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044 虹彫り師の村

「ムロバツの町の周囲には、いくつか村があります。リアムの村はご存じでしょうか」


 当然正司には、聞き覚えがなかった。

 一方ミュゼはというと、納得したように小さく頷いた。


「もしかしてと思いましたが、『虹彫にじほり』をあなたは扱っているのね」

「はい、その通りです」


 行商人のアンドレはムロバツの町出身らしく、その周囲にあるいくつかの村に顔が利く。

 そのツテで、村の特産品であり、稀少な工芸品である『虹彫り』をこの町に卸しているらしい。


 虹彫りとは、七葉樹しちようじゅの木を使った彫り物のことで、鮮やかな七色をした木彫りの置物、もしくはその実用工芸品を指す。


 ムロバツの町付近の山に七葉樹と呼ばれる木が生えている。

 その木は、毎年つける葉の形が違うという特徴がある。

 葉の形は七種類。七年周期でもとに戻る珍しい木だ。


 毎年、葉の形が違うだけでなく、幹の色も少しずつ変わるらしい。

 つまり七葉樹を輪切りにすると、年輪ごとに色が変わってゆき、七年でまた同じ色に戻るようになる。

 ゆえに『にじの木』などと呼ばれている。


 この木で彫り物をすると、うっすらと色が表に出てきて、それは幻想的な色合いになる。

 七葉樹がムロバツの町周辺にしか生えていないこともあり、工芸品は高値で取り引きされる。

 年ごとに幹の色が違うため、好事家などは表面の色違いで複数種類同じ置物を揃えたりすることもあるらしい。


 リアムの村というのは、その虹彫りを生産する村のひとつであるらしい。


「二年前、リアムの村で虹彫師の老人が亡くなりました。まだまだ元気だったのですが、山で倒れてそのまま……あとを継ぐために修行中だった孫娘のミメイは未熟。どうしても鮮やかな色が出せません。ミメイの一族は、収入の道が閉ざされました」


 七葉樹の幹に七色が付いているとはいえ、それはうっすらとしたものである。

 ただ彫るだけならば、だれでも出来る。


 そのうっすらと付いた色を鮮やかにしてみせるのが『虹彫り師』であるらしい。

 そういう独自魔法があるらしく、周辺の村でも、虹彫り師になれる者は限られているという。


 ミメイの両親は木の伐採中に魔物に襲われ死んでいる。

 一族の継承者はミメイしか残っておらず、ものになるまであと数年はかかる。


 ミメイがものになる前に、一族の蓄えが尽きてしまった。

 生活するのには金がかかるし、税金も払わねばならない。


 一族はやむなく村を出て、山間にある飛び地に住んでいるという。

「その一族の方々は何人くらいいるのでしょうか」


「二十名ほどです。幸い、七葉樹の群生地の近くに魔物の湧かない飛び地があります。休憩地として利用していた場所なのですが、いまはそこへ身を寄せています」


 魔物の湧かない場所は、探せばそれなりに存在している。

 ただ、あまりに不便だったりするため村として活用できない。


 何しろ、そこへ至る道すら、なかったりする。

 本当に「魔物が湧かない場所」というだけで、周辺から魔物は流れてくるため、危険極まりないのだ。


 ミメイを中心としたその一族は、村を出てそんな飛び地へ移住したという。


「虹彫りというのは、伝統工芸品なわけですよね。たとえばですけど、働かなくても数年くらい暮らしていけるような金額で売れたりしないのですか?」


「ひとつ彫るのに、多くの人の手が掛かります。年に数体完成します。おっしゃるようにかなりの高値で売れています。ですが、養う家族も多いですから、何年も暮らせるような余裕はないのが実情です」


 とくにミメイの場合、父親が健在ならば状況は違った。

 ミメイの父親は一人前の彫り師であったし、虹彫りの置物の需要はいくらでもある。


 ただ運悪く魔物に襲われ、命を落としてしまった。

 そのため、祖父が現役でミメイを育てつつ、一族を引っ張ってきた。


 だが高齢ゆえか、無理が祟ったのか、老人は志半ばで力尽きてしまった。

 残されたのは、一人前になるには力が足りない孫娘のみ。


 一族はミメイを見捨てて他の虹彫り師の所へ行ってもよかったが、一人前になるまで一緒に待つということで、現在も行動を共にしているのだという。


「そもそも一人前になるには、繰り返し鍛錬しなければなりません。多くの経験が必要なのです」

 一族は未熟なミメイの鍛錬のために、日夜「彫り」を続けているという。


「ミメイさんたちの一族は村を出て、どこへ向かったのですか?」

「村から山をひとつ越えたところにある飛び地です。その近くに七葉樹が多く生えています」


 飛び地まで直線ならば数キロメートルだが、山を越えるため一日掛かりの行程となる。

 そして魔物の出る道なき道をゆくため、飛び地と村へ往復するだけでも命がけである。


「ミュゼさん、これは棄民きみんと同じでしょうか」


「そうですわね。トエルザード領内のこととはいえ、管理している町や村以外に住んでいる人たちには、町や村に課せられている義務がありません。かわりにどのような救済も受けられません」


 税などの義務を負わないかわりに、何の庇護も受けられない。

 この魔物が跋扈する地で彼らは、身を小さくしながら生きていくことになる。


 そもそも飛び地に住むのは、二十人。大所帯である。

 何もないところでは、最低限度の生活をするだけでも大変だ。


 日用品から食料まですべて町や村へ買い出しに出なければならない。


「月に一度、体力のある者たちが村へ買い出しに来ていましたが、大小の怪我は絶えないようです。ミメイに付いていった一族の者たちも高齢な者が多く、このままではいつ死者が出るか分からない状況。何とかしたいと思うものの、その方策がないのです」


「なるほど、そういう話ですか……」

 正司は考えた。


 クエストはまだ始まらないが、アンドレの話からすると、ミメイが一人前の虹彫り師になるまであと数年。


 たとえばその間の金銭を正司が補填すれば、ミメイたちは村で暮らせる。

 金だけで問題は解決するかもしれない。


 もしくはトエルザード家がなんらかの措置を講じるという方法だってある。

 なにしろ、伝統工芸の技術だ。税金が払えないからと技術を失わせるには惜しい。


 技術を担保に、税金を待ってもいいのではないだろうか。

 どのようなクエストになるか分からないが、すぐ解決できそうである。


「それでアンドレさんは、何について悩んでいるのでしょう?」


「俺は最初、ミメイに援助を申し出たんです。後のことを考えれば、税金分くらい先払いという形で出すことができますから」


「なるほど、商人ですものね。必要な投資だと思います」

 設備投資だけではない。人材に投資するのもまた、商売をする上で必要なことだ。


 アンドレはそれを申し出たらしい。

 だが、現在も困っているということは、援助の申し出がうまくいかなかったのだろう。


「商人のヒモ付きになるのは嫌だと、一族も反対しているようです。自分たちで乗り越えられると言っています。たしかに、あと数年我慢すれば、またもとの生活に戻れるでしょう。ですがその数年の間に、魔物によって誰かが死ぬかもしれません。それこそ、先代の息子夫婦が亡くなったときのように、後継者が死ぬかもしれないのです。俺はそれを止めさせたい。だけどできない。ならばせめて、魔物の脅威だけでも減らしたいのです。……都合のいい悩みだとは思いますが、可能でしょうか」


 クエストを受諾しますか? 受諾/拒否


(ちょっ……まっ、待って! 魔物の脅威を減らしたいで、クエストが表示されたのですけど)

 さすがに正司は困った。


 もちろん、『受諾』を押したが、自然発生する魔物の脅威を減らしてほしいとは穏やかな話ではない。

 話を聞いた限りでは、解決策の糸口が見えない。


(これはミメイさんだけでなく、一族も含めてでしょうか。指定していなかったので、そうなのでしょうね。それで魔物の脅威を減らす……んですよね。棄民の住む飛び地で魔物の脅威を減らす……?)


 正司が困惑している間に、ミュゼが「他に何かありそうな顔ですわよ」と先を促した。

 まだ先があるのか。


「できれば、ミメイには俺からの依頼だと言うのは伏せてほしいのです。アイツは、そういう所を気にするので……」


 条件が加わった。

 アンドレの話は出さずに、クエストを解決しなければならないらしい。


「……分かりました。アンドレさんの名前は出しません。その代わり、村や町で聞き込みをすることになるかもしれません」


「俺が何かしたと分からなければ、別に構わないと思います。もしかして、引き受けてくれるのですか……?」


「もちろんです。まだ解決策は見えていませんが、全力を尽くします」


「そうですか……それでは、よろしく頼みます」

 アンドレは深く頭を下げた。




 商工会の建物を出て、正司とミュゼは町を歩く。

「あのようにしてクエストを受けるのですね。ですがどうして、彼を選んだのでしょう?」


 繊手せんしゅを顎にあて、ミュゼは不思議そうに尋ねる。

「アンドレさんがクエストを持っているのが、私には分かったのです」

「……?」


 説明しづらいことである。

 テレビゲームによくあるメニュー表示が……と言ったところで、ミュゼには通じない。


 言いたくなくてウソをついていると思われるかもしれないし、信じてもらえない可能性が高い。

 そのため正司は、詳細を語らずに「ただ知っている」と、結果だけを話した。


「まあいいですわ。それで次はどうなさるのでしょう。興味がありますわ」

「そうですね……次の行き先は分かるのですけど、そこで何をするのかまでは分かりません」


 マップに白線が伸びている。南西の方角へ一直線だ。


 正司がその方角を指し示し、先に何があるのかミュゼに尋ねると、「馬車で二日ほど進むと、ムロバツの町がある」と教えてくれた。


 アンドレは、こことムロバツの町を行き来する交易商人と名乗っていた。

 白線の示す先は、そこか、その周辺であろう。


「でしたら、ムロバツの町まで行きたいのですけど……」

 ミュゼと別れて一人で行く……そう正司が思っていると。


「わたくしはムロバツの町まで行ったことがありますわ。瞬間移動の巻物があれば、行けるのではなくって?」


「あっ、そうでした」


 巻物は、作るだけ作って、忘れていた。

 言われて思い出すのだから、この手のことをほとんど正司が重要視していないのが分かる。


「といっても、目の前で人が消えると騒ぎになりますし、どこか移動しましょう」

「はい」


 人通りのない細道へ入り、正司は『保管庫』の巻物をミュゼに渡した。

「では詠み上げますわね」


 ムロバツの町は、ここから南西の山を越えた先にある。

 背中に山脈を背負い、緑豊かな森の中にあった。


 無事、ミュゼの呪文は発動し、ふたりはムロバツの町に出現した。


「ラクージュの町は盆地の中だから木々が少ないですけど、この辺は大木は多いですね」

 町の中にも、樹齢百年はありそうと思える木が生えていた。


「盆地は昔、火山の噴火によってできたと言われていますのよ」

(あっ、火山があるんだ)


 意外なところで、この地の事が分かってしまった。

 火山があるということは、溶岩が大地のはるか下に流れているわけである。


(ということは、この星も地球と似ている環境というわけですね)


「それで、ここからどうするのかしら」

「えっと……こっちです」


 白線の示す方角を指し、そちらへ向かう。

 だが、白線は町の外まで続いていた。


「この先ですの?」

「はい」


「町はここでお終いですわね。みたところ、馬車が一台ギリギリで進める細道……先は村かしら。ちょっと聞いてみましょう」


 ミュゼが道行く人を呼び止め、優しく尋ね、すぐに戻ってきた。

「この先は、リアムの村へ通じているそうよ。馬車で半日かかるみたいですわ」


 ミュゼは思い立ったらすぐに行動し、知りたい情報だけをサッと拾ってくる。

 コミュ障気味の正司だとこうはいかない。


 尋ねる相手を吟味して、当たり障りのない会話からスタートする。

 同じ情報を得るにも、何倍も時間がかかる。


「リアムの村というと、アンドレさんが言っていたところですね」

 ミメイとその一族がかつて住んでいた村だ。


 白線がそこに続いているということは、リアムの村で何かなすべきことがあるのだろう。


「では、リアムの村へいき……」

「この町に『山海亭さんかいてい』という魔物の料理を出すお店がありますの。タダシさん、行きませんこと?」


「そ、そうですね……はい、いいと思います」

 正司は、出鼻を挫かれてしまった。


『山海亭』はこの町一番のレストランらしく、値段も味も一級品らしい。

 魔物料理はあまりラクージュの町では食べられないらしい。


 盆地を越えて運んでくる手間を考えると、値段も跳ね上がるし、鮮度も落ちる。

 食べたいときは、こうして地方の町へ出たときが狙い目らしい。


「たしか、こっちでしたわ」

 ミュゼに連れられて、正司は荷物持ちの小僧のごとく、あとを付いていった。




『山海亭』は重厚な雰囲気のある立派なレストランだった。

 メニューにも値段は書いてなく、ミュゼに聞いたところ時価らしい。


 時価と聞いて怖気だった正司だったが、ついこの前護衛報酬で大量の金銀財宝を貰っている正司からすれば、はした金であろう。


 グレード1の魔物肉は比較的入手しやすく、若者が付近の森に入って狩ってくるらしい。

 それをレストランが買い取るという。


 そのため安定供給されるが、グレード2の肉になると供給量が極端に減る。

 ミュゼと正司がいま食べているのは、グレード3の肉を使った料理である。


「目が飛び出るほどの価格なのでしょうか」と正司が聞くと、ミュゼは「うふふふ」と笑うのみで、答えなかった。


「この場ですけど、タダシさんに魔物と人の領域について少しお話ししようと思いますの」

「はい、お願いします」


 普段の講義の続きだろうと、正司は素直に頷いた。


「森林や砂漠、荒れ地、草原……その他、地域によって湧く魔物の種類が決まっているのは知っていますわね」

「はい。大丈夫です」


「この土地の状態を変えると、魔物は湧かなくなります。ただし湧かなくなるには、それなりの年月が必要です。わたくしたちはこれを『変化』と呼んでいます」


 たとえば森林の木をすべて伐採して草原にする。

 すると森林に湧く魔物が出没しなくなる。これが『変化』だ。


 ただし、これには年単位の時間がかかり、たとえば木をすべて伐ったからといって、即『変化』が起こるわけではない。

 また、草原に変わったことで、草原の魔物が湧くこともある。これも『変化』である。


「環境を変えたことで、魔物の湧く環境が変わったのですね。それを『変化』と呼ぶと」


「その通りです。『変化』はあまり効果がないとされています。ですので、通常魔物が湧く環境を変えるには、『浸食』を選ぶ場合が多いです」


 魔物の湧く領域と魔物が湧かない領域がある。

『変化』のように環境を変えて、魔物の湧かない領域を徐々に増やしていくのだという。


 たとえばある草原で魔物が湧かない。

 反対に隣接している森林では魔物が湧く。


 この場合、草原を広げていくことで、魔物の湧く森林を減らすことができるようになる。

 これが『浸食』である。


「徐々に魔物が湧かない土地を増やしていくわけですか。いいですね」


「ただし、少々『浸食』した程度では意味はありません。魔物が湧く領域を『浸食』するには、最低でも1キロメートルくらいは『浸食』させなければなりません」


「意外と大変そうですね」


「フィーネ公がこの『浸食』を使って、未開地帯を減らそうと大規模な政策を打ち立てました。ところが範囲が広く、また予想以上に予算がかかり、計画の進行が遅れました。結果的に、被害ばかりが広がってしまいました」


 フィーネ公がエルヴァル王国から借金をした理由がこの『浸食』の失敗である。


 未開地帯近くの町を安全にするため、大規模な『浸食』作戦を敢行したが、『浸食』の最中に湧いた多くの魔物によって、作業する人々に大量の死傷者が出てしまったのだ。


「魔物が湧かないようにするのは、大変な作業ですね」


「ええ、いま考えられているのはこの二種類のみです。何もないところに安全地帯を作るには『変化』しかありません。もとからある安全地帯を広げるには、『浸食』が有効です。ですが、多くの人員と多額の費用、そして精強な兵が必要でしょう」


「なるほど……」

 ミュゼがなぜ突然、正司にこんな話をしたのか。


 アンドレの言う「魔物の被害をなくしたい」という言葉を受けてのことだろう。

 この世界の歴史は、魔物との戦いの歴史であり、試行錯誤の繰り返しでもある。


 魔物の被害を無くすことは、どの国でも考えていることであり、抜本的な解決策は、今を持っても、存在していない。


 そしてミュゼは今回、正司に現実を突きつけるだけで、それ以外のフォローはしていない。

 いまの話を踏まえた上で、正司がどう対処するのか。それを確かめようとしているようだった。


「このあと、リアムの村にいきますの? それとも今日は屋敷に戻りますか?」

 町に出たのは昼を過ぎてからだった。


 途中カルリトと会ったり、町中を散策したり、アンドレから話を聞いたりで、時間はそれなりに過ぎている。


「やはり一度、村に行ってみたいと思います」

「でしたらわたくしも付き合いますわ。ですが、どうやって行きますの?」


 リアムの村まで、馬車で半日かかる。

 ミュゼは正司が何をするのか待っている。


「身体強化して、そのまま駆けて行こうと思ったのですけど。そうですね、どうしましょう……か?」


 駆けていくと正司が言い出したとき、ミュゼは両手を正司に向けて伸ばした。

 抱えて行けということらしい。


「それではタダシさん、お願いしますわ」

「……はい?」


 この後、すったもんだを割愛すれば、正司はミュゼを抱えて疾走することになった。


(ずいぶん若いと思いましたけど、肌のきめが細かいのですね)


 見た目からは判断できないが、ミュゼは正司より年上。

 たとえ二十代中頃に見えても、年上なのである。


(私の姉と思えば……姉はいませんけど、姉みたいだと思えば……)

 そう念じながら、正司は前を見て疾走した。


 最近、女性と話す機会が多くなければ、色々極まって、途中で失速していたかもしれない。

 だが正司は耐えた。最後まで耐えきった。


「驚くほど速かったですわ。馬の全力疾走が、子供のヨチヨチ歩きに思えるほどに……」

 口調とは裏腹に、ミュゼの顔色は真っ白になっている。


 馬車で半日の距離である。

 そこをできるだけ早く到着したい正司は、道から外れないギリギリの速度で疾走した。


 道がまっすぐなのをいいことに、およそ十分で村に到着してしまったのだ。

 この速度を体感した者は、この世界の人間では、ミュゼのみ。人類初の経験である。


「この先……みたいです」

 さすがに正司も息が切れている。身体強化を施そうが、体力増強していようが、全力疾走はさすがに堪えた。


 そこから二人は、ノロノロと進む。


 ちなみにミュゼは、移動中の恐怖から、下半身に力が入っていなかったりする。

 そんなことをおくびにも出さないが。


 着いたのは、使い込まれた一軒の古びた小屋。

 山小屋によく使われそうなタイプの建物である。


「少々小さいですが、村の集会所ですわね」

「集会所ですか?」


 集会所と聞いて、公民館や自治会館みたいなものかと正司は考えた。


「村で話し合いをするときに使う建物ですわ。秘密の話をするときは、その人の家に集まるでしょうけど、おおやけの話をするのにこのような建物が必要ですもの」


 公の話とミュゼは言った。

 たとえば税についての話がそれに当たる。


 正司はミュゼから税についても少し学んでいる。

 ミルドラルの税制度は人頭税となる。といっても個人に税が課せられるわけではない。


 税を課すのは村や町の単位である。

 村の場合、面積や人の数、収益の高さから全体の税金が決定される。


 巡回を増やしたり、街道の整備をしたりと『オプション』がつけば、それに応じて税金は上がる。


 ただし、その分キッチリと仕事に公家が責任を持つ。

 そうやって税の不均衡を減らしているのである。


 ちなみに町への税金だが、町の中にある行政区ごとに割り振りがされている。

 商工会などがあれば、そこが間に入って個々の調整をはかる。


 それでも最終的に人頭税という扱いであるため、誰がどれだけ支払ったかは記録される。


 ようは一括して金額を徴収するから、その内訳はみなさんで決めて下さい。

 ただし、不均衡なやり方は許しませんよ、ということになる。


 色々と丸投げているように感じるが、不均衡がないか厳しく調査しているらしいので、うまく機能しているのだろう。


「ん? 村のモンじゃないな?」

 建物の中から老人が出てきた。


 意外なことに、マップの白線はこの人を指している。

「えっと……すみません、少々お時間よろしいでしょうか」


「お時間だぁ? 随分上品な口を叩くじゃねーか……っと、隣のべっぴんさんはコレか? ……ひえっ!?」

 老人が小指を立てたとき、横をチラ見した正司は、背中に冷や水を浴びせられたかと思った。


 笑みを深くしたミュゼの顔が、それはもう……何もいうまい。

 般若になったリーザが可愛く見えるほどである。


「な、な、何なんだ、あんたら! おれに何の用だ」

「すみません、少々話を聞いて欲しいのですけど……えっとですね」


 そこで正司は考えた。

 アンドレのことは秘密にしなければいけない。


「ミメイさんのことで少々……」

「ミメイだぁ? あいつはもう、村にいねえよ」


「ええ、分かっています。その話は聞きました。一族を連れて村を出たとか」


「割り当てられた税が払えねえってんで、自分から出て行ったんだ。なんだ、お前ら? ミメイの知り合いか?」


「知り合いというか、用事があるのですけど……私はタダシと申します。あなたは?」

「ゲンゾだ。魔物狩人やってる」


 魔物狩人と聞いて、正司は首を捻った。

 目の前の老人は、これまで見てきた魔物狩人とは、かなり違う。


 なんというか、弱そう。

 こんなんで魔物が狩れるのだろうか。


「失礼ですが、本当に普段から魔物を狩ってらっしゃる?」

「おれは『虹彫り』に使う木を伐る連中の護衛だ。だったら魔物狩人だろ?」


「七葉樹を伐りに行く人たちの護衛ということですか」


「ああ。いい木ってのがあるみてえでな。伐る木を選ぶのも、彫り師たちがするのよ。おれたちはそれが終わるまで魔物を排除するわけだ。それよか、あんたらさっきから何なんだ? おれが魔物狩人じゃおかしいんか? 文句でもあるのか?」


「いえ、決してそういうわけでは……ただ、知り合いの魔物狩人と随分違ったものでしたので……」

「んだこらぁ!」


 いまのは正司の失言である。思ったことを話すのが最善であるとは限らない。

 今回ばかりは、分かっていて「つい」言ってしまった。


えれ!」

 正司は追い返されてしまった。




 老人は激しい音を立てて戸を閉めた。

 来るなという意思表示だ。


「わたくしが交渉しましょうか?」

 ミュゼの提案に、正司は首を横に振る。


「いえ、もういいみたいです。次の場所へ向かいましたから」

「?」


 あの老人に向かっていた白線は、別の方へ伸びるようになった。

 クエストが更新されたのである。


(しかし、今の会話に意味が? 何だったのでしょう)

 正直、まったく意味が分からない正司であった。


 結局、表面上は進展がないまま、クエストが進行していた。

 白線の先は森の奥地へ向かっている。


 一度来た場所ならば、瞬間移動で再び訪れることができる。

 続きは明日ということにして、正司とミュゼは屋敷に戻ることにした。

 この日のクエストはお終いである。


「ではミュゼさん、跳びます」

「はい。よろしいですわ」


 二人の姿は、リアムの村から忽然と消えた。




 正司とミュゼがクエストを受けていた、ちょうどその頃。

 リーザは屋敷内でずっと書類と格闘していた。


 留学中におきた出来事を調べているのだ。

 そんなとき、めずらしく父親のルンベックから呼び出しがあった。


「お父様、話があると伺いましたが」

 午後の早い時間帯、ルンベックは執務中か、会談中である。


 リーザと話をするにしても、夜になればいくらでも時間がある。

 わざわざ呼び出すなど、何事かと思って向かってみれば、客人がいた。


「紹介しよう。名前は聞いたことがあると思う。アルフォンティア号の船長、ネルゼだ」


「日頃は海の上か港におりますので、お嬢様とお会いするのははじめてになります。ネルゼでございます」

 赤銅色に日焼けした肌を持つ偉丈夫がそこにいた。


 アルフォンティア号は、トエルザード家個人が所有する大型船の名前である。

 それの船長というのだから、ルンベックの信頼厚い人物なのだろう。


「こちらこそはじめまして。娘のリーザでございます。以後お見知りおきくださいませ」

 当主の娘とはいえ、まだ16歳の女子。


 リーザは、未来以外、何も持ち合わせていない。

 格で言えば、リーザはこの部屋で一番下になる。


「聡明なお嬢様と伺っております。将来が楽しみなご息女だとか」

 つまり今はまだ無位無冠の身。


 それでも今日、父が自分をネルゼと引き合わせたのには訳があると考えた。

 ゆえにリーザは、ルンベックが話しはじめるまで静かに待つ。


 ルンベックとネルゼはリーザを前にして簡単な雑談をし、旧交温め合うような素振りをみせた。

 歳が近そうなので、若い頃からの知り合いかも知れない。


(計算されたやりとりみたいね)


 そんなことをリーザが考えていると、ルンベックが懐からある物を取り出した。

 リーザは見たことがある。というか、リーザが父に渡したものだ。


「この巻物の効果をネルゼに調べてもらった。ネルゼ、話してくれ」

 それは〈瞬間移動〉の効果が記された巻物だった。


「はい。リーザお嬢様が持ち込まれたこの巻物ですが、効果は本物です。というか、たまげてしまって、あやうく大失敗をやらかすところでした。私はこれを当主様より預かり、バイラル港からルード港まで跳びました」


 バイラル港とは、トエルザード領にある港だ。大陸の西の端にある。

 一方のルード港は帝国の旧バッタリア領にある。東の端だ。


 船で二ヶ月ほどかかると言われている距離である。

 それを巻物で跳んだと、ネルゼは言った。


「…………」

 分かっていたこととはいえ、正司からもらった巻物の効果に開いた口が塞がらない。


「向こうの家内にあやうく会ってしまうとこでした」

 ネルゼは、バイダルとルードの双方の港に妻がいる。


 見送られて出航したのに近所で鉢合わせしたら説明に困る。

 つい自分のよく知っている場所に跳んでしまったため、大層汗をかいたらしい。


「巻物は帝国領まで一度で跳べる。緊急連絡に使えるため、ネルゼに持たせることにした」


「分かりました。帝国に変事があっても一報が届くのは数ヶ月先ということがなくなるのですね」


「そうだ。私が三公会議に出席している間は、妻とおまえがこの領を守らねばならない。ネルゼと連絡を取り合うこともあるかもしれない」


 この場で三公会議の事を話したということは、ネルゼもまた、王国にまつわる一連の事を知っていると見ていい。


 リーザは素早く頭を働かせ、「私も帝国へ赴くということですか」と尋ねた。

 連絡を取り合う。それはすなわちリーザもまた、ネルゼの元へ行く可能性を意味している。


 リーザの予想が当たったらしく、ルンベックは頷いた。

 帝国へ行く……往復の旅程を考えれば、それは一生叶わないことだとリーザは思っていた。


 だが、ネルゼが巻物を読み上げるだけの時間で到着する。

 大陸はかくも狭くなったものである。


 いや、狭くしたのだ。とある大魔道士が。



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