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034 治癒が済んで

 リーザと正司が治療に向かったあと。

 バイダル家当主であるコルドラード・バイダルは、自室内を歩きまわり、靴底で床をすり減らすことに邁進していた。


 コルドラードの頭の中には、希望と絶望がグルグルと渦巻いていたのである。


 そもそもコルドラードは、治癒魔道士のミラールと長い付き合いである。

 ミラールの性格も腕もよく知っている。


 ミラールの治癒魔法は西の諸国で随一と思っているし、彼の知識は豊富。

 どんな治療にも手を抜かない、とても真面目な性格であると理解していた。


 孫娘の治療を任せるにたる人物である。

 そんなミラールから絶望的な言葉が次々と告げられたのだった。


 コルドラードは数日前の出来事を思い出す。


「最善を尽くして治療にあたりましたが、私では完治できません」

「どういうことだ?」


「複数の毒が使われています。しかも互いに補い合う形で身体を蝕んでいました」

「解毒できないということなのか?」


「残念ながら、単独の治癒魔道士では不可能と言わざるを得ません」

 ミラールは首を横に振った。


 治癒魔法の中にある『解毒』は、毒と思われるものならば何でもすぐに治せるものではない。

 毒には種類がある。


 血液を固める毒もあれば、筋肉を溶かす毒もある。

 毒の種類によって使用する『解毒』の種類も違う。


 ミラールは注意深く診療し、毒の種類を特定しようとした。

 だができなかったというのだ。


「ひとつを解毒すると、なぜか別の毒が活性化します。どうやら互いに補完し合っていて、完全な解毒を阻んでいるのです。これでは手が出せません」

 ミラールの言葉にバイダル公は愕然とした。


 複数の毒が使用されているため、一種類を完全に解毒する前に他の毒が活性化し、全身を蝕むというのだ。


 一種類ずつ解毒することはできる。

 治癒魔法は成功しました。ですが患者は死亡しました。

 そういう事態になるらしい。


 では影響がない範囲で治療し、次々と違う解毒魔法をかけていったらどうかとコルドラードは提案した。


「完全に解毒しないと、すぐに活性化して、もとの状態に戻ってしまいます」

 結局、どんなすぐれた治癒魔道士でも打つ手がないことが分かった。


「解毒する方法はないのか?」

「あります……ありますが、条件を揃えるのはかなり難しいでしょう」


 ミラールが語った内容は、コルドラードを絶望させるのに十分なものだった。

 難解な解毒魔法を習得した治癒魔道士を複数用意するか、高度な解毒を可能とするポーションを複数種類用意すること。


 それができれば可能であるという。

 稀少な治癒魔道士か、貴重なポーションが必要。しかも複数。


 バイダル家当主であるコルドラードと言えども、すぐに用意できるものではない。

 そこでコルドラードは、息子のジュラウスを王国へ派遣した。


「治癒魔道士と解毒用の薬剤を調達してくるのだ。金に糸目はつけん」


 複数の治癒魔道士を連れてくるか、高度な解毒ができるポーションを買い求める。

 そんな難しい案件を家臣に任せるわけにはいかない。


 コルドラードは息子にそれを託したのだった。

 ジュラウスはすぐさま王国に向かって出発した。


 ジュラウスとて、娘の安否は気になる。

 だが、ベッドの横で心配そうな顔をしているだけが親心ではない。


 持てる権限すべてを使ってでも、治療できる環境を整える。

 その方が何倍も娘のためになる。

 そう考えて、ジュラウスは一目散に王国を目指した。


 これによってミラールの治療方針も変更することになった。

 完全解毒は諦め、時間稼ぎに徹することにしたのだ。


 まず行ったのは、ファファニアの身体の機能を落とすこと。

 呼吸を少なくさせ、新陳代謝を遅らせた。


 心臓の脈拍にいたるまで、生きていける最低限まで下げたのである。

 これはミラールの賭けであった。


 ミラール自身、ファファニアの身体機能を低下させるために、魔法をかけ続けなければならない。

 ファファニアも死人と区別が付かないほど生きている証しに乏しい状況となる。


 まるで綱渡り。

 いつ、なにかの拍子に心臓が止まってもおかしくない状況に置かれたのである。


 思い出したように脈動する身体に、母親のミアシュは泣き崩れた。

 だが、ミアシュにも成すべき事があった。こんなところで泣いていても、状況は好転しない。


 コルドラードは嫁に、「ファファニアの横で泣いているのが仕事ではない」と伝えた。

 心を鬼にして、それでは駄目だと伝えたのである。


 なぜならば、いままさに息子のタレースが誘拐されているのだ。


 そしてつい先ほど、逃亡先が判明した。

 賊の痕跡から、誘拐犯は国境を越えようとしているらしい。


 行き先はラマ国と思われた。

 集団で移動しているため、痕跡は辿りやすいが、数が多ければ奪還は難しくなる。


 タレースの奪還には兵が必要。しかも賊を大きく上回る規模を派遣しなければならない。


 コルドラードは、どのような事態にも対応できるよう、またバイダル家の政治的判断がすぐに下せるよう、ミアシュを派遣することにした。


 ミアシュも義父に説得され、この場を離れる決意をした。

 場合によっては、軍が国境を越えることもありえる。


 ミアシュはバイダル家の名代として、国境の町へ赴いた。


 コルドラードは目に涙を溜めて、それを見送った。

 バイダル公たる自分は、この場を離れることはできない。


 息子ジュラウスは娘を助けるため王国へ赴いた。

 嫁のミアシュもまたラマ国国境へと旅だっていった。


 ならば自分は、孫娘の治療に最善を尽くそう。そう考えた。


 だが、世界はあまりに非情。

 ミラールから告げられたのは、さらに絶望的なひとことだった。


「このままでは数日と持ちません。四肢を切断し、頭と内臓だけを守ります」


 ミラールの魔力は尽きかけ、毒はいまだ全身を巡っている。

 生命活動に大事な部分のみを解毒することは理に適っている。


 ミラールの言っていることは正しい。

 だがそれで命が助かったとして、四肢のない状態が、果たして生きていると言えるのだろうか?


 コルドラードは自問しつつも、真っ青な顔をしたミラールに詰め寄ることはしなかった。


 ミラールが言うのだから、おそらくそうなのだろう。

「……頼む。孫娘の命を……永らえさせてくれ」


 コルドラードは、血を吐く思いで四肢切断の許可を与えた。

 こうしてファファニアの四肢は、取り除かれた。




 ファファニアが受けた毒は、最低でも四つ。

 呼吸がうまくできなくなるもの、血がなかなか固まらなくなるもの、血管を溶かすもの。

 そして、とくにやっかいなのが、傷口を腐らせるものだった。

 傷口から腐敗が広がる速度は、ミラールの予想を超えるものだった。


 腕と足を切断するも、その切り口からも腐敗が広がった。

 今回、ミラールの提案で四肢が取り除かれるも、その傷口もまた、腐りはじめてきた。


 腐った傷口は、さらに斬り落とされた。


 回復魔法使いのクレイムが必死に患部を治療しているが、あまりやり過ぎると、毒の成分も活性化させてしまう。


 自然治癒が見込めないいま、クレイムの綱渡りのような治療だけが頼りだった。

 そのため、ミラールもクレイムも日を追うごとに精神が疲弊し、魔力が底を突き、限界が訪れようとしていた。


 このままでは王国に向かったジュラウスが間に合わない。

 そう思われたとき、手紙が届いたのである。


 手紙はトエルザード家の紋章が入ったものだった。

 差出人は、リーザ・トエルザード。


 王国へ留学していたが、このたび、ラマ国経由で自領へ戻る予定であると書かれていた。


 実は、この手紙が届くよりも前に、コルドラードのもとへ万人長フルムから手紙が届いていた。


 誘拐されたタレースが救出されたというのである。

 とても喜ばしいニュースだったものの、内容はまるでおとぎ話。


 上げてから落とす敵の策略ではないかと思うほど荒唐無稽なものだった。


 フルムからの手紙には、リーザが連れていた魔道士が活躍した話が書かれていた。

 だが、とうてい信じられるものではない。


「そのようなことをなし得る魔道士など存在するものか!」


 最後まで手紙を読んだコルドラードはそう言い放ったが、手紙をもたらしたのが正式な部下であり、本人も実際に見たという。


 信じられないけど、信じるしかない。


 周囲が自分の心情を慮って、そんな嘘を吐いているのではと疑う気持ちもあった。

 だが、救出されたというニュースは嬉しいものである。


 コルドラードはそれを純粋に喜ぶことにした。


 その後も二度、フルムから時間をずらして手紙が届いた。

 最後の手紙には、国境の町へ送り出したミアシュからのものも含まれていた。


 たしかにタレースは無事救出されたという。

 ただし、よほど怖い目にあったのか、心身ともにかなり疲弊しているため、いまは心を癒やすべく、町に留まっている状態であるという。


 誘拐されたのだ。さもありなん。

 そう思ってコルドラードは、十分回復してからで構わないと返事を書いた。


「しかし……」

 とコルドラードは考える。


 国境の町より届いた三通の手紙にはどれも、トエルザード家所有の魔道士について書かれていた。


 コルドラードの長い人生においても、瞬時に長大な壁を構築する魔道士の噂など、聞いたことがない。


「幻か何かであろうが……それでも優秀なことには変わりない」


 そう納得させていた。

 そこへ飛び込んだのが、リーザからの手紙である。


 ――解毒と傷を治せる魔道士を連れているので、必要あらば向かわせたい。


 手紙にはそう書いてあった。

 まさに藁にもすがる気持ちだった。


 国境から届いた魔道士の活躍が話半分だとしても、他に類を見ないほど優秀である。

 そのような者たちを連れて旅をしているのだ。


 もしかしたらという気持ちが沸き上がったとして、だれがコルドラードを責められようか。


「だれかあるか!」

「はいっ!!」


 突然の叫びに、家臣たちが集まった。


「まもなくトエルザード家より馬車がこの町に到着する。すぐさま屋敷に招待するのだ。すべての門、すべての衛兵たちにも告げよ。そのまま最優先で我が屋敷に招待するよう、厳命せよ!」


「「分かりました!」」

 コルドラードの命令はすぐさま受諾された。


 文字通り、すべての衛兵に告げられた。


 そしてじりじりと待っているコルドラードのもとへ、待望の知らせが届いた。


 それは治療を施していたミラールとクレイムが、限界を迎える少し前の出来事だった。


          ○


 正司がファファニアの治療をした日の夜半。

 通常ならば、人々は夢の国へ旅立っている時間である。


 この日のコルドラード家だけは違った。

 70歳という高齢にもかかわらず、当主のコルドラード・バイダルをはじめ、家人のことごとくが起きていた。


 トエルザード家より客人が到着し、当主の孫娘であるファファニアの治療が終わった。

 そう、終わったのである。


 使用人がその事実を告げた途端、コルドラードは「なんだと!?」と大声で叫び、家臣一同が飛び上がったほどだった。


「ぜ、全快……いま、全快と言ったか?」

「はい。お嬢様の毒はすべて消え、失われた手足すらも元通りになりました」


「…………なんと……なんと」

 それ以上、声が出なかった。


 何が起こった? 普段、冷静沈着であるコルドラードが、家臣の前で茫然自失してしまった。

 稀有なことである。


 コルドラードは、これまでの報告をすべて覚えている。

 治癒魔道士ミラールはすでに限界だった。

 気力で治療にあたっているのがありありと分かった。


 ミラールが治癒魔術使いや、治癒魔法使いでは効果がないと言っていたので、領内の治癒魔道士を探させた。

 だが希望に耐えうる者は、ただのひとりもいなかった。


 治癒魔法を使える魔道士など、ほんとうに数えるほどしかいない。

 だがミラールひとりでは、治療は不可能。


 どうすればいいのだと、コルドラードは絶望していたのだ。


「何度も聞くが、本当なのか? 本当に全快したと?」


「はい。まったく問題なく、毒など受けていなかったかのように……それどころか傷痕ひとつ残さず、快癒しております」


 同じ報告だ。だがコルドラードは、いまだに信じられない。

 そうだ、様子を見に行かねばと、コルドラードが立ち上がったとき、扉が開いてファファニアが現れた。


 ガウンに身を包んだファファニアの顔は、ロウソクの灯りの下でも血色よくみえた。


「お祖父様」

「おお……ファファニア……ほんとうに……ほんとうに治ったのだな」


「はい、お祖父様。先ほどまでの痛みも苦しみも……いまは嘘のように消え去りました」


「そうか……そうか……そうか!」


 コルドラードは大粒の涙を流し、ファファニアを抱きしめた。

 それは温かな、確かな体温が感じられた。


「当主様」

 遅れてやってきたのは、ミラールとクレイムである。


「おお、ふたりとも、よくファファニアを持たせてくれた。礼を言う」

「いえ……私どもがやったことなど、あれに比べたら何ほどもありません」


 頭を垂れるミラールに、コルドラードはそういえばと思い出した。

「トエルザード家もミラールに勝るとも劣らない治癒魔道士を抱えているようだな。両人とも協力して、よくぞここまで治してくれた」


「いえ、違うのです。私はただ見ているだけ。魔力も尽きておりましたので、何の手助けもしていないのです」

「……?」


 コルドラードは言われている意味が分からなかった。

 ミラールと協力して治したのではないのだろうか。


「魔道士殿……タダシ殿と言うらしいですが、もはや神の業としか思えませんでした。ファファニア様にかけよると、突如治療をはじめ……強烈な光が室内を満たしたと思ったら、もう解毒が終わっていたのです」


「ミラールよ、こんなときに儂をたかばるではない。ファファニアが複数の毒に冒されて、治癒魔道士ひとりでは手に負えないと言ったではないか……おお、そうだ。ジュラウスを呼び戻さねばならんな。もはや必要なくなった。だれかっ」


 コルドラードは使用人を呼びつけ、王国に向かったジュラウスに帰還命令を出すよう指示を出す。


「いえ、違うのです。嘘や冗談ではなく、本当にタダシ殿がたったひとりで、しかも一瞬でファファニア様の毒を治したのです」

「またまた……儂を担ごうと……本当なのか?」


 コルドラードの問いかけに、ミラールは真剣な顔で頷く。

 すると今まで黙っていたクレイムが一歩進み出て、口を開いた。


「その後、続けざまに今度は回復魔法を発動させ、失われた四肢すらも復活せしめたのでございます」


「そういえば……ファファニアが立って歩いている」

 健康そのものとしか思えないファファニアを見て、コルドラードはようやく事態を悟った。


 領内で一番の治癒魔道士と回復魔法使いをもってしても、現状維持が精一杯。

 そんな状態をたったひとりの魔道士が瞬く間に治療してしまったらしい。


「まるでどこぞの夢物語に出てくる賢者のような方であります。私ども魔法使いの頂点に立つかのような。あまりに凄すぎて、何が起こったのかすら、説明できないほどでございます」


 クレイムの報告を一笑に付すことも出来るし、話半分に聞くこともできる。

 だがコルドラードは、何度もファファニアを見舞っていた。


 日に日に悪くなる孫娘の姿を、涙を流しながら見続けてきた。

 リーザが連れてきた魔道士が治療に入り、それほど時間が経過していないのも分かっている。


 とすれば、二人が話していることは事実。

 ありえないことが起こったのである。


 そういえば、これと同じ報告が先日届いたなとコルドラードは思い出した。

 誘拐されたタレースを救出したという土魔道士。


 あれもリーザが連れていたとフルムからの手紙にはあった。


(トエルザード公はどれだけ優秀な魔道士を抱えていたのやら)

 それを惜しげもなく娘の護衛に当てるとは、なんとも豪気であろうかと。


 ここでコルドラードは決定的な勘違いをしている。

 フルムが手紙に書いた土魔道士と、ファファニアを治療した正司は同一人物であるとは考えなかった。


 フルムの手紙には、必要なことが事細かく書かれていたが、それはタレースのことであり、ラマ国との関係であり、賊の正体であった。


 土魔道士の件はもちろん重要だが、背格好や外見、名前といった情報は一切載せていない。

 あとで説明すればいいことである。


 ゆえにコルドラードは複数の魔道士をリーザが連れて旅をしていると思っていた。


「タダシ殿と仰るのですね」

 そんなとき、ファファニアが「ほう」っとした表情で呟いた。


「はい。リーザ様がそう呼んでおられました。魔力を大量に使ったことで休まれると話しておりました」


「たしかにこのような治療を施したのだ。疲れもするし、魔力も枯渇するだろう。おお、そういえば町から直接屋敷に呼んでしまったな。食事はまだであろう。こんな時間だが、用意しよう。だれかっ」


 夜も更けていたとはいえ、バイダル家はいまだ眠りにつく様子はなかった。


          ○


 ろうそくの灯りがゆらめく室内で、匂い立つ美味しそうな料理が並んでいる。

 すべてコルドラードが用意させたものだ。


 リーザたちを招待しての遅い夕食会が、これから開かれる。

 もちろんこれは、ファファニアの快気祝いを兼ねている。


 当初思ったよりも準備に時間がかかってしまったのは、屋敷内の喧噪がすごかったからである。


 周囲の喜びようから、ファファニアがとても慕われていたことがわかる。同時に……。


(生存は絶望視されていたわけね……)

 リーザは向かいに座るファファニアをそっと眺め、だれにも気付かれないよう、ため息を飲み込んだ。


 正司がファファニアを治療したあと、強引に正司を連れて部屋を出た。

 先に侍女が報告に向かっていたらしく、室内の喧噪が屋敷中に広がっていた。


 アダンたちがいる部屋まで向かう途中、リーザが見たものは、阿鼻叫喚で嘆き悲しむ使用人たちの姿だった。


 どうやら侍女が泣きながら当主のもとまで走っていったために、みなが誤解したらしい。

 それが次々と伝播し、屋敷が揺れ動くかと思われたほどの慟哭があちこちから聞こえた。


(迂闊だったわ。ファファニアの治癒を祈願して、みな集まっていたわけね)

 通いの者もいれば、離れに住んでいる者もいる。

 警備の者などは交代制である。


 だが、およそ屋敷に関わる者はみな、あの場に集まっており、当主のコルドラードもそれを許容していた。

 みな、ファファニアの容態だけが気がかりなのだ。ほぼ正確な情報も伝わっていたことだろう。


 そんな中、侍女が部屋から泣きながら飛び出していったのである。

 当主の部屋に向かって走って行く様は、さぞかし目立ったことだろう。


 結果、使用人たちが何もかも放り出して泣き崩れていたのである。


 あの時の喧噪を再び思い出し、リーザは軽い眩暈を覚えた。

 すぐに使用人たちの勘違いが正されると今度は一転、歓喜の雄叫びが屋敷内に渦巻いた。


 帝国の少数民族が使う固有の魔法に『戦咆せんほう』というのがあるが、まさにそれ。

 一瞬で身体が竦み、身体の中から芯が取り除かれたような感覚を覚えた。


 リーザは部屋に入ったので分からないが、どうやらファファニアが使用人たちの間を回ったらしく、夜空に轟く獣のような雄叫びはしばらく続いたのである。




 夜半ということもあって、ささやかな食事会を開くことになった。

 招待されたのはリーザとミラベル、そして正司である。


 三公は互いに遠い親戚のようなもの。つまりは家族同然。たまには家族で語り合おう。

 そんな話をするバイダル公主催の食事会に、正司の名もあった。


 純粋にお礼を言いたいのは分かるが、他の意図も少なからず含まれているだろう。

 そう判断して、リーザは「魔力が……」と正司の出席は辞退させている。


 正司はアダンたちと、部屋で一緒に食事を摂っている。


 つまり、食堂にいるのは給仕する使用人を除けば、四人のみ。

 バイダル家当主にして、食事会を主催したコルドラード。


 先ほどまで半死半生だったファファニア。

 トエルザード家からは、リーザとミラベルである。


「ではささやかながら、両公家の友好とファファニアの快気を祝って」

 先ほどまでの喧噪はなりを潜め、食事会は静かなスタートを切った。


 ニコニコと器用にナイフとフォークを使って前菜を切り分けているファファニア。

 つい先ほどまで手足を失っていた人物とは、到底思えない。


 食事会が始まる前、ファファニアはコルドラードに「なぜでしょう。以前より身体が自由に動く気がしますの」と言っていた。


 コルドラードも「気のせいではないのか」と流せばいいものを「どこがどのように違うのだ?」と聞いてくる始末。


「たとえば、身体が軽くなり、力が強くなった気がします。ベッドから起き上がるときにすぐ感じたので、少し重いものを持ってみたのです。そうしたら軽々と持ち上がって……」


「ふむ、それは奇妙な……明日にでももう少し詳しく調べてみなさい」

「はい、お祖父様」


 そんな会話がリーザの近くで交わされている。

 わざとか? わざとなのか? そうリーザは叫びだしたい衝動をかろうじて抑えていた。


 正司と旅をするようになって、ものすごく忍耐強くなったと思うリーザであった。


 ちなみに正司の欠席は、当然のこととして受け入れられた。


 バイダル家が抱える治癒魔道士と回復魔法使いもそろってダウンしているらしい。

 しばらくは目を覚まさないだろうと。


 さもありなんとリーザは思う。

 一縷の望みをつなぐため、あの二人は精神を削って魔法をかけ続けていたのだから。


 手持ちだけでは足らず、町中の秘薬を買い集め、魔力も底をついていたと聞いている。

 ただ死なせないよう、ギリギリの綱渡りをしながら魔法をかけ続けていたことも分かった。


 ミラールとクレイムは無事を確認したあと、倒れるように眠ったという。


 そういえばと、リーザはあの二人の姿を思い出す。

 あとで正司に治癒魔法でもかけさせた方がいいかもと思うほど、やつれていた。


「聞けば、こちらの都合ばかりを押しつけてしまった。食事は同じものを部屋にも届けさせたので、存分に食べて欲しい」


 ニコニコ笑顔で食事を勧めてくるバイダル公の姿に、「昔の公と同一人物かしら?」とリーザは首を傾げる。

 幼少時、何度か会ったことはあるが、もっと厳格な人という印象があった。


「いただいております」

 リーザがナイフとフォークを動かす。


 バイダル公だけはすでに夕食を済ませてあるので、軽いものが並べられているが、メニューは同じものだ。

 これはリーザたちに合わせたのだろう。


 室内にカチャカチャと小気味良い音が続く。

 この静かな食事中に、リーザはあらためて先ほどの出来事を振り返った。


(タダシを部屋に戻してよかったわ)


 まずホッとしたのは、そこである。

 治癒魔法と回復魔法を立て続けにかけてもケロッとしていた。


 バイダル公から食事の招待が来たとき、正司が萎縮していたので聞いたら、偉い人との食事は肩が凝るという答えが返ってきた。


 以前一緒に食事をしたときには、自然な感じでテーブルマナーができていた。

 人前に出しても恥ずかしくないレベルであるとリーザは感じたが、今後のこともあり、欠席させた方がいいと判断した。


「タダシは魔力が尽きたから……アダン、お願いね」

「……あっ、はい。そういうことですね。了解しました」


 以心伝心で伝わった。

 海千山千のバイダル公とリーザでは役者が違う。


 バイダル公は自然な会話をしながら、確実に知りたいことを聞き出してくる。

 そんな場に正司を連れて行くのは危険だった。


(……と、思ったのだけど、杞憂だったのかしら)


 今回、正司がファファニアの四肢を治した部分をどう説明するか、リーザはいまだ決めかねていた。


 回復魔法で欠損した部位は再生しないらしい。

 たとえばえぐれた肉が盛り上がるのはあり得る。


 その状態を魔法で一気にやってしまうのが、回復魔法である。

 そう、人が持つ「回復」させる力を魔法で行うのが回復魔法なのである。


 たとえば腕を一本失ったとき、どんなに時間が経っても腕は生えてこない。

 だから腕を「くっつける」ことで治療するのが普通だという。


 正司は、失った四肢がその場にないにもかかわらず、再生させてしまった。

 これは言い逃れができない。


 あのとき他の者を部屋から追い出し、「トエルザード家の家宝」を使ったと説明すればよかったのだ。


 貴重な魔道具であり、使ったら壊れたと言えば、バイダル公も不審に思っても追及してこなかっただろう。


 それらしいものの残骸でも見せて、「やはり四肢を同時に再生するのは負荷が大きかったようです」と言えば事足りたはずだ。


 今回の件は、屋敷に直接呼び出されたことが大きい。

 そのため、トエルザード家の屋敷に入って情報収集する暇がなかったのだ。


 状況が分からない状態で、正司に何をどこまで言い含めればいいか判断つかなかった。

 これはリーザのミスである。


 凶獣の森から出てきた正司を、政治的思惑の渦中へ投げ入れることはさせたくない。

(そうも言っていられなくなるかしら……でも、老公の反応はちょっと意外だったわよね)


 完全回復したファファニアがバイダル公の目の前に現れると、老公は男泣きに泣いたらしい。

 使用人のいる前で、滂沱ぼうだの涙を流した。


 そこからは使用人を含めて、屋敷をひっくり返したかのようなてんやわんやの騒ぎが巻き起こったわけだが。


「そうそう、ジュラウスは王国に行ってもらっておる」

「王国……治療のためでしょうか」


「うむ。魔法では治せんし、現状維持も難しい。……ゆえに毒消しかポーションで対応できんかと、商会を巡ってもらうつもりであった」


 ミラールは、大陸中に名の知れた治癒魔道士である。


 そのミラールの見立ては、複数の毒が使われ、そのどれもが猛毒であり、また、互いに補完しあって身体を蝕んでいるというものだった。


 複数の毒を一度に治癒しない限り、完治は難しい。

 だがそれをなすには、膨大な魔力と、高い技量を持った魔道士が複数必要。


 ミラール単独では、どうやっても完治させられないということだった。

 大陸に名を知られるほどの魔道士が匙を投げるような容態。


 これはもう他国――おそらく一番人材と物資が豊富な王国に頼らざるを得ない。

 自分がもっとも信頼する息子――ジュラウスを行かせたのだという。


「賢明な判断だと思います」

 その話を聞いて、リーザは冷や汗を流すことになった。


 なるほどと、話を聞いていればもっとなことである。

 毒は作るよりも、体内に入ったものを無くす方がよっぽど難しい。


 犯罪組織が猛威を振るったのはかなり前。

 そのとき総力をあげて開発した毒がいまだ現役で使われているとしたら、有効な解毒魔法が存在していないことを意味する。


「あれはおそらく、商会の争いで猛威を振るったときのものであろうな」

 コルドラードもリーザと同じ考えに至っているらしい。


 毒を濃縮させて猛毒とするだけで飽き足らず、複数の毒を混ぜ合わせ、より凶悪な毒を作り出した。


 今回捕まえたのは実行犯のみ。戦闘に適さない者たち、たとえば毒の研究者などは、別の場所にいるだろう。


 誰も知らないところに研究施設があるかもしれない。

 多数の実行犯を捕まえても、五年、十年すれば新しい首領のもとで再生する可能性もある。


「徹底的に叩く必要がありそうですね」

「うむ。我が復讐の刃は、そのために振るわれるであろう」


 コルドラードの決意に満ちた瞳に、リーザは「危なかった」と改めて、戦争回避できたことを安堵した。


「そういえば奥様は……?」

 ここにいるのはコルドラードとファファニアのみ。


 ジュラウスは解毒できる者を探しに王国へ出立したと聞いた。

 では、ファファニアの母親はどこへ行ったのか。


「ミアシュは国境の町へ向かわせたのだ。タレースが心配でな」

「……!? なるほど」


「…………」

「…………」


 非情に気まずい時間が流れる。

 何しろリーザは、コルドラードの考えを理解してしまったのだから。


(国境の町にバイダル家の者が行くって……ただの迎えじゃないわよね)


 いくら大事な跡取りとはいえ、孫娘がこんな状態だったときに、母親が離れる事態が考えられない。


 それが起こりえたならば、高度に政治的な問題が発生したときだけだ。

 逐一、この町に使いをやって確認できないほど緊急事態。それは……。


(戦争よね)


 開戦の承認のために派遣されたのだとリーザは理解した。

 同時にコルドラードも、リーザがそこに考え至ったことを悟った。


 ゆえに両者とも、かなり気まずい思いをしている。


 そんな雰囲気はどこ吹く風で食事をもりもりと食べているのは、ファファニアである。

 何しろつい先ほど、長い闘病生活から解放されたばかりなのだ。


 ファファニアのはっきりとした記憶は、あの襲撃の夜までしか残っていない。


 そこからは身体が毒との戦いで疲弊しきってしまい、苦しみと痛みと疲れで、ロクに物事を考えられる状態ではなくなっていた。

 また、意識の混濁もたびたび起こっていた。


 いま国内や国外がどうなっているのか、一切知らされていない。

 コルドラードとリーザの会話から少しずつ事情が分かってきた程度である。


 だがそれよりもお腹が空いた。

 健康体になったことで、身体がエネルギーを欲して悲鳴をあげていたのだ。


 とにかく食い気。

 ファファニアの思考の半分以上は、食事に占められていた。


「そういえば、わたしを治してくれたのは……タダシ様と仰ったかしら。お顔もよく拝見できなかったのですけど、どちらにおられるのでしょうか?」


「……!?」

 リーザが身を固くした。


 内心では、「キター!」と叫んでいる。

 かなり触れられたくない話題だったりする。


「魔力が枯渇して、部屋で休んでおるそうだ」

「まあそれは……わたしを治すために」


 ぜひお礼を言わねばなりませんわと、ファファニアは上目遣いでリーザを見る。

「そ、そうですわね。あとで部屋に戻ったら聞いてきます」


「ありがとうございます。ぜひわたしからも、直接お礼を言わせてくださいませ」

「伝えます」


 苦笑いするリーザにコルドラードは、思い出したかのように、フッと呟いた。

「トエルザード公とは、長年の付き合いがあったが、あれほどの魔道士の話はとんとでたことがなかったのう」


 リーザは内心、「きゃぁ~~」と悲鳴をあげた。


 食事会は続く。



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