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043 護衛の報酬

「リーザさんのお母様ですか?」

「そうです」

 鈴が鳴るような声が聞こえた。


「とても……お若く見えます」

 とても二人の子持ちには見えないと言おうとして、正司は思いとどまった。


「あら、おだてても何も出ませんわ」

 ホホッと笑うミュゼの笑顔を見ても、リーザのような娘を持つ年齢には見えない。


(お姉さんと言われても信じてしまいそうです。これが噂の美魔女でしょうか。もしくはエステの賜?)


 見た目だけならば、正司より若く見える。

 二十代と言われれば信じてしまいそうだが、リーザの母というならば三十代にはなっていなければおかしい。


「するとここは、ミュゼ様の書斎でよろしいのでしょうか」

 なぜ自分がここにいるのか、状況がいまいち分かっていない。


「様なんていらないですわ。ミュゼと呼んでくださいな」

「で、では……ミュゼさんで」


「わたくしもタダシさんと呼ばせていただいても?」

「はい、それはもう」


「それではタダシさん。改めましてミュゼですわ。娘たちの命を救っていただき、ありがとうございます。親として、また公家として、お礼を言わせてください」


「あっ、はい。偶然馬車に乗り合わせて良かったです」

 あのとき、リーザはクエストを持っていた。


 つまり、リーザを助けることが「世界に貢献する」ことにつながるとクエスト(?)が判断したことになる。

 正司はそれに従ったまで。


 もちろん、クエストがなければ助けなかったというわけではない。

 だが、おそらく……というかほぼ間違いなく、リーザが偉い人の娘と分かった時点で、そのままオサラバしていたであろう。


 その意味では、クエストがリーザの命を拾ったと言ってよい。


「のちほど夫から護衛の報酬について、話があります。夫と会ってくださいな」

「はい」


 正司は素直に頷いた。

 リーザも、到着したら報酬について、当主から話があると言っていた。


「娘から聞きましたが、タダシさんはこの国や他の国のこと、他にも色々学びたいとか」

「そうなのです。私が知っているのは、実際に歩いた道のりのみです。それ以外については、まだ全然知らない状況です。どこかで一度、しっかりと学びたいと思っています」


 30歳になった正司は、昔のような記憶力を発揮できるわけではない。

 だが、シルバー世代でさえ、セミナーに参加している人がいる時代だ。


 30歳の手習いというのも悪くないと正司は考えている。


「何事も、表面だけなぞっても、なかなか本質まで辿り着けないことがあります。ですから知りたい、学びたいと思う気持ちを持つのは、大変よいことだと思います」


 正司はミュゼの言葉に深く頷いた。

 話を聞いて知った風になるなとはよく言われる言葉である。


 仁和寺にんなじのたとえを出すまでもなく、たったひとつの事を聞いて、すべて分かった気持ちになるのは、現代人の悪いクセである。


(何でもネットで調べて、それでお終いとする人もいますが、勉強には王道がないものです。その気持ちを忘れたくありません)


 学生時代、正司は真面目にコツコツと、なすべきことをこなしてきた。

 友人の中には、人の宿題を写したり、試験の前だけ勉強したりする者もいた。


 要領の良い者は試験の日しか来なかった者もいる。

 出席を採らなければ、授業に出なくていいのだと嘯くものもいた。


 成績が出れば、それでいいのだろうか。

(表面だけなぞっても、本質には辿り着けない。いい言葉ですね)


 正司が入社してすぐ、とあるソフト開発の手伝いを任された。

 正司が慣れないプログラムに四苦八苦していると、同僚も横で悩んでいた。


「どうしました?」

 あまりに考え込んでいるので、正司が尋ねてみた。

「ここ、かなり簡略化できそうなんですよね。どうやれば一番いいか、考えていて……」


 なんと同僚は、すでに出来上がったプログラムを修正しているのだ。

 これには正司も驚いた。


 これまで言われたことを完成させればいいと思っていた正司には、できない発想だった。


 冗長なプログラムは、書く方も読む方も疲れる。

 簡略化して分かりやすく書いた方が、あとで修正するときも楽なのだ。


(仕事とはこういうことも含まれるのですね)

 プログラムを簡略化することで、自分や顧客、同僚たちが今後支払う手間を減らしたのだ。


 目からウロコが落ちる思いであった。

 それからの正司は、学生時代とは違い、言われたことをするだけでなく、「これで本当にいいのか」という疑問を常に差し挟むことにした。


 求められているのは結果。

 その結果へどう至るのか、それが正司に与えられた仕事なのだと。


「とてもよく分かります。私も表面だけ理解するだけでなく、しっかりと物事の本質を理解したいと常々思っています」


 座って講義を聴くのが勉強ではない。

 講義を自分の中で消化させるのが勉強なのだ。


「分かって戴けるようで嬉しいですわ。しばらくは、午前中にわたくしが知っていることをここでお話しします。午後は自由にしていただいていいと思いますが、最初はわたくしも一緒に行動したいと思っています」


「午後も、一緒に行動ですか?」

 自由にしていいと言いつつ、一緒に行動とはどういうことだろうか。


「タダシさんが学ぶように、わたくしもタダシさんについて学びたいのです。タダシさんが何を考えて行動するのか、その本質をです。それは一緒にいなければ分からないことです。同じものを見て、同じ話を聞いても、わたくしとタダシさんでは考え方に差が出ることでしょう。それを間近に見て、タダシさんを理解したいのです。わたくしと一緒に行動するのはお嫌かしら」


「いえ……そんなことはありません。ただ、私はクエストを探しに町中に行くと思いますけど」


「可能な範囲でついていきたいと考えています。それに町中は詳しいですので、少しは助けになると思いますの」


 なるほど、ここはトエルザード家の町だ。

 一緒にいて、邪魔になることはないだろう。


「分かりました。でしたら頑張りますので、ご指導の程、よろしくお願いします」

「はい、こちらこそ」


 ミュゼはにっこりと笑った。

 それは、リーザやミラベルが持ち得ない、大人の笑みだった。




 正司の処遇であるが、このままトエルザード家の客人として、一家と同じ建物内に住むことになった。

 恐縮する正司に「使用人たちはすべて心得ています」と、ミュゼの言葉。


 もはや、リーザたちを助けた旅の魔道士は存在しない。

 この時点で正司は、トエルザード家の食客しょっかくになった。いつからトエルザード家にやっかいになったのか、もはやだれにも分からなくなった。


 本当のことを知っているのはここの使用人たちだけであるが、彼らはもちろん口外しない。

 正司もそれに納得した。


(表面上、王国との関係悪化は得策ではないようですね)

 正司がリーザたちの命を助けたと発表した場合、「では襲ったのはだれか?」ということになる。


 そうなれば傭兵団『幸運の道標』たちの名を出さねばならない。

 実際に襲撃しているのだから、彼らも否定できない。


 だが、彼らはすでに王国と縁が切れている。

 もし罪を追及されたら、王国からの命令であることを公言せねばならなくなる。


 こうなった場合、落とし前をつけるために、トエルザード家が王国に抗議することになる。公式に抗議するのである。

 すると王国は公式に否定する。


 互いに「遺憾である」と言い合い、両国の関係は険悪だと周囲が認識する。

 それは『現時点で』得策ではない。


 その話を聞いて正司は「穏便に収まるのですから、私の方はまったく問題ありません」と答えた。

 だれも不幸にならない。そんな結末の方がずっといい。そう正司は考えた。


 今後正司は、トエルザード家の食客であると発表する。

 正司も「縁があってお世話になっている」と答えることになる。


 ミュゼと正司が両者の立場を確認し合ったあと、いよいよ当主との面会の段取りが整った。

 緊張する正司に、ミュゼは「家族に会うつもりで気楽でよいですわ」とアドバイスした。


 もちろん、それで正司の緊張は少しも和らがなかったのだが。




「私が当主のルンベックだ。初めまして、タダシくん」


 場所を変えて、豪華な部屋での面会となった。

 そこへイケメンがそのまま歳を重ねたような男性が現れた。


 現れたのは、ルンベック・トエルザード。

 中肉にしてやや背が高い。鋭い目つきをしているが、揃えた口ひげが柔和さを醸し出していた。


 ただし、雰囲気は覇者のそれ。

 日本での営業職時代、多くの社長と面会したことのある正司は、目の前の人物が傑物と言われるオーラを放っていることに気付いた。


(営業時代に私が苦手としていたタイプですね。何というか、正反対の印象を受けます)


 一代で成功した人物、もしくは中興の祖と言われるタイプだと正司は判断した。

 この手の人物は、ときに独断専行をするが、結果的にそれがよい結果を出したりする。


 人を味方につけ、運を引き寄せる人物。

 もし正司が営業時代に出会っていたら、そう結論づけたタイプである。


「初めまして、タダシと申します。ルンベック様、お会いできて光栄です」

「私のことはルンベックとそのまま呼んで欲しい。当主様やお館様と呼ばれるのは、どうにも堅苦しいのでな」


 初対面の相手に気さくさを演出する。人心掌握の第一歩である。

 こうやってすぐ相手の懐に飛び込んでくる人物は、プライドに振り回されることもない。


 ルンベックは続ける。

「娘の手紙を読んだ。なかなか面白い魔法を使うそうだね。……っと、その前に」


 ルンベックは立ち上がり、深々と頭を下げた。

「娘たちの命を救ってもらい、親として最大限の感謝をする」


「いえ、たまたま馬車に同乗させていただいた縁でそうなっただけで……頭を上げてください」


 一代で財を成した社長に頭を下げられたようなものだ。

 正司は恐縮することしきりである。


「エルヴァル王国はラマ国を狙っている。だが、自分たちから手を出せばミルドラルばかりではなく、王国内でも批判する者たちが出てくることも分かっている。約束を破る国とは付き合えない、そう判断されれば不利益は後世にまで影響する」


「そうですね。分かります」

 騙し、嘘を吐き、信頼を損ねて一瞬の利益を享受する。

 だがそんなことをすれば、確実に後世に禍根を残す。


「王国が西側を統一するのでなければ、それは悪手だ。あと何年かは停戦の合意が残っているからね。だから王国が手を下さずに、ラマ国を戦争のただ中に放り込みたかった」


「王国の上層部で謀がなされ、それが実行された。リーザさんからは、そう聞いています」


「そうなのだ。もし娘が襲われれば、私は王国と対立するつもりであった。戦争は是が非でも避けなければならないが、王国の思惑通り、わが国とラマ国が争うようなことは、あってはならない」


 不退転の決意をもって王国と対峙する。

 それだけの覚悟が、ルンベックにはあったようだ。


「それほど帝国は恐ろしい国なのですか?」

 正司が気になったのはそこだ。


 帝国との交易は海路のみ。

 唯一の陸路はラマ国が遮断し、帝国は叛乱勢力が各地で狼煙を上げている。


「帝国の分裂を王国は商売の好機とみている。叛乱勢力に荷担することで内乱をコントロールできると思っている」


「ルンベックさんは、できないと思っているのですか?」

「帝国は別の道を選ぶだろう。西を征服することだ」


 西の国を落とし、帝国内の奴隷を増やす。

 労働力が供給されれば、いま帝国を悩ましている問題の多くが解決するという。


 そもそも叛乱勢力がなぜおきたのか。

 亡国の王族がどれだけ残っていようが、しっかりと統治していれば防げた。だが帝国は失敗した。


 それは何故か。

 捕らえた兵を労働者として使ったのがはじまりだったようだ。

 手軽に補充できる安価な労働力、つまり奴隷の魅力に取り憑かれたのだ。


 捕虜だけで足りなくなると、征服した国の民の中からも奴隷を出すようになった。

 最初は犯罪者、食い詰めた者、スラムに住んでいた者たちを使った。


 徐々にそれがエスカレートし、一般の民にも目を向けるようになった。

 人々は逃げだし、それが治安悪化を招いてしまった。


 奴隷の逐次投入……まったくもって、安易な発想である。

 この奴隷制度が、帝国に対する憎悪を燃え上がらせたと言っていい。


 逃げ出した人々は徒党を組み、仲間を集め、盟主を求めた。

 それが叛乱勢力の始まりである。


 そして今なお、帝国は叛乱勢力との消耗戦に付き合わされている。


「帝国の軍隊は精強だ。叛乱勢力と戦っていることで実戦慣れしている。動員できる兵力も多い。ラマ国のみで帝国と戦えば、数年で落ちるだろう」


 トエルザード家は、大型船で帝国商人と交易している。

 そのおかげで、さまざまな情報が手に入るという。


 話のニュアンス的にそれだけでなく、スパイも潜入させているのだろうと正司は感じた。

 多くの情報を加味した結果、帝国が本気で襲いかかってくれば、ラマ国だけでは太刀打ちできないと結論づけていた。


「一番いいのは、現状維持ですか」

 海路のみを窓口とし、陸路は閉ざしたまま。


「現時点ではそうなる。帝国が叛乱勢力を完全に押さえたら、大陸制覇に乗り出すだろうが、現状では難しい」


 奴隷制度がある限り、叛乱勢力は増えることはあっても減ることはないだろうと。

 そこまで話して、ルンベックは表情を変えた。


「と言っても、帝国はまだまだ国内のことで手一杯だ。陸路が開通しない限り、こちらへ進出してくることは不可能だな」


 帝国とラマ国を繋ぐ陸路だが、山脈を丸太にたとえると、陸路はのこぎりで切り込みを入れた跡のように見えるらしい。

 山脈が抉られてできた細い道。


 大軍は入れず、一本道。

 出入り口には砦が設置されており、何人も通れないような門がある。

 それをラマ国の兵が守っている。


 完全な防御態勢である。

 このような現状では、武力でそこを抜けるのは至難の業。


 強引に陸路を攻めてくることはできないだろうとのこと。

「そうなっていたのですね、大変勉強になりました」


 正司もラマ国首都へは赴いたが、帝国との通路はそれよりさらに高みにあるらしい。


 一般人は入山不可だったので行かなかったが、常に多くの兵が守っているため、こっそり様子を見にいこうものならば、確実に捕まってしまうとか。


「帝国の話はここまでにして、娘たちを無事届けてくれた報酬を支払いたいと思う」

「はい」


 護衛報酬の支払いである。

 これは事前に、リーザから念を押されていたことだ。


 報酬は当主から話があるが、公家の体面もあるのでなるべく受けてほしいと。

「まずこれは報酬ではなく、我が家からの好意だが、我が領内での行動の自由を保障しようと思う。直臣じきしんと同じ扱いになる」


 行動の自由――正司の行動にトエルザード家の後ろ盾がつくらしい。


 ラマ国でもらった割り符のようなものがトエルザードにもある。

 直臣でなくとも、重要な役職に就いた者には発行している。


 行動を掣肘されることがないだけでなく、話を聞いてもらいやすくなるというので、正司は喜んで貰っておいた。


「メダリオンなのですね」

「首にかけてもいいし、持っていてもいい。必要なときに取り出せるのならば、扱いは好きにして構わない」


「でしたら仕舞っておきます」

 正司はメダリオンを『保管庫』に入れた。


「しばらくは妻から学ぶのだから、我が家に滞在すればいい。だが、自分の家も持ちたいだろうし、何かするにも基盤があった方がいいと考えた」


「そうですね」

 ミュゼから色々なものを学ぶわけだが、毎回毎回、外から多くの門を通過してここまでくるのは面倒である。


 同じ建物に住むのは合理的だと正司も思っていた。

 だが、ずっとここにやっかいになるわけにはいかない。


「町に土地を用意した。軍の練習用に使用していた土地だ。これを報酬として渡したい。所有権を譲渡するので、好きに使って構わない」

「軍の練習跡地ですか?」


「そうだ。自分で建物を造れると聞いたので、土地だけの方がいいかと思った」

「ああ、そういうことですか。ありがとうございます。いただきます」


 土魔法を習熟した今となっては、家を貰うより、土地だけのほうがありがたい。


「それと魔物の出る一帯の管理はどうだろうか? 魔物狩人を入れてもいいし、自分で狩ってもいい。そういった土地を管理するのも、ひとつの勉強になると思うのだが」


 魔物の出る地を管理する。それはライラの実家が行っていたことだ。

 同じことを正司ひとりで、ということだろう。


 普通ならば「できるか!」と怒り出すところだが、正司に関してはまったく別の意味になる。

「そうですね。少し実験してみたいこともありますし、いただきます」


「場所はラクージュの町から近い。といっても山脈を越えるが……凶獣の森まで瞬時に移動できるのだから、問題ないと思うが」

「そうですね。ですが、お気遣いありがとうございます」


 魔物の出る地と言っても、国と国との境にある場合は、互いに押しつけ合ってしまうため、どの国の所有でもない空白地帯となってしまう。


 魔物の数が増えて、近隣の町や村、街道に被害が出るのだが、抜本的な解決策はない。

 出てきた魔物を狩るだけである。


 だが領内においては、そうはいかない。

 どうしても、誰かが管理しなければならない。


 管理を疎かにしたことで、内部で魔物が大量発生し、近くの町に被害をもたらせば大変なことになる。


 以上のような理由で、トエルザード家直轄の土地を正司が管理することになった。

 魔物を間引くことは片手間でできるので、正司にはまったく負担とならない。


「あとは定番だが、王国金貨と帝国金貨、そして宝石と装飾品を渡そうと思う。ここには持ってこれないので、後ほど届けさせる」


「以前リーザさんからドロップ品を買っていただいたものがまだ残っていますので……」

 これ以上の金貨は必要ない。

 そう告げた正司だったが、ルンベックはやんわりと首を横に振った。


「宝石や装飾品は、魔道具を作る際にも有効だと思う。それと金貨は何かをはじめるとき、存外金がかかるものだ。もらっておいてほしい」


「魔道具ですか。そういえば……」

 雑貨屋で買った道具類では、グレードの高い魔石を嵌めることができなかった。


 純粋にグレードの高い魔石を使った魔道具が脳内に思い浮かばなかったのだ。

 正司の持つ〈魔道具制作〉スキルでは、道具や宝石、魔石などの品質にあったものしか、脳内に完成形が浮かばない。


 それゆえ、粗悪な道具では、作れる魔道具の種類が限られてしまうのだ。

「どうだろうか」


「……はい。分かりました。ありがたく戴くことにします」


「よかった。それで残りの報酬は、こちらの借りということにさせてほしい。タダシくんが何か困ったときに力になる。そう思ってくれて構わない」


「いえ、土地とか色々戴いているので、もう十分です」

 土地の値段が異常に高い日本に住んでいた正司にとって、本来、それ以上の報酬は必要なかった。


 この世界でも、魔物の出ない土地は貴重であり、所有するにはかなりの資金が必要である。

 それでも正司の方が「貸し」が大きいとルンベックは言った。


 よって残りは、正司がトエルザード家に貸し付ける形で決着した。

 正司としては「貰いすぎ」という思いを残して。


「それとこれは強制ではないのだが、二ヶ月後に私はフィーネ公領へ赴く。そのとき護衛として同行してくれないだろうか」


「フィーネ公領というと、北にある?」

 今回、バイダル領から北回りでここまできた。


 あの街道の先にはフィーネ公領があると正司は聞いていた。

「そうだ。ミルドラルの三公会議を行う必要ができた。それでぜひ、タダシくんにもフィーネ公領を見てもらいたいと思っている」


 そこまでルンベックが話したとき、正司の目の前にいつものメッセージ文が表示された。


 ――連続クエストを完了しました 成功 取得貢献値2


(やった!)

 喜んだのも束の間、次の一文も表示された。


 連続クエストを受諾しますか 受諾/拒否


(連続クエスト……つまり、フィーネ公領への護衛ですよね。護衛依頼だとすると、行って終わりではなく、往復かもしれません)


 無事ルンベックをフィーネ公領へ送り届けるまでなのか、この町へ帰還するまでなのか分からないが、話の流れからリーザたちの護衛と同じクエスト内容らしい。


 正司は『受諾』を押した。

「分かりました。護衛させていただきます」


 クエストをこなすためにも、なるべく多くの町を訪れたい。

 そう思いマップを見ると、白線が北に向かって一直線に伸びていた。


(バイダル公領、トエルザード公領に続いて、フィーネ公領ですか。どんなところなのでしょう)


 一度行ってしまえばあとは移動魔法を使えばよい。これはいい機会である。

「ありがとう。向かうのはまだ先だ。それまで我が家でゆっくりしてほしい」


「はい、そうします。ありがとうございます」

 出発は二ヶ月先。

 何にせよ、正司の連続クエストは更新されたのだった。




 正司がトエルザード家の食客になってから三日が経った。

 日々、ミュゼからさまざまな講義を受けている。


 各国の歴史や文化、特産だけでなく、経済、風習、町の様子など、本当によく知っているなと思うほど、ミュゼの知識は豊富だった。


 そのため、正司は午後の時間も、ミュゼから多くのものを吸収することにした。

 いまは勉強の時と割り切って、聞いた内容を覚え、理解し、次に繋げられるよう、復習している。


(そういえば、連続クエストを終えて、貢献値が6になりましたね)


 魔物狩人から受けた依頼をこなしたあと、旅の間に二つほどクエストを消化した。


 その後、釣り師の依頼を成功させ、今回連続クエストがクリアされた。

(すぐに使ってしまいたいですけど、8になるまで溜めておきましょうか)


 貢献値が8あれば、4段階までスキルを取得できる。3段階までなら二つ取れる。

 貢献値の8は、なにか必要になったときに安心できる数である。


(ということは、残り2ですか。そろそろ町にクエストを探しに行きたいですね)


 昼食はミュゼと一緒に摂っている。

 ルンベックは執務が忙しいらしく、会談と昼食を一緒にしているし、リーザとミラベルは家庭教師について勉強中である。


 リーザの弟で、14歳になるルノリーも、正司は数回あったきりである。

 現在、当主になるべく勉強中。


 リーザやミラベル以上に詰め込み授業が待っているらしい。


 正司がルノリーと会ったとき抱いた感想は、聡明な少年というものだった。

 リーザもそうだが、この世界の上流階級の人々は、責任感というものを常に意識しているらしく、精神的な成長が早い。


 成人する頃までモラトリアム期間が存在する日本とは、精神こころのデキが違うようだった。


「……午後は土地を見に行くついでに、町を散策しましょうか」

 町へ出たいなと正司が考えていると、ちょうどよくミュゼがそう提案した。


(土地を見に行く……そういえばまだ、ルンベックさんからいただいただけで、一度も見ていなかったですね)


 屋敷に滞在していいと言われていたため、それに甘えて、正司は一度も町に出ていない。


 この日、ラクージュの町に来てようやく、正司は町に繰り出した……ミュゼを伴って。


 盆地の中の町であるため、どこを向いても高い山並みが見える。

「この先ですわね」


 正司が貰った土地というのは、町中にあるらしい。

 軍の訓練に使用していたと聞いたので、もっと外れの方かと思っていたが、向かう場所は繁華街にも近い。


「軍の訓練場の跡地と聞いたのですけど……」

「そうですわね。軍の駐屯施設に訓練場を兼ねていたものです。老朽化したので最近建物を取り壊したのです」


 大勢の軍人が入れ替わり立ち替わり建物を使うものだから、すぐに劣化してしまう。

 築五十年ということもあり、使用も限界。


 また、建てた当初はまだ町の外れだった。

 ところが、町の発展とともにその地は町中に埋もれ、今では繁華街に近くなってしまった。


 建て替えをするくらいならば別の場所に建てようということで、訓練場を移設したらしい。


「そういうわけでしたか……って、ここですか?」

「ええ、着いたようですわ」


 急に目の前が開けた。

 広い土地である。「もしかしてここ全部?」と正司が目で訴えかけると、ミュゼはニコリと頷いた。


(東京ドームくらいありそうですね)


 昔はここも郊外にあり、多くの兵が訓練をしていたのだろう。

 建物はすべて解体され、何もない。町中に、野原のような平地がぽっかりと口を開けていた。


「ここに自宅を建ててもいいですし、好きに使ってくださいな」

「……はあ」


 東京ドーム規模の土地をどう使えと? ちょっと途方にくれる正司であった。


「……おっ、大魔道士さまじゃないか」

「あっ、カルリトさん」


 通りかかったのはカルリトだった。

 リーザの護衛の中でもお調子者だったカルリトは、真っ先に正司と親しくなった。


「あら、お久しぶりね」

「げぇ、奥様……これはまた……お日柄もよろしく……」

 最後は口の中でごにょごにょ言っている。


 一方のミュゼは、相変わらずの笑顔だ。

 カルリトは「どうもどうも」と日本人らしいお辞儀をしながら、ミュゼから離れていく。


「……おいっ、どうして奥様と一緒にいるんだよ」

 忍者さながらの素早さで正司の後ろへ回り込んで、そう囁く。


「普段、勉強を教えて貰っているんです」

「おまえさんの教育係か……そりゃそうだな。奥様相手じゃおまえ……」


「カルリトさんは、お元気のようですわね。最近、顔を見せなくて使用人たちが寂しがっていますわ」

「いや、どうもそれは……はい、ご無沙汰しております。奥様も壮健そうで」


 うふふふとアハハハと互いに笑い合って、カルリトは正司を遠くへ引っ張った。

「それでなんで、ここにいるんだ?」


「護衛の報酬に、この土地を戴いたんです。それで今日見に来たんですけど」


「報酬……まあ、リーザお嬢様の命を救ったしな。しかしここ、一等地じゃねえか。どんな豪邸を建てるつもりだよ」


「どうするかまだ、何も決めていません。見たのも今日が初めてですし。こんな広い場所、どうしたらいいんでしょうね」


「おまえが拠点と呼んでたあの場所みたいなの……ほら、巨大な砦を建てりゃいいんじゃねえか?」


「どうでしょう。ここにあれは必要ないと思いますけど」

 正司が拠点とした建物は、魔物が湧くかもしれないと、最初、かなり強固に建てた。


 それこそ砦のような。

 町中で再現すれば、かなり浮いてしまう。


「だったら、あそこにデカい建物あったじゃないか。土でできた置物を並べておいたとこ。あれ、並べておけば、人を呼べるぜ」


 カルリトは拠点の中を一通り散策した。

 もちろん正司の許可を得てだが、そのとき魔物の土像を目にしていた。


「土魔法の練習で作ったやつですね。……なるほど、そういう手もありますね」

 それは面白そうだと、正司は考えはじめた。


「いい使い道が見つかったら教えてくれ。また酒でも飲もうぜ……それでは奥様、お達者で」

 カルリトはそそくさと去っていった。


「カルリトさんは相変わらずですわね」

「もしかして……何かありました?」

 さすがにカルリトの挙動がおかしかった。


「さあ、どうでしょう。……でも、屋敷に来るたびに使用人を口説くので、少しお話したことはありますわ」

「な、なるほど……」


 本当に「少し」だけだろうか。

 先ほどのカルリトを見る限り、ミュゼをかなり苦手としていた。


(でもここは、敢えて気付かない振りをした方がいいですね)


 おそらく、カルリトが不義理なことをしたか、修羅場が屋敷内で演じられたのだろう。

 そしてミュゼを怒らせた。


 正司も、ミュゼだけは怒らせないようにしようと、心の中で誓うのであった。


 その後、正司とミュゼは町の散策に出かけた。

 商店が多い大通りをゆっくりと歩く。


「あの……ミュゼさんは、徒歩でよかったのでしょうか」

 馬車で乗り付けると注目を浴びるという理由で、屋敷からここまで歩いてきた。


「大丈夫ですわよ。歩くのはいつものこと、このくらい何でもないですわ」

 日頃から動いているため、少々歩く程度ではまったく苦にならないらしい。


「そういうものですか」

 それでも二時間以上、歩きっぱなしだ。


 最近の日本では、男女問わず、出かける時は車か自転車。

 田舎だと、徒歩で移動することは稀だという。


(駅まで車で送るなんて話も聞きますからね。この世界とは考え方が根本的に違うのでしょう)


 ミュゼにとって、目的地まで一時間や二時間歩くのは、「いつものこと」らしい。

 往復を考えれば、半日歩きっぱなしも珍しくないのではなかろうか。


 自分も含めて、駅までの十分、十五分すら億劫になる現代人に、言って聞かせたくなる言葉である。


(この分だと、リーゼさんもミラベルさんも健脚かもしれませんね)


 深窓の令嬢ではなさそうだと思ったものの、予想以上にタフなのかもしれない。

 そんな風に正司が思っていると、マップにクエストマークがよぎった。


「あっ、いまっ!」

 チラッとだが、マップの端に一瞬だけ現れた。


 このマップ。正司が未踏破の部分だと、すべて灰色で示される。

 有効範囲は350メートルほどだ。

 その外にクエストマークがあっても、未踏破だと分からない。


(一度でも歩いていれば、数キロメートル先まで分かるんですけど)


「どうしたの?」

「いまクエストが……すみません、見失わないうちに、向こうへ行ってもいいですか?」


「ええいいわよ」


「ありがとうございます。ちょっと行ってきます」

 正司は身体強化を施して、さっと駆け出した。


 大通りから裏手の方にマークは消えていった。

(細道の方へ行きましたね。こっちでしょうか……)


 およそのアタリをつけて、正司は周辺を歩く。

(見つけました。やはりクエストマークです。……ですが、建物の中ですね)


 クエストマークは、石造りの立派な建物の中を指している。


(看板はないですか。何の建物か分かりませんが……勝手に入るのはマズいですよね)


 さてどうしようかと悩んでいると、ミュゼが追いついてきた。

 身体強化した正司を追いかけて来たのだから、ミュゼも中々健脚だ。


「あれが〈身体強化〉ね。一瞬で見えなくなってしまうんですもの、少し驚いたわ……あら、この建物」

「知っているのですか?」


 この町の商工会の持ち物ね。

 正司が商工会について尋ねると、商人や職人たちで結成されたギルドに近い組織であることが分かった。


 ここはその建物。ここで商売しているわけではないし、会の仲間以外は使用しない。

 ゆえに看板は出していない。


「この中の人にクエスト……用事があるのです」


 話を聞くに仲間内だけが使用する建物らしい。

 商工会とは無縁の正司が急に押しかけても、不審者と変わらない。


「いいわよ。わたくしが間に立ちましょう。タダシさんのクエストというものをこの目で見てみたいですし」

「……はあ、よろしいのでしょうか」


「もちろんですわ。さあ行きましょう」

 ミュゼに手を引かれる形で、正司は商工会の建物に入った。


 受付でミュゼが名乗った途端、物事はトントン拍子に進んだ。

 さすがトエルザード家である。


 正司はというと、「最後にこの建物に入った人に用事がある」と受付に伝えたのみだ。

 あとはすべてミュゼが仕切ってくれた。


 会議室で話をする段取りがつくまで、ほとんど時間が掛からなかった。

「すぐに用事が済みますので、心苦しいですが、いましばらくお待ちくださいませ」


「急に押しかけたのですもの、そちらの用事を優先させてもらって構いませんとお伝えください」


「恐縮です。なるべくお待たせしないよう、取りはからいます」

 受付はそう言って、出て行った。


 正司とミュゼがいるのは、小会議室だろう。

 受付に聞いたところ、最後に入ってきた者はひとりしかおらず、いま重要な契約の最中だという。


 それが終わるまで待っている状態だ。


「ラクージュの町には大きな商会がいくつかあって、小さな商会は数え切れないほど。それらを統括しているのが商工会なの。わたくしたちトエルザード家は町を守り、発展させ、町民が安全に暮らせるよう努めているわ。でも敢えて、商工会に口出しをしないことにしているの」


 トエルザード家では、政治と経済を分離しているらしい。

 どうやっても互いに影響を及ぼしてしまうからこそ、普段はなるべく互いに口出しをしないようにしているのだとか。


 王国はその逆で、政治と経済は不可分。

 商人たちを富ませることが、国を富ませることになると明言している。


 利害を巡ってトエルザード家と商工会はときに対立することがある。

 だがそれがいいと、代々のトエルザード家当主は考え、経済に口出しをしていないのだという。


「ほとんどの場合、我が家と商工会は協力体制にあるの。互いの利益を侵さないよう注意深く動いているわ。ですので、たまには無理も利くわよ」


 ミュゼは正司に「やりすぎても、トエルザード家が後ろ盾になる」と言っている。


「個人の悩みですので、そんな大袈裟なことにはならないと思います。本当に」

「それは実際にクエストというものを聞いてから判断しましょう」


「そうですね」

 こうして待つことしばし。


「……お待たせしました」

 受付が連れてきたのは、まだ二十歳そこそこの青年だった。


「お呼びということで伺いました。はじめまして、急なことで少々戸惑っております。私はアンドレと言います。ラクージュとムロバツの町を中心に交易しております商人です。……それで何か私に話を聞きたいことがあるとか」


「はじめまして、私はタダシと申します。そしてこちらが……」

「ミュゼ・トエルザードと申しますわ。話はタダシがしますの。まずはお座りになってくださいな」


 ミュゼは物腰の柔らかい、ソフトな話し方をする。

 だが、その声音こわね、醸し出す雰囲気には、為政者特有の抗えないモノがあった。


 身内――正司などに話すときとは違う、圧倒的な「支配する側」特有の空気をまとっていたのである。


「は、はあ……」

 気圧されるままに、アンドレは座る。


 ミュゼは正司に目配せをする。「さあ、わたくしに見せてくださいな」と言っているようだった。


 正司はゆっくりと息を吸い、心を落ちつかせてから話しはじめた。


「突然のことで驚くかもしれません。私はクエストというものを信奉しておりまして、悩みがある方、困っている方の手助けをしております。といっても押しつけでもありませんし、それでお代を頂戴することも一切しません。悩みを聞いて、それを解決するだけと思っていただけたらと思います」


「……は、はあ?」


 トエルザード家の者に呼び出されて来てみれば、目の前の男が「自分は人の悩みを解決する」と話しだした。

 何だこれは? という戸惑いが、アンドレの顔に出ている。


「アンドレさん。今現在、何か困っていること、悩んでいることはございませんでしょうか? もしあれば話していただきたいのです。そしてそれを私に解決させてください。そのために私はここへ来たのです」


「…………」

 悩みを解決するために自分に会いに来た。

 どうやらそれは本気らしい。そうアンドレは思った。


「如何でしょう? もちろん秘密にして欲しいということでしたら、それは守ります。悩みというのは、そうそう大っぴらにするものではありませんし。そのかわり、私を信じて打ち明けていただけないでしょうか。解決するために全力を尽くします」


「……そうですね、悩みはあります。ですが、いかなトエルザード家の方々でも、解決は難しいでしょう」

「それほどの難題なのでしょうか」


「ええ……ですがここまで来ていただいたことと、私の悩みを聞いてくれるというのでしたら、お話しします」


 トエルザード家の者が来たというならば、もしかしたらとアンドレは考えた。

 ゆえに、話してみようという気になったのだ。


「実は……」

 こうしてアンドレの話ははじまる。



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