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045 続・虹彫り師の村

 翌日の午前中。

 正司は、ミュゼから一般常識の講義を受けている。


 ミュゼは正司の習熟度によってカリキュラムを変えるつもりでいるので、先の予定は立てていない。

 講義の内容は、正司次第ということになる。


 そしてここ数日、正司の理解力に、ミュゼは舌を巻く思いであった。

 正司が凶獣の森から出て、まだ数十日。


 ほとんどの時間を移動に費やしていたと、ミュゼは聞いている。

 リーザからの報告では、国名や地名すらまったく知らなかったという。


 ある意味、子供と同じ知識量なのだろうと、ミュゼは最初考えていた。

 たしかに正司はモノを知らない。


 それはこれまでの講義でよく分かった。

 だが、何かを教えるたびに、正司は自分の理解できる範囲のものにおきかえ、本質に近いところをしっかりと把握してくるのだ。


 一を聞いて十を知る


 正司の場合、それに当てはまる。

 ミュゼは毎回、正司の持つ知識と理解力のアンバランスさに眩暈を覚えるのだった。


 一方の正司はというと……かなりアップアップしていた。

 新しいことを学ぶのは好きであるし、これまで培った日本での勉強が役立つこともある。

 ダテに大学まで出ていない。


 それにミュゼが懇切丁寧に教えてくれるので、「頑張らねば」と思う気持ちも強い。

 それでも異世界の常識を詰め込むには、いささか量が多すぎた。


 記憶力に自信のあった十代ならばまだしも、30歳ともなると、心身共に疲れが見え始める年頃である。


 教えてもらったことを翌日までに理解しておくのは、なかなか骨の折れる作業だったのである。


「本日は、棄民についてお話しいたしますわね」

「はい、よろしくお願いします」


 正司は身構えた。

 ミュゼの話は大変分かりやすく、詳しい。


 だが、その発生からの歴史、概略など、必要と思える情報だけでもかなり多い。

 各国での違いや、国民のとらえ方の差異までも、立て板に水のようにスラスラと話すのである。


 そうなると、正司はもう、一言も聞き漏らせない。

 午前中は、大変緊張の強いられる時間帯なのである。


「人の歴史は、飢えとの戦いの歴史でもあります。それはいまも続いています。およそ150年前、帝国のシュナイダーという人が、ある画期的な経済指標『ローカウント値』を発表しました」


 ミュゼはそらんじているらしく、何も見ずにスラスラと説明していく。

 シュナイダーの提唱した『ローカウント値』を要約すると、以下のようになる。


 人が1年間で食べる食料の量や、畑やそれ以外の土地の割合、畑からあがる収量などいくつかの項目を表示し、それを合算させる。

 必要なものをすべて数値化したのだ。


「ローカウント値が100になると、その町、その国は、『飽和状態』と判断されます。適正値は85から95の間。70以下ですと人が生活してゆくのに不便な環境、50を下回れば過疎化して、早急な対策が必要とされる数値となります」


「数字の多寡によって、判断するわけですね。とてもおもしろい考えです」

 人口や農地が多い少ないだけで判断しているのではないらしい。


 日本でも、作付け率や緑化率など、国内の生産能力を面積で試算する試みは昔から行われてきた。


 古くは石高こくだかといって、収穫した米の体積で表してきた。

 一石いっこくとは、兵ひとりが1年間に食べる米の量が基準としたものであり、戦時の動員兵力を算出するのに使われた。


 個人がどれだけの土地を持っているのか、国内にどれだけの畑があるのかを全国的に測量することも行われてきた。

 太閤検地は有名な話であるし、この世界で似たようなことを考える者がいても不思議ではない。


「150年前、帝国のとある町でローカウント値を実際に算出したところ、140を越えていました。150を越えると、食料が十分に行き渡らなくなり、餓死者が出る数値となります」


 町と言っても、周辺の村を含んだ大きな共同体の話らしい。

 小さな国と同じレベルだ。


 そこで算出された数値は、為政者が「もしかしたら」と思っていたことを目に見える形にした。

 その町はすでに人が多すぎて、パンク寸前だったのだ。


 供給より消費の方が多い。

 畑は有限で、これ以上増やすことは難しい。

 たったこれだけのことで、町は破裂しようとしていた。


「他から食料を買い続けられるのでしたら、まだ良かったでしょう。ですが他の町も同じような状況。いつ余剰分が無くなるか分かりません」


 その町の為政者は、抜本的な改革に乗り出したらしい。

 住居を持たない者たちを町から閉め出したのである。


 とにかく町には人が多かったから、職を持たない者は大勢いた。

 住むところもなく、生産的な生活を送っていない者たちは、町全体の1割にも届いたという。


 完全失業率が10パーセントと聞くと、不況時にはありえる数値と思いがちである。

 それは飽食の時代ならばそうだろう。


 人がいて物がない場合、物価が上がる。そして不況である。

 不況下の物価高ほど恐ろしいものはない。


(たしかスタグフレーションというのでしたっけ)


 日本で言えば、オイルショックの時代であろう。

 流言飛語が飛び交い、資産を持つ者が買い溜めに走り、十分な量があるにもかかわらず市場には物が流れない。


 正司の両親が子供の頃、オイルショックを経験している。

 トイレットペーパー1個買うために、何件もスーパーをはしごしたらしい。


 正司の母はあれ以降、洗剤やトイレットペーパーを絶対に切らさない人間となった。

 必ず複数を買い置きしておくのである。


 この世界でも似たようなことが起こるのは容易に想像できる。

 なまじ平等意識がないからこそ、より酷い状況すらも起こりえる。


 物がない状態で、権力と富を持つ者から順に買い溜めにはしれば、下層の者たちに餓死者が出るのは至極当然と言えた。


 不安は噂となって飛び交う。

 その前に、町を健全な状態へ戻そうとするのは、為政者としても当然の行為であろう。


 追い出された人からしたら、たまった話ではないが。


 町から閉め出された人々は、当然他の町へ散っていく。

 その町のローカウント値は下がり、政策は一見成功したように見える。


 だが、似たような現象が他の町でも見られるのならば、問題の先送りである。

 人々は少しずつ居場所を奪われ、飽和した町から毎回、追い出されていく。


 次第に町に住むことを諦め、魔物の出ない地に集まって暮らすようになる。

 自分たちで魔物避けの柵を作り、粗末な囲いで細々と暮らすのである。


 そんな人々の姿は、帝国内のどこにでも見られるようになった。


 国も余裕があるわけでなく、そのような人々を放置した。

 国の管理から逃れた者たちということで、彼らの存在はいないことにされた。


 棄民の始まりである。


「結局、棄民は帝国内の多くの場所で発生しましたの。それがのちの叛乱勢力に繋がるわけですけれども」


 余談になるが、帝国の治世に異を唱える者たちは、そういった棄民の集まる地をうまく利用しているらしい。

 町や村と棄民の集まる地双方に根を張り、うまく隠れつつ帝国に反旗を翻している。


 こうして帝国では、いまも多くの棄民が集団で暮らしている。


 一方、大陸の西側はというと、国の歴史が帝国よりも浅く、人口が増えるのに時間がかかったこともあって、それほど深刻な問題には発展してこなかった。


 だが西側諸国とて、人口は徐々に増えつつある。

 すでに国土の狭いラマ国などでは、多くの棄民が出ている。


 エルヴァル王国も商業優先の国家であるため、その辺は厳しい。

 利益にならない人はバッサリと捨て去る政策を行ってくる。


「棄民が一番多いのは帝国ですけれども、大陸のこちら側では、ラマ国が多く、続いてエルヴァル王国ですわ。ミルドラルが一番少ないですけど、皆無ではありません」


「なぜミルドラルが一番少ないのですか?」

「そうですわね。昔から国民の数が少なかったからだと思います」


「ミルドラルのローカウント値はどうなのでしょう?」


「一番棄民が少ないのがここ、トエルザード領です。それでも各町のローカウント値は、100を越えています」


 つまりトエルザード領ですら、余裕はないということだ。




 午前中の講義が終わった。

(結局、魔物の湧く地があるのが問題なのですね)


 人の住める地が限られているため、どうやったところで、限界がくる。

 根本的に解決しようと思ったら、『変化』か『浸食』によって、魔物の湧く地を減らさなければならない。


(難しいものですね)


 それは実質、解決策がないと言っているようなものだ。


 昼食のあとは、クエストの続きとなる。

 昨日はムロバツの町へ行き、そこからミュゼを抱えてリアムの村まで走った。


(今日は、リアムの村の先に行くようなのですけど……)

 どう考えても、魔物の出る地を突っ切るように白線が伸びていた。


 正司はミュゼを見る。

 昨日とは違い、今日は動きやすい格好で待機している。行く気満々だ。


「どのようにクエストを解決するのか、楽しみにしておりますわ」

 ニッコリと微笑まれて、正司は何も言えなかった。


「で、ではまずリアムの村へ行きます」

「はい。本日もよろしくお願いしますね」


 瞬間移動で村まで跳んでから、正司は白線が伸びた先を目視する。

 やはり魔物が出る地の中へと伸びている。


「それでこれからどうするのでしょう?」

「山の方へ行きます。ミュゼさんはこの村で待っていてもらうということは……」


 ミュゼが両手を差し出してきたので、正司は諦めた。

 優しく抱き寄せて、魔物の出る山道に分け入ったのである。


 昨日のような街道を進む速さを出すわけにはいかない。

 木々が密集していたり、魔物が近くにいたりする。


 正司は〈火魔法〉で火球を上空に打ち上げて、障害になりそうな魔物を事前に屠っていく。

 マップを見ながらなので、すべて自動オートだ。


 正司自身は、木々に当たらないように精神を集中させている。


 山を登り、下る。

 すると、山の麓に木柵で囲われた一帯が見えた。明らかに人の手が入っている。


 マップの白線は、その木柵の中へ伸びている。

(虹彫り師のミメイさんがいる『飛び地』でしょうか)


 木柵を跳び越えてから、ミュゼを下ろす。

 今回は速度を落として進んだため、ミュゼも目を回すことはない。


「タダシさん、あの次々と打ち上げた火の玉は何だったのでしょうか」

 その代わりミュゼは、一風変わった攻撃魔法について聞いてきた。


「邪魔な魔物を倒しただけですけど?」

「分かりましたよね?」と不思議そうに返す正司に、ミュゼは「やはりそうでしたか」と小さく息を呑んだ。


 明らかに視界の通っていない場所に飛んでいっていた。

 そこに魔物がいたとして、どうやって攻撃を当てていたのか。


 リーザから土魔法で周囲を探知できると聞いていたものの、その正確さに空恐ろしいものを感じた。

 あれが魔物ではなく人でも同じだろう。


 見えない場所にいる兵を上空から次々と攻撃……もちろんミュゼは正司に可能かどうかなんて聞かない。

 聞いたところで、結果が分かっているからだ。




 木柵で囲まれた飛び地には、大きな集会所のような建物がひとつと、周囲に小屋が複数あるだけのこぢんまりとしたものだった。


 大きな建物の中ではノミを振るうカーンという音が複数、鳴り響いている。

 正司は白線の指し示す小屋へ向かった。


「あら? だれかしら?」


 戸を叩くと、中から十代の女性が現れた。

 髪をうしろで束ねており、首筋にはうっすらと汗が光っている。


 無骨な革のエプロンの前ポケットには、複数のノミらしきものが収まっていた。

 どこからどう見ても職人である。


 マップの白線はその人を指している。


「はじめまして、私はタダシと申します。もしかして、ミメイさんでしょうか」

「ええ……いかにもわたしはミメイですけど……行商の方?」


 肩幅が広く、やや骨張った印象を受けるが、見た目はスポーツ少女である。


「行商ではありませんが、少々ミメイさんにお話がありまして、ここを訪れさせていただきました」

 アンドレとの約束で、名前を出さないことになっている。


 そこで正司は、ミメイの境遇を人づてに聞いたということにした。

 税を払えなくて村を出て行った一族がいると聞き、伝統技能を失わせるには忍びなく、なんとかできないかと訪ねてきたという感じだ。


 正司だけならば、うさん臭い話だと思われたかもしれない。

 だが、ここでミュゼの存在が一役買った。


「こうみえても、タダシさんは優秀な魔法使いなのですの」

 人を自然に従わせるオーラのようなものを醸し出すミュゼに、「そうですか、魔法使い……」と、ミメイは素直に信じた。


「この度の件、話を聞きました。もしよろしければ、私に解決のお手伝いさせていただけないでしょうか」

「立ち話も何ですから、中へどうぞ。散らかってますけど」


 作業中らしく、小屋の中には作りかけの品がいくつも置かれていた。

 やや埃っぽい。


 客人を迎え入れるスペースなどはあるはずもなく、正司たちはその辺に置かれている丸太に座った。


「私が町や村で聞いた話なのですが……」

 そう前置きして、アンドレとゲンゾから聞いた話をミメイにする。


 一通り正司の話を聞いたミメイは、苦笑した。


「未熟なわたしのためにわざわざ来て戴き、ありがとうございます。虹彫り師は他の村でも何人かいますので、私の一族が途絶えたとしても大きく影響あるとは思えませんが、気に掛けていただけただけでも、大変嬉しいです。ですが……」


「ですが?」


 先ほどから、ミメイの苦笑が気になっていた。

 正司が話している間中、ずっと浮かべていたのだ。


「わたしが村を出たのは……一族がわたしについてきたのは、別の理由があるのです」

「……と言いますと?」


「村の魔物狩人に期待できない……これが大きな理由なのです」

 それ以外はクリアできる些細な問題だと、ミメイは意外にもサバサバしていた。


 ミメイのような独自魔法を使う者を『虹彫り師』という。

 一族の者はたんに『彫り師』と呼んで区別する。

 これは魔法によって綺麗な虹色を出せるかどうかの違いだ。


 七葉樹の木を伐採する際、彫り師か虹彫り師が伐る木を選ぶ。

 その際、村の魔物狩人が護衛するのが習わしとなっている。


 だが、リアムの村の魔物狩人は質が悪く、意識も低い。

 村の近くにある場所ばかり行きたがって、ここの群生地へ向かうことを嫌がるらしい。


 理由は簡単。

 魔物狩人と言っても、行き帰りはほとんど魔物が出ない道を通る。

 伐採中こそ警備するものの、いざ魔物が出た際も、完全に対処しきれないこともあるという。


「わたしの両親はそれで亡くなったのです。金だけはしっかり取るくせに仕事は半人前。ですけど、村の取り決めで、他に雇うこともできない。遠出は嫌がるし、文句も多い。正直、あの村で虹彫り師をするのは限界を感じていたのです」


 昨日ゲンゾと名乗った魔物狩人を思い出す。

 たしかにどこにでもいる老人といった感じで、魔物とやり合うタイプには見えなかった。


「税が払えないので、村から出ていったと聞きましたが」


「税が払えない……のは本当ですね。あれは村の割り当てがおかしいと思います。未熟な品を出すわけにもいかないので、いまは廃業しています」

「聞いています」


「ですが、怪我や病気ではなく、勝手に休んでいるだけだから、税の割当は変わらないと言われたのです」


 収入がないのはミメイの都合なのだと言われたらしい。


「以前と同額を支払えって言うのは本来おかしいのです。その年の収入具合によって税が変動するのが当たり前。何のために毎年の税額が変動しているのかと言いたいですね」


 村で収入が減ったら、しっかりと減税を申し出てなんとかするのが村長の仕事ではないのか。

 それを町の言いなりになって村人に辛くあたるのでは、住んでいる方が嫌になる。


「払おうと思えば、払えたのですか?」

「いや、金が無いのは本当ですよ。村長は貸すと言われたのですが、不満が溜まったところでその話でしょう。もういいやって思ったんです」


 アンドレの話と細部は若干違う。

 なるほど、これは本人に聞いてみるものだと、正司は思った。


 魔物狩人のゲンゾと実際に会った正司だから分かる。


 ゲンゾが村の魔物狩人の平均より著しく低いならば別だが、あのレベルの者たちが護衛についたところで、魔物相手では気休めにしかならない。


 村の決まりで他から雇えないならば、村に固執する必要はないのも頷ける。

 そこで正司はある疑問に行き着いた。


「村から伐採地までの道は安全と伺いましたが、そこは魔物が湧かないのですか?」

「いいえ、崖をくり抜いたのです。そうすることで、魔物の湧く条件から外れますから」


「えっと、魔物の条件が変わるというのは……『変化』でしょうか」

「そうなのでしょうか。詳しいことは分かりませんけど、山肌を抉るように掘って道を作れば、そこに魔物は湧かないのはよく知られたところですよ」


「そうなのですか?」

「昔の村人たちが何十年もかけて道を作ったので、相当昔から知られていたんだと思います」


「へえ、そうだったのですか」


 崖をくり抜いて道を作る。しかも何十年もかけて。

 かなりの大工事だろう。


(昔、テレビで似たようなものを見たことがありますね)


 東南アジアでロープや鎖が打ち付けてある危険な道を通って通学する子供たちの映像をみたことがあった。


(あれも崖を削って、足下を確保してありましたね。ああいう感じで道を作ったのでしょうか)


「それは『変化』とは少し違う現象ね」

 正司が考え込んでいると、ミュゼが補足してくれた。


 すでに魔物の湧く環境である場合、同じ場所(・・・・)とみなされれば、そこに魔物は湧かないらしい。


 たとえば、山の洞窟などがそれにあたる。

 山全体が魔物の湧く環境であるならば、同じ場所にある洞窟の中には魔物は湧かない。


(ボスワンでは洞窟を作りましたけど、あの洞窟をどんどん奥に広げていっても、大丈夫だったのですね)


 同じ場所とみなされるよう、山肌を削ったようだ。


「昔の人は色々考えますね。……それならば、魔物狩人の仕事は楽になりますね」

 往復の道には魔物が出ない。伐採中のみ集中していればいいいのだ。


「村の魔物狩人の質は下がる一方でした」

 ミメイが見切りを付けた理由は、その辺にあるようだ。


「でもここは、かなり不便ではないのでしょうか」


「そうですね。村には行きたくないから、町まで往復するのは大変です。数日かけて山を越えて往復しているわ」


 山を越えて、ムロバツの町まで買い出しに行くらしい。

 アンドレの言葉ではないが、こんな生活を何年も続けていたら、それこそ死人が出てもおかしくない。


 最初、ミメイとその一族は村を追われたと思っていたが、それは違っていた。

 かといって、意地を張っているわけでもない。


 村に対する不信感が根底にある。

 いうなれば、生き残るために緊急退避した感じだ。


 クエストのクリア条件は、魔物の脅威を無くすことと、アンドレの名を出さないこと。

 ミメイと会って話をしたいま、少しずつだが方向性が見えてきた。


「あの、ミメイさん。私は土魔法を使えます。土壁でこの飛び地を囲いたいと思うのですが、どうでしょうか」


 まず居住区の安全確保が最優先である。

 木柵だけでは、いつ魔物に破られるか分からない。


「それは助かりますけど、いまは税も払えない状況です。とても代価を払う余裕はありません」


「いえいえお代は戴きません。もちろん、お代以外で何か要求することもありません。ただ、ここに土壁を作りたいのです。ですから、先に来ていらっしゃるミメイさんたちに許可を得たいという話です」


「つまり、タダシさんが自主的にってことですか?」


「そうなります。作りたいと思うのは私で、作るのも私です。ミメイさんたちには一切関係のないことです。先住されていますので、許可を戴けたらと思います」


「そういうことでしたら、願ったり叶ったりですけど……」

「ありがとうございます。では早速作らせてください」


「どのくらいの期間で、できる……ん……えっ!?」


 正司が手を上げたときにはもう、壁が出現していた。

 高さ20メートルほどある頑丈な土壁だ。


「木柵の外側に沿うようにして作りました。出入り口を作りたいのですが、どこがいいでしょうか?」

「ええっ!? うそ……い、今まで壁なんて……」


 つい先ほどまでは、丸太を組んだだけの木柵があった。

 いまは、どこの要塞だというような壁がそそり上がっている。


 町の擁壁より立派な……それこそ城や砦に使われるような壁を目にして、ミメイは何度も目をしばたたく。


「魔道士……様?」

「入り口ですけど、二カ所くらいでよろしいでしょうか」


「え……ええ……」

「扉は鉄製にしておきますね。山が近いですので、鉄も集めやすいですから」


 あっという間に壁を切り取り、鉄でできた引き戸が付けられた。

 壁の上部へあがる階段も設置され、警備も万全だ。


 飛び地の中央に、遠見櫓もいつの間にかできていた。


 そんなとき、集会所の建物から20人ほどの人間が飛び出してきた。

 地揺れがおこったので、何事かと思ったようだ。


 彼らはみなミメイと同じ服装をしている。

 彫り師たちだろう。


 そして壁を見上げ、半ばパニックに陥っていた。

 閉じ込められたと勘違いして走り出した者もいる。


「ちょっと! 待って! これは壁! 壁なのよ! 大魔道士様が……話を聞いて!」

 慌ててミメイが事情を説明しにいく。


 といっても、ミメイもよく分かっていない。

 説明しているのか、叫んでいるのか分からない状況だが、彫り師たちはみなミメイの周囲に集まっている。


 そもそもミメイだって何も知らない。

 魔道士がやってきて自分たちの話をしたら、壁を提案された。


 了承したらデカい壁が出来上がった。

 そのくらいしか、伝えようがない。


「なるほど……これがタダシさんの魔法。話に聞いていた通り……いえ、それ以上ね」

 ミュゼはもちろん一般的な魔法について詳しい。


 魔法だけでなく、魔法使いや魔道士、魔道具についても詳しい。


 その常識に照らし合わせると、一瞬で巨大な壁を作るのは、どんな魔道士であろうとも不可能であることを知っている。


 また、普通の魔道士は秘薬ひやくなどで威力を底上げするのが普通である。

 ある意味ドーピングだが、それをしないと、効果が数十パーセントほど落ちるのである。


 また呪文の詠唱も同様だ。

 あるとないでは、効果が目に見えて違う。


 つまり、正司がミュゼの目の前で起こした事象は、魔法ではなく奇跡と呼んで差し支えない。


「世界の神秘……眉唾ではないのかもしれませんわね」


 世界の神秘が本物ならば、少なくとも大陸の西全部、へたをすると大陸すべてに関わるほど大事おおごとになるかもしれない。


 慎重にしなければと、ミュゼは背中に冷や汗が流れるのを止めることができなかった。


 一方の正司は、これで満足していなかった。

 たったこれだけで、アンドレに言われた内容をクリアできたとは言い難いからだ。


(壁だけで魔物の被害をなくすのは難しいですね)

 今回のクエストは頭を使う。


 問題はミメイたちが村に帰りたがらないことだ。

 この飛び地での生活は、生命の危機に直結する。


(この後、どのような解決策があるでしょうか)


 正司は考えた。おそらく解決策はひとつ。

 村に住んでいたのと同じ状態にできればいいのである。


(となると……町までの安全確保ですね。ん……そういえば)


 つい今し方、解決策に繋がる話を聞いた。

 山に穿たれた洞窟ならば、魔物は湧かない。


 なぜならば、山の上に魔物が湧くので、同じ場所に別の魔物が湧くことはないからだ。


(そうだ、それにしましょう)

 いいことを思いついたとばかりに、正司の顔が輝く。


「ミュゼさん、このあと私はクエストの残りをこなそうと思います。少々時間がかかりますので、申し訳ありませんが、町で待っていてもらえないでしょうか」


「わ、分かりましたわ」

「ありがとうございます。では町に運びますね」


 まだ土魔法の驚きから醒めやらないミュゼは、半分くらい思考停止状態であった。

 残り半分は、正司が作った巨大な壁を現実とすり合わせることに使っていた。


 才能のある魔道士がすべてを捨てて修業に費やせば、このような魔法が可能かどうか。

 過去の実例や文献にあった内容を思い出し、頭の中で検証していたのだ。


 そのため、現実に割くリソースが不足していた。


 正司から時間がかかると言われて、「魔力を回復させる時間?」などと、漠然・・と考えてしまった。


 ゆえに聞き返すことすら頭に浮かばず、そのまま「だく」と答えてしまったのだ。


 ミュゼをムロバツの町へおろし、正司は「では行ってきます」とすぐに消えた。


(町から飛び地までは結構離れていますね。およそ10キロメートルですか)

 飛び地から町までトンネルを掘ろうと正司は考えていた。


 そうすれば町まで魔物に襲われることはない。

 アンドレとの約束も果たせる。


(どうせならば、しっかりしたものを作りたいですね)




 ミュゼを町に送ってからおよそ三時間後。

 ムロバツの町を小さな地揺れが襲った。


 町民があまりに騒ぐので、ミュゼもその場所へ向かった。

 そこには……。


「……ま、まさか」


 幅30メートル、高さ10メートルある低いかまぼこ型のトンネルが山に出現していた。

 トンネルの奥はあまりに遠すぎて、見通すことができない。


 人工的なフォルムに加え、天井には等間隔で灯りの魔道具が備え付けられている。


「あっ、ミュゼさん。終わりました」


 巨大なトンネルの中央に立ち、ミュゼに向かって手を振るのは、紛れもなく正司であった。


「タダシさん、な、何をしたのです?」

「飛び地から町までトンネルを繋げたんです。これなら行き帰りも安心ですよね」


「……か、壁は?」

 魔物の脅威から守るには、あの要塞のような土塁でいいではないか。

 そうミュゼは思った。


「大丈夫です。ちゃんと出入り口をもうひとつ作って、トンネルと壁を直接繋げましたから。ノーリスクで町まで行き来できます」


 いや違う。

 そんな話を聞きたいのではない。


 ミュゼはあの壁だけで十分ではなかったのかと言いたかったのだ。


 もう一度トンネルを見る。

 巨大だ。あまりに巨大すぎる。


「これは……予想外……というか、予想の斜め上を……行ったわ」

 背後にガヤガヤと人の声が聞こえる。


 ミュゼが振り向くと、何百人という人々がそこに集まっていた。


「隠すこと……できないわね」

 町には他国の商人もいる。


 実際にトンネルができているのだから、今いなくても噂は広がるだろう。


 何十年も工事して、つい今し方完成したと主張するには無理がある。


 飛び地側に何もなかったのは、あの20人が証言するだろうし、何十年も工事していて、近隣の村人たちがだれ一人知らなかったなんてこともありえない。


 隠すだけ無駄である。


 だが、ほんの数時間であの飛び地と町を結ぶトンネルが掘れるものなのだろうか。

 ミュゼの知識と常識が、「絶対にありえない」と言っている。


「これでクエストはクリアになるんじゃないかと思うのですけど、どう思います? 駄目ですかね?」


 心細そうに聞いてくる正司の顔をつねってやりたい。

 ミュゼは衆人環境の中であるにもかかわらず、本気で思ってしまった。


 これが外交上、どう扱われるのか、正司は何も理解していないに違いない。

 公式、非公式問わず、なんらかの反応はあるだろう。


 町に入ってくる諜報者の数は、それこそ10倍に跳ね上がってもおかしくない。

 それで情報が得られるなら、ちっとも惜しくないと考えるだろう。


「予想の斜め上の対処は考えていなかったですわ。あの出口付近にあるの……あれ、灯りの魔道具かしら」


 心を落ちつかせるため、何か別のことを考えよう。

 そう思ってミュゼは、たまたま目に付いた灯りに言及した。


「トンネルが少し長く――全長10キロメートルあるのです。ですから、中が暗くならないように灯りの魔道具を埋め込みました。数は少ないですけど」


 灯りの魔道具は、以前まとめて作って『保管庫』のこやしになっていたものだ。


「そう、やはり灯りの魔道具なのですわね。数が少ないというと、入口と出口につけたのかしら」


「いえ、等間隔に100個ほど埋め込んだんですけど……やはり足りないですかね」

 それはおよそ100メートル間隔である。


「100個……魔道具が100個?」

 本気かしら? 本気よねと、ミュゼは目頭を押さえた。


(あっ、リーザさんと同じポーズ)


 それを見て、さすが親子ですねと、正司は妙なところで感心した。




 そしてアンドレだが、ラクージュの町から馬を走らせたらしく、たまたまムロバツの町に来ていた。

 そのためトンネルの所にいた正司をすぐに見つけ出した。


 正司はアンドレにこれまでの経緯を話し、飛び地に壁ができ、町まではトンネルが開通したことを告げた。


 大きく驚くアンドレだったが、その結果には大満足で、クエストは成功判定。

 正司は貢献値1を取得することができた。


 大喜びの正司の横で、沈痛な面持ちをしているのが、先日まで強者のオーラを放ちまくっていたミュゼだと気付いたアンドレは、秘かに驚くのであった。


 たった二日で何があったのだと。




 その日の夜。

 書類と格闘しているリーザの肩をミュゼが優しく揉んだ。


「あの、お母様? どうしたのですか?」

「苦労したのね、あなたも」


 しみじみと……それこそ、慈愛の篭もった目で見つめられ、リーザは困惑した。


「はい……あの?」

「いいのよ……道中、大変でしたわよね」


「えっと……?」

 激しく困惑するリーザの肩をミュゼは優しく揉みほぐすのであった。



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