人は、未知の言葉の大安売りだ。そうエリザンナは思った。

 何しろ、ミュゼは自分の夫では「理解できない」と言ったのだ。


 ルンベックほど先を見通し、あらゆることを理解する者はいない。


 少なくともエリザンナは周囲のどこを見回しても、ルンベックと肩を並べられそうな者は見たことがなかった。


 にもかかわらず、「夫では理解できない」と言うのである。


「タダシさんは棄民をなんとかしたいと言いました。とてもいいことだと思います。でも、それはきっと周囲に大きな摩擦を呼ぶことでしょう」

「……はあ」


 なぜわざわざ棄民を? とエリザンナは理解できない。

「わたくしはそれを、現実の中に落とし込むことにしたのです」


 町の外に正司は壁を作った。とても重厚で巨大な壁である。

 ミュゼは一言加えて、町の防衛として有効利用できるように改造させた。


 それはなぜか。

 ルンベックをはじめとしたトエルザード家やそれに連なる家々、町に住む商人や職人たち。

 彼らはあの壁を見て、こう思うのだ。


「ああ、これで他国の軍隊が攻めてきても安心だ」


 正司の言動から、そんなことを考えてないのは明らかである。

 ただ町の外に住まわざるを得ない人々を救済したかっただけ。


 ミュゼはそれが分かったからこそ、現実の落としどころを見つけた。

 町の防衛という理由を作って。


 事実ミュゼは、今回のことをルンベックに正直に伝えた。

 正司が、棄民のために魔物に襲われないための壁を作ったと。


 ルンベックは、ミュゼの言葉の中に「他国兵に対する防衛」の価値をちゃんと見いだしている。


 もしミュゼが「正司の心情」をルンベックに伝えれば、「彼はそういう人間か」と正司の心の内を理解するだろうが、真の意味で理解できるかと言えば怪しい。


 トエルザード家は領地を発展させ、そこに住む人々に安心して暮らせる社会を作るために日夜動いている。


 町の中に住んでいない人々。

 彼らは税金を一切支払っていない。


 そんな人々でもトエルザード家は救済する……こともある。

 政策のひとつとして、棄民救済はちゃんと存在している。


 だが優先順位は低い。

 町の発展に寄与しないばかりか、負債でしかない人々を率先して救済する余裕はどこの国、どこの領、どこの町でもない。


 正司のように「全力で彼らを救済する」と考える人の心情など、理解できるわけがない。


 正司のことを知れば、家臣の多くが「そんなことができるなら、町の人々を救ってくれ」と訴え出るだろう。

 自分たちが庇護する対象に目を向けてくれと願うに決まっている。


 棄民はあくまで「よその人」なのだ。


 それが分かったからこそ、ミュゼは正司の行動に掣肘をかけるのを止めた。

 何をしても正司の行動は、既存の何かと衝突してしまう。


 窮屈な思いをする中で作業を強いられるくらいならば、完全に好きにやらせた方がいい。

 それを現実に落とし込むのは、自分が担当すればいいのだから。


 正司の行動を見て、その信念を知って、さらにどうしようもないほどのお人好しさに打たれて、ミュゼは敢えて面倒な道を選択したのである。


 これはルンベックにも相談できない。

 なぜならば、彼は優秀過ぎるから。


 正司の力を「どこ」に「どれだけ」使えば、何をどれだけ効果をあげ、仕事がどれだけ楽になるか知っている。

 見返りにどれを提供し、どのように話を持っていけば、それが実現できるかも瞬時に判断つく。


 だからこそ相談しなかった。

 正司がやりたいと思うこと、やろうとしていることは、この大陸にあるどの国、どの為政者にとっても、意味の無いことだから。


 世界中に散らばる棄民のために正司が何をするのか正直、ミュゼにも分からない。

 ミュゼだって理解できないのだ。


 それでも正司の後押しをするために全面的に協力し、頭の固い者たちに対しては、納得できるような理由を見つけてあげようと考えていた。


 正司が突き進めば、いずれ破綻するかもしれない。

 その頃までに、正司の考えが軌道に乗っていればいい。


「もしかしてわたくしは、民を顧みない、希代の悪女として歴史に名を残すかもしれません」


「はいっ!? ミュゼ様が悪女ですか?」

 ミュゼが発した言葉の意味を、エリザンナは最後まで理解できなかった。




 それから数日後。

 クエストの白線は、いまだビストから動いていない。


 最初正司は、「クエストが進んでいないのでしょうか?」と訝しんだが、どう考えてもこれ以上やることはない。


 マルロウの願いは、ビストを救うこと。

 そしてビストは、「自分よりも息子」と言っていたので、ニジュさえ説得できればクエストはクリアできるはずである。


 なぜクエストが進まないのか。

 これは伝言ゲームのようになっており、マルロウまで話が届くのに時間がかかるのではと正司は考えた。


 クエストには時間制限があるが、いまは動くときではないと考えることにした。


 何しろ午前中は毎日、ミュゼから講義を受けている。

 正司は目標を実現させるため、これからも多くの知識を仕入れなければならない。


 ただし、少し気がかりなこともある。

 先日、町外ちょうがい区域に壁を作ったとき、ミュゼは何も言わなかった。


 それどころか注文を出してくるほど積極的だった。

 もちろんそれは嬉しい限りだが、これまでと違うミュゼの態度に、若干の戸惑いもあった。


「今日は何を知りたいのかしら」

 日課の講義に、正司は昨日からずっと考えていた課題をぶつけてみた。


「人と魔物は、これまでどのようにして戦ってきたのでしょうか」

「知りたいのは、魔物との戦いの歴史ですわね」


「そう……なると思います。魔物狩人や魔物を狩る兵の方々が軽装なのが気になりました。もっと身を守る防具が発達してもいいと思ったのですけど」


 彼らが防御を疎かにしているとは思えない。

 生き死にに直接かかわることなのだから。


 それにしては、防御が薄すぎると感じた。

 正司が出会った中でフルプレート鎧を纏っていたのは、薬師のクレートくらい。


「グレード2までの魔物と戦うのでしたら、重い金属の鎧は有効だと思いますわ。それでも移動を考えれば、あまり推奨されないと思いますけど」


 グレード3以上になると、どんな鎧でもあまり意味を成さないらしい。

 一対一で殴りあうわけでもないので、どちらかというと兵には機動性が求められる。


 耐えるよりも攻撃を受けない立ち回りが重要であるとミュゼは言った。

(なるほど、地球の歴史と違って、途中をすっとばして銃の発達と同じ考えに至ったわけですか)


 日本の戦国時代に作られた鎧や兜は、いまだ博物館などに展示されている。

 当時は剣や槍、弓矢で戦っていたので、鎧が有効だったのだ。


 明治以降の日本、たとえば西南戦争では、敵味方とも鎧を纏ってなかったという。

 銃はどんな鎧でも貫通させる能力があり、それならば重い鎧をつけてヨタヨタと突進するよりも、機動力を生かした方がマシと考えられていたからだ。


 その後、武器と防具の歴史は武器に軍配が上がり続ける。

 攻撃を完全に防ぐ防具はいまだ開発されておらず、現代の兵士たちも弾丸に当たっても平気な服を着るのではなく、隠れて当たらないよう立ち回るようになっている。


 この世界の魔物、それもグレード3以上の攻撃は、容易く鎧の防御力を上回るらしい。

 身を固めても無駄と知った人々は、グレード2までの攻撃を防ぐだけと割り切って、なるべく身軽な格好をしているらしい。


「それについては分かりました。そこにたどり着くまでの歴史を聞かせてください。これまで人がどうやって魔物と戦ってきたのか、いまどう戦っているのかが知りたいと思います」


 正司は一般的な魔物の戦いすら知らない。

 魔物と戦うにも実力差がありすぎるのも考えものである。


 だが、そう聞かれたミュゼは困った。

 魔物との戦いは長い歴史の物語でもある。一言で説明するのは難しい。


「分かりました。それでは何回かに分けてお話しましょう。その都度疑問がありましたら、答えますわ。それでよろしいかしら」


「はい、お願いします」

「でしたら今日は概略だけにしますね。明日以降、詳しい話をしますので、資料を持ってきましょう」


 こうしてミュゼの講義ははじまった。

 正司は、積極的にこの世界を知ろうとしている。


 ミュゼは正司の知りたいことを理解し、よく応える。


「人々は昔から魔物と戦ってきました。今のような文明を築くずっと前から、人と魔物は戦い続けていたのです。帝国の場合ですと……」

 正司はミュゼの講義を一言たりとも聞き漏らすまいと、注意深く耳を傾けるのである。




 そして三日後の朝。

 講義の前に、ミュゼは資料を持って現れた。


「制服を作る商会の募集が締め切られましたの」


 昨日までに参加表明をした商会の数は七つ。

 資料には商会名の他に、さまざまな情報も載っている。


 リストを目で追っていくうちに、正司はひとつだけ見知った名前を見つけた。


「ニュブリガン商会の名前がありますね。代表者は……ニジュさんですか」


「細工商から服飾商へと変わり、同時に代替わりもしたようですわ」


「ということは……あっ」

 いつのまにか、クエストの白線が別の場所に伸びていた。


 ここ数日変化がなかったため、正司は気にするのを止めていた。

(クエストが動いていたのですね。とすると、この先はマルロウさんでしょうか)


「タダシさん、なにか気になることがありましたか? どこかへ行こうとしておりますの?」


 正司が虚空を見つめたのを目ざとく見つけ、ミュゼは正司の腕に手を回した。

 目を離すと、正司は〈瞬間移動〉で跳んでしまうことがある。


「えっとですね……今日の講義が終わったら、行きたいところができました」

「それは良かったですわ。もちろんわたくしもご一緒します。それまで一人で出かけたりしないでくださいね」

「…………はい」


 昼食後、正司はミュゼとレオナールをともなってマルロウの店まで跳んだ。


 講義の後で確認したが、朝ミュゼが持ってきた資料は「参加表明」した商会名が書かれているだけ。

 これから時間をかけて、採用する制服を選定していくのだという。


 選定方法はサンプルの提出。

 熟練のお針子さんたちが縫った最高の一品が出てくるだろうとのこと。

 楽しみである反面、どんなに急いでも半月は先になるらしい。


 それにニュブリガン商会が参加したということは、ニジュとルーラはやる気を出し、ビストもそれを後押しする算段が付いたのだろう。


「こんにちは、マルロウさん」

「おお、これはタダシ様。それにミュゼ様とレオナール様も」


「そろそろ結果が出たと思いましたので、やってきました」

「やはりタダシさんだったのですね。ええ、もう最高の結果が出ました」


 マルロウは満面の笑みで正司たちを店内に迎え入れた。

 若い女性にマルロウは声をかけた。


「今から商談だ。奥の部屋を使う」

「畏まりました」


「茶はいい。人払いを頼む」

「!? 承知しました。早速とりかかります」

 若い女性が驚きの表情を浮かべて、早足で奥に向かった。


 マルロウはゆっくりと店の奥へ進む。


 クエストの結果を聞きにきただけだったが、どうにも物々しい。

 正司は恐る恐るマルロウのあとについていった。


「どうぞ中へ」

「……はい」


 重い木の扉を開き、小さな部屋に入る。

「お座り下さい」


 正司たちが座る間にマルロウは扉を閉めた。


「タダシ様。私の恩人であるビストさんを救っていただいて、ありがとうございます」

 マルロウは深々と正司に頭を下げた。


「頭をあげてください、マルロウさん。実際に助けたのは、マルロウさんですよね?」


「たしかに私はビストさんに金を貸しました。当面は問題ないでしょう。ですがそれはタダシ様が動いてくれた結果に他なりません。私がいくら言っても首を縦に振らなかった彼を説得してくれたのです。本当にこれは感謝してもしきれません」


 ずっと気に掛けていたようで、マルロウの顔は晴れやかだった。


「私がしたことなど、ただ話をしただけです。本当に大したことはしていません」

 正司がそう言うと、マルロウは「いやいや……」と首を横に振った。


「クエーチェットを捕らえたとも聞きました。まさかあれだけの情報ですぐに見つけて捕らえるとは」

 さすがですとマルロウが語り、正司は「えっ!?」とミュゼを見た。


 ミュゼはゆっくりと頷く。

「よい耳をお持ちですわね」


「当会でも気になっておりましたので」

 自分の商会が騙られたのだ。

 ケジメをつけさせるために、探していたのだろう。


「そうでしたの……主人が言うのですよ。『少しおイタが過ぎる人たちがいる』と」


「……では、トエルザード家が動かれると?」

「少々」


「それを私に伝えてもよろしいのですか?」

「……ええ、主人はそう判断しました」


「それはそれは……光栄です」

 マルロウは背筋を伸ばし、神妙な顔をした。


(……えっと、何の話ですか?)

 正司はマルロウとミュゼの顔を交互に見るが、ふたりの視線は動かない。


「ふふふっ……」

「いやはや……」

 ミュゼとマルロウは笑っている。


(いや、本当に何の話です?)

 正司は、途方に暮れた。



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