029 ウッカリ
リーザたちが別室でいつもの会議をしている間。
正司は一人で、取得したいスキルを眺めていた。
これもいつものことである。
正司がいま見ているのは、製作系のスキルである。
緊急クエストをクリアして、3の貢献値を貰ったことで、使える貢献値は4に増えた。
通常のスキルならば第三段階まで。無段階のスキルだと、二つ取得できる。
スキルが急に必要になることもあるので、できるだけ貢献値は温存させておきたい。
だが、いいものがあれば積極的に取得していきたいとも考えている。
悩ましいところである。
スキルを眺めるのは自由なので、取得については臨機応変が一番いいだろうと正司は考えていた。
(何がいいでしょうね……)
いま見ているのは〈宝石細工制作〉や〈精密細工制作〉などである。
製作系のスキルは意外にも細かく別れているため、種類が多くなっている。
(ただの〈細工物制作〉スキルもありますが、〈宝石細工制作〉や〈精密細工制作〉はそれとは別なのですね)
すべてスキル名に細工がついている。
魔法系スキルの場合、火と土の魔法を取得したとき、〈溶岩魔法〉という新しいスキルが追加された。
これと同じことが制作系スキルに当てはまるのならば、細工スキルと別系統スキルを取得したときに、新しいスキルが追加される可能性がある。
もしくは、細工の派生形スキルである、この〈宝石細工〉や〈精密細工〉を取得することで、それらの複合スキルが出てくるかもしれない。
いまだスキルの詳しい仕様が分からないため、その辺は想像力を膨らませるしかない。
(〈宝石細工制作〉スキルは、宝石の原石をカットするのかもしれませんね)
宝石を美しくカットする技術は、現代になってようやく確立されたと正司は聞いている。
この世界でそれを再現するには、スキルに頼るしかないはずである。
宝飾品の加工もそうだ。
たとえばネックレスや指輪の装飾加工もまた、高い技術が必要である。
もしかしたら、そういったものが作れるのかもと正司は考えた。
このまえクリスティーナに魔道具をプレゼントしたさい、指輪は店で購入したものを使った。
宝石はついておらず、ただの銀の指輪だった。細工といえる物も彫ってない。
たとえば芸術的な意匠の指輪、それも宝石をちりばめた物がスキルで作れるならば、それだけで店が開ける。
スキルの段階を上げれば、王侯貴族に献上できる優美な物まで作れるかもしれない。
(〈宝石細工制作〉スキルですか。いいですね……)
打って変わって、〈精密細工制作〉であるが、これはよく分からない。
精密とあるので、カラクリ物が作れるのかもしれないと正司は考えた。
(精密というと……バネやゼンマイを使ったものとかでしょうか。もしそうなら、時計ができるかもしれませんね)
そう考えると〈精密細工制作〉スキルとは、現代の品物に近い物まで作成できる可能性がある。
(さすがにICとかは無理ですよね)
日本で正司は技術者であった。機械の仕組みはある程度理解している。
だが、この異世界にプリント基板やら、ダイオード、コンデンサ、トランジスタが存在するかといえば、ノーである。
もしこれらのものが再現できれば、作成できるものは飛躍的に広がる。
このスキルも段階を4まであげれば、オリジナルのものが作れるのかもしれない。
(もしそうなれば、私の知識も役に立ちますか。……夢が広がりますね)
現時点ではただの想像……いや、妄想である。実現可能性は未知数。
結局、〈精密細工制作〉スキルは、名前からは判断がつかなかった。
このようなスキルは、はやく取得してみたいものの、現状4しかない貴重な貢献値を使用するには、やや物足りない。
(第一段階だけでも取ってみましょうか。でもそうすると、際限がないですし……)
第一段階だけ取得しても、貢献値は1で済む。
いまならば、気になる4つのスキルの詳細が判明する。
スキルを取得して内容を把握することは、正司が以前も考えたことだ。
多くのスキルを取得して、有用なスキルかどうかを早めに知る。今後を考えれば、いい案ではある。
そこでつい実行しそうになるが、得られる貢献値が少ないいま、第一段階だけ取得しても何の意味も無い。
貢献値を無駄に消費するだけだと、正司は思い直す。
以前からこれを何度も繰り返している。
無段階スキルは別にすると、通常のスキルは、第五段階まで上げることができる。
最後まであげると、その効果は絶大で、正司はできるだけすべてのスキルを最高値まで上げておきたいと思っている。
だが、カツカツの状態で貢献値を運用している手前、それは難しい。
第一段階……必要貢献値1
第二段階……必要貢献値1
第三段階……必要貢献値2
第四段階……必要貢献値4
第五段階……必要貢献値8
実際に取得して正司が調べた結果がこうだ。
いまは、有用性と必要貢献値の兼ね合いで、第三段階まで一気にスキルを取るようにしている。
正司は、第一段階を「一人前の腕前」、第二段階を「熟練者の腕前」、第三段階を「一流の腕前」と認識している。
このイメージはある意味正しい。
正司はこのイメージをもとに、「第一段階まで取得しても、同じ技量を持った人は世の中に腐るほどいる」と考えている。
わざわざ貴重な貢献値を使ってまで、それらの人と同じレベルにする必要はないと考えているのだ。
これが、第一段階だけスキルを取得しない理由である。
だが、正司はひとつ勘違いをしている。
たしかにそのスキルイメージで間違っていない。
それでも正司の場合は、魔力で人が行う作業を代用できる。
これは他にない、大きなアドバンテージである。
決して、「第一段階だけ取得しても使えない」わけではない。
また、「一人前」「熟練者」「一流」という表現も概ね間違っていない。
ゆえに正司は、その言葉に引きずられているところがある。
たとえば「一人前」とは、それでメシが食えるレベルという意味である。
それでメシが食えるならば、十分凄いことなのだ。
第四段階や第五段階になると、それはもう人外の領域である。
その辺のところを理解すれば、正司の勘違いも少しは是正されるのだが、周囲に同業者がいない今、正司が気付く様子はない。
(おや、大工の制作系スキルも分かれているのですか)
次に正司が見たのは〈大工家制作〉や〈大工船制作〉のスキルである。
家ならば土魔法で作れるし、この大陸は船が発着できる場所が極端に少ない。
(とすると、この辺は要りませんね)
大工の制作系は死にスキルである。そう正司は判断した。
次に取得するスキル候補から大工系を排除した。
その次に目を通したのが、浄化系のスキルである。
(〈森林浄化〉や〈草原浄化〉などがありますね。そんなに汚れた土地があるのでしょうか)
不思議だと首を捻るが、考えても分からない。これもスルーである。
次のスキルを眺める。
結局正司もまた、夜遅くまでスキル選びをしていたのである。
ちなみに、これといったスキルが無かったので、今回は取得しなかった。
4ポイントの貢献値は残したままである。
(さて、この後はどうしましょうか)
すぐに寝ようと思った正司だったが、どうにもお腹が空いて眠れない。
日本でサラリーマンをしていた頃は、時間がなくて一食抜かすこともあった。
人間、一食抜いたくらいで死なない。
忙しさにかまけて食事が疎かになることはよくあったので、気にもしなかった。
異世界に来てから、実は毎食しっかりと食べていたりする。
そして灯りもロウソクしかないので、夜は暗い。
することがないから、すぐに寝る。すると、翌朝早く起きる。
正司は、意外と規則正しい生活を送っていたのである。
(こうなると、眠くなるまで気が紛れることをするしかありませんね)
何か手作業をしていれば、そのうち疲れて眠くなる。
集中していれば、空腹も忘れる。
そう考えて、正司は魔道具作りをすることにした。
『保管庫』には魔物の皮と魔石が大量にある。
(何を作りましょうか)
そうして正司が選んだのは……。
○
翌朝、正司が起き出すと、リーザはもう起きてきた。
「おはようタダシ。昨日はよく眠れたかしら」
「おはようございます、リーザさん。よく眠れたようです。今日も清々しい、いい朝ですね。……私は少し運動してこようかと思うのですけど、一緒にどうですか?」
「……止めておくわ」
「そうですか。では行ってきます」
身体が健康になってからというもの、正司は身体を動かすのが楽しくなっていた。
今朝もまた、身体強化を施した状態で、軽い運動をはじめたのである。
軽くジョギングをしたあと、ダッシュして壁に飛び乗った。
壁の高さは5メートル。
そんな正司の様子を見て、歩哨中のバイタル兵たちが目を見張った。
壁の上を走り、アクロバティックな動きをする正司。
明らかに身体強化している動きを見るにつれて、他の兵が集まりだしてきた。
娯楽に乏しいこの世界では、正司の動きはお金の取れるレベルである。
雑伎団もかくやという動きを披露し、トンッと地面に降り立った。
「いい汗かきました」
「おかえり、タダシ。おひねりが欲しいわけじゃないわよね」
にこやかな顔で戻ってきた正司をリーザが出迎える。
「おひねり……ですか?」
「擁壁の上に飛び乗ったり、走ったりするのに何か意味があるのかしら?」
「いえ、とくにないですけど、高いところに登るのは、気持ちがいいですよね」
「そう……ほどほどにね」
「はい。落ちても大丈夫ですけど、落ちないように気をつけます」
「いやそうじゃ……いいわ。気をつけてね」
「分かりました」
正司は笑顔で頷く。
そんな正司を見て、朝から疲れた顔をするリーザ。
正司はリーザの疲れを慣れない環境のせいだろうと考え、今度は精の付く肉をごちそうしようと考えた。
一方、朝から人間離れした動きを見せつけられたリーザは、「凶獣の森で生活するのに、やっぱりあのくらいの身体能力は必要なのかしら」とまた、頭を悩ませていた。
もし凶獣の森で生活している者が他にいて、あのくらいの身体強化が普通ならば、かなり脅威である。
正司は魔法職であることが分かっている。
動きからして、専門で武芸を習ったことはないと、アダンやライラが断言した。
あれで身体能力は控え目な方かと考えると、戦士職の者たちはどれだけ凄いのか、想像できないほどである。
凶獣の森は魔境。
だれも好んで分け入ろうとは考えない。
あそこは未踏の領域かと思っていたが、じつはああいった人外たちが点在して住んでいるのかもしれない……そう考えて、リーザは朝から薄ら寒い思いを抱くのであった。
「おはよう、タダシおにいちゃん」
「おはようございます、ミラベルさん。今日もいい天気ですね」
正司は「おにいちゃん」と呼んでもらえてご機嫌である。
実の妹はもう、結婚して海外。
式も国外であげるということで、正司は参加できなかった。
ちょうどその時、仕事も詰まっていたし、腰痛が悪化した時期でもあったのだ。
八時間以上も座席に座って、海外を往復するのは不可能だった。
ひさしぶりにできた妹的存在に正司が喜んでいると、護衛たちもやってきた。
ミラベルと正司が会話しているのを横目で見つつ、リーザは昨夜の会議で決まったことを思い出した。
バイダル公との友好は、このまま維持する必要がある。
ファファニアがまだ重傷で、正司の魔法でそれが治療可能だった場合、バイダル公に治療を申し出る。
その際、タダシの情報を必要以上与えてはならない。
「……意外と難問ね」
バイダル公は、リーザの父よりもかなり年上である。
若返りのコインを何枚か使っているのも知られている。
コインを使って若返り、息子に当主の座を譲らないあたり、権力志向が強いとリーザは見ている。
もちろんリーザもバイダル公に会ったことはある。
会ったときは厳格そうな人物に見えたが、話した感じは、気のよさそうな老人だった。
あえて、そう見せていると思われた。
正司を連れて行って、ファファニアの怪我を治した場合、バイダル公はどう動くのか。
(下手な対応をすると、ミルドラルで内戦が勃発するかもしれないわね)
最悪なのは、正司はフリーであることが相手に伝わり、トエルザード家から引きはがそうとした場合だ。
もし老公が手段を選ばず行動したら、リーザではたちうちできない。
そんなことになったら、リーザの父は報復に出るだろう。
極端な話、正司のまったく与り知らないところで、正司を巡って権力争いが生じ、それが大規模な軍事行動に発展する可能性があるのだ。
(かといって、手放してよいとは思えないのよね)
手元に置いておくだけで切り札となるため、正司の存在は大変貴重である。
だが、あまりに切り札過ぎて、正直手元に置いておきたくないのも事実だ。
ちゃんとした教育を受け、やらかしてしまわない程度には、常識を理解してもらいたいとリーザは考えている。
それまでは、どうしても正司の言動や行動に目を光らせていなければと、母親の心境で思うのである。
ちなみにリーザは16歳、正司は30歳である。
そしてしっかりと常識を理解した正司が何を考え、どう行動するのか。
トエルザード家が目指す未来はある。
正司がそれに賛成してくれるとありがたい。
そうリーザは思うのであった。
(しかし、火魔法と瞬間移動の巻物が大量にあるのは問題よね。あれだけで王国落とせるかも)
リーザの父は息子のルノリーを後継者に指名している。
いまだ14歳ということで、父の元で政務を覚えている最中だ。
そこへ劇薬ともいえる正司を巻物のお土産付きで連れて行ったらどうなるのか。
(父様は帝国の考え方に否定的だから、大陸制覇なんて考えないと思うけど……)
未来はだれにも分からない。
いろいろ思考が危ない方向へ傾いていくリーザであった。
正司を手元においておくのは怖すぎる。かといって他国へ渡すことも論外。
頼りすぎるのもよくない。
だが、いまだリーザは、ちょうどよい距離感を測りかねていた。
そういえばファファニアの件を正司に確認しなければと、リーザは思い出した。
「ねえ、タダシ。話があるのだけど」
「なんでしょう」
「外では話しづらいわ。建物の中に行きましょう」
「分かりました」
昨日会議をした部屋には、馬車に積み込む荷物がまとめられていた。
リーザの部屋にはまだミラベルとライラがいる。
そういうわけで、正司の部屋で話をすることになった。
「……なっ」
部屋に入って、リーザは絶句する。
「あっ、そういえば昨晩のままで、片付けしていませんでした」
すぐに仕舞いますねと正司が言うが、テーブルの上に積み上げられているのは、様々な形や大きさの革鞄である。
ポーチのような小さいものもあれば、肩掛け鞄もあり、背嚢もあった。
「昨日作ったって、タダシ……こんなにたくさん?」
「はい、昨日寝る前にヒマだったもので……」
「……えっ?」
聞き間違いだろうかと、リーザは積み上がった鞄を見た。
テーブルの上に数十個はある。
なにをどうすれば、一晩でこんなに作れるのだろうか。
しかもリーザが見たところ、どれも上等なものだった。
売り出せば、高値で取り引きされること間違いない。
「もしかして、魔物の皮を使ったの?」
「ええ、そうです。それと魔石ですね」
「………………………………魔石?」
非常に、それはもう非常に、嫌な言葉を聞いた。
鞄は鞄である。
どんなに意匠を凝らしたとしても、鞄は鞄である。
大事なことだから、二回言った。
魔石は使わない。普通の鞄には、絶対に使わない。
もし「鞄」に「魔石」を使うとしたらそれは……。
「魔道具を作ったんです」
ああ、やっぱりと、リーザは心の中で正司を罵倒した。
何かやらかさないと生きていけないのか? そういう生き物なのか? と盛大に嘆いた。
魔道具は貴重だとあれほど……とそこまで考えて、魔道具の希少性を正司に話しただろうかと思い直した。
(もしかして、伝えてなかったかもしれない)
ならば、そういうこともありえるかと、リーザは無理矢理、自分を納得させた。
そして平静の声が出せるように深呼吸を繰り返してから、正司に尋ねた。
「これは魔道具なのね。それで何の魔道具なのかしら。もうどんとこいよ。防犯付きかしら。それとも、自動修復が付いているの? 入れたものの重さが半分になるなんてものが出てきても、私は驚かないわ」
正司ならば、それくらいの魔道具くらい作りそうである。
「これですか? これは『収納袋』や『収納鞄』というものですね。『収納袋』は荷馬車一、二台分、『収納鞄』は五、六台分くらいの物が入れられます。重さを気にしているのでしたら、もちろん感じません。重くなったら持てないですしね」
「あ、あなたねえ……あっ」
またリーザは立ちくらみを起こした。
馬車一、二台分。それに五、六台分ときた。
さすがにこれは、リーザの想像の斜め上をいっていた。
常識が全速力でリーザの前を駆け抜けていったのである。
テーブルに手を突いてしゃがみ込むリーザに、正司は手を差し出した。
「なんか大変そうですね。横になって、寛いだらどうでしょう」
「…………」
罵詈雑言が口を突いて出る……はずだったが、全身の力が抜けたリーザは、そのまま両膝を床についた。
とりあえず、「誰のせいだ」くらいは言っておいた方がよかったかもしれない。
「大丈夫ですか、リーザさん」
「え……ええ、大丈夫よ、タダシ。それで、これ……どうするの?」
『これ』とは、大量の鞄――前代未聞の魔道具のことである。
「どうしましょう。とくに目的もなく作ったので……リーザさん、半分要ります?」
ちなみにこの後、話どころではなくなって、リーザは正司の部屋から退出するのだが、その様子を見ていたアダンは後にこう語った。
「お嬢様が部屋から出ていらっしゃったのを見ましたが、眉間にそれはもう深いシワが刻まれていまして……ああ、また何かあったんだなと、すぐに分かりました」
リーザがヨロヨロとアダンの横を通り過ぎるとき、「今夜も会議よ」と呟いた。
それを聞いたアダンは、思わず両手を胸の前で組んだという。
○
出立の準備の途中、護送する賊の扱いにフルムが困っていた。
いま賊は、手足を縛って個室に押し込んである。これから賊を建物の外に連れ出すことになる。
賊のなかには、日頃から犯罪行為に慣れているからか、縄抜けが得意な者がいた。
移動中、見張りの目を盗んで自由になってしまえば、監視の目が届かないところで次々と縄抜けされる可能性がある。
フルムは見張りの数を十分に揃え、兵たちに気を抜かないよう言い聞かせるつもりである。
だが万全ではない。
護送途中に問題がおきるかもしれないからと、足の拘束を解かないというのはできない。
だが、このままだと若干不安が残る。
賊の中には、かなりの手練れも交じっている。
逃げられることはないと思うが、反撃を受けて怪我人や死者が出ないとも限らない。
そんな話を伝え聞いた正司が瞬間移動を提案しかけたところで、リーザは慌てて正司の口を押さえた。
正司ならば二千数百人くらい一度で運べそうだが、それをやった瞬間、戦略級魔道士の噂は大陸中に広がる。
他国の二千人に口止めは、不可能である。
リーザの説得で瞬間移動を諦めたものの、問題の解決にはなっていない。
「だったら、重い手かせを付けたらどうでしょう」
正司の提案が採用され、土魔法で手かせが作られた。
江戸時代の罪人のように、両手首を揃えた状態で重りをくくりつけたものだ。
魔法でガッチリ固めたものなので、かなり重い。
これならば手かせを外すことも、走って逃げることもできない。
周囲の兵に襲いかかることも不可能だろう。
一抱えもある手かせをはめられ、賊たちも観念したらしく、素直に言うことを聞いていた。
○
建物――簡易宿泊施設をすべて消し、出発してしばらく経ったときのこと。
「……ねえ、タダシ」
移動する馬車の中で、リーザが話しかけてきた。
行きと違って、やってくる魔物の数は少ない。
マップに現れた瞬間からサーチアンドデストロイを繰り返す正司には、数の多寡は関係ない話だが。
「はい、なんでしょう?」
「今朝、出発前に話があるって言ったわよね」
「そうでしたね。そういえば、聞いていませんでした」
「想定外のものが置いてあったからね。衝撃的すぎて、忘れてしまったのよ」
「なるほど……」
今のは、リーザの遠回しな嫌みである。
自重しろ、やり過ぎるな、心労をかけさせるなと、暗にほのめかしたのだが。
「なるほど、忘れていたと……リーザさんは、ウッカリなのですね」
「なっ!?」
「それにしても意外ですね。……しっかりものだと思っていたのですが、結構ウッカリなのですね」
ニコニコと、それはもう慈愛の篭もった笑みで言われたリーザは、酸欠したかのように口を開け放った。
なぜ自分が正司から「ウッカリ」と言われなければならないのか。顔はそう物語っている。
ちなみに、正司の魔道具製作であるが、魔道具が大変珍しいものであるとしっかり伝えなかった責任の一端は、たしかにリーザたちにある。
正司も魔道具が珍しいものであるのは知っている。
ただ、その「珍しさ」の認識に、リーザたちと大きな隔たりがあったりする。
というのも、正司は異世界にきてからまだ日が浅い。
凶獣の森にいたときの時間を入れても、数ヶ月である。
人里に出てからはその半分くらい。
だが、その間だけでもそれなりの数の魔道具を目にしている。
たとえばもっとも基本となる「灯り」の魔道具がそうだ。
宿屋にも小さい物がひとつ、カウンターの上に設置されていた。
リーザが住んでいたボスワンの屋敷でも、正司が来訪したとき、目にしている。
他にも、正司が通過した第二門にも魔道具らしきものが使われていたし、クリスティーナは個人で所有していた。
正司がリーザと会談した部屋でもそれらしきものはあったし、これらを総合すると、魔道具は巷に溢れているほどではないが、生活の中に溶け込んでいると正司が考えても間違いではない。
一方、リーザたちの認識は正司のそれと大きく違う。
魔道具の効果として、「人がする作業を少しだけ手助けする」というものがある。
門の開閉を楽にしたり、鍵をかけたりである。
こういったものはそれなりの値段がするので、一般庶民が手にすることはない。
正司が目にした魔道具の多くは、「魔法の延長線上にあるもの」だった。
光、風、熱、水、音を発生させたり、一瞬だけ効果を発揮させたりするものである。
これらは比較的安価で購入できるため、庶民がお金を貯めれば何とか購入できたりする。
なぜならば、これらの簡単な魔道具は、製法が確立されている。
製作には魔石が必要だし、道具のどこかに魔法陣を書き込まねばならないなど、手間がかかるが、決まった作法さえ守れば、失敗無く作ることが出来る。
正司がよく目にしたのは、そういった魔道具だ。
魔道具職人は、「職人」であって、芸術家ではない。
何年もかけて新しい魔道具を開発するよりも、同じ物を延々と作り続ける方を選ぶ。
正司が「魔道具はそれなりに普及している」と感じたのは間違っていないのだ。
一方、正司は『魔道具製作』スキルを第4段階まであげてしまった。
4段階目からオリジナルの魔道具を作成できるようになったことで、作成した魔道具の希少性は、より高まってしまった。
宝くじを数枚買って、最低金額が当たったら、「あっ、ラッキー」と思うかもしれない。
逆に高額当選したら「一生分の運を使い果たした」と考えるかもしれない。
どちらも、買った宝くじが当たったことは一緒である。
正司のオリジナル魔道具とただの普及品魔道具。
それを同じ範疇でくくってしまえば、世の魔道具職人が踊り出してしまう。
リーザたちは、そのことをちゃんと正司に説明すべきであった。
ちなみに正司が作った数十におよぶ『収納袋』や『収納鞄』であるが、リーザは受け取ることはしなかった。
さすがにそうホイホイと貰っていては、今後に差し障りが出ると考えたのである。
その思いが正司に通じたかどうかは……通じてないであろうが、その辺はリーザの矜持の問題である。
ミラベルだったら、「ありがとう、おにいちゃん」で貰ったかも知れないが。
リーザが矜持を維持するために、あの場で多大な忍耐を必要とし、朝から非常に疲れる事態に陥ったが、それを「ウッカリ」と言われてしまえば立つ瀬が無い。
リーザが罵詈雑言を飲み込んだことは、称賛に値すると言えよう。
「それでタダシ。ファファニアの……バイダル公の孫娘のことなのだけど」
「ファファニアさんって……ああ、襲われて怪我をした方ですね?」
「そう。毒を受けたと聞いたし、状態が酷いようならば、タダシが治してあげられるかしら。もちろん謝礼はバイダル公が出すと思うわ」
ここでリーザが報酬を出せば、バイダル公に「貸し」を作ることになる。
それは嫌がるだろうから、はじめからバイダル公に出させるつもりである。
「治療を受けていると聞きましたが」
「優秀な治癒魔道士と、回復魔法使いが治療にあたっているわ。けど、強力な毒と言っていたし……毒は治癒魔法でしか治らないけど、あれはかなり高度な魔法だし。もしファファニアが治らないと、バイダル公がどう動くのか予想がつかないのよ」
復讐のためには、利害関係、損得勘定を抜きにして動くかもしれない。
相手がラマ国だろうが、エルヴァル王国だろうが、戦争になるのは困る。
「分かりました。治癒魔法はあまり得意ではないのですけど、やってみます」
「ありがとう。だったら次の目的地は、バイダル公の住むウイッシュトンの町へ行くことになるけど」
やはり正司は『治癒魔法』も使えるのかと、リーザは心の中のメモに記した。
最近、正司にできないことはないのではと思い始めている。
「ウイッシュトンの町ですか。はい、私もいろいろな町に寄ってみたいですし、大丈夫です」
正司がいろんな町に行きたいと考えているのは本当だ。
次からは瞬間移動を使えばよいのだから、いまはできるだけ多くの町を訪れた方がいい。そう正司は考えている。
「よかったわ。なら、目的地は変更ね」
正司が快諾したことで、リーザもホッと胸をなで下ろした。
(これで治癒魔法も使えることは分かったけど……得意ではないようね。回復魔法よりはかなり腕が落ちるんでしょうね)
恥ずかしくて、普段はあまり言い出せないレベルなのかもしれないとリーザは考えた。
その場合、毒の治療は不可能だが、それでも正司の魔力ならば、常時発動は可能である。そして正司の知識が手助けになるかもしれない。
そう考えて、次の目的をファファニアの治療にすることを決めた。
(そうと決まれば、老公の追及からタダシを守る方法を考えなくっちゃ!)
リーザは拳をぎゅっと握りしめ、決意の瞳を浮かべた。
バイダル公から正司を守る……それは中々に難事であると思えたのだ。
(リーザ様……また、何か考えておられるのですね)
出発前、正司の部屋から出てきたリーザはひどく落ち込んでいた。
何かあったのだとライラは感じたが、主の気持ちを慮って、何も聞かなかった。
リーザの様子は元に戻り、いまは何か決意した表情をしている。
それを温かい目で見つめる護衛のライラ。
(リーザ様、頑張ってください!)
敬愛する主君が立ち直ったことで、ライラの表情もまた、明るいものとなっていた。
虚空を見つめるリーザと、それを陶酔した表情で崇めるライラ。
(お姉ちゃんたち、またよく分からないことしている……)
ミラベルはそんな二人を生温かい目で見つめていた。