048 博物館構想
「やりすぎです」
レオナールのその言葉を聞いたミュゼは、まったく同じ感想を持った。
(やりすぎですわよね)
正司の懸念する「飽きられてしまう」という意味が分からない。
この辺はこれまで生きてきた人生経験からくる認識の差であるため、ミュゼが正司のことを理解できないのは当然といえた。
物と情報が氾濫する現代日本人の感覚を理解しろというのが、どだい無理である。
調べ物があれば、スマホでできてしまうし、ドラマや映画ですら手元にダウンロードできる現代人の感覚では、同じ物を展示し続ければ飽きられてしまう。
次々と新しいもの、珍しいものを提供しなければと正司が考えたのはまさにそれ。
ゴールのないマラソンをしているようなものである。
一方のミュゼとレオナールは、他に類を見ない、世界初の展示。
そして、本来出会えば即、死を覚悟する存在の精巧な石像を見られる唯一の場所とあれば、だれでも足を運ぶのではないかと考えている。
魔物狩人だってそうだ。
自分たちが戦っている相手の精巧な石像。興味があるに決まっている。
それを「飽きる」とはどういうことだと、正司の言い分を不思議に思うのだ。
同時にミュゼは、つい最近、夫と交わした言葉を思い出していた。
それは、正司が作った巨大なトンネルを報告したときのことである。
「申し訳ありませんでした」
「いやいい。娘から聞いていたとしても、あれはだれにも予想できない」
ほんの少し目を離したすきに、長大なトンネルが完成など、想像の埒外であった。
「ヘタに隠すとその動きが目立ちますので、それとなく噂だけを流してあります」
あの町にはトエルザード家の屋敷もあれば、家臣も常駐している。
予定外の行動ではないとだけ、噂を流させている。
「まだ現地へ確認に行かせた者が戻ってきていないが、虚実入り交ぜた噂を広めるよう、言ってある。バイダル公あたりはすぐに使者を送ってくるだろうがな」
実物が目の前にあるのだから、誤魔化したり、隠したりしても意味がない。
こちらはどっしり構えていれば、向こうが勝手に誤解してくれる。
「タダシさんの教育の件ですけれども、若干予定を変更しようと思います」
「ふむ。どのような形にだね?」
「タダシさんが欲しているのは知識ですが、わたくしたちとしては、似通った価値観や判断力です」
「そうだね」
「ですので、さまざまな人と触れ合ってもらい、その人たちの価値観を自然と理解してもらおうかと考えました」
「なるほど、その件なら私も賛成だ。彼は旅を続けてきたことで、あまり人と深く交流することはなかっただろうしね。唯一の例外が娘たちだが、あの子たちは変なクセを付けないよう接していた。賢明にもね」
親が幼子にものを教えるとき、人格を同一視するところから始まる。
親が「良い」と思うものは子も「良い」と考えさせ、親が「悪い」と思ったものは子にも「悪い」と思い込ませる。
はじめのうちはそれでよいのだが、すぐに子にも自我が芽生えはじめ、親が「悪い」と思ったものに興味を持ち始めたりする。
「トイレ」とか「うんち」などと子が言えば親は顔をしかめるが、子はそれが楽しいらしい。わざと言い続けたりする。
子が言うことを聞かなくなったと嘆く親もいるが、それはどの子も通る道。
子の成長の証しでもある。
旅の道中、リーザはこのような教育を正司にしなかった。
ルンベックやミュゼのような大人ならまだしも、まだ16歳であるリーザはどこでそんなことを覚えたのか。
それはエルヴァル王国へ留学して、見聞を広めた結果に他ならない。
ミルドラルと王国は、同じ歴史、同じ事件を扱っても、扱い方、考え方が違っていたりする。
リーザは「自分はこう習った、あなたの考えは間違っている」とは言わなかった。
王国はこう考え、こう教えているのだなと理解したのである。
ここで教授の言葉に異を唱え、自説を滔々と説いたところで意味はない。
逆に、王国の考え方が理解できたと喜んだのだ。
その経験から、人にものを教えるのは、大変危うい行為であることを理解していた。
両親にまる投げしたのは、その辺の考えがもとになっている。
正司に「これは正しい」「あれは間違っている」と予断を与えなかったことで、ミュゼの教育は大変楽になった。
教育は「ただ知識を与えればいいだけ」とリーザが簡単に考えなくて良かったと、我が娘ながら褒めたい気分になったのである。
あとを引き継いだミュゼは、帝国や王国の人間にミルドラルのことを教えるような感じで、事実とミルドラルの解釈、それにミュゼ自身の考えをしっかりと分けて、慎重に教えることにした。
だが、トンネルを作った今回の一件を見て、ミュゼはそのやり方を少し修正することにした。
正司はクエストを信奉しており、人の悩みを聞いて、それを解決するために旅をしている。
何かを信奉して、そのために生きることは尊重されることである。「やるな」とも言いづらい。
ならば、ミュゼによる教育と、クエストで巷間と触れ合うことで、正司に「魔法を使わない一般人は、こう考えるのか」と、自然と理解してもらおうと思ったのだ。
最初はやりすぎるかもしれない。
だが正司自身が、自分で知識とすり合わせを行っていけばおのずと修正される。それを長い目で見ていこうと。
「その場合、周囲への影響は徐々に小さくなると思いますの。ただ……」
「最初のうちは大変だな」
「はい。トンネルのようなことが度々おこるかもしれません」
「なに、私はトエルザード領の当主だ。問題ないよ」
「あなた……」
リーザは、正司級の魔道士が凶獣の森にゴロゴロいるのではと懸念していたが、ルンベックとミュゼはそんなことはないと思っている。
その代わり、正司が『世界の神秘』という考えは捨てていない。
トエルザード公領には多数の語り部たちが住んでおり、いまだその言語の解析は進んでいない。
彼らが丸暗記し、後世へ何を伝えたかったのかは、分からないままである。
一部解読に成功しているが、それはまるで予言のようでもあった。
そこにでてくる世界創世の話や、ときおり現れる凶獣や人の中の英雄といった存在は世界のバランスを取るためになくてはならないものだという。
国のためではない。世界のために「神秘」は存在している。
正司がもし「神秘」に関わる者ならば、国ではなく、世界のために行動するはずである。
本人の自覚があろうが、なかろうが、それは決められた道筋ではないかとルンベックは考えている。
「なあに、たかがいち魔道士の尻ぬぐいくらい、私なら余裕だよ」
ルンベックはそう嘯くのであった。
ルンベックとミュゼは、正司の行動を掣肘せず、その考え方はなるべく肯定して、本人が自然と気付けるよう導いていこうと話し合った。
だからこそルンベックは、腹心ともいえるレオナールを正司につけたのである。
レオナールは今年50歳になる。
これまでずっとトエルザード家に仕えており、当主からの信頼も厚い。
当主と破天荒なその弟の間で、冷静沈着に振る舞える唯一の男と、評価する者も多い。
彼が自分の半生を語ったら、正司などは「完璧超人ですね」と感心することだろう。
レオナールがいるからこそ、ルンベックはひとつのことに集中できるのだ。
今回、正司につける人材として、レオナールほどふさわしい者はいない。
正司をよく知る者ならば、納得の配置である。
その当のレオナールが頭を抱えていた。
正司が語る博物館構想が飛び抜けているからだ。
「お言葉を聞いただけですが、これは他に類を見ないものと思われます。飽きられることはないと愚考致しますが……」
魔物の展示など、おそらく世界初であろう。
過去、そのようなものがあったとレオナールは聞いたこともない。
つまり、それを見たければ博物館に来るしかないのである。
国内で話題となれば、国外にまでその話は広まる。
ぜひ一度見てみたいと考える者も出てくると、レオナールは考えていた。
だが、正司は「それでは足らない。飽きられる」と言うのである。
一体この人はどこまで求めているのだろうか。
腕を組んで悩んでいる正司の姿が、とてつもなく大きな存在に思えてくる。
レオナールは、この認知的不一致をどう克服しようかと、傍らのミュゼを見やった。
「タダシさん、その博物館とレストランですけど……従業員はどの程度を予想しているのかしら」
ミュゼはレオナールたちより多少なりとも「正司耐性」がある。
よって、正司の構想する博物館の現実的な落としどころを探ろうと考えていた。
「そうですね、実際に開館しないと分かりませんが、最低でも百人は必要かなと思います。これは町の雇用に繋がると思うのですけど、どう思いますか?」
日本の小さな博物館でも二十人規模の職員がいる。正司が考える施設はその何倍も大きい。
単純計算できないが、そのおよそ五倍の人数と、正司は見なしていた。
百人という声を聞いて、ミュゼは一瞬だが絶句した。
スタート時で百人の雇用が発生する。これは想定外だった。
いまだ広場に石像をどんと置いて、それを自由に見てもらうイメージが抜けきれていない。
「百人ですか……」
「はい、最低でもそのくらいは必要だと思います」
「最低でも……分かりました。エリザンナ」
「はい、奥様」
「マリステルとパウラをあなたの部下に入れます。ここに呼んできてくださいな」
「……か、畏まりました」
夫から借り受けたレオナールと、自分の秘書であるエリザンナ。
このふたりを正司につけてバックアップさせようと考えていたミュゼだが、最初の段階で躓いてしまった。
――明らかに人が足りない
それは困る。まったくもって困るのである。
もしレオナールとエリザンナが目の前の仕事にかかり切りになり、正司がフリーになった場合、そして正司が「何か」を見つけて自主的に動いた場合、この博物館はとんでもない方向へ突っ走ってしまう可能性が出てくる。
「新しい方ですか?」
ミュゼの言葉を聞いて、正司が不思議そうに尋ねる。
「ええ、そうです。予想よりも大がかりなものになりそうですから、増員した方がよいと考えましたの」
「そうですか」
やや正司のトーンが下がった。
確認もなく人員を増やしたことを不満に思ったのだろうか。
それとも技量に問題があるかもと判断した可能性もある。
「いま呼びに行かせたマリステルもパウラも、我がトエルザード家の家臣の娘です。教育は行き届いておりますし、やる気もあります。タダシさんが心配されるような技量ではありませんので、ご安心ください」
「いえ、そういうことを心配したのではないのですけど、ただ……」
「ただ……?」
技量ややる気の問題ではないらしい。何が言いたいのだろうか。
ミュゼはいまだ正司の思考を完全に読み切れていない。
「ただ、その方たちも優秀な人なんですよね。他にもっと重要な仕事があると思うのですけど、いいのですか?」
「…………」
「…………」
レオナールは、冷静沈着――自分のこの肩書きを返上しなければと考えた。
あろうことか、口を開けたまま固まってしまったのだ。
ミュゼはというと、人差し指で眉間を押し、何かを耐える仕草をしている。
なるほど、娘が言いたいことが段々と分かってきた。そうミュゼは思った。
正司の性格は温厚かつ善良。これは大変得がたいものである。
サービス精神が過多なところがあるが、このへんはクエストというものが関係しているとミュゼは睨んでいる。そこを掣肘すれば、正司が不満を抱くことも分かっている。
そして正司の場合、他人とこれまで関わってこなかったことが問題だった。
周囲に自分と比較できる者がいない、もしくはずっといなかったと思われる。
そのことで、致命的に自己評価が低くなっている。
ミュゼはレオナールの方を向く。レオナールは小さく頷いた。
「私どものことを心配されておられるようですが、タダシ殿といる以上に重要なものなど、ありはしません。他国が万の軍勢で攻めて来ようとも、私はタダシ殿のそばを離れません」
「わたくしもですわよ」
ミュゼも同意した。
万の軍勢が町の外に迫ったとて、正司から目を離すことの方が恐ろしい。
「意外ですね」
「意外ですか? タダシ殿」
「ええ、レオナールさんは冗談を言わない人かと思ったので」
「冗談ではございません、タダシ殿」
真顔で告げるレオナールに「分かってます」と正司はにこやかに言った。
「……っ!」
これは誤解しているな、とレオナールが何かを言いかけたとき、エリザンナがふたりの女性を連れて現れた。
マリステルとパウラである。
「遅れて申し訳ありません。両名を連れてまいりました」
その場の雰囲気が変わり、レオナールは出かかった言葉を飲み込んだ。
「はじめまして、タダシ様。私はマリステルと申します。以後、よろしくお願い申し上げます」
マリステルが綺麗なお辞儀をすると、肩の所で切りそろえた髪がサッと揺れた。
歩く姿や立ち居振る舞いは完璧。トエルザード家使用人のレベルの高さが窺える所作である。
「私はパウラと申します、タダシ様。何なりとお申し付けください」
マリステルよりも若い女性である。こちらも完璧な礼をする。
ふたりともトエルザード家に仕える家の娘ということから、位置的にはライラなどと近いのかもしれない。
正司がそんなことを考えていると、連れてきたエリザンナが、二人を紹介しはじめた。
年齢はマリステルが25歳で、パウラが22歳。
普段は屋敷内で事務仕事をしているが、表に出してもなんら問題のない技量を持っているという。
ちなみに上司になったエリザンナが20歳と、この中で一番若い。
ただし、エリザンナだけは物心ついたときから、使用人となるべく英才教育を受けている。
「はじめましてマリステルさん、パウラさん。私の博物館構想を手伝っていただけると聞きました。ありがとうございます」
あくまで腰の低い正司に、二人は一瞬だけ戸惑ったものの、すぐにプロ意識を発揮して、「全身全霊をもって、ことに当たらせていただきます」と恭しく礼をした。
「それほど気負わなくてもいいですので、気楽にいきましょう」
やや気圧されつつ、正司はそんなことを言う。
「――お茶にしましょう」
正司が戸惑いを感じている。
これは急に人が増えたことに起因すると考えたミュゼは、一旦すべてを棚上げにして、休憩を申し出た。
エリザンナが茶の用意をはじめ、一同はしばしの歓談の時間となった。
本来、マリステルとパウラは執務の手伝いをしている時間帯である。
だがこれからは正司がすることを補助していく立場となった。
それゆえの親睦会、お茶会である。
二人とも心得たもので、正司へ積極的に話を振り、また自らの話をすることで警戒心を解くことに成功した。
(やはり大人の女性と話すのは、緊張もするけど楽しいものですね)
と正司は、どこぞのバーに通い詰める、うだつの上がらないサラリーマンみたいな感想を抱いている。
緩やかなひとときが終わると、ミュゼは正司から博物館開設に向けての段取りを聞き出す。
「石像や博物館の建物は私の土魔法でなんとかなりますが、一番時間のかかるのが従業員の教育ですね。それと勤務のローテーションとか、給与とかを決めなければなりませんし、考えることは多いです」
たしかに考えることは多いが、本来、石像をどう揃えるのかとか、建物をどうするのかが一番大変なのである。
そこを普通に「魔法でなんとかなる」と言われてしまえば、それ以外は「どうとでもなる」のではと、ミュゼは考えてしまう。
「従業員の教育については、我が家が受け持ちます。使用人たちが受ける教育などは時間のかかるものですが、そこまで求めないのでしたら、短期間で教え込めるでしょう」
「そうですか。でしたら、お願いします」
「マリステル」
「はい、奥様」
「あなたが従業員を募集し、教育を施しなさい」
「畏まりました。いかほど募集すればよろしいでしょうか」
「はじめは使用人や家臣の家族と思ったのですけれども、それだけではまったく足りないようです。先ほどタダシさんが言われたように百人集めることを目標にしなさい」
マリステルは無言で頷いた。
ミュゼの提案によって、従業員の募集は、マリステルが担当することになった。
頭を垂れたマリステルだったが、内心冷や汗ものだ。
茶会で和んだ空気が一瞬で緊張をはらんだものとなった。
パウラが息を呑んでいる。百人の労働者を募集して教育を施す。
なかなかの難事業である。つまり、自分も似たようなことをするために呼ばれたはずなのだ。
ロクな説明もなく連れてこられたと思ったら、かなり重要な案件だったと今さらながらに思うマリステルとパウラである。
普段は外の者に任せられないような、内向きの書類を扱っていたマリステルにとって、はじめて与えられた重要な仕事。失敗は許されない。そんなことを思っていると……。
「パウラには制服を担当してもらいましょう」
「はい……承知いたしました」
反応が一瞬遅れた。制服とは一体何なのかと顔に出ている。
同じ内向きの仕事をしてきたマリステルとパウラであるが、若いパウラの方がまだ突発的なことに弱い。
「タダシさん、そういえば制服はどのようなものを考えているのかしら。わたくしもまだ詳しく聞いてないですわね」
ゴクリとパウラの喉が鳴った。
「統一した服装のことですけど、どうせならば役割ごとに服の色を変えるのはどうでしょう。お客様の相手をする人、裏方をする人、重要なことをする人という感じに、私たちが見れば、その人がすぐにどの所属か分かるのがいいですね」
「服の形状はみな同じ、色も同じ……ということですわね」
「はい。細部は違ってくると思いますが、似たような傾向がある方が分かりやすいと思います」
「なるほど、分かりました。そういうことですからパウラ。出入りする商人に何人か声をかけておくように」
「畏まりました」
従業員の服を統一するというのは面白い発想である。
トエルザード家の使用人にも服飾規定はあるが、各自動きやすい地味な服装を着用することくらいである。
事実、エリザンナの服の色は黒、マリステルは紺、パウラは茶色である。
その上に各自が白いエプロンを着用しているが、これは服を汚さないためのものだ。制服とは違う。
「軍では兵装を統一することもありますが、あれは整備のし易さを念頭においただけですし、面白い試みですわね」
ミュゼの言ったように、兵装を揃えるのは一般的である。
似たような装備ならば交換や流用は容易だからだ。
軍の装備はなるべく統一した方が、長期的な運用に適している。
だが働く者の服を揃えるといった話は、ほとんど聞いたことがない。
他人とほとんど接触したことのないはずの正司が、どうやってそんなことを思いついたのか。
(興味は尽きないですわね)
どうやらまだ自分は、正司の博物館構想を十全に理解し得てないのだと、嬉しく感じるミュゼであった。
「残りは料理人の手配でございますね」
レオナールの言葉にミュゼが頷く。
「料理人はこちらで用意しましょう。幸い、屋敷内の料理人も育ってきています。彼らに指導させればよいでしょう」
「そういえばタダシ殿、魔物の肉を出す料理ということでしたが、どのようなものをお考えでしょうか」
「余っている肉を使うことしか考えていません。何かお薦めの料理はありますか?」
問われたレオナールは、少し考える。
魔物の肉の場合、味や調理方法には、あまり注意が払われない。
どうしても肉の効能の方に、目がいってしまうからだ。
魔物の肉は、その稀少性ゆえに値段が高くなる。
味や見た目を追求するのも、たしかによいだろう。
レオナールはそう思うものの、どのグレードの肉をどのくらい供給するのか気になった。
なにしろ、G1の肉ならばまだしも、G2、G3へとグレードが上がっていくたび、値段は跳ね上がっていくのだ。
「おそらくですが、魔物の肉を食べに来る人は、味よりもその効能に興味があることでしょう。そちらを売りにする方がよいかもしれません」
「そうですわね。どの肉が何に効果あるのか分かっています。大々的に売り出すのでしたら、効能を指定できるとよいですわね」
ミュゼも、味よりは肉の効果をメインに据えた方がいいと考えたようだ。
「そういうものですか」
魔物の肉を食べると様々な効果が得られる。
そんなことが『情報』に書いてあったと、正司は思い出した。
得られる効果は微々たるものとあった気がするが、それでも人々は魔物の肉を求めるのだろう。
「どのくらいの効果があるのでしょうか? 私はずっと食べてきましたけど、一度も感じたことはないのですけど」
正司の場合、凶獣の森で魔物の肉を食べてきたが、その効果を実感したことはなかった。
グレードの高い肉を食べると、より大きな効果を得るらしいが、どの肉を食べても同じだった。
「そんなはずは……」
レオナールが慌てている。
「グレードの低い肉でも僅かながらの効果は感じられるのですけど……この前食べた魔物の肉も同じでしたか?」
「ミュゼさんと一緒に入ったレストランですか?」
「ええ、そうです。あそこで食べたのは『力』に効果があるG2の肉でしたわ」
目玉の飛び出るような値段設定の料理だったのは覚えている。
「その効果というのは、どういったものなのでしょう。おそらく感じてないと思います」
「…………」
それはおかしいと、ミュゼは首を傾げる。
「力に効果があるG2肉でしたら、数十日分の鍛錬に相当します。日頃から限界まで鍛えている方の場合などは、効果はあまり実感できないかと思いますが……」
レオナールも不思議そうにしている。
魔物のドロップ品である肉は、食べると数時間から半日ほどで効果を発揮する。
数十日分の鍛錬の効果が半日ほどで現れるのだ。気付かないはずがない。
もちろん鍛錬と同じような効果が出たとしても、その後も鍛錬し続けなければ、効果は徐々に落ちてゆく。
だが、その減衰具合は通常より緩やかであるとも言われている。
これはつまり、魔物の肉を食べ続けることによって、恒常的に肉体を強化し続けられることを意味する。
効果が実感できないというのは、正司が日頃から魔物の肉を食べているからではないか。
最初はそう考えたが、これまで一度も実感したことがないと言う。
それはどのような理屈なのだろうか。
レオナールもミュゼも頭を悩ませる。
「先ほど話に出ました通り、日頃から限界まで鍛錬し続けていれば、効果を感じない場合はあるかもしれません」
「私の場合、魔物と肉弾戦をするつもりはないので、鍛錬はしていないです」
「ふむ……どういうことでしょう」
効果は感覚的なものだが、まったく感じないのはおかしい。
かといって、正司が嘘を吐いているようにも見えない。
レオナールひとつの可能性を思い浮かべた。だがそれは「まさか」と考えを打ち消した。
その考えとは、効果を実感できないほど、正司が強靱な肉体を所有している可能性である。
「分からないことは置いておきましょう。それでタダシさんはどのくらいの肉を持っているのかしら」
リーザからの報告を受けているミュゼは、G1からG5までの肉を正司が保有していることを知っている。
おそらくレオナールも同様だろう。よってこの質問は、他の三人に聞かせるためのものだった。
「G1からG5までの肉を持っています」
やっぱりと内心でミュゼが嘆息していると、正司の言葉が続いた。
「いまはG3からG4までの肉が同じくらいですね。G1とG2の肉は少ないです。やはり一番多いのがG5の肉です」
――ちょっと待て!
ミュゼとレオナールが耳を疑った。
なぜG5が多い? そもそもG1とG2の肉が少ないのはなぜ?
そんな疑問が頭の中をぐるぐるしていると、正司があっけらかんと言った。
「コイン乱獲する必要があったときに大量に出て余って困っているんですよね。これが捌けるのは嬉しいです」
――ちょっと待った!
いま何て言った? G5の肉をレストランで売るつもりか?
G5肉を一般に売り出せば、国民に身体能力をあげさせて、どこかの国に攻め込むつもりかと他国が警戒するレベルである。
「タ、タダシ殿……なぜ大量に持っているかはおいときますが、まさか、G5の肉を売り出すつもりでしょうか」
「そのつもりですけど」
「それはいささか……みなさまの手の届かない価格設定になるかと」
レオナールの苦し紛れの言葉に正司は考えた。
(そういえば、ミュゼさんと行った魔物の肉を出すレストランでも、かなり高価な価格設定でしたね)
肉もドロップ品だから、貴重品なのだろう。それは分かる。
正司ならば安く提供できるが、それをすると同業者の商売を邪魔することになってしまう。それは本意ではない。
他人の商売を潰してまで、レストランを開きたくはない。
「レストランで提供するには、グレードの低い肉の方がいいでしょうか?」
「そう愚考いたします。G1とG2のみにして、特別なお客様用にG3の肉を提供する形ではどうでしょう」
「分かりました。……とすると、G1とG2の肉を取りに行かないと駄目ですね」
大した手間ではないが、凶獣の森に棲息していなかったので、G1の肉は残り少ない。
「ちなみにタダシ殿は、どのようにして狩りをされるのでしょうか。魔法が大得意というのは伺っておりますが」
「マップと連動させて……いえ、〈気配察知〉と〈火魔法〉で周辺の魔物を一気に狩る感じです」
「……?」
「言っても分からないですよね。ちょっと、実演してみます」
正司は『保管庫』から岩の塊を取り出し、親指くらいの魔物の石像を複数制作した。
作った石像は全部で五十ほど。それを床にバラまく。
「〈気配察知〉で位置を把握したら、一気に……こんな感じです」
正司の指先から火柱が立ち上り、石像の数だけ分かれて、全てに直撃する。
石像は半ば熔解しつつ砕け散った。
「ドロップ品が出ると私には分かるので、それだけ後で回収に向かいます。これを繰り返していくと、いつのまにかドロップ品が溜まっていくんです」
「…………」
「…………」
これは狩りと言えるのだろうか。
ただの作業である。
「もしかして、G5の魔物もこれで……?」
「はい。おかげでコインを大量に拾うことができました」
「そうでございますか……」
つまり、G5の魔物も一撃である。他の魔物と同じく作業で狩っているのだ。
レオナールは膝が震えるのを自覚した。
(偶然とはいえ、よくリーザお嬢様と出会えたものです。これがもし他国に行っていたら……)
凶獣の森から砂漠に出て、そのまま北に向かえばエルヴァル王国にたどり着く。
正司のことだから、王国で大いに話題になるだろう。
目端の利く商人の多い町だ。
正司がどこでどんな風に転がされるが分かったものではない。
碌な教育も受けないまま、「絶断山脈が邪魔で商売ができない」などと囁かれたら、「だったらトンネルを掘りましょう」くらい言い出しかねない。
徐々に権力者と近くなっていき、「王の心の友」などと持てはやされ、王国の発展に大いに寄与する未来が見えた。
だがそれは、長い目で見れば帝国を含めた他国にとって、凶事となり得ること。
正司がリーザと出会わなかったら……それは他国にとって碌でもない未来が待っていたのではなかろうか。
「G5の肉は余りまくっているんですよね。いやそれよりも、トンネルを掘ったときにくり抜いた岩が丸々残っています。あれを海に捨て……いえ、不法投棄は犯罪です。この世界だと犯罪じゃないのかな?」
おののくレオナールとは対照的に、正司はぶつぶつと何やら呟いていた。
どうやら博物館を開館させるには、双方の意識改革が必要らしい。
ミュゼはそれに気付いたが、とりあえず黙っていた。
なぜならば、エリザンナたち三人がこれまでの話を聞いて、「どうしたらいいか分からない」といった顔で立ち尽くしていたからである。
その日の夜。
執務を終えたルンベックのもとへミュゼが向かった。
もうすぐ深夜に届こうかという時間帯である。
深夜、夫婦といっても別段、艶めかしいところはない。
二人は執務室で、正司が唱えた博物館構想を論じ合っているのだ。
「博物館の従業員だが、できるだけ家臣から募るようにさせよう」
「それがいいと思います。一般に募集をかけますと、他国の方々が入り込んでくると思います。そのような方々を重要な役職には就かせられませんもの」
「すでにトンネルの件で、商国が動いている」
「あら、それはまた随分と速い動きですわね」
「本国からの指示ではないな。この地に入っている者たちの独自判断だろう」
「優秀なことですわね。あぶり出しますの?」
「一部は摘発しないことには、さすがに勘ぐられる。目に余る者たちは理由をつけて拘束させるつもりだ。それとタダシくんについて嗅ぎ回っている者がいる。商国だと思うが、詳細はまだ分からない」
「いま、タダシさんの服を仕立てさせておりますの」
「私もシュテール族の外套に似たものを作らせたよ」
「あら、考えることは同じですね」
「表だって調べると、偽の魔道士へ行き着くよう、情報を秘匿させておく」
ルンベックとミュゼは、正司に注目が集まることを想定して対策を立てていた。
ミュゼの場合、シュテール族の外套が正司のトレードマークとなっていることに着目し、ある日を境に服装を一新させる予定でいた。
ルンベックは、正司そっくりの格好をさせた魔法使いを用意し、それを動き回らせることを考えていた。
両者の考えが成功すれば、真実にたどり着く者は限りなく少なくなる。
「ねえ、あなた。トンネルは監視させておりますわよね」
「ああ、抜かりはないが……なぜだ?」
「わたくしがお願いしたら、一旦、監視を外してもらいたいのです。トンネル自体は隠すべきものはありませんので」
「……ということは、隠したいものが他にあり、それに目を向けさせないためか」
「ええ、タダシさんが博物館の開館に前向きになっているいま、注目がこちらに集まってほしくないときが、必ず存在します。その時のために……」
「分かった。別の事件が起きたとして、人員を離れさせよう。期限を切ればその間に探ろうとする者が出てくるはず。彼らを自由にして、トンネルを存分に調べてもらおうか」
「はい。その間にこちらの準備を終わらせます」
「分かった。時期が来たら言ってくれ」
「おそらくそう遠くない時期になると思いますわ。タダシさんの構想は、かなり具体的になっていましたので」
「そうか……楽しみだな」
「わたくしは恐ろしいと感じます。ですが楽しみでもあります。あなたが言うような、『世界の神秘』のこと、わたくしは信じ始めておりますもの」
「近いうちにタダシくんを『語り部』に会わせてみたいものだな。会って何が変わるというわけではないが」
「翻訳が進んでいればよかったのですけど」
「翻訳に取り組んで百年、二百年経ってようやく断片が分かった程度だ。あと百年経っても劇的に進むとは思えん。だが、語り部の言う神秘とやらに彼が含まれていると、私はほぼ確信している。出会えば、何か分かるかも知れない」
「世界は何を求めているのでしょうか」
「あるいは、世界は何を破壊したがっているのか……かもしれん」
「恐ろしいことですわね」
「世界について、私たちが関知できることは僅かだ。なるようになるさ」
こうして二人の話は続いてゆく。
登場人物を簡単にまとめます。
レオナール――当主ルンベックの部下 ダンディなおじさま。50歳
ミュゼ――ルンベックの奥さん。若々しい、34歳
エリザンナ――もの凄く有能なミュゼの秘書。ピチピチの20歳
マリステル――エリザンナの部下。家臣の娘。25歳
パウラ――同じくエリザンナの部下。22歳
それでは引き続きよろしくおねがいします。