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051 悩める若旦那

 正司が作った巨大な壁は、町の人々の関心を大いに集めた。

 壁の近くにいた人々は何事かと手を止め、突如として出現した壁に目をやった。


 様子を見ようと集まった人々は十人、二十人と増え、すぐに百人を超えた。

 噂は噂を呼び、子供や大人、はては寝たきりの老人までもが「ひと目見よう」と押しかけていた。


 フォングラード商会のマルロウは、店の客から聞いたヨタ話にすぐさま反応した。


「ちょっと出てきます」


 従業員に声をかけ、そのまま店を出ようとする。

「若旦那、もうすぐ来客の予定が入ってま~す!」


 店を出たマルロウに、奥から女性の声が聞こえた。

 だがマルロウの足は止まらない。


「待たせておいてくださ~い」

「そんな~~、大口のお客様ですよぉ~~!」


「知ってまぁ~す」

 マルロウの姿は、人混みの中に紛れてしまった。


 こうなってはもう追いつけない。

 たとえ追いついたとしても、テコでも動かないだろう。


「もう、知りませんからね!」

 若い女性は足を止め、プンスカと怒りながら店に戻っていった。


 もちろんそんなことを言ったところで、マルロウには聞こえない。

 女性が店に戻ると、何人かの従業員がサッと視線を逸らした。


「すっぽかしたら、大旦那様に報告してやるわ」

 そんな恐ろしい言葉を吐いているのである。


 従業員たちは首をすくめて、自らの仕事に精を出すのである。




 一方のマルロウは、道を早足で進んでいた。

 客から聞いたのはただの戯れ言、本気にする類いではない。


(一瞬で長大な壁が建ったなんて……ですが、あの塔は)


 天にまで届くかと思われるほど高い塔が見える。

 あれも一緒に建ったものだと客はいった。


 マルロウの記憶でも、昨日まであの塔はなかった。

 一瞬というのは誇張が過ぎるが、半日か一日で塔が建ったというのは本当だろう。


 マルロウはいま、それを確認しに向かっているのである。


 というのも、商売には商機がある。

 マルロウは、父親の命でこのラクージュの町で商売をはじめた。五年前のことである。


 王国から出て、どこかの町で商売を始めるよう言われたとき、マルロウはここを選んだ。

 ラクージュの町こそ、自分の力を試すのに最適であると。


 その考えは当たりだったと、いまは思っている。

 最近のトエルザード家には何かある。そうマルロウは直感していた。


 ゆえに、買い物客から「でっかい塔が建ったと思ったら、次に壁がニョキニョキっと生えたんだ。中はどうなってるんだかねえ」という、耳を疑い(・・・・)たくなるような話に飛びついた。


 何をおいても見に行かねばという気になったのだ。


 道を何度か曲がったところで、マルロウの視界にも塔は入ってきた。

 あの場所に壁もあるという。


(単純に考えれば土魔法でしょうけど、十人、二十人と魔法使いを集めたとして……不可能ですね。とすると幻を見せる魔道具?)


 なにか理解できないことが起こっている。

 マルロウの足は自然と速まるのであった。




「あー、いました。あの人です!」


「おまわりさん、あの人です」的な感じで正司はこちらに走ってくる人物を指し示そうとしたが、両腕をホールドされていたために叶わなかった。


 それどころかいまの正司は、掴まった犯罪者にしか見えない。


「あの方は、フォングラード商会のマルロウ様でございますな」

 レオナールが目を凝らしながらミュゼに確認をとる。


 彼我の距離は約二百メートル。

 老齢にさしかかったレオナールの眼には、いささか厳しい。


「たしかにマルロウさんね。ずいぶんと慌てているようです」

「そうですな……顎を前に突き出したままでは、危ないですな」


 足をもつれさせても、マルロウの顔は、上を向いたままだ。

 レオナールとミュゼは、彼が何を見ているのか見当がついた。


「知っている人なのですか?」


「はい。当家と取り引きのあるお方でございます」

「王国から美しい品々を持ってきてくれますの。なかなかの審美眼ですわね」


 ラクージュの町にいくつ商会があるのか分からないが、トエルザード家と直接商売しているのならば、それなりに大きく、由緒正しい商会なのだろう。


 正司がそんなことを思っていると、ミュゼが「八老会のひとつと言えば分かるかしら」ととても物騒なことを言った。


 八老会とは、エルヴァル王国にある巨大な商会の中のひとつ。

 国政にも参加できるほどに権力を有した八つの商会を指して言う。


 八老会での決議如何によっては、国王の首すらすげ替えられると言われているのを正司はミュゼから聞いている。


「……あの人が八老会ですか?」

「いえ、商会長の息子さんですわ。本人の修業と実績作りのために、他国で商売しているのです」


 実家から初期投資はあったものの、慣れない土地で裸一貫からはじめ、いまではラクージュの町でもかなり有名な商家として名を馳せているらしい。


「や、やり手ですね」

「機をみるに敏。得がたい人材かと心得ます。……してタダシ殿は、どうなさるおつもりですか?」


「クエストを受けるために、マルロウさんとお話ししたいと思います」

「でしたら、わたくしが仲介しましょう」


 レオナールが片手を挙げると、マルロウが気付いた。

「お久しぶりでございます、マルロウ様」


「これはこれはレオナールさま、ご無沙汰しております。……それにミュゼさまも」

 マルロウがミュゼを見て、やや驚いた顔をした。


「最近、ご無沙汰ですわね」

 ミュゼは優しく微笑む。


「不義理をしておりまして、申し訳ございません。もうすぐ荷が参りますので、後日、伺わせていただきます」


「期待しているわ……それで今日はあなたに紹介したい人がいるのだけど」

「それは光栄でございます」


「タダシさん」


「……はい、初めまして、タダシと申します。マルロウさんと呼ばせていただいてよろしいでしょうか」

 ミュゼが目配せをしたので、正司はすぐに挨拶した。


「……はあ、私のことなど呼び捨てでも構いません……それは、何かの儀式でございましょうか」

 いまだ正司は、両腕を掴まれたままである。


「ほほほほ……何でもありませんの」

 ミュゼの態度から「聞くな」という雰囲気を察したマルロウは「それはそれは」と続く言葉を飲み込んだ。


 ここでマルロウは、紹介された正司という人物に注目した。

 商売柄、さまざまなタイプの人を見てきている。


 それによると、正司は成功しないタイプの人物と分類できた。

 よく言えば、小さくまとまった人物。


 両手で収まるくらいの幸せを大事にし、冒険しないタイプに見えた。

 ミュゼとレオナールが気に掛けるような大物にはみえない。


 そんな人物評がなされているとは、正司はもちろん分からない。

 両腕をがっちりとホールドされているため、できるのは身じろぎすることくらいである。


「マルロウさん、唐突に聞こえるかもしれませんが、少し私の話を聞いていただけるでしょうか」

「……はい。私でよければ、何なりとお話しください」


 マルロウは即答した。

 いかに正司が大成しなさそうにみえても、その両脇にはトエルザード家当主の妻と、その重鎮がいるのだ。


 大口の客を放り出してまで噂の大壁とやらを見学にきたのだが、マルロウの勘が「ここは話を聞いておけ」と囁いていた。


「ありがとうございます。それとこんな格好で失礼します。よく分からないのですが、なぜか腕を……」


「ほほほほ」

 ミュゼがぐっと力を込めた。


「……そ、それでですね。私はクエストというものを信奉しておりまして……耳慣れない言葉だと思いますが、『その人の持つ悩み』と考えていただいて構いません」


「はあ、悩みですか?」


「はい。悩んでいること、困っていることですね。人のそういったものを聞いて解決するために旅をしています」


「なかなか高尚なお考えで……」

 人が何を信奉するかは、その人の自由である。

 それでも人の悩みを解決して回っているというのは、中々に珍しい。


「これは自分のためにしているのですから、別段崇高な意志があるわけでもありません。……それで、マルロウさんの悩みをお聞かせ願えたらと思うのです。もちろん希望されるのでしたら、その悩みは誰にも話しません。解決するにあたって、途中や事後に金銭や品物を要求することもしません。純粋に私がしたいから行うことです。マルロウさんにご負担をかけることはありません」


 そう話した上で、正司は「出会ったばかりで信頼しにくいとは思いますが、なにとぞ私に悩みを打ち明けていただけないでしょうか」と頼み込んだ。


「…………」

 マルロウはマジマジと正司の顔を覗き込む。


 自分の家は、腐っても王国八老会に名を連ねる大店。自分はその跡取りである。

 金も人脈も豊富にあるし、これまで自身が築いてきた繋がりだって、かなりのものと自負している。


 そんなマルロウに向かって「悩みがあるか?」と聞いてきた。

 しかもそれを解決するというのだ。


 もちろんマルロウだって普通の人と変わらない。

 大小様々な悩みはある。


 大店たるフォングラード商会とて、どうにもならないこともあるし、マルロウ個人でも解決できないこともある。

 だがそれを目の前の男に話してどうなるというのだろうか。


 トエルザード家がバックアップするのとは違う。

 これは正司本人の願いだ。


 そもそもトエルザード家が一個人に肩入れなどしない。

 では正司が個人でマルロウの悩みを解決すると? それこそマルロウは笑い出したあと、怒っていい話である。


「なるほど、話は分かりました。私では解決できない問題がひとつだけございます。それをお話しすればよろしいのでしょうか」

 笑ったり怒ったりせず、マルロウはそう答えた。


 マルロウの勘が、これは王国に伝わる寓話『好機チャンスの顔』ではないかと感じたのである。


 長い人の生の中には、何度が『好機』が訪れる。

 だが、だれもが好機の顔を見られるとは限らない。


『好機』は突然やってきて、すぐに通り過ぎてしまうからだ。

 商人たちは口々に言う。「ちくしょー、また後ろ姿しか見れなかった」と。


 不意にやってくる『好機』の顔を見られるのは、ほんの一握りの者たちだけ。

 マルロウは、両腕を掴まれた目の前の男がそれだと考えた。


 この瞬間、自分の商売や、噂の大壁のことは頭からすっぽりと消え去っていった。

「少々難しい話になりますが、ぜひタダシさんに聞いてもらいたいことがあります」


 そうしてマルロウは真剣な顔で語り出した。




 王国の八老会の一員であるフォングラード商会。

 その跡取りであるマルロウには、親から受け継ぐものが膨大にある。


 フォングラード商会の継嗣けいしに必要なのは、上から与えられる力か?

 それとも自ら切り開く力か?


 当代の商会長は、先代の力を借りず、独力で財をなした。

 若いうちに自らの商才を内外に示したのだ。


 マルロウもまた、同じように独力で商才を磨き、頭角を現しつつある。

 親を越えるかもとさえ言われている。


 だが、最初から順風満帆であったわけではない。

 マルロウには苦い思い出があった。


「私は王国から仕入れた宝飾品にこの町で更なる装飾を施し、幾ばくかの利益を上げる予定でした」

 それはまだマルロウがラクージュの町に来て間もない頃。


 マルロウが周辺の商店を見て思ったのは、洗練さにおいて、この町の商品は王国に劣るというものだった。


 繊細な美術品や、最先端の技術は主に王国から発生する。

 ゆえにミルドラル最大の町と言われるこのラクージュの町でさえ、やや時代遅れのものが平然と高値で売られているのだ。


 マルロウはそこへ最先端の品を持ち込んだ。

 それをしたのはマルロウ一人であった。


 なにしろ、王国では時代遅れとして安値で売られているものでも、ここではまだ値がつく。

 王国で買い叩いたものをこちらへ持ってくればいい儲けになる。


 ラクージュの町で飽和したら、さらに北へ持っていけばいい。

 しばらくは型落ち品で大儲けができる。商人たちはそう考えていたようだ。


 唯一マルロウだけは違った。

 無いからこそ、最先端のものを持ってくる。みな飛びつくのが容易に想像できた。


 ではなぜ、他の商人はそれをしなかったのか。

 問題は王国内での仕入れにある。


 王国で最先端のものは、いまだ値崩れしていない。

 ここまで運んだところで、大した利益が出ないのだ。


 ものは高級品。

 多売できないものを薄利で売るなど、商人としては失格である。


 そこでマルロウは一計を案じ、ラクージュの町で更なる装飾を施すことによって、付加価値をつけたのである。


「可もなく不可もない商売でした。ただ、需要はいつでもありました。あれでよい商売ができたと私は考えています」


 だが、面白くないのは、他の商売仲間である。

 自分たちが持ってきたものは王国での型落ち品。


 最先端のものを持ち込まれては、いつ商売があがったりになるか分かったものではない。

 同業者はときに商売敵になる。


 マルロウは秘かに組まれた連合によって、窮地に陥ることになった。


「私も未熟だったものです。ただ、よい商売ができればよいと考えていたために、足下を掬われました」


 品物を仕入れるとき、すぐに現金を用意できるわけではない。

 信用取引を行うのが常である。


 マルロウに対して組まれた連合は、取引先に圧力をかけることで、その存在を示した。


 後払いでよかった仕入れ代金を即金で要求されたり、品物を渡したにもかかわらず、支払いが遅れたりと、普段ならばなんとかなるようなことでも、一斉にやられては対処が難しい。


 手元に現金がないのに支払いの要求ばかりが届く。

 ではいまあるものを売ってそれに充てようと考えても、納めた品物の代金はもう少し待って欲しいといわれる始末である。


二進にっち三進さっちも行かなくなりまして、ほとほと困り果ててしまったわけです」


 恥を忍んで親に金を無心するか、取引先に懐事情を話して待ってもらうか。

 前者は商会内での信用を無くし、後者は外に広く自分の窮状が伝わってしまう。


「そんなとき助けてくれたのが、ニュブリガン商会のビストさんだったのです」


「ほう……あのビスト殿ですか」

 レオナールが感心して頷く。正司はレオナールに尋ねた。


「知っている人ですか?」

「ええ、トエルザード家とも付き合いのある優秀な細工師でございます」


 王国から仕入れた宝飾類には派手なものが多い。

 ミルドラルの上流階級では、もう少し質素なものが好まれる。


 優雅さを損なわないようにして華美すぎる部分を押さえるよう、マルロウはビストにいくつも依頼を出していたのだという。


「裏でこそこそ動いているのは気に入らねえな。俺んとこは最後でいいぜ」


 本来、もっとも早く支払わねばならないところだったが、ビストはそれを求めなかった。

 それどころか、落ちついたらゆっくり払ってくれればいいと、追加の注文も受けたのである。


「そのおかげで、上流階級の方々――つまり個人での購入者を多く確保できまして、難を逃れたのでございます」


 ささいな嫌がらせだったが、相手に連合を組まれては、対処のしようがない。

 当座は凌げても、いずれは行き詰まる。


 一旦店を畳んで、別の町で再出発をしようと考えていた矢先、ビストが周囲の仲間を説得してくれたのだという。


 優秀な商人を私怨で潰そうなんて奴らに(くみ)して何になると。

 商売はもっと自由であるべきだとビストが説いて回ったことで、連合は逆に信用を落とすことになったらしい。


「それ以降も何かと世話を焼いてくださいまして、今でもよい商売を続けさせていただいております」


「なるほど……ビスト殿は男気のある方でございますな」

「先代もそうだったわね」


 ミュゼがいうには、先代のニュブリガン商会長もまた似たような性格だったらしい。

 曲がったことが嫌いで、義理人情に厚い人物だったようだ。


「ところがです。先日ビストさんのところへ伺いましたところ、店を縮小すると言うのです」


「ああ、それは服飾部門に鞍替えするからでしょう。トエルザード家にもその通知は来ております」


「いえいえ、違うのです。細工師仲間から聞き出したのですが、どうやら商売相手に酷く騙されたようで、かなり窮地に陥っているようなのです」


「騙されたとはまた、穏やかな話ではありませんね」

 ニュブリガン商会は、トエルザード家とも交流がある。


 一体何事が起こったのかと、レオナールは訝しんだ。


「息子のニジュのため……だったと聞いています」

「ニジュ殿といえば……服飾部門を選択した理由になった方ですね。ビスト殿より、今後は若夫婦を裏で支えると聞きました」


 トエルザード家に出入りが許されている商家は多いが、ニュブリガン商会はその中でもかなり古い部類に入る。


 もとは木工職人として、トエルザード家と取り引きがあり、ビストの曾祖父そうそふが細工部門へと変更を願い出たのが、いまのはじまりであるという。


 細工職人として名高い現商会長のビストだが、長年眼を酷使し、高齢ということもあって、細かいものを見ると疲れてくるらしい。


 商会は受注生産に移行して長いため、次代を息子に譲ってしまおうと考えたようだ。


 息子は細工よりも服飾の才能に秀でていたらしく、それなりの腕を持つようになった。

 ビストは新たに服飾部門を立ち上げ、細工部門を縮小し、ゆくゆくは服飾専門へと移行してゆくつもりであったらしい。


「扱う業種を変えるのですか?」

 正司にとって、その辺がどうにもピンとこない。


「私どもは人で商会を見ますから」

 レオナールの言葉は簡潔だ。


 ビストは細工職人として名を馳せている。

 トエルザード家は、ニュブリガン商会ではなくビスト個人を信頼して取り引きを行っているのだという。


 業種は変われど人が変わらなければ、これまでの関係は継続される。関係は何も変わらないと。


「タダシさんが考えていることも分かりますわ。もちろんその方を信頼致しますけれども、一定の品質を下回り続けるのでしたら、関係を考え直します」

「なるほど……」


 そもそも細工商として取り引きのあるニュブリガン商会であるが、その前は木工職人としての取り引きだったのである。


 木工商が細工商に変わったのだから、服飾商に変わることだってありえると。

 これは、トエルザード家が「人を信頼する」ゆえに業種にこだわらない結果と言えた。


「ミュゼ様の仰りようは私どももよく分かります。ニジュの作る服は大変出来のよいもので、どこへ出しても恥ずかしくないものだと思います。それがいけなかったのでしょうか。ビスト殿が、王国からやってきた商人の口車に乗ってしまったようです」


 マルロウも他者から経緯を聞いただけであり、詳細は分からないらしいが、服飾部門を立ち上げるために、新規に顧客を開拓する必要があると考えたようだ。


 ちょうどそこへ現れたのがクエーチェットという商人で、あろうことかフォングラード商会を名乗ったのだという。


「そのような商人は私どもの従業員にも関係商会にもおりません。完全な騙りです」


 ニジュの作ったものを王国へ逆輸入しないかという提案に、ビストは心を動かされたらしい。


 優れたものはすべて王国が発祥。

 他国はそれが流れてくるのを待っている状態。


 本当にそれでいいのかと、クエーチェットはそのことに疑問を投げかけたらしい。

 優れたものならば、逆に王国へ持っていき、この町が発祥であると大々的に宣伝すればいいのだと。


「なるほど、そういう考え方もありますね」

 流行の発信はいつも同じ場所から……だけでは、新しいものは早々生まれない。


 別の場所で、別の考えを持った人が考えたものが流行ることもある。


「ただし、使用する布は最初は王国から仕入れた方がいいと言われたようです。生地が悪ければ、どんなに素晴らしい服でも、二段も三段も下に見られてしまうと」


「この山に囲まれた町では、最先端の生地はありませんからね」


「はい。クエーチェットは自分が王国で服を売るから、できるだけ沢山作ってくれと言ったそうです。そのため、言われるままに山のような生地を注文し、契約が完了すると姿を消したのです」


「…………」

 正司は天を仰いだ。


(よくある詐欺の手口ですね)

 関係ない第三者の品物を買わせて、バックマージンを得る。


 騙した本人と契約した相手とは直接的な繋がりがないから、契約はそのまま履行される。


 日本だとクーリングオフ制度があるが、この世界ではないだろう。

 契約をして品物が王国を出発してしまったのならば、購入するか、もしくは大量の違約金を支払って持って帰ってもらうしかない。


 どちらにしろ、大損だ。


「そういうことがあったのですか。古くから付き合いのある方でしたが、知らなかったですわ」

「私もでございます……そういえば、制服の選定に名が……おっと」


 レオナールは慌てて口を塞ぎ、軽く咳払いしたあと、続けた。


「そのクエーチェットなる者は、マルロウ様の商会を騙ったわけですな。理由はお分かりですか?」


「いいえ、分かりません。広く展開していて、名が知れている商会でしたらどこでもよかったのでしょう。ただ、それがあったことで、ビストさんの態度が変わってしまって……」


「態度……ですか?」

「資金繰りにかなり困っている様子でしたので、私が援助を申し出たのです」


 マルロウの商会は手広くやっているらしく、金貸し業もそのひとつらしい。

 ビストの商才ならば、金を借り入れても充分返せる。


 再起を図るためには、まとまった金は必須であろうと。

 だが、そんなマルロウの申し出をビストは断ったらしい。


 もちろん借金は簡単にするものではない。

 だからマルロウは、利を説き、以前助けてもらったことを加味して、かなり優遇措置を取ろうとした。


「クエーチェットがフォングラード商会を騙ったのが原因かとも思ったのですが、どうやら王国の商人全般に不信感を抱いてしまったらしいのです」


 また今度も騙されるのではないか。

 疑心暗鬼に陥ってしまえば、正常な判断力は期待できない。


「王国の商人全般にですか。困ったことですね」

「私としては、あの時の恩を返したいと思っているのですが……」


 不信感を持たれて、話を聞いてもらえない。

 マルロウはほとほと困り果ててしまったという。


「そうするとですね、マルロウさんが困っていることというのは、ビストさんについてですよね」


「そうなりますね」

「……そうですか」


 これはまた斬新なクエストだと正司は思った。

 マルロウ自身のことではなく、ビストを救えとクエストが言っている。


(直接ビストさんの頭上にクエストマークが現れなかったのはなぜなんでしょう?)


 マルロウを介してビストの問題を解決する。それに何か意味があるのだろう。

 そう考えて、正司は質問した。


「マルロウさんは、ビストさんにお金を借りてもらいたいと思っているのですか?」


「そう聞かれると……若干違う気がします。クエーチェットなる商人に騙されたとはいえ、商売の契約は成立してしまっています」

「そうですね」


「品物はこの町に向かっていると聞きました。ですので、契約を履行するか違約金を払うかしなければなりません。どちらにせよ、大量のお金が必要となるでしょう。ビストさんはそれの足りない分を土地を売って支払うつもりのようです」


「ニュブリガン商会の土地といったら一等地ね。さすがに多すぎるのではないかしら」


 ミュゼが言うには、何代もかけて少しずつ商いを大きくしていったニュブリガン商会は、ラクージュの町中でも、かなり立地のよい場所にあるという。


 土地を売って支払いに充てると言うが、それこそ土地の売却代金の方がよほど多い。


「それで別の土地を買うか、店を借りるかして、細々とやっていくらしいです」


「それで商売を縮小ですか」

 最初にマルロウが言っていたことと繋がった。


「これからは息子の時代。変なしがらみを残したくないからと、言っているようです」

 細工師としての自分はそろそろ限界にきている。


 服飾商として息子夫婦がやっていけるよう、最低限のものだけ残してあとはすべて処分してしまうらしい。


「それでも実績のない服飾商では、厳しいでしょうに」

 とくに大きく商売を失敗したあとでは、信頼を得るには時間がかかる。


 これまでニュブリガン商会がやってこられたのは、一等地に広い店を構えていることと、長年の付き合いからくる信頼があるからだ。


 借金こそないものの、年若い夫婦が新規の商売を始めたとして以前の勢いを取り戻せるのかは分からない。


「私の融資を受け入れてくれれば、何とかなると思うのですが……こればっかりは本人が首を縦に振らない限り、無理矢理貸し付けるわけにもいきません。私の願いは、ビストさんとこれまで通りの商売を続けられることなのです。決して土地が欲しいとか、そういうものではありません」


 マルロウとて商人である。

 だからといって、無担保で貸し付けることはできない。


 それ相応の担保がいるし、融資の決済はマルロウ個人で行えるものではない。

 ちゃんと商会内で稟議りんぎが通らないと駄目である。


 この場合、ビストの持つ土地が担保になるのだが、「それを言い出せば、実は初めから狙っていたのではないか」と勘ぐられてしまう始末である。


 ひとたび疑いの目で見出すと、何もかもが怪しく思えてくるらしい。

 マルロウの言葉は、ビストの耳に届かないらしい。


「なかなか難しい問題ですね」

 人の感情は移ろい、変化しやすいものの、信頼という目に見えない繋がりは、一度壊れると中々もとに戻らない。


(マルロウさんの悩みは分かりましたが、支払いは確実にやってくるわけですし、ビストさんが気持ちを切り替えない限り、解決は難しいのではないでしょうか)


 ここで正司がビストに金を貸したらどうだろうか。

 ビストは訝しむだろうし、最初は信用しないかもしれない。


 トエルザード家に協力を願えば、しぶしぶながら受け取るだろうと思われる。

(ですがそれでクエストがクリアされるとは思えないのですよね)


 マルロウの願いは大きくわけて二つ。

 ひとつはビストの商売を今まで通り続けられるようにすること。

 これだけならば、解決法はいくらでもありそうに思える。


 もうひとつは、マルロウとの関係も元通りにすること。

 ビストはフォングラード商会に対して含むところがありそうであり、これは感情の部分でこじれているように感じられる。


(このふたつを同時にクリアさせる必要があるわけですね)

 ハッキリいって難問である。


 だが、ラクージュの町で現れた最初のクエスト。

 正司はやる気になった。


「マルロウさん、よく話してくれました。ありがとうございます。この問題、マルロウさんに迷惑をかけない形で、私に解決させてください」


「できるのですか、タダシさん」

「私はできる……と考えています。マルロウさんとビストさんの関係が私の考えているとおりならば、きっともとの関係に戻れると思っています」


 それにはクエストの『導き』が必要だろう。

 マップに記される白線がどこへ向かい、何を指しているのか正確に判断する必要があるが、マルロウがクエストを持っていたのだから、それを解決する道はきっと残されている。


「分かりました。タダシさんにお任せします。正直、王国出身の私がいくら言っても、聞く耳を持ってくれません。ですがまったく関係のないタダシさんでしたら、もしかすると冷静に話を聞いてくれるかもしれません。彼はもともと話の分かる人です。一旦冷静になってくれれば、きっと正しい答えを見つけてくれると思うのです」


 そこまでマルロウが言ったとき、正司の目の前にクエスト受諾画面が表示された。

(難問ではありますが、きっとやりとげてみせます)


「マルロウさんが私を信じてくれたこと、嬉しく思います。希望に添えるよう、全力を尽くします」


 そうして正司は、ゆっくりと『受諾』を押し……いや、押せなかった。

 レオナールとミュゼが両腕にしがみついていたからである。


「えっと……申し訳ないですけど、手を離していただけますでしょうか」

 おずおずと切り出した正司にミュゼとレオナールは声を揃えて言った。


「「全力は尽くさず、ほどほどの力でお願いします」」


「………………はい」


 ようやく正司は『受諾』を押すことができた。



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