037 続・孤高の魔物狩人
正司は、クエストを追ってバイダル公の住むウイッシュトンの町まで来てしまった。
(……なぜ?)
あとは依頼人のルフレットに会うだけだと思っていた。
そしてルフレットの家は、ここから遠く離れた村だ。
ウイッシュトンの町に戻ってくる理由が分からない。
半ば以上混乱しつつも、正司は白線を辿る。
マップで白線の先を見ていくと、ある方角に向かって進んでいるのが分かった。
ある方角……シンティの治療院がある方角である。
(もしかして、私の跡をつけていたとかでしょうか?)
だが、尾行されたとして「どこから」という問題が発生する。
正司がグルグルと様々な可能性を思い描きながら歩いていると……。
ゴンと、何か重いものが足にぶつかった。
「ああ、すみません。よそ見していました」
すれ違った女性の荷物に、足を引っかけてしまったようだ。
マップを見ていたため、足下に気付かなかったらしい。
荷物を引いていたため、相手は引っ張られてしりもちをついた。
「ちゃんと前を見ていませんでした。お怪我はないですか?」
正司はすぐに手を差し伸べる。
「大丈夫だよ。アタシもよそ見していたから、お互い様だね」
笑って手を差し出してくるのは、正司より年上のように見える女性だった。
「本当に申し訳ありませんでした」
「なんだい、しりもちついたくらいで大袈裟だね。全然大したことないんだよ」
わはははと笑う姿は、正司が日本で朝のゴミ出しの時によく会う主婦に似ていた。
「これ、ずいぶんと重そうな荷物ですね」
足を引っかけたときにかなりの衝撃があった。
女性が引いていたのは、一輪車がついたカート。
荷台に黒っぽいイモが積み上げられている。
「安かったんで、ちょっと買いすぎてしまったかねえ。まっ、日持ちするものだし、いいかなと思ってね」
中身だけでも大人の体重くらいはありそうだ。
全部食べるのに、一、二ヶ月分くらいはあるんじゃなかろうか。
「買い物帰りですか。でしたら、お詫びのしるしに家まで運びましょう」
「いいよ、いいよ。こうしてゆっくり引いて帰れば、じきに着くからさ」
「それでも大変だと思います。私に運ばせてください」
「うーん、そうかい? そんなに言うなら、甘えようかね」
正司は女性からカートを受け取る。ズシリとした重さが腕にかかった。
どうやら車輪はあれど、日本の一輪車のように、なめらかに回転しないようだ。
車輪も車軸も木で出来ており、軋んだ音を立てながらゴロゴロと土の上を回転する。
「あんた、この町の住人じゃないみたいだね」
「はい、タダシと言います。どうしてお分かりに?」
「あたしゃ、ワーナだよ。あんたが物珍しそうに歩いているから……この町は初めてかと思ってね」
たしかに正司はマップで位置を確認するために、ずっとキョロキョロしていた。
「そうですね。昨日の夜にウイッシュトンの町にやってきました」
「そうかい。どうだいこの町は。いいところだろ」
「はい。バイダル公のお膝元だけのことはありますね。町は大きくて、ゆったりと作られています」
ラマ国の首都はかなり狭苦しいイメージがあった。
山の中腹にある町だから致し方ないのかもしれない。
この町のように、道が広く取ってあったり、家と家の間に余裕があったりすることはなかった。
狭いスペースをうまく活用していた。
「ゆったりとか。よく分かっているじゃないか……おっと、その先を曲がれば我が家だよ」
白線の方向からは逸れてしまったが、そのくらいの遅れはすぐに取り戻せる。
「こっちですね」
正司はカートを押しながら、ワーナの家に入っていった。
「ウチの人がもうすぐ帰ってくるかな。まあ、お茶くらい飲んでいきな」
「いえいえ、お忙しいでしょうし、私はここで失礼いたします。荷物はどこへ置けばいいでしょう」
「食料庫は家の裏だね」
「では運びますね」
正司は土間を突っ切って、勝手口らしい扉を開けた。
そこに小さな納屋がひとつあった。
引き戸を開けると、多種多様なガラクタらしきものが積み上げられている。
「食料は手前の木箱に入れるんだけど」
「ではやってしまいましょう」
正司は木箱を開けて、イモが傷つかないよう、丁寧に移していった。
小屋の中は暗い。明かり取り用の小窓が開いていて、そこから外が見えた。
なにげなく正司が目をやると、隣家の木戸が風で揺れていた。
開け放たれたままなのである。
「あの……お隣の家、扉が開いたままなんですけど」
「あらやだ。本当だ……今朝から開けっ放しだったけど、誰も戻ってないのかねえ」
「朝からあんな調子なんですか?」
それはちょっと不用心ではと正司が思っていると、ワーナはおかしなことを言い始めた。
「お隣は最近越してきたばかりで、よく知らないんだよね。越してきてひと月くらいだったかしら」
「最近越してきたんですか」
「そうなんだよ。大勢で住んでいるみたいで、あまり交流したがらない感じでね」
挨拶をしても無視するらしく、いまだ何人住んでいたのかすら分からないらしい。
「へえ、そんなものなんですかね」
引っ越した時に、最低でも両隣の家くらいは挨拶すべきではなかろうか。
それとも、そういう風習は日本のみなのか。
正司がそんなことを考えていると……。
「それでつい昨日の夜中だよ。馬のいななきが何頭か聞こえてきてね」
「お隣さんの所にですか?」
「そう。その後は夜中じゅう、あーでもない、こーでもないと部屋の中から話し合う声が聞こえて、終いにはガタガタと大掃除はじめたような音が聞こえたのさ。信じられるかい? 夜中に大掃除だよ」
「変わったご家庭ですね」
「家族で住んでいる感じじゃないね。もっと別の……仲間うちで暮らしている感じだった。そして今朝にはああだ。あたしは朝が早くてね。まだ暗いうちから起き出してくるんだけど、その時にはもうあの有り様だったね」
ワーナは朝早く出かけたし、関わり合いになりたくなかったので、出かける時も声をかけなかったという。
馬で駆け込んできたあと、話し合いが行われ、大掃除の果てに明け方には戸が開け放たれていた。
「それって、押し込み強盗じゃないでしょうか」
夜中に入り、家捜しをして逃げていった。
もしそうならば、家人がまだあの中にいるのではないか。
「まさか……すぐに人を呼ばなきゃ」
「いえ、まだ押し込み強盗と決まったわけではないです。本当に大掃除をしたかったのかもしれませんし」
「そうだけど……こりゃ、様子を見に行った方がいいかね」
「そうですね。もしかして縛られたままということもありますし」
「見に行かなきゃだめかね」
「私が行ってきましょうか」
「お願いできる?」
「構いませんけど、もし家人がいた場合、ビックリするかもしれませんね」
「だったらあたしも一緒に行こう。顔は知っているはずだよ」
正司を先頭に、隣家の様子を見に行くことにした。
「おじゃましまーす」
朝から戸が開け放たれている。
もし強盗だったとしても、もうここにはいないはず。
それでも正司は身体強化を施して、家の中に入っていった。
ワーナもあとからついてくる。
「だれもいませんね」
普通の部屋が五つあり、他に炊事場など生活に必要なものが揃っている。
すべての部屋を覗いたが、中はもぬけの空だった。
ワーナが大掃除と言っていた行為は、荷造りの音だったらしい。
正司が見るに、主立ったものは持ち去られているように見えた。
「やはり強盗?」
荒らされた室内を見てワーナがそう言うが、正司は首を横に振った。
「タンスの中も空ですし、持っていったのは売り物にもならない着替えなどでしょう。強盗というより、覚悟の夜逃げのように見えます」
事実、金目のものだけでなく、ほとんどのものが消えていた。
「夜逃げ……そういや、そんな風に見えるね」
家にあったものは、粗方持っていきましたという感じだ。
残っているものはすべてゴミばかり。
「……ん? 火燃し場にずいぶんと燃え残りがありますね」
「ほんとだ。まだ灰が暖かいよ」
言われて正司も手を近づけてみる。
灰の中で何かがしばらく燃え残っていたらしく、ほんのりと熱を発していた。
ワーナが火かき棒で、中をかき回す。
すると舞い上がる灰の中から、燃え残ったカスがいくつも舞った。
「これは書類のようですね。束になっていたので、中心部まで火が回らないうちに灰に隠れてしまったようです」
ここへ次々と許容量以上に詰め込んだのだろう。
短時間で燃やし尽くそうとしたようだ。そのため、いくつかが燃え残ったらしい。
「なんだろうね」
ワーナが興味津々に覗き込む。
「これは……図面? でも何か、見たことある配置ですね」
正司は燃え残った束をいくつか開いて目を通していく。
どうやら家の見取り図のようで、庭木の配置なども書かれている。
(あれ? これ、バイダル公の屋敷ではありませんか?)
玄関や窓の位置、階段の並びに見覚えがあった。
それもそのはず、つい最近出入りしたばかりなのだ。
「どうしたんだい、黙り込んで」
「えっと……少々私が知っている家の配置に似ているものですから」
「へえ、変わったこともあるもんだね。ならばきっと、これは忘れないように書いて残しておいたのかもしれないね」
「そうですね」
だがバイダル公の屋敷の見取り図など、何に使うのだろうか。
この家の住人がたまたまバイダル公の屋敷の配置を覚える必要があった?
なぜ? 正司は疑問に思いつつも、丁寧に他の紙も見た。
燃え残ったどれもが、家の見取り図のようだった。
(縮尺が違うのもありますね。これが地図ですか)
すると天恵のように、正司の脳裏にあることが閃いた。
これはファファニア襲撃やタレース誘拐に関係しているのではないか?
もちろん関係しているならば、襲撃者側としてだ。
そう考えたら、すべて怪しく思えてくる。
「えっと、確認したいことがあるので、この紙束を持ち帰ってもいいでしょうか」
「燃え残ったゴミだし、いいんじゃないのかね。というか、この家の住人はもう夜逃げしちゃったんだろ」
「そういえばそうでした」
だからこそ、この燃え残りが気になるのだ。
「まあ、燃やして処分しようとしたんだ。別に持ってったって文句いう奴もいないだろうよ」
「では遠慮なくもらっていくことにします」
正司は紙束を大事に『保管庫』へ入れた。
「あれ? いまどこへ?」
「ワーナさん、私はすぐに戻る用事ができてしまいました」
「そうかい。荷物を運んでくれてありがとうよ」
「どういたしまして。それでは失礼します」
正司は一礼すると、すぐに家を出て行った。
走りながら、〈移動魔法〉でトエルザード家の屋敷に跳ぶ。
時刻は夕方。
そろそろ陽も落ちようとする時間帯である。
「あっタダシ、おかえり。ちょうど良い所に帰ってきたわ。そろそろ夕食ができるころよ」
「ただいま戻りました、リーザさん」
「タダシお兄ちゃん、おかえりなさい。クエストはどうだったの?」
「ただいまです、ミラベルさん。クエストはまだ終わってないので、また明日出かけることになりそうです」
「そうなんだ……明日なんだけどね。わたしたち、ファファニアお姉ちゃんにお呼ばれしたの。タダシお兄ちゃんもぜひどうぞって」
「そうなのよ、タダシ。先方は無理にとは言ってないのだけど、どうしたらいいかとまよってね。使いがきたのはちょっと前なの。だから……」
「リーザさん」
「な、何かしら?」
正司に迫られて、リーザは狼狽えた。
「ちょっと聞いて欲しい話があるのです」
「どうしたの、急に? クエストで失敗でもしたの? それともバイダル公の屋敷に行くのは嫌?」
「そうではありません。ちょっとこれを見てほしいのです」
正司は『保管庫』から燃え残った紙束を取り出し、リーザに手渡した。
「なにこれ……汚いわね。燃えかす?」
「私は見覚えがあったのですが、バイダル公の屋敷に似ていないでしょうか」
「……?」
リーザはその中の一枚に目を通し、じっくりと眺めた。
ミラベルも覗き込んでくる。
しだいにリーザの目が険しいものに変わる。
「タダシの言うとおりね。私にも見覚えがあるわ。バイダル公の屋敷のように見える……というよりも、屋敷の配置を写し取ったようにしか見えないわ。ねえタダシ、これどうしたの?」
「話すと長くなるんですけど、ワーナさんという方と偶然町中でぶつかってしまいまして……」
そこで正司が見聞きした一部始終をリーザに語って聞かせた。
その間リーザは、他の燃え残りも丁寧に確認していく。
「そう……そういうことがあったのね」
「はい。ですから、襲撃者たちと関係あるのではないかと思って持ってきたのです」
「いい判断だわ。これはおそらくバイダル公の屋敷だと思う。そしてこれと……これ。それにこれも、見覚えがあるのよ。これらはすべてバイダル家重鎮の屋敷ね。地図はこの町の一部のようだし。この町のバイダル家に関係する図面を慌てて焼いて夜逃げするなんて、真っ当じゃないわ」
リーザはすぐに使用人をバイダル公の屋敷へ走らせた。
「アダン」
「はい、なんでしょうか」
「私と一緒にバイダル公の屋敷に行くわよ」
「かしこまりました」
「タダシ、この紙束は借りていいかしら」
「はい。すべて差し上げます」
「ありがとう。それと夜逃げしたという家はどの辺かしら。場所が分かるといいのだけど」
「それでしたら地図を書きましょう」
「お願い、すぐにできる?」
「はい」
「ライラ、後のことは任せるわね」
「仰せの通りに」
「遅くなっても心配しないで。もしかすると今夜は帰らないかもしれない。その場合、明日になったらブロレンをよこしてちょうだい」
「かしこまりました」
「ミラベル。あなたは明日までライラと一緒にいてね。タダシは……クエストに出るよね」
「はい。できれば、そうしたいと思います」
「それでいいわ。夜には帰ってくるわよね」
「大丈夫です。必ず帰ってきます」
「だったらいいわ。おそらくだけど、バイダル公とこの紙束を解析することになると思う。だから……ってタダシ、あなた何を書いているの?」
「言われた通り、地図ですけど」
正司はこの屋敷からワーナの隣家までの「詳細な」地図を書いていた。
マップで広範囲を表示させたところ、ギリギリでワーナの家まで入っていたのだ。
そこでうまくマップと紙を重ね合わせ、線をなぞるように地図を書いていたのである。
いわばトレースである。
縮尺も一定で、すべての小道も表示されている。
「「「…………」」」
リーザのみならず、ミラベルもライラもアダンも呆然と正司が描く地図を見ている。
「どうやって書いているのでしょうか」
「タダシがこういうことをしているとき、知らない方が幸せだと最近気付いたのだけど、アダンはどう?」
「僭越ながら、私はもうとっくに気付いておりました」
「そう……まあ、そうよね」
「できました。これで分かりますか?」
トレースした地図ができあがった。
「十分すぎるくらいよ」
「印をつけたのがその家です。そして隣がワーナさんの家になります」
「分かったわ。この人に事情を聞くことになると思うけど、問題ないわよね」
「私も偶然出会った人ですので……ですがたぶん大丈夫だと思います」
アダンは何か考えるしぐさをしている。
「タダシどの、先ほど偶然出会ったと言っておりましたな」
「はい、そうですけど……?」
「これも神秘のひとつなのでしょうか」
「……はい?」
「アダン、それはとりあえずいいわ。それより行きましょう。先触れは出したし、バイダル公が首を長くして待っているわよ、きっと」
「はっ、そうですな」
正司から地図を受け取り、それを紙束と一緒にまとめると、リーザとアダンは出て行った。
「行ってらっしゃい、リーザさん」
それを笑顔で見送る正司である。
その日遅くなっても、リーザとアダンが帰ってこなかった。
帰りは翌日になるかもしれないと言っていたこともあり、正司たちは先に休むことになった。
正司もあの燃え残った紙束のことは気になったが、それを考えていてもしょうがない。
(私が出る幕はありませんし、明日はクエストの続きをやりましょう)
ワーナと会ったことで、襲撃事件は進展を見せるかも知れない。
クエストが一日遅れる価値は十分あった。
明日は必ずクエストをクリアしよう。
そう決意して正司は眠りについた。
そして翌朝。
「おはよう、タダシお兄ちゃん」
「あっ、おはようございます。ミラベルさん。リーザさんたちは帰ってきたのでしょうか」
「ううん、まだ帰ってきていないよ」
「そうですか。バイダル公の屋敷に泊まったのですね」
遅くまで話し合いが行われ、そこで一泊したのだろう。
「タダシお兄ちゃんは今日もクエスト?」
「はい、そうです。夜には帰ってきますので、リーザさんが戻ったらそう伝えてください」
「うん……だけど、一緒にいないとつまらないな」
今日は正司だけでなく、リーザもいない。
これまでの旅の道中、ずっと正司やリーザと一緒にいたのだ。
一人になると、寂しいのだろう。
思わず正司は、午前中だけでもミラベルと一緒に過ごそうかと言いかけたが、直前で気付いた。
王国に留学していたリーザに会うため、ミラベルは護衛の者たちと国をまたいでやってきたのだ。
日中離れていても、寂しいはずはない。
だが落ち込むミラベルの顔を見ると、正司はなんとかしてやりたくなる。
「それではお土産を買ってきましょうか」
「ほんと?」
「え、ええ……楽しみに待っていてください」
「わーい」
素直に喜ぶミラベルに、正司は微笑ましい気持ちになる。
お土産で喜ぶなど、まだまだ子供。
そんな風に正司が思っていると……
「世界にひとつだけのお土産。期待しているからね!」
ハードルを上げてきた。
「分かりました。できうる限り善処しましょう」
「待っているからね。絶対だよ、タダシお兄ちゃん」
「はい、約束です。ミラベルさん」
「じゃ、行ってらっしゃい」
「行ってきます」
お土産があると決まったら現金なものである。
ミラベルに笑顔で見送られ、正司は屋敷を出る。
(さて、白線の先はどこに繋がっているのでしょう)
町中で〈移動魔法〉をポンポン使うと目立ってしまう。
いつも通り、身体強化をかけたうえで、ゆっくりと歩き出した。
正司が白線を追うことしばし。
「……やっぱりここでしたか」
白線は昨日の治療院に繋がっていた。
とすると、依頼人のルフレットがここにいるのだろうか。
そう思ったが、どうにも腑に落ちない。
この町に入ったとき、正司はバイダル公の屋敷で一泊している。
跡をつけられたはずがないのだ。
「ごめんください」
「はーい。治療を希望ですか……って、タダシ様」
「おはようございます、シンティさん。お変わりないですか」
「昨日と今日では、魔力の量が変わりまくっていますけど、それ以外の変化はないです」
「それは良かった……それでクエストで寄ったのですけど、昨日、ここに私と同年代の方が訪ねて参りませんでしたか?」
「昨日でしょうか……いえ、来ていないと思います。その方は以前私が治療した方のことですか」
「そうです……来てないですか」
「来ていないですね。顔を覚えていますので、来たら分かると思います」
「なるほど……そうそう、森でこれを拾いました」
正司は『保管庫』から大盾を取り出した。
「またどこから出したので……いえ、聞きません。私はなにも見ていません」
「それで、これなのですけど、シンティさんの盾で間違いないでしょうか?」
「はい。私が最後に魔物に襲われたとき、使っていた盾です。タダシ様が見つけて下さったのですか?」
「そうです。森に立てかけてあったものを回収してきました。それではこれをお返ししますね」
「ありがとうございます。この町からだと、盾の場所までかなり遠かったと思いますけど……」
「いえ、それほどでもなかったですよ」
「そうですか……うーん、そうなのかな」
シンティは悩みつつも、盾を持って外に出た。
「シンティさん。その盾をどうするつもりですか?」
「ちょうどよいので、看板の下に飾ろうかと思いまして」
治療医の看板の周囲には何もない。
簡素でよいと思う人もいるが、なんとも寂しいと感じる人もいるだろう。
シンティが大盾を飾ると、ちょうどうまく収まった。
「いいですね。盾があると店先に注目が集まりそうです。全体的に引き締まった感じがしますね」
治療院も店のひとつである。
ちゃんと営業するならば、目立った方が良い。
その点、大盾を店先に飾るとよく目立つ。
大盾は店の顔としての役割をうまく果たしていた。
「私の魔力が少ないのもありましたが、お店があまり目立っていなかったので、お客さんが少なかったと思うのです。ですからこれも客引きのひとつとしていいかなと」
シンティが飾られた盾を指して、そう微笑んだ。
「良い案だと思います……おや、クエストが更新されていますね。いつ更新されたのでしょう。盾を渡したときはそのままでしたし、飾った後ですかね」
「タダシ様、何か問題でも?」
「いえ、何でもありません。どうやら進展があったようですので、来た早々ですが行くところが出来ました」
「はい。お引き留めするのもあれですけど……昨日といい、今日の盾の件といい、タダシ様にはなんとお礼を言えばいいのか……」
「気にしないで下さい。私はクエストのためにやっていることですから。それでは失礼しますね」
正司は治療院を出た。
しばらく白線を追って進むと、どうやら町の外の方へ伸びているのが分かった。
(今度こそルフレットさんの所まで伸びているんでしょうね)
正司は祈る気持ちで〈移動魔法〉で跳んだ。
跳んだ先は、クエストを受けた場所である。
(良かった……白線はルフレットさんの家の方に向かっています)
今度は間違いない。
正司はウキウキとした気分で、スキップしながら向かった。
身体強化をかけた状態でのスキップは、端から見るとかなり不気味である。
幸いなことに、周囲に人の姿はなかったので目立たなかったが。
「ルフレットさん、タダシです」
目的の家に到着したので扉の外でそう告げる。
白線が続いているので、ルフレットの家で間違いないだろう。
すぐに中から人が出てきた。
「おお、あんたか。もしかして分かったのか」
ルフレットは正司を見て破顔した。
「はい」
「そいつはすごい……中で話を聞かせてくれ」
ルフレットに連れられて、家の中に入る。
「ルフレットさん。結果から言いますと、その方は魔物狩人を引退していました」
「怪我をしたのか?」
「いえ怪我はしていません。もともと同じ村の仲間に誘われて始めたようですが、向いていなかったようですね。それでいまは……」
「待った」
「えっ?」
「無事ならばそれでいい。いまどこにいるかとか、何をしているかは、俺は聞かない方がいい」
「そうなのですか?」
不思議そうに尋ねる正司に、ルフレットは腕を組んで答えた。
「知れば様子を見に行きたくなってしまうかもしれん。どうなったか分からなくて不安だったが、無事ならばそれでいい」
「そういうことですか……」
「代わりに聞かせてほしい。本当に怪我をしているんじゃないのか? どうなんだ?」
「そういう風にはまったく見えませんでした。仲間の方も良い人らしくて、グループを抜けた後も元気に暮らしています」
「そうか……だったら良かった」
「そういえば、ルフレットさんが言っていた大盾ですけど、あれを拾ったので本人に届けました」
「? 盾のあった場所は教えてなかったはずだが……ああ、彼女から聞いたのか」
「……まあ、そんな感じです」
クエストが示したと言っても理解されないと思い、正司はそう伝えた。
(そういえば、クエストはなぜあそこに寄り道したのでしょう)
シンティに会ったら次はルフレットに報告すればいいと考えていたが、そうではなかった。
正司はクエストが導くままに行動したに過ぎず、その意味までは理解し得ていない。
(クエストを達成する上で、あの寄り道は意味のある行為なのでしょうけど)
「しかし良かった。ずっと気になっていて、狩りどころではなかったのでな。最近は狩りもサボり気味だったのだよ」
ルフレットは笑った。心の重荷が取れた顔つきだ。
「そういえばルフレットさんは、ひとりで魔物狩人を続けていたのですね。怪我とか、怖くないのですか」
「仲間がいれば、万一のときに安心か」
「ええ、普通はそう考えると思ったのですが」
「そうだな。だがひとりは気楽だ。狩った魔物のドロップ品も独り占めできるしな」
人数が増えれば安全が確保されるし、全体の収入も増える。
だが、頭割りすると結局は少なくなる。
しかも好きな時に狩りに出るわけにはいかない。
必ず仲間と相談することになる。
何でもないことで揉めたりもする。
一人に慣れてしまうと、そういうのが煩わしくなるらしい。
「そういうものなのですね」
「ただな、やはり歳を取るといろいろ考えるようになってくる」
「ルフレットさんは、まだ若いではないですか」
「魔物狩人としては中堅だな。若くはないさ。一人で狩りをするなら、体力の衰えが死に繋がる。自覚する前に引退した方がいいと、常に考えているよ」
「体力の衰えですか……そういえば高度な魔法を覚えたり、複数の魔法を覚えると魔力が上がると聞きましたが、体力はどうなのでしょう」
シンティから聞いた魔力の話は、正司にとって得がたいものだった。
普通に生活していて知り得る話ではない。
そして正司の場合、貢献値があればさらに多くの魔法を覚えるのは可能である。
コインを使わなくても、魔力は意図的に増やすことができるのだ。
もっとも魔力は今でも十分余らせているので、正司は心配していない。
「体力か。それも似たようなものだな」
「そうなのですか?」
「戦闘の『術』や『技』を覚えれば、身体のさまざまな能力が上がることが分かっている。俺は〈剣術〉を習得しているが、その技を十分に発揮できるだけの力は備わっているはずだ」
ルフレットの言う力とは、運動神経に属するものや、頑強さに分類されるものも含まれている。
いわゆる総合的な力らしい。
「〈身体強化〉も〈剣術〉と同じでしょうか」
「ああ、同じだな。より高度な技を覚えてもいいし、別の術を覚えてもいい」
たとえば〈剣術〉だと、その中にさまざまな「技」が存在するらしい。
剣術がスキルで、技がアーツだろうと正司は理解した。
(私の場合はどうでしたっけ?)
魔物を見て直接戦闘などできるわけがないと考え、肉体強化以外のスキルを取得していない。
ルフレットと話しながら、そっとメニューを開く。
(えっと私が取得したスキルの中で、肉体系のものは……)
〈身体強化〉を第五段階まで上げているのは覚えていた。
他に該当しそうなものとして、〈筋力増量〉〈スタミナ増量〉〈敏捷増量〉〈器用増量〉を第三段階まで取得していた。
(……思ったよりたくさん取得していましたね)
この辺は〈身体強化〉を先にあげてしまったため、いろいろ危険と判断したのだった。
ルフレットの言葉が正しければ、正司の肉体はスキルを取得したことで、かなり強化されていることになる。
(……あっ)
異世界に来た当初、正司は身体強化の使い方がうまくできていなかった。
魔力を注ぐことでそれは解決したが、いま考えるとおかしい。
(肉体強化に魔力が必要なのでしょうか……?)
とすると、目の前のルフレットも魔法使いということになる。
それはおかしい。
正司のメニューにあるHPとMPの項目を見た。
HP/MP 100/120
これは〈品定〉によって、見ることが出来る正司のステータスだ。
この100と120はパーセント表示であることが分かっている。
実際の数値は不明だ。
不明というか、存在しているのかも怪しい。
(私の場合、スキルを取得する過程からしてこの世界の人と違うようですし、同じには考えられないのかもしれませんね)
正司は身体強化をかけるとき、魔力を使うよう念じている。
もしMPではなくHPを使っている場合、それがゼロになったときどうなるのか。
(まさか死ぬ……ありえますね。使うのは魔力で良かったです)
ではHPとは何かという問題が出てくる。
(ゲームのHPと同じならば、ゼロになったら死ぬで、いいのでしょうか)
体力回復のコインがある。
正司の場合それは死までの残り体力を表しているのだろうか。
この世界で能力強化に使われるものは魔力で代用している。
ならばHPはゲームと同じかもしれない。
正司がそんなことを考えていると……。
「俺の場合、新たな技を覚えるのも大変だし、なるべく死なないようにがんばるだけだな」
「でしたら、体力増量のコインを使ってみたらどうでしょう」
「おまえ……体力増量のコインなど、俺は見たこともないぞ。というか、手に入れるにはグレード5の魔物をどれだけ倒せばいいのやら……」
「ところが今、ちょうど余っているのです」
正司はグレード5の魔物を乱獲した。
そのとき三種類のコインを手にしている。
年齢減少のコインは、ライエルに使った。
つい昨日、魔力増量のコインをシンティに渡したばかりである。
いま余っているのは体力増量のコインのみ。
正司は『保管庫』からそれをジャラジャラと取り出した。
正司としては、まだ一度も使ったことがなかったため、使用感を聞いてみようと思ったのだが。
「それは本物なのか?」
「本物? ええ、そうですけど」
「ならばそれは仕舞いなさい」
「いや、これを使ってもらおうと……」
「俺は痩せ枯れた魔物狩人だ。それは身に余る。もしおまえさんが頭に『超』がいくつもつくほど裕福だったり、協力してくれる仲間が多数いたとしても、俺はそれを受け取ることはできん」
「どうしてですか?」
「魔物狩人は、狩りによって生きる……古い考えだがな。他人が獲ったドロップ品は使うことはできんよ」
正司は「余っているものだから」と何度も言ったが、ルフレットは首を縦に振らなかった。
それはルフレットの信念であるらしい。
「分かりました。そう言うことでしたら」
正司は『保管庫』にコインを戻した。
昔の魔物狩人は、信念を持って狩りをしていたらしい。
「少しくらいいいか」と思うと、いつの間にか堕落してしまい、結局は自分の命で堕落した分を贖うことになると信じている。
ルフレットは数少ない、そういう信念を持った魔物狩人であるらしい。
「その厚意は受け取れんが、俺の頼みを聞いて彼女の無事を確認してくれたことは本当に感謝している。ありがとう」
ルフレットがそう言うと、いつものクエスト完了メッセージが表示された。
(やった、クエスト完了した)
今回はクエストに振り回された感があったが、ルフレットに報告したことで完了したらしい。
(これでまた別の場所に白線が伸びたらどうしようかと思いましたが、それはなかったですね)
「こちらこそ、クエストをいただきまして、ありがとうございます」
手を差し出すルフレットに正司は両手で握手した。