052 続・悩める若旦那
正司がクエストを受けたあと、三人は屋敷へ戻った。
ミュゼは自室でエリザンナを呼び出した。
レオナールは「お館様に報告を……」と出て行った。
最近、エルヴァル王国は妙に焦っているとミュゼは考えている。
原因は分からないが、八老会が関係している可能性が高い。
八老会の会合は定期的に行われているが、詳しい日程の発表があるわけではない。
王国で大きな変革が起きた頻度から逆算するのが関の山だ。
王国に変動がまったくないと「そろそろかな?」と予想することになる。
そして最近は、八老会が動いた痕跡はない。
「……会合が近いのかしらね」
国王が八老会相手に密約を提示したものの、それが達成できなくなるかもしれない。
だから国王が焦って動いているのでは? そんな風に勘ぐるミュゼであった。
「ミュゼ様、お待たせ致しました」
扉がノックされ、エリザンナが入室した。
「本日の業務報告はあとで受けます。先に聞きたいのですけど、博物館の制服を発注してあるわね。あれはどの程度進んでいるのかしら」
「はい。当家と交流のあるいくつかの商会に声を掛けまして、その返答がほぼ出そろいました。このあと、タダシ様から伺った話をもとにして、選定作業を始める予定になっております」
「選定作業の詳しい内容を教えてもらえるかしら」
「畏まりました。希望してきました商会に支度金を渡し、これはと思う制服を作成してもらう予定です」
同じ期日や資金で制服を作成してもらい、その技量を競いつつ最善のものを選ぶ予定であるという。
この話を正司が聞いていれば「コンペですね」と思ったことだろう。
「最終的には、複数の商会に発注をかけるのよね」
「はい。制服は一種類を選ぶ予定ですが、その仕様を公開し、複数の商会に発注をかけるつもりです。選出された案を持ってきた商会には賞金とともに技術料を支払います」
「分かりました。それで参加を表明してきた商会名を知りたいわ」
「こちらになります」
ミュゼがリストに目を通すと、七つの商会名とその代表者の氏名、簡単な取引履歴、得意分野などが記されていた。
「ニュブリガン商会の名前がないようね」
「ニュブリガン商会ですか……参加表明はまだきておりません。期日までに支度金を受け取りにこないと自動的に不参加になります」
「参加表明の期限はいつかしら」
「三日後です」
「参加表明した商会には、均等に仕事を割り振るとは、まだ話をしていないのよね」
「しておりません。提出した作品の中で著しく出来の劣っているものがあれば、その商会は外すことになると思います。そうでなくとも談合される可能性もありますので、そういった事情は一切伝えておりません」
「それでいいわ。三日後また聞きます」
「はい。畏まりました」
エリザンナが一礼して去って行く。
(ニュブリガン商会は不参加ね。タダシさんはどう対処するのかしら……今回は滅多なことはおきないと思うけど)
その頃正司は、リーザとミラベル、そしてルノリーと夕食を共にしていた。
「それではもう博物館を作ってしまったのですか?」
ルノリーが驚きの声をあげる。
それはそうだろう。昨日までそんな話は少しも出ていなかったのだ。
ルノリーは驚き、ミラベルはやっぱりと「微妙な笑み」を浮かべ、リーザは頭を抱えていた。
「ねえ、タダシ……ひとつ聞きたいのだけどいいかしら」
「何ですか、リーザさん」
「その博物館って、魔物の石像を展示するのよね」
「はいそうです」
「建物は、どのくらいの大きさなのかしら」
「えっと……そうですね、訓練場の七割くらいを使ったかと思います」
「……七割」
「他に塔を建てました」
「ん?」
「目立つ方がいいかなと思って、この町が一望できるくらいの高さにしてみました」
「ちょっ、ちょっと待って!」
ガタッとリーザは立ち上がり、窓に駆けよっていく。
日が暮れ、辺りが夕闇に沈む直前の時間帯。
そこにうっすらと天に伸びる一本の柱を見た。
「あれが塔ですか? 塔は我が家にもありますけど、高さが全然違いますね。もしかしてあれもタダシさんが今日作ったのですか?」
「はいそうです、ルノリーさん。ランドマークといえば良いのでしょうか。あの塔を目印に来てもらうと、迷わず博物館に辿り着けるようになっています」
「……そう」
いい考えだと思うわと、リーザはやや感情の伴わない声で言った。
「町のシンボルになるね、お姉ちゃん」
「そうね。きっと今頃、町中の話題をさらっていることでしょう」
「そうなるといいですね」
正司はご満悦だ。
「……それにしてもあの訓練場跡地の七割も使うだなんて、一体どんな博物館になるのよ」
テーブルに戻り、そっと息を吐くリーザ。
正司たちもテーブルに戻って、食事を再開する。
「石像以外にも、魔物に関係するものは展示していこうかなと思っています。二階の展示室はそっち方面を充実させてもいいですね」
「ちょっと待って、タダシ」
「はい? なんでしょう?」
「……二階ってどういうこと?」
「博物館は地下一階、地上三階の建物になっているんです。あと、屋上にも出られるようにしてあります」
「さっき言った敷地の七割というのは、博物館の総面積ではなくて、建物自体の大きさよね?」
「そうです。総面積でしたら、屋上部分を入れてその五倍になります」
「…………五倍」
最初に言ったのがワンフロア分ならば、地下と地上、それに屋上を合わせれば、たしかに面積は五倍になる。
計算は合っている。
合っているのだが、どうやら正司は塔と一緒にとんでもないものを建ててしまったらしい。
あの訓練場跡地は、リーザも何度か足を運んだ事がある。
兵が集団で訓練するのだから、それなりの広さがあった。
それの七割を使った建物というだけで頭が痛いのに、実はその五倍も面積があるという。
「他国が騒がしくなりそうね」
トエルザード家のことを調べようとする者が五倍、十倍に増えてもおかしくない。
こんなとき、屋敷に出入りする人間だけでなく、外に出されるゴミひとつとっても彼らには貴重な情報となる。
「お父様とお母様は大変だね、お姉ちゃん」
「そうね……きっと今頃同じことを思っているでしょう」
盛大に頭を抱えているに違いないと、リーザは思うのであった。
食事が終わり、みなでお茶を飲んでいるところへ、デザートが運ばれてきた。
フルーツを半分に切ったもので、スプーンが添えられている。
「お姉ちゃん、この果物の形って……もしかして帝国の?」
ミラベルの言葉にリーザが頷く。
「あっ、もしかして」
ルノリーも気付いたようだ。
正司だけ意味が分からないので、デザートをよく観察する。
(瑞々(みずみず)しい果物ですね。上にシロップのようなものがかかっているみたいですけど……果物の切り口がやや変わっているだけで他に特徴はないようですけど)
切り口が星形に見える。
スターフルーツと呼ばれる果物が地球にもあるが、あれは五つの頂点がある星形。
正司がいま見ているのはそれよりひとつ多く、尖った部分が六つある。
「お姉様、これはジュエルフルーツですよね」
ルノリーの言葉にリーザが頷く。
「そうよ。バアヌ湖に行ったから買ってきたのよ」
バアヌ湖とは、帝国領にある巨大な湖のことで、正司も地理を勉強したことで知っていた。
ここ数日、リーザは〈瞬間移動〉の巻物で帝国の主要都市を訪れていた。
といっても巻物の存在は秘匿されているため、ダリノ船長が過去に行ったことがある場所に限られているのだが。
それでも帝国の沿岸部分の町はある程度網羅しており、そこから内陸へは、馬車を使って移動した。
船を使えば数ヶ月かかる道のりも、巻物で行き来すればすぐ。
現地の移動くらい何のことはないと、護衛のライラと先導役のダリノを連れて、リーザは動き回ったのである。
「さっきの魚料理で気付くかと思ったのに、ここまで気付かなかったわね」
「魚料理……? あっ、あれもバアヌ湖の!」
ミラベルが気付いて声をあげた。すぐにルノリーも気付く。
「あの有名な『バアヌ湖マス』だったんだね!」
「そうよ。一度だけ塩漬けを食べたことがあったわよね。あれが正真正銘、バアヌ湖で水揚げされたばかりの『バアヌ湖マス』よ」
ふふんと、鼻高々のリーザ。つい先ほどまで帝国にいたらしい。
そういえばここ数日は不在だったと正司が思っていると、ミラベルとルノリーが「自分たちも行きたい」と言いはじめた。
「巻物はまだ沢山あるけど、私は遊びにいったわけじゃないのよ」
ちゃんと目的があって帝国に行ったのだと二人を宥める。
「巻物ですか? 私が作りますよ」
「本当?」
「やったぁ!」
「みんなで……」
――パァン
リーザがテーブルを平手で叩いた。三人が一斉に黙る。
「ねえ、タダシ」
「……はい」
リーザの声音が急に低くなったと正司は理解した。
(この感じ、ミュゼさんにそっくりです)
そんなことを思っていると、やや目の据わったリーザの顔が近づいてきた。
「タダシ、お母様から『何か』言われているんじゃなくて?」
「えっと……『ほどほどに』と言われました」
「そう。分かっているじゃない。……で?」
首をナナメに傾け、顎をしゃくり、やや上目遣いで「で?」と聞いてきたリーザに、正司はミュゼの般若を幻視した。
「ま、巻物は……て、撤回します」
「そうね。自重した方がいいわ」
「……はい」
巻物はすでにトエルザード家の家宝レベルになっている。
今後、何世代にも亘って、緊急時にのみ使用することが決まっている。
もしミラベルやルノリーが帝国に行く必要が生じた場合、巻物を使用することもあるだろう。
だが、少なくとも観光で使用してよいものではない。リーザはそう考えていた。
正司の非常識さに慣れないためもある。
正司に願えば何でも叶ってしまう場合、それに依存し過ぎないよう、しっかりと節度をもってもらいたいのだ。
正司は今日、ミュゼとリーザから注意を受けたとき、大好きだったスキル制のゲームのことを思い出した。
(初心者の頃って、どんな苦労でも楽しいんですよね)
生産キャラを極めると、最高級品が簡単に作れてしまう。
ダンジョンに潜れば、魔法が付加された武具が簡単に手に入る。
毎日そんなことをしていると、ついついそれが当たり前になってしまう。
高品質(HQ)品ですら見向きもしなくなった強キャラの前に低品質(LQ)品で身を固めたキャラが現れると、つい「お節介」で要らないアイテムか武具を渡してしまうことがある。
それは強キャラになれば、だれもがやってしまうことだ。
自分が要らないものでも、他の人が必要なのだ。タダで配ったっていいじゃないかと思ってしまう。
正司は今回、それと同じ過ちをしでかしかけたのだと気付いた。
なるほど、自重しようと思った。
このとき正司は、本当にそう考えたのである。
翌朝、ミュゼの講義を受けたあと、正司は昨日のクエストを消化するため、町へでかけた。
もちろんミュゼとレオナールも同行している。
同行というか、真横にピッタリとくっついている。
昨日のように両腕をホールドされていないだけマシだろう。
「えっと……こっちですね」
白線に導かれて正司が向かったのは、一軒の建物。
工房兼商店となっていて、奥に住居があるのが見て取れた。
「なるほど、ここはニュブリガン商会の建物ですな」
「やっぱりそうでしたか」
レオナールの言葉に正司は頷いた。
依頼人はマルロウであるが、依頼内容は細工師であるビストを救済すること。
ニュブリガン商会へ白線が伸びていたのも頷ける話であった。
「それでタダシさん、これからどうされるのですか?」
「まず話を聞いてみようと思います」
マルロウの話をすべて鵜呑みにするわけにもいかない。騙された当事者は、ビストである。
クエーチェットという商人に騙されたというが、結局何がどうなっていたのかなど、詳しい話は聞いていない。
「ごめんください」
正司が声をあげると、少しして、中から毛むくじゃらの熊のような大男が顔を出した。
あまりの迫力に、正司が一歩引くと、レオナールが「ビスト氏です」と囁いた。
白線も目の前の熊のような大男を指しているから、間違いないだろう。
細工師と聞いていた正司はもっと線の細い、神経質そうな人物を想像していたが、現れたのは、その真逆の人物であった。
顔の周りに伸びたヒゲは、これぞ山男という感じで、このまま登山に出かけ、そこらで野宿してそうにも見える。
「これはミュゼ様と……レオナール殿!?」
トエルザード家と取り引きがあるので互いに顔見知り。
これなら話が通りやすいと正司が思っていると……。
「制服発注の件でこられたのですね。申し訳ございませんが、我が商会はお断りさせていただこうかと考えております」
「へっ?」
正司が素っ頓狂な声を出した。
タイミングが悪く、エリザンナがパウラを使って募集させていた博物館の制服。
その搬入元候補に、このニュブリガン商会が含まれていた。
レオナールが今回の訪問はそれとは別で、主役は正司であると説明するも、レオナールどころかミュゼが付き添いであることがどうにも信じられないらしく、理解してもらうまでにそれなりの時間を要した。
ようやく落ちついてから、場所を店内に変えて詳しい話をすることになった。
どうやら今は開店休業状態らしい。
細工業を縮小して、ゆくゆくは廃業しようと考えていたこともあって、新規の受注はほとんど受けていないようだ。
正司は改めて自己紹介し、さあこれからクエストを進めるぞという段になったが、ミュゼが直前で正司を制した。
「我が領で何やら王国商人がやらかしていると聞きました。商会の運営に口を出すことはしませんが、噂を聞くに、我が家が介入すべきことかもしれません。何があったか、話してもらえますね」
ミュゼの聞き方は穏やかだが、有無を言わせぬものがあった。
ビストは俯きつつ、そっとミュゼを覗き見る。
ミュゼはビストが語り出すのをじっと待っている。
これは引く気がないとビストは判断し、観念したように語り出した。
「おっしゃる通り、王国商人に騙されたようです。まさかミュゼ様の耳にまで入っているとは思いませんでした」
「噂にはなっていません。わたくしが知ったのは偶然です。それで何がありました?」
「息子夫婦が縫った服をこの店の片隅に置いて売っていたのです。そうしたら店に来た商人の目に留まって……」
息子のニジュは、独立した店舗を持ってもやっていける腕を持っているらしい。
親であるビストは、そのことを誇らしく思っているものの、代々続いたこの細工商は自分の代で終わることに一抹の寂しさを感じていたらしい。
それでも自分の子が自分で切り開いた道ならば応援したい。
しっかりと前を見据えて歩いてほしい。
親ができるのはそれを補助することだけだ。そう思っていたという。
そのため、息子が縫った服を自分の店に並べてたのだという。
店に来る客は、ビストの細工物が目当てである。
だが、店の片隅にあった服がポツポツと売れ始め、それなりに知られるようになった。
ニジュの妻であるルーラもまた服飾職人であり、夫婦の作品を置きはじめると、売上が細工物を越える日もあったという。
そうすると今度は、ビストが乗り気になった。
細工商は自分の代で終わるのは仕方ないが、これからは息子たちの時代。
服飾商としてニュブリガン商会を続けていけばいいと考えるようになった。
「トエルザード家に届け出したのはそんな頃でした」
「たしかに業種変更の届け出は受けましたわ」
実力が確かならば、取り引きは続くだろう。ビストはそう思っていた。
「王国商人がやってきたのはそんなときでした」
「クエーチェットですわね」
「はい」
そこからはマルロウから聞いた話とほとんど変わらなかった。
商品に目を留め、ぜひとも王国内で売らせてほしいと懇願してきたという。
かねてよりニジュの作る服に、これまでにない新しさを感じていたビストは、「この商人は見る目がある」と、つい話に乗ってしまった。
「その場に息子さんたちは、いなかったのですか?」
「ニジュもルーラもここにはいません。まだ独立していませんので、服飾店で働いています」
正司の質問にも、ビストは真面目に答える。
どうやらクエーチェットの話に乗り気だったのはビストであり、服飾に関しての知識はあまりなかったようである。
そのため、違和感に気付かなかったようだ。
これならば絶対に王国で売れる。
販売は自分がやってもいい。
ただし、生地はもっと高級なものを使わないと駄目だ。
そのかわり出来たはしからすべて買い取る。
本人の都合がつくときに、作れる範囲で作ってもらって構わない。
そう言われてビストは、言われるままに布地を購入したらしい。
「布地の売買契約が成立した日からクエーチェットは、ばったりと店に来なくなりました。それで俺がフォングラード商会へ問い合わせたところ……」
「そんな者はいない」と言われたそうである。
それでもビストはクエーチェットは王国の本店従業員だと思っていた。
だが何日経っても現れない。
ここでビストはようやく息子に相談した。
すると息子から、ビストが購入した布地はあまりに多く、また相場にくらべて馬鹿高いことが分かった。
それに輸送料を加えると、とても採算が取れるものではないという。
「ようやく騙されたことを知りました。ですがそれは相手のことを見抜けなかった俺が悪いんです。商人として失格、今回はいい勉強になったと諦めました」
「なるほど、だいたい話は分かりました。それで今後はどうされるのかしら」
「土地を売って支払いに充てようかと思っています。いまその手配をしているところです」
「その場合、先祖代々続いたこの土地からも出て行くことになりますよ。ニュブリガン商会は、トエルザード家がこの地に根を張った頃からあった旧い商会のひとつですのに」
「先祖には顔向けできませんね」
ビストは力なく笑った。
「融資の声があると聞いていますが」
「それもご存じでしたか。たしかにあります。ですが息子とも話し合ったのですが、俺が考えていたものは、息子の目指すものとは違うようです。そして俺は……もう疲れました」
「疲れたというのは?」
「いつの間にか息子は自分で目標を見つけ、自分の足で歩いていました。俺の補助など必要なかったのです。そして俺は……息子のことを何一つ分かっていませんでした」
ビストは自嘲気味に笑う。
マルロウから聞いた話だと、フォングラード商会が信頼されていないということだったが、どうやらそれはビストの方便だったようだ。
ビストには、すべてを諦めてしまった人特有の「におい」があった。
ここまで話を聞いて、正司はこれをどう解決すればいいかと考えた。
ただお金を貸せばいいのではない。
マルロウが救いたいと考えるビスト自身に「救われたい」という思いがないのだ。
(難しい問題ですね)
本人が借金してでもやり遂げるという意志を持たない限り、事態は動かないだろう。
(どうすればいいのでしょう。白線はビストさんを指したままですけど……)
じっとビストの顔を見ている正司は、ふと先ほどの会話で引っかかる部分があったことを思い出した。
「あの、ビストさん。質問したいのですけど、よろしいでしょうか」
「ええ、構いませんよ」
「さきほど息子さんと目指す方向と違うと仰っていましたが、それはどういったことなのでしょう?」
「その話ですか。この場で言うのはあれですが、息子は上流階級の方々のために服を作りたいわけではないようです」
上流階級といえば、トエルザード家はそのトップにあたる。
他にも領地を管理している家臣や、トエルザード家を支える多くの家がそれに当たる。
ニジュは、そのような人たちのために服を作っていないとビストは断言した。
「ということは、一般の人たちのため……でしょうか」
「そうです。ここに置いてある服もそうです。だからクエーチェットからはもっと高級な生地でなければ駄目だとも言われたのですが」
「服を拝見してもいいですか?」
「どうぞ、手にとってみてください」
正司は席を立ち、棚に置かれた服を手に取る。
(ゴワっとしていて、たしかによい生地ではないですね。それでも縫製はしっかりしていますし、なにより頑丈です。これと似たようなものを日本でもみた気がします。たしか……)
「作業着ですか」
思わず声が出たことで、正司は理解した。
これは正司が営業時代に現場に赴いたとき、多くの人が着ていたものに似ていた。
(たしかツナギと呼んでいましたね)
「その通り、作業着です。息子は仕事をする人のために服を作りたいようです。俺はそんなことをちっとも分かってやれなかった……騙されて、はじめて知ったんです」
正司は置いてある服を次々と手に取った。
デザインは洗練されている。
機能的であるのに、上品なのだ。
そして、どれも頑丈な作りになっている。
(ニジュさんの目指したい方向というのは、上流階級向けの薄地や派手なものでなく、もっと質実剛健、労働者向けのものなのですね。それでもセンスの良さがにじみ出て……あれ?)
いくつか手に持ったもののひとつに変わったものがあった。
正司はそれをよく確認する。
(……これはホックですね)
ボタンのところがはめ込み式のホックになっていた。
これまで上流階級を含めて、正司が会った人物の服装を思い出してみた。
頭から被るもの以外では、ヒモで結ぶか木製のボタンで留めていた。
「それですか。それは息子に頼まれたもので、便利だったんで、他にも作ったんですよ」
正司がホックを眺めていると、ビストがそんなことを言った。
「息子さんに頼まれて作ったんですか?」
「息子が引退した使用人のために服を作ったんですが、その人は指先が震えて、ボタンがうまく嵌められない。それが屈辱らしくてどうにかしたいと相談を受けたんです」
依頼人は矍鑠としていたが、かなりの高齢だったらしい。
主人に仕えることはできなくなったが、これまでの生活を変えたくない。
だらしない格好はしたくないという。
使用人時代に貯めた金があるので、それでボタンを使わなくても、ビシッと見える服を作ってほしいと依頼してきたようだ。
そのような場合、通常は木製のボタンを使用する。
だが嵌められない。
その代わりになるものないかと息子から相談されて、押すだけでボタンのように留まる金具をビストが考え出したらしい。
(型を作ってプレスしたのでしょうけど、凹凸がうまく嵌まっていますね)
パチパチと付けたり外したりしていると、その精巧さに驚く。
これは多くの人が試行錯誤して徐々に完成させたのではない。
ビストもまた、非凡な才能を持っていることが分かった。
いよいよ正司は、親子ともこのまま埋もれさせるには惜しいと思うようになった。
「ここを売り払うことはもう仕方ありません。俺は息子の世話になりつつ、あいつのやりたいようにさせようと思います」
結局ビストの意志は変わらないのか。
正司がそんなことを思っていると、クエストの白線が別の場所を指していた。
(これはいつからでしょうか……私が服を見る前まではビストさんに向かっていましたけど)
白線はずっと西の方へ伸びていた。
「ミュゼさん、この町の西には何がありますか? 町の外れの方です」
マップを最大まで広げたところ、白線はマップの灰色の部分へと消えていっている。
それなりにラクージュの町を歩いた正司だが、そこはまだ行っていない場所だ。
「西の外れは、町外区域ですわね」
「……?」
「ラクージュの町とはみなしていない場所のことです」
そっとレオナールが教えてくれた。
「もしかして棄民ですか?」
どの町にもいた棄民の姿が、すぐに思い浮かんだ。
「そう呼ぶ人たちもいます。擁壁の外ですが魔物が出ない一帯が西にあるのです」
町内に住居を持たない者たちが、そこに住んでいるという。
だれも彼も町に入れてしまうと、そこに住み着き、勝手に根城を作ってしまい、治安が極端に悪くなる。
そういった者たちがいるだけで、ちゃんと税金を払って町に住む人たちがワリを食ってしまう。
とくに無住所、無許可商売をして税金を払わない人たちがいると、健全な生活が脅かされる。
そのための措置として、ラクージュの町では、住所不定の者たちは町内に住めないようにしているという。
「タダシ殿、町外区域に何かあるのですか?」
壁の外に住む者たちでも、日中は町中で手間仕事にありつく者も多い。
町中への出入りは自由である。
ゆえに彼らは、すぐ町へ入れるよう、西門付近に固まって住んでいるらしい。
「えっとですね……」
マップに白線が伸びていると言っても、うまく説明できない。
正司が困っていると、ビストが手を叩いた。
「そういえば、息子夫婦は今日、町外区域へ行っているはずです」
「それはまたどうしてですか?」
「あそこには、古着の古着がさらにボロになったものを着ている者もいるんです。そんな者たちは、なかなか町中へ入れないんです」
「そうでしょうね。私も見たことありますが、上半身裸で、下はボロ布一枚という方もおられます」
レオナールは頷く。
「息子夫婦は店で使わなくなった布の切れ端を溜めておいて、町外区域に持っていってると言っていました。捨てるはずのものでも、綺麗に当て布すればまだマシに見えるからと」
少しでも良いものを着られたら、定職につけるかもしれない。
そうすれば将来的に店の顧客になる可能性がある。
ニジュはそう言って、捨てる布をもらい、休日に町外区域へ通っているのだという。
「そうだったんですか」
(だったらこの白線は、ニジュさんの所へ繋がっているのでしょうか)
正司は早速レオナールとミュゼをともなって白線を追うことにした。
(予想どおりでしたね)
白線は城壁の外まで続いており、西門を出て少ししたところにある小屋へ続いていた。
「これは……」
「ひどいものですな」
「わたくしもここまでとは知りませんでした」
広さにして六畳程度の小屋。
そこに子供たちだけでも十人くらいが所在なさげに座っていた。
「何かご用でしょうか?」
奥で繕いものをしている男女と目があった。
「……もしかしてニジュさんですか?」
「はい、そうですけど……どこかでお会いしましたでしょうか」
熊の大男の息子とは思えないほど華奢な男性がニジュだった。
ならばその隣にいるのは、妻のルーラであろう。
「さっきまでビストさんのところにいました。私は、タダシと申します」
「はあ、父がお世話になっております。息子のニジュです。こちらは妻のルーラです」
ルーラが会釈する。ふたりとも正司より少し若いくらいにみえる。
ミュゼとレオナールが自己紹介すると、ニジュは驚いたようだ。
「こんな場所に……どうされました?」
「私が話を伺いたかったものですから」
正司はそういうと、小屋にいる子供たちに目をやった。
ニジュは何かを察したように呟いた。
「この子たちの半分は、親なしです。魔物に殺されたり、病気や怪我で亡くなったりした子供たちです」
「そうですか。残り半分は?」
「町で働いて夜には帰ってきます。普段は子供たちだけで待っているのですけど、今日は仕事が休みなもので私たちが来ました」
ここは魔物が湧かない場所とはいえ、外から流れてくることもある。
不用意に小屋から出て襲われてはたまらない。
ひと部屋に押し込まれて多少不自由であるが、命には代えられない。
子供たちはここで大人しく親の帰りを待っているのだという。
ここでニジュたちは、子供たちの着る服を繕っているらしい。
服といっても、もとから粗悪品であるため、何度繕っても、すぐに破れてしまうという。
それでも外へ出て恥ずかしくない格好をと、こうしてやってきているのである。
「ここでは稼げる大人たちがみんなで子供の面倒を見ています。稼いだお金で食べものを買いますから、着るものは二の次なんですよね」
「ボロを着ていても死ぬわけではない……ですか?」
「そうです。幸い、大人たちの働きで食べていけるようなので」
「バイダル公領でも町に入れずに街道に溢れている人たちを見ました」
あのとき正司は、栄養失調にしかみえない子供たちに、魔物の肉を与えた。
目に付いた人をただ助けただけである。
慈善だか偽善だか分からないが、あの時の行動は後悔していない。
ラマ国でも、ラマ国に向かう途中でも、正司は危険な場所に住む棄民と呼ばれる人たちをみてきた。
その都度クエストが発生していた。
当たり前である。彼らはいつも困っているのだ。
なぜ正司はああも真剣に彼らの話を聞き、手助けしたのか。
当然クエストだから……それだけだろうか。
(みな肩を寄せ合って生きていましたね)
自分の明日の食料すら確定でないのに、協力して乗り切ろうと力を合わせていた。
そしてラクージュの町。
ここはトエルザード家がうまく治めているのはよく分かる。
町中を歩くだけで、他の町より裕福だなと感じることも多かった。
だがそれでもみなが町中に住めるわけではない。
村を出て行く人たちだっていた。
(ああ、やはりここは日本ではないのですね)
この小屋にいる子供たちは食べ物には困らないという。
ならば他の町に比べて幸せだね、そう言えばいいのだろうか。
雨風しのげる小屋があり、飢えることはない。
小屋から出れば魔物に襲われる心配はあるが、それはだれも条件は同じ。
裸同然のボロを纏っていても、「食べられるだけマシ、きみたちは幸せだね」と言えるだろうか。
ミュゼとレオナールは、この前正司に何と言っただろう。
――ほどほどにね
正司は「はい」と答えた。
リーザは正司に何と言ったか。
――自重しなさい
たしかにそう言った。
(ほどほどに自重して、私は彼らに「まだマシですね」「幸せですね」と言えますか?)
正司は自問した。
砂漠からずっと感じてきた、この世界での違和感。
地球と大きく違うのは、この世界には魔物がいるから。
だからこの世界のルール上、守れる範囲のものしか守らないのは正しい。
それは正しいのだ。だが……。
「ゲームで初心者に高価なアイテムを渡すと、周囲から非難されるんですよ」
「タダシ殿?」
「常識がないのかって非難されるんですね。初心者の楽しみを奪うなって……」
「タダシさん、何を言ってらっしゃるの?」
「たしかにその人たちの言いたいことは分かるんです。でも……」
そう「でも」だ。
「でも私は思うんです。ここはゲームにすごく似たシステムを持っているけど、ゲームじゃないんです」
クエストをこなしていて、ときに過剰サービスかなと思うこともあった。
だけど正司は止めなかった。
なぜならば、目の前で困っているのだ。
それが現実であるのならば、誰だって助けたいと思う。
手助けするのが当たり前ではないか。
(私の部屋のタンスをこの世界に繋げたのは誰ですか? ありがとうございます。意図があるのかないのか分かりませんが、感謝します。お礼をいいます。私の目の届くところにこんな現実を見せつけてくれて、ありがとう。もし神様がいるのでしたら、ありがとう。私にこの現実をみせてくれてありがとう)
正司は虚空を見つめた。
神と呼べる者がそこにいるかのように、正司の視線は一点に集中した。
(もう頭にきました。こんな現実ばかり見せつけられて、いい加減頭にきました)
棄民は当たり前、税を払えないなら出て行かされる世界が当たり前。
それを許容できるほど正司は薄情ではなかった。
正司はお人好しだった。
人と争うのは嫌いだった。
衝突すれば自分から引いた。
それが正司だった。
だから「このポーズ」は、日本で一度もやったことがない。
――こんな現実、クソ喰らえだ!
この日正司は、初めて中指をおっ立てた。