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042 ラクージュの町

 ラクージュの町に向かって、馬車は進む。

 だが、最後の難関が待っている。


「ここから先はずっと上り坂ね。少し早いけど、休憩にしましょう」


 目的の町は盆地にあるため、山を越えなければならない。

 ここからおよそ半日、上り坂が続く。


 空き地に馬車を停め、軽食を摂ることにした。

 食事が終わり、めいめいが寛いでいると、アダンがリーザのもとへやってきた。


「お嬢様、ライラの様子がいつもと違うようですが、何かありましたか?」

 護衛隊長をしている手前、気になったのだろう。


「心配ないわ。ちょっと落ち込むことがあったのよ……そうだ、アダン」

「何でしょう?」


「護衛の皆には、タダシから何か借りたり貰ったりしないよう、伝えてくれるかしら」

「それは構いませんが、貰うなはともかく、借りるな……ですか?」


「そう。ライラが実家に行くとき、タダシからポーチを借りたのよ。馬車一台分の荷物が入る魔道具を」

 たしかにライラの腰には、ポーチがあった。


「魔道具をタダシ殿に返却しようとしたら、ずっと持ってていいと言われた感じですか」


「ええ」

「とんでもないものなら、返しちゃった方が良かったのでは?」


「他家に送った品物を送り返されたらどう考えるかしら」


「そりゃ、これ以降の付き合いは遠慮しますって明確な意思表示です。妻から指輪を返されたって、同じですよ。もうついていけません、離婚しましょうって意味ですからね」


「タダシはものに頓着しないから、ライラは借りたつもりでも……タダシはあげたことになっていたみたい」

「返すに返せないですな」


「ライラには、おとなしく家宝にして代々受け継がせるつもり。それと王国の商人の耳に入ったら、一族皆殺しにされて奪われるかもしれないから、情報漏洩には注意するようにって言っておいたわ」


「……様子がおかしくもなりますな」

 どうりでライラが身につけるわけだ。

 その辺に置いておけるような魔道具ではないと、アダンは納得した。


 同時に、背筋が寒くなった。

 何らかの事情があって、ライラは正司に「借り」ができたのだろう。


 実家でゴタゴタがあったとも聞いた。

 おそらく、ポーチを借りる何かがあった。


 それを返却しようとしたら「いらないからあげる」程度の軽さで言われたのかもしれない。


 借りがあるライラは強く出られず、言われるままに受け取ってしまった。

 実家のゴタゴタに気持ちがいっていたのかもしれない。


 あとでリーザに相談したところ、「突き返すのは論外、家宝として持っていろ。ただし、欲に目の眩んだ者に知られたら、殺してでも奪い去りにくるから気をつけろ」と忠告を受けた。


 ものがものだけに、その辺に放っておくわけにもいかず身につけているが、そうすると今度はずっとそれが目に入る。


 アダンにしても、自分の全財産より高価な物を腰にぶら下げていれば、緊張のあまり、挙動不審になる自信がある。


「……分かりました。貰うな、借りるなと部下に伝えておきます」

「お願いね」


「到着まであと少しですし、別れ際に変なものを貰わないよう、気をつけさせた方がいいですな」


「私からもタダシにそう言っておくわ」

「よろしくお願いします。本当にあの御仁は……」



 取り扱い注意――これが正司に対する正しい認識である。



 要らぬ騒動を呼び込めば、本人のみならず、一族郎党に大きな影響が及ぶ。

 何とも人騒がせなと思うが、実際そうなのだから、仕方が無い。


「ねえ、お姉ちゃん。タダシお兄ちゃんがまた何かしたの?」

「まあ……そうね」


「じゃ、それもお父さんにお任せするの?」

「そうするつもり……さすがに私の権限じゃ、何もできないもの」


 正司に関する扱いを父に投げて久しい。

 リーザが自由に裁量できる範囲を超えているのだから、どうしようもない。


 国が動くレベルの事件がポンポン起きるのだから、当主である父に一切合切丸投げする以外、方法がないのだ。


「もうすぐお父さんに会えるね」

「そうね……気が重いけど」


 超がつくほどの面倒事をいくつも実家に持ち込んだ。

 仕方ないとはいえ、気分が重いこと、この上ない。


 休憩が終わり、馬車は軽やかに山道を登っていく。

 リーザの心とは裏腹に、馬は軽快に坂道を進み、見上げた空はこの上ないほどよく晴れ渡っていた。




 周囲を高い山に囲まれたラクージュの町。

 そこへ至ることができる道は、それほど多くない。


「道の脇で立ち往生している馬車が増えましたね」

「先が長いから、馬を休ませているのよ」


 ラマ国の首都ボスワンの町へ行くときも上り坂が続いた。

 最後は心臓破りの坂と思えるほど急だった。


 坂の下で多くの荷駄運び人が仕事を求めてたむろしていた。

 ラクージュの町へ向かうこの道は、一見すると緩やか。


 ボスワンに比べれば、大したことはない。

 だが、腐っても山越えである。


 上りが半日も続くため、馬を限界まで使わないよう小休止を多くとっているのだ。


「私たちも休むつもりだったのだけどね」

 ボスワンの時と同じである。


 正司の回復魔法で体力が充実した馬は、スイスイと……もしくは楽々と坂道を上がっていく。

 これがただの興奮剤ドーピングならば結局は同じ。


 リーザも使用を止めさせたのだが、正司の魔法は「疲労を回復」させるだけ。

 休憩を入れているのと変わらないため、止めさせる道理はない。


 驚く周囲の目をよそに、馬車は予定よりかなり早くラクージュの町に入った。




「ここがラクージュの町ですか。石造りの家が多いのですね」


「石だけは周囲にいくらでもあるのよ。遠くに捨てるのはもったいないし、建材として使った方がいいでしょ」


「そうですね。素焼きレンガもあるんですか」

 石を組んで建てた家もあれば、焼いた土……おそらくレンガだろう。

 そんなものまで使われている。


 他にもコンクリのように見える建物もある。

 モルタルに近いものだと正司は考えた。


(昔の日本家屋は木造建築のみ。壁には漆喰しっくいなどが使われていましたけど、こっちの方が強度がありそうですね。ただ、筋交いはないでしょうし、地震があったらどうなるんでしょう)


 この世界に地震はあるのだろうかと、正司は考えはじめた。


(星の運行からすると、ここは惑星なんですよね。火山は……まだ見たことがないですが。地殻変動はあるんでしょうか)


 地震はまだ経験したことがなかったが、あれは地域差がかなりある。


 日本のように複数のプレートがせめぎ合っている場所の方がまれで、世界には地震を体験したことない人が大勢いると聞いたことがある。


(ここが星であることは確定として、それ以外の事は追々調べていきましょうか)


「タダシ。さっきからずっと、何を考えているの?」

「そうだよ、タダシお兄ちゃん。ずっと難しい顔してたよ」


「この星……いえ、この大陸の事を私は何も知らないなと、改めて思っていたのです」

 知らなくても生きていける。


 だが空があり、星があり、大地がある。

 人がいて動植物、魔物までいる。


 この世界のことをもっとよく知ってみたいと正司が思うのも、不思議ではなかった。


「タダシがそう思っているなら、ちょうど良かったわ。町に着いたら勉強したらどうかしら。優秀な家庭教師をつけるわよ」


「私がですか?」

「そうよ。お父様には手紙で伝えたのだけど、凶獣の森から出てきたのなら、それぞれの国の政治や歴史、そして文化、経済のことを知らないでしょ」


「そうですね。私が知っているのは砂漠の民とラマ国、そしてミルドラルの一部くらいです。それも実際に見聞きしたことだけですね」


「私たちの国の言葉で、『曲がった棒で家を建てるな』というのがあるの」

「家というのは、あの石造りの家ですか?」


「そうよ。石を切り出すときに『あて棒』をするのだけど、『直角棒』や『直線棒』をあてて、決まったサイズの石を切り出すのね」


(なるほど、定規のようなものですね。定規で何センチメートルってやるよりも同じ長さの棒なら何本でも複製できますから、いちいち計算しなくて済むわけですか)


「その棒が最初から曲がっていれば、曲がった家が建ちますね」


「そういうこと。だから『あて棒』の精度はとても大事。家づくりの前、石を切り出す前に正しい『あて棒』を作るところから始めるのよ」


「お勉強は、最初が肝心って言いたいんだよ、タダシお兄ちゃん」


 基礎の部分から正しく作れば、家は曲がらない。

 そのために必要なのは、正しい『あて棒』という訳らしかった。


「私たちが知っていることを教えてもいいんだけど、どうせならちゃんとした教師に教えてもらった方がいいでしょ。だから、興味があるのならば、そういう人から学ぶといいわ」


「ありがとうございます、リーザさん。そうですね、まずは勉強ですね。学んでみたいです」

「分かってくれて嬉しいわ、タダシ」


 リーザは、正司が教育を受ける必要性を誰よりも理解していた。

 ゆえに今回の話はまさに『渡りに船』の状況だった。


 そのため、なぜ正司がそのようなことを言い出したかまで、頭が回らない。


 もしリーザがもう少し人生経験を積んでいたら、「どうして急にそう思ったのか」と聞いたことだろう。


 正司はこの世界のこと、この世界にある国や人々のことをまだあまり知らない。

 ゆえに知りたいと思った。


 だが、それだけではない。


(いつか一度、日本に戻りたいですね)


 正司がこの世界に来てしまったのは偶然――運動不足でタンスに足をぶつけたからだ。

 本来慎重なはずの正司にしては、珍しいミスである。


 この世界に来てすぐ、自分が日本から消えても、周囲にそれほど迷惑はかからないと正司は感じていた。

 発覚は早いだろうし、仕事も後任がしっかりやってくれる。


 兄妹はみな結婚し、それぞれの生活がある。

 みなそれぞれの人生を生きていくだろう。


 だが、周囲に迷惑をかけないからといって、このままでいいはずがない。

(家族は心配しているでしょうね)


 突然の失踪である。

 毎年何万人と行方不明者が出るとはいえ、身内が忽然と消えたのならば、心配する。


 書き置きを残して覚悟の失踪ならば、まだどこかで元気にやっているだろうと思うこともできる。

 何の兆候もなく人が消えれば、犯罪か事件に巻き込まれたと判断するのが正しい。


 そのため、正司は日本に帰ることを諦めてはいない。

 理由の大部分が、「突然消えて、心配かけているだろう」からだが。


 一方で、正司はこの世界を気に入ってもいる。


 魔物という目に見える分かりやすい脅威があるため、「人ひとりの命は地球より重い」のようなお題目は存在しない。


 棄民きみんが存在する。

 国家が養える限界を超えたら、人々を放逐する政策を敷いている。

 これは共倒れを避けるためだ。


 そういったマイナスの側面はあるものの、正司はこの世界の人を忘れて、日本で暮らすという選択肢も存在しない。


(一度、日本に戻りたいですね)


 それが正司の偽りない気持ちである。

 できれば一度だけでなく、何度も行き来したい。


 贅沢な考えだが、それが可能かどうか分からない。

 ゆえに勉強して、この世界のことをもっとよく知りたいと思ったのである。


 コインを使って若返ったり、力を付けたりしないのは、そのためだ。

 初めてこの世界に現れた場所を拠点として、ヒマがあるときに戻っているのも、もしかしたらまた穴が開くのではないかと考えているからである。


「勉強は必要ですね」


「そうよ、タダシ。頑張ってね、応援しているわ」

 リーザは笑顔で言った。




 町に入っても馬の勢いは止まらない。

 そのまま馬車は、大きな屋敷に入っていった。


 当主が住む屋敷である。

 それだけではなく、仕事場としても使われるらしい。


 ゆえに屋敷の敷地内は多くの区画に分けられ、人々がここで働けるようになっていた。


「私たちは奥の区画まで行くから、もうしばらくかかるわ」

 これまでいくつかの門を通過した。


 門をくぐるたびに、警備が厳しくなっていた。

 まだかかると言うから、どうやらこの場所。

 屋敷と呼ぶには、かなり広いらしい。


 人の目を楽しませる庭園も造られており、バイダル家に比べて、何倍も広い。

「まるでお城みたいですね」


「緊急時には人々を収容して城としても使うわよ。この盆地に魔物が出ないから、土地も広く取れるのよね」


 バイダル領は荒れ地が多い。

 広範囲に低レベルの魔物が出没する反面、使用できる土地は少ない。


 トエルザード領は、出没する魔物のグレードが高いものの、居住できる土地は広くとれるようだ。

 ゆったりとした町造りが可能なのはそのためらしい。


「それでは我々はここまでになります」

 馬車を降りると、アダンたちが外れることになった。ここから先はリーザとミラベル、そして正司の三人だけが進めるらしい。


「そうなんですか? アダンさんも?」

「はい。私どもはそれぞれ帰還を報告する先がありますので、そちらへ向かいます」


 首を傾げる正司にアダンは説明した。

 リーザやミラベルたちももちろん当主に報告する義務がある。


 旅で見聞きした情報は貴重だ。

 とくに教育を受けた者が実際に見て回ったのだ。普通の人とは違う視点で物事が見られる。


 それとは別に、アダンたち護衛もまた、各所に報告義務を負っている。


「たとえばですな、バイダル家で我々がどういう扱いだったのかなどは、別のところに報告します。すると今度バイダル家の者が我が領にきたときに、前例に照らし合わせて扱うことになるわけです」


 当主本人、それに連なる者、その家臣、家臣のそのまた家臣、雇われただけの者など、身分によって扱いが違う。

 これは当たり前のことである。また、その時の状況によって、扱いが左右されたりする。


 最新の情報を得ておき、たがいに貸し借りがないようバランスを取る必要があるらしい。


 つまりアダンやブロレンなど家臣の中でも上下があり、カルリトのように雇われた者たちの意見も貴重。

 上の者とはまた違った視点で情報を供出する義務を負っているのだ。


「というわけで、正司はこっちよ」

「そうなのですか? 私は護衛に雇われただけだったと思いますけど」


 正司の問いかけに、アダンが答えた。

「たしかにタダシ殿は、私の配下としてラマ国に入りました。護衛として雇った形ですな。ただあれは、道中の安全が脅かされていたゆえに、『お嬢様を護衛する』という明確な目標が必要でした。そして向かう先がラマ国だったのも影響しております」


「ミルドラルではなく、他国だからですか?」

「はい。ラマ国首都は土地も狭く、与えられた屋敷は、他の二公家と同じ敷地です」


 ラマ国はミルドラルに土地を提供していた。

 与えられた土地はそれなりの広さがあったため、三つの屋敷を建てて、それぞれの公家の家臣が管理していた。


 別々に暮らせば「仲が悪いのか」と思われて離間工作を受ける可能性があるからだ。


 三公の屋敷が同じ敷地内にあるため、譜代ふだいの家臣ではない正司を連れて行くと、他公家の注目を浴びてしまう。


 隠せばいいのだが、それでは自分たちも、正司も窮屈な思いを抱く。

 正司を旅の途中で雇った護衛とした方がよいとリーザが判断したらしい。


「そうだったんですか。そういえばバイダル領に入ってからは、ずっと客人扱いでした」

 急に扱いが変わって、居心地の悪い思いをしたのを正司は思い出した。


「タダシに命を救ってもらったんだもの、あなたは客人よ。借りを返すまで粗略には扱えないわ。でもラマ国では他公家の目が厳しかったから、ああせざるを得なかったのよね」


「いえ、客人扱いの方が居心地が……いえ、何でもないです」

 アダンとリーザの説明を聞いて、正司は理解した。


 ミルドラルは一国。ただし内情は三つの公家が合わさっている。

 三つの会社が出資して、ひとつの会社を作ったようなものなのだろう。


 外からは一つの会社に見えるが、その実、三つの会社から社員が出向している感じだ。

 互いに見せてもいい部分はある。共有してもいい情報と、そうでないものを持っている。


 正司がボスワンでリーザたちと一緒にいなかったのは、そういった配慮があったからなのだと。

 だから他の目がないミルドラルに入ってから、扱いが変わったようだ。


「そういうわけですので、我々はこれで失礼します。タダシ殿とはまた縁がありましたら、お会いできるかと思います」


「アダン、それからみんな、ここまでありがとう」

「いえ、職務を全うできて大変嬉しく思います。それでは失礼します」


 一礼して護衛たちが去って行った。


「……じゃ、タダシ。こっちにいらっしゃい。あなたはこっちよ」

「はい」


 正司はリーザに連れられて、さらに奥へ足を踏み入れた。


 伏魔殿へ……いや、リーザの実家へ。




 リーザは塔のらせん階段を一段、一段と踏みしめながら上った。

 当主の居場所を聞いたら、塔の上だと言われたのだ。


 最上階へ着くと、軽く息を整える。

 リーザは扉をノックした。


「お父様……リーザです。ただいま戻りました」

 扉の外でそう呼びかけるが、応えはない。


 しばらく待ってからもう一度ノックする。

 だが、部屋の中からはウンともスンとも言ってこない。


 溜めた息を吐き出し、リーザは扉を開けた。


 中に入ると、窓の先を見つめる父の背中があった。

 もう一度声をかけたが、反応はない。


 少しして窓から視線を外し、目の前のキャンバスに絵筆を乗せはじめた。

 集中して、リーザの声が届かないのだ。


 繰り返し繰り返し絵筆を滑らせていく。

 その様子を黙って見ていたリーザは、テーブルの上にあったベルをチリンと鳴らす。


「……ん?」

 そこでようやく振り向いたのは、口ひげを生やした精悍な顔つきの男性。

 トエルザード家当主のルンベック・トエルザードである。


「お父様、リーザです。ただいま戻りました」

「おかえり、リーザ。報告はあとで聞く」


「分かりました。ここで待っています」

 リーザは椅子に腰掛け、父の描いた絵を後ろから眺める。


(もうすぐ夕方だというのに、朝日の当たる町並みを描いているってことは、一体どれだけ悩んでいたのやら)


 一人になりたいとき、何か深く考えたいときに、ルンベックはこの塔へ上る。

 そして絵筆を取り、町の景色を写し取るのだ。


 すでに何十枚と同じ構図の絵が倉庫に眠っている。

 描いた絵の枚数はすべて、父の悩んだ数でもある。


 いまは思考中。

 それを邪魔しないだけの分別をリーザは持っている。


 リーザはルンベックが絵筆を置くまで、その背中をじっと眺めていた。


「……こんなものだろう」

 ようやくルンベックが絵筆を置いた。


 絵が完成したのか、考えがまとまったのか。

 それとも両方なのか。


「お父様、無事戻りました。報告の大部分は手紙に認めた通りです」

「難しい案件も多かったようだが、よくやってくれた」


「ありがとうございます。タダシがいなかったら、きっと結果は違っていたものとなったでしょう」


「それでもだ。タダシくんについてはひとまず忘れよう。私からも話がある」

「何でしょう」


「二ヶ月後にフィーネ公領で三公会議が開かれる。私はそれに出席することになる」

「議題は王国……ですね」


「そうだ。それまでに王国の資金源をカットする方法を見つけなければと思っている。同時にミルドラルの国力をあげる方策もだ」


「国力……戦争でしょうか」


「王国とミルドラルの力関係は知っている通りだ。もし王国が力を落とし、ミルドラルが伸びてくれば、国力を逆転される前に仕掛けてくる。それが単発なのか、連続なのか。裏から動くのか表だって動くのか……最後は戦争まで睨んでいるのか。戦争には備えておかねばならないだろうな」


「西の諸国で戦争すれば、帝国を利するだけになるのではないでしょうか」


 エルヴァル王国とミルドラルの戦争。

 それは大陸の西をすべて巻き込む大きなものになるだろう。


「現状では、王国の目的を許容できない。帝国と陸続きになるのは絶対に避けたい。帝国と事を構えることを考えれば、王国の方が何倍も御しやすい」


 結局、ルンベックの考えは、そこに行き着くらしい。

 大陸の東半分を手中に収めた帝国と言えど、絶断ぜつだん山脈を越えて攻め込むことは不可能である。


 唯一通行できる山道は、ラマ国がしっかりと押さえている。

 これが自由に行き来できるようになってしまえば、帝国はひとつにまとまるかも知れない。


 多少の叛乱を許しても、西に手つかずの国があるのならば、そっちを攻略すればいい。

 そう考えて、大軍を派遣してくる。


「やはり帝国には勝てませんか」


「年がら年中戦争や内乱をしている国は強い。王国は経済でコントロールするつもりでいるが、そう簡単にはいかない。かならずラマ国が落ちる」


 ラマ国のつぎはミルドラルだ。

 二国が落ちれば王国だって持ちはしないだろう。


 もちろんラマ国を落とすのは簡単な話ではない。

 二国が落ちるまでに何年、何十年とかかるかもしれない。


 それでも長期的な視野で見れば、西の国は帝国軍に勝てない。

 いつかは併呑されてしまう。


「王国に留学して思いました。あの国は刹那せつな的だと」


 政権がコロコロ変わるので、十年、二十年先のことはよく見えても、その先については一切関知していない。


 王が替われば政策も大きくかわり、そのしわ寄せを国民が負わされる。

 それでも何とかなっているのは、王が国民を富ませているからである。


 だが、まるで昔のことを忘れたかのように新しい方針が打ち出されるたび、国がいびつになっていく。


 次の王が立てば、また政策は変わるだろう。それの繰り返しだ。


「対王国についてだけ言えば、問題はフィーネ公だ。そのため裏でバイダル公と連携してやっていく。準備期間として二ヶ月は短いが、それ以上遅くなると後手に回る」


「何があるのですか?」


「半年以内に八老会の会議がある。そこまでに国王が何らかの成果を出さなければ、そこで糾弾されるらしい」


 八老会が動いている以上、国王は手をこまねいているわけにはいかないようだ。

「それでギリギリ二ヶ月ですか。ですがその話、どこで聞いたのですか?」


「捕まえた賊の残党だ。非戦闘員はよく喋ってくれる。すべて聞き出したら、バイダル公へ差し出すつもりだ」


 さらっと言ったが、それはとんでもない話なのではなかろうか。

 賊の残党とは、おそらくウイッシュトンの町から行方を眩ませた連中だろう。


 残党が町から逃げ出して、十五日ほど経っている。


 リーザからの手紙が届いてから、十日程度だろうか。

 すでにルンベックは、トエルザード領へ逃げた賊を捕まえたらしい。


「相変わらずの早業ですね」


「王国へ逃げるルートは決まっている。ならば、それ以外の方法を採るだろう? 非戦闘員が逃げるのだ。ルートを外れたとしても、予想しやすい」


 町へ駆け込めば目立ってしまう。

 身を隠すならば、町は避ける。


 本来、安全になるまで町でゆっくりと滞在していればいい。

 だが、捕まった襲撃犯たちが、どのくらいさえずったか分からない。


 名前や特徴など洗いざらい喋った可能性もあるのだ。

 そんなとき、他国の町でゆっくりする訳にはいかない。

 何が何でも王国へ戻ろうとする。


 主要ルートは使えないとすれば、どうすればいいか。答えはただひとつ。

「魔物の出る領域を抜けたのですよね」


「護衛を雇ってな」

「あー、張っていましたか」


 ルンベックはさまざまな場所に、自分の『耳』となる者を置いている。

 今回、魔物狩人付近に多く配置したのだろう。


 非合法な手段で人を雇い、そのまま魔物の出る領域を抜けようとする姿は、それは目立ったことだろう。


「バイダル公のお膝元に潜伏していた連中は、軍事衝突が起きたら情報を逐一報告する役目を負っていた。契約期間は半年、もしその時までに軍事衝突が起きなかったら依頼はそこまで。起きたら延長だそうだ」


「つまり半年以内には、必ず何かを起こすのですか、お父様」

「そうする予定が王国にはある」


「面倒なことですね」

「まったくだ」


「私はフィーネ公に対して言ったのですけど」

「偶然だな、私もだ」


 フィーネ公は、王国から多額の借金をしている。

 王国のいいなりとは言わないが、説得には骨が折れるだろう。


 とくに王国から更なる借金をしなければならないとき、どれだけ王国の意向を撥ねのけられるか未知数である。


「フィーネ公は私に任せなさい。オールトンも向かったことだし、なんとかなるだろう」

「オールトン叔父さまについては、申し訳ありませんでした」


「あれは風来坊だが、無駄なことはしない。何か閃くものがあったのだろう」

 天才だが奇行が激しいと、一部で噂されるオールトン。


 彼は興味を示さないことに、トコトン無頓着である。

 そのため地道な作業をやらせても、いつの間にか消えてしまう。


 反対に、興味を持ったことは、皆が反対してもやりとげる。

 リーザが止めようとしても、オールトンはフィーネ公領へ向かったであろうとルンベックは言った。


「それと、先ほどの……タダシの教育についてですが」

「ヘタに予断を与えなかったのは良かったな」


「イチからしっかりと教えた方がいいかと思いました」

「教育には信頼の置ける者を配置した。問題ないだろう」


「……信頼ですか?」


 あまり他人を信頼しないルンベックにしては珍しい。

 自分の父は、いつの間にそのような相手を見つけたのだろうとリーザは首を傾げた。




 時間は少し遡る。


「あの……本当にここでよろしいのですか?」

「はい、そのように仰せつかっております」


 客間に通されると思った正司だったが、アテが外れた。

 ここは、だれかの私室のようだ。


 個人的な書物や書類が多数置かれているので、書斎が一番近いだろうか。


(といっても、執務室という感じではないんですよね。……やはり私室が一番近い感じです)


 私室を書斎として使っている。そんな印象を正司は受けた。


「あの……」

「はい」

「いえ、何でもないです」


 正司をここまで連れてきた使用人は、正司の斜め後方に立っている。

 無言だ。呼べば答えるが、雑談できる雰囲気ではない。


 自然なほどに雑然としたこの部屋は、居心地がいい空間となっている。

 その中にいてすら、正司は背中がむず痒い感覚に陥っていた。


(どういうことでしょう。身体が全力で逃げろと、警鐘を鳴らしているんですけど)

 おかしい、おかしいとしきりに首を捻る正司。


 扉がノックされ、使用人が一礼してやってきた。

 正司をここまで連れてきた使用人が応対に出て、二言三言話すと、扉の左右に並んで控える。


「お待たせしちゃったかしら」

 笑顔で入ってきたのは、妙齢の女性。


 ラフな格好だが、気品がにじみ出ている。

「あっ、えっと、タダシです」


「タダシさん、我が家へようこそ」

「我が家?」


「わたくしは、ミュゼ・トエルザードと言いますの。リーザとミラベルの母ですわ。会いたかったですわよ、タダシさん」


「あっ」

 似ている。

 そう正司は思った。



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