031 王国の誤算
エルヴァル王国は、商業国家である。
そもそも国王自身が大店の商会長である。
商業優先の国家となるのは致し方ない。
そして現国王のファーラン・デュ・ルブランであるが。
彼は45歳の若さにして、ルブラン商会のトップだけでなく、国のトップにまで上り詰めたやり手の商人である。
「ち……っくしょー!」
そんなやり手の商人が、豪華な室内の豪奢なソファに座り、頭を掻きむしっている。
向かいに座っているのは、王妃ミネア・デルキス。
これまた国内有数の商家、デルキス商会の直系女性であったりする。
「もうすぐ宰相が来るというのに、そんな形では、鼎の軽重を問われますよ」
ミネアの言葉に、ファーランは「だってよぉ~」と言い訳をする。
ファーランの手に握られているのは、小さな紙片。
つい先ほど届いた報告書である。
「何が書かれているのか、私にも内緒みたいですので、詳しくは聞きませんが……」
紙片が届いてから、ファーランの機嫌がみるみる悪くなった。
また何か悪巧みをして失敗したのだろうとミネアは考えている。
ミネアの夫であるファーランは、軽い気持ちでちょっかいをかけることがよくある。
大抵の場合、国をバックにつけたファーランの押し勝ちになるし、そうでなくても商会の影響力を使えば、大抵のことは何とかなる。
だからこそ調子に乗っていろいろやらかしている。
たまに相手が窮鼠と化して噛みついてくるため、痛い目を見たりする。
ファーランにとって、それがまた楽しいらしい。
自分の夫ながら、どうしてこう、残念なのだろうとミネアは思う。
「見せてもいいんだけどよ、何つうか、信じられない話なんだよ、これが」
「信じるか信じないかは、私が判断しますよ」
「それもそうか……んじゃ、読んでみ」
紙片を受け取ったミネアは、サッと目を通す。
「……これは? 何ですか、これは!?」
「なっ? 信じられないだろ?」
「あ、あたりまえですよ。巨大な火の玉が飛んできて……ジーリーナ号の二本のマストが消失したなんて……どこのおとぎ話ですか」
紙片を突っ返したミネアだったが、ファーランの顔が真剣だったので、つい眉根を寄せてしまった。
「来ねえんだよ。予定日を大幅に過ぎても、港に入ってこねえ。……つぅことは、いまだ修理中か、航海中ってことだ」
紙片は、ルブラン商会が所有している大型船ジーリーナ号の船長が出したものだった。
ジーリーナ号は、帝国から商品を仕入れ、南回りで王国にむけて航海中であった。
予定ではもう何日も前に港に到着することになっていた。
風向きの関係で到着が数日ずれることはよくあるし、航海中にトラブルに見舞われることだってある。
そんなときのために、船には何羽もの伝書鳥が飼われている。
いまファーランが持っているのが、その伝書鳥が運んできた紙片である。
紙片の内容はこうだ。
『凶獣の森』沖合を航行中、陸の方より巨大な火の玉が飛来し、二本のマストを掠めるようにして飛び去っていった。
そのとき、炎の力でマストが二本とも焼け落ちてしまった。
消火活動をしようにも、水面に着弾した火の玉のせいで、海は大荒れ。
船はかろうじて転覆を免れたが、その被害はあまりに大きく、甲板にあった積み荷が海に投げ出され、船倉にも大量の海水が入ってしまった。
マストがないため、自力航行は不可能と判断し、現在修理中である。
積み荷の被害は以下のようになっている。
ここから下は、海に流された荷物、海水に浸して駄目になった荷物、壊れて使えなくなった荷物のリストが並んでいる。
また最後に、食糧が心許ないので、商品の一部を船員の食糧に充てると締めくくられていた。
「火の玉なんて、飛んでくるものなのでしょうか」
「ありえねえな。凶獣の森付近は、かなり遠浅で、陸が見える場所に近寄ることもできねえ。水面下に岩礁がかなりあるんで、相当離れて航行していたはずだ。陸から火の玉が飛んでくる可能性はゼロだ」
「とすると海の魔物……はいませんしね」
この世界、水辺の魔物はいるものの、水中に棲息する魔物は存在しない。
魔素が凝り固まって魔物が生まれることを考えると、水中で魔素が凝り固まることがないのではないかと言われている。
もし水中に魔物が生まれるならば、海は危険な場所に早変わりし、池や湖もまた同様となる。
帝国が栄えたのも、バアヌ湖を中心とした三国貿易が古くから行われていたからである。
もしバアヌ湖に魔物が棲んでいたら、帝国の統一はなし得なかったであろう。
つまり過去から今に至るまで、水中に魔物はいないと結論づけられる。
「では船員の狂言に、船長が乗ったということでしょうか」
「そんなはずねえんだよなぁ。リスクが高すぎる。尤もらしい嘘なんかいくらでも吐けるわけだし」
「だったら、実際に起こったことでは?」
「陸すら見えない場所を航行中だぞ? そんな遠くから火の玉を飛ばすのか? 火魔道士を十人集めても無理だろ。それに擦っただけでマストを燃やすってどんな火の玉だよ。伝説の大魔道士でもできやしないぞ」
「だったら、何だと考えているのですか?」
「分からねえ。集団幻覚ってセンが一番高いが、だったらどうしてマストが失われるのか。船倉に大量の海水が被る事態になるのかが、説明つかない。……嵐に遭遇した。マストが折れた、海水が入ってきたってなら分かるんだよ。だけど火の玉って……」
ファーランは頭を掻きむしった。
原因は特定できない。船長は火の玉と言っているが、常識的に考えてそれは考えられない。
空から魔物が現れて、全部持っていってしまったと言う方がまだ信憑性がある。
そしてファーランが困っている問題は、火の玉のことではない。
それはただ原因に過ぎないのだ。
問題は、寄港が遅れること、予定していた積み荷に被害が出てしまっていることである。
間の悪いことに、この知らせがくる前にデルキス商会――王妃の実家が持つ船が出航してしまったことであった。
実は破損した商品のほとんどは、帝国でしか手に入らないものであり、すでに買い手がついていた。
国内で手に入れることは不可能な品ばかりである。
これで期日まで商品を渡すのは不可能となった。
デルキス商会のアデリーナ号に買い付けてもらえばいい。
再び買い付ける代金は必要だが、ほかに幾ばくかの遅延金のみで済む。
だがその手が使えなくなってしまった。
「レンドルト商会のナーディア号はどうなのです?」
「あれは北回りだからなあ。行きと帰りでミルドラルのバイダル港にも寄るし、なにより帝国のルード港を使う。そこからカリュガ港まで行ってくれといやぁ、どんだけ吹っかけられるか分かったもんじゃない」
ロスフィール帝国には港が二つある。
ひとつは旧バッタリア国にあったルード港で、もうひとつがもっと南の旧ティオーヌ国にあったカリュガ港である。
王国はもっぱら、このカリュガ港を使用している。
北回りだと日数が余計にかかるうえ、ルード港はトラウス、メルエット、グノージュのバアヌ湖商業組合の力が弱いのだ。
「それは参りましたね。大人しく違約金を支払った方がいいでしょうね」
ルブラン商会の船がどれだけ損傷しているか分からないが、寄港してから修理が必要であろう。
いま海上で応急処置をしているだけであろうし、本格的な修理をするならば、かなりの日数がかかる。
修理が完了してからもう一度商品を買いに行ったとして、片道数ヶ月もかかるのだ。
どのような約束をしたか分からないが、期日は大幅にオーバーするに決まっている。
ガタガタ言い訳をするよりも、黙って違約金を払った方が、後々のためにいい。
「けどな、壊れたのがそれなりの貴重品で、海水に浸ったのが古書なんだよ。同じものが見つかるのかどうなのか……はあ、頭が痛いぜ」
帝国との取り引きに陸路が使えないいま、どうしても大型商船による海上貿易に頼るしかない。
そして本来ならば、もっと多くの船を造って運用していきたいのだが、小型船や中型船では、長い航海をすると儲けが出なくなってしまう。
船の大きさが多少変わろうとも、動かす人数がそれほど大幅に変化することはない。
だが、船の大きさによって、積み込める荷物の量は明らかに変わる。
飲料水だけは水魔法使いを乗せておけば何とかなるが、食糧は乗せていくしかない。
日数に余裕を持たせると、かなりの分量を積み込むことになる。
そうすると中型船でも帝国まで行くと、赤字になってしまうのだ。
他の商会もそれが分かっているから、帝国との交易はしていない。
いまだ海上貿易は、リスクが高いのだ。
「しかし、巨大な火の玉ねえ……」
ファーランは、算出された被害金額に眩暈がした。
紙片は四通目と書かれている。
船に乗せている伝書鳥をこれまで四回出したことになっている。
届いたのは今回が初めてだ。
距離が離れていると、手紙を届ける率が極端に下がる。
通常、国内だと七割以上の確率で届くとしても、海上だと六割程度。
距離が離れれば、それだけ五割、四割と成功率が下がっていく。
船長は気を利かせて、日を置いて四回の伝書鳥を飛ばしている。
その都度、進捗があれば書き足しているほどだ。
もし最初の伝書鳥が届いていれば、アデリーナ号の出港に間に合ったはずである。
なんとも運が悪いとファーランは嘆かずにはいられない。
ちなみにジーリーナ号が火の玉に被弾した日であるが、ちょうど正司が凶獣の森を抜けて、海に出た日でもある。
「ちくしょー!」と正司が海に向かって特大のファイアーボールを撃ったような気もするが、それはそれ、これはこれである。
因果関係は分からない。
豪華な扉が開かれ、宰相ウルダールが登場した。
老齢ながらも、足腰はしっかりしている。
ウルダールはファーランの前までいくと、机を力一杯叩いた。
「陛下っ! 傭兵団が失敗したとはどういうことですかっ!!」
「うるさいな。そんなに怒鳴らなくても聞こえているよ。つか、声を抑えろ、外に漏れるから」
「陛下、どういうことです?」
ウルダールは、上気した顔で詰め寄った。
「そのまんまの意味だよ。襲撃させたんだけど、失敗した。傭兵団は雲隠れ。馬車は無事町に入ったらしい」
具体的な名前を出さないが、ファーランはリーザたちのことを言っている。
『幸運の道標』という傭兵団をけしかけて殺害しようとした。
だが、リーザたちと思しき馬車が無事、ラマ国首都に入っていったのが確認されている。
報告を受けたファーランがすぐに人をやったところ、『幸運の道標』の面々は非戦闘員を含めて、全員が行方不明となっていた。
一応、街道を北に向かった集団が確認されているが、まだ確証を得るに至っていない。
襲撃したのか、していないのか。襲撃した上で失敗したのかも分かっていない。
まさか『幸運の道標』が一度引き受けた依頼を投げ出すとは思わなかったのだ。
「居場所を見つけたら、追っ手を差し向けてもいいんだが、それはそれで面倒だよなあ」
「だから陛下は、戦争をするつもりですか!」
『幸運の道標』は百人規模の傭兵団である。
武力で制裁を課すとしたら、それなりの準備が必要になってくる。
そして王国が本気で潰しにかかるならば、『幸運の道標』もまた、牙を剥いてくるだろう。
エルヴァル王国には、一風変わった裁判制度がある。
当事者だけでなく、だれでも視聴できる公開裁判があるのだ。
『幸運の道標』が不当契約を盾に、公開裁判を挑んできた場合、王国をあげての醜聞に発展する可能性がある。
裁判官はいくらでも抱き込める。それは過去の裁判結果からも明らかである。
もし『幸運の道標』が負けても、王国の正当性が完全に通ったと見なされない可能性が高い。
『幸運の道標』がミルドラルと何らかの取り引きをした場合、話がもっと政治的になる。
公開裁判で痛くもない腹……この場合は、痛い腹とも言うが、それをかき回されることになりかねない。
もちろん裁判で負ければ『幸運の道標』も大きなダメージを負うし、膨大な費用を支払うことにもなる。
だがたとえばミルドラルがバックにつけば、それも可能だろう。
あまり追い詰めないのが得策だ。
すべてを捨てて挑んできた場合、こちらの被害の方が大きくなる。
(少なくとも、俺は国王の座から転げ落ちるな)
醜聞まみれの王など、害悪でしかない。八老会が黙っていない。
表向きは激務による体調不良かなにかで、引退を強要されるだろう。
「……まあ、放っておけばいいんじゃない?」
あれだけの規模の傭兵団だ。
喰わせていくのにも難儀するはず。
早晩どこかで雇われる必要があるが、余力のある国など、エルヴァル王国以外にない。
どうせ頭をさげにくるか、犯罪に手を染めるかしか道は残されていない。
次に表に出てきたときに対処すればいい。
ファーランはそう考えた。
もちろんそれで収まらないのがウルダールである。
宰相という職業柄、自分の知らないところで悪巧みをされて、それが失敗したとなると、もうどうフォローしてよいのか分からない。
挙げ句の果てに「放っておけばいい」と発言されては、怒髪天を衝く勢いである。
「へ・い・か! ただちに雲隠れした傭兵団を捜索し、もとの職に就かせてください」
「えー? なんで?」
心底分からないという顔をするファーラン。
「敵に回さないためです。もとの条件で雇うと言えば、不満を持っていようとも、戻ってくるはずです。金銭で繋がりをつくり、国内で飼うべきです」
他国の重要人物を襲撃させて失敗。
それが明るみにでる前にもみ消したい。
一番の懸念はその傭兵団である。
百人規模ということなら、討伐するのはほぼ不可能。
だまし討ちをしたとして、もし討ち漏らしがあれば大変なことになる。
ただでさえ、全員の顔と名前を知っているわけではないのだ。
すでに離れた者もいるかもしれない。
いまここで傭兵団を壊滅させても、得るものは少ないどころか害悪になりかねない。
ここは多少の出費を覚悟して、飼い続けるしか道はないのだ。
「やだ。めんどい」
だが、宰相の思いを踏みにじるかのように、ファーランは反対した。
「理由をお聞かせ願えるでしょうか、陛下」
「警戒して戻ってこないよ。そういう勘が働かなきゃ、百人もの規模を喰わせていけないだろ。金でいうこと聞かせるのは一度だけで、もう二度と首を縦に振ることはないと思うぜ。だから無駄なことはしたくない」
「へ・い・か! だったらどうするんです?」
「証拠がないから突っぱねろ。それでいい。どうにもならなくなったら、俺が責任を取るから大丈夫だ」
王に強く言われてしまえば、宰相と言えども引き下がらざるを得ない。
王と宰相の意見が対立するのはいい。だが最終的には、どちらかの意見にどちらかが妥協しなければならないのだ。
両者の意見が食い違ったまま決裂したら、国が割れる。
ウルダールもこんなことで、決裂したくない。
仕方なく、意見を飲み込むのであった。
ファーランとしては、一日でも早くラマ国が握っている帝国への道を確保したい。
今回、船の遭難という事態に遭遇して、その思いが強まった。
やはり陸路での交易は欠かせないのだと。
「そんでさ、いま動いてもらっていることがあるんだわ」
「へ・い・か? また悪巧みですか?」
宰相の顔が厳しくなる。
とにかくファーランは、悪いことを考えて、「勝手に」行動をおこすのだ。
反対されるからか、作戦が動き出して、もう手を離れた頃になって、ようやくウルダールを巻き込む。
ウルダールに睨まれたファーランは、口笛を吹きながらそっぽを向く。
その「悪巧み」をいま話すべきでないと、商人の勘が告げているのだ。
だが宰相はそれを許さない。
「王妃様は何か知っておられるのですか?」
「あっ、おい、汚えぞ。ミネアを巻き込むなよ」
「私も詳しいことはとんと……でも、『十字蛇』に依頼を出したのは確認したかしら」
「陛下ぁああ!」
ウルダールの大声が響く。
「だから騒ぐなって、外に聞こえる」
「陛下……あなたは、何てことをしたんですか! 犯罪結社『十字蛇』を動かすなどと……さっさと言いなさい。どこに向かわせたのですか! 犠牲者はだれですか?」
ウルダールが激昂するのも無理はない。
犯罪結社『十字蛇』は王国が秘かに飼っている非合法の団体組織なのである。
かつて商人たちの勢力争いで、多数の死人が出た。
暗殺者を送り、送られ……商人たちは、商売とは関係ないところで金と頭を使うことを余儀なくされた。
王国はもちろん疲弊し、商人たちは互いに疑心暗鬼に陥った。
何しろ、これまで一緒にやってきた同胞だからといって、邪魔になれば暗殺者を仕向ける世の中になったのだ。
派閥を鞍替えする手土産に、内部へ暗殺者を送り込む。
そんなことが日常茶飯事になったのだ。
それを憂えた国王が用いた手が、「闇からの粛清」であった。
簡単に言えば、暗殺を引き受けた組織や、依頼した商人たちをことごとく葬り去ったのである。
粛清の嵐は、王都に二年間も吹き荒れた。
その間、血が流されない日はないとまで言われた。
その時、国王が用いたのが『十字蛇』である。
あまりに苛烈で、あまりに凶悪なその集団は、地下に潜った組織であるにもかかわらず、表にまで名前が知れ渡ってしまった。
現在では、犯罪結社『十字蛇』といえば、王国が所有する非合法を行う集団。
身内の商人すら恐れる究極の犯罪組織となったのである。
ファーランはそれを使ったというのだ。
暗殺に特化した彼らを使えば、必ず血の雨が降る。
ウルダールが、「犠牲者はだれだ」と叫んだのも分からない話ではない。
「バイダルだ。バイダルへ派遣した」
その言葉に、ウルダールの眉根が寄る。予想外の名前が出たからだ。
「バイダルへですか? 一体何のために」
「ええ~? それ、言うの~?」
「陛下……」
ウルダールが息を吸い込み、大声を出そうとしたところで、ミネアが横から説明した。
「バイダル老公の孫たちを使って、ラマ国と戦争をおこさせるつもりなんじゃないかしら」
「…………」
ファーランは、あちゃーという顔をしている。
王妃のミネアに悪巧みが読まれていたようだ。
「な・ん・で・す・と?」
ウルダールの頬が痙攣しはじめた。
「『十字蛇』だけでなく、傭兵団『鎖の紋章』も動かしたのではなくって?」
ミネアは「ほほほほ……」としてやったりの顔をする。
どうやら、『十字蛇』ではなく、傭兵団『鎖の紋章』から内部情報を受けていたようだ。
「それだけじゃねえぞ。傭兵団『流星狼』にも声を掛けたからな……って、やべっ!」
慌てて口を押さえるが、もう遅い。
一瞬で事態を理解したウルダールは、ファーランの肩を強く握って揺すりだした。
「なんてことをしたんです? 『十字蛇』が動けば、死体が山と積み上がりますぞ! もしこれが露見したらもう王国は終わりではないですか」
「終わりゃしねえよ。だってあの『十字蛇』だぜ。集団でかかれば、全盛期のライエル将軍すら下せるだろうよ」
『十字蛇』は戦争では使えないが、隠密、暗殺でその価値を遺憾なく発揮する。
気付かれずに近寄り、得意の暗殺術で仕留める。
「反対してもどうせ手遅れなのでしょう。詳細を教えてくださいませ、陛下」
諦めた声を出すウルダールに、「すまんな」と全然申し訳なさそうでもない口調で語った。
バイダル老公の後継者であるジュラウス・バイダルには息子と娘がいる。
娘を殺し、息子を誘拐すれば、ジュラウスは必死で追いかけてくる。
ただの誘拐犯と侮れば、返り討ちに遭うのは向こう。
こちらは存在をチラつかせつつ、ラマ国まで追っ手を連れてくればいい。
そしてラマ国の村までおびき寄せれば完了である。
事前に商人をそこに滞在させており、ミルドラルの敵襲だと騒ぎ出す。
商人の護衛が襲いかかれば反撃するだろう。
何人かの村人を逃がしたあと、証拠隠滅に村人たちを全滅させれば、ラマ国軍が出張ってくる。
ラマ国が誘拐に関与した証拠をそれとなく残しておけば、互いの感情は非常に悪くなる。
これで戦争がおきればよし。
たとえその場で争いがおきなくとも、商人が噂を広め、それを事実とすればいい。
息子の死体を残しておけば、感情はさらに悪くなる。
それでもバイダル公が決断しなければ、商人を通してバイダル領で煽る。
腰抜け、腑抜け呼ばわりされれば、老公も動かざるを得ないだろう。
そんな内容だった。
「……陛下。そんな悪辣な」
「最小の犠牲で戦争を始めさせ、最小の犠牲で終わらせるんだ。このままだとこの国はパンクするぞ。貧困が民に蔓延したら負の感情はどこへ向かうと思う?」
国民を富ませるのが王の仕事。
それができなければ、王に王たる資格なし。
クーデターが勃発する。
「だからといって、年端のいかない者を攫うのですか?」
「言っただろ。最小の犠牲で事を進めると。国庫に金があっても、民が貧乏になったらお終いだ。そのときに動けば負ける。勝つためには、勝てる時に動かねばならないんだよ」
ラマ国はどうしてもミルドラルと戦争してもらわなければならない。
そのためには何でもするとファーランは言った。
「実際、今回はすげー金を使ったぜ。湯水のごとく? ちょっと肝が冷える金額をバラまいてしまったわ。とにかく近いうちに回収しないと、ヤバいことになる」
一流どころを動かせば高く付く。
今回は、超有名な組織を三つも動かしたのだ。
ここで使った金は、さすがにウルダールにも教えられなかった。
国庫の機密費は言うに及ばず、その他の部署の金を少しずつ融通してもらい、自分の商会と妻の商会からも金を借りたのである。
「……まあ、それだけの組織が動けば万一はないと思いますが」
「そうだろ? どう転んでもいいように、商人も多数配置してあるからな。ちょっとやり過ぎかとも思ったけど、早期に開戦させるには、金も人員も惜しんではいられないからよ」
打って変わって上機嫌になったファーランに、ウルダールはこっそりとため息を吐いた。
いくら国のため、民のためとはいえ、他国の重要人物に暗殺者を差し向けるなど、正気の沙汰ではない。
この国の王は八老会の合議制で決まるが、はやく次の王が台頭しないだろうか。
ウルダールはそんなことを夢想するのであった。
「しかし『十字蛇』だけでなく、有名どころの傭兵団をふたつも出すなんて、随分と気張ったわね」
「だろっ? 絶対成功させたかったからな」
「商会に出資を頼みにくるなんて、父が驚いていたもの」
「作戦は詳しく話せなかったからな。義父は驚いたかもしれんな。どんなに金をかけても今回ばかりはな。絶対に失敗させたくなかったから、しょーがねーんだよ」
「それは分かりますが、国境外へ派遣しての内容……高く付いたわね」
「超一流どころだぜ。口止め料も入っている。それにおそらくだが、犠牲者も出るだろう。警備や魔物狩りとは根本が違う……だがそれだって、投資分は一気に取り返せる」
「わが国はいつ参戦するつもりなのかしら?」
「状況しだいだが、バイダルが戦えばフィーネも賛成する。いや、もとから賛成だったか。……トエルザードが失敗したのは痛いが、いずれは認めざるを得なくなるだろう。ミルドラルの合議制はやっかいだが、この国に正式な救援依頼を出してもらう。そしたら大手を振って攻め込める。……それにしても惜しいな。あの姉妹が襲われていれば、トエルザードもすぐに賛成に回っただろうに」
「結果的には変わらないのでは?」
「まあそうか。そうだよな……成功は約束されたわけだし、早めに傭兵団を集めとくか?」
「維持費がかかるからやめなさい。何も言わずに金を貸してくれだなんて、何かあると言っているようなものじゃないですか」
ファーランがミネアの実家へ金を借りに来たことで、大凡の企みが分かったらしい。
デルキス商会もまた、多くの傭兵団と取り引きがあるのだ。
「さて、次は戦争に備えるかな」
ファーランは、王国が動かせる傭兵団リストの方へ手を伸ばした。
それをミネアがピシャリと叩く。
「時期尚早ですわよ」
「えー? 今から集めて訓練させたいじゃん」
「戦争前から傭兵を集めて戦争訓練なんかさせたら、あからさま過ぎるでしょう」
噂というのはばかにできないものである。
あまりに手際の良すぎる準備をすれば、バイダル老公が真相に気付くかも知れない。
(まったくこのお方は……)
宰相ウルダールは、頭を抱えた。
もはやファーランにとって、戦争は既定路線であるらしい。
「んじゃ、こっそりやるしかないかなあ……面倒だな」
手を叩かれて拗ねるファーランと、それを横目で眺めるウルダール。
(この国の舵取りをする王が悪戯好きというのは、最悪ではなかろうか)
ウルダールは、自分の手をそっと胃の辺りに当てた。
なぜかキリキリと痛みだしたのである。
「帝国の内乱だけどよ、あれをうまく調整して長引かせるじゃんか。それにはやはり、現地の言葉が必要と思うわけよ」
「各国の言葉を覚えるのですか?」
「それだけじゃなくて、帝国って、種族ごとに言語が違うんだよな。そういうのを使っている連中ともコンタクト取りたいわけよ」
「また面倒なことを考えましたね」
「陸路の交易が始まったら、どの商会も参入してくるじゃんか。一歩抜きん出るには、現地語が必要だと思うわけ……つぅわけで、通訳を紹介してくんない?」
「それは父に言ってください。現地に住まわせた者が戻ってきていますけど、人に教えられるかどうか、分かりませんよ」
「大丈夫だって。あれはすべて帝国標準語の方言みたいなものだから。ただ、慣れないと聞き取れないんだよな……ったく歴史が古い国は言語がやたらと分かれているから困るぜ。あとでちゃんとお返しするからさ」
「分かりました。妾から口添えしておきましょう。ちなみにお返しは、最近秘かに開発している鉱山権の一部譲渡で手を打ちますよ」
「ばっ、馬鹿! あれは俺の生命線になる予定なんだ」
「なあに、完成したあとの話でいいのです」
「何言ってやがる。あれは駄目、駄目だって……」
交易後の話をしているファーランとミネア。
先ほどから胃の辺りを押さえるウルダール。
豪華な部屋での会話は、まだまだ終わりそうもなかった。