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040 釣り師の矜持

 オールトンがいなくなってしまったというトラブルはあったものの、馬車は予定通り、リークエストの町を出発した。


 順調にいけば、翌日の午後には次の町へ到着できる。


 そのかわり今日は、街道を進めるだけ進む。

 馬は大変だが、我慢してもらうしかない。


 休憩を最小限にして進んだ。

 暗くなってから、凶獣の森にある正司の拠点へ跳んだ。


 今夜は拠点に宿泊である。

 すでにみな慣れたもので、ライラが食事の用意をし、他の護衛たちは馬の世話をはじめた。


 その間リーザは、父親宛に手紙を書いている。

 昨日のことと、今朝の出来事だろう。


 オールトンと出会ったこと、一緒に帰ろうと誘ったこと、翌朝逃げられ、おそらくフィーネ公領に向かったことを書かねばならない。

 ミラベルと一緒に、あーでもない、こーでもないと言いながら書き進めている。


 この旅の間中、リーザはやたらと手紙を書いている。

 伝えることが多すぎて、大変なのだ。


 今回は身内の件を書かねばならない。

 ときどき頭を抱えていることから、あまり悪口も書けず、かといってウソを書くわけにもいかないと悩んでいる感じだ。


 そして正司はというと、普段通り薬草の水やりをする予定だったが、今日は珍しくライラの所へ向かった。


「タダシ様、食事の用意は私が致しますが……」

「ライラさんはそのまま作ってください。今朝戴いた林檎がありますので、私はそれで何か作ろうかと思います」


 この拠点に住んでいたのは正司ひとりである。

 だがなぜか、厨房を広く作っていた。


 数人が一緒に作業してもまったく問題ないほどの広さがある。

 正司はライラの邪魔にならない場所――予備の調理台を使うことにした。


『保管庫』から今朝受け取った木箱を取り出す。

 中にはぎっしりと林檎が詰まっている。


 その中からいくつか取り出し、調理台の上に並べる。


「タダシさまは、その林檎で何を作られるおつもりですか?」

「そうですね……普通はどうやって食べるものなのでしょう?」


「普段……ですか?」

「ええ、どう調理しようかと思いまして」


 どうやら食べ方を知らないらしいとライラは思った。

 そういえば、オールトンに促されるまま丸囓りしていたなとライラは思い出した。


 南方には林檎はないらしいと聞いたことがある。

 ならば何も知らずに、生で食べることもありえる。


 ではどういう調理方法があるだろう。

 そこでライラは困ってしまった。


 ライラ自身、あまり林檎を食べた記憶がない。

 酸味付けに少量使われたり、味のアクセントとして使われたりすることはあるが、メインの料理としてはどうだろうか。


 日本の林檎は、長い年月をかけて甘く美味しくなるよう品種改良されたものだ。

 それに比べると、この世界の林檎は小さくてすっぱい。


 ライラも林檎は苦手であった。そのまま食べることもしない。

 そのため、メインに使われている料理を思い出すのにやや時間がかかった。


「そうですね……薄く切って乾燥させたものを見かけたことがあります」

 実際に食べたことがないので、やや自信なさげだ。


「なるほど、ドライフルーツですか。それはおいしそうですね。ただ、今晩の食事には間に合わないようです」


「作られたことがあるのですか?」

「いえ……作り方を知っている程度です」


 ドライフルーツにすると栄養が凝縮される。

 スムージー同様、昨今日本では人気が高い。


 正司はあまりそういう『意識高い』生活はしてこなかった。

 テレビで紹介をされるのを「ほへー」と眺める程度だった。


 それでもドライフルーツを作るならば、スライスして風通しの良い場所に、虫やカビに注意しながら干すくらいは知っている。


「あとは……そうですね。王国では、蜂蜜漬けにして食べると聞いたことがあります」


「蜂蜜に……なるほど、そのくらいしないと食べられないですものね。蜂蜜につけるのはいい方法だと思います。ただしこれも、すぐにはできそうもないですけど」


 そのまま齧り付くにはすっぱすぎるし、すり下ろしたところで同じだろう。

 蜂蜜につけるのは、苦肉の策だったに違いない。


「他にはちょっと思いつかないですね……ああ、そういえば一度、母が鍋で煮込んでくれたことがありました」


「鍋でですか。それはどのくらいの時間、煮込みましたか? その時の形はどうです? どうやって食べました?」


「時間は覚えていませんが、形が崩れる前に取り出していたと思います。冷ましてから、皿に盛って食べました」


「なるほど、とすると……分かりました。それでいきましょう」

 正司は林檎を八等分してから、種の部分を取り除いた。


 鍋に薄く水を敷き、切った林檎を丁寧に並べる。

(水だけでもいいでしょうけど、砂糖も入れておきましょう)


 ライラの母が作ったのは、コンポートと呼ばれる料理だろうと正司は想像した。

 鍋で煮ると言えばジャムを想像しがちだが、形を残したままならば違う。


 そしてコンポートの作り方は難しくない。

 一口大に切って水で煮込めば、果物が本来持っている糖度で味がつく。


 だがこの世界の林檎は、まるでレモンのようにすっぱい。

 正司は砂糖を加えて煮込むことにした。


(あまりやりすぎると形が崩れてしまいますし、全体的に火が通るくらいでいいでしょうか)


 正司は手際よく調理をはじめた。

 ライラはそれを感心した目で見ている。


 一人暮らし歴の長い正司は、一通り何でも作れる。

 一年中スーパーに行けば食材が揃う世界で生きてきた。


 調理器具も揃っているし、火の調節も簡単だ。

 料理をするハードルが、この世界に比べて限りなく低かったゆえにほぼ毎日自炊していた。


 一人暮らしの男の手料理と馬鹿にしたものでもない。

 テレビやネットでは、料理に関する写真や映像が豊富に出てくる。


 そういったものがあれば、出来上がりを想像するのも簡単だ。

 よって、段取りを考えながら作る正司の動きには、無駄がない。


(薬草の中にはハーブに近いものも多数ありましたし、今日はそれを使いましょう)


 シナモンやミントのような、林檎と合いそうな薬草を探す。

『保管庫』に仕舞ってあるいくつかの薬草のうち、似たものがあったので代用する。


「……できました。こんなものでしょう」

 あっという間に下準備を終え、正司は一品、作り上げてしまった。


「……タダシさまは、随分と料理がお上手でございますね」

 唖然とした表情で、ライラが見ていた。


「そうですか? 一人暮らしが長かったせいですね」


 これまでの人生で、一度も彼女はできなかった。

 ゆえに料理を作ってもらうことも、誰かに作ってあげることもしたことがない。


 自分が食べる用に作るだけ。

 それでも炊事洗濯、何でもこなさなければならなかった正司は、思った以上に主夫レベルが上がっていたようである。




「これがあのすっぱい林檎ですか……相変わらず正司殿は多芸ですな」

 夕食に正司の料理が一品増えたことで、アダンは上機嫌になった。


 この拠点にいる間、護衛任務は解除されている。

 ゆえに腹一杯夕食を食べて、食後は酒盛りもできる。


 魔物の肉をメインとした料理はいつものことだ。

 美味いと感じる反面、飽きも来る。


 今回それにデザートがついた。しかも変わった味である。


 食事を楽しみ、あとはゆるりと酒を嗜むだけ。

 アダンの気分も良くなろうというもの。


「タダシお兄ちゃん。これ、おいしいよ」

「ミラベルさん、ありがとうございます。似たようなものをライラさんのお母さんが作ったと聞いて、真似してみたのです」


「話を聞いただけで真似できるものなの?」

 ミラベルの問いかけに、ライラは首を横に振った。


「私が話をしたと言っても、そういう料理を食べたことがあると言っただけで、ほとんどタダシ様のオリジナルです。そもそも母の料理は、これほど美味しくありませんし」


 ライラが説明すると、ミラベルは「すごいね、タダシお兄ちゃん」と感心し、リーザは「じゃ、私も」と口に運ぶ。


「たしかに美味しいわ。アダンの言葉じゃないけど、タダシって多芸ね」


 リーザは、正司が剣も槍も使えないと聞いている。

 魔物は魔法だけで倒すとも。


 剣や槍で魔物を狩る場合、その技術は集団戦闘の中で磨かれる。

 単独で魔物を仕留める正司なら、それが使えないのも納得である。


 剣などを習得しない代わりに魔法方面を伸ばしたのだとリーザは理解した。


 だが攻撃魔法だけでなく、回復や魔道具制作など、正司が習得した技術には目を見張るものがある。

 魔法や生産系を極めた存在……かと思えば、身体強化を軽々とこなしたりする。


 ようは多芸――正司は多くの分野で一流の技量を持っている。


 そのためリーザは、聞いただけで料理を再現できる能力を正司が持っていると勘違いしてしまった。

 これは正司が驚愕レベルでの多芸さを見せてきた弊害と言えよう。




 食事を終えて、リーザとミラベルは部屋で寛いでいる。

 護衛たちは酒盛りをはじめている。


 談笑の声がリーザたちの元まで届いてきた。

 夜半まではこんな調子だろう。


 正司は建物の最上階へ赴き、魔法で雨を降らせた。

 薬草園への水やりである。


 雨を降らせるといっても、天候を左右したわけではない。

 水魔法で水を生成し、雨のように降らせているだけだ。


 ――ザァー


 いま、拠点内全域に雨が降っている。

 正司は建物の窓からその様子を眺め、満足そうに頷いた。


(一気に大量の水を撒くのではなく、こうして自然な水やりの方が、作物の成長にはよいですよね)


 ここはトエルザード領よりかなり南にある。

 そのせいか、拠点の気温は高い。


 温暖な気候は薬草の成長にもいい影響を与えているらしく、薬草の伸びもよい。

(はやく収穫時期が来るといいですね)


 今後が楽しみだと、正司は豊穣を約束する踊り――正司創作の振り付けで踊っていると、同じように窓から外を眺めているライラが目に入った。


(またですか。今回も深刻そうな顔をしていますね)


 ライラの憂いた表情は、馬車の中と同じである。

 なにを思っているのだろうと正司は近寄った。


 だが、声をかけない。

 一度馬車の中で聞いてみたが、「なんでもない」と言われた。


 そのため、これ以上踏み込んでよいものか分からないでいる。


 正司は元来、女性に対して消極的な人間だ。

 多少親しくなれた相手とはいえ、それは変わらない。


 おそらくライラは、プライベートな理由で悩んでいるのだろう。

 そこまで踏み込む勇気は、正司にはなかった。


 一旦ライラのことは忘れ、正司は踊りに没頭するのであった。




 翌朝、街道に戻って出発した一行は、午後遅くになって目的の町へ到着した。

 ライラの故郷、ルクエの町である。


「ここまでくれば、ラクージュの町はもうすぐね。だけど、最後は山越えが待っているわ。今日と明日は休みにするわね」


 トエルザード家当主が住むラクージュの町は、周囲を高い山に囲まれた中にある。

 まるで自然の要塞ともいえる場所だ。


 守るに適した土地だが、行き来は大変面倒くさい。

 昨日馬を酷使させたので、できれば山越えの前に休ませたい。


 リーザは自分たちの英気を養うためにも、ルクエの町で休息をとることにした。


「すみません、私はクエストがあるので、町に出てもよろしいでしょうか」

 屋敷に着いてすぐ、正司はそんなことを言いだした。


 実は、ルクエの町に入ってすぐ、正司はクエスト持ちの人物を見つけていたのだ。


「いいわよ。夜には帰ってきてね」

「はい、分かりました。必ず戻ります」


 許可をもらった正司は、いそいそと出かけていった。


(今回は運が良かったですね。……それでクエストを持った人は……いました。この中ですね)


 クエストマークがあった場所は、酒場だった。

 なるほどと正司は思う。


 どうりで馬車で走っていたときに、見つけられたはずである。

 酒場は大通りに面していた。


 そしてマークは酒場から動こうとしない。

 微動だにしないのは、椅子に座っているからだろう。


「いらっしゃいませ! お一人様ですね、こちらにどうぞ!」

 戸を開けて中に入ると、威勢のよい給仕の声に出迎えられた。


 若い女性がお盆を持ちながら接客してきたので、正司はいそいそとカウンターに座る。


「お飲み物は何になさいますか?」

 カウンターにいるのは男性店員だ。正司はホッとして、注文する。


「えっと……ライ酒はありますか?」

「ええ、良いのがありますよ」


 この世界の酒の銘柄はよく分からない。

 正司は、カルリトが好きな酒を注文した。


「でしたらそれをお願いします」

「前金制になっています」


「これで足りますか」

 王国金貨を数枚、カウンターに置く。


「もちろん十分です。それ一枚で二十杯飲めますよ」

 店員は苦笑している。


 普段からカルリトが飲んでいる酒らしく、それほど高価なものではなかったようだ。

 正司は金貨を一枚だけ渡し、「追加分はそれでお願いします」と頼んだ。


 運ばれてきた酒をチビチビやりながら、マップに表示されているクエストマーク保持者を目で探した。


(あの人ですか……私より若そうですね)

 やはり同じカウンターで、静かに飲んでいる男性がいた。


 カウンターは長く、間に五人座っている。


 見たところ二十代半ば。

 精悍な顔つきをしているが、まだ幼さが残っている。


 しなやかな筋肉を持っているのか、肩や背中に張りがある。

 柔道やラグビー、アメフトの選手のような体つきだ。


(さて、どうやって話しかけましょうか)


 これまでの経験上、クエストを持っている者は解決してほしい問題を内に抱えていた。


 うまく聞き出すには、相手にある程度信頼されなければならない。

 切羽詰まった相手ならば別だが、普通はそうそう自分の悩みを他人に打ち明けたりしない。


(運良くカウンターに座っていることですし、ここはよくある手で行きましょうか)

 酒をおごって、仲良くなる作戦である。


(まずは情報収集ですね)

 正司は店員を呼ぶと、目当ての男性について尋ねた。


「あの人ですか? レイさんと言って、若手の中では優秀な『釣り師』ですよ」

「釣り師ですか? 魚を釣って生計を立てている方なのでしょうか?」


 正司がそう聞き返すと、店員は笑って否定した。


「いえ、魔物の釣り師です。知りませんか? 集団戦で魔物を一体だけ釣り出して、待ち構えている本隊の前まで連れてくる役目のことです」


「へえ……ああ、なるほど。だから釣り師ですか」

 多人数参加型オンラインゲームでも、同じような役割をする人がいた。


 わざと敵モンスターの標的となるのである。「ターゲットを受ける」とか、「タゲをとる」などと言われる。


 通常のゲームでは、敵の索敵範囲に入ると、周囲にいるすべての敵に気付かれてしまう。

 そこで、索敵範囲の外から弓矢などで当て、一体だけ釣り出したりする。


 ちなみに敵がリンクしている場合、一体だけ釣り出すことができない。

 近くにいるまったく関係ない敵まで、すべて反応してしまう。


 何十という敵モンスターに囲まれて、味方パーティは阿鼻叫喚となる。


 一体だけタゲを取りにいったら、周囲一帯のタゲを取ったでござる……などとトレイン状態の味方が言っても突っ込む余裕もない。

 パーティメンバー全員が逃げることになるのだ。


(ゲームの世界が現実になったら、怖いですね。こっちの魔物でリンクするような敵っているのでしょうか)

 この世界でもしそんなことになったら、目も当てられない。


 正司の記憶では、同じ種類の魔物が近くに何体も出るようなことはなかった。

 ならばゲームのようなことは起こらない……だろうか。正司は少しだけ心配になった。


(大丈夫ですよね……不安になってきました。『釣り師』の方に聞いてみたいですね)


 釣り師についてなんとなく理解できたところで、店員にそっと耳打ちした。


「釣り師のレイさんにお話を聞いてみたいのですけど、そういうの大丈夫そうな人ですか?」


「そうですね。一人で飲むのもいいですが、こういった場での出会いも面白いものでしょう。聞いてみましょうか?」


「お願いします。では私から彼の好きなお酒を差し上げてください」


「かしこまりました」

 店員はにこやかに笑い、酒杯をレイの所へ持っていく。


 少し何やら話をしたあと、レイが正司にお辞儀をしてくる。

 それを返していると、店員が戻ってきた。


「伝えてきました。『釣り師』のお話を聞きたい人がいると話したら、快く応じてくれました」


「ありがとうございます。ちょっと行ってきます」

 正司は杯を持って、席を立った。


 クエストを受ける際、一番緊張するのがこの最初の出会いだ。

 正司はにこやかな笑顔を浮かべて、レイの隣に座った。


「はじめまして、私はタダシと申します。旅の途中でこの町に寄りました」

「レイです。なんでも釣り師に興味があるとか?」


「ええ、初めて聞く職業でしたので、どんなものなのかと」


「一般の方は、集団で魔物を狩ることなんて経験はないですからね。俺は軍に所属しているわけでも、魔物狩人でもないんです」


「自分では戦わないということですか」

「戦いませんね。戦う『釣り師』はもう、『釣り師』ではないでしょうね」


 レイが言うには、釣り師という職は高い専門性と、特殊な訓練が必要らしい。

 そしていま話したような軍人や魔物狩人たちに、高給で雇われるという。


「おもしろいですね。そのような職があるんですか」


「毎回命がけなのは、彼らと同じです。それに加えて、俺たち釣り師はミスが許されない職業と言えるでしょう」


 ただ一度のミスで、軍が壊滅することもある。

 ミスなしで仕事を終えるのがあたりまえという、厳しい職業なのだそうだ。


「具体的にどのようなことをするのですか?」


「たとえば軍に雇われたとします。魔物の出る場所に軍が行きますよね。そこに陣を作って、魔物を待ち構えるわけです。そこへ魔物を連れてくるのが俺の仕事です」


 酒を一口飲み、レイの話は続く。


「指定されたグレードの魔物を指定された数だけそこへ連れてくる。口で言うのは簡単ですが、実行するのは難しいですね。しかもただ連れてくればいいわけではありません。軍が『ここ』と決めた場所へ寸分の狂いなく連れてくるのです」


 たとえば、うまく一体だけ釣り出せたとする。

 それでも陣の横から出没してしまっては意味が無い。


 ちゃんと待ち構えている場所の正面に魔物を連れてこなければならないのだ。


「話を聞くだけで難しそうに思えます」


「ええ、難しいと思います。俺の家系は、祖父の代からこの『釣り師』をはじめています。俺で三代目です。釣り師を必要とする場合、たいてい視界の悪いところだったりします。そうすると、釣りの途中に他の魔物と遭遇したり、迷ったりするかもしれません。やはり緊張の連続ですね」


 複数の魔物を釣ってしまった場合は、一度遠く離れた場所でリセットするか、どこかで目的外の魔物をまかなくてはならない。


 このとき闇雲に逃げてしまうと、現在位置を見失ってしまう。


 迷って軍の後方から出現してしまえば、全滅させてしまうことだってありえる。

 そうならないために釣り師は、ありとあらゆる手段を使うらしい。


 釣り師は引退するまで、ただの一度もミスをしない。

 それを最上としている。


 そのために、日夜厳しい鍛錬を課しているのだという。


「素晴らしい話ですね。頭が下がります。ふと気になったのですが、一体だけ魔物を釣り出すのですよね。近くにいる魔物がリンクしたりしないのですか?」


「リンクですか? リンクというと……?」


「えっと……たとえばですね。視線が互いに通ってない二体の魔物がいたとします。その一体を釣り出したとき、見えてないにもかかわらず、残りの一体がそれを感知して、追いかけてくるようなことです」


「……そういう現象は聞いたことがないですね。魔物に気付かれない限り、こちらを敵と認識するようなことはないでしょう」


 レイの言葉が確かならば、この世界にリンクする魔物はいないか、いてもかなり少ないのだろう。


「ではリンクする魔物は見かけたことないのですね」

「ええ、少なくとも俺は知りませんね」


「それは良かったです……そういえば、なんだか顔色が優れないようですが、何か困り事でもあるのでしょうか?」


 とても嬉しそうに話すレイだったが、時折ふっと表情に影が差す。

 ほんの一瞬でそれは消え去るが、また話しているうちに暗い影が顔を覗かせるのである。


「なにか……? いや、俺は」

 レイはかぶりを振り、杯に残った酒を飲み干した。


 正司はおかわりを注文し、レイの前に差し出す。


「俺は……いや、何でもないんです……ごほっ」

 レイは一気に酒をあおり、せた。


「大丈夫ですか?」

「ええ……すみません」


「マスターおかわりをお願いします」

 レイの背中をさすりながら、正司は空になった杯をカウンターの端に置いた。


 店員がやってきて、テーブルにこぼれた酒を拭ってから新しい杯を置いて去って行く。


 しばらく咳き込んだレイは、落ち着きを取り戻して、杯を傾ける。

「見苦しいところを見せてしまいました」


「いえ、いいんですよ。言いたい時ってあるじゃないですか」

「ええ……そうですね」

 小さく頷くと、レイは杯を空にした。


 強い鬱憤が溜まっているらしく、飲みっぷりは豪快な反面、自棄になっているようにも見えた。


 ようやく落ちついてきたレイに、正司はそっと酒を差し出す。

 こういう日は、とことんまで飲みたいのだろう。


 正司はそう思って、言葉をかけることをせず、その場の空気に任せた。


 それからしばらく、正司とレイは無言だった。


「俺……明日の討伐隊から外されたんです」


 どのくらい経っただろうか。レイは自分の手元を見ながら、そう語った。

 正司に聞かせているようで、自分に語りかけている。そんな独白。


「俺には度胸が足りないって親父が……言ってたんです」

 ぽつりぽつりと語るレイの言葉を繋げると、以下のようだった。


 若くして『釣り師』としての実力がついたレイは、父親とは別に独立して仕事を受けていた。

 レイはこれまで、釣り師として一度も失敗したことがなかった。


 経験を積んだという自負もある。

 自信もつき、父親と肩を並べられるようになったなと思った矢先、大きな依頼が舞い込んだ。


 依頼人はこの町最大の傭兵団『緑の旅団』。

 高グレードの魔物討伐にいくので、釣り師として参加してほしいというのである。


 グレードの高い魔物が出没する場所は危険だ。

 傭兵団が構築する陣はもっと安全な場所。ずっと後方になる。


 何しろ、徘徊した魔物が偶然やってくる場合もあるのだから。


 そのため、ターゲットよりも低いグレードしか出没しない場所に陣を敷く。

 釣り師はそこまで魔物を連れてくる必要がある。


 難易度は高いが、これは『おいしい』依頼である。

 連れてくる距離が長いため、料金も高い。


 そしてこういう場合、複数の釣り師が協力して行うことが多い。


 レイは当然自分も呼ばれる。

 父親と組めると思ったが、答えはノー。


「お前にはまだ早い」と断られてしまった。


 それだけなら、次回こそはと奮起するところである。

 もしくは、経験を積んで見返してやるでもいい。


 だが父親は、そうではなく「引退しろ」とレイに言ってきたらしい。

「おまえは技術はあっても、度胸がない。だから釣り師には向いてない」


 そう言い放って、今回の遠征は父ひとりで行ってしまったらしい。

 これを機に、別の仕事を探せということらしかった。


「それは酷い話ですね。まだ一度も失敗していないのですよね」


「ええ……すでに俺は〈足腰強化〉を取得しているし、『煙キノコ』の使い方も父より上手いと自負しているんですけどね……何でなのでしょうね」


 ハハハとレイは力なく笑う。


〈足腰強化〉は、〈身体強化〉スキルの劣化版である。

 足を強化するだけで、その度合いも〈身体強化〉に比べて低い。


 それでも習得するには稀な素質と、絶え間ない努力が必要である。

 レイは素質があり、努力を怠らなかったゆえに、若くして得ることができた。


 それでも父親は、「適性がない」とレイに転職を促したらしい。


「親父は何度も俺に言うんだ。俺には度胸がないって。そりゃ単独で魔物を引きつけるんだ。俺たち釣り師は武器を持たない。味方は後方にいる。怖がるなって言う方が無理じゃないか?」


「そうですね。鈍感になればいいというものではないと思います」


「分かってくれるか? 俺は言ったんだ。この世界、度胸がある奴ほど失敗するって。自分ならやれる、そう言って何人も帰ってこなかった。臆病なくらいでちょうどいいんじゃないかって」


 さらに杯をあおり、レイの話は止まらない。正司はそっと替えを注文した。


「親父は理由を教えてくれないんだ。だから思ったのさ。親父は俺に嫉妬したんじゃないかって」


 釣り師を辞めるときの理由は、大きく二つに分けられる。


 ひとつは、肉体的な理由。

 身体に限界が来たり、怪我をして従来の力が発揮できなくなった者は引退していく。


 もうひとつは、精神的な理由。

 心が折れたとか、怖くなった、守るものができたなど、身体が無事でも心が耐えられなくなった者たちもやはり去って行く。


 レイはそのどちらでもない。

 だから「度胸がない」というあやふやな理由で遠ざけられたのが気にくわないらしい。


「本当に度胸がないということはないのですか?」

 正司の問いかけに、レイは首を横にふる。


「俺はいつも自問してきた。この場所は安全か? これで間違ってないか? 人によってはその行動を慎重と感じるかもしれない。だけど、後方には多くの兵が待っている。俺は最善の結果を出すために慎重に行動しているのであって、決して怖がっているわけじゃない。分かってくれるか?」


「分かります」


 これ以上飲むと、酒に溺れるのではないかと正司は心配するが、その反面、レイの本心がようやく出てきたような気がした。


 ようは父親に認められたいのだ。

 だが、現実はその逆。


 度胸がないと言われて、心底憤慨している。

 慎重であるが臆病ではないと思っている。だから父親と意見が合わない。


「レイさんはどうしたいんですか?」

 正司は素直に聞いてみた。


「親父は一昨日出立してしまった。俺も討伐隊に参加したい……けど、正式に却下されたから、それはできない。勝手に入って、親父の仕事を邪魔するわけにもいかないんだ」


「そうですね。予定外のことをして、討伐隊を危険にさらすわけにもいかないと思います」


「そうなんだ。俺だって分かっているんだ。だから……だからこそ、俺は我慢しているんだ。昨日から酒を飲めば忘れられるかと思った……けど駄目なんだ」


 レイは自嘲気味に笑うと、そのままカウンターに突っ伏してしまった。


(相当鬱憤が溜まっているようですね……けど、寝てしまいました)

 正司が困って店員を見ると、店員も処置無しと首を横に振った。


「どうしたらいいんでしょう?」

「こういう客はたまに出る。裏に従業員用の小部屋がある。潰れた客は、そこに押し込んでおくさ」


「そうですか。こうなった半分は私の責任もあります。……彼の支払いはどうなっています?」

「心配するな。前金でもらっているからよ」


「そうですか。ではこれは迷惑料ということで……明日、様子を見に来てもいいですか?」

 正司は王国金貨を一枚手渡す。


「いいけど……あんた、物好きだな」

「ええ、彼の話は、まだ半分しか聞けなかったものですから」


 レイはクエストを持っている。

 酔いつぶれる前に話したことから、何を望んでいるのか想像できる。


 討伐隊に参加したいのか、父親に認めてほしいのか。

 おそらくそんなところだろう。


 明日、酒が抜けたらもう一度聞いてみたい。

 もし可能ならば、クエストとして受諾し、レイの悩みを解決してやりたい。そう正司は考えた。


(私がクエストとして受ければ、何をするかはともかく、どこへ行けば良いのかは分かりますからね)


 より具体的な解決策が思い浮かぶのではと思っている。


「まっ、物好きなのはよいことだ。これが小屋の鍵だ。そこを出て、左に曲がればすぐに分かる」


「ありがとうございます。では連れて行きますね」

 正司は〈身体強化〉を施し、片手でレイを軽々と持ち上げて、酒場を出て行った。


「…………」

 その様子を店員と客たちが目を見開いて凝視していた。




「ただいま戻りました。リーザさん、起きていたのですね」

「おかえり、タダシ。遅かったわね」


「ええ、クエスト関連で話が弾みまして、酒場にずっといました」

 クエストを受けに出かけて今までずっと酒場にいたのだ。かなり長い間、話していたなと正司は思った。


「タダシも酒を飲んだの? でも、その割には酔っているようには見えないけど」

「私は話を聞くだけでしたので……って、私もというのは?」


「ライラがね、酔いつぶれて寝ているのよ」

 リーザの視線の先。

 そこには、ソファにうつぶせで寝ているライラの姿があった。


「珍しいですね」

 いつもキリッとしているライラにしては大変珍しい。

 酔いつぶれるなどという醜態からもっとも遠い女性ではなかろうか。


 それがどうして……と思ったとき、ふと正司は思い出した。

「この町はライラさんの故郷ですよね。家に戻ったのではなかったのですか?」


 明日まで休みが出ていたはずである。

 ライラは今日実家に帰って、戻ってくるのは明日の夜だったはずだ。


「そういうつもりで送り出したのだけど、結構早く戻ってきたのよ。どうも両親と喧嘩したみたいなのだけど」


 ときに肉親相手の方が、言いたいことを言い合えるためか、喧嘩しやすい。

 だが、それで実家を出てしまうのはよろしくない。


「よっぽどのことがあったのでしょうか」

「分からないわ。帰ってくるなり、お酒を飲んで、すぐに酔っ払ってそのままバタンと倒れたのよ。これは放っておいた方がいいと判断して、そのままにしているわけ」


 誰しも愚痴を聞いて欲しいときもあれば、一人にして欲しいときもある。

 そういうオーラを出しているときは、素直に従っておいた方が良い。


 どうやらライラは、後者だったようだ。

 ひとりで飲んで、ひとりで潰れたらしい。


「何があったんでしょう」

「明日、聞いてみるつもりよ」


「それがいいかもしれませんね。アダンさんたちはどうされたのですか?」

 今日実家に帰ったのは、この町出身のライラだけだ。


 他の護衛たちはいつも通りのはずである。

「アダンとブロレンは酒を寝室に持ち込んだから寝酒ね。セリノは部屋で本を読んでいるわ。カルリトは繁華街へ出かけたっきり。今日中に戻ってくるように伝えてあるからそのうち帰ってくるでしょう」


 みな好き勝手やっているようだ。

 これもトエルザード公領に入ったからだろう。


「それで明日ですけど、クエストの続きをしたいと思いますけど、よろしいですか?」

「いいわよ。出発は明後日の早朝だから、必ず明日中に帰ってくるのよ」


「はい。分かりました。それではおやすみなさい」

「おやすみ、タダシ」


 こうして、ルクエの町の夜は更けていく。



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