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039 すっぱい林檎

 バイダル公領を北に進み、フィーネ公領近くまで進む。

 もし犯罪結社や傭兵団が逆恨みしても、ここまで追いかけてくることは難しい。


 途中いくつかの町に入り、情報収集のために、二日間ほど町に滞在したこともある。

 安全策を採ったことで、ゆったりとした旅になったが、その分使える時間は増えた。


 旅の間、正司は二つのクエストを受けて、そのどちらも成功させている。


(ルフレットさんのを合わせると、貢献値は3になりましたね)


 欲しいスキルは多いが今後のためにも、使わないでおくことに正司は決めた。

 あとひとつクエストを完了させると、貢献値が4になり、使い勝手がよくなる。


(いまは護衛クエストを受けていますし、完了時に2貰えます。欲を言えばもう少し貢献値がほしいところですが……)


 護衛完了時に貢献値が5になる。

 一気に4段階までスキルを取得するには、貢献値が8必要になる。


 通常クエストを三つ受けるには、これまでのことを考えると、なかなかハードルが高いと感じる正司であった。


 さて、トエルザード領へ向かうこの旅だが、予想された襲撃はなかった。

 どうやら、もし狙われていても、完全に裏をかいた形になったらしい。


 敵もさすがに瞬間移動までは、予想できなかったのだろう。


 そして馬車に揺られること十日。

 リーザたちは無事、トエルザード領へ入ることができた。


 着いたのは、トエルザード領でも「最北の町」と呼ばれるリークエストの町。

 ここはフィーネ公領に最も近く、国境の町としても機能している。


「あー、ここまで長かったわ。ようやく我が家に帰ってきたって感じかしら」

 まだトエルザード領に入ったばかりである。


『我が家』はまだここから馬車で数日の距離にある。

 だがリーザの場合、ここはトエルザード領であるから、「だいたい合っている」と言えるかもしれない。


「お嬢様、ここは町中です。そんなに大声を出されては、馬車の外まで声が聞こえてしまいますよ」

「そうだけど、やっぱり十日の道のりは長かったわよ。あー、解放されるわ」


 リーザは周囲を憚ることなく、大きく息を吸い込んだ。

 ただ、埃っぽい馬車の中だったゆえに、到着気分が味わえたのかどうかは定かではない。


「今日はこの町に泊まるのですね」

 正司は馬車の小窓から町中を見ている。


「わたしはタダシお兄ちゃんの別荘でもいいんだけどな」


 ミラベルのいう「別荘」とはもちろん刑務所……ではなく、凶獣の森にある正司が魔改造した拠点のことである。


 追っ手の行方を眩ませるために、町に入らず拠点で夜を明かしたりしたこともある。

「あれはあれで楽しいものですね」


 正司は薬草の世話をしに、定期的に拠点へ戻ると話したところ、「だったら自分たちもいく」とばかりに、リーザ含めて全員がついてきたのである。


 この旅の間中、二度ほど拠点を利用していた。

 正司にとって拠点は日本のマンションに次ぐ第二の自宅である。


 リーザやミラベルにとってはオートキャンプ場のようなものだ。

 護衛のアダンやライラたちにとっても安全な場所とあって、拠点に泊まることにだれも反対する者がいなかった。


「屋敷へ先触れは出していないけど、大丈夫よね」

 このリークエストの町にも、家臣が管理するトエルザード家の屋敷がある。


 一応屋敷を見張られていることを考慮して、旅の間もトエルザード家所有の屋敷を使ったり、使わなかったりした。


「今回は諸事情がありましたので、先触れは出していませんが、いつ客人が来ても大丈夫なように屋敷は整えられていると思います。屋敷の管理者は私もよく知っておりますが、とても優秀な方です。問題ないでしょう」


「そうね。ライラはこの辺詳しいものね」

「……はい」


 馬車はトエルザード家の屋敷に向かって、ゆるゆると進んだ。





 トエルザード家の屋敷に着いたあと、リーザたちは着替えに向かった。

 先触れを出さなかったにもかかわらず、屋敷の管理者は驚いた顔ひとつせず、リーザたちを迎え入れた。


 リーザたちが着替えている間、護衛のアダンたちもまた、与えられた部屋に向かった。

 家臣専用の部屋もそれなりの数、用意してあるらしい。


 ちなみに正司は客室である。

 荷物はすべて『保管庫』に仕舞ってあり、着替えも必要ない。


 現在、正司だけが応接室で慣れない茶を飲んでいる。


 そこへノックの音とともに、正司と同年代くらいの優男やさおとこがやってきた。


「タダシくん、林檎いかが?」

「ど、どうもありがとうございま……す?」


 差し出された林檎を受け取りつつも、正司は戸惑った。

「どちらさまでしょう」と尋ねる機会を逸してしまったのだ。


 ちなみに目の前の人物は、正司と初対面である。

 ヒラヒラ過多な衣装を纏い、貴族然とした佇まいから、身分が高いことが分かる。


 整った顔立ちをしているが、なんとなく年齢不詳の男性である。

 相手は正司のことを知っているらしい。


 男は懐からもうひとつ林檎を取り出し、向かいのソファに座った。


「食べないの? おいしいよ」

「はあ……それではいただきま……すっぱっ!」


 うえーっと、正司は口を横に開いた。

 正司が記憶しているどの林檎より、それは酸っぱかった。


「そうかな?」

 目の前の男は小気味よい音を立てて囓ると、「うん、おいしいね」と笑顔をつくった。


「うえっ、そうですか……?」

 自分の林檎だけが酸っぱかったのだろうか。


 うまいうまいと食べ続ける男を見て、正司の自信がなくなってきた。

 そんなとき、応接室の扉が開かれた。


「叔父さま!」

 入ってきたのはリーザだった。


「やあリーザちゃん、久し振りだね。すっかり大きくなって、見違えるようだよ」

「オールトン叔父さまはおかわりなく……じゃなくて、どうしてここにいるんですの?」


「そりゃリーザちゃんが来ると思って、待っていたんだよ」

「このお屋敷でですか? ここに来るなんて私、一言も伝えてないのに……」


「兄さんの手紙と最近の情勢から北回りで帰ってくるんじゃないかと予想してね」

 オールトンと呼ばれた男はウインクした。


 それがまたイケメンで、よく似合っていた。




 着替えを済ませたリーザは、離れにオールトンが来ていて、応接室にいる正司に会いに行ったと聞いたらしい。

 すぐに赴いてみれば、向かい合って林檎を食べているという、シュールな光景を目にすることになった。


「タダシ……紹介するわ。父の弟のオールトン叔父さまよ。普段は父の政務を手伝ったり、手伝わなかったりしている感じかしら」


「オールトン・トエルザードだ。よろしくね、タダシくん。ちなみに兄さんの仕事は十日に一度くらい手伝ってる気がするよ」


「はぁ……」

 十日に一度とは少ない。


(気が向いたときに手伝う感じでしょうか。それはもう「ニート」と同義では? いやニートはたしか若年までだったはず。家事手伝い……俗にいうカジテツですね)


 オールトンは、正司と同い年くらいに見える。

 正司はちょっとアレな人物を見る目を向けた。


「叔父さまは本気を出すと……すごいのよ」

 正司の目に気付いたのか、リーザはそんなフォローをはじめた。


 逆にそれが痛々しい。

芸術・・が僕を呼んで(・・・)いるからね」


 眉間に手を当て、伏し目がちにそううそぶく姿は、厨二病患者のそれに酷似していた。


 やっぱり微妙な顔を向ける正司であった。




 全員がダイニングに集合した。

 ちなみにオールトンはもういない。


「閃いた」と言い出し、屋敷の離れに向かってしまった。

 今頃、創作活動に勤しんでいることだろう。


「なかなか変わった人ですね」

 さすがに正司も苦笑いである。


 すっぱい林檎のことをリーザに聞いたら「あれを食べるの、叔父さまだけよ」ということだった。

 砂糖漬けにするならまだしも、そのまま齧りつく者はいないらしい。


 騙されたのか? と思うものの、オールトンは普通に食べていた。

 よっぽど、すっぱいものが好きなのだろう。


「この町だけど、不審な出入りはないそうよ」

 屋敷の者を呼び、リーザがまっさきに確認したのがそれだ。


 ここ数日だけならば、僅かな旅人を除けば完全な余所者は入り込んでいないらしい。

 国境の町ということで、出入りの詮議は厳しい。


 不審な集団が入り込んだ痕跡はないという話だった。

「これで襲撃の心配はなくなりましたな」


「そうね。うまく敵の目を欺けたのかしら……けど、叔父さまに見破られたのは悔しいわね」


「突拍子もない発想をされるお方です。勘が働いたのでしょう。だれにも真似できないことかと思います」


「……まあね」

 アダンの言葉に、リーザは不承不承納得する。


 オールトンの奇行はいまに始まったことではない。

 今回もそのひとつだという認識なのである。


 ちなみに移動日数を考えれば、リーザがウイッシュトンの町から出した手紙が届いた頃、オールトンが出発したことになる。


 あの時点で行動が読まれていたと思うと、悔しくもあり、また怖くもあった。

「襲撃者の心配もなさそうだし、ここからは最短距離を使って帰るつもりだけど、みんなはどうかしら」


「問題ありません。もし何かあってもお守りいたします」


「ありがとうアダン。途中、ルクエの町に寄れるわね。そこで一日休みにしましょう。ライラの任を一時的に解くから、里帰りしていいわよ」


「……はっ、ありがとうございます」


 ライラはルクエの町出身で、いまも両親が住んでいる。

 そこで一日休憩をとる。これはリーザなりの配慮であった。


「せっかく自領に帰ってきたけど、明日には出発するわよ」

 いま使用人たちが馬車の整備と食料などの手配をしている。


「馬の調子もいいようですし、問題ありません」


 今回アダンたちは、ラクージュの町から王国に向かった。

 結構な移動距離である。


 そのまま自領に戻るのかと思ったら、「ラマ国の様子が気になる。直接この目で見ておきたい」とリーザが言ったことで、回り道することになった。


 正司のおかげもあって、無事ラマ国首都に到着し、そこからはバイダル領を目指した。

 ウイッシュトンの町からは、迂回しつつようやくここまできたのだ。


 想像以上の長旅になった。

 馬も馬車もよく頑張ってくれたと、アダンは思う。


 いや、よく正司と会えたと思うべきか。


 リーザたちが正司と会わなかったら、この旅はかなり違ったものとなっていただろうし、大陸の情勢も大きく変わっていたはずである。


「じゃあ今日は解散。この後は久し振りにゆっくりしましょう」

 屋敷は使用人たちが日々守ってくれている。あとは自由時間である。




 その日の夜。

 そろそろ寝ようかと考えていた正司は、どこからともなく聞こえてきた旋律に耳を傾けた。


(これは何の音でしょう? だれかが楽器を鳴らしているようですけど)


 興味が湧いて、音のする方へ歩いて行った。

(どうやら、離れの方から聞こえてきますね)


 屋敷の離れには、オールトンが滞在しているはずである。

 正司は踵を返そうとしたが、そこで思いとどまる。


(リーザさんの叔父さん……何ともつかみ所の無い方でしたね)


 すっぱい林檎が好き。

 それはいいのだが、定職を持たず、十日に一度くらい兄の手伝いをして過ごしている。


 当主の弟ならば、それなりの地位を与えられてしかるべきである。

 能力がないのだろうかと正司は考えるものの、洗練された身のこなしや、整った容姿に人を引きつける笑みなど、人の上に立つ素質は十分過ぎるほど持っている。


 多少難があっても、周囲がフォローすれば問題ない。

 にもかかわらず、こうして責任ある職に就かず、自由にしているということは、本人の性格が勤め人に向いていない――それはもう、壊滅的に向いてないのかもしれない。


(私の周囲にも、そんな話はよく転がっていましたね。この世界でも不思議ではないのかもしれません)


 政治家や大病院の息子が、親や周囲の期待を裏切って好きな道に進むといった話は枚挙にいとまがない。


 また、同じ職種に就くにしても、与えられたものではなく、自分で掴み取ることに価値を見いだす人もいる。


 結局どんなレールだろうと、それからを外れて生きたいと願う人は一定数いるのだ。

 では、オールトンはそういう人物なのか。


(周囲の期待に押しつぶされたようにも見えなかったので、我が道を行くタイプの人なのでしょうか。協調性のありそうな方でしたけど)


 足下に注意しながら、音のする方へ歩いて行く。

 ランタンの灯りが見え、その先で、庭石の上であぐらをかいたオールトンがいた。


 正司が見つけたのと同時に、オールトンも気がついたようだ。

 演奏を止め、正司を手招きした。


「今晩は、オールトンさん。音が風に乗って運ばれてきたので、気になって来てしまいました」


「昼間だったら小鳥たちが寄ってくるのだけどね。夜はさすがに……ね。でもタダシくんが来てくれた」


 オールトンはボロロンっと弦をつま弾いた。

「これはなんという楽器ですか?」

 ギターに見えるが、少し違う。琵琶とも違う。


「これはリュートと言うんだ。タダシくんは初めて見るかな?」

「はい、初めてです。……なんかもの悲しい旋律ですね」


 リュート……名前だけは知っていた。

 ギターやベースと違って、正司の周囲でリュートを弾いている人はいなかったので、見るのは初めてである


「これは僕の恋の終焉を曲にしたものなんだ。『永遠なる憧れの鎮魂歌』。若かりし頃に喪った僕の心を想って、奏でているのだよ」


 虚空を見つめ、もの悲しそうな表情をするオールトン。

 鎮魂歌……オールトンは妻か恋人を亡くしたのだろう。


 もの悲しい旋律に、思い詰めたような瞳。

 それを間近に見た正司は、慌てて話題を変えた。


「そう言えば、オールトンさんは、ここまで一人で来たのですか?」

 リーザたちには、護衛が何人もついていた。


 普通ならば同数以上の護衛がオールトンにもつくはずである。

 だが彼の護衛らしき人物は、この屋敷で見かけていない。


「僕は一人が好きだからね。監視されたままじゃ、自由気ままに旅ができないだろ?」

「そうですけど……危険ではないのですか?」


 この世界には魔物がいる。

 魔物の被害が少ない場所を選んで道を通しているとはいえ、決して安全ではない。


 事実、正司はここまでの道中で、何度か魔物を魔法で蹴散らしている。


「僕くらいになると、魔物の方から逃げてくれるのさ……というのは冗談だけど、大勢でまとまって移動するから、大丈夫なんだよ」


 町から町への移動は、用事がある者たちが集まって出発するらしい。

 護衛をつけても人数割りすれば安くつく。


 人数が膨れあがれば、それだけ安全度は増す。


 リーザのように単独で護衛を雇える者は少ない。

 普通の人は、そうやって互いに安全を確保しつつ、旅をするのだ。


 そのため毎朝、門の付近には、同じ目的を持った者たちが自然と集まるらしい。

「なるほど、それならば安全ですね」


「みなタダシくんみたいに、単独で旅などできないからね」

「そうですね」


「…………」

「……?」


「そうだ。僕が今日作った曲を聴いてくれるかな。さっきね、旋律が突然僕の耳に降りてきたんだ」

「はい。お願いします。聞かせてください」


「じゃ、演るよ。題は『自由なる魂の賛歌』だ」

 オールトンがボロロンっとリュートをかき鳴らした。




 翌朝、正司が起き出してくると、すでにオールトンの姿はなかった。


 使用人の話によると、「せっかくなので、フィーネ公領を見てくる」と言って、まだ暗いうちに出立したらしい。


 昨夜話していた通り、目的地が同じ者たちが集まったら、出発するのだろう。


「逃げたわね」

 それを聞いたリーザの表情は渋い。


「逃げたんですか?」

「昨日、叔父さまも一緒に帰りましょうと言ったの。あのとき、返事からしておかしかったもの」


 どうせフラつくだけだからと、馬車に押し込んで連れ帰る予定だったらしい。

 今日の朝には出立すると伝えてあったので、その前に逃亡したのだろうとリーザは悔しがった。


「でも陽が昇らないうちからですよ」


「ここからフィーネ公領の町は遠いのよ。夜明けとともに出発する人たちに紛れて出て行ったに違いないわ」


「今頃はもう、町を出て行ったあとですか」

「そうね。まったくすぐフラフラと出て行くんだから……」

 どうやらリーザは相当おかんむりのようだ。


(なんか、そういう主人公が出てくる映画がありましたね)


 普段旅先で露天の啖呵売たんかばいなどをしていて、東京の実家、葛飾柴又に帰ってくるところから物語がスタートする日本を代表する古典映画。


 なんとなく憎めない人物像に、ふと正司は共通点を見いだした。


「あの御仁を制御できる者はおりませんからな。こうなるんではないかと思っておりました」

 アダンはこの流れを予想していたらしい。


 分かってたのなら言えばいいのにとリーザが言うと「結果は変わらないでしょう」と、達観している。


「それはそうね。結婚でもしていれば、ヒモつけられるのだけど……」

 フィーネ公領で問題をおこしたら即強制送還ねと、リーザはいまだブツブツ言っている。


「オールトンさんは結婚されていないのですか?」

 なんと34歳らしい。まったく苦労していないからか、年齢よりだいぶ若く見える。


「ずっと独身ですな。容姿に恵まれ、生まれもよいので、望めばいつでも結婚できるでしょうが、あの歳まで浮いた噂ひとつありません」


「そういえば昨夜、離れの庭先でオールトンさんがリュートを弾いていました。そのとき少し話をしたのですけど」


「ほう、そうですか。タダシ殿のことは気になっていた様子でしたし、わざと聞こえるようにかき鳴らしたのかもしれません。そういうことをする御仁ですし」


「叔父さまは、年がら年中ボロンボロンやっているもの。あれは何も考えてない顔よ」

 リーザの返事はにべもない。


 アダンとリーザは、同じ人物を評しているのに、とらえ方が微妙に違う。

 ミラベルはどうだろうと、聞いてみると……。


「ときどき甘いお菓子をお土産に買ってきてくれるから好き」

 だそうだ。


「私には甘い言葉を囁いてきますが、どうやらわざとやっているように思えます」

「そうなんですか、ライラさん」


「ええ。冗談を言って反応を確かめている気が致します」

「それはまた……」


 冗談で女性に言い寄る。

 それは怒っていいのではなかろうかと正司が思っていると。


「まことに不敬ですが、いつかあの口に火かき棒を突っ込んで、かき回してやりたいと思っております」


「わたしが許可するから、いつかと言わず、今度あったときに殺っちゃいなさい」

 ライラの言葉は容赦がないか、それに輪をかけてリーザの方が非道だった。


「タダシさま、オールトンさまが出立前にこれをタダシさまにと」

 使用人のひとりが木箱を抱えてやってきた。


「オールトンさんからですか? なんだろう……?」

 思い当たるフシがないので、首を捻りながら受け取る。


 木箱はそれなりに重かった。

 中に何が入っているのかと、開けてみると……。


「林檎だ」

「林檎ね」

「林檎ですな」

「タダシお兄ちゃん、林檎好きなの?」


 昨日正司が食べた、すっぱい林檎が山と入っていた。


「えっと……なかなか面白いことをする人ですね」

 これはたぶん、目の前ですっぱいすっぱい言った正司への意趣返しだろう。


(でもまあ、何かに使えるかもしれません。しまっておきましょう)

 正司は苦笑いしつつ、木箱ごと『保管庫』に入れたのだった。




 結局、オールトンは捕まらなかったので、いつものメンバーで出立することになった。

 本来、国境の町から目的地であるラクージュの町まで、山を迂回しながら進まねばならない。


 もともとトエルザード公領は、街道に使えそうな道が少なく、町から町への移動に難儀していたようだ。


 話によると、代々のトエルザード家当主は、インフラの重要性をしっかりと理解しているらしく、昔から街道の整備と安全確保には力を入れているとのことだった。


 といっても、すべての街道に目を光らせられるわけではない。

 とくに魔物がテリトリーを離れて徘徊することはよくある。


 どんなに安全に配慮してあっても、魔物が出てくるのは避けられない。

 そのため、普段は安全を考慮して回り道を選択するのだが、ここには正司がいる。


「明日にはルクエの町に着くわ。その代わり今日は一日中走るわよ。タダシ、お願いね」

「分かりました」


 本来、魔物が多く出没する街道で、馬車泊は危険極まりない。

 だが正司がいれば、拠点で休むことができる。馬車泊する必要がないのだ。


 リークエストの町からルクエの町まで、直接進めるのである。

 馬車で二日、歩けばその倍はかかる細道を、馬車は黙々と進む。


 ちなみにこの街道、出没する魔物のグレードは高いし、途中に町どころか村もない。

 そのため、道を行く馬車どころか、すれ違う人すら出会うことがなかった。


「……ヒマね」

 自領に入ったせいか、リーザの気が緩んでいる。


「そういえば、オールトンさんの件、あれで良かったのですか? 黙って家を出てきていたと伺いましたが」


 リーザに会うため、オールトンは当主の許可を得ずに出てきているらしい。


「叔父さまが屋敷に顔を出した時点で、使用人が本家に手紙を出しているわよ。さすがにそこは抜かりないと思うわ」


「なるほど。使用人のみなさんは、優秀そうでしたしね」

 トエルザード家の屋敷に泊まるたび、なぜか客人扱いを受ける正司。


 自分は護衛だったのでは? と首を捻ることも多いが、この世界の常識に詳しいわけではないので、何も言い出さなかった。


 日本人特有の「状況に強く反論できず、流されるままに行動する」精神を発揮している感じだ。


 そのおかげで、客として遇されるのには少し慣れた。


 バイダル公領でも何度か屋敷の使用人と接したが、トエルザード公領に入ってからは、使用人の質が一段上がったような気がしている。


 これまでも「上等なおもてなし」を受けたと感じていた正司だったが、昨日は「最上級のおもてなし」を受けた気分だった。


(やはり、当主のお膝元は、使用人も教育が行き届いているのでしょうか)


 その「違い」を分からせるために、わざと客人待遇にしたのだろうか。

 などと、やや的外れな感想を抱いている正司。


 ふと正司は、暇そうにしているリーザの隣で、やや憂鬱そうな表情を浮かべているライラに気付いた。


 正司がじっとライラの顔を見ていると、彼女の方も正司の視線に気付いた。

「タダシ様、何かご用でしょうか」


「いえ……とくには」

 ちょっと気になった程度である。特に問題あるわけではない。


「そうですか。何かご用がおありでしたら、お申し付けください」

「……はい。お気遣いありがとうございます」


「なに? タダシもヒマなの?」

「そういうわけではないのですが……少々考え事をしておりまして」


「何を考えていたの?」

「色々でしょうか」


「色々って、何よ」

「そうですね……たとえば昨日の夜のことでしょうか。オールトンさんから恋人を亡くされたと聞きました。いまだ独身なのは、その喪った彼女を想っているからなのかなと……」


「ああ、それね」

 ふと思いついた事を話した正司だったが、リーザの反応は微妙だった。


「亡くなられたのでしょうか。初耳です」

 一方、ライラは首を傾げている。


「あれ? 違うのですか?」

 昨晩のことを正司は思い出す。


 オールトンは、「今は亡き彼女を想って」と言っていた。


「それって、ノーラのことよね。元気に行商しているんじゃないかしら?」

「……はい?」


「叔父さまが小さい頃の話だけど、我が家に出入りする女性に憧れたらしいのよ。10歳ほど年上だったみたいだけど。でもすぐに失恋したって聞いたけど」


「そうなのですか」

 昨日の話と何かが違う。そう正司は思った。


「私もノーラが結婚して、失恋したと聞いております」


「有名よね」

「そうでございますね」


 どうやらこの話、オールトンの黒歴史っぽかった。

 若さ故の暴走として、同年代の大人たちの間では、有名な話らしい。


 年代の違うリーザたちでさえ、知っているくらいなのだ。

 いまだ現役な話題なのだろう。


 オールトンの思い人だが、彼女は商家の娘らしい。

 トエルザード家に出入りする商家のひとつで、家の手伝いとして、よく屋敷にも来ていたようだ。


 少年だったオールトンは、ノーラに一目惚れし、しだいに秘めた恋を燃え上がらせていった。

 そしてついに結婚を申し込んだ日……の前日、ノーラはかねてより交際していた男性と結婚したらしい。


 本人からすれば悲劇であろう。

 告白は周囲の者がみている前で行われたのが拙かった。


 見ていた人たちが、この話をおもしろおかしく周囲に伝えてしまい、周知の事実となってしまったようだ。


 ノーラも決して悪気があったわけではない。

 ただ、双方ともタイミングは悪かっただけなのだ。


 それでもノーラの両親は「いらぬ恥をかかせた」と、御用聞きを遠慮するようになり、自然とトエルザード家と疎遠になったらしい。


「本人は悲劇、周囲は喜劇、話を伝え聞いた者たちからすれば、ただの笑劇。叔父さまは『今はなきあの頃の想い』なんて格好よく言うことがあるけど、真相はそんなものよ」


「…………」

 思ったのと、大分違った。


「でもねタダシ。叔父さまはそのことを恨んだりしなかったのよ」


 出入りを止めた一家は、細々と商売を続け、ノーラは旦那と一緒に行商を始めたらしい。


 といっても、新しく行商をはじめるのは厳しい。

 まず販路を開拓するのが難しいのだ。


 ノーラの夫はラクージュの町から離れた町に商業基盤があった。

 そことラクージュの町と交易すれば難易度はぐっと下がるが、双方の距離がネックになったようだ。


 というのも、ラクージュの町は周囲を高い山に囲まれた盆地。

 山越えのルートがそうそう便利に他の町へ続いているわけではない。


 ただ二百年ほど昔の文献に、その町とラクージュの町が直接取引した記録が残っていた。

 とある商人が開拓した道があったのだという。


「昔の商人たちは、自分で道を見つけた場合、秘匿することが多かったのよね。直接儲けに繋がるでしょ」


 他の商人はかなり大回りしなければ目的の町へ辿り着けないのに、自分だけは秘密のルートがある。

 それは商人にとって、大きなアドバンテージとなる。


 荷馬車で片道十日の距離。

 昔の文献だと四日ほどで到達したとある。半分以下だ。


 オールトンは当時の手記や天候の記録。

 町や村の様子から、失われた交易路を予想し、自ら確かめることで、失われた道を再発見したらしい。


「それはまた……凄いことですね」

『根性あるね』の一言で済ませられる話ではない。


「恋は破れたけど、その人のために道を復活させたのよ」

 商路を秘匿したまま死んだ昔の商人がいて、その記録が残っていたとはいえ、他人の夫婦のために、そこまで頑張れる人なのだとリーザは言った。


「なんとも、いい話ですね。それでその方はいまどうしているのですか?」

「商売も順調で、王国にも販路を持っているわ。私も留学中に何度かノーラと会ったもの」


 最近はトエルザード家との取り引きも再開しており、また他国の大きな町にも支店を持つまでに成長しているという。


「ノーラさんはよほど愛されているのですね。美人さんなのですか?」

「うーん……どうかしら。ライラはどう思う?」


「私も姿を見たことがありますが、肝っ玉母さんといったイメージが強いですね。がっしりとした胴回りと太い腕。大声で良く笑う姿が印象的です。お年を召して変わられたのかもしれません。もしくはオールトン様の嗜好が……いえ、返答を差し控えたいと思います」


「概ね、ライラの言った通りよ。王都で会ったときも、元気いっぱいだったわ。叔父さまはそういう方が好きなんじゃないかしら。少なくとも行商するような人は、みんな逞しいものね」

「私もそう思います。逞しくなければやっていけない商売なのでしょう」


 やっぱりオールトンのことはよく分からない。

 そう思う正司であった。



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