050 博物館見学
羽交い締めにしたものの、レオナールの制止は間に合わなかった。
目の前で巨大建築物が完成してしまった。
「タダシさん……」
あとからやってきたミュゼは、呆然と建物を見つめた。
「あっ、ミュゼさん。どうですか、これ? 思った通りのものができて良かったです。細部はこれからですけど、イメージ通りのものができた気がします」
にこやかに問いかけてくる正司。
ミュゼは、正司の肩口へ視線をやった。
レオナールはまだへばりついている。
「駄目でした」と首を左右に振るレオナールに、ミュゼは色々と悟った。
「タダシさん。まず、壁の門を閉じてもらえるかしら」
「門ですか? 分かりました」
思ったより低い声が出たと、ミュゼは思った。
正司はすぐに行動してくれた。
軽く大地が振動し、門があった場所は、ただの壁になった。
塔の上から見たとき、正面の一カ所だけ出入り自由の口が開いていたのをミュゼは見ていた。
最初にそこを塞いでしまいたかったのだ。
「これでいいですか?」
恐る恐るといった感じで、正司が尋ねてくる。
「ええ、それでよろしいですわ。それで、レオナール」
「……はい、奥様」
「こちらへ」
「畏まりました」
いそいそと正司からおりる。
ここに至って正司は、「あれ? やっぱり気のせいじゃない?」と思い始めた。
何かがおかしいのである。そして……。
――ニコニコニコ
なぜかミュゼは笑顔である。
表情筋を動かし、満面の笑顔を正司に向けた。
「えっと、ミュゼさ……ん?」
(この恐怖はなんでしょう!? 笑顔なのに、まったく笑顔に見えないのですけど)
正司はミュゼから視線を外すように振り返った。
重厚な石造りの建物が目に入る。たったいま建築した博物館だ。
窓の並びから三階建てというのが分かる。
(原因は……これですか?)
あれは笑顔ではない。笑顔だけれども笑顔ではない。
ならば何なのかといえば……。
(もしかして、勝手に建てたことを怒っているのでしょうか)
建物から目を離して、もう一度ミュゼを見る。
――ニコニコニコニコ
(……こ、怖い)
正司は確信した。あの顔は怒っていると。
そして正司の直感が「逃げろ」と囁いた。
「あの……ちょっとトイレへ……がぁっ!?」
正司がそう提案した瞬間、ミュゼの顔が般若になった。
以前一度だけ、リーザが似たような顔をした。
リーザが「くわっ!」ならば、ミュゼのは「ぐぅわぁああっ!」である。
「どうかなさいました? タ・ダ・シ・さ・ん」
一語一語、アクセントが強調された。
「ひゃっ!? な、何でも……ない……デス」
助けを求めるようにレオナールを見ると、あからさまに目を逸らされた。
(ミュゼさんは怒っていますよね、絶対に怒っています)
「タダシさん。わたくしは思うのです」
「……は、はい」
「タダシさんも立派な大人です。わたくしたちがタダシさんのやることに『あれこれ』言うのも、おかしな話だと思うのです」
「そ、そうですね」
――ぐぅわぁあ!!
「ひっ!?」
般若が降臨した。
「どう思います?」
「ご……ごめんなさい」
「わたくしは、どう思うかと聞いているのです」
ときおり表情筋がメタモルフォーゼする以外は、終始ニコニコ顔だ。
だが正司は、完全にのまれてしまっている。
蛇に睨まれたカエルはこういう気持ちだったのかと、世の中のカエルに親近感を抱いた。いまなら、ともにいい酒が飲めそうな気がする。
「えっと、博物館を建てたのは、拙かったでしょうか?」
「………………」
ミュゼは答えない。
正司は気まずい思いを抱きつつ、レオナールの方へすり足で近づいた。
「私が考えますに、町民の驚きようは、凄まじいものとなったでしょう。本日より、ラクージュの町の話題を独り占めでございます。一体だれがこれをなしたのかと、多くの噂が飛び交うのは、想像に難くありません」
「そ、そうなんですか?」
「……はい、残念ながら」
神妙な面持ちでレオナールが頷く。
ミュゼとて、タダシは好きに行動して構わないと思っている。
一方的に正司の行動を「これは良し」「あれは駄目」というべきではないし、失敗も成功もあるだろう。
それはミュゼとて同様。
互いにトライアンドエラーを繰り返していって、ミュゼは正司の思考を学び、正司は周囲の反応から成長していければいいと考えていた。
多少の失敗は、事前の準備と、後のフォローでなんとかなると。
だが実際に一緒に行動してみて、正司が周囲に及ぼす影響は甚大。トエルザード家が想像していたものより、はるかに大きかった。
文字通り、「ケタ」が違ったのである。
甘い顔をしていては、いつまでたっても成長がない。
遅まきながらミュゼは、方針を変更することにした。
「タダシさん、座ってお話ししましょう」
「えっ、いやあの……」
ニコニコ顔のミュゼに、正司は僅かながらの抵抗を試みる。
「なんでも〈土魔法〉ですぐに椅子を作れるとか」
できますわよねと、ミュゼは念押しする。
「…………はい。作れます」
塔のすぐ脇に、向かい合うようにして二つのベンチが出現した。
一方に正司が座り、他方にミュゼとレオナールが座る。
「では、説明して戴けるかしら。(くわっ!)なぜどのように思って、建物を建てたのでしょう。わたくしたちに分かるように(くわっ!)教えてくださいませ」
ミュゼは笑顔を崩さず、正司に優しく問いかけた。
いや、ちょっと崩れた。
(帰りたい……帰りたい……ここから帰りたい)
正司は必死に頭を働かせた。ミュゼが怒っているのは間違いない。
博物館を勝手に建てたことが原因らしいというのは分かった。
正司としては〈土魔法〉で一気に作るつもりだったので、イメージが固まればすぐに建てるつもりでいた。
「タダシさん」
「はいっ」
「教えていただけるかしら?」
「はい……」
覚悟を決めて、正司は語った。「なにをどう思って」博物館を建てたのかを。
正司が最初に抱いたのは違和感だった。
ミュゼやレオナール、そしてエリザンナたちに博物館の説明をしているとき、反応があまりなかったのだ。
詳しく話を聞いてみると、そのような施設は一般的でないことがわかった。
当たり前である。
魔物の脅威がごく身近にあるこの世界では、余力、余暇といったものに関する文化がそれほど発展していない。
余暇を余すところなく追求できる人が少ないのだ。
研究もそう。
様々な分野で研究は行われる。だがそれは秘かに進められ、成果が出ても秘匿される。
素晴らしい発見をしたからみんなに知ってもらおう。
そのような概念が、ほとんど発達していないのだ。
それを知った正司は、博物館をよりイメージしやすくするため、先に入れ物を作ってしまおうと考えた。
いま従業員の募集をはじめたところだ。
集まった人たちも最初のミュゼと同じ反応だろう。
博物館をどんなものか知ってもらうには、実物を見せるのが一番。
従業員を教育するのには、多くの時間とお金がかかる。
だが、入れ物を作るのは簡単だ。
正司が完成図をイメージできさえすればいい。
ならば先に「形だけでも」作ってしまおうと考えたわけだ。
「その方がみなさんに分かってもらえると思ったのです。それに……」
「それに?」
「博物館というものの知名度がないので、町の人に知ってもらうには、形が先にあった方がいいと思ったのです」
「…………」
日本での営業時代、正司が一番困ったのが「飛び込み営業」だ。
自社製品もしくは自社ソフトウエアを導入してもらうため、新規の顧客を獲得しにアポイントメントなしに訪問するのが飛び込み営業だ。
だれでも知っている有名な会社ならば、説明はいらない。
正司の会社は、業界内ではそこそこ名が知れているが、一般の認知度はゼロに等しい。
まず「知ってもらう」ところから始めなければならなかった。
その時の経験から、「宣伝」というものの大切さを正司は骨身に染みるほど理解していた。
説明しなくても「ああ、あれね」と知ってもらえるのは、なによりありがたいのだ。
この世界ではどうか。
知識の伝達は噂か口コミ、つまり井戸端会議レベルでゆっくりと浸透していく。
広く知れ渡るには、時間がかかる。
ならは目立つ箱物を先に作ってしまい、オープン前になるべく多くの人に知ってもらったほうがいいのではないか。
そう考えたのである。
「知名度は大事だと思うのです」
上目遣いにそう告げた正司に、ミュゼは頭を抱えたくなった。
みんなにイメージしてもらいたい、町の人に知ってもらいたい。
たったそれだけの理由で、この前代未聞の建築を建てたというのだ。
「あの……拙かったですか」
とにかく正司はいま、ビクビクしている。
「そうですわね。拙かったといえば、拙かったといえます」
「それはどういう……」
「町の人が驚きます。いえ、驚くだけでなく、タダシさんを恐れるかもしれません。この博物館が怖いものと思われれば、人は寄りつかなくなるかもしれません」
町の人に植え付けた恐怖、その象徴として博物館が目の前にあったら、気軽に楽しもうと思えるだろうか。
正司が「多くの人に楽しんでもらいたい」と言ったことが実現できるのかとミュゼは問いただした。
「タダシ殿、町の人々の気持ちを慮るのも、為政者の役目でございます。私はトエルザード家に仕える者として、常に主が恐れの対象にならないよう、気を配っております」
「タダシさん、町の人々だけではないわ。他国の人もそう。大きな魔法は戦争にも使える。この力が他国に向かったらと考えれば、他国はタダシさんを恐れることになるでしょう」
「私はそんなことはしません」
「タダシさんでしたらそうでしょう……ですが、それはいくら言ったところで、相手に伝わらないこともあります。いえ、言えば言うほど、言葉が空虚に聞こえます」
「言えば言うほど、言葉が空虚に聞こえる……ですか」
なるほどと正司は考えた。
普段から周辺国にまったく信用されていない国があった場合、その国が突然「世界平和」を唱えたとして、だれが信用するだろうか。
「また嘘ばっかり吐いている」と見られるだけだ。
言葉では伝わらないことはある。とくに国と国の場合はそうだ。
行動で示すしかないが、それには長い時間が必要である。
「……そうですね。町の人を驚かせたり、怖がらせたりするつもりはなかったんです。それに他国を警戒させるつもりもありませんでした」
気持ちが逸っていたゆえに、魔法を使えない人たちの「素の感情」は考えたことがなかった。
「力は必要なときに、必要なだけ見せるようにしましょう。必要なときに力を使わないのは愚者のすることです」
「力があれば、救えるものもあります、タダシ殿」
「はい」
「その辺の展開し具合は、おいおいお話ししましょう。問題は町の人にどう説明するかですね。塔を含めて、もう見られてしまったわけですし」
起こってしまったことは仕方ない。
被害を最小限にするために、適切な説明が必要だろうとミュゼは考えた。
「幸い、すぐに門を閉じましたので、博物館は見られていないでしょう。塔は魔道の実験でということにしたらいかがでしょう」
今回、塔、壁、博物館の順番で建てている。そして壁は見上げるほどに高い。
博物館は外から見られないし、周辺に高い建物もない。
「では博物館は建ってなかったことにしましょう」
「承知致しました」
ミュゼとレオナールの考えは一致した。博物館などなかったのだ。
もし見たと言った人がいても、それは幻想だ。
「訓練場跡地で以前より大規模魔法の実験をしていたと発表します。噂は流れることでしょうが、魔法実験がようやく成功したとでも説明すればことは足ります」
「そのようにとりはかってちょうだい」
「畏まりました」
レオナールは頷いた。
どうやら二人の間で何かが決着したようだ。
「それでこの建物は、何で出来ているのですか? とても頑丈そうですけど」
「トンネルを掘ったときの岩です」
あのときの岩盤かと、ミュゼは理解した。
幅30メートル、高さ10メートルにも及ぶ大トンネルだ。
トンネルについては、家臣に調べさせている最中である。
これまで上がってきた報告を読む限り、綺麗にくり抜かれたような断面は魔法で強化されたことが分かっている。
外壁を採掘するどころか、側面の欠片を削ることすら叶わなかった事実が記載されていた。
つまり正司は、膨大な岩盤をどこか――おそらく魔道具だろうが、それに仕舞い、壁や建物に使用したことになる。
「壁も岩盤ですわね。なぜああも高く、分厚くしたのでしょう?」
「岩が余っていましたので……」
「…………」
博物館よりかは低いが、壁の高さは相当なものだ。
塔の上からみた限りでも、ありえないほどの厚みがあった。
魔物の襲来に備えるため、町を壁で囲うのは一般的だ。
だが、それには莫大な工事費がかかる。
金がかかるからといって、壁を作らねば、そこに常時兵を張り付かせねばならなくなるため、不経済である。
最低限の厚さと高さを持った壁を作るだけでも年単位の時間がかかる。
それゆえ、一度決めた町の大きさは変更できない。
ミュゼは為政者としてそのことをよく知っている。
「余っていたから……ですか」
レオナールも、どうしていいか分からないらしい。
他に類をみない壁ができた。
でも余っているならしょうがないよね、で済ませられないことだ。
伝説ともなった凶獣が出現しても、この壁の中ならば安全ではなかろうか。
そう思うのであった。
「塔と壁は……まあいいでしょう。博物館について教えていただけますか? 実際に見てみたいですわ」
レオナールはこのあとルンベックに報告しなければならない。
ミュゼも話をすることになるだろう。
そのためにもまず自分の目で見て、正司からもしっかりと話を聞かねばならない。
「はい、見学ですね。では、中に行きましょう」
ようやく尋問のような面談から解放される。正司は元気に立ち上がった。
三人は博物館に向かって歩く。
足下はいつのまにか石畳が敷かれていた。
これは正司が考えた苦肉の策だ。
本来、自然の環境を残したかったが、芝生は管理の面で手が掛かる。
泥のままでは足下がぬかるんでしまう。
壁際に緑を植えることにし、博物館の周辺は石畳で我慢してもらうことにしたのだ。
「これはまた見事な階段ですな」
段数こそそれほどでもないが、緩く湾曲した真っ白な階段がある。芸術的と言ってよい。
「ここは人々の憩いの場にできたらいいなと思って作りました」
気軽に来て、ここで昼食を食べたくなるような雰囲気を作ってみた。そう正司は言った。
噴水はまだないが、そういったものが完成すれば、ここは一大観光名所になるのではと正司は思っている。
「中へどうぞ。あっ、右手側は発券所です」
採算をとるために、入館料は取らざるを得ない。
そのため、遊園地や動物園に入るのと同じやり方を考えてみた。
入館料をいくらにするかとか、発券するチケットをどうするのかなどは今後の課題。
とりあえず、日本で一般的に使われている入館方法を採用することを考えて、建物には場所だけ先につくっておいたのである。
ようやく建物の中に入る。
エントランスは円形のホールになっており、ドーム型の天井が張られている。
そこを抜けると、ようやく本番である。
ここからは展示室となる。
左右に広がった空間と、十メートル近い天井をもった巨大な部屋だ。
石像を展示すると聞いているし、外から見ても、各階層の高さはかなりあると予想していた。
だが、それにしては天井が高いとミュゼは思った。どれほどなのかと。
「石像の展示ですので、部屋は少し大きめに考えてみました」
ミュゼの気持ちを察したのか、正司がそんなことを言った。
どうせなら、もっといろいろ察してほしいとミュゼは考えたが、それはもういい……というか、遅い。
いまは博物館の姿を目に焼き付けることに専念すべきだ。
そう思うものの、思考が千々に乱れる。
(タダシさんの場合、思い立った瞬間に結果が現れるのが問題ですわね)
あの速度で魔法を使われたらだれも止められない。
現在、敷地の中と外は高い壁で完全に遮断してある。
ミュゼは今後のことを考えた。
この建物を衆目に晒さなくて良かったと本気で思う。
こんなものが、塔を駆け下りている程度の時間で建つなど、もはや情報操作でなんとかなるレベルを超えている。
バイダル公が寄越した使節団の耳にも遠からず入る。確実に入る。
問い合わせはすぐに来るだろう。
どこまで話して、なにを秘匿するか。
それを夫と早急に決めなければならない。
ミュゼが正司の後ろに目をやると、レオナールが床に両手をついてうなだれていた。
外観だけでなく、中を見て、その凄さを実感したようだ。
ミュゼはレオナールの肩にそっと手を置き、「気持ちを切り替えましょう」と無慈悲な言葉を放った。
というか、正司が説明していたのを二人は聞き漏らしていたようだ。
「そういうわけで、細かい装飾は一度にできなかったのです」
「……そう」
よく分からないが、相づちをうっておいた。
とりあえず集中しなければ。そうミュゼは気を引き締める。
レオナールもヨロヨロと起き上がった。
それを確認してから、ミュゼは正司に向き直った。
「タダシさん、この建物の中を一通り案内していただけますでしょうか。広すぎて何が何だか分かりませんの」
「はい。いいですよ。まずは地下からですね」
「地下……ですか?」
「はい、地下です。必要だから作りました」
ミュゼが思ってもみなかった言葉を聞いた直後、レオナールが地面に座り込んだ音がした。
なぜあれほど高く建築したのに、わざわざ地下を作るのか。
自分だって座り込みたい。そうミュゼは思った。
正司の説明を要約すると、以下の感じになる。
建物は地上3階に地下1階の4階建て。
それと屋上に出られる作りになっているらしい。
ちなみに3階を除いた各フロアの高さは、約10メートル。
これは空間を広くみせて圧迫感を無くすことを目的としているという。
「狭苦しく感じて欲しくなかったので、配慮しました」
なんとなくドヤァという顔をしたので、「もっと別のことを配慮しなさい」とミュゼは笑顔で言った。
石像を展示するため、天井を高くせざるを得ない理由もあるらしい。
何にせよ、通常ではあり得ない高さの空間が確保されていることだけは分かった。
地下は全面倉庫になっており、入れるのは従業員だけらしい。
将来的には魔道具で地下への出入りを管理するつもりであるという。
建物はコの字型になっているとはいえ、長辺はそれぞれ250メートルもある。
それがまるまる倉庫になるというのだから、どれだけ大きいか分かる。
「なぜ倉庫がそんなに大きいのでしょう?」
展示会場を広く取るのはわかる。
展示するのだから、人が通る隙間もあるし、なによりごちゃごちゃさせても下品である。
上流階級の使う部屋には、本当に見せたい装飾品を一つか二つ置くくらいで丁度良い。
それ以上になると、よほど気を使わない限り、まとまりがとれなくなる。
だがここは倉庫である。人の目を気にする必要もない。
重ねられるものは重ねてしまえばいいし、重ねられないものでも、密集して置いておける。
「常設展示以外にも季節の催しものや、特別展示などもありますから、倉庫はいくらあっても困らないと思いますけど」
「…………?」
常設展示や特別展示は何を指すのか。
ミュゼはよく分からなかったので、早速聞いてみた。正司と付き合っていくにあたって、疑問のままにしておくのは危険すぎる。
「常設展示はずっとそこに置いておくものですね。他は定期的に入れ替えをしようと思っています。それとテーマ別の特別展示もいくつか考えています。そうすると、実際に展示するのは、倉庫にあるうちの何分の一かになると思うのです」
ミュゼは、正司の言いたいことをようやく理解した。
たとえばミュゼは首飾りを複数持っているが、必要なときにはその中のひとつを身に付けていく。
残りは次の出番までお預けだが、正司の展示も同じなのだ。
展示する数倍のものを用意し、それを必要に応じて付け変えていく。
正司が『倉庫部』を創設すると聞いたとき、荷運び人のようなものをイメージしたが、おそらくそれも違うのだろう。
倉庫に何があるかチェックし、必要なときに出し入れするのは当然。
他にも、いつでも展示品を万全な状態にしておくことも含まれるし、壊れれば修復が必要かもしれない。
新しいものが増えればそれを登録し、いつでも対応できるようにする。
これほど大きなフロアを管理するのだ。『倉庫部』があってしかるべきである。
「地下は分かったわ。地上はどうなっているのかしら」
「はい。案内します。倉庫から1階のフロアに出るのは四隅にある階段を使うか、中央にエレベーターを設置したので、それを入れた五カ所になります。今回は階段を使いますね」
「タダシさん、ちょっと待って」
「はい? なんでしょう?」
「そのエレベーターというのは何でしょう」
「えっと動力で動く……床でしょうか」
「床?」
「まだ魔道具を設置していないのですけど……ちょうどいいので、やってしまいましょう」
「魔道具?」
中央まで歩く。
ちなみに建物を建てるにあたり、事前に作成しておいた灯りの魔道具も一緒に取り付けてある。
地下と言えども全体的に明るい。
「これがエレベーターです」
中央に10メートル四方の柱があった。
一面だけくり抜かれており、そこから中を覗くと、がらんどうであることが見て取れる。
「回転を制御する単純な魔道具なのですけど、これを嵌めます」
正司は四角い魔道具を壁の側面に設置した。
魔道具には、上三角と下三角の二つのボタンがついているだけ。
とてもシンプルなものだ。
「上に行くときはこれを押します」
正司が上三角のボタンを押すと、キリキリキリと音が聞こえ、床がせり上がっていった。
しばらくして、床下から溝が掘られた柱が見えてくる。
正司は万力のイメージで、床をせり上げる方法を思いついた。
イメージはねじでもよい。
ようは、滑車とワイヤーを使わず、床下に太いねじ状のものを設置し、魔道具でそれを回転させるだけの方法である。
「時間はかかりますが、人を運ぶわけでもないですし、これでいいかなと思いました」
「これがエレベーターですか?」
「はい。昇降機ともいいます」
「……そうですか」
これが何に使われるか、ミュゼは理解している。
石像を床に乗せて上の階へ運ぶのだ。
よく考えられていると思うものの、なぜこんなものをすぐに発想できるのか、ミュゼは不思議でならなかった。
「それで1階ですけど、ここからは見学コースに沿っての移動になります」
「見学コースですか?」
「はい。余すところなく見てもらうため、順路というものがあります。本番までには矢印の案内板を作るつもりですが、いまは私が先導しますね」
エントランスに戻り、さあ出発という段になって、正司はまるい天井を眺めて、「何か殺風景ですね」と言い始めた。
「これでどうでしょう」
正司の言葉と同時に、頭上から微小な埃が降ってきた。
ミュゼとレオナールは天井を仰ぎ、すぐに感嘆の声をあげた。
一瞬のうちに、ドーム型の天井にレリーフが刻まれたのだ。
どこの芸術家が彫ったのかと思えるほどの力作である。
凶獣の森に棲息する魔物らしい。
「……なんと」
仰ぎ見たままそれ以上声が出ないレオナールとは対照的に、ミュゼは床を見つめて何かを耐える仕草をしている。
なるほどとミュゼは思った。
(常人と歩く速さが違うのですね)
大人と2歳児がともに歩くとき、歩幅が大きく違うため、一緒に歩いていても距離が離れてしまう。
正司を除いたすべての人は、幼児の歩みなのである。
正司が普通に接していてもその差は歴然。
互いにストレスなく歩を進められる速さを見つけない限り、どちらかが我慢し続けることになる。
(できるのに「しては駄目」と言うべきか、やってしまったことをフォローすべきか。それは問題ですわ)
同調するには、片方が合わせるか、互いに擦り寄るか。
「見学コースですけど、これは三つに分かれていまして、どのコースを選んでも、最終的には出口へ向かうことになります」
「なぜそのようなことを?」
「見学する時間のある人は全部回ってもらいたいですが、そうでない人もいると思うのです。駆け足で回るのも大変ですし、長編、中編、短編の三コースを用意しました」
「…………」
「長編コースはまず右に行きます。建物の右側、中央、左側とじっくり歩いてから二階へ向かう感じですね。中編コースはまっすぐ進みます。中央を見てから左へ向かい、やはり二階へ向かいます。最短コースは左側だけ見学して二階へあがります」
いまは見学コースを順に歩いているが、何しろ天井が高い。
ここにもすでに魔法の灯りが天井に備え付けられていた。
「地下にもありましたが、あれは灯りの魔道具ですわね」
「はい。博物館用に少し大きめのものを用意しておきました」
灯りの魔道具によって十分な光源が確保されているため、石造りの建物の中を歩いても、外となんら変わりない。
正司に案内されるまま、ミュゼとレオナールは館内を歩く。
博物館の中はどれも造りが同じで、通路、部屋、通路と繋がっている。
「なるほど、これならば迷う心配はないですね」
展示物を飛ばすこともない。一本の導線によって各部屋が繋がっているのだ。
「二階へ行きます」
一階と変わらない外観だが、床と壁の色が違う。
一階は白っぽかったが、二階は青みがかっている。使っている石の種類が違うのだ。
「ここもコースごとに順路がありますけど、最終的にはどれも三階に行くようになっています」
広い。それがミュゼとレオナールの感想だが、もともと建物が巨大であるのだから、広いことは最初から分かっていた。
では何がそれほど広いと感じるかと言えば、正司が作り上げた順路の通り進むと、博物館の中を余すところなく動き回るのである。
なぜこうも複雑で完成されたものを作れるのか。そうミュゼが問いかけた。
「ミニチュアでさんざん練習しましたから」と、のほほんとした答えが返ってきた。
レオナールは「だからと言って、建築できるものではないと思いますが……」と悩んでいる。
「三階はレストランとスタッフルーム。それに倉庫があります。また出口付近には土産物屋を設置する予定です」
三階だけは天井が低い。
展示をしないのだから、それでいいのだろう。
「スタッフルームというのは、従業員の部屋でしょうか」
「そうです。ここは着替えの部屋、荷物置きの部屋などがあります。従業員が休憩にも使います。また従業員が使用するものはすべて、ここへまとめておきます。倉庫にはレストランや土産物屋で使うものを仕舞っておく感じですね。それと屋上の施設に使うものもここに仕舞っておけると思います」
よく考えられている。そうミュゼは思った。
客たちはここから出口を抜ければ外へ出られる。
屋上で子供たちを遊ばせることもできるらしい。
屋上はまだ何も設置していないようで、平らな床があるだけだが、オープン前にはいろいろと揃えるつもりであるという。
「簡単ですけど博物館の説明は以上です」
「……なるほど、よく分かりましたわ」
正司をひとりにさせてはいけないと、ミュゼは心を新たにした。
「私も肝に銘ずることができました」
何かあったとき、制止できる距離にいようとレオナールは誓った。
「そ、そうですか?」
なぜか決意を固めた二人に見つめられて、正司は若干後ずさりした。
(あれ? 壁の外にクエストのマークがありますね)
マップで確認したところ、黄色い三角がこちらに近づいてきているのが分かった。
(近づいている方角は……北側ですか)
本来300メートル程度しか表示されないマップだが、正司が一度でも歩いていれば、その範囲は広がる。
この周辺は以前ミュゼと歩いているので、当然マップに記憶されている。
壁の周辺に多くの人が集まっているが、そこへ近づく人の中に、ひとりだけクエストを持った人物がいるのだ。
「タダシさん、どうしました?」
正司があらぬ方向を凝視しているので、ミュゼが気になった。
正司は思いついた瞬間に行動を起こすクセがある。
そして大騒動を引き起こす可能性が高い。
気になった時、すぐ確認しないと大変なことになるのだ。
「少し離れていますが、クエストを持った人がいるようです」
この周辺を歩いていてよかったと思う正司であった。
そうでなければ、あの一帯はマップの灰色に覆われて、クエストを見逃すところだった。
「クエストですか……それはここからでも分かるものなのですか?」
レオナールの疑問はもっともである。
「そうですね。魔法みたいなもので分かる……感じでしょうか。では、ちょっと行ってきますね」
――ガシシィィイ!
右腕をミュゼに掴まれた。武芸を嗜んでいるのではと思うような早業である。
そしてミュゼの目は「逃がさない」と訴えている。
「えっと……」
「わたくしも一緒に参ります」
その間にレオナールが反対の腕をとった。
「話を聞いて、すぐに戻ってきますけど」
「わたくしも一緒に参ります」
「……えっと」
「一緒に参ります」
「…………」
「もちろん私もです、タダシ殿」
レオナールも正司に目でプレッシャーをかけてきた。
「で、では三人で行きます……か?」
「もちろんですわ」
「よろしくお願いします」
こうなっては、逆らえない。
正司は「本当に話を聞いてくるだけなのですけど……」と呟きながら跳んだ。
博物館の屋上から、三人の人影が消えた。