030 バイダル領へ
捕まえた賊を引き連れて荒野を進み、六時間ほどかけてもとの場所まで戻った。
途中の魔物は正司が排除したものの、空腹と水分不足によって捕まえた賊の中には倒れる寸前の者もいた。
兵の中に水魔術使いが数名いたものの、全員分の水を確保する分には少々足らなかったことも大きい。
また賊がいることで行軍の足が鈍り、途中で休憩を入れている。
そのため、余計に時間がかかってしまった。
正司が水を提供する案も出たが、軍の中に水魔法を使える者がいるため、よほどのことがないかぎり隠そうということになった。
時間をかけて帰還したため、居残った兵たちはあからさまにホッとしていた。
何かあったかと、心配したのだろう。
そして捕まえた賊――それなりに有名な傭兵団や犯罪結社の名前を聞くと、居残った兵たちの驚きようは凄かった。
「バーガン、公都へすぐに連絡をいれたい。足の速い者を選りすぐってくれ。手紙はすでにある」
「分かりました」
賊の捕縛に向かった者たちは休ませたい。
よって伝令は、千人長バーガン隊の中から出すことになった。
帰還した兵たちは、これから食事である。
問題は捕まえた賊である。
昨晩は簡単な尋問しかできなかったが、口を割った者たちは、「営利目的の誘拐」と言って譲らない。
背後に誰がいるのか、その存在を匂わせることもしなかった。
存外、口が堅いのである。
その場合、公家に対する押し込み強盗と営利目的の誘拐犯として裁かれることになるが、それでも事の大きさからすればフルムの手に余る。
何より、政治的な問題が絡んでくるかもしれない。
処罰について、バイダル公に伺いを立てることになる。
賊たちは、軍が用意した鉄の手かせと足かせに付け替えられ、荷車に押し込まれた。
この後は、いくつかの町の牢に分散して入ることになる。
バイダル軍は、これ以上ここにいる必要は無い。
というより、この場所は危険だ。
ここにいると、開戦の口実を与えることにもなりかねない。
可及的速やかに町に戻るべきである。
そこでフルムは、賊を連れてすぐ帰還することにした。
「後ほど必ずお礼を致します」
「公にはよろしくと」
「必ず伝えます。それでは本当にありがとうございました」
そう言って、フルムは軍をまとめて去っていった。
「お礼って別に……」
出立する軍を見送ったあと、そう言いかけた正司に、リーザは首を横に振った。
「お礼は受け取らないといけない案件なのよ。公家どうしの貸し借りはね……本当に必要なとき以外、借りっぱなし、貸しっぱなしにはしないことにしているの」
これは三家が平等、対等であるために必要なことだとリーザは説明した。
その上で、今回の貸しは大きいため、この場では返せない。
上で話し合って、決着を付けるだろうとも。
上で決着。
つまりリーザたちに直接返すのではなく、トエルザード家へ「今回の借り」を返すことになる。
「なるほど。大変ですね」
のほほんとそう言った正司に、リーザを含めた全員が「やっぱりか~」という顔をした。
トエルザード家としては、この件でバイダル家から来た「お返し」を受け取らねばならない。
受け取らないと、両家の関係が「対等」ではなくなってしまうからだ。
だが、実質的にこれは正司の手柄である。
バイダル家としては、これで正司に「お返し」をしたとみなす。
だが「お返し」を受け取ったのは、トエルザード家だ。
つまり今度は、トエルザード家が正司に対して「良くやった」と受けた分を返すのである。
そうしなければならない。
だが、ここでひとつ問題がある。
――何を返せばいい?
バイダル家から送られるのは、およそ定番の品である。
宝飾品や魔物からのドロップ品が主となる。
ある程度それらを揃えた上で、お金と食糧などで不足分を埋める。
そんな感じだ。
これをそのまま正司に返すのは少しおかしい。
正司が魔物のドロップ品や食糧などを受け取っても、もてあますだけである。
というわけで、トエルザード公は何か別のもので正司に報いなければならない。
姉妹の命を救った「借り」をまだ返していない。
巻物や魔道具のこともある。
封鎖されたボスワンの町から無事脱出できたのも、正司のおかげであった。
その上更に、ラマ国とミルドラルの戦争を回避したばかりか、タレースを救出し、賊を捕まえ、王国の野望を阻止した。
そのお礼が今度、バイダル公からトエルザード公へともたらされる。
それらをまとめて正司に返すには、何を差し出せばよいのか。
事情をすべて知ったあとで、リーザの父――トエルザード公はどのような顔をするのか。
そんなこんなで頭を悩ませるリーザに、正司は「貴族って大変ですね」とのたまうのであった。
「もしかして分かってやっているんじゃなかろうか?」
リーザは、一瞬だけそんなことを思った。
バイダル軍が見えなくなるまでリーザたちはこの場に留まった。
なぜ出立しなかったかと言えば、壁を撤去するためである。
軍が撤退する前に壁を無くしてしまうと、侵略のために壁で目隠しをしたと思われかねない。
どうせ壁を一晩維持したのだから、この地に軍がいなくなるまで壁は撤去しないほうがいい。
それもあって、フルムはすぐに軍を撤退させたのだ。
「そろそろいいですかね」
すでに視界からバイダル軍は消えている。
「そうね。……じゃ、壁を消してくれるかしら」
「分かりました」
ズズンと軽い地響きととともに、壁が消失した。
壁が消えたラマ国側……そこに軍隊が展開していた。
壁の反対側にいたのだから、ラマ国軍であろう。
「やっぱり……ラマ国はそう動くわよね」
戦争のために軍を集めたところに、壁ができたのだ。
何があったのかと、そこに軍が駐留していても不思議ではない。
「随分と強固な陣ですな」
アダンがしみじみと呟く。
「そうね。一応確認だけど、ラマ国軍で間違いないわよね」
「ええ、奥にラマ国の旗が翻っています」
木杭を並べた突撃防御陣を構築して、兵たちがこちらを向いている。
おそらく土魔法対策だろう。
丸太を切り出してきている。
「やはりこの壁はタダシ殿でしたか」
見たことがある人物――ライエル将軍が数人の部下を連れてやってきた。
「ライエルさん、どうも」
「一瞬で壁が現れたと聞いて、一応待機していたのですが、その分だと成功したようですな」
バイダル軍はいない……が、つい今し方までそこに軍がいたという痕跡がある。
焚き火と炊事跡が点々と残っているのだ。ライエルならば、すぐに察せただろう。
「そうですね。バイダル軍は撤退しました。それと戦争をおこすつもりはないって言っていましたよ」
「なるほど……それは良かった。では儂らも戻るとしましょうか。野戦してもよいことは何もないですからな」
ライエルはとても物わかりのよい態度を取った。
あそこで焚き火をしていた集団が何なのか、どうしてここに壁ができたのか。
ライエルはそれらを理解しつつ、何も見なかったかのように引き揚げていった。
こんなところに長大な壁ができたら、普通は疑問の嵐であろう。
だがライエルは何も聞かない。できた人物である。
「両軍を見たら、実感が湧いたわ。危なかったわね」
本当にギリギリの所で、戦争が回避されていたのだ。
「昨晩は壁一枚隔てて睨み合っていたわけですか。無事に済んで良かったです」
アダンの声も固い。護衛隊長として、由々しき事態だと思ったのだろう。
「土の柱がいっぱい立つところだったね」
「ミラベルあなたっ……」
恐ろしい子。
そう思いつつ、リーザは土塊の中に両軍を閉じ込めてしまう正司の姿を幻視した。
正司ならやりかねない。リーザは本気でそう思った。
そしてもし、そんなことになったら、他国はどう思うか。
単独で二国を相手取れる魔道士を持つトエルザード家。
危険視どころの騒ぎではなくなる。
「否応なしに、大陸に覇を唱えることになりそうですな」
「やめて! 本当に起こりそうだわ」
「一度、ちゃんとした教育をした方がよいでしょうな」
「やっぱり、そうよね」
正司の行動は、世間の常識に疎いところから来ている。
凶獣の森から出てきた世間知らずの隠者。これがリーザたちの持つ正司像だ。
あの歳まで凶獣の森の中で暮らし、日々魔物を狩るだけの生活。
人と交わることがなかった正司は、普通の人がどう暮らしてきたのかがまったく分かっていない。
だから正司が普通と思っても、「やりすぎ」になることがある。
そうさせないためには、正しい認識を植え付ければいい。
そうは思うものの、一般常識を教えるというのは、簡単なようで難しい。
旅の途中で片手間でできるとは思えない。
中途半端な知識だけ教えて「分かった気になる」のも問題である。
「家庭教師をつけるとかが一番いいのかしらね」
「ミラベル殿と一緒に学ぶとかですか?」
「あー……どうなのかしら」
正司に必要な教育はどんなものなのか。それを考えつつ、正司の方をみると……。
「そろそろお肉が焼けましたよ」
正司は肉を焼いていた。
「これ旨そうな匂いだな。何の肉だ?」
「デスサイス・マンティスって名前が出ていますね」
「ほぉ~、G5か。まだあるのか?」
「ええ、まだまだありますよ。いっぱい食べて下さい」
「ありがてえ、ありがてえ」
カルリトがデスサイス・マンティスの肉を皿に盛った。
なんとも平和な光景である。
G5の肉を焼いているのではなければ。
「いろいろな家庭教師が必要かしら」
「そうですな。ただ逆に、魔法面は教わりたい人が続出するでしょう」
「なるほど、そういうケースもあるわね。その辺は、タダシ次第でしょうけど」
魔法は、教えて分かるものではない。それでもいいから教えて欲しいと思う魔法使いはいるだろう。
正司について考えれば考えるほど、問題が増えてくる。
「今回の件、父様に手紙を書かなくてはね」
両軍が撤退して、戦争の脅威はなくなった。
ただ、軍を動かした事実は隠しようもない。
これから先、今回の件がどう影響していくか未知数である。
はやめにトエルザード家に今回の件を報告すべきだとリーザは考えた。
とくに三公の同意なく、バイダル公が先に軍を動かした事実は重い。
「そうそう、馬車の中でタダシには伝えたけど、バイダル公に会うことにするわ」
「では次の行き先は、ウイッシュトンの町ですね」
「ええ……老齢なバイダル公だから、隠居という形で終わるのかしら。それを確認してからでないと、怖くて家に帰れないわ」
「昨夜話していた治療の件もありますし、私は問題ありません。老公と会うのに体裁を整えますか?」
護衛の数が少ない。もう少し見栄を張るかと、アダンが聞いているのだ。
「このままでいいわ。かえってそれで分かることもあるでしょう」
護衛が少なければ、「みすぼらしい」と相手に思われてしまう。
トエルザード公が護衛をけちったのならば、この人物を「公が重視していない」と考えていると思われかねない。
相手がそういう印象を持てば、自ずと扱いが軽くなる。
たとえば、交渉をしに他国へ赴いたとき、身ひとつと護衛一人でやってきた者と、二十人の護衛を引き連れてきたのでは、当然扱いが違う。
これくらい手間をかけて来てくれたのだから、こっちもそれ相応の対応をせねばと思うものである。
今回、リーザの訪問は、留学の帰路立ち寄る形になってしまった。
これは本来、かなりよろしくない。バイダル家に立ち寄ることが「ついで」なのだ。
もしリーザが訪問するにしても、一度家に帰り、その上で使者を使わして訪問するのが正しい。
留学先から寄ったのでは、トエルザード公からの意を十分汲んでいるとは思えない。
なにしろ「ついで」だからだ。しかも護衛が少ない。
トエルザード公は、この者にちゃんと政治を教えてないのか。
もしくは、留学で何を学んだのかと、侮られる可能性があった。
リーザは、あえてそれで行くという。
自分を取るに足らない者と見せて、相手の出方を窺う。
自分が重要人物ではないように周知させて、正司の存在をカモフラージュさせる作戦かもしれない。
どちらにしろ、高度な政治的判断に基づいて、リーザはバイダル公と面会する気持ちを固めた。
「お姉ちゃ~ん、食べないの~?」
焼けた肉の一番旨いところをもらったミラベルが、満面の笑みを浮かべて呼びに来た。
「いま行くわ……って、ミラベル! あなた食べ物を持って走らないの!」
「でもお姉ちゃん、お肉を確保していないと、だれかに食べられちゃうよ?」
「だれもあなたの肉なんか取ったりしないわよ……ほら、口の周りが汚れているじゃない」
ミラベルが持っている皿は、馬車に積んであるものではない。
正司が即席で作ったものだ。
「相変わらず、器用な御仁ですな。もし教育するとして、何をどう教えればよいのやら……私などは逆に教えを請いたいくらいですが」
アダンの言葉を背に受けつつ、リーザは走り回るミラベルを追いかけた。
馬車は北に向かって進み、途中の分かれ道を左に折れた。
真っ直ぐ進めば町はすぐそこなのだが、あえて別の道を行く。
「このまま真っ直ぐ行くとすぐにサクスの町に着くけど、いまは兵士で一杯でしょうしね」
撤退したバイダル軍は国境の町に戻ってから解散するとリーザは予想した。
ゆえに多少遠回りになっても、それを避けようと考えたのだ。
「左にいくとどこに出るのですか?」
正司の場合、バイダル領の地理はまったく分からない。
街道がどこに繋がっているのか、どの規模の町がどこにあるのかなど、一切情報を持っていない。
「少し遠くなるけど、ポイニーの町がこの先にあるのよ。小さな町だけど、トエルザード家所有の家もあるわ」
各町で異変が起きたとき、すぐに知らせを届けられるよう、ほとんどの町にトエルザード家は家を所有している。
そのような家は、どの町でも家臣の次男、三男が派遣されて住み込んでいる。
トエルザード家でも、所領を持たない家臣が多い。
仕事を割り当てるにも限界がある。
全員が望む仕事に就けるわけではない。
どうしても「漏れ」が出てしまう。
そこで考え出されたのが、各町に家臣を常駐させる案である。
これまでも大きな町に屋敷を構え、それなりの人物を住まわせていた。
どの国もやっていることである。
ただ、エルヴァル王国だけはすべての町に人を置いている。
半分は商人みたいなものなので、それができるのだ。
そういった各町に目と耳を持つことで、さまざまな交渉事を有利に進めていることが分かったため、トエルザード家も先々代からそれに習っている。
何しろ、各町に人がいると、交渉でハッタリを利かせられないのだ。
国の状況がすべて筒抜けになる。やられる方としては、たまったものでなかった。
馬車はゆっくりと進む。
正司は小窓から流れゆく外の景色を堪能していた。
道沿いに咲く綺麗な花を愛でたり、低木に生っている果実を眺めたりと、正司にとっては初めて見る光景が多かった。
正司の注意が外に向いている間にと、リーザは父親に手紙を書くことにした。
通常ならば馬車の移動中に書くような真似はしない。字が乱れるからだ。
だが正司がくれた魔道具によって、揺れは最小限に抑えられている。
これならば、馬車の揺れを気にすることなく手紙が書けると思ったのだ。
(休憩中に書かなくて良い分、楽になるけど、こういうのに慣れたら駄目よね)
リーザはライラに手紙の準備を任せつつ、何を書くべきか頭を悩ませた。
相変わらず正直にすべてを書こうとすると、正気を疑われる内容になる。
かといって、ぼかして書いてもあまり伝わらない。
(なるべく本当に見えるように書くというのも変な話なのよね)
脚色抜きに書いた方が信用されないというのも困ったものである。
リーザは、極力控えめに表現することを心がけて、手紙を書き出した。
「手紙ですか?」
外を見ていた正司がそんなことを聞いてきた。
「ええ、父に報告をするの」
「そうですか。あっ、タレースさんのことも書いてありますね」
書き上げた手紙をライラの膝の上に広げていた。
インクを完全に乾かすためである。
「えっ? タダシ、読めるの?」
「あっ、すみません、勝手に手紙を読んでしまいました。こういうのはマナー違反ですよね」
「そうじゃなくてこの手紙、読めるわけ?」
「読めますけど」
何かおかしなところでも? という顔を正司がする。
すかさずリーザは乾かし途中の手紙を読み上げさせた。
「タレースを誘拐していた賊はすべて捕まり、現在バイダル公の手の中にある。賊の内訳は……」
淀みなく読み上げる正司に、リーザどころか、ライラも唖然とする。
「タダシあなた、帝国皇室語が読めるの?」
「えっと……上流語のことでしょうか」
正司が馬車の小窓から目を離したとき、ちょうどライラが膝に広げていた紙が目に入った。
だが何が書いてあるのか、読めなかった。
(これ、文字ですよね。なんて書いてあるんでしょう)
そう思って凝視していたら読めるようになったのだ。
それで頭の中で〈標準語〉〈シュテール語〉〈上流語〉と次々と念じていったら、〈上流語〉と念じたときだけ、紙に書いてある文字が読めるようになった。
そのため正司はこれは上流語で書かれたものだと判断したのだった。
だがリーザは、帝国皇室語と言った。逆に正司は、その呼び名の方を知らない。
だから上流語かと聞き返したのである。
「タダシが上流語と呼んでいるのは、帝国皇室語よ。いまはほとんど使われていないわ。使えるのは文字通り帝国の皇家と帝国の上流貴族のみ。私は父から教わったけど、国内で使える人はかなり少ないわ」
その昔、ロスフィール帝国が大陸の東に覇を唱えたとき、皇家のみが使う言語が上流貴族に広まった。
それが使えるのは、一種のステイタスである。
自分たちは他と違う。そういう選民意識も相まって、急速に広まっていった。
ちなみに内乱続く現在では、それを使える者は極端に減ってしまっている。
リーザや、リーザの父がこれを使えるのは、帝国との商売で役立つからである。
港と船を持つトエルザード家は、帝国とも取り引きがある。
嗜みのひとつとして覚えているのである。
逆を言えば、大陸の西側でこれが使えるのはトエルザード家とエルヴァル王国しかない。
両者とも船で帝国と取り引きがあるからだ。
そしてリーザは父との手紙のやりとりに、この帝国皇室語を使用している。
途中で盗み見られても、何を書いているのか分からないからだ。
使える者が少ないことで、暗号としての役割を果たしているのである。
(タダシがこれを読めたということは……タダシの先祖は皇室に関わりがある人?)
以前スキルの意味もよく分からない時分に取得した〈上流語〉である。
正司自身、取得したことすら忘れていたものだったが、ひょんなところで使っている人たちが判明した。
といっても正司と接点をもつことはほとんどない人たちだが。
「…………」
そしてリーザは考える。
正司の祖先は、帝国のかなり上位の貴族か皇族ではなかろうか。
何らかの理由があり、凶獣の森に移住せざるを得なかった人たち。
ある意味それは完全に的外れな考えであったが、まさかタンスに足をぶつけて異世界から来たとは想像もできない。
リーザは正司の過去を帝国皇室に連なる者かもしれないと認識を改めた。
ゆえにすぐライラに目配せし、そのことを悟られるなとサインを送った。
ライラも「分かりました」と頷く。
数十年か、数百年か分からないが、もしかしたら正司は帝国で権力抗争に敗れた英雄の子孫なのかもしれないと考えるのであった。
○
「見えてきたわ。あれがポイニーの町よ」
途中、街道で一泊して――といっても、夜は正司の拠点に向かったのだが、翌日の昼過ぎにようやく町に近づくことができた。
ちなみにその一泊の間に、リーザは会議を開いていたりする。
「ずいぶんと遠いですね」
「魔物が出るから、途中のどこにも町を作れなかったのよ。だからこの街道も静かなものでしょ」
ここまでの道中、馬車とすれ違ったのは数えるほど。
ほとんどが屋根にまで荷物を積んでいた。みな商人たちである。
町が近づくにつれて、周辺に掘っ立て小屋が増えてきた。
「ここに住んでいるのは、町に入れない人たちでしょうか」
「そうね。ラマ国でも見たでしょ。棄民よ」
見たところ、ラマ国よりも酷そうだった。
今にも崩れそうな簡易的な小屋に、薄汚れた人たち。
ラマ国で見たのは、それでも日中は町中で仕事をもらい、住居だけ危険な外にある人たちだった。
いま正司が見ている人たちは、とても町中に入れるとは思えない格好だ。
「彼らはどうして暮らしているのでしょう?」
「町の外の畑を耕したり、木の実を採ったり、狩りをしたり、薪を集めたりしているんじゃないかしら」
町中の商人がここにやってきて、物々交換をしているのだと。
たしかに薪と食糧を交換している人がいた。
「彼らは魔物に襲われないのでしょうか」
「どうかしら。魔物が湧かないかもしれないけど、やってくることは多いと思うわ」
魔物はテリトリーから出てこないが、絶対ではない。
魔物の行動は野生動物と同じだ。
普段はテリトリーを徘徊するが、気まぐれに遠出して、町のすぐ近くまで出てくることがある。
馬車が止まった。町の門まではまだ距離がある。
「行き倒れがいるようですね」
ライラが馬車の窓から覗いて、そう言った。
病人か怪我人か分からないが、人が倒れていて、その周囲に多くの人が集まっている。
「ちょっと見てきていいですか?」
「タダシが行くの?」
「気になったもので」
「いいけど、カルリトを連れて行きなさい」
「はい」
馬車内の護衛はライラが担当する。
アダンは立場上、あまりリーザから離れられない。
かといって、正司をひとりで行かせるわけにはいかない。
絶対にそれはできない。
リーザはカルリトに「分かっているわね!」と目で訴えた。
カルリトは「分かってますぜ」とウインクを返してきた。
リーザは馬車の中でじっと待つ。
「収まるまでここにいましょう」
何かあったのだろうが、この手のトラブルならば、如才ないカルリトが穏便に押さえてくれる。
リーザはしばらく待っていればいいのだ。
少ししてから馬車が動き出した。
しばらく進むと馬車が止まり、正司が乗り込んでくる。
「おかえり、タダシ。どうだったの?」
「ええ……妊婦の方が空腹で倒れたようなのです。栄養失調ですね。お腹の中の子のこともありますし、動かしていいものなのか、みなさん困っていたようですね」
お腹が空けば誰だって動けなくなる。それが妊婦ならば、命にかかわる。
「それでどうしたの?」
「幸い、治癒魔法が効きましたので、それで回復できたと思います。ただ、ずいぶん前から栄養のあるものを食べてなかったようなので、少し食糧を置いてきました」
「そう。それで持つでしょう」
「そうですね」
実は先ほど、正司は事情を聞いて炊き出しをしたいとカルリトに話したのだ。
倒れた妊婦だけでなく、多くの人が栄養失調に近い症状がみられたのである。
ところがカルリトは、「ここは他の公家所領地だぜ。トエルザード家の者がやると後々問題になる」と止めさせた。
人気取りと思われるだけならばいい。
通常は、「よけいなことを!」と気分を害すだろうと。
公家どうしの軋轢を生み出すから、安易に他公家で目立つ行動は控えた方がいいとカルリトが言うのであった。
正司はリーザに護衛として雇われているため、雇い主の利益は守らねばならない。
泣く泣く炊き出しを諦めたのだが、そのときこっそりと治癒魔法を周辺にかけている。
正司の魔法は詠唱も秘薬も必要ないため、魔力を多く込めないかぎり、周辺に光は漏れない。
急に身体が楽になったことが分かっても、それが正司の魔法によるものとは認識しない。
そして正司は妊婦を家に運び入れた際、家の中にいた子供に「内緒ですよ、みなさんで食べてください」と『収納鞄』を取り出し、魔物の肉を入れてきたのである。
あとあとのことを考えて、G3までの肉に留めておいた。
だから問題ないだろうと正司は考えている。
ちなみに置いてきた肉の量は……言わずもがなだったりする。
こうして小さなトラブルがあったものの、リーザたちの馬車は、無事ポイニーの町へ入っていった。