038 お土産
ルフレットの家を辞した正司は、ゆっくり村の中を歩いた。
(リーザさんたちは屋敷に戻ったのでしょうか)
シンティの所で大盾を渡して、〈移動魔法〉でここまで来た。
ルフレットと話し込んだものの、陽はまだ高い。
ミラベルが屋敷で待っている。早く帰るべきだが、実はまだ帰れない。
お土産を頼まれたのである。
(困りましたね。狩りに行き……いえ、魔物の素材はないですね。もっと何か他のものがいいでしょうね)
せっかく村に来たのだから、それらしい民芸品でもないかと村内を歩いて回る。
以前、ルフレットも話していたが、この村はそれなりに発展していた。
魔物避けに土壁もちゃんとある。
町に比べると規模も小さいが、商店もしっかりと営業している。
宿屋と酒場らしきものも見える。
「あれは……お土産屋さんでしょうか」
土産物屋でよく見かけるような、軒先に小物を並べる店が目に入った。
正司は吸い込まれるようにしてそこへ向かった。
「こんにちは」
「あら、いらっしゃい。村の外から来たのね」
店のおばさんが、ニコニコ顔を正司に向けてくる。
「この村のルフレットさんに用がありまして、寄らせていただきました。ここは外からくる方が多いのですか?」
「周辺は弱い魔物しか出ないから、山に入る人がやってくるね」
「山は資源の宝庫ですしね。良い場所に村ができましたね」
棄民の集落を見てきた正司としては、安全に暮らせるだけで羨ましいとさえ思える。
世の中には、税が払えず、危険な場所で住まざるを得ない人がなんと多いことか。
「ここの村人は強いよ。税を安くするためにみな頑張っているからね」
「税を安くする……ですか?」
「そうだよ、見てごらん。この村には、兵士の詰め所もないんだから。自分たちでできることはしなくっちゃね」
なるほどと正司は思う。
町の周辺は兵士が守るし、それ以外でも重要な街道などは定期的に傭兵団が派遣されて、治安の維持に努めている。
この村は、そういった支出を無くす代わりに村人たちが自衛しているのだろう。
安全は金で買う。
町や村で税金の種類が違う。同じ村でも、危険度の高い村と低い村でも違う。
定期的に魔物の討伐を希望すれば、村の税金がやや高くなるが、そういった支援を受けられる。
その話を正司が聞いて、真っ先に思い浮かべたのが保険だ。
(傷害保険やガン保険など、オプションでいろいろ選べるんですよね)
最低の人頭税だとまったく支援無し。
ただしそれでは何かあったときに困るので、普通は兵士か傭兵団を常駐させるか、巡回を入れる。
たとえば村を七つ任されている傭兵団の場合、数日ごとに常駐する村を変えつつ、他の者を巡回に出すようなことをしている。
また強い魔物が棲息する森などが近くにある場合、テリトリーを離れた魔物を狩るために、周辺を巡回したりする。
こういったオプションを加えるほど、税金が割高になってくる。
どうやらこの村は、自分たちで周辺の安全を守ることで、税金を下げているらしい。
(そういえばルフレットさんも、若い魔物狩人が狩り場を使うようになったって言っていましたっけ)
優秀な者たちが多数輩出される村のようである。
「それで、何か入り用かい?」
「ええ……何かこの村の特産となるようなものがあれば、知人のお土産にと思ったのですけど」
ミラベルからの要望は「世界にただひとつ」だった。
工業生産品のないこの世界では、すべて手作りであり、みな完成品は微妙に違う。
厳密には、すべて「ただひとつ」の物だろう。
ただ、ミラベルの言いたいのは、そういうことではないと正司は考えている。
(何か他にない珍しい物……でしょうか)
少しばかり奇抜な物か、偶然発見された物などがいい。
果たして村の店に、そんな掘り出し物があるのかどうなのか。
「村の特産で……土産ねえ」
おばさんは少し困った顔をしている。
「やはり難しいですか」
「うーん、村の特産と言ったら、この縞石かね」
おばさんが手に乗せたのは、小石だった。
ただし、石に縞模様が入っている。
(これは瑪瑙ですね)
縞瑪瑙と言われるやつである。
「この村で採れるんですか?」
「裏の山を少し掘ると出てくることがあるんだよ。あまり価値はないけど、綺麗だろ?」
「そうですね。とても美しい縞模様です」
もとの世界では、瑪瑙は宝石に分類される。
といっても、ダイアモンドのような高価な宝石というわけではない。あくまで大きな原石を飾って楽しむものである。
(そういえば妹が、紅縞瑪瑙を欲しがりましたっけ)
正司は9月生まれで、誕生石はサファイア。
サファイアは硬度9。ダイアモンドに次ぐ硬さを誇る宝石である。
妹は8月生まれ。
8月の誕生石は紅縞瑪瑙で、純粋な宝石の価値は、ダイアモンドに大きく落ちる。
指輪などに嵌める石としては他に候補がいくらでもあるので、あまり使われない。
それを妹は大層悔しがった。
妹が就職するとき、なにか身につけるものをと正司が思って聞いたら、ダイアモンドでもパールでもなく、紅縞瑪瑙を欲しがったのである。
そのとき、8月の誕生石だと知った。
ちなみに正司は、妹にその宝石を使ったブローチを渡している。
(そういえば、フォーマルな席には必ずそのブローチをつけて出かけていましたね。ああ、懐かしいですね)
妹が就職したのはもう何年も前だが、昨日のことのように思い出される。
「あの……その石で、赤いのってありますか?」
妹に買ったのと同じ、紅縞瑪瑙を土産にどうだろうと思ったのである。
「赤いのね……あったかな?」
いくつか瑪瑙の原石の袋をひっくり返す。
白いのや緑の斑が入ったものなどが転がり出てきた。
その中でひとつだけ、紅色の石があった。
「ちょうどひとつだけあったよ。あんたは運が良いね」
「よかったです。それをいただけますか」
正司は少し代金を多めに払い、紅縞瑪瑙の原石を手に入れた。
(よかった……これ、土魔法で加工できますよね)
土魔法は第五段階まで上げてある。
芸術的なカットはできないが、加工だけならできるだろう。
正司は手の平に石を置き、適度な大きさにカットする。
原石は大きいので楕円形の石が二つできた。
(綺麗な文様が良い感じです。ミラベルさんと……リーザさんにちょうど良いですね)
ひとつの原石から作られた二つの宝石。姉妹に渡すにはもってこいではないか。
そんなことを思って眺めていると、表面のザラザラが気になった。
(宝石はもっと光沢があった方が綺麗ですよね)
ならば磨けばいいのだが、どうやって磨けばいいのか。
正司は自分の記憶を探る。
(たしかサンドエアで磨くとザラザラ感は残るんでしたよね。ガラスの砂だとややなめらかになるけど、宝石に光沢を出すにはどちらも適しませんね。さて、どうしたら……)
正司の会社では、工業製品を直接完成まで作ったりしない。
どちらかといえば、それを動かすソフトウエアを開発するのが主業務だった。
(思い出しました。たしか水流で研磨していました)
砂を使うと、どうしても傷がつく。また、ミクロン単位で製品が削られてしまう。
それを防ぐため、クロムメッキをするか、水で研磨していたのを思い出した。
(銅やスズでメッキは簡単にできるのですけど、クロムメッキはやや面倒なのですよね。そもそも宝石をメッキしても意味がありませんし、ここはただの水で研磨しましょう)
〈水魔法〉ならば五段階まであげてある。
正司は水を作り出し、その中に宝石を入れる。
(あとは超強力な水流で時間をかけて研磨すれば、表面のザラザラは取れるでしょう)
正司の前には二つの水球が浮いている。ふよふよと水球が浮かぶ様は、なかなかシュールである。
(ファンタジー世界ではよくある光景ですけど……って、今さらですね)
二つの水球にはカットした石が入っている。これを研磨するには洗濯機のように渦を作り出せばいい。
正司は多くの魔力を投入し、水球の中の水を高速回転するよう念じた。
そして待つことしばし。
表面がなめらかになった石が二つ完成した。
斜めに幾筋も縞が入った紅縞瑪瑙を手に取り、陽にかざす。
(十分土産ものとして通用するものができあがりました)
満足そうにそれを懐に仕舞おうとして気付いた。
(宝石だけでは味気ないですね。たしかボスワンの町の雑貨屋であれを買った気が……)
正司は『保管庫』から、雑貨屋で買い込んだもろもろが入った袋を取り出した。
「タダシお兄ちゃん、おかえりなさい!」
屋敷に戻ると、ミラベルが笑顔で出迎えてくれた。
「ただいま帰りました、ミラベルさん」
「わーい、タダシお兄ちゃんだ」
帰還のあいさつをする正司の腕に、ミラベルが絡みつく。
リーザやミラベルと旅をするようになって、最近の正司は若い女性に免疫がついてきた。
これくらいでは動じない。やや冷や汗が流れたが、動じていない。
「タダシお兄ちゃん、おかえりなさいっ!」
「はい、ただいまです」
「………………」
「………………」
じっと見つめ合うふたり。
べつにラヴロマンス的な何かが発生している気配はない。
腕をぎゅーっと握って離さないミラベルに、正司は「?」と首をかしげる。
「タダシお兄ちゃん、おかえりなさい!」
今度は一語ずつ、しっかりと発音する。
(…………ハッ!)
「そうそう、そういえば……ミラベルさんにお土産があったんでした」
「わーい、やったー。タダシお兄ちゃん、大好きっ」
現金な反応だが、正司の頬は緩む。
妹(のようなもの)に「大好き」と言われたのは、何年ぶりだろうかと。
「そういえばリーザさんはどうしたのでしょう?」
「お姉ちゃんはまだ帰ってないよ。ブロレンさんが迎えに行ったから、もう少ししたら帰ってくるんじゃないかな」
「そうですか。リーザさんの分もあるのですが、それは後でですね。ではミラベルさんに……これです」
正司は『保管庫』からブローチを取り出した。
「ありがとう、タダシお兄ちゃん!」
紅縞瑪瑙――この世界では縞石の原石を正司が〈土魔法〉と〈水魔法〉で精製。
雑貨屋で買ったブローチの台座を用い、〈魔道具制作〉で裏に魔石を組み込んだ一品である。
ミラベルはさっそく胸元につけた。
「よく似合っていますよ、ミラベルさん」
「本当?」
「ええ、最近物騒ですからね」
「?」
「タダシ様……」
「ライラさん、ただいま帰りました。リーザさんはまだのようですね」
「はい。昼前に一度バイダル家から使いの者が来て、夕方まで預かると話がありました。もうすぐ夕方ですので、ブロレンを向かわせています」
「そうですか。もうすぐ帰ってくるのですね」
「はい。それでタダシ様、先ほどのブローチですが、最近物騒というのは……?」
ライラの感覚からすれば、装飾品をこれ見よがしに身につける少女はいいカモである。
この町で襲撃事件や誘拐事件がおこったことを考慮すれば、自衛できない少女が目立つのは好ましくない。
正司がミラベルに渡した装飾品など、まさにその例である。
悪事を考えている人間の目に留まりやすいのではないか。それなのに、「物騒だから」という理由でブローチを渡す正司の意図をライラは計りかねた。
「ミラベルさんはまだ幼いですから、危険に対して無防備です」
「その通りでございます」
「以前、ミラベルさんには『姿隠しのヘアピン』を渡しましたが、目の前の脅威に対しては無意味です」
「……はい」
「ですので目の前の悪意に対して、直接的な防衛策ができないかと考えたのです」
「………………」
そこまで言われてライラは気付いた。「これ駄目なやつだ」と。
「私がミラベルさんに渡したのは、一定以上のダメージを自動で反射させるブローチです。あの『リフレクトブローチ』は、身につけているだけで効果を発揮するので、死角から狙われても大丈夫です」
「タダシ様……」
「はい、なんでしょう」
「もしや、リーザお嬢様にも同じ物を……ですか?」
「ええ、もとはひとつの原石だったのです。それがカットするうちにたまたま二つ作れました。これは二人に渡すべきだろうと思い、作った次第です」
ああ、やっぱり作ったのかと、ライラは遠い目をした。
「ライラさんも必要でしたか? あれは自動で発動するので、訓練などがやりにくいと思ったのですけど」
「私は護衛ですので、結構でございます。お気持ちだけ戴いておきます」
「そうですか。もしライラさんも必要になったら言ってください」
「……はい」
「タダシお兄ちゃん。みんな似合うって言ってくれたよ」
「良かったですね、ミラベルさん。本当によく似合っていますよ」
無邪気に喜んでいるミラベルに、どう説明しようかと悩むライラであった。
「帰ったわ。……ライラ、何か変わったことはあった?」
アダンとブロレンに連れられて、リーザが戻ってきた。
リーザの顔色が悪い。かなり疲れていそうだ。
「タダシ様が先ほど戻られました」
「そう。クエストは終わったのかしら」
「伺っておりませんが、早い時間帯にお帰りになったので、おそらく終わったのではないかと思います」
「後で聞いてみるわ。それとバイダル公からの話をするわ。少しみなの意見も聞きたいし」
「分かりました。ではみなを呼んで参ります……それと」
「なに?」
「タダシ様がミラベル様にお土産をお渡しになりました」
ライラがそこまで話したとき、リーザの頬がゲソッと削げた。
「お土産って……何を渡したの?」
「魔道具のブローチでした。タダシ様は『リフレクトブローチ』と呼んでおりましたが、攻撃を自動で反射するようです」
「それはまた……」
おそらく正司のオリジナルだろうと、リーザは予想した。
「リーザお嬢様の分もあるそうです」
「それはまた……」
「ちなみにタダシ様が出かける前に、ミラベルお嬢様はお土産を所望しておりました」
「それは……また」
「お姉ちゃん、おかえりなさーい……あたっ」
笑顔でやって来たミラベルに、リーザは無言でゲンコツを落とした。
「ちょっとこっちに来なさい」
「痛い、痛いって、お姉ちゃん……耳が、耳がぁ」
リーザに耳を引っ張られたミラベルは、そのままずるずると別室へ連れて行かれた。
「リーザさん、おかえりな……あれ? リーザさんは? いま声が聞こえたと思ったのですが……」
「リーザお嬢様は……その……着替えに向かわれました」
「なるほど、そうでしたね」
正司も家にいるときはラフな格好で、外に出るときは着替える。
あまり頓着しない正司でさえ、寝間着、部屋着、外出着、仕事着くらいの区別はある。
この世界の貴族階級は、もっと複雑だ。
目的に応じて着替えをする。
着替えをしないで人に会うことを嫌う。
そのため、ライラの苦し紛れの話を簡単に信じた。
「それでは私は、お嬢様の着替えを手伝って参ります」
「はい」
多少引きつった笑みで退出するライラを正司は疑うことなく見送った。
○
「あ・ん・た・ね・え」
「お姉ちゃん、顔。顔が怖い」
「当たり前よ! どうしてあなたはそう考え無しなの!?」
「えーっと、お土産のこと?」
「そう。タダシにお土産を頼んだら、何が来るかくらい、予想できるでしょう」
「でも、普通のブローチだったよ?」
「ミラベルお嬢様のブローチは守護の魔道具だそうです。攻撃を反射するように作成したとタダシ様は仰っていました」
「わあ、やっぱり凄いんだ」
リーザはミラベルほど単純に喜べない。
正司が作る魔道具はどれも一級品であり、一点物ばかり。
ミラベルの言う「凄い」だけで終わらせていいものではない。
少女がねだったら、家宝がまたひとつ増えたのである。
「タダシの事は父様に手紙で知らせてあるって言ったわよね。私では判断つかないことも多いから父様の判断に任せるとも言ったわよね。あまり父様を困らせないようにね」
『世界の神秘』という言葉は、ミラベルも知っている。
正司がそれに該当するのかは分からない。
ただ、すでに正司が関わった人たちに多大な影響を及ぼしている。
それが大陸に及ぶかどうかは、今後の行動しだいかと思われる。
破壊方面に特化すれば悪名が広がるし、いまのように伝説級のものをポンポン配って回れば、さまざまなパワーバランスを崩壊させかねない。
破壊の権化となるのか、創造の盟主となるか。
それは関わった人たちの影響を受けることになるだろう。
細心の注意で見守っていかねばならない。
好奇心で世界のパワーバランスを崩さないよう、改めてミラベルに注意した。
「そういえば、タダシお兄ちゃんって、本当に『世界の神秘』なの?」
いつの間にか「お兄ちゃん」が定着したなとリーザは思いながら、首を横に振った。
「私には分からないわ。過去、『世界の神秘』とされたのは、みなどこにでもいる人だった。だから誰にでも、その可能性はあるものよ」
答えになっていない。
なっていないが、そう答えるしかない。
『世界の神秘』とされた人は、不可能を成し遂げただけでなく、後世にまで影響を残している。
また、『世界の理』と対になる存在とさえ言われている。
正司がそうなのか、一般人であるリーザに判断できるはずがない。
「とにかく、タダシに変な注文はしないこと。いいわね」
「はーい」
素直に頷くミラベルと、溜めた息を吐き出すリーザ。
「お着替えの用意が調いました」
タイミングを見計らって、ライラが声をかけた。
着替えを終えて、リーザたちが部屋を出てくる。
正司はカルリトやブロレンたちと楽しく談笑していた。
「あっ、おかえりなさい、リーザさん」
「ただいま、タダシ」
「リーザさんにもお土産があるのです」
ミラベルのと同じブローチを手渡す。
「ありがとう……これは貰っておくけど、今度からお土産とかは、考えなくていいからね」
「はい。でも最近物騒ですし、身を守るものを持っていた方がいいかと思いまして」
「その心遣いは嬉しいわ。ライラに聞いたけど、攻撃を反射するんですって?」
リーザは胸のところにブローチをつけた。
やや小ぶりだが、綺麗にカットしてあるため、とても上品に見える。
「質がよくないせいか、大きな魔石は組み込めませんでした。ある程度の攻撃までしか反射できないようです。それと転んだりする程度のダメージでしたら反射しませんので」
魔道具を作るにあたって、使用したのは雑貨屋で購入したブローチの台座、村で採れた紅縞瑪瑙の原石が材料である。
それぞれ高級品ではなかったため、グレード3の魔石しか使用できなかったのである。
「あまり高性能でも扱いに困るもの。その方がいいわ。護衛もいるし、初撃を防げるだけでも価値があるのよ」
「そうですか、それなら良かったです。なにしろグレード3の魔物の攻撃までしか防げないものですから」
「……はっ?」
高級品とはいえないブローチに、グレード3の魔石を使って魔道具を作った。
それでもオリジナルが作れるくらいまで上げた〈魔道具制作〉のスキルがあれば、魔石のグレードと同程度の効果を発揮させることは可能だったようだ。
果たしてリーザがグレード3の魔物とガチで殴り合う日が来るのだろうか。
永遠に来ない気がする。
リーザはゆっくりと首を回し、護衛たちを見た。
皆、あさっての方向へ視線を向けていた。
「……会議をするわ。みんなに関係することもあるから、しっかり聞いてちょうだい」
全員が頷く。
「アダンは、私が伝え忘れたことがあったら、遠慮無く言ってちょうだい」
「かしこまりました」
同行したアダンは内容を知っているため、フォローに回るようだ。
「まず……タダシが見つけた紙束ね。あれはバイダル家の使用人たちが総出で確認作業をした結果、すべてこの町に住む陪臣の家の図面だと判明したわ」
バイダル家の本家のみならず、陪臣の家の見取り図まで網羅していた。
この事実は、バイダル家に多大な衝撃をもって迎えられたという。
情報がどこかで漏れている。それ以外に考えられないからだ。
そもそも短時間の襲撃と撤退の間で、狙ったように二人の孫が襲われたことがおかしかったのだ。
「夜逃げした者たちは、襲撃者のサポート要員として送り込まれたとバイダル公は断定したわ。すでに捕縛の者を出しているから、遠からず捕まるとは思うけど」
「その動きを察知して、先手を打って行方をくらませたと公は見ているようですな。公は言葉と裏腹に、楽観していないような印象を受けました」
すかさずアダンが言い添えた。
逃げたのは、顔も名前も知らない者たちである。
慌てて町に入ってきた者が怪しい……だけでは探し出すのは難しい。
ただ、この時期に目的もなく集団で町を移動する者はすべて、なんらかの詮議を受けることになるだろうとのこと。
「というわけで、この辺の経緯を簡単に説明するわね。まず私たちが街道で休憩したとき、商人からおかしな話を聞いたでしょ」
馬強盗の件である。
疲弊した馬でやってきた数人の男たちは、休憩している商人を脅し馬を奪い、自分たちの馬は殺して去って行った。
「あれはウイッシュトンの町にいる仲間に知らせるため、街道を急いでいたのではないかしら」
サポート要員の一部が国境の町にいた。戦争になるのを見届ける命を受けた者たちだろう。
そこへバイダル国軍が戻ってきた。
まさか誘拐犯が全員捕まるとは思っていなかっただろう。
町にいた協力者は、大いに慌てたに違いない。
「仲間が情報を漏らしてしまったかもしれない」
そう考えて、街道を急行したのだ。
「襲撃者は、自分たちの組織だけじゃないでしょ? 犯罪結社と複数の傭兵団が関わっていたわよね。自分たちの仲間が喋らなくても、他の組織の者たちがすでに話してしまっているかもしれない……そう疑心暗鬼になっても仕方ないわ」
「あの時点で、町中にその手の情報は降りていませんでした。奴らは想像するしかないのですよ」
もし潜伏場所を話していたら、そこにいる者たちは全員捕まってしまう。
まだギリギリ連絡が届いていないかもしれない。
ならばどう不審に思われようとも、一刻も早く仲間に情報を届け、逃げ出さなければならない。
あまりに急がせたので、馬の息が途中で上がってしまった。
ちょうど休憩している商人をみつけたので、奪ったのだろうと。
「つまり私たちより早くウイッシュトンの町に着いたことになるわ。証拠を燃やして夜逃げする時間はあったでしょうね」
本当に重要な書類などは、持って逃げることができない。
捕まったとき、シラを切れないからだ。
燃やして灰にしてしまうに限る。
ただ、あまりに急いだので、火にくべたものを最後まで確認しなかった。
まさかそれで足が着くとは思わなかったに違いない。
「連中は今頃、王国を目指して進んでいるはずね。攪乱するために一度トエルザード領を目指すかもしれない。……そこで私たちは、北回りでフィーネ領付近を通って、帰ることにするわ」
話を聞いた何人かが「なぜ自分たちが遠回りを?」という顔になる。
「奴らと同じような理由で、連中がどこまで我々の情報を得ているか、想像するしかないわけですな」
アダンの言葉に、ライラが「なるほど」と頷く。
「どういうことですか?」
「リーザお嬢様の一行が捕縛に関わった情報を敵が得ているか不明ということでしょう。もし知っている場合、私どもが逆恨みされる可能性があります」
とくに犯罪結社などは、そう考える可能性が高い。
馬車一台を襲うくらい、連中にとっては大したことは無い。
仲間の仇だ。簡単に決断するだろう。
だからこそ、北回りで帰還するという話が出てくる。
「奴らの逃げ道は限られるわ。バイダル公は年甲斐もなく陣頭指揮を執ると息巻いているし、追撃は苛烈なものになると思うの。だからこそ、その場に向かうと、やぶれかぶれで襲われる可能性が出てくるわけ」
玉砕覚悟の攻撃など、受けたくはない。
連中が通りそうもないルートを使って、コッソリと帰ろうというのである。
「無駄に危険を冒す必要もないと思いますし、その方がいいと思います」
ブロレンは賛成に回った。
一方、カルリトは難しい顔のままだ。
「この町にいた連中が夜逃げしたっていうのは分かるんですが、なにも最短距離を通ったとは限らないんじゃないですかね。俺なら追っ手が一番かからないルートを選びますが」
そうなると逆に人気のない場所でかち合うことになる。
そうカルリトが言った。
「人気のないルートは目立つから、余所者が入り込めばそれなりに情報が入ってくると思うの。敵が先行しているわけだし、そのような兆候があったらバイダル公に知らせて、私たちは別ルートを辿りましょう」
「なるほど。でしたら俺もそれでいいと思います。逆恨みされているかも分からないし、そもそも連中に反撃する余裕があるかも疑わしいですから、可能性は低いですしね」
逃亡中に反撃できるかと聞かれれば、かなり難しいと答えることになる。
何しろ自分の身が一番大事なのだ。
「では、北回りで帰還するわ。それでいいかしら?」
反対意見は出なかった。
「なら急だけど、明日出発するわ」
逃亡者――とバイダル家が呼んでいる連中を捜索するため、明日も多くの人員が町を離れるらしい。
それに紛れて出発しようというのだ。
「ほかに何か意見はあるかしら」
「フィーネ領方面を通る北回りルートですが、どのくらいの日数がかかるでしょう」
珍しくセリノが質問した。
「ここから最短ルートで5日間。北回りだとその倍くらいかしらね」
「でしたら、一度偽の情報を流しておいた方がいいかもしれません」
襲撃者たちが捕まり、サポート要員も逃亡した。
問題は、他に関わっている善良な者たちであると。
善良と表現するにはやや問題があるが、情報を受け渡すだけの普通の商人たちもいただろうと。
商人の情報網は馬鹿に出来ない。
ならばいっそ、偽情報だけ流しておけばいいのではなかろうか。
「なるほど。それは名案ね。バイダル公も、なぜああも屋敷内の間取りが筒抜けになったのか不思議がっていたし……」
おそらく出入りの商人から直接もしくは、それとなく話を聞き出したのだろう。
数ヶ月くらいかけて、少しずつ断片的な情報を聞き出し、それを統合させていく。
根気のいる作業だが、そうでもしなければ公主の屋敷内の情報など手に入れられるわけがない。
こうして情報攪乱のため、リーザたちはまっすぐトエルザード領へ向かったという情報を「それとなく」流すことに決まった。
翌日リーザたちは、堂々とトエルザード家所有の屋敷を出ていった。
アダンやブロレンたちも当然、護衛についている。
リーザは町中を進み、途中で王国商人が経営する商店に立ち寄った。
そこで土産物をいくつか買い込んでいる。
高価なものを大量買いだ。
最後の贅沢とばかりに、店をいくつか回ったあと、護衛を引き連れて町を出て行った。
「……そろそろいいわね」
「はい、周囲に誰もいません」
街道をかなり進んだところで馬車は止まった。
ここはトエルザード領へ向かう最短距離の道である。
「じゃ、タダシ。やってちょうだい」
「はい」
正司の〈瞬間移動〉によって、ウイッシュトンの町に入る手前の道に移動した。
北回りを選ぶ場合、ウイッシュトンの町の北門を抜ける必要がある。
ならばいっそのこと、町の外に跳んでから、町自体を迂回しようというのである。
「うまく行ったわね」
さすがにこれでは、行き先を予想できる者はいない。
なにしろ、リーザたちを乗せた馬車は西行きの街道を進んでいることになっている。
「そういえば、トエルザード領って、どんなところですか?」
これから向かう場所について、正司は何の情報もない。
「一言でいえば岩の町かしら。絶断山脈ほどじゃないけど、我が領には高い山がいくつかあるわ。私たちが住んでいるのはラクージュの町というのだけど、比較的バイダル領に近いところにあるわね」
「そうなんですか。港を持っているんでしたね」
「バイラル港ね。ラクージュの町から馬車で七日くらいかかるの。なるべく弱い魔物が出る領域に道を通したので、どうしても移動に日数がかかるのよね」
ラクージュの町は、周囲を山に囲まれた盆地にあるらしい。
どこを見渡しても、山脈が見えるのだとか。
それでも絶断山脈よりよっぽど低く、さらに低地を抜ける道が何本かあるため、行き来に困ることはないという。
「それでも山越えは大変そうですね」
「そのかわり、攻められる心配はあまりする必要はないわね」
進行ルートが決まっているということは、迎撃しやすいということでもある。
一番の難所は要塞化してあるため、王国との戦争になっても優位に進められるとリーザは胸を張った。
(攻めたり攻め込まれたりを考えなければいけないのですね)
やはりこの世界は平和な日本とは違う。それを改めて実感する正司であった。
「あのね、ウチの領内には語り部がいるんだよ、タダシお兄ちゃん」
「語り部ですか? 語り部というと、昔の歴史や伝承を後世に残すという……」
「よく知っているわね。トエルザード領には語り部の氏族が今でも住んでいるわ。彼らしか知らない歴史や伝承を綿々と伝え続けているわ。たまに家も講師として招くことがあるのよ」
語り部の氏族といっても、一人や一家族という単位ではないらしい。もっと多く存在している。
そして氏族単位で独自の言語を話し、その言葉で歴史や伝承を継承しているのだとか。
(そういえば、私の言語スキルも多種多様なものがありましたね)
「リーザさん、この大陸ではいったいどれくらいの言語が話されているのでしょう?」
「急にどうしたの?」
「ちょっと気になったものですから」
「そうね……帝国を例にとると、昔は一族ごとに違う言語が使われていたのよ。数の多い一族がやがて国家を形成していったのだけど、そのとき負けた一族の言語は使われなくなって、廃れたって聞いたわ」
「なんかもったいない話ですね」
「どうなのかしら。言語が違うと意思疎通ができないし、自然と消えていくものじゃないの?」
「そういうものでしょうか」
あまりこの世界の住人は、消え去る文化、文明の保存に価値を見いださないらしい。
「だから消え去った古い言語を合わせると、それだけでかなりの数になるわね。国家を形成した一族の言語だけなら、十種類くらいかしら」
帝国はいま、どこでも共通語を使用しているが、そこに至るまでは各国でバラバラの言語を使用していたらしい。
今でも古い言語は残っており、共通語と自国語の二種類の言語を覚えている者も多いという。
「そうなのですか。やはり歴史がある国は違いますね」
「言語だけをみると、帝国はうまく統一したと思うわ。国家としては失敗だけど」
いまだ内乱が絶えない帝国において、抗う側も共通語だけは使用している。
そうでないと、他の叛乱勢力と連携もとれないし、何より生活に困るという面もある。
「あとねえ、帝国からやってきた二族が西側の言語の基礎になったんだよ」
「ミラベル。その辺は家についてからでいいでしょ」
「その二族というのは……秘密の話でしょうか」
「そんなことないわよ。絶断山脈の西に共通する歴史だから、話すと長くなるのよ。中途半端に覚えてもどうかと思ったから言わなかったのだけど……」
リーザはしばし悩んでから、話すことに決めた。
「いま私たちが住んでいる大陸の西側だけど、昔はだれも住んでいなかったの」
「なるほど……帝国がある東側からの移住ですね」
「そう言われているわ。というのも、話されている言語からの類推なのだけど」
大昔、東側からの移住は二度行われた。
一度目は凶獣の森を抜けた集団。
今では研究が進み、おそらく数千人規模の集団が踏破したのだろうと言われている。
凶獣の森を二千キロメートル以上歩き、数千人規模の踏破者を出す。
果たして可能なのか、その可否は横に置いておく。
現在、砂漠の民は、帝国領内の一族の言語がもとになっているのは事実である。
いつか、どのような方法でか分からないが、彼らは移動したのである。
そしてもうひとつ。
ミルドラル、ラマ国、エルヴァル王国は、言語を基準に考えると、共通の祖先を持つことが分かっている。
やはり帝国のある一族の言語が元になっている。
彼らは北の未開領域を抜けてきたとされるが、凶獣の森よりも出現する魔物のグレードが低いとはいえ、三千キロメートル近い距離を移動することになる。
「この二つの一族が困難を乗り越えてこっちに来たからこそ、私たちがいまあるのよ」
「なんか、壮大なロマンのある話ですね」
「普通なら目指そうと思わない。もし目指しても途中で全滅は必至。いまでさえ、一般人を連れて大人数で抜けるのは、不可能と言われるわ」
「そうですよね。分かります」
凶獣の森を探索していた正司には分かる。
あそこは気配遮断しないかぎり、連日連夜、魔物に襲われる場所だ。
「だからとても強力な指導者がいて、その人が民を守りつつ、魔物の森を抜けたと言われているの。みんなで頑張りましょうじゃ、途中で分解してしまうもの」
「なるほど。すごい人ですね、その指導者の方は」
「ええ……私たちはその人のことを『世界の神秘』と呼んでいるの。人を超越した力を発揮できたから」
そこまでリーザが言っても、正司は何の反応も示さなかった。