041 続・釣り師の矜持
翌朝、正司は一番に起きて庭に出た。
そこで軽い運動――と本人が思っているだけで、常人には真似できない動きをしていると、ライラがヨロヨロとやってきた。
「うう……頭痛い」
ライラは昨日と同じ姿だ。
深酒をしてソファで寝てしまい、使用人に見つからないうちに逃げてきたのだ。
もちろん屋敷の使用人たちは分かっている。
ただ、礼儀正しく見て見ぬ振りをしたため、ライラの名誉は守られた……かどうかは定かではない。
とりあえず、二日酔いでライラの気分は最悪のようである。
「おはようございます、ライラさん。良い朝ですね」
一方正司は、元気いっぱいだ。
「ううっ……おはようございます、タダシ様」
精彩を欠く挨拶は、日頃のキリッとしたライラらしくない。
「二日酔いですか?」
「はい。恥ずかしながら、度を超えて飲んでしまったようです」
馬鹿正直に尋ねる正司に、同じく正直に答えるライラ。
不器用な二人の会話は、いつもストレートだ。
「辛そうですね。〈治癒魔法〉をかけましょうか?」
病気や状態異常を緩和するのが〈治癒魔法〉である。
二日酔いの毒素くらい、訳なく抜くことができる。
以前カルリトが飲み過ぎたとき、「頼む、この痛みを取ってくれ」と依頼されたこともある。
「いえ……これは馬鹿なことをした自分への縛めとして、このままに」
「そうですか」
ライラの言う「馬鹿なこと」とは、酒を飲んだことではなさそうだと思い、正司はそれに触れないことにした。
「それに少しすれば、気分もよくなると思います。お気遣いありがとうございます」
「でしたらせめて、これはいかがですか? 林檎をジュースにしてみました」
正司は『保管庫』からグラスを取り出して、林檎ジュースを注ぐ。
昨晩正司は、寝る前にあのすっぱい林檎で、何かできないかと作ってみたのだ。
林檎にはビタミンCが含まれる。
二日酔いにいいだろうと思ってのことだ。
「ありがとうございます。美味しそうですね、いただきます」
一口飲んで、ライラは「冷たい」と呟いた。
「フリージングしてみました。水魔法の応用ですね。摺り下ろしてみたのですけど、漉してないので舌に残るかもしれません。その分、栄養はあると思います」
「とてもおいしいです」
ライラは最後まで林檎ジュースを飲み干した。
ちなみにライラは親から厳しく躾けられている。
その場で立ったまま飲むようなことはしない。
石に腰掛けている。その横には植栽があった。
そのため、屋敷の窓から顔を出したリーザから、ライラの姿は死角となっていた。
「おはようタダシ」
「おはようございます、リーザさん」
「タダシ、朝から鍛錬しているところ悪いけど、ライラ知らないかしら?」
実はすぐ近くにいるのだが、リーザからは見えない。
正司が視線を向けると、ライラは首を横に振った。
「えっと……知りません」
「そう……たったいま、ライラの実家から使いが来てね、昨日家族と言い争いをして飛び出したらしくて、探しているみたいなのよ」
「喧嘩ですか、ライラさんが? 意外ですね」
「そうね、ライラらしくないわ。それで探しているのだけど、屋敷の中にはいなかったし、だとすると実家に戻ったのかしら……使いの者にはそう言っておくわ。邪魔したわね」
あっさりと諦め、リーザは去って行った。
あとに残されたのは、気まずい顔のライラと、どうしていいか分からない正司。
「えっと……」
「巻き込んでしまって申し訳ございませんでした、タダシ様。お嬢様の言ったことは本当です。昨日、両親と喧嘩して、家を出てしまったのです」
「それは……その……何というか……よっぽどのことがあったのでしょう。大変でしたね、ライラさん」
正司がほんの少し優しい言葉をかけた瞬間、ライラの瞳からぶわっと涙が溢れた。
女性の涙にはだれも勝てない。
もちろん正司は完敗である。
(この状態のライラさんを置いて、クエストを受けに行けませんね)
正司は、ポロポロと涙をこぼすライラを必死に宥めるのであった。
しばらくして泣き止んだものの、正司は立ち去ることができない。
どうやらライラは、正司に話を聞いてもらいたいようだ。
クエストは表示されていなかったが、放っておくわけにもいかない。
正司はライラに喧嘩の原因を尋ねた。
「実は、私には三人の兄がいまして……いえ、いたと言った方がいいですね」
ライラは語り出した。
「……そのようなわけで、兄と両親がそろって、私に結婚をするよう強く言ってきたのです」
「なるほど、それで家を飛び出したわけですか」
聞いてみれば納得の話である。
長兄と次兄は、魔物討伐ですでに死亡している。
三男であるライラの二つ上の兄が、家督を継ぐことになったらしい。
ライラの兄が魔物に殺された。そのことに正司は酷く驚いた。
よくよく聞いてみると、これは武に寄って立つ家臣ならば起こりえることらしい。
ライラの家は、トエルザード家から『管理地』を与えられている。
昔の日本にあった「ご恩と奉公」に似た関係だ。
トエルザード家から魔物の出る地を与えられ、それをうまく管理するのである。
ライラの家を主家として、複数の分家で管理地の魔物を狩り、魔物が外へ出ないようにしなければならない。
そこは私有地なので、責任はライラの家にあるという扱いだ。
もちろんデメリットばかりではない。
土地を管理することで、トエルザード家から資金が提供される。
魔物のドロップ品を売ることで臨時収入にもなる。
また、トエルザード家から管理を任されている――つまり、信用されていることになる。
これは大変名誉なことであると考えられる。
同じ家臣仲間でも、管理地を持った家の場合、格は上となる。
というのも、魔物討伐するために「私設軍隊」を持つことができる。
これは発言権にも繋がる。
子息がトエルザード家へ仕えるときも、優先してよい役職が与えられる。
魔物討伐のために多少の出費は出るものの、管理地の責任者は、何が何でも手放したくない役職であるといえる。
「なるほど、魔物の出る地の管理を任されているのですか。大変そうですね」
「大変と言えば大変だと思います。ですが、グレードの低い魔物しか出ない地でしたら、管理する者を出す必要がありませんが」
魔物狩人が勝手に入って狩るので、街道の警備だけで事が足りる。
住民の脅威にはならない地の扱いはその程度である。
ライラの家が管理する地は、グレード4の魔物が出没する。
そのため、定期的に奥まで行って数を減らさないといけないらしい。
その魔物討伐で、ライラの兄が二人も死んでいる。
「三番目の兄がこの前の魔物討伐で怪我をしました。兄の怪我はもう快方に向かっているのでよいのですが、連れて行った兵にも多数の死傷者がでてしまったようです」
兄が亡くなったのはもう何年も前のことであるが、いろいろあって、奥の討伐は未達成になっていた。
そして間の悪いことに、家の内でゴタゴタがあり、なかなか次の討伐へ行くことができなかった。
「奥へ行くにはそれ相応の兵を揃えなければなりません。装備を調え、訓練を施す必要もあります。それらの準備に半年くらいかかるでしょう」
「そんなにですか」
中途半端な状態で向かって失敗しましたでは目も当てられない。
遠征する前になるべくリスクを減らしておくのは常識らしい。
ところが準備に手間取っている間に、管理地の奥は手つかず。
グレードの高い魔物の数が増えてしまっていたという。
結果、最近の魔物討伐は失敗。新しい兵を補充して、いま訓練中だという。
そんなときにライラが実家に帰ってきたものだから、話がややこしくなったらしい。
「リーザお嬢様付きの護衛は私を入れて三名おります」
「あれ? そうなんですか?」
リーザの護衛はライラだけだと思っていたので、正司は意外に思った。
「三名のうち、二名が護衛につきます。私は今年二年目でしたので、旅に同行しました。トエルザード家に着いたら、新しい者と交代するためです」
リーザの護衛は、身の回りの世話を兼ねて選ばれるため、全員女性である。
二年勤めて、一年鍛錬するというローテーションを組んでいる。
一年目と二年目が護衛をし、三年目は鍛錬する感じで、任期をずらして仕えている。
鍛錬が終わるとまた護衛の一年目に戻る感じだ。
そして毎年、そのローテーションが変わる。
今年はライラが二年目で交代の時期なのだそうだ。
「もう一人の護衛はどうしたのですか?」
「王国にあるトエルザード家の屋敷にいます。特命が与えられていますので、別命が出るまで屋敷から出ることはないでしょう。もっともそれも今では無用と化しましたが」
「どういうことです?」
意味の分からない正司に、ライラは笑って説明した。
「リーザお嬢様が王国の陰謀を掴みました。そのことは手紙にして、複数のルートでトエルザード家へ伝えてあります。ですが、そのすべてを潰されることも考えられます」
「物騒な話ですが、そういう可能性もありますね」
「ですので、事情を詳しく知る者が王国に残ったのです。もしお嬢様の身に何かあれば、王国の屋敷に使いがまいります。そのとき説明できる者が必要だったのです」
リーザの護衛一年目の者は、屋敷から絶対に出ない。
本家から人がやってくるか、リーザ本人から解除命令が出るまで、屋敷の奥深くで密やかに暮らすらしい。
もし王国が何とかしようとしたら、屋敷を襲撃するしかない。
それは事が露見しなくても大事になる。
リーザはそれを見越して護衛をふたつに分けたらしい。
「すごいことを考えますね、さすがリーザさんといったところでしょうか」
「お嬢様は、自分の命よりも王国の陰謀を潰すことを選ばれました。情報を掴んだ時点で王国に留まることは不可能でしたので、どのみち手はなかったと思いますけど」
そうやって人知れず陰謀が巡らされ、裏で歴史が動いていくのだという。
「それで私が鍛錬の年を迎えるわけですが、それは実家で行うことになるでしょう」
ライラの家は武門の出である。
実家で魔物狩りをしつつ一年間鍛錬することになるだろうと。
それは既定路線だとライラは思っていた。
ただし、その一年の間に結婚しろと、前々から言われていたらしい。
それが嫌で、任期が終わるのが憂鬱だったそうだ。
そして今回の里帰りで、久し振りにライラが実家に顔を出した。
「三番目の兄が怪我をしたのは、昨日知ったのです」
鍛錬の年はもうすぐである。
だが両親と兄は、それまで待てない。
いますぐ何が何でも結婚しろと強く出てきたため、ライラは反発して大喧嘩。
挙げ句の果てに、ライラは家をとび出てしまったのだという。
「私の結婚相手は、分家の跡取りだそうです。戦力強化のために急いでいると」
本来ならば、護衛の任期が切れてからの話だったのだ。
だからライラは憂鬱ではあったものの、まだ時間は残されていると考え、昨日は実家に帰った。
ところが、いざ戻ってみると家の屋台骨が揺らいでいるので状況は待ったなし。
一族の結束力を強めるためにも、すぐにでも分家のひとりと結婚しろと強要してきたようだ。
「ライラさんが結婚することが、それほど重要なのですか?」
「家にとってはそうなります。分家の動揺も抑えられますし、兵力の増強にも繋がります」
ライラの実家を本家として、魔物討伐の兵を組織している。
本家の娘が実家を蔑ろにしてトエルザード家に尽くしているのが現状だ。
この危機的状況にそれはないんじゃないか。
分家の間からそんな声が出ているという。
本家は分家に対してもっと兵を出せと言うが、それより本家の人間を魔物討伐に関わらせろと風当たりが強いという。
もちろんこれはライラに非はない。
トエルザード家の家臣なのだから、主家に仕えることは誉れと思うことはあれど、瑕疵ではない。
ただ、分家としてはおもしろくない。
本家の覚えがめでたいのはいいとして、本来の役目をほっぽり出して自分たちだけ働かされている。
人員に余裕があるならばまだしも、役目を全うする最低限の兵すら確保できない昨今の状況で、これまでと変わらずトエルザード家に仕えたままでいいのかと不満が噴出しているらしい。
本家が自分たちを優先するならば、自分たちも同じだ。
なけなしの兵を供出することは控えるぞ。そんな声が上がっている。
「グレード4の魔物ですよね」
「はい。我が家が管理する『嘆きの森林』では、奥に数種類のグレード4の魔物が出没します。そして最近はその数を増やしつつあるようです」
強い魔物が増えれば、必然、徘徊するテリトリーが広がる。
それに押し出されるようにして、よりグレードの低い魔物が、その外側へ追いやられる。
管理地から魔物が押し出され、町に多くの被害をもたらせば、管理者の責任問題となり得る。
ライラとしては主家と実家の板挟み。頭の痛い問題だろう。
「ライラさんは結婚したくないのですか? それとも、その相手の方と結婚するのが嫌なのですか?」
「そうですね。結婚……したくないのだと思います。もし結婚するにしても、自分で相手を決めたいと思います。少なくともお嬢様の護衛を続けられるような相手と結婚したいです」
「つまりライラさんは、リーザさんの護衛をこれまで通り続けたいと」
「はい。それを優先できる相手でしたら、前向きに考えられると思います……ですから昨日、私はああも反発したのですね」
結婚の話は前から出ていた。
それでもライラは昨日、実家に帰った。
時間はまだある。説得するか、相手との妥協点を探せると思っていた。
だが実際に話してみると、家のためにすぐ結婚して、分家の動揺を抑えろと頭ごなしに言われた。
当然ライラは反発し、話は両者とも激昂して収拾がつかない。
喧嘩別れという結果になってしまった。
「なるほど。……タダシ様、話を聞いていただき、ありがとうございました。話したら、問題点が整理できたように思えます。もう一度実家に戻って、お嬢様の護衛を辞めるつもりはないと伝えてきます。その上でしたら、妥協できるところは妥協することもあるかもしれません」
順を追って話しているうちに、ライラの気持ちが落ちついたらしい。
「いつものライラさんに戻ったようですね」
落ち着きを取り戻したライラならば、きっといい解決策を見つけるに違いない。
そう正司が思っていると……。
「そういえば正司様は、今日も何が予定があると伺いましたが」
「ああ、忘れていました。クエストを受けるために出かけるんでした」
「そういうことでしたら、お出かけください。私はお酒が抜けるのを待ってから、実家に向かおうかと思います」
「はい。では行ってきます。夜には戻ると思いますので」
ずいぶんと話し込んでしまった。
正司は移動魔法を使い、昨日の酒場に跳んだ。
昨日出会った『釣り師』のレイは、まだ従業員用の小屋にいた。
起きてはいたが、小さなテーブルに突っ伏していた。
「ううっ……頭が痛い」
どこかで聞いたような言葉が聞こえてくる。
二日酔い……本日二人目だ。
マップで確認すると、あいかわらずクエストマークはついたまま。
時間制限があったとしても、今ではないようだ。
「レイさん、おはようございます。昨日お会いしたタダシです。覚えていますか?」
「ああ……問題ない。ちゃんと覚えているさ。宿屋の娘に惚れて失恋したタダシくんだろ」
「全然違いますよ。だれですか、それは」
「冗談だ……鍛冶屋のオヤジと喧嘩して、一発で伸されたタダシだったな。あの空振った右フックは惜しかった」
「それも違います。私は喧嘩なんて恐ろしくてできません。昨日酒場で一緒だったタダシですよ。レイさんから『釣り師』の仕事を教えてもらったじゃないですか」
「ああ、そういえば、そんなことあったような……なかったような」
どうやら少しは思い出したらしいが、本当にレイは細かい所を忘れているようだ。
「父親から転職を言われたんですよね。心配して見に来たんです。まだお酒が抜けていないようですね」
「そうなんだ。もう頭がガンガンして痛くて敵わない。あと気持ち悪いし……」
酒臭い息を吐き出すレイの顔色は真っ青である。
「〈治癒魔法〉で治しましょうか?」
「使えるのか? だったら頼む! この頭痛と胸のムカつきはどうしようかと思っていたんだ」
正司が〈治癒魔法〉を使うと、レイはスッキリとした顔に戻った。
「それで、昨日の続きですけど、何か悩んでいることはありませんか?」
「そういえば、そんな話もしたっけな……俺が悩んでいることって言ったら、親父が狩りに連れて行ってくれなかったことかな。そんで仕事を変えろなんて無茶を言われたが、これまで釣り師一本でやってきた俺に、別の仕事なんかつとまるわけがない」
それは確かに困ったことだろう。
だが今の話を聞いても、クエストは開始されない。
「他に困っていることはないですか?」
「いまんとこ、ないな……だけど、どうして親父はあんなことを言ったんだろうな。今回の遠征、一人より二人の方がいい。連れてってくれてもいいのに……」
「そうですね。これまでのレイさんの働きを知らないのでしょうか?」
「釣り師なんて、ひとつの町にそう大勢いるわけじゃない。活動を知らないってことはないだろうよ。どこでどんな仕事をしたなんて話題は、どこの酒場でも聞ける。今頃親父は『嘆きの森林』で仕事を始めたころかな」
「そうですか……ん?」
そこで正司はなにか引っかかった。
いまレイが話した内容……その中で聞き覚えのある単語があったのだ。
『嘆きの森林』という言葉を最近聞いた。
(どこで聞いたのでしょう? 聞いたのはつい最近のことでした。あれはたしか……ああ、思い出しました。ライラさんの実家の管理地じゃないですか)
なんという偶然……と思ったが、同じ町のことである。
近くに『釣り師』が必要になるような危険な場所が、そう沢山あるわけではない。
(あれ? ですが、ライラさんは変なことを言っていましたね)
軍隊を出して魔物狩りに向かったが、そこで兄が怪我をしたと。
それだけでなく兵にも死傷者が出て、軍の再編が必要になったとも言っていた。
(なるほど、そういうことでしたか。傭兵団に討伐を任せることにしたのですね)
グレード4の魔物が多数出没しているらしい。
それを放っておけないから、傭兵団に任せたのだろう。
そこで正司は別の疑問を覚えた。
――ライラの本家よりも、傭兵団の方が大きな戦力を持っているのだろうか。
ライラの実家は、これまで『嘆きの森林』を管理してきた。
十分な戦力を持っていたはずである。
だが、グレード4の魔物が増え、手に負えなくなった。
自力での討伐を諦め、傭兵団に依頼したのだろう。
他者を頼るのは分かるが、ここでひとつ問題が出てくる。
依頼を受けた傭兵団は、それほど強力なのだろうか。
「レイさん、ちょっとお伺いしたいのですけど」
「ん? なんだ?」
「そこを普段管理している軍隊より、今回向かわれた傭兵団の方が数が多いのでしょうか? もしくは強力な方々が多いとかですか?」
「いや、そんなはずはないな。管理地の責任者が所有する以上の軍隊を持つのは難しい。なにより普段、その規模を維持できない」
「ではなぜ向かったのでしょう」
「さあ、詳しいことは分からないが、討ち漏らしの掃討に行ったか、単純に手が足らなくて協力しに行ったか、本隊がやってくる前の露払いかもしれん」
本隊はいま再編成中のはずだ。
いまのレイの予想はどれも当てはまらない。
「もしかして、時間稼ぎですか?」
「時間稼ぎというと……?」
「しばらく本隊が来れないので、傭兵団に時間稼ぎをしてもらうつもりかと思ったのです」
「ん? どういう意味だ?」
正司は、今朝ライラから聞いた話を語った。
とくにグレード4の魔物が増えすぎて手に負えなくなったくだりで、レイの顔が曇った。
「迂闊なことは言えないが、そりゃ時間稼ぎの可能性もあるな。失っても痛くない存在として狙われたか……だとすると親父が危ない。グレード4が多数出没するような場所じゃ、『釣り師』単独だと追いつかれる」
こうしちゃいられないと、レイが走りだそうとするのを正司が慌てて止めた。
「もう始まったころなんですよね。いま走って行っても間に合いませんよ」
「そうだけど、じっとしちゃいられないだろ」
「事実もまだ確認取れていませんし、ここはいっそライラさんに聞いてみたらどうでしょう」
「ライラってのは、さっき言っていた管理をしている身内の者か」
「ええ、そうです。ある程度詳しい話が聞けると思います」
「連れてってくれ」
「分かりました。すぐに跳びましょう」
「跳ぶ? それっ……」
レイは最後まで言えなかった。
人命がかかっているかもしれない。
そう思った正司は、一刻も早くライラに事情を聞きたかった。
それゆえレイの返事を待たず、移動魔法で屋敷へ跳んだ。
「なんだここはぁ!?」
一瞬で景色が変わったことに驚くレイ。
「ライラさんは……いました」
ちょうど屋敷を出る所だった。
正司はレイの手を引いて駆けよる。
着替えを済まし、キリッとしたいつものライラがそこにいた。
「これはタダシ様、もうクエストは……となりの方はどなたでしょう?」
「酒場で知り合った『釣り師』のレイさんです。『嘆きの森林』のことで、ライラさんに詳しい話を聞きたいと思いまして、戻ってきました」
「『嘆きの森林』ですか? 私にどのような話を聞きたいのでしょう」
「実はですね……」
正司が語った内容に、ライラは頭を抱えることになる。
兵に死傷者が出たため、再編成をすると聞いていたが、それ以上のことは知らなかった。
「……お話はごもっともです。我が家の規模を越える傭兵団は、この町には存在しないと思います」
つまり傭兵団『緑の旅団』は、正規の軍隊がこなせなかった依頼を受けたことになる。
「傭兵団のみなさんはそのことを知っているのでしょうか」
「分かりませんが、死傷者が出て、遠征に失敗した噂は届いていると思います。ただ、どの規模の被害があったのかとか、『嘆きの森林』がどのくらい危険なのかなど、詳しい話は知らないと思います」
グレード4が大量に発生している噂を流せば、町の住民を不安に陥れる可能性がある。
酒場でもそのような話は流布していなかった。
傭兵団には、前回の遠征によって被った被害――その事実のみが伝えられているだろうとライラは語った。
その上で本来の役目をやってくれないかと依頼したのだろうと。
「『緑の旅団』はそれを受けたのですか」
「グレード4の魔物でしたら、連携の取れた集団で倒せます。自信があるのでしょう」
ライラの家が保有する軍隊は、規模も質も高いという。
それを考えれば、いくら自信があろうとも、傭兵団に代わりが務まるとは思えないらしい。
そのため、時間稼ぎではないかという正司の考えは、当たっているかもしれないと。
「軍の再編が終わるまで時間がかかります。いくつかの傭兵団に依頼するつもりかもしれません」
傭兵団も馬鹿ではない。
困難な状況に陥っても、被害を減らす術は身につけている。
ならば、次々と傭兵団を派遣させれば、被害を受けながらも少しずつ魔物の数を減らせるだろう。
そして軍が再編成するだけの時間を稼げればいい。
再編が終わり次第駆けつけられるのだから。
「昨日実家に顔を出したとき、すでに古参の兵が新兵に陣形や戦い方を教えていました。『百日訓練』といって、召集したばかりの新兵を使いものになるよう、百日でたたき上げる方法が、わが国にはあるのです」
地球でも現代兵器を扱う前、まだ原始的な戦闘が主流だった頃、兵の最初の基礎訓練は三ヶ月くらいだったと、正司はどこかで読んだ記憶がある。
体力と度胸をつけて、集団での動き方を学ぶのにそれくらいかかるらしい。
三ヶ月では、最低限度の動きしかできないが、あとは実戦でということになる。
この世界でも百日で仕上げるというのだから、なかなかハードである。
「親父はおそらく、危険だと言うことを『釣り師』仲間から聞いていたんだ」
ここまでライラの話を黙って聞いていたレイがそう呟いた。
「今回の遠征は危険……いや、無事に帰れる可能性が低いって知っていたんだ。だから俺を外したんだ……くそっ!」
「釣り師は、指揮官と同等かそれ以上に、魔物について詳しい情報を得ていておかしくありません」
どこにどんな魔物がどれだけいるのか。
それを知らなければ、釣り師などやっていられない。
釣り師の仕事の大部分は、そういった遠征前に行う地道な情報収集なのだと。
一旦仕事を始めれば、そこはもうただ一人の世界。
魔物を見つけて連れてくるまで、誰の助けも借りられない。
頼みになるのは自分の身体と、遠征に出るまでに蓄えた知識のみ。
事前の情報収集を疎かにするような父親ではないとレイは言った。
だからこそ、複数で望むべき高グレードの討伐依頼に、今回だけは単独で挑むことにしたのだろう。
レイはキッと顔を上げた。
「タダシさん! さっきここへ来たのは、タダシさんの魔法ですよね」
「ええ、そうです」
「その魔法で俺を親父の所へ連れて行ってもらえませんか?」
「レイさんのお父さんの所へですか?」
「そうです! グレード4の魔物が複数いる場所なんて、釣り師ひとりじゃ無理だ。俺に親父を手伝わせてくれませんか」
そのとき、正司の目の前にクエスト表示が浮かんだ。
――クエストを受諾しますか? 受諾/拒否
いつもの文言だ。正司はすぐに「受諾」を押す。
ようやくクエストが始まった……と思ったら、なぜかマップの白線はライラに向かって伸びていた。
(次の目的地はライラさん? これはどういうことなのでしょう?)
正司がライラに視線を向けると、ライラは分かっていますというように頷いた。
「『嘆きの森林』へ行きたいのですね。実家の管理地ですから、私は行ったことがあります。切り払われた木々の中を進むと大きく開けた場所があるのです。傭兵団はそこに陣を敷いて魔物を待ち構えていると思います」
ライラは何度か魔物討伐に参加しているらしい。
グレードの高い魔物を討伐しないときは、経験の浅い者をよく同行させるらしい。
「でしたら、すぐに行けますね。ライラさん、これを使ってください」
正司は『保管庫』から〈移動魔法〉の巻物を取り出した。
それは、以前リーザへのお土産に渡したものと同じである。
調子に乗って作りすぎて、余らせていたものだ。
「分かりました。使い方は分かります」
ライラは巻物に書かれている呪文を詠み上げた。
その瞬間、三人の姿はここから消えた。
ニドルは『釣り師』である。
そして今、魔物の出る森の中を疾走している。
後ろからはグレード4の魔物が二体、追いすがって来る。
走りながら、二本の巨木を利用して三角跳びをする。
左から右へと飛び、ニドルの姿が魔物の視線から消える。
巨木の裏に隠れた瞬間、素早く距離をとって次の巨木の陰に入る。
「チィ、これでも無理か」
だが、追いすがる二体は健在。正確にニドルの居場所を追いかけてくる。
陣へ帰るには、どこかで一体を撒かなければならない。
だがどう距離を取っても、遮蔽物を利用しても、それは不可能だった。
「嗅覚で追って来てるな……こりゃ本格的にヤバいかもだな」
今回の依頼を引き受けるにあたり、ニドルは単独で行うことを決めた。
釣り師仲間から『嘆きの森林』が危険な状態である話は聞いていた。
他に受ける者がいなかったのもある。
今回、かつて世話になったことのある傭兵団からの依頼であり、断るのは気が引けた。
だが、『釣り師』仲間を誘うには、危険が大きすぎた。
複数の釣り師を動員すれば、難易度は下がる。
だが、それでもニドルは仲間を巻き添えにしたくなかった。
今のように二体に追われている場合も、釣り師が二人いれば、一人が時間稼ぎをし、一人が魔物を陣まで連れて行くことが可能になる。
一人の場合、独力で振り切らなければ、陣まで連れて行くことができない。
ニドルはこれまで培った技術を駆使して振り切ろうとするが、どうにもうまくいかない。
その理由のひとつに、森林を自由に駆け回れないことがあげられる。
(これほどグレード4の魔物が増えていたとは)
森の深部は危険だ。
あまり広範囲に動くと、さらなる魔物を引き寄せてしまう。
そのため、一定の範囲内から奥へ行けないのだ。
(俺もとうとう、ヤキがまわったってことかな)
陣まで逃げれば、被害甚大となる。
いまなら釣り師である自分一人の犠牲で終息する。
このあと別の釣り師を雇うにしても、自分の息子には引退を勧めておいた。
多少反発したようだが、自分が未帰還になれば、熱も冷めるだろう。
少なくともこれで「昔の義理」は果たせたとニドルは思った。
(魔物の出現には偏りがあるとは知っていたが、こう目の当たりにすると、驚きの連続だな)
かつて南の未開地帯で、グレード5の魔物が人知れず増え始めたことがあった。
ついに飽和をおこして、魔物が進化したことがある。
凶獣と呼ばれたグレード5を超える魔物の誕生である。
一定範囲内に多数の魔物が生まれることで、進化が促されるといわれている。
今回、グレード4の魔物の異常発生を目にした。
これは人の手に余るほどの増量だ。
国軍を派遣して、長期的視野に立った上で対処すべき案件であるとニドルは思った。
「遅かれ早かれ、そう決断することになりそうだな。それまでの被害が少なければいいのだが……」
自分が死んだあと、若い者たちが苦労するのは忍びない。
できれば数体でもいいから魔物を減らしたかった。
ニドルはそう思って懐を探ると……。
「もう『煙キノコ』もないか」
正確には煙キノコで作ったポーションである。
これを撒くと、およそ数時間、撒いた地点から煙があがる。
煙キノコは便利なもので、釣り師どうしの連絡に使ったり、自分が迷わないために使ったりする。
撒く量や、撒き方によって、煙の出方が違う。
それで釣り師だけが分かる符丁にもなっている。
すでにニドルは、持ち込んだ「煙キノコ」ポーションを使い切っていた。
「こりゃもう駄目かもしれんな」
息が切れ、足腰がガタガタいい始めている。
よくない傾向だ。
一方、追ってきている魔物はそのまま。
これでは遠からず追いつかれてしまう。
「……いよいよか」
この先はグレード4の生息地。
ニドルの左右後方から追ってきているため、もはや進路変更も叶わない。
ニドルが森の深部に足を踏み入れ、多くの魔物の気配を感じはじめたとき。
「――親父!」
聞き慣れた声がした。
「えっ!?」
ニドルは思わず、足をとめて振り返る。
「親父! 一体は俺に任せろ」
「レイ、おまえどうやって?」
「それは白線を追ってですけど……」
「誰だ?」
息子レイのそばに、見知らぬ男女の姿があった。
「親父、話はあとだ。一体を連れて行けばいいんだよな」
「おまえ、場所分からないだろ」
「なに言ってんだ。煙キノコを辿ればいいじゃないか。見れば分かるぜ」
レイはニドルを追ってきた一体の目の前をワザと通過して、自分に興味を引きつけた。
タゲを移すという行為である。
二体が一体ずつに別れるや否や、レイは踵を返して森の中に消えていった。
たしかにニドルは、森の中で迷わないよう、煙キノコを撒いてきている。
「えっと……ライラさん。前と後ろから魔物が来ていますが、倒しちゃっていいと思いますか?」
「タダシ様のお好きにして、よろしいんじゃないでしょうか」
「そうですか。では……」
正司は火球を作り出し、ニドルを追っていた魔物と、森の深部から現れた三体の魔物を同時に攻撃した。
もちろん火球一発で魔物は消えた。
「えっ?」
呆然とするニドルに、正司は「あっ、はじめましてですね。私はタダシと言います。クエストの途中で寄らせていただきました」と告げ、礼儀正しく頭を下げた。
「あんた、一体……」
ニドルは訳が分からない。
町にいるはずの息子がここに来たこともそうだが、いまグレード4の魔物が一瞬にして炎に焼かれた。
魔道士級の魔法ならば、グレード4の魔物にも効果があると聞いたことがある。
いまのがそうだろうか……そうニドルは思ったが、それはあくまで「効果がある」というだけで、一撃で倒せると聞いたことはない。
「タダシ様、この場で大変厚かましいお願いなのですが、森の魔物を減らしていただくことは可能でしょうか」
「ああ、そうすればライラさんの結婚話も、うやむやになるかもしれませんね」
「うやむやに……私だけの話ではないのですが、グレード4の魔物が多数おりますと、町の住民に不安を抱かせることになります」
「なるほど、それはそうですね。では……ちょっと探ってみます」
魔力を注ぎ、〈気配察知〉を全開にする。
「ああ、結構いますね。大きさ的にみんなグレード4みたいですね。四、五十体は引っかかりましたが、全部倒しちゃった方がいいですか?」
「よろしくお願いします」
「分かりました。まずマップの範囲から」
馬車の中から森にいる人の数を当てたり、襲撃者をかなり離れた場所から察知したことをライラは知っている。
もはや、正司の言葉を微塵も疑っていない。
奥にグレード4の魔物がそれだけひしめいているのだ。
正司から五条の光が迸って、曲線を描いて飛んでいく。
音と振動で、それが着弾したのが分かった。
吹き付ける熱気で、先ほどの光が炎を濃縮したのだとライラは気付いた。
「あとはマップの範囲外にいますので、行ってきます」
身体強化を施した正司の身体はすぐに見えなくなった。
「お、おい……今の……あ、あれは一体?」
「世の中には、知らない方が良いことがあります」
「そ、そうだな」
キッパリと言い切るライラの気迫に押され、ニドルは引き下がった。
あの魔法ひとつとってもただ者ではない。
ならば、知らない方がいいというのは、正しいことに思えたからだ。
しばらくして正司は帰ってきた。
「すべて倒しました」
「ありがとうございます、タダシ様。このご恩は、生涯忘れません」
「そんな大袈裟な。ちょっと行ってきただけですから」
「いえ、我が家の管理地のことです。本当に感謝致します」
「本当に大したことありませんって……それでは戻りましょうか。場所は傭兵団が陣を敷いた場所――さっきのところで良いですよね」
「はい。今頃、グレード4の魔物と戦闘中でしょう。念のため、行った方がよいかと思います」
「では、戻りましょう。あの……レイさんのお父さんも一緒にどうですか?」
そう言って、正司はニドルに笑いかけた。
その日の夜、トエルザード家の屋敷。
ライラは、遊戯室でくつろぐ他の護衛たちに気付かれないよう、リーザの元へ向かった。
内密の話である。
リーザはライラを自室に呼んで、話を聞くことになった。
「話というのは、昼間のことよね。使いの者には、探したけれど見つからなかったと伝えておいたわ」
「ありがとうございます。お嬢様にお手数おかけしました」
「それはいいのだけど、実家で何があったの? ライラの口から聞きたいわ」
「はい。両親の許可を得た事のみしかお話しできませんが、私が家族と喧嘩した原因なのですが……」
ライラはかねてよりライラに結婚して、実家を盛り立ててほしいと両親が願っていることを話した。
そして今回、遠征の失敗で分家が動揺している。
それを抑えるため、すぐに結婚して家に入れと言われたことを語った。
その先のこと、つまり実家が傭兵団を管理地へ派遣したことは一切触れていない。
あくまで遠征に失敗して兄が怪我をし、軍の再編成が行われていることが話の中心だ。
またライラに関わることとすれば、「すぐに結婚しろ」と言われたことのみ語っている。
時間稼ぎのために傭兵団を派遣したことは外聞が悪い。
家の名誉にもかかわるため、両親から話すなと言われていた。
この辺の事情をトエルザード家が調べて知るのは構わないが、自分からわざわざ言う必要は無いという判断だ。
「本日、タダシ様の協力もあり、家族ともう一度よく話し合うことになりました。結果だけ申しますと、即日結婚する話はなくなりました」
「タダシが協力ね……それは言えない事なのかしら?」
「申し訳ありません。家の名に関わることですので」
「だったらいいわ。タダシのことだから……いえ、考えない方がいいわね。それでライラは残ってくれるのでしょう? だったら、これからもよろしくね」
「ありがとうございます。引き続き護衛を務めさせていただきます。よろしくおねがいします。そして今回の件で、お嬢様にご心配おかけしました。申し訳ございません」
「いいのよ。まさか『嘆きの森林』でお兄様が怪我をしたなんて、まったく知らなかったもの。あそこは防衛杭があるから、滅多なことはおきないと思っていたし」
広い場所があれば、土中に鉄杭を埋めて、魔物の進行を留める策が有効である。
それを防衛杭という。
人の胴体ほどもある杭が、土中から3メートルくらいの高さまで伸びている。
兵はその合間を縫って魔物に襲いかかり、ときには杭の陰で攻撃をやり過ごしたりする。
人は杭の間を自由に移動できるが、魔物の大きさでは引っかかる。
広い場所がないと防衛杭の設置は難しい。
だが、ひとたび設置すれば、非常に効果的な障害物となり得る。
「兄の怪我は快方に向かっておりますし、家族も私の立場を理解してくれました。当分は大丈夫だと思います。もうすぐ鍛錬の一年になりますので、結婚の話はそのときに改めてとなりました」
本日、『嘆きの森林』から戻ってすぐ、ライラはまっすぐ実家に向かった。
正司から借り受けたグレード4のドロップ品を持って。
ドロップ品を持っていったのは、半ば脅しである。
詳細は明かせないが、とある大魔道士が手伝ってくれたので、管理地にわんさと湧いていた魔物がいなくなったと伝えた。
その上で、討伐の功績は傭兵団『緑の旅団』に与えるよう、強く伝えるのも忘れなかった。
傭兵団に尻ぬぐいをさせた負い目と、ライラの後ろにいる正体不明の大魔道士の存在に、両親と兄は、一も二もなく了承した。
魔物がいなくなれば、誰が排除したかは気にすることではないのかもしれない。
だが、傭兵団が帰ってくるまで、まだ数日ある。
なぜ結果をライラが知っているのか、両親は不気味でしょうがない。
もしかしたら、トエルザード家秘匿の大魔道士がこの町に来ているのかもしれない。
そう考えた。
家臣の動向を秘かに探るため? 当主ならばやりかねない。
ならば目立った行動は慎むべきだ。
同様に後ろ盾を得た自分の娘――ライラに逆らうのは得策ではない。
両親と兄はそう判断したため、ほぼ無条件でライラの意見が認められた。
ちなみに、正司たち三人が移動魔法で森の中の陣に戻ったとき、傭兵団は戦闘の真っ最中だった。
やや離れた場所に出現したこともあり、だれも正司たちには注目していなかった。
隅で休憩しているレイの所へ行くと、クエストがクリアされた。正司は貢献値を得たのである。
ホクホク顔の正司に、レイは「このまま親父と一緒にここで魔物を釣る」と言った。
もうグレード4の魔物はあらかた狩り尽くしたと言おうとした所でライラに止められた。
「このまま傭兵団に残ってもらって、遠征を成功してもらいましょう」
今回のグレード4の騒動。
ライラは、傭兵団の手柄とすることで、事態の収束を計りたいようだ。
グレード4の魔物がまだいるかもしれないが、ニドルとレイの二人ならば問題ないだろう。
ならば、何も言わずに戻ろうというのだ。
「魔物の脅威がなくなれば、結婚の話は振り出しです。もうすぐ鍛錬の一年が始まりますので、家族とじっくり話し合って将来を決めたいと思います」
「なるほど、それがいいですね」
今回、「すぐに」結婚しろと言ったのは、グレード4の魔物が溢れんばかりに増えたからだった。
それがなくなれば、急ぐ必要はない。
家族もライラも、一年かけて話し合う時間が残された。
「タダシがライラに協力したのは意外だったけど、よい感じにまとまったようね」
ライラが一番に信頼する相手は自分である……そうリーザは思っていただけに、少し複雑だった。
「それでですね、お嬢様……」
「なに? まだ何かあるの?」
「家族と話すのに必要でしたので、タダシ様から魔物のドロップ品をお借りしたのです」
「ドロップ品? まあいいわ。それで?」
「お返ししようとしましたところ、別にいらないからあげると申されまして……」
ライラの顔が、非常に困っている。
相当困ったことがおきたのだとリーザは理解した。
「貴重なドロップ品なの? もしかしてコインとか?」
「いえ、グレード4の魔物ですから、最高で魔石までなのですが……」
「魔石でも高級品には違いないけど、タダシの非常識さからすれば特筆することではないわよね。もらっておきなさい」
「いえ……あの……その」
ライラにしては珍しく歯切れが悪い。
「私が見て判断しましょうか。どれ? どこに置いてあるの?」
「あの……目の前に……ございま……」
「目の前? 目の前って、小さなポーチがあるだけじゃないの」
「この中に入っていたり……するのですが」
「………………」
非常に悪い予感がしたようで、リーザが両手でコメカミを揉む準備をはじめた。
「ライラ。怒らないから、私に分かるように話してくれるかしら」
「…………はい。タダシ様からドロップ品を入れた『収納袋』を戴きまして、馬車一台分の容量があるそう……です」
「………………」
リーザは両手でコメカミを揉んだ。
それはもう凄い勢いで揉んだ。
「信じられないかもしれませんが……本当にそれくらい入ります。タダシ様はポーチは余ってるからいらないと申されまして……」
「あれかー!」
リーザは絶叫した。
それはどういう意味だろう。ライラは首を捻った。
実はタレース誘拐事件解決のさい、魔物の出没する荒れ地で一泊した。
そのとき正司は、「ヒマだから」という理由で『収納袋』を山ほど作ったのである。
世に出すには危険すぎるし、貰っても返せるアテがないとリーザは受け取らなかった。
正司はそれをずっと余らせたまま持っていたのだ。
「受け取ったら駄目だったでしょうか」
「………………いや、もういいわ」
実家への帰還を前にして、またひとつ頭痛の種が増えたリーザであった。