035 正司の思い
ファファニアの治療を終えた後、リーザは正司を連れて部屋に入った。
その部屋は、リーザたちが訪問するときによく使用される客間である。
部屋に入ってすぐ、バイダル公が食事をどうかと話がきた。
お礼を言いたいのだろうと理解したリーザは、ミラベルと向かうと伝えた。
「食事ですか。そういえば、食べてませんでしたな」
「ただ話をするより、食事をしながらの方がこちらとしてもいいわ」
どうせ逃げられないのだ。話に集中しなくて済む。
そうリーザは笑った。
このあとリーザとミラベルは、奥の部屋で着替えをして向かうことになる。
後を任されたアダンは、旅装を解かずにそっとブロレンの方を盗み見る。
風魔法で周辺の探知を終えたブロレンは、大丈夫とばかりに頷く。
「さすがに同じ公家の人間を見張らないわよね」
ただ、屋敷が喧噪に包まれているせいか、いつもよりも人の数が多く感じられる。
「歩いている人が多いですね。騒がしいのはその都度会話がなされているからでしょう」
ブロレンはその中でも、こちらに注目していそうな者の動きを探ったが、とくにそれらしい気配を捉えることはなかった。
「……じゃ、着替えてくるわ。ミラベル」
「はい、お姉ちゃん。タダシお兄ちゃん、またね」
「いってらっしゃいませ」
と言っても、別室で着替えるだけである。
少しして、食事の用意ができたと使用人が呼びにきた。
準備のできていた二人は食事に向かう。
アダンとライラは今回呼ばれていない。
ちなみに二人とも、トエルザード家の直臣である。
二人は直接トエルザード公に仕えているのだ。
他家を訪問したときには、直臣であることが役に立つ場合が多い。
それなりに「偉い」立場だったりする。
そのせいか、アダンとライラ用に、別室で食事が饗されるという。
「いえ、私たちはみなと一緒でお願いします」
複数ある食堂のひとつを使うのだろうが、アダンは断った。
ちなみにブロレンは、魔法使いという才覚を認められて家臣となったが、形式的にはアダンの家に仕えていることになる。
この辺、バイダル家からすれば、トエルザード家の部下の部下と見えるため、やや低く見られがちになる。
そのため、呼ばれなかったのである。
今回は警備の件もあり、みな一緒に食事をしたいとアダンは考えていた。
アダンの希望が聞き入れられて、この部屋で遅い夕食を摂ることになった。
夜食といった時間帯だが、腹は減っている。
使用人なしの気楽な食事会が、ここではじまった。
この食事の間中、アダンはずっと正司を注視していた。
正司の様子がおかしいのである。
とにかく、リーザと一緒に部屋に来てから、ずっと考え込んでいるのだ。
一度だけ普通の表情を浮かべたが、それがミラベルが話しかけたときである。
アダンとしては、何かあったのか気になる。
だが、敢えて聞くことはしなかった。
「タダシどの、ミルドラルの代表的な料理です。素朴な味わいが多いですが、いかがですかな」
代わりに、料理について聞いてみた。
「とてもおいしいですね。よく出汁が出ていますし、煮込む前の下ごしらえも丁寧にやっています。素朴だなんてとんでもない。しっかりと手間をかけた立派な料理ですよ」
「屋敷では使用人も多いですし、いつでも食事ができるよう、様々な仕込みをしているのでしょう。今回は、それを使ったのだと思います」
「なるほど。トエルザード家でも同じなのですか?」
「そうですね。使用人以外にも食客もおりますし、来客も多いです。警備の者もいますから、程度の差こそあれ、食事の準備はほぼ一日中していると思います」
「なるほど。だからこうして深夜にもかかわらず、温かい食事が出るのですね」
「まあ、今回はみな起きていたということが大きいかもしれません」
「ああ……そうですね」
正司の顔がまた曇った。
正司が来なければ、ファファニアの命は明日の朝日が昇る前に潰えてしまったかもしれない。
当主のみならず、使用人一同が、この屋敷に集まっていたのも分かる。
いつ身罷られてもおかしくなかったのだ。
料理について質問したら、正司はちゃんと答えていた。
ただ、どうやら先ほどの治療で何か思うことがあったのだろう。
表情がもとに戻ってしまった。
決して上の空というわけではない。
ならばそっとしておこうと、アダンは考えた。
ではこのとき、正司は何を考えていたのか。
正司は考えていたというよりも、怒っていたのである。
(なぜあのような酷いことができるのでしょうか)
今回、クエストでもないのに、貴重な貢献値を4も使った。
そのことについて、正司はまったく後悔していない。
ファファニアの苦しんでいる様子を見た正司は、自分の使える最大限の力をもって治そうと決めた。
そして、ファファニアをあのような目に遭わせた者たちに憤っていた。
リーザと出会ったときに聞いた話。
今回もエルヴァル王国が、戦争を仕掛けるための策である可能性が高いらしい。
傭兵団と犯罪組織が襲撃に加わっていたが、そのどの集団も王国と深い繋がりがあるという。
間接的証拠であるが、ここにも王国の影が見えてくる。
(王国はそんなに戦争したいのでしょうか)
正司はこの世界の仕組みがまだよく分かっていない。
魔物がいるせいで、かなり生きにくい世の中であるのは理解した。
国は民から税を徴収するかわりに安全を保証する義務を負っているらしい。
その税を払えない者たちは、町を出て自衛するしかない。
だからこそ国は町中を安全に保ち、庇護する義務を負っている。
領土内でも、人々を魔物の脅威から遠ざけることを目標としている。
人々は、国の庇護にある限り安心して生活でき、安定した稼ぎを出せるようになっている。
安全は無料ではない。安くない金が投入されていることを国民は知っている。
夜でも安全な日本とは、死生観がまったく違うのだ。
だからといって、今回のことが許されるのか。
国は人々に安全を提供する存在ではなかったのか。
「アダンさん、なぜエルヴァル王国は戦争をしたがっているのでしょう?」
その質問は、ひとつの変化だった。
今まで自分の生活を確立させることで手一杯だった正司が示した、初めての興味。
自ら外へ目を向けはじめた、萌芽。
これまでの余力はすべて、クエストをこなすことに費やしてきた。
それが今回、自分とはまったく関係ない国の政治について、興味を示したのだ。
「なぜ戦争を……ですか、難しい話ですな。私が理解し、話せることはそう多くありません」
「構いません。王国の動機を私は知りたいと思うのです」
「そうですか。では、かいつまんで話をするとしましょう。ちょうどお茶が来たようですし。こういった話は酒がない方が、しっかりと伝えられます」
そう言ってアダンは笑い、お茶の椀を掲げた。
王国は、八老会と呼ばれる、巨大な商会によって運営されている。
王すらもその八老会の中から選ばれるほどに力を持っている。
「先代の王は多数の公共事業を行い、街道を整備し、公共の建物を建て、治水や開墾にも力を入れました」
先代の王は土木系商人の支持があった。
それゆえ国の方針として、多くの公共事業が行われていた。
公共事業は、投資する金額が多いわりに、回収するお金が遅れてやってくること。
目に見えないことが、欠点としてあげられる。
直近の費用対効果としては、マイナスな側面が出てしまうのである。
それはどういうことか。
国庫が空になりかけたらしいのだ。
「私も聞いた話ですが、傘下の商会を富ませるために、あまり必要でない開発や整備も行ったらしいですな。ですが税収が思った以上に伸びず、年々国庫を圧迫していったようです」
「公共事業は、一度はじめると中々止められないですからね。それこそ工事完了まで十年、二十年かかったりします。回収はもっと先ですか」
「おや、分かりますか」
重機のないこの世界では、大規模工事はすべて人手で行うため、かなりの難事業となるだろう。
そして正司の言ったように、一旦はじめてしまえば、毎年お金が出ていく。
税収が増えなければ、国庫が底をつくのは明らかなことであった。
「まあ簡単な打開策として、富める地から補填しようというのがあるのですよ」
つまり略奪である。
国が行う略奪を戦争という。
先代は、国庫が底をつく前に、ラマ国に狙いを定めて兵を動かした。
「あの国を攻めたのですか……でもボスワンの町は、山の中腹にありますよね」
「ええ、ですから難攻不落。中々思うように行かなかったようです。王国は常備兵の他に傭兵を多数雇うのですが、国庫がお寒くなった頃でしたので、目標の三分の一しか集まらなかったと聞いています」
金があればこれほど頼れるものはないだろうが、そもそも金欠ではじめた戦争だった。
結局手ひどい反撃を受けて、追い返されてしまったのだという。
その戦争で活躍したのが、ライエル将軍であるという。
まさに常勝無敗。
王国はライエル将軍ひとりで蹴散らされたと言っても過言ではないほどだったらしい。
「常勝将軍は健在だったというわけですな。それに遡ること二十年前、ラマ国内でゴタゴタがありまして、ミルドラルもちょっかいをかけたことがあるんですよ。そのときもやはり、ライエル将軍に追い返されたという話です」
「すごい人ですね、ライエル将軍は」
「まったくです……それで王国ですが、ラマ国と屈辱的な条約を結んで停戦しました。簡単にいえば、今後十五年間、王国は攻め込みませんよという、一方的な不可侵条約ですな」
それが有効であるかぎり、王国はラマ国には攻め込めない。
攻め込んでもいいのだが、国家間の約束である。
しかも期限付きの約束すら守れないのでは、国の信用を失ってしまう。
王が替わってもそれは有効。
だからこそ、策を練っているのだろうとアダンは締めくくった。
「なるほど、十五年の不可侵条約は、王国にとって負の遺産というわけですね」
「さようです。先代の王は停戦後も五年は治世が続きましたので、不可侵条約もあと四、五年で切れるはずです」
敗戦後、意外にもすぐに王の責任追及とならなかったようだ。
原因は国庫の回復。
戦後何がおこるか。緊縮財政である。
まず王が私財を投入し、国民にも税を負担させる。
増税である。同時に国の支出を減らす。
ここで国民の不満は王に向く。
この状態である程度立て直してから、王権が交代したらしい。
ちなみに停戦後すぐに交代すると、新王の評判がすぐに悪くなるからである。
即位直後に税を上げて、公共事業を停止させ、もろもろの緊縮財政政策を採れば、それらの憎しみはみな新王へ向かってしまう。
やることをやってから去れというわけで、停戦後も治世が続いたらしい。
ちなみに新王は先代と違って公共事業には一切興味を見せず、陸路と海路の交易重視の政策を採っている。
「……まあ、最近の王国史はこんな感じですな。それでいまの王がなぜ戦争をしたがっているかですが、ほとんどは交易のためでしょう」
大陸には港が少ない。
地面が海面から大きく隆起しているため、港を作れないのだ。
魔物が出ない場所で、海岸がある場所となると限られてしまう。
そして大陸の中央には絶断山脈がそびえ立っている。
つまり、東西の行き来は不可能となっている。
ただ、山脈を越える方法がないわけではない。
ラマ国の首都ボスワンの裏だけは、なんとか通行可能となっている。
ただしラマ国は防衛上の観点からも、通行を認めていない。
高所から首都へ直接至る道など、怖くて開放できないのだ。
東へ続く道は固く閉ざされ、出入りできないようになっている。
王国は、その道を使った交易を狙っている。
山を越えたところにある旧ロイスマリナ国(現在は帝国領の一部)と交易をしたいのである。
ロイスマリナ領は、隣のニルブリア領や、バアヌ湖と接しているメルエット領に近い。
多くの帝国製品が陸路から運び入れることが可能となっている。
「海路だと駄目なんですか?」
「我がトエルザード家もそうですが、港を持っているからといって、海上貿易で利益を出すのは難しいのです」
南回りでも北回りでも、大陸の反対側へいくには数ヶ月かかる。
大型船でなければ、維持費分の利益が確保できないのである。
大型船を所持している商会は少ない。
かといって、何隻も大型船を作るわけにもいかず、帝国との取り引きは細々とやっていくことになる。
他の商会の支持を得るにも、海路ではなく陸路での功績が必要なのだろうとアダンは言った。
「ミルドラルとラマ国が戦争を始めた場合、エルヴァル王国にはいくつかの選択肢があります」
王国が交わした一方的な不可侵条約であるが、それに抵触しない方法がある。
ラマ国側から戦いを仕掛けてきた場合、反撃するのは問題ない。
そこで戦争中に王国商人たちが襲われたり、王国の町へラマ国兵がやってきたりすれば開戦の口実になる。
もしくは、負けそうな国に援助して戦争を長引かせ、両国が疲弊したところでミルドラルに囁くのである。
――傭兵を貸し出しますよ
ミルドラルがラマ国を制した場合、報酬として交易権を貰えばいい。
逆に、ラマ国に囁いてもいい。
――交易権をくれればミルドラルを追い払いますよ
国庫の回復したいまならば、そして戦争で疲弊した後ならば、容易に蹴散らせるだろう。
どのような策を練るか分からないが、王国は一番よい方法で交易権を獲得するだろうとのこと。
「それでは絶対に戦争できないですね」
「はい。ですからリーザお嬢様は、何が何でも戦争回避しようと情報を集め、駆け回ったのです」
ミルドラル三公のうち、バイダル公は戦争反対、フィーネ公は賛成。
そしてトエルザード公は、状況次第で保留。
リーザはミルドラルが戦争に傾かないよう、ラマ国へ向かったのだという。
「それを台無しにしようと画策しているのが王国なわけですね」
「そのようですな。王国のどのあたりが策を練って、実行しているのか分かりませんが、前回の傭兵団を見る限り、かなり上の者たちが動いているのは確実でしょう」
つまり戦争は国策を決定する者たちが動いていることになる。
正司はアダンの言葉を聞いて、また考え込んでしまった。
「ただいま戻ったわ」
そこまで話していたとき、リーザとミラベルが戻ってきた。
「おかえりなさい、リーザさん、ミラベルさん」
正司が出迎える。
「ただいま、タダシ。こっちはどうだったかしら」
「美味しくいただきました」
「そう、よかったわ。アダン、なにか変わったことはあって?」
「いえ、とくにありません。いまタダシ殿に聞かれて、王国の歴史について少し話をしていたところです」
「そう……バイダル公は、領内の一斉捜索をするそうよ」
襲撃事件や誘拐事件が解決したのに捜索を行うという。
「残党の摘発……でしょうか」
「どこかにいると見ているようね」
今回、襲撃者の規模が大きすぎた。
事前に拠点を確保していなければ、成功しえなかっただろう。
ということは、この町に実行犯だけでなく、それを助ける者たちがどこかに存在している。
「襲撃があってすぐに行方をくらませたら、目立ちますからな」
誘拐犯の捜索を行っているときに町から大挙して脱出した者たちがいたとする。
その知らせはすぐに伝わり、追っ手が放たれただろう。
協力者たちが先に捕まれば、誘拐犯の行き先も目的も明らかになってしまう。
彼らは脱出するにできず、今もこの町にいることになる。
事件解決を受けて、人員も割けるようになった。
町の出入りは襲撃かあってから、ずっと厳戒態勢で監視中である。
今度は領内を一斉捜索することによって、協力者のあぶり出しと、まだ見つかっていない拠点を発見するのだという。
「さすがはやり手のバイダル公ですな」
内々に準備は進めていたはずである。
タレース奪還の知らせを受けて、実行を決めたのだろう。
「あとは……いえ、詳しい話は明日しましょう。今日は疲れたわ」
「はっ、では我々も休むことにします」
「……タダシ」
「はい、なんでしょう」
「今日はありがとうね。戦争回避だけでなく、バイダル公に心の傷ができなくてよかったわ」
「いえ、私もファファニアさんの姿を見たら、そうせずにはいられませんでした」
「それでもありがとう。明日の朝、ファファニアが直接タダシにお礼を言いたいそうよ」
こうして長い夜が終わった。
翌日、昨日の言葉通り、ファファニアは正司に最大限の感謝の言葉を述べた。
正司はというと、純粋な好意を向けられることに慣れてなく、しどろもどろで対応し、周囲の笑いを誘った。
リーザたちはこのあと、町にあるトエルザード家の屋敷へ向かう。
トエルザード家の屋敷は、馬車を使えばそれほど離れていない。
すぐに到着した。
「ようこそいらっしゃいました」
出迎えたのは、フォトラインという老紳士。
彼もトエルザード家家臣のひとりであり、長年この屋敷を管理している。
フォトラインは、このウイッシュトンの町で情報収集や、公家との交渉も任されている有能な者である。
「久し振りね、フォトライン。あなたは前に会ったときとまったく変わらないわね」
「歳を取りますと、変化がなくて困ります。リーザ様は変わりましたな。大変美しくなられました」
好々爺といった笑みを浮かべるフォトライン。
だが、すぐに顔を引き締めて、「当主様より文が届いております」と告げた。
リーザはすでに帰還ルートを実家に送ってある。
だがその返事にしては早すぎた。
ボスワンの町から手紙を出したので、その返事だろう。
「父様からね」
フォトラインから手紙を受け取り、その場で封をあける。
中には三つ折りにされた紙が、一枚だけ入っていた。
理と神秘を計る
世界とは何ぞや
書かれていたのは、まるで謎かけのような一文のみ。
リーザはため息を吐いて、手紙を懐にしまう。
(これは会議案件ね)
手紙に書かれていた内容は、リーザも知っていた。
実家の書物で学んだことがあるし、王国に留学中、帝国史の中でも出てきている。
だがなぜそれがここで出てくる。
各自、部屋に入って着替えを済ます。
頃合いを見計らって、ダイニングに全員が集まった。
「これから会議をするわ」
昨日、リーザがバイダル公と話した内容。
バイダル家が掴んだ王国の情報などを共有して、意見を聞かねばならない。
「あの、私は外へ出てもいいでしょうか?」
正司はおずおずとそう言い出した。
「もちろんいいけど、どこか行くのかしら」
「昨日、街道で出会った人のクエストをこなしたいのです」
「ああ、あの……」
馬車で移動中、正司がクエストがあると言って、一時離脱した。
リーザのよく分からない正司なりの基準があって、困っている人を助けて――クエストを受けて回っているらしいと理解している。
「いいわよ。いつ頃戻るのかしら」
「ちょっと分かりませんが、夜には必ず戻ります」
「分かったわ。賊の残党がいるかもしれないから気をつけてね」
「はい。ありがとうございます」
「それじゃ私たちは会議よ。それが終わったらお父様に手紙を書かなくっちゃ」
「では行ってきます」
会議の準備を始める皆をよそに、正司は館を出て行った。
目指すは、白線の先である。
(……さて、これはどこへ通じているのでしょう)
軽く身体強化をかけて、正司は町中を進む。
ゆっくりと歩いている正司だが、速度としてはジョギングよりやや速い。
動きと速度が合っていないので、町民がギョッとして正司を見ることもある。
(マップによると、ここを折れて……まだ続いていますね)
トエルザード家の館は、閑静な場所にあった。
いわゆる高級住宅地である。
いま正司がいるのは、ごみごみとした住宅街。
しかも庶民と呼ぶような人たちが住む一角である。
「ここですか……って『治療院』?」
白線が続いていたのは、とある小さな民家だった。
ただし、看板が出ていた。店……というか、町医者のようだ。
なぜここに白線が繋がっているのか。
正司は首を傾げつつも、扉を開けた。
「……あの、ごめんください。だれかいらっしゃいますか?」
玄関口でそう告げると、中から音がした。
「はい。治療をご希望ですか? 朝から大変ですね」
出てきたのは若い女性。十代後半くらいだろうか。
白いローブを着ている。
昨日ファファニアの治療をしていた二人と同じものだと正司は思った。
「もしかして、ここで治療をしている方ですか?」
「はいそうです。まだ若いもので、勉強中です。あまり高度な治療はできませんけど、どうされました?」
なるほどと正司は思った。
マップを見ると、この女性に白線が繋がっていた。
(この方が事情を知っているか、本人ですよね)
正司はここで、どう切りだそうか悩むことになる。
互いに名乗り合っていないと聞いている。
会ったのも、一度だけの邂逅だとも。
もし本人だとしても覚えているかどうかも分からない。
先を急ぐのは危険だと正司は判断した。段階を踏んで話そうと考えた。
「私はクエストを信奉して旅をしています、タダシと申します。少々私の話を聞いていただけないでしょうか」
「……はい?」
若い女性は小首を傾げた。突然のことに戸惑っているようだ。
「朝の時間帯はいつもお客さんはいませんので、構いませんけど……それでタダシさん。どういったご用でしょうか」
女性はシンティと名乗った。
「シンティさんですが、えっと……朝はお客さんがこないのですか?」
「ええ」
この治療院は、庶民を相手にしているらしい。
怪我した者を治療するのだという。
通常は昼の休み時間にやってきたり、夕方の仕事が終わった時間にやってきたりする。
すぐに治療するほど大怪我ではないものの、治さないでいると翌日の仕事に差し障りが出るような人たちが、夕方から夜にかけて足を運ぶのだという。
そんな雑談ともいえる話のあと、シンティは「それでお話とは?」と切り出してくれた。
「私はとある方からの依頼で、人を探しているのです」
「……はあ」
「その人は、若い魔物狩人の集団に助けられたことがありまして、そのとき傷を治してもらったことがあるそうなのです。その人は大盾を所持した女性だといいます」
「…………」
「その後、同じ場所でその大盾を発見したそうです。何かあったのかと心配して、分かるように盾を木に立てかけたのですが、取りに現れる様子がない。もしかしたら、事情があって来られないかもしれない。いろいろ悩んでいたので、私がその人を探しに来ているのです」
「それ、私だと思います」
やはりそうだったのかと正司は思った。
ルフレットが告げた相手の姿に合致していたので、そうではないかと考えていた。
正司は胸をなで下ろした。
もしかすると、死んでいるのではないかと思っていたのである。
「それは良かったです」
「……よく、ここが分かりましたね」
「私の魔法だと思ってください」
正しくはマップとクエストの白線だが、魔法みたいなものである。
「そうですか。便利な魔法ですね……それで間違いなく、私だと思います。大盾を無くしたのもそうですし、最近まで魔物狩人をやっていました。それと、壮年の魔物狩人の方を治療したこともあります」
壮年と言っても、正司と同じくらいの歳……シンティからしたら壮年かと正司は思い直した。
「やはり間違いないようですね」
「その方は……私を見つけて、どうしたいと言うのでしょうか」
「とくに何も考えていないそうです。無事かどうか分かればそれでいいと……そう仰っています」
「…………」
「あの時助けてくれて、大変感謝していると仰っていました」
「それは嬉しいです」
嬉しいと言ったわりに、シンティの表情は晴れない。
それは女性とあまり接した経験のない正司にも分かる変化であった。
「何か気にかかることでもありますか?」
ぶしつけかと思ったが、正司はそう言わずにはいられなかった。
「気にかかることは何も……いえ、最近自信が揺らいでいたので、嬉しいです……とても」
とても嬉しいとは思えない表情に、正司は困ってしまう。
実はシンティと会ったことで、クエストの白線はすでに別の方角へ伸びている。
マップを拡大してみると、町を抜けて街道を戻っていることから、ルフレットへ報告に向かうルートだろうと思っている。
だが目の前のシンティの表情を見ると、その場を去りがたい。
「私に話して下さいませんか? シンティさんの気持ちがそれで軽くなるかもしれません。解決できる保証はありませんけれども、私にできることでしたらしたいと思いますので」
「そんな大層なことではないのです」
「それでも、もしかすると、何かの切っ掛けになるかもしれません」
昔の正司だったら、このような若い女性と話すのは控えただろう。
最近、リーザやミラベル、ライラなどと旅をして、クエストで他の女性とも話をするうちに、自然とそんな言葉が出るようになった。
「……そうですね。誰かに聞いてもらいたかったのかもしれません」
幾分さっぱりした表情で、シンティは最近、自分の身に起こったことを語りはじめた。