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046 王国の蠢動

「だぁああああ、失敗したって、どういうことだよ!」


 ここはエルヴァル王国の首都、クリパニア。

 王城の豪華な一室で、国王ファーラン・デュ・ルブランの絶叫がこだました。


 ほんの少し前、ファーラン子飼いの商人から書簡が届いた。

 その商人は利に聡く、バイダル領へ物資を高く売りに出かけたはずだった。


 何事かと届いた書簡を目にしたファーランの驚きは凄まじく、隣にいた王妃ミネアをしても、それは記憶に無いほどであった。


「失敗というのは、バイダル領での工作ですか?」

「そうだよ! 何でそんなに冷静なんだよ」


「内容を知りませんもの。それに、妾に隠れて動いていたことですし、関知することではありませんわ」


 しれっと言うミネアに、ファーランは一瞬恨みがましい目を向けたものの、事態の深刻さを理解して、すぐに立ち上がった。


「おいっ、緊急会議をする。宰相と軍務相を呼んでくれ」

 小姓を呼びつけ、会議室を整えさせた。


 ファーランのただならぬ気配に、さすがのミネアも真面目な表情を作る。


「バイダル領でしたわね。つい先日、誘拐は成功したと報告があったばかりではないですか。どのような失敗がありました?」


「全部だ。全部失敗……ミルドラルの国境を越える前に、襲撃犯がすべて捕らえられた」

「なんと……」


 ミネアは絶句しつつも、同時に「何かおかしい」と感じた。

 ファーランは入念に準備を施していた。


 これまで得た情報をフルに使い、バイダル公を出し抜いたはずだ。

 ミネアが後で話を聞かされたときも、穴は無いと思える計画だった。


 襲撃犯は100名を優に超える規模で、一人一人が強者。

 効果的に戦えば町ひとつ占領できる規模である。


 それが失敗した? 何の冗談かとミネアは思った。


「捕まったのは、犯罪結社『十字蛇』だけじゃねえ。傭兵団『鎖の紋章』と『流星狼』の手練れが全員だ……結社だけなら言い逃れも効くが、傭兵団はまずい。あれは王国以外が使役していねえ……つか、なんで捕まるんだ?」


 書簡に書かれた内容を吟味していると、おかしなことに気付く。

 はたして手練れが全員捕まるなどということがあるだろうか。


 半数を逃がすために残りが捕まったならばまだ分かる。

 そんな分の悪い状態になる前に、普通は逃亡する。


 それでも悪いことが重なって、逃げられないこともある。

 半数が生き延びて、奪還するもしくは他所を反撃すればいい。


 全員捕まるのはおかしい。

 もしファーランがあの三集団を全員捕まえようとしたら、どれだけ苦労するか。


 傭兵団はとにかくげんを担いだり、運気というものを大事にする。

 悪い方向に転がると、そのまま一直線に落ちていくものだ。


 今回そういった感じで、全員が捕まってしまったのか……それで納得できるのか、ファーランはやはり疑問だった。


「報告にウソが交じっているか、偽の情報を掴まされたのか、お金を握らされて寝返ったということはありませんの?」


「いま俺も同じことを考えた。だが、そうする理由が思いつかねえ。コイツは今回の動乱で稼ごうと、かなり無理して物資を揃えたはずだ。この書簡を信じて俺が動かなきゃ、大損こくぞ。それに俺から離れたことで一時的に利益を得たとしても、王国と敵対するのは、長い目でみれば損しかねえ。それを選択する奴じゃねえんだよなあ……」


 書簡はバイダル領とラマ国の国境にあるサクスの町から出された。

 サクスの町で見聞きした情報をファーランのもとにもたらしたのだが、書簡を読めば読むほど、眉唾ものな内容だった。


 何しろ書簡には、襲撃犯は全員捕縛され、誘拐されたタレースは救出されたとある。

 またラマ国との緊張もいまは解け、両国は即日軍を引いたらしい。


 つまり両国は何らかの密約ができた可能性が出てきた。


「両国が軍を引くのは、理解し難いですね」

 ミネアも腑に落ちないようだ。


 軍を移動させるには日数も金もかかる。

 集めた兵を解散させるのは、本当に必要なくなってからでいい。


 即日解散するからには、そこに密約ができたと考えても不思議ではない。


「ラマ国とバイダルのトップに顔が利く奴なんて知らねえぞ。事務レベルで話し合ったって、数日で合意するわけがねえんだ」

 ファーランは首を捻る。


 ここのところ、おかしな話ばかり続く。

 たとえばトエルザード公を焚きつけるために息女を襲わせた。


『幸運の道標』という傭兵団を使ったが、襲撃は失敗。

 息女は無事ラマ国に入ったことが確認されている。


 傭兵団『幸運の道標』は行方不明。

 王国に戻ってきていないことから、ミルドラルのどこかに向かったものと思われる。


 王国を敵に回すようなことはしないと思うが、どこで噂が広がるか分からない。

 ファーランにとって、頭の痛いところである。


「そういえば、ジーリーナ号がエルダリア港に着いたそうで」


 ジーリーナ号は航海中に謎の火球に襲われ、マストが折れてしまったルブラン商会の船である。

 先日、王国南部の港に到着したという知らせが届いている。


「あっちもあったな……ようやくだよ。駄目になった荷は多いし、船は修理が必要。違約金も馬鹿にならない額に膨れあがって、もう散々だぜ」


「火球の正体は分かったのですか?」


「いや、まったくだ。直撃した訳じゃないし、証言だけじゃアテにならん。調査はするが、原因は掴めないだろうさ……世の中、ままならねえな」


 ここで、小性が会議室の準備ができたと伝えに来た。

 ファーランとミネアは揃って向かう。


「なんだよ、ルクエスタ。おまえもいるのか?」

 先に会議室にいたのは、経済省のトップであるルクエスタである。


「呼ばれてませんでしたが、最近の王はどうにもはかりごとが多くあるようでしてな。顔を出させていただきました」


 ルクエスタは宰相ウルダールよりも若いが、それでも60歳という高齢である。

 経済省にて、各商会との折衝役をこなしている。


 ルクエスタに頭が上がらない商会長も多い。

 ファーランも若い頃、何度も頭を下げたおっかない相手でもある。


「いや別に、おまえがかかわる話はないぞ。大したことないんだよ、うん」

「でしたら私がいても問題ありませんな」


「だからさ……」


「私が王の治世に協力しているのは、王が国を富ませるからです。そのために必要な助言は惜しみませぬ」

「…………」


 こうなったらテコでも動かないと、ファーランは諦めた。

 そうこうしているうちに、宰相のウルダールと軍務省のラーゼンもやってきた。


 経済省という飛び入りを入れて、本日は5名が会のメンバーとなった。

 茶が行き渡ったところで、使用人たちはみな退出する。


「さてと、悪い知らせがある……って、なんだ?」

 ファーランが切り出したところで、ラーゼンが手を挙げた。


「先ほど、手の者から連絡が届きました。早急にお話しすべきことと思い、発言したいと思います」


「そうか。言ってくれ」

 出鼻を挫かれたファーランだったが、ラーゼンが何を話すのか興味があった。


「ラマ国のライエル将軍が完全復活したようです」


「あちゃー、あのくそジジイ、健在だったか。老衰って話はガセかよ」

 ファーランが額をぴしゃりと叩いた。


「いえ違います。完全復活と言ったのです」

「ん? どう違うんだ? 病気から回復したとか?」


「若返りのコインを使用したようです。指揮を執った将軍の姿はまるで四十代、若者とは申せませんが、これからまだ何十年も現役でいられるような肉体に戻っておったそうです」


「…………」

 ファーランは、ラーゼンの顔をマジマジと見た。


「事実ですぞ」

 複数の筋からの情報だとラーゼンは答えた。


「……マジかよ。コインは全部買い上げたはずだろ。なんでそんなに若返ることができるんだ?」


「さあて、そこまでは探れませんでしたが、対ラマ国戦略はイチから見直しが迫られますな」


 ラーゼンの言葉に、ファーランはガックリとうなだれた。

 見直しと言っても、ラマ国は現在進行形で王国を警戒している。


 ラマ国に対しては、何とも動きづらいのだ。


 トエルザードも息女の襲撃で警戒してくるだろう。

 対ラマ国戦役だけでなく、ミルドラルとの関係も、これから先どうなるか分からない。


 ファーランにしてみれば「マジかよ」以外の言葉が見当たらない。


「こちらの話は以上です。……では王、お願いします」

「…………」


 ここで振るのかと、ファーランはラーゼンを恨みがましい目で見るが、会議を招集したのは国王自身である。

 気を取り直して、「悪い話」をすることにした。


「バイダルをラマ国と戦わせる策謀が水泡に帰した。簡単にいうと、襲撃者……実行した連中だな、それがみなバイダル軍に捕まった。一人残らず捕まったらしい……この件について詳細は不明。恐らくだが、だれか一人くらい口を割る奴が出てくると思う。そうなったら、バイダルとこの国の関係は最悪になる」


 言いづらいことだが、先延ばしにはできない。

 ファーランは一気に話した。


「その話でしたら、何日か前に鳥が知らせてくれました」

 ルクエスタはゆっくりと頷きながら、そんなことを言った。


 鳥の帰巣本能を利用した通信手段はどこの国でも使っている。

 途中で大形の鳥に捕捉されたりすることもあり、成功率はそれほど高くない。


 また、どこで見られるか分からないため、重要な情報を託せなかったりする。

 それでも速さだけは随一である。


「ルクエスタ、おまえ、知ってて黙ってたのか?」


「この件に関しては私は仲間に入っておりませんでしたので……ちなみに今朝届いたものもありますが、知りたいですか」


「もちろんだ。言ってくれ」

 ファーランは恥も外聞もなく、そう告げる。


「バイダルとラマ国の国境に巨大な長壁ちょうへきが出現したようです。土魔法らしいのですが、詳細は不明。壁は何十キロメートルにも亘って出現し、人が越えられる高さをはるかに凌駕していたということです」


「国境線にだと? いつそんな壁を建築したんだ? 魔道士を用意しても、十年やそこらじゃできないだろ」


「それが一瞬の早業だったということです。多くの兵が目撃し、町ではその噂でもちきりとか」


「ありえねえ!」

 ファーランは重厚な卓に手を強く打ち付けた。


「ありえないと申されても……」

「おかしいだろ! 一瞬で壁を作る土魔法があるか? 魔道士を何百人集めればいいんだよ」


「町に戻った兵が広めた話ですので、情報操作されている可能性はあります。……そうそうその魔道士は、トエルザードが秘匿していた者だそうで」


「トエルザードが? なんでそこでトエルザードが出てくるんだ?」

「さて……私にはなんとも」


 ファーランは考えた。

 トエルザード公は油断ならない人物である。


 だが、先を見越して魔道士をそんな場所に派遣するとは思えない。


「娘の護衛につけた……のか? 風魔法使いの情報は得ていたが、あの中に他の魔道士が……いや、身元は調べた。ということは途中で合流した?」


 場所と日程を考えて、トエルザード公よりも娘が介入した可能性が高い。

 ラマ国を出国した場合、あのあたりで出くわすことが考えられるからだ。


「情報戦で出し抜かれるのは珍しいことですわね」

 突然妻のミネアに言われて、ファーランは歯ぎしりする。


 たしかに出し抜かれた。

 魔道士の情報など、欠片も入ってこなかった。


 いくら秘匿していたとしても、多少なりとも名誉欲があれば、どこかで名が知れる。

 眉唾な話だとしても、そんなものを小耳に挟めば、ファーランは人をやって調べさせる。


 今の今まで知らなかったということは、本当に秘匿されていたのだ。

『幸運の道標』がしくじったとファーランは考えていたが、見方を変えてみるとどうだろうか。


 長壁を作るような魔道士――もちろん宣伝用の誇張だろうが、それでも、それなりの魔道士を連れていたとしたらどうだろう。


 油断したところを狙われたかもしれない。

『幸運の道標』の失敗は何かの間違い……そう考えて、失敗すべき理由があったとは考えていなかった。


「トエルザード公……やってくれるじゃねーか」

 何らかの情報を掴み、秘蔵の魔道士を秘かに派遣したのだろう。


 トエルザード公ならびに、その秘密兵器たる魔道士。

 それらすべてに無警戒だったことで、王国は見事にしてやられた。


「しかし今回、情報を得るのが遅いのではなくって?」

 ミネアの言葉にファーランはかぶりを振る。


「んなこと言っても、使える連中はラマ国の町に散らせてあったんだから、しょうがないだろ。バイダル領はウイッシュトンの町に集中させていたし。配下の商会はみな自分の商売に大忙しだったしな」


 襲撃犯は百数十名。それが逃げるのだ。

 逃亡経路や潜伏先を複数用意しておいた。


 それに関わる人員だけで、数百人が動いたのだ。

 あまり重要でない場所に人を配置できなかったのは、そういう理由があった。


「起こってしまったことはしょうがありませんな。それで王はどう責任を取るつもりで?」

 ルクエスタが鋭い目をファーランに向けてきた。


 ルクエスタが会議室へ一番に現れたのはそういう訳だったのだ。


 情報を得たファーランは打開策を探るべく、どこかで会議を開かねばならない。

 会議室の使用が決まった段階でルクエスタに知らせが行くよう、小金を渡していたのだろう。


「責任とか言っても、まだ終わったわけじゃねえぜ。何しろ、今回捕まったのは、戦闘に特化した連中ばかりだ。町に潜入させている連中がまだ残っている」


「どのくらいの数が残っておりますかな」

 宰相のウルダールが鋭い目を向けてきた。


「同じくらいは残っているはずだ。百名は越えている」

 そのまま継続して諜報をさせるために、大金を支払ったのだとファーランは説明した。


「誰かが口を割れば、一網打尽でしょうな」

 ウルダールの言葉に、ファーランは首を横に振った。


「そこはうまく逃げるだろう。これから情報を送ってくれるはずだ。フィーネ公が味方でいるうちに計画を進めるつもりだと説明してある」


「だが、大魔道士の存在が明らかになった。戦争に魔道士が現れたら、戦局なぞ一気にひっくり返るのではござらんか?」


「そちらは情報待ちだな。どれだけの魔道士なのか、名前や得意魔法なんかも調べなきゃなんねえ。だけど、計画そのものに変更はない」


 すると今度は、軍務省のラーゼンが大きく息を吐き出した。

「実際に戦う者から言わせてもらえば、魔道士を先に排除してもらわないことには、怖くて兵の足が止まる」


「神速の用兵をするラーゼンらしくない言葉だぞ」

「事実だ。魔法ひとつで百や二百の兵が一瞬で死んでみろ、間近で見た兵は恐れおののく。噂を聞いた軍は崩壊する」


 エルヴァル王国は、海軍に力を入れている。

 商売を考えると、船の航行安全は必須だからだ。


 陸軍は比較的貧弱であると、周辺国に思われている。

 そもそも王国に常備軍が少ない。


 足りない部分は、傭兵で補う。

 常備兵と傭兵を合算すると、西の国で最大兵力を保有していることになる。


 それでも、他国を圧倒できる程ではない。


「お得意の策謀でラマ国を直接攻めたらどうなのかしら」

 王妃ミネアがややからかい交じりで言った。


「無理言うなよ。そんなことしたら、ミルドラルがラマ国側に付くわ。二国相手に戦えねえって」


 しかもラマ国とは、期限付きで不可侵条約を交わしている。

 王国は商人国家であるために、契約を重んじる国民が多い。


 一方的かつ利己的に契約を破れば、国民からそっぽを向かれる。

 同じ商人どうしだからこそ、目が厳しいのである。


八老会はちろうかいが、どう判断を下すかですな」

 ルクエスタだけでなく、ラーゼンもそんなことを言い出した。


 八老会の合議制によって決定されたことは、必ず守られる。

 それは国王の交代ですら例外ではない。


 国王の交代を誰かが提案すれば、その者が議長となる。

 残り7名の投票で過半数を取れば、議案が通る。


 ハードルは高いが、これだけ失策が続けば、考え直す者も出てくるだろう。

 八老会の一員ではないルクエスタやラーゼンですらそんなことを言い出すのだから、投票権を持っている商会の胸中は如何なものか。


「……しょうがないな。俺も途中退場したくないし、こっちも切り札を出すか」

「ほう……切り札とな。妾も知らないことがまだあったか」


 ミネアの眉間に皺がよった。


「まあな。本当の切り札だし、できれば使いたくないんだが、そんなことを言っていられなくなってきた」


「ふむ……」


 王妃であるミネアは、ファーランの事をよく知っている。

 だがファーランが言う切り札に、ミネアに思い当たるものが無い。


 つまり、また内緒でことを進めていたのだ。

「それで切り札とは何なのかしら?」


 冷たい目でファーランを睨む。

「へへっ……いま手元にはないんだけどよ、ちゃんと町中にあるんだが」


「それほど、もったいつけるものなのですかな」

 ルクエスタの言い方も冷たい。切り札と言われても、今さら何をと思っているのかもしれない。


「何だよおまえたち……本当にすげえんだぜ」


 一方のファーランは余裕綽々だ。

 それが癪に障ったのか、皆の視線がいっきに厳しいものとなる。


 今回、話を聞くだけでも、かなりの逆境である。

 余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)のファーランがおかしいのだ。


 全員から睨まれ、ファーランは手をあげた。

「はいはい、分かったって。言うよ、言うからそんなに睨むなよ。……それでな、切り札なんだけど」


 そこでファーランは、一拍おいた。


「なんと帝国から、魔道具『破軍はぐん錫杖しゃくじょう』を借り受けているんだよ」


「破軍の!?」

「錫杖ですと!?」


 全員が驚きに目を見張った。


「どう? おそれいった?」


「陛下、破軍の錫杖といえば、帝国に現存する三つの究極魔道具のひとつでありますぞ」

 宰相のウルダールの声がやや震えている。


「そうだぜ。さすがにモノだけを借りることはできなかったが、使い手ごと城下に呼び寄せてある」


「…………」

「…………」

 全員が押し黙った。


 その昔、帝国の優秀な魔道具師が、生涯をかけて七つの魔道具を作り上げた。

 それらは「錫杖シリーズ」と呼ばれ、帝国の覇道を大いに助けたと言われている。


 七つの魔道具のうち、現存しているのは三つ。


 兵の士気をあげ、死兵となって戦うようにさせる『巨門きょもんの錫杖』。

 欲や嫉妬心を燃え上がらせ、敵を憎むようになる『貧狼たんろうの錫杖』。

 そして、登攀とうはん能力が二倍にまで押し上げる『破軍の錫杖』である。


「坂を駆け上がる速度が二倍だぜ、二倍。半分の時間で到達できる優れものだ。同じ時間なら倍の距離を移動する。使い勝手がこの上ないほどいいと思うだろ?」


 たしかに破軍の錫杖を使えば、行軍速度が飛躍的にあがる。

 だが、それほど有用な魔道具を帝国はなぜ貸し出したのか。


「陛下……代わりになにを差し出しました?」

 問題はそこである。


 王妃のミネアすら知らなかったことが、ウルダールを不安にさせる。

「何も差し出してねえよ。ただちょっと……」


「ただちょっと?」

「これまでの貸しをチャラにしようぜってことになっただけで」


「これまでの?」

「貸しを?」

「チャラですと?」


「ああ……その条件で借りてきた」


「「「陛下ぁーっ!!」」」


 会議室に大音響が響き渡った。


 それもそのはずである。

 王国は帝国に多大な「貸し」がある。


 何かあるたび、大きなことから小さなことまで、王国は身を切って帝国に「貸し」を作ってきたのである。


 それは何代前の王であっても変わらない。

 帝国はいま、返しきれないほどの「借り」を抱えていることになっている。


 それをファーランはチャラにしたというのだ。


「どういうことですか、陛下っ! 帝国への貸しは我らの安全保障にも一役かっているのですぞ!」

 ウルダールが慌てた。


 過去の借りをチャラにすると言われれば、魔道具くらい貸すだろう。

 すでに帝国の国家予算分くらいは、軽く貸していたのだから。


「けどよ、事を成せば、富は毎日転がり込んでくるんだぜ。また貸せばいいじゃねえか」

「そういう問題ではありません。馬鹿ですか、馬鹿ですな」


 帝国への貸しは、証書にして保管してある。

 借りた日付より前のものはすべて無効になると考えたウルダールは、眩暈がした。


 これはもう国庫の浪費とかいう以前の話である。


「ミルドラルとラマ国の戦争は回避されたが、まだ終わりじゃねえ。だったら、こっちが直接攻め込むってのもアリだよな」


「攻め込むって、どこへですか」


「もちろんミルドラルだよ……位置的にはトエルザードだな。あの町は難攻不落と世間じゃ言われているが、破軍の錫杖の前にはどうかな?」


 ファーランは笑みを深くする。

「破軍の錫杖があれば、相手の想像を裏切る形で進軍できますが、ミルドラル一国は強大ですぞ」


「ミルドラルすべてと戦うつもりはない。フィーネ公との交渉しだいだな。あれが中立になれば、勝機は十分にある。トエルザードの港を押さえて富を独占できるだろ。そしたら次はバイダルだ。不可侵条約が切れたらラマ国へ攻め込む。そうなれば、西の覇権が転がり込んでくる」


「そのような強硬路線は、軍務省としては賛成できませんな。どれだけ金と兵を浪費するつもりですか」


 戦争で主攻しゅこうを担うのは、ラーゼンが鍛えた部下たちである。

 傭兵で周囲を固めるとはいえ、真正面から戦えば、被害は計り知れない。


 戦争で一方的に勝利をおさめるのは難しい。

 そして減った兵は中々回復できない。


 鍛えるには相応の時間がかかるし、人の成長は遅い。

 若い者が死ねば、国力は落ちてしまう。


 トエルザード、バイダル、ラマ国と立て続けに戦い、帝国を押しのけるような軍事力を保持するのは、相当難しい。


「そこはラーゼンに頼むしかないが、商人たちには金を出させる。それを使って、傭兵を集めるだけ集めてくれ。……そうだな、ラーゼンが必要と考えている兵の倍を集めるのはどうだろう」


「経済省として言わせてもらうと、それには反対です。どこにそんな金があるというのですか」

 ルクエスタの言葉にウルダールも頷く。


「金策だろ? ちゃんと考えてあるぜ。王国が持ってる占有権を売れば賄えるんだわ、これが」

 ファーランの言葉に一同が絶句した。


 この会議で、何度目の驚きだろうか。

 ルクエスタは沈痛な面持ちで沈黙している。


 ウルダールは顔を真っ赤にしてプルプルと震えている。

 王妃ミネアは、逆に顔色が真っ青だ。


 唯一、ラーゼンだけは「たしかに金は手に入りますな」と言ったが、軍務省のラーゼンだからこその台詞であり、他の者はみな声が出ない。


「あれ? だって戦争に勝てば、この先何十年も賠償金が入ってくるんだぜ」

 皆の反応がまったくないことで、ファーランの独白が続く。


「王国の資金源を売り渡すのは俺も心苦しいよ。だがな、一時的に手放したとして、それ以上の富が入ってくればいいんだよ。長い目でみれば、得にしかならない。損して得とると言うわけだ」


 ファーラン以外が絶句する王国の占有権とはなにか。

 たとえば金山、銀山がそれにあたる。


 王国金貨を生み出す金山は、当然のことながら王国が管理している。

 毎年どれだけの金を算出するか決められ、その範囲内で採掘が行われている。


 他にも港の使用権や王国の税金を投入して整備した一地区、建物だけでなく何から何まで王国の国庫から出して作ったものもある。


 そういったものは全て王国の所有物であり、そこから上がる収益は馬鹿にできない額となっている。


 ファーランはそれを売り渡そうというのだ。

 一時は金になるかもしれないが、将来に亘って大きな益を逃す行為である。


 そこでファーランは、戦争特需と、戦後処理で得られる賠償金の話を持ち出した。

 また、戦勝時の交渉で、収益の高い町や鉱山などを割譲してもらってもいい。


 最終的に投資した金額以上のものが得られれば、長期的に得なのだと言い放った。


 ファーランの狙いはもうひとつある。

 ここで王国が『虎の子』を放出したと知ったら、他国は警戒する。


 大規模な金が動く事態が起こったとみる。

 それこそがファーランの狙いである。


 他国が警戒し、軍事的緊張が高まれば、いつ戦争になってもおかしくない雰囲気が形成される。


 王国は何もしていない。

 ただ商人に王国の財を売り払っただけである。


 先に動いたのは他国。

 王国は仕方なく、それに備えることにした。国民にそう説明できる。


 そして他国の予想を大きく上回る速度でもって進軍できる。

 十日かかる日数を半分で行けばいい。


 相手国は準備すら整わず、蹂躙されるだろう。


「つぅわけで、目標をトエルザードに切り替えていくつもりだ。フィーネには当面資金を流し続ける。……そうだな、二ヶ月後を目処に、すべての準備を終わらせるぞ。そしたら開戦だ。王国がおっかねえってことを存分に知らしめてやろうぜ、いいな!」


 ファーランはそう高らかに宣言した。



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