026 会談と提案
ラマ国の北西に、ウォルテックの町がある。
ここは国境の町と知られ、道を北に進むとそこはバイダル領となる。
リーザはいま、ウォルテックの町にいる。
この町にもトエルザード家所有の屋敷があり、町に入るなり、そこへ向かったのだ。
宿屋を使うと、どうしても他人の目が気になるが、自家が所有する屋敷ならば問題ない。
「これをすぐに本家に届けてちょうだい。大急ぎよ」
リーザは旅の途中で書いた手紙を使用人に渡した。
「かしこまりました」
屋敷には配達専用の使用人がいる。町の情報を定期的に送っているのだ。
ここは首都ボスワンとは違い、町の規模も小さい。
正司も今回は、護衛として同じ屋敷に滞在している。
そして夜。
「会議を始めるわ」
いつものメンバーに、正司を加えた八人が食堂に会した。
使用人たちは、茶の支度を終えたあと、全員退出している。
聞き耳を立てる使用人はいない。そのような者をトエルザード家で雇うはずがない。
「先に軍を動かしたのは、バイダル公で間違いないようね。サクスの町に兵が集まったのが七日前。急に兵が膨れあがったのが七日前ってことね」
ウォルテックの町から道を進むと、バイダル領サクスの町に出る。
サクスの町に多数の兵あり。
その情報がもたらされてから、ラマ国の対応は素早かった。
すぐに首都ボスワンに連絡がとび、周辺の町からも一時的に兵が集められた。
首都からの増援が到着したのが一昨日。
現在は互いに国境の町に軍を置き、小康状態を保っている感じだ。
「バイダル軍が出てきたのはいいとして、問題は他の公家は参戦しているのかどうかですが」
「今のところ確認されていないわ。フィーネ公が動いていないことを考えると、バイダル公の独断と考えられるわね。なぜ軍を派遣したのか、原因はいまのところ謎」
バイダルはミルドラルの一公家である。
それがラマ国軍が戦えば、ライエル将軍がいなくてもバイダル軍に勝ち目はない。
ミルドラル三公のうち、ただ一公だけでラマ国に立ち向かうのは不可能なのだ。
「だとするとおかしいですな。バイダル公は厳格かつ思慮深いお方。単独で軍を派遣するなど、考えられんことですが」
アダンの言葉に、正司を除いた全員が頷く。
バイダル家はいまだ、コルドラード・バイダル老公が実権を握っている。
息子のジュラウスは四十歳。
ジュラウスはリーザの父とほぼ同年代だが、いまだ当主の座にない。
老公の補佐役に徹している。
当主のコルドラードも補佐役のジュラウスも慎重な性格をしている。
ある種向こう見ずなフィーネ公にくらべて、バイダル公家の評価は高かった。
「理由は分からないけど、いつ戦端が開かれるか分からない状況なの。そしてひとたび争えば、必ずエルヴァル王国が出てくる」
ロスフィール帝国は、いまだ内乱を終息させられずに苦労している。
領土を広げすぎたために、帝国内の兵が明らかに足らないのだ。
そこを突かれて、旧国の民たちの蜂起を許してしまった。
上がった火の手は各地に広がり、帝国は思い切った手を打てずにいるらしい。
帝国は西側へ侵攻する余裕がないというのが、一般的な認識である。
エルヴァル王国はこの機を逃さず、商売に繋げたいと考えているフシがある。
戦争や内乱は、物資を大量に消費するため、特需が期待できる。
そして戦争は何も生み出さない。破壊するだけだ。
商売人にとって、戦争はいわば巨大な顧客。長引けば長引くほど儲かる。
戦争国には、巨大なマーケットが眠っているのだ。
「戦争を回避させる良い案はないかしら」とリーザが問いかけると、アダンが手を挙げた。
「一番よいのは、バイダル軍に引いてもらうことですな。ラマ国とて、バイダル軍が引けば戦争をしようとは考えないでしょう」
正論である。だが、それが可能なのかといえば、かなり難しい。
戦う気がないならば、わざわざ兵を国境付近に派遣したりしない。
「多少目立っても、この町で情報を集めた方がいいんじゃないかな?」
意外にも次に発言したのは、カルリトであった。
日頃から陽気で、あまり物事を深く考えていないように見えるカルリトである。
意外なところから、意外な言葉が出てきたものだとみなが考えていると、カルリトは続けた。
「もし戦争になったら、同じミルドラルに属している俺たちの立場が怪しくなってくる。できるだけ早く町を脱出したいが、その前にラマ国側の情報を集めておいたほうがいいんじゃないかな」
「ラマ国側の情報? だって今回の件は、バイダル軍が動いたからでしょう?」
「いま俺たちは戦争の原因が分かっていないが、もしかするとラマ国軍は分かっているかもしれない。バイダル軍と接触すれば分かることかもしれないが、ラマ国がどこまで情報を掴んでいるかも気になる。つまり、調べて損はないと思うわけだ」
なるほどとリーザは考えた。
ラマ国がどこまで掴んでいて、何を根拠としているのか調べる価値はあると考えた。
「でも、いきなり行って聞くというのも難しいわね」
町で噂を集めることができるが、それはあくまで噂だ。
裏付けが取れない噂の信憑性は低い。甚だ怪しい流言もよく流される。
だれかが適当に思いついた話が広がったり、噂の中に敵が流した偽情報が紛れていたり、真実だったものが人の口を経ていくごとに大きく変容したりする。
とくに戦争に関する噂は、それを広める者の願望が含まれたりしてやっかいなのだ。
「でも、情報を集める価値がありそうね。問題は方法だけど……」
リーザは悩む。
トエルザード家として正式に訪問するか、秘かに情報を集めるか。
このままでは遠からず戦争になる。それだけは絶対に避けたい。
争いを止めるために使者になると言えば、無下には扱われないのではないか。
(まさか、ラマ国の方が戦争をしたがっている……のはさすがにないわね)
先に兵を集めたのはバイダル公の方だ。
説得するからと言って、ラマ国に情報開示を願った方が、後々楽ではなかろうか。
そうリーザは考えて、みなに提案してみた。
「早く情報を得るには直接聞くのがよいですな。ただし、身の危険があります」
ラマ国側の思惑次第では、拘束される可能性がある。
「……タダシ」
「はい、なんでしょうか」
「あなた、私を守れるかしら? たとえば危なくなったら、私を抱えて逃げるとか」
「逃げる……瞬間移動でいいですか?」
「ええ、もちろんよ」
「はい可能だと思います」
気負うことなく答えた正司に全員はホッと息を吐く。
正司の魔法は、何もかもすっとばして「なんとかなる」と思わせる何かがある。
それでも正司の言葉だけを信用するわけにはいかない。
「じゃあ、ちょっと練習しましょう。タダシはこっちに……アダン、私を拘束してちょうだい。位置は……テーブルの向かい側でいいわ」
「分かりました。私はいきなり拘束すればいいのですな」
「ええ、タダシはアダンが動き出したら、瞬間移動でどこでもいいから跳んでちょうだい」
「分かりました」
三人が所定の位置につき、アダンが「そういえば……」と言いかけて、急に動いた。
さすがは武人である。動きに無駄がない。
テーブルを一気に乗り越えてリーザの腕を掴む……前にリーザと正司の姿が消えた。
「うをっ!?」
アダンが伸ばした腕が空振って、そのまま前のめりに倒れる。
「き、消えた?」
ブロレンが周囲を探すが、リーザと正司の姿は見えない。
少しして二人が瞬間移動で戻ってきた。
「成功したと思ったのだけど、どうだった?」
「ええ、一瞬で目の前から消えましたな。どちらへ跳ばれたのですか?」
「気がついたら、凶獣の森の拠点にいたわ。あそこが一番戻りやすいんですって」
「それはまた遠くへ行ったものですな」
アダンはなんとも微妙な顔をした。
「でもこれで大丈夫であることが分かったわ。タダシにはいつでも瞬間移動を発動できるようにしてもらうことにする」
「二人で行かれるのですか?」
「逃げることを考えたら少ない方が便利ね。どうせ斬り結ぶわけにはいかないもの」
「なるほど、それは道理ですな。タダシどのはそれでよろしいので?」
「えっと……はい、大丈夫です」
リーザと一緒に行って、危なくなったら瞬間移動で逃げる。
死角からいきなり殺そうとして来ない限り、問題ないと答えた。
「ならば大丈夫でしょう」
リーザのように高貴な身分の者を公の場で即座に殺すとも思えない。
一瞬で発動する瞬間移動が間に合わない事態にはならないだろうとアダンは考えた。
「だったら決まりね。明日、軍の上層部にかけあって、情報を得てくるわ。たとえ知っていることがなくても、相手の言い分を聞く使者に立候補するつもり。それで戦争が回避できれば、問題ないものね」
仲介の使者に立つというのは、本来勝手にやってはいけないことだ。
だがトエルザード本家に問い合わせて、返事を待っている暇は無い。
今回の場合、優先順位を間違えてはいけない。
戦争が始まれば、それを終わらせるのに莫大な労力が必要となり、後々までしこりを残す。
ならば、多少強引でも、戦争を回避させる方がよっぽどいい。
このあと会議は、もし戦争になったときにどう動くか。
兵が屋敷を包囲した時にどう対処するのかなどが話し合われた。
そしてリーザたち以外の動き。
全員で市井の噂を集め、バラバラになった時の集合場所を決めて会議を終えた。
翌朝、リーザと正司は衣服を整えて馬車で出発した。
護衛としてアダンだけが同行している。
最初はリーザと正司だけという予定であったが、高貴な身分の者に剣を持った護衛がいないのはおかしいという意見が出て、一部作戦を見直しをしたのだ。
アダンならば何かあっても、初撃は防げる。
その間に正司が瞬間移動で逃げるという作戦に変更した。
(本当に兵士が多いですね……住民の姿はほとんど見かけませんし、いまクエストを受けるのは無理そうですね)
クエストを持った人を探しに町中を移動したいが、街角には兵が必ず立っており、あまりウロウロすると不審がられそうである。
また、無事クエストを受けられたとして、このような厳戒態勢の町中で、クエストを達成できるか微妙なところである。
護衛としてリーザに雇われている手前、あまり勝手な行動もできない。
正司はこの町でのクエスト探しを諦めることにした。
一方リーザはというと、小窓から顔を覗かせて町を見ている正司を意外な顔で見つめていた。
出会った当初はもっとオドオドしていた印象だが、今回のように軍の上層部に掛け合いにいくのにも、まったく緊張した様子がない。
交渉しだいでは敵として捕縛される可能性もある。
リーザでさえ緊張しているのだ。
(まあ、ガチガチに緊張されるよりもいいのかしら。それより集中しましょう。私の交渉次第で戦争が回避されるかもしれない。失敗は許されないわ。相手が何を望んでいるのか、落としどころがどこなのかを早い段階で見極めないとね)
リーザはやるべきことを頭の中に思い描き、集中力を高めることにした。
ラマ国軍は公共の施設を借り切って、本部を設置していた。
正司がその施設を見た感想は「区役所みたいですね」というものだった。
たしかに似たような業務が、普段ここで行われている。
リーザは身分を明かし、軍のトップに会談を申し込んだ。
ここは正念場である。
どのような対応を受けるかによって、今後の交渉内容も変化する。
まずはこちらの意を通すよう、理不尽な扱いが少しでもあれば、すぐさま指摘するつもりでいた。
だが予想に反して、すんなり中へ通された。
身分確認も何もない。一応、トエルザード家を示すものは持参してきていたが、それすら出すこともなかった。そして……。
「ただいま会議中でございます。こちらでお待ちください」
「分かったわ」
リーザは、小さな一室に通された。正司とアダンも一緒である。
アダンは剣を取り上げられなかった。
万一のことを考えて、正司が『保管庫』に予備の剣を入れてある。
「さて、どう出てくるかしら……アダン、どうしたの?」
アダンの様子がおかしい。
「護衛の身から言わせてもらいますと、これほど簡単に信用されるとは思いませんでした。少なくとも身分の確認はすべきでしょう。それがないのがどうにも腑に落ちません」
護衛隊長のアダンからしたら、正体不明の人物を懐に入れるのは怖すぎると。
「たしかにそうね。……でもこう考えたらどうかしら。すでに私の話は通っていると」
「……?」
「首都ボスワンで公主からの招待状が届いたでしょう? ラマ国はどうやってか知らないけど、私が来ていることを知ったわけね。町を出たのはもう分かっているでしょうし……」
「自国に向かうならばこの町を訪れることは予想がつきますな」
「屋敷が見張られていたのかもしれないわね。だとすると昨日の段階で軍のトップに話が伝わっていたことも考えられるわ」
もしかすると軍は軍で、リーザに仲介を頼む可能性を検討しているのかもしれない。
そう説明を受けてアダンも納得した。
「では今頃、屋敷から直接ここへ来たという話も伝わっている頃でしょうな」
バイダル軍が国境の町にいる以上、トエルザード家だけでなく、ミルドラルに属する家はすべて見張られていると見ていい。
それが分かっているからこそ、バイダル家の使用人たちは動かないだろう。
唯一動いたのが、トエルザード家というわけだ。
「そういうわけで、どっしり構えていましょう」
「そうですな」
落ち着きを取り戻したアダンは腰の剣を確認してから、ゆっくり頷いた。
部屋で待つこと一時間。
扉がノックされ、兵士が呼びに来た。
三人で向かっても構わないらしいので、兵士の後についていく。
つい今し方まで会議をやっていたのは本当らしい。
通された部屋はまだ雑然としている。
大きなテーブルにはこの周辺の地図があり、何かが話し合われた形跡があった。
リーザはわざと会議の跡を残したのではと予想した。
こちらは戦争も辞さないという意思表示だろうと。
「慌ただしくて申し訳ありませんな」
応対したのは四十代くらいの男性。
がっしりとした体つきは、歴戦の勇士を彷彿とさせる。
軍服からして相当高位であるとリーザは予想したが、頭の中で該当する人物の名前を探し当てることはできなかった。
「機会をいただきありがとうございます。トエルザード家長女のリーザ・トエルザードと申します。ふたりは私の護衛です」
「そうですか。わしはラマ国将軍ライエルじゃ。護衛の一人はやはりタダシ殿じゃったか。いつぞやはまことに助かった。あらためて礼を言うぞ」
かっかっかと高笑いをあげる四十代の男……もとい、ライエル将軍。
「礼なんてとんでもない。それにしてもお久しぶりです、ライエルさん。将軍だったんですね、そういえばどこかで聞いた名前だなと思っていたんですよ」
気さくに挨拶を返す正司の方をギギギギギギと、首だけで振り向くリーザ。
「……ッ!?」
リーザの顔がまるで般若のようだと、正司の背中が怖気立った。
リーザは素早くライエルの方を振り向き、笑顔で答えた。
「それはそれは……ウチのタダシをご贔屓にしていただき、まことにありがとうございます、ライエル将軍」
笑顔のリーザ。
アダンは護衛という名目上、リーザの隣に控えている。
横目でみたリーザの笑顔がとてもとても……それはもう、ものすごく怖い笑顔だったと後に語った。
そもそもアダンも、若返ったライエルの姿を見て、腰をぬかさんばかりに驚いたのだ。
齢八十歳を超えたと聞いていた。
足腰がたたず、ベッドに寝たきりという噂も聞こえたくらいだ。
それがどうだ。見たところ頑強そのもの。というより、年齢が合わない。まったく合わないのだ。
そこから導き出される結論はひとつ。
ライエル将軍は歳を誤魔化していた……わけでなく、正司が与えた若返りのコインのせいだろう。
この様子からすると、1枚とは思えない。
護衛という職を忘れて遠い目をするくらいには、アダンにとっても衝撃的な出来事であった。
リーザとライエルの話が始まった。
どうやらラマ国は、ミルドラルとの戦争を望んでおらず、今回の事態は不本意であるようだった。
できればこのまま戦争を回避してほしい。
それはライエルだけでなく、ラマ国公主もまた同じように考えているらしい。
「バイダル軍が国境の町に軍を派遣した理由はわしも気になっている。それまで何の兆候もなかったという話であるし、戸惑っているのはこちらも同じじゃ」
今回の進軍、リーザはミルドラルの総意でないだろうと正直に告げた。
また、できることならば戦争を回避するために動きたいと。
ライエルとリーザの思惑は一致。
話はトントン拍子に進んだ。
「ではあくまで私個人の意見として、その話を持っていきます」
「うむ……そうしてくれるとありがたい」
リーザがあからさまにラマ国の味方をするのは拙い。
あとで問題になる可能性がある。
そのため、『たまたま』ラマ国に来ていたリーザが、独自に入手した情報をバイダルに提供する。
その上で、戦争は得策ではないのでは? と話をすることに決まった。
たまたま入手した情報とはもちろん、将軍の若返りである。
バイダル軍はそのことをまだ知らない。
というよりも、正司がコインを渡してからまだ日が浅く、ラマ国の国民のほとんどが知らないことなのだ。
「ではそういうことで、私の準備ができましたら、サクスの町に向かうことにします」
「うむ。申し訳ないが、頼む」
そんな感じで会談は終了したが、リーザは終始笑顔のままだった。
というのも、雑談のおりにライエルが言った一言。
「さすがコインを10枚ぽんっと取ってこれる護衛がいるというのはうらやましいかぎりですな」
それを聞いたときのリーザの顔。
つぶらな瞳は、笑顔によって消滅している。あるのはただ一本の線のみ。
表情筋で笑っているだけなので、非常に怖い印象を正司に与えている。
「十枚ですか、それはまた……」
軍幹部への訪問を終えたリーザは着替えを済まし、もう一度会議を開いた。
今度は正司抜きである。
会議の席上、今回の軍を指揮しているのが四十代に若返ったライエル将軍であることをリーザは発表した。
「将軍が戦えるようになったのは良いニュースよ。帝国もこれでは迂闊に攻め入れられないでしょうし。ただ……」
「ラマ国が強くなりすぎますね」
ライラの懸念にリーザは頷く。
ライエルの逸話は数多く残されている。
寡兵で大軍を蹴散らしたくらいは、可愛い話である。
少数の部下を引き連れて敵の本陣を急襲した話や、将軍がひと声かけて敵軍が割れたという逸話も残されている。
剣を一振りするごとに敵の首が二つずつ飛ぶなんて話もある。
とにかく、ライエル将軍は単独でも強すぎるのだ。
そして軍を指揮する者としても非凡な才能を持っている。
常勝無敗と言われているが、ラマ国軍が精強であるのを差し引いても、とんでもない勝率をたたき出している。
個で強く集団でも強い。
ラマ国の守護神を、正司は完全復活させてしまったのだ。
「バイダル公軍の総大将は分かったかしら?」
「いえ……さすがに荒野を越えて見に行っているヒマはありませんでしたので」
「それはそうね。ではすぐに行動するとしましょう」
「えっ、もうですか?」
すぐに出発するとリーザは言い出した。
それはさすがに性急すぎると、だれもが思った。
「この町での情報収集も大事だけど、目的はもう決まったわ。そして私の役割は戦端が開かれてからでは遅い。これから発って、明日の朝にはサクスの町に到着するわよ」
「分かりました。すぐに準備します」
慌ただしく全員が動き出す。
これから向かうサクスの町は、馬車でおよそ半日。
いま出発して夜通し駆けると、ちょうど明日の朝到着する距離である。
逆に朝出発すると、夕方から夜に到着することになる。
会談の都合を考えれば、いま出た方がいいのだが、さすがに護衛たちもややあきれ顔だ。
ウォルテックの町を出発したリーザたちは、サクスの町に向かって馬車をゆっくりと走らせている。
荒野にいる魔物のグレードは1から2。
比較的グレードの低い魔物が出る地帯に道を通したのだ。
棲息する数も比較的少ないため、道をゆく限りにおいては、それほど警戒しなくてもよい。
その分、軍が展開した場合、簡単に進軍を許すことになりそうである。
「アダン、魔物の警戒より軍の斥候がいないかを注意して見ておいて」
「分かりました」
リーザは考える。
バイダル軍が国境付近に集まったからには、生半可なことでは戦争は回避できない。
説得材料はほとんどないと言える。
ライエル将軍が復活したというのは抑止力として効果あるが、この睨み合った状態ではいささか決定力にかける。
(正司からもらった巻物を渡して懐柔を試みる……そういう問題でもないわよね)
下手にでる訳にもいかないが、さりとて一方的に上から言えば、二度と会ってくれなくなる。
(いざとなったら、トエルザード家が協力しないと言って……でもフィーネ公が戦争賛成派なのよね。逆に我が家が孤立する可能性もあるわ)
非常に難しい問題だと、今さらながらに落ち込む。
傍らの正司を盗み見て、頼ろうとする気持ちを必死にリーザは押さえつける。
現状、正司はリーザの護衛として雇われているが、身内でも家臣でもない。
途中で気が変わってしまったら大変だし、何より何の契約もしていない。
(ダメ元で会談を申し込んでもうまくいかないわ。やっぱり、なぜ戦争反対派のバイダル公が軍の派遣を容認したのか。切り口はそこね)
揺れる馬車の中で、リーザは相手の言葉を想定して返答を考えてゆく。
相手を怒らせたり、こちらが自棄になったりしないよう、綱渡りの問答集を頭の中で構築していく。
「……人が大勢やってきます」
不意に正司の言葉が発せられた。
「大勢って? どこ?」
「馬車の前方……かなり先の方ですね。5kmほど離れていますけど、何百、何千って数だと思います。こちらに向かってくるようですけど」
馬車の中が静まりかえった。
リーザはもとより、ミラベルもライラも正司が言った意味を正確に理解した。
数千の人が前方からこちらにやってくる。その意味を。
「馬車を止めて!!」
リーザは絶叫した。




