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049 正司、着工する

 午前中、ミュゼからこの世界についての講義を受ける。

 午後はいつも自由時間である。


「今日は博物館予定地を見に行ってくるだけなのですけど……」

 正司の右にはミュゼがいる。


 しかも正司の腕をがっちりと掴んでいる。

 これだけ密着していても、まったく恋人どうしに見えないのはどうしてだろうか。


「もちろんわたくしもご一緒しますわ」

 ミュゼの意志は固そうだ。


 嘆息してその後ろを見ると、無言でレオナールが立っていた。

 正司の視線に気付くと、レオナールは恭しく頭を垂れる。


「本当に現場を見てくるだけですよ?」

「分かっておりますわ」

「もちろんですとも」


「みなさん、お仕事とかありますよね」

「エリザンナがマリステルとパウラを指導することになっております。問題ありません」


「お館様より目を離すなと申しつかっておりますれば、これより重要な仕事など、何一つ存在いたしません」


「……はぁ、そうですか。では行きますね」

 それ以上何かを言うのを諦めた正司は、〈瞬間移動〉で跳んだ。


 一瞬で景色が変わり、だだっ広い平地のど真ん中に三人は出現する。


 この魔法、屋敷に戻るときに正司がいつも使っている。

 レオナールは毎回呪文も秘薬もなしに軽々と成しとける正司の技量に、感嘆を通り越して畏怖すら抱いている。


 このようにミュゼとレオナールが正司から離れないのは当たり前の話で、実務をマリステルとパウラに任せたのは、このためである。


 エリザンナだけは統括するために屋敷に残っている。

 そうでなければミュゼとレオナール、もしくはそのどちらかが正司から外れることになる。


 そうなった場合、何が起こるか予測不可能……いや、「何かが起こる」と高確率で予測できる。


 今後も人員が必要になった場合、ミュゼは新たに人を配置し、自分はフリーでいるつもりである。


 もちろんレオナールも同じ考えだったりする。

 主の信頼に応えるためにも、正司から離れない……どころか、一瞬たりとも目を離さないつもりだ。


「やっぱりここは広いですね」


 正司が譲り受けたこの土地――博物館予定地をじっくりと確認する。

 マップからここが、一辺300メートルの正方形だということが分かる。


 周囲は石壁で囲われており、外から中は見えない。

(ここは軍の訓練場と言っていましたし、訓練風景を見せるわけにはいかないですしね)


 石壁で囲うのは当然であろう。ただ、何十年も経っているため、石壁が古くなっている。

 風化していたり、苔むしていたり、つたが這っていたりする。

 お世辞にも管理が行き届いているとはいえない。


(壁はいいとして、地面はただの土なんですよね。周囲は殺風景ですし、最後に植栽しょくさいするとしても、先にこの地面を何とかしたいですね)


 ただの土だと、雨が降っただけでぬかるんでしまう。

 一番良いのは芝生だが、あれは管理が大変だと聞いたことがある。


(できるだけ管理の手間が少ないものがいいですね。それでいて、目を楽しませるもの……何かないでしょうか)


 正司は地面を睨みながら悩んでいる。

 それを横目で見たミュゼは、額から汗が流れる。


 正司が何をしているわけではない。

 だが、正司が悩む姿を見ればみるほど、何か突拍子もないことをしでかすのではないかと、気が気でないのだ。


「タダシ殿は、先ほどから何を考えておるのでしょうか」

 レオナールがいいタイミングで問いかけた。


「地面が殺風景ですので、ここに緑を植えようかと思ったのですけど、何がいいかなと思っていまして」

「なるほど、でしたら庭師と相談してみるのはいかがでしょうか」


 レオナールは思った。

 もと軍の訓練跡地だけのことはあり、殺風景を通り越して何もない。

 たしかに「何か」考える必要はあるだろう。


 だが、正司ひとりに「何か」を決めさせてはいけない。

 それがレオナールの信条となっている。


「庭師ですか? 植えただけで手のかからないものを考えています。おそらく庭師は必要ないと思います」


「……分かりました。もし決めかねることがありましたら、なんなりと遠慮無くお申し出ください。すぐに手配いたします」


「はい、ありがとうございます」


 ただ植える草花を考えていただけだったかと、ミュゼはホッと息を吐いた。

 美観を考えるならば、プロの庭師を入れた方がいいが、正司の言うように植えて放っておくならば、素人でもなんとかなる。


 ただ、このような正司の行動にひとつひとつに一喜一憂していたら、神経が参ってしまう。

 だが、どんな方向へ突っ走るか分かったものではないのだから、いまのように確認していかねばならない。


(なかなか、骨の折れることですわね)


 空と地面を交互に凝視している正司を見ながら、ミュゼは握った腕に力を込めるのであった。

 どうやら正司の腕をまだ握っていたらしい。




 博物館予定地を見学した正司は、敷地の周辺にある町並みを確認した。

 どのような店があるのか軽く見て回ったあと、屋敷に戻った。


 何も問題をおこしていない。ただ見てきただけである。

 今日はもう出歩かないというので、ミュゼは正司から離れ、エリザンナの報告を受けることにした。


「従業員募集の方は、どのような感じになりそうかしら」


「家臣の中から抽出した人材を一覧にしてあります。できるだけ多く集めようとしましたが、年齢と経験を考慮すると、これだけになりました」


 リストに書かれた名前は全部で十四名。


「あら……思ったより少ないですわね」

「申し訳ございません」


 エリザンナは頭を下げる。

 トエルザード家の家臣は多い。


 働いている者も働いていない者も、これから働く者もいる。

 通常なら、この倍は集められるだろう。


 だがエリザンナが外した人員に、ミュゼは心当たりがあった。

 トエルザード家は一枚岩ではない。


 派閥もあれば、権力争いもある。

 それを博物館の中に持ってこさせたくなかったのだろう。


「これでいいわ。リストにある全員に声をかけてちょうだい。タダシさんは、『展示部』『食堂部』『購買部』『遊戯部』『事務部』『警備部』『宣伝部』『倉庫部』の八部門を作るようです。まず信頼できる者たちで先に固めてしまいましょう。了承を得られた人から配置決めをなさい」


「畏まりました。……いまの中にありました『遊戯部』というのは、どういったものなのでしょうか」

「それがわたくしもよく分からないのですけど、屋上に遊べる場所を作るのですって」


「屋上に遊ぶ場所……ですか?」

「子供たちに楽しんでもらいたいと言っていたわ。わたくしも詳細はそのうち聞く予定よ」


「了解しました。屋上は子供の遊び場と覚えておきます」

「そうしてちょうだい……それで制服の件はどうなったかしら」


「御用商人だけでなく、付き合いのある国内の商人に声をかけました。みな興味を持たれたようです。この中から条件のよいところをひとつ絞ろうと思います」


「かなり大きな取り引きになるかもしれません。ひとつに決めず、いくつかの商会と取り引きするようにしなさい」


「それほどですか?」

「大きさの違う制服を先に複数着、用意するようです。いつどのような体型の従業員が来てもいいように……ですので、最低でも数百着、ことによったら千着を越えるかもしれません。これをひとつの商会に任せるには、いささか問題が出てきます」


「そうですね……パウラにそう伝えておきます」

 エリザンナの頬が引きつった。


 たかが服を揃えるのに複数の商会……そもそも千着なんて、想像していなかった。

 まだ規模を読み間違えている。エリザンナはそう思うものの、完成図が頭に入ってこない。


 いったい正司という人物は、何を作ろうとしているのか。

 主の前だというのに、それが顔に出てしまった。


「大丈夫よ、エリザンナ。タダシさんの頭の中は、どんどんと具体的なものが出来上がってきているみたい。わたくしたちはそれを手伝うこと。それに専念しなさい」

「はい」


 それでもエリザンナの顔はほぐれない。

 しかたないと、ミュゼは表情を和らげて、こんなことを言った。


「娘たちの命を救ってくれた魔道士……どんな人物かと思ったら、なんとも変わった人でしょう?」

「それは……はい、そう思います」


「性格は極めて善良。この町の人のためにと博物館を開きたいだなんて、変わっているわよね。わたくしたちは、それに慣れるようにしましょう。タダシさんに好きにやってもらうことが、我がトエルザード家の恩返し。そう考えてくれるかしら」

「はい、それはもう」


「でしたら早急に慣れてね。理解するのではなく、慣れればいいのよ。わたくしもですけれども」

「分かりました。慣れるように致します」


 顔の険が取れたエリザンナにミュゼはニッコリと笑い、窓から外を眺めた。


 ここからでは建物の陰に入って、博物館予定地が見えない。

 そのうち、正司の作る建物がここからでも見えるようになるのだろうか。


 それがどのようなものになるのか。

 完成はフィーネ公領から帰ってきてからになるだろうが、今から楽しみでもあり、恐ろしくもある。


「しかし、本当にどのようなものができるのでしょうね」


 ミュゼの呟きに、エリザンナは黙って頭を垂れた。

 主人は返答を求めていないのだと、理解していたからだ。




 翌日、午前中の講義を終えた正司は、魔物の管理地へ赴いていた。

 正司が報酬としてもらった地である。


 そこはG1からG3までの魔物が湧く森と渓谷がある。


 ミュゼが行ったことがあったので、まず巻物でそこへ向かった。

 二度目からは〈瞬間移動〉の魔法で来ることができるが、レオナールは「いやはや……」とやや呆れ気味だ。


「それでタダシさん。ここで試したいことがあるとか。何をするつもりですの?」


「魔物の湧く状況を調べてみたいと思ったのです。まず周辺の魔物を全部狩りまして、どのくらいの期間で、どのような感じで湧いてくるのか、調べようかと」


「一帯を討伐すると、およそ30日で湧いて来ますわよ」

「はい。そういうことを確かめてみようかと思うのです」


 魔物が存在するこの世界は、地球と大きく違う。

 そして魔物の生態は、驚くほど分かっていない。


 いまミュゼが言ったように、全滅させると30日ほどで復活するらしい。

 ただ全域を一度に調べたわけではなく、復活が見え始めた頃で判断するなど、確認方法も意外と大ざっぱであることも分かった。


 正司の場合、マップを使うことによって、すぐに復活具合も調べられるため、一度じっくりと確かめてみたかったのである。


「まず、周辺の魔物を掃討しちゃいますね」

〈身体強化〉を施して、ほどよく全域を踏破する。


 マップの灰色部分がなくなったら、一気に火魔法を放って魔物を駆逐する。

 魔物は一瞬で倒され、ドロップしたものがマップに赤い×印で記されている。


(少なかったG1の肉もこれで補充できましたね)

 ここへ来た目的のひとつに、ドロップ品の補充があった。


「終わりました」


「そう……ですわね。おつかれ……さま?」

 短時間ですべて終わらせてしまった正司に、ミュゼはかける言葉を持たない。


 ある一帯に湧く魔物を全滅させるのは、国の一大事業だ。

 何年も準備して、多くの人とお金を使って行う難事業のはずである。


「では戻りますね」

 三人はあっという間に屋敷へ帰還した。


 レオナールは「近所へ散歩に出たような気軽さで、とてつもないことが終了してしまったのですが」と困惑顔だ。


「散歩も魔物の殲滅も、タダシさんにとってはそれほど違いがないのでしょう」

「なるほど……納得はできませんが、理解はできます」


 そこからは毎日、午前中の講義のあとは、魔物狩りへ勤しむことになった。

 トエルザード公領には、まだまだ魔物が出る地がたくさんある。


 正司は各地へ飛び、魔物の生態を調べつつ殲滅して回った。


 それについていったのは、レオナールとミュゼ。

 二人は何をするでもない。


 正司から目を離さない為だけに、危険な魔物の領域へ日参した。

 危険はまったくなく、ただ立っているだけで、周辺の魔物が全滅するのだ。


 人に話しても絶対に信じてもらえないこと請け合いである。




 そしてある日の夜。

 ルンベックとミュゼが、久し振りに酒を飲みながら雑談していた。


「そういうわけで、まるで危険な場所へ行った気がしませんの」

「最後はG4の出る領域も回ったと聞いたが」


「タダシさんにとってはみな同じみたいですわね。そのせいでしょうか、わたくしもG1とG4の魔物の違いが分からなくなりましたの」


「それは重症だな」

「はい。ですがタダシさんと一緒にいるうちは、その方が良さそうな気がします」


「それは……レオナールが胃の辺りを押さえるわけだ」

 自分の常識と正司の非常識の狹間で、レオナールの精神はギリギリのところで堪えていた。


 たまに正司に突っ込みを入れたい衝動にかられるが、それを何とか押さえているとルンベックは報告を受けている。


 それがまたストレスとなり、胃をキリキリと痛めさせているらしい。


 ルンベックから「よくやっているから、力を抜いて、ほどほどに」と労われても、脂汗を流しつつ、苦笑いを返すのが精一杯。

 どうしたものかとルンベックも頭を悩ませている。


「それで、今日は別の報告があるとのことだが」

「ええ、従業員の募集の件なのですけど」


 マリステルが行い、エリザンナが監督していた件である。

「あの件か。一般から募集せずに、少しずつツテを頼って集めたときいたが」


「そうなのです。内容を聞きましたところ、どうしても広く募集をかけるわけにはいかなくなりましたし、それはいいのですけど……」


 一般から募集をかけるには刺激が強すぎると、エリザンナが反対した。

 正司と触れさせるのは、時期尚早だと。


 そのため、家臣を含めて信頼できる筋からの推薦のみ受け付けるということで、マリステルは動いていた。


 すると、トエルザード家がなにやら動いていると噂が広がり、当初予定していたよりも多くの募集もあった。


 それ自体は万々歳なのだが、ここで問題が生じていた。


「他国の目や耳が入ってくるのは防げないぞ。神経質になりすぎると、逆に多くの注目を浴びてしまう」


「それは諦めましたわ。今回はもう少し別のことですの」

「ほう……?」


 ルンベックが興味を示したところで、ミュゼは居住まいを正して、厳かに告げた。

「従業員に応募してきました中に、ファファニアさんの名前がありましたの」

「…………」


 ファファニアの名前を聞いて、ルンベックはしばし目を閉じた。

 それはただ、バイダル家の孫娘を指すだけではない。


 ファファニアは、正司の魔法で命を救われている。

 リーザから、その後ちゃんと話す機会を設けていないことも確認している。


 縁は切れたはずだった。


「そういえば先日、鉱山の半分を譲渡すると使節団が来たが……そういえばまだ町に留まったままだな」


 公表してあるわけではないが、正司はトエルザード家に属しているとみなされている。

 バイダル領でタレースの誘拐事件を解決し、ファファニアの怪我を治した。


 それだけでなく、潜んでいた敵勢力の徴発にも力を貸している。

 もっともこちらは、偶然の産物であるが。


 つい先日、バイダル家からの使節団がやってきた。

 ルンベックだけでなく、ミュゼも応対に出たので、それは知っている。


 謝礼という名目でトエルザード家からの「貸し」を無くそうとしたバイダル公は、自身が所有する鉄が算出される山の譲渡を申し出てきた。


 それはもともと両家の境に位置していた鉱山で、西側をトエルザード家、東側をバイダル家が採掘するという取り決めがなされていた。


 山に囲まれたトエルザード家としては、魔物の出る鉱山を開発する必要もなく、これまでずっと放置してきた。


 バイダル家は少しずつ採掘をしており、今回その鉱山をまるまる譲るという話になったのだ。

 断ると角が立つため、ルンベックはそれを快く了承。ついでに使節団をもてなしたのが数日前である。


 鉱山は自身が所有している西側を含めて、追加報酬として正司に……と思っていた矢先である。


「直接マリステルのところへ打診をするあたり、分かっているようですわね」

「そのようだな。これはどうやっても断れないパターンか」


 本来、バイダル公がトエルザード公へ打診すべき案件である。

 そうなればルンベックは断れない……ものの、ルンベックの裁量で何とかできてしまう。


 たとえば、トエルザード家内に新たな役職――博物館部署などを創設すればよい。

 ファファニアをそこに入れて問題解決である。


 今回は違う。

 ファファニアをマリステルが募集している従業員の中に入れてきた。

 もしルンベックが出てくれば、向こうはバイダル公が出てくるだろう。


 トエルザード家に行儀見習いに来るのではなく、あくまで募集している従業員への応募である。

 意図が明確であるため、露骨に他と区別させるのも難しい。


「使節団の中に頭のキレる者がいたようだな」

「そうですわね。本人の希望もあるのかもしれません」


「なるほど、出発前から……バイダル公も反対しないだろうしな」

 正司の情報は、当然バイダル公も掴んでいる。


 ファファニアが目的を持って正司に接触したがった場合、公自身が背中を押した可能性もある。

 どのような目的かは、いくつか想像できる。


「というわけですので、どう対処致しましょう」


「……希望を叶えさせるしかあるまい。もしかすると、最初からそのつもりだったのかもしれない」


 突っぱねることも可能だが、そうすると今度はトエルザード家が負い目を感じてしまう。

 無下にできない存在なのだから、そのまま希望を叶えさせた方が、あとあと良いだろうとルンベックは判断した。


 また、最初からファファニアをこちらに寄越す下地作りを使節団が請け負っていた可能性もある。

 その場合、今回断っても、次の手を打ってくる。


 何度も断るのはさすがにできないため、結果が変わらないのならばヘタに引き延ばすよりいい。


「苦労かけるが、頼む」

「分かっておりますわ……そういえばトンネルの監視ですけど」


「いつでも外せるが、どうした?」

「いえ、タダシさんが着工を始める前にこの町の監視をなるべく薄くしたいものですから」


「準備はできている。言ってくれれば、数日のうちに宣伝もできる。だが着工は早いのか?」

 宣伝――つまり、秘かに情報を流すのである。


 のっぴきならない事情ができて、トンネルを警護していた者たちが一斉にそこへ向かう。

 そんな話がまことしやかに流されるわけである。


 トエルザード家の秘密を探ろうとしている国々は、さぞ食いつくだろう。


「タダシさんがこのまえ『トラファルガー広場』を参考にとか、独り言をいっておりましたの。何か思いついたことがあったようですわ」


「トラファルガー広場? そのような広場は知らないな。どこのことなのだ?」

「さあ、わたくしも聞いたことがない名前でした。もしかすると誰かが勝手につけた名前かもしれません」


「なるほど。私の方はまだ手が離せない。もろもろよろしく頼む」

「はい。あなたはいま、商国を詰ませる準備で忙しいものですものね」


 いまルンベックは三公会議を成功させるために、走り回っている。

 商国を詰ますといっても、一般の町民や、善良な商人に手を出すつもりはない。


 あくまで為政者と国庫に大きなダメージを与えることを念頭においている。

 戦争には金がかかる。商国は傭兵団によって、常備兵が少ないのを補おうとしている。


 ルンベックが手を出そうとしているのは、商国の国庫にダメージを与える方法と、傭兵団を商国から離れさせる方法である。


 そのため、各団体の代表と折衝を繰り返しており、こうして夜になって報告を聞く程度しか時間が取れていない。


 だが、他人に変わってもらえるものでもないため、しばらくはこのまま専念することになるだろう。


 正司のことはミュゼとレオナールに任せるのは変わらない。

 こうして報告を聞いている限り、イレギュラーなことはあれど、なんとか想定の範囲内で収まっている。


「このまま何事なく進んでほしいものだ」

「ええ、まったくですわ」




 翌日の午後はいつもと違った。

 正司は魔物狩りに出かけず、博物館予定地へ足を運んだ。


 ちなみにミュゼとレオナールがついてくるのはもう諦めている。


(地面の下……浅いところには水の道はないようですね)

 屋敷で聞いたところ、ここは盆地であるため周囲の山から水がどんどん流れ込んでくるという。


 場所によっては数メートル下に水の道があり、浅いところからでも水が湧き出すことがあるらしい。


 正司がこの博物館予定地を〈土魔法〉と〈水魔法〉で探ったところ、かなり下の方にいかないと、水の道が確認できなかった。


 ここは井戸を掘るには適していないが、建物を建てるにはうってつけの場所である。


(部屋で何度か練習しましたので、問題ないですよね)

 実は以前から部屋で、博物館の模型を何度も作っていた。


 巨大なものを建設してから修正を加えるよりも楽だと思ったからであるが、思った以上に熱中してしまった。

 その結果、細部に凝りはじめてしまったのはご愛敬。


 最初は学校や病院のような無味乾燥な建物をイメージしていた。

 だが熱中するあまり、武道館に似せてみたり、国会議事堂もどきをつくってみたりしている。


 夢が広がったとばかりに、いろいろ考えた結果、最終的にイギリスにあるトラファルガー広場とその一帯をイメージした空間で落ちついた。


 トラファルガー広場は、その昔ネルソン提督が海戦で勝利したのを記念して作られたと言われている。

 塔や教会、美術館が近くにあり、石畳と噴水の公園となっている。


 正司が気に入った点は、美術館に向かう広い階段である。

 大勢の人たちが階段に腰掛け、楽しんでいる写真を正司は見たことがあった。


(あんな感じで、憩いの空間となれるような場所にしたいですね)


 正司が地面を見つめて独り言を呟いている。

 その後ろでミュゼとレオナールが静かに佇んでいる。


 最近の正司は、よくこういった行動をする。

 少しずつ博物館のイメージを固めているのだと、二人は邪魔をしないことにしていた。


(建物はコの字型にしましょう。真ん中は噴水が二つと、中央に塔……左右対称の綺麗な配置になりますね)


 トラファルガー広場を写真でしか見たことがない正司は勘違いしていたが、中央にある塔は「ネルソン記念柱」と呼ばれるただの柱である。


 正司はそこに物見の塔があると考えており、最初に建築するものを「物見の塔」に決めていた。


(最初は中央に作るのが位置が分かって気持ちよいですね)


「それっ!」と正司は、高さ100メートルにもおよぶ塔を一気に作り上げた。


「なっ!?」

「ええっ!?」


 ミュゼとレオナールは驚愕の声をあげた。

 まさに突然の出来事である。


「タ、タダシさん……それは?」

「ちょっと作ってみたのですけど、これで町を一望できるでしょうか」


「町を一望ですか……」

 レオナールが塔を見上げる。高い、高すぎる、そうレオナールは思った。


 正司が作ったのは、円形の塔である。

 入り口があり、中にはらせん階段がついているらしい。


「もう硬化させたので、破壊しようとしても壊せないくらい頑丈になったと思います。上から町を確認してみますか?」


「え……ええ、もちろん、確認したいわ」

「私もです」


 ミュゼは慌てた。

 正司が建物を建てる前にラクージュの町に潜入している者たちの目を逸らさせたかった。


 いま正司は「町を一望できる」と言った。

 つまり、町のどの場所からでも、この塔は見えることになる。


 それは本当なのか、早急に確認しなければならない。

 ミュゼとレオナールは急いで階段を上っていった。


 100メートルの塔といえば、25階から30階のビルに相当する。

 息を切らしながら上がった二人は、本当に町を一望できる眺めに、半ば放心していた。


「人の目がないうちに作り、別の噂を被せて流すことで、真実を隠そうとしたのですけど」

「この場所に注目が集まりそうですな」


 正司の言うように、町が一望できる眺めである。

 もはや隠すことは不可能。それが痛いほど分かった。


「タダシさんに実際の建築は、何日もかけて行うよう話をしますわ」

「それでも塔の噂は残りますが」


「これはもう……仕方ないでしょう」

「そうでございます……なっ!?」


 地面が揺れた。

 塔のてっぺんには、八方向に窓がついている。


 ミュゼとレオナールは窓辺に寄りかかり、下を見た。


「あれは……壁?」

「まさか、連続して魔法を!?」


 周囲にあった古くさい石壁が消え、新しい壁がそそり立つところだった。

 以前は二メートルほどの高さで、厚みもほとんどなかった。


 だが、上から見ただけでも分かった。

 壁の高さはその数倍。厚みは……馬車が通行できるくらいはある。


 これまで正司の移動魔法や攻撃魔法ばかり見てきたレオナールは、大規模な〈土魔法〉に眩暈を覚えるほどだった。


「なんなのだ、あれは!」と叫びだしたい衝動に駆られた。

 だが、それだけでは終わらない。


 ――ズズゥウウン


 塔を囲うように、地面がコの字にえぐれた。

 しかも敷地のほぼ全域にわたるほどの広さでだ。


 一辺が300メートルのこの敷地。

 塔を中心とした一部を除いて、大地が深く消失した。


「何をするつもりかしら」

「あれほどの巨大な穴……あれでは建物が建ちませんし、何を考えているのかは分かりかねます」


「そうですわね……タダシさんは一体なにを……あれは!?」

「階段……ですね」


 窪んだ形に沿うように、横に長い階段が出現した。


「あそこに階段ができたということは、このあと建物も?」

「わたくしたちが塔に上っている間に、まさか」


 このまま博物館を建てるつもりだろうか。


 それを想像して、ミュゼは血の気が引いた。

 レオナールも顔が真っ青だ。


「もし建物が建ったら……どれだけの影響が」

「さすがに言い訳がたちません」


 ミュゼはラクージュの町で動いている他国の者を引き離して、秘密裏に建築させる予定でいた。

 だが、このままではその計画が水泡に帰す。


「急ぎ止めさせて!」

「わ、分かりました」


 レオナールは急いで階段を下りた。

 老齢と言っても、日本の運動不足を絵に描いたような老人とは違う。

 第一線で働く健脚老人なのだ。


 レオナールは全力でらせん階段を駆け下りた。

 足をもつれさせながら何とか地上にまで降りたレオナールは正司の背中を見つける。


「タダシ殿! お止めくだされええええ!」


 それはまるでカエル飛び。

 滑空中にレオナールは両腕を開き、正司を背後から羽交い締めにする。


 擬音にすると、ぴょ~~~ん、ガシィイイイイ! である。


「うわっ、レオナールさん!? 何を?」

「タダシ殿、建物を……建物をぉおおおおっ」


「建物ですか? ちょうどいま、完成するところです」


〈土魔法〉の発動が終了したのだろう。


 レオナールは、正司の肩越しにニョキニョキとせり上がる巨大建築物をみた。

 どうやら正司に飛びかかったときにはもう、窪んだ部分から順に作られていたようである。


 レオナールの視線が、建物の完成とともに、上を向いていく。

 青い空が見え始めた頃、塔の三分の一ほどの高さにまで伸びた巨大な建築物が完成していた。


「あああっ……遅かったのね!」


 息を切らせたミュゼが塔から出てきた。

 だらんと両手に力が入らなくなるミュゼ。


 レオナールは正司にもたれかかるようにして脱力した。

 首があげられず、大地をただ見つめるのみ。


 まさか塔に登っているわずかな隙に、このような巨大な建物が完成してしまうとは。

 レオナールはうなだれ、かすかな吐息だけが漏れた。


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