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033 ウイッシュトンの町

 ルフレットと別れたあと、正司は馬車を追いかけて進んだ。

(話していた時間は、30分ほどでしょうか)


 今日の夜に目的の町に着くとリーザは話していた。それまでは一本道だ。

 身体強化して進むと、町が見えてきた。


(途中の町には寄らずに通過するのでしたね)


 町は魔物の侵入を防ぐように壁ができている。

 迂回するのは大変なので、正司は町へ入るつもりだ。


(この町の出入りは自由のようですね)

 門は開け放たれ、人々が自由に出入りしている。

 門番は魔物に目を光らせているだけらしい。


「お勤め、ご苦労様です」

 門番に挨拶をしてから中に入る。


「お、おい。いま、もの凄い……」

 門番の声を後ろに聞きながら、正司は町の中へ入った。


 もちろん身体強化した状態でだ。

 大体急行電車なみの速度が出ている。


 町中を歩く人たちが、何事かと目を剥いている。

 まさに風のようである。


(……っと、人とぶつかっては大変ですね)

 人通りが増えたので、正司は歩を緩めた。


 万一人や物にぶつかった場合、正司は平気でも相手が困ってしまう。

 正司は、ゆっくりと――一般の人が早歩きするくらいまで速度を落として、目抜き通りを進んだ。


(ルフレットさんとお話していた間に、どのくらい先に行ってしまったのでしょう)


 この町は比較的小さい。すぐに町の反対側に出た。

 城門が低いのは、周辺にあまり強力な魔物が出没しないからであろう。


 正司は町を出ると、再び全力疾走を開始した。

 ほどなくして、正司は無事リーザの乗る馬車を発見した。


(あれはリーザさんたちの馬車。無事、合流できましたね)

 二つの道がひとつになっている場所で、休憩中のようだった。


「おお、タダシどの。追いつきましたか。さすがに身体強化すると早いですな」

 アダンが出迎えてくれた。リーザたちは馬車の中で休憩しているのだろう。


「アダンさん、お待たせしました。いまは休憩中ですよね」

「はい。馬を休ませております……そうそう、もうひと組、休憩中の人たちがおります。ちとワケありのようですな」


「ワケあり……ですか?」

 アダンが目をやった方に、商人風の男女が五人、所在なさげに佇んでいる。

 休憩というより、呆然としている感じだ。


 何があったのかと、正司が目で訴えると、アダンは「どうにも奇妙な話なのですが」と前置きして、語り始めた。


「彼らは、ウイッシュトンの町へ定期的に荷を運ぶ商人たちのようですな。馬車二台に馬が六頭おったようです」


 二頭立ての馬車が二台放置されている。馬はいない。

「馬の姿が見えないようですが」


「ここで休憩中に強奪されたようです」

「強奪とは穏やかではないですね。盗賊が出没するのですか?」


「馬は首を切られて、草むらに放置されております」

「へっ?」


「と言っても、彼らの馬ではなくその盗賊たちが乗ってきた馬らしいですが」

「……どういうことなのでしょう」


 商人が言うには、ここで休憩していると、息も絶え絶えの馬に乗った者たちがやってきたという。

 そんなに急いで何があったのかと声を掛けたら、いきなり刃物を抜いてきたと。


 魔物対策に護衛が二人いたが、まったく適う腕ではなかったらしく、すぐに無力化されたらしい。

 商人たちを一カ所に集めると、盗賊は護衛の馬と馬車に繋いだ馬を引いてきてそれに乗り換えたらしい。


 盗賊たちが去る前に、自分たちの乗ってきた馬は斬り殺していく念の入れようらしく、商人たちはここから動くことができなくなったというのだ。


「自分たちの馬を殺して、商人たちの馬に乗り換えた……ですか。どうしてそんなことをしたのでしょう」


「おそらくですが、馬を乗りつぶす勢いでここまで進んできたのでしょう。そのため、生きのいい馬が必要だった。犯罪が発覚しないように、商人たちの足を奪った……そんな感じでしょうか」


「なるほど。それで盗賊たちはどこへ行ったのでしょう」

「ウイッシュトンの町らしいですな。私どもが馬車で進んだ道は通っていないので、国境の町からやってきたのでしょう」


 サクスの町からウイッシュトンの町へいくには、二通りの行き方がある。

 ひとつはリーザたちが辿った道で、少し大回りになる。


 リーザがこの道を選んだ理由は、フルム万人長たちが軍を戻したため、町中で合わないようにしたためであった。


 そしてもうひとつの道。

 こちらはもっと直線的な道で、いま馬車が休憩している場所で二つの道が合流する。


 ここからウイッシュトンの町までは一本である。

 つまり、正司やリーザたちが盗賊と出会っていないことから、別のルートを辿ってきたことが考えられる。


「どういう人たちなのでしょうね」

「さて、私にもさっぱり……ただ、人の馬を奪うなど、ロクな者ではないでしょうな」


 商人たちは、足の速い者がひとり、馬を調達しに戻ったのだという。

 馬車を置いてはいけないため、残りの者はここで荷物番をしつつ、待っているらしい。


「荷物でしたら、私が運べますけど」


「いえ、それには及ばないでしょう。商人たちも普段使っているルートでの出来事です。対応できておりますし、一人は出発した後です。タダシ殿が出ることもないと思います」


「……そうですか。そうですね」

 善意の押し売りは相手のことを考えていないのと同義だ。


 緊急時や、依頼されれば別だが、そうそう首を突っ込むべきではない。

 正司も納得した。


「もうすぐ出発しますので、タダシ殿も馬車へ」

「そうですね。分かりました」


 馬車に乗り込むとき、ふと正司はマップを見た。


(ルフレットさんのクエスト……白線がこの先に続いていますね。これはどういうことでしょうか)


 ルフレットの話では、もっと手前の森が狩り場だった。

 だがいまは町をひとつ抜けて、その先にまで続いている。


 ルフレットの話が間違っているのか、それとも別の事情があるのか。

 これだけでは正司には判断がつかなかった。


「ただいま戻りました」

 正司が馬車に乗り込む。中にはリーザとミラベルの二人がいた。


「おかえりなさい、タダシ」

「おかえり、タダシおにいちゃん」


「ただいまです、リーザさん、ミラベルさん」


 最近、「おにいちゃん」と言ってもらえて正司はご機嫌である。

 一方、リーザは難しい顔をしたままだった。


 もしかして馬車を離れたことを怒っているのだろうか。いや、先に許可は取ったしと正司が首を捻っていると、ライラが戻ってきた。


「タダシ様、おかえりなさいませ」

「私に様は不要です、ライラさん。様なんてつけられても困ってしまいますので」


「そうですか、タダシさん……でよろしいのですね」

「はい、それでお願いします」


「リーザお嬢様、つい今し方ブロレンが戻ってまいりました。この先は問題ないそうです」


「そう。ありがとう。そろそろ出発するとアダンに伝えてちょうだい」

「かしこまりました」


 休憩中にブロレンを先行させて、先の安全を確認していたらしい。

 正司がクエストを受ける前はしていなかった。


 先ほどの商人の件で、急遽周囲の安全を確認したのだろう。

(リーザさんが難しい顔をしているのは、そういう理由でしょうか)


 商人たちに人死には出ていないが、それは相手に殺す意志がなかったからである。

 一歩間違えれば、リーザたちがその標的となったかもしれないのだ。


「馬を奪われたのはどのくらい前なのですか?」

「お昼前らしいわ」


 商人たちは昼食と休憩を兼ねて、ここにいたらしい。

 そこを襲われたようだ。


「死人がでなくてよかったですね」

「そうね。大事にしたくなかったのでしょうね」


 街道で商人が殺されれば、厳しい捜査がはじまる。

 町の門で、怪しい者は軒並み詮議されるだろう。


 相手はそれを避けたかったのだとリーザは言った。

「後ろ暗いことがもとからある人たちなのかもしれませんね」


「そうね。ウイッシュトンの町に向かったというのが気になるわね」

 バイダル公の住む町としか、正司は聞いていない。


 そしてこれから向かう町である。

 ウイッシュトンの町に何があるのか。


 正司もリーザと同じく、難しい顔をしはじめたところ、ミラベルが正司の脇を肘でつついた。


「何でしょうか、ミラベルさん」

「タダシおにいちゃん。このクッションって、どうやって作ったの?」


 それは純粋な質問だった。

 これまでの旅がなんだったのかと思うほど、道中が快適になったのは、このクッションのおかげである。


 ミラベルはこれだけで、正司のことを尊敬していたりする。


「クッションですか? これは材料と魔石を集めて念じればできるんですよ」

「ええ……帝国ではそのように作るのでしょうか」


 それに食いついたのはライラだった。


 ライラが帝国の話をしたのは、正司もしくは、正司の祖先が帝国出身かもしれないと分かったからである。


 もちろんこれはライラたちの勘違いである。

 大陸の西側で正司のような存在は一切確認できず、妙に証拠ばかり揃いすぎていたので、もはやその仮説を疑う気持ちが薄れていた。


「たしかに私の魔道具の作り方は少し特殊かもしれません。でも帝国式かどうかは……もしかしてそうなのかもしれませんが、私には分かりません」


「そうですか」

 ライラはそこで引き下がった。

 護衛であるため、出過ぎたことはあまり言えない。


 それにここで正司を追求したいわけではなく、ミラベル同様、魔道具に興味がわいたからである。


 というのも、以前ブロレンが魔道具についてこんな説明をしていた。


「通常の魔道具は、効果を発揮したい内容の魔法陣を道具に書き込む作業が必要になります」


 それはリーザやライラたち一般人が持つ魔道具の知識と同じものだった。


 魔道具には魔道具職人が丁寧に書き込んだ魔法陣が記されている。

 魔石はその魔法陣に魔力を流すためのもの。


 リーザの確認に、ブロレンは「私は魔道具職人からそう聞きました」と答えた。


 だが今回聞いてみて、正司の作り方は違っていた。

 道具と魔石を持って念じると魔道具ができてしまうと話したのだ。


 魔法陣は描いていない。

 あらかじめ描いていたのかも知れないが、それでも作り方は大陸の西とは違う。


 そしてブロレンは「魔法」の使い方について、こんなことを言っていた。

「未確認ですが」と前置きした上での話である。


「帝国の魔法使いの中には、私たちと少し違うやり方で魔法を使う者がいるようです。魔力が多い者はとくにそうなのですが、秘薬を用いず、また呪文の詠唱も行わないようです」


「えっ? それってタダシと同じよね」


「帝国の魔法使いが魔法を使う姿を見ていないので判断付きかねますが、帝国にはそのように魔法を使う者がいるようです」


「それは貴重な情報だわ」

 というようなことがあった。


 ブロレンも話に聞いているだけで詳しいことは分からない。


 それをなしえるのはおそらく魔道士級の存在だろう。

 そんな者がわざわざ「やり方」を説明するとは思えないし、軽々しく人に見せるとも思えない。


 あくまで帝国ではそういうことができる者がいる程度の話だ。

 だが、リーザにとっては違う。「タダシの魔法は帝国式なのかしら」と思うに十分な内容であった。


 そしてこの中でリーザだけは政治的にものを考える。

 正司の素性について思いを巡らし、魔法や言語を基準にして、帝国との繋がりがあるのかどうなのかを考えていた。


 正司の魔道具作成が大陸の西側と違っている。

 この事実を心に留めたリーザ。


 そして馬車は、ゆっくりと進みはじめた。


          ○


(クエストの白線は、まだまだ続いていますね)


 マップで確認した白線は、馬車が進む方向へ続いている。


 これはウイッシュトンの町に続いているのではと、正司は思うようになった。

(とすると町に回復魔法を使う女性がいるのか、彼女の行方を知っている人が町にいるのかですよね)


 ルフレットの依頼は、女性がどうなったのか知りたいというもの。

 目の前に連れてきてくれとは言っていない。また、自分の思いを伝えてくれでもなかった。


 分かっているのは、森の中に盾が放置されていたことだけ。

 白線の先の人物はいったい誰なのか。


(本人だといいですね……)


 正司がそんなことを考えている間に、馬車はようやくウイッシュトンの町へ到着した。


 馬車は速度を落とした。

 その間に、護衛のアダンが門番の所へ向かう。


 アダンが話している間、馬車はゆるゆると進み、門の手前で止まった。


 正司は小窓から外を確認した。

 門を通して町中を覗くと、これまでと違って、立派な町並みが見えた。


 そして町を囲むように高い壁がそびえ立っている。

 まさに難攻不落。絶対防御の擁壁である。


「ねえ、タダシ。この壁を消すことはできる?」

 不意にリーザがそんなことを尋ねた。


「ええ。できますけど」

「そうよね」

「はい」


 予想通りの返答だったため、リーザは頭を抱えることはしなかった。

 多少こめかみに血管が浮いたとしても、許容範囲だろう。


 正司の前には、物理防御などないも同然。

 それが確認できただけでもいい。


 リーザはそう思うことにして、それ以上余計なことは言わなかった。

 門番と話していたアダンがやってきた。思ったより時間がかかっていた。


「……お嬢様」

「どうしたの? 先触れは出したはずだけど、揉めたのかしら」


「いえ、通達は来ていたようです……が、このままバイダル公の屋敷に向かって欲しいと言われまして。すでに門番の一人が中へ走っていきました」


「公の屋敷に直接? 何かの間違いではなくて? ちょっと礼儀に反しているわね」

「私も確認しましたが、そういう指示が出ているようです」


 突然の話に、アダンも困っているようだ。

 先触れの手紙を出したとはいえ、たったいま町に着いたばかりである。


 訪問の準備はまだ何も整えていないし、バイダル公だって迎え入れる準備ができていないだろう。


 何にしてももうすぐ夜なのだ。これから町は眠りにつく時間帯。

 訪問にふさわしいとはとてもいえない。


「ここで考えてもしょうがないわね。いいわ、公の屋敷に行きましょう」

「よろしいのですか? 旅装を解く暇もありませんが」


「向こうが望んでいるわけだし、文句は言わないでしょう。それより気になることがあるから、急ぎましょう」

「はっ、分かりました」


 馬車は門を抜けて、まっすぐバイダル公の屋敷を目指す。


 これまでの会話に正司は加わっていない。

 貴族間の礼儀に疎いし、直接訪問するしないの是非もよく分かっていない。


 馬車が出発して町中に入ってからは、外の景色を見るのに忙しかった。

(あれはロウソクの灯りでしょうか。風で消えないように囲いがしてあるようですね)


 電気やガス灯はないようだ。

 店の軒先に灯りがともっている場合、ほとんどがロウソクであった。たまに魔道具による灯りが見える。


 薄明かりの中にぼんやりと浮かび上がる町並みは、一種幻想的でもあった。

 ラマ国の首都ボスワンの町とは違って、店の意匠も凝っている。


 さすがバイダル公が住む町だけのことはある。

 正司はそう思わずにはいられない。


 正司が物珍しく馬車の中から外を見ている間。

 同じく馬車の中でリーザはずっと考えていた。


(門番には私たちが来ることは伝わっていた。これで老公が手紙を読んだのは分かった。しきたりに煩い老公が私たちを屋敷に呼ぶということは、切迫した状況なのかしら。一刻もはやく手助けが必要ならば、この性急さも頷けるのだけど……)


 ポイニーの町でリーザは、実家とバイダル公の双方に手紙を出している。


 バイダル公には、治癒魔法を使える者を同行させているので、必要があれば力になると書いておいた。


 この手紙については無駄になってもいい。

 手を差し伸べたことが重要であり、万一向こうの手に負えない事態になっても、正司なら何とかなるのではないかと考えたからだ。


(……国境でのことも伝わったのかも)


 誘拐されたタレースを無事確保できたことは、万人長フルムによって、まっさきに伝わっているはずである。


 その際、リーザが魔道士を連れていることも報告に上がっているはず。

 それらを加味すれば、リーザが町を訪問してすぐ屋敷に呼んだ理由がわかる。


 優秀な魔道士を多数連れて漫遊する公家の人間……そう思われているのだろう。


「間違いだらけだけど……」

「えっ、リーザさん。何か言いましたか?」


「何でもないわ……公に面会するときはタダシも来なさい」

「はい?」


「でも、公の前で失礼があってはいけないから、余計なことは話さないほうがいいわね」

「余計なこと……というより、私も同行することは決定なのでしょうか」


「直接屋敷に呼ばれたということは、ファファニアの容態が思わしくないってことだと思うの」

「ああ、私が治療すればいいのですね」


「そういう流れになるかもしれないわ。二度手間になっても面倒でしょ? だから一緒に来てくれるかしら」

「分かりました。そういうことでしたら、問題ありません」


「そう、良かったわ」

 正司が一緒に来る。これで何がおきても大丈夫だろう。


 正司と出会ってまだ日が浅いものの、すでにリーザは正司の能力に、全幅の信頼を寄せている。

 少なくとも正司にできなければ、他の魔道士でも無理だろうと思う程には信頼している。


 ほっとした表情を浮かべるリーザとは対照的に、正司は「おやっ?」という顔を浮かべた。

 リーザとミラベルは気付かなかった。


 ライラだけは一度だけ不審そうな顔を正司に向けたが、別段口に出すこともしなかった。


 このとき正司が何を考えていたのかというと……。


(クエストの白線が曲がりましたね。ということは、この町のどこかに目的地があるのでしょうか)


 これまで道のりにそって白線が伸びていた。

 正司は時々マップで確認していたので、確かである。


 だがここへきて、白線が道から逸れた。

 馬車は町の中心部に向かって進んでいる。


 もし町を抜けた先が目的地ならば、白線は大通りに沿って伸びるはずである。

 脇に折れたということは、この町のどこかが目的地となっていることを意味する。


(明日にでも時間をもらって、クエストを追ってみましょうか)


 マップから消えていく白線を目で追いながら、正司はそんなことを考えていた。


 そして馬車は、ノンストップのまま、バイダル公の屋敷へ入っていった。




「あれよあれよ」という言葉がある。

 自分の意志とは関係なく、周囲に流されるままという意味だ。


 リーザと正司は屋敷に入った直後から、「あれよあれよ」という間に、バイダル公の前に連れて行かれた。

 ほぼ直通である。


(どういうこと? 先触れは? というか、到着の挨拶は? 「控えの間」にも行かなかったわ。何もかもすっ飛ばすって、どういうことなの?)


 予想外過ぎて、リーザは半ばパニックを起こしている。

 なにしろ、リーザの知っているバイダル公は、厳格で決まりをよく守る人だからだ。


 バイダル公は、だれにでも地位や身分に応じた礼節を求める人だと思っていた。

 自身も厳しく律しており、決して横紙破りをする人ではないと。


 だからリーザは、自分の父親とウマがあうのだろうと考えていた。


 だが今回はどうだろうか。

 急な訪問は心証を悪くすると思い、バイダル公に手紙を認めた。


 治癒魔法が使える人物を同行させていることは、その手紙で知らせてある。

 その方が礼節に適っているからである。


 必要ならば、会ったときに話を振ってくるだろう。

 そうリーザは考えていた。


 馬車が屋敷に入ると、使用人たちが駆けよってきて、まるで囲まれるようにして連れ出された。

 ありえないことである。


 リーザが覚えているのは、治癒魔法の使い手がいるのか聞かれたことくらいだ。

 気がついたら、正司と一緒にバイダル公の前にいた。そんな感じだ。


「国境付近の一件は耳にしている。それについての礼は後ほど……単刀直入に言わせてほしい。孫娘の容態が一刻を争うのだ。もし、可能であれば治癒をお願いしたい」


 苦しそうにその言葉を吐き出すバイダル公の顔は、もはや生気が感じられないほどであった。


 高名な治癒魔道士を抱えている老公の態度とも思えなかったが、状況はリーザの想像の上を行っていたようだ。それもかなり。


「タダシ、できるわね」

「はい。問題ありません」


「バイダル公、ファファニア様のもとへ」

「すぐに案内させよう」


 椅子を蹴倒さんばかりに立ち上がったバイダル公の姿を見て、リーザは最悪を予想した。

 そしてその予想は間違っていなかった。


「……ひどい」

 寝台に横たわったファファニアの姿を見て、リーザは顔をしかめることになる。


 治療のためにと、かけられていた布団が退けられる。

 その下から露わになったファファニアの姿に、リーザは正視できなかった。


 まず四肢がない。

 毒を受けて斬り落としたと話を聞いたが、そんなものではなかった。

 四肢の傷口が腐り、黒い汁がシーツに染みを作っていた。


 顔や身体が紫色に変色している。

 強力な毒が身体を蝕んでいる証拠だ。


「容態は?」

「治癒魔法で内臓を守るのが精一杯でした」


 リーザの問いかけに、治癒魔道士のミラールが申し訳なさそうな声を出す。


 ミラールの治癒魔法では完全に解毒できず、進行を遅らせるのがせいぜいらしかった。

 魔力の問題もあり、無理はできない。


 四肢はあきらめて、胴体、とくに内臓だけを死守する治療に切り替えたらしい。


 同席しているクレイムは、怪我などを治療する回復魔法使いである。

 クレイムは、壊疽えそした部分を斬り落としては、傷口を治療している。


 この二人をもってしても、ここまで持たせたのが奇跡。もはや限界だった。

 毒が内臓に回れば、腹が腐る。脳にまわれば、二度と回復は望めない。


 いまかろうじて生きている。

 そんな状態で、正司が治療しなければならないのだ。


「……タダシ」


 できるの? そう言いかけて、リーザは息を飲み込んだ。

 この場で発していい言葉ではない。


 一方正司は憤っていた。

(なぜこんな酷いことをするのでしょう)


 患者はうら若い女性らしい。だが、そんな様子はまったく見られない。

 顔は紫色に変色している。人間の持つ色ではない。


 部屋に充満している腐汁の臭いは、毒で組織が腐ったものだ。


 本人の苦痛はいかばかりか。

 正司は憤りつつも、冷静にメニューをひらいた。


(治癒魔法は第三段階までしか上げていませんでしたが、いまちょうど貢献値が4あります)


 ここで貢献値を使わず、いつ使うのか。すべてつぎ込んでも惜しくない。

 正司は迷わず、治癒魔法を4段階まであげた。


(これで治ってください……)


 治癒魔法は、魔力を媒介として発動する。

 ならば、大量の魔力を注ぎ込めばいい。


 そう考えて正司は、ファファニアの毒が消滅するよう、可能な限りの魔力を注ぎ込んだ。

 そして解毒するよう、必死に念じた。


 ――パァアアアアアア


 ろうそくに照らされた薄暗い部屋がまばゆく光る。

 だれもがまぶしさに目を瞑った。


 真昼の数倍におよぶ光が室内を満たし、だれもが目を眩ませる。

 そして唐突に光が収まった。


 みなが恐る恐る目を開くと、そこには……健康な色の肌を取り戻したファファニアの姿があった。


「タダシ……?」


 まさかあれほどの毒を……劇症を一瞬で完治させたのか?

 驚きにリーザが口を開けていると……。


「次は回復ですね」

「あっ!」


 ちょっと待って! リーザはそう言いたかった。

 正司は以前、失った腕を簡単に治療している。


 斬り落とした腕をくっつけるのではなくて、新しい腕を生えさせる方向で治した。

 ボスワンの町に着いてからリーザが調べたところ、欠損した腕を生えさせられる魔道士は存在しない(・・・・・)ことが分かった。


 実はこれ、第四段階以上から可能となる正司のオリジナル魔法である。


 リーザは正司の異常性を認識していたが、それを正司に告げることはしていなかった。

 失った腕を生やす機会など、そうそうないだろうと考えたからだ。


 ――待って!


 その一言は間に合わなかった。


 室内がもう一度光り輝いたあと、失ったはずの四肢が復活していたのである。


「えっ!?」

「えっ!?」

「えええっ!!」


 治癒魔道士ミラールや回復魔法使いクレイムは、その技量がどれだけすごいものかすぐに理解し、周囲にいた使用人たちもあまりに高度な魔法に驚愕の声をあげた。


 そして治療された本人――ファファニアが目を覚まし、呆然とした声で言った。


「どうして……わたし……生きているの?」


 再生した両腕を見つつ、ファファニアは喜びよりも、驚きの方が勝っていた。

「どうして生きているの?」


 死にかけた本人が発言したのである。

 その言葉には、真実みがあった。


 ファファニアの顔色はすこぶるよい。健康そのものといっていいほどに。

 死にかけていたのは、なんだったのか。


 ファファニア付きの侍女が、感涙にむせぶあまり膝から崩れ落ちて大泣きをはじめた。


 それを契機に場が動き出す。

 女官はワタワタと「ほほほ報告に行かなきゃ、報告に……」となぜか飛び跳ねながら部屋を出て行った。


 護衛の女性は固まったまま後ろに倒れた。

 後頭部が床にぶつかり、派手な音が室内に響く。


 ミラールとクレイムは「今のは一体……」と自分の世界に入ってしまっている。


 リーザはハッとして、正司の腕を掴んだ。


「タダシ、疲れたわね」

「はい? えっと……疲れてま」


「疲れたわよね」

「いえ別に……ぃい!?」


 リーザの顔が般若になった。


「疲れたわよね」

「はい……つ、疲れました」


「にょほほほ……ウチの魔道士が疲れたようですので、この場を失礼させていただきます」


「あ、あの……リーザ……さん?」

 ファファニアがリーザに気付いた。


「ファファニア様、快癒おめでとうございます。またのちほど」

「え……ええ」


 リーザは優雅に礼をすると、正司を連れて部屋を出て行った。

 すたこらさっさと。



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― 新着の感想 ―
ほんとに面白くて何度も読み返してるけどウイッシュトンの町、治癒が済んでの話好きだなあ。
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