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024 ラマ国出立

 宿に戻った正司は、クリミナの集落の事を考えていた。


(町のすぐ近くなのに棄民とは……クレートさんの集落もそうですが、この世界は生きるのに厳しそうですね)


 人に余裕がないのと同様に、国にも余裕がない。

 だから際限なく領土を拡張しようとせずに、「うまみ」のある村や町だけを支配したがる。


 魔物が棲む一帯があちこちにあるため、この考えは理に適っている。


 たとえば、A国とB国の国境近くに魔物の森があったとする。

 それをA国が領土主張したら、B国は諸手をあげて歓迎するだろう。


 森から魔物が出てきたらA国の責任になる。

 堂々と補償を請求すればいい。兵を派遣して魔物の数を減らせるよう、A国へ要請出来る。


 B国は何もしなくてもいい。ただ「やれ」と言うだけだ。

 なにしろそこはA国の領土なのだから。


 ではA国はどうするのか。

 森の魔物を全滅させたとしよう。かなりの被害が出たが達成できた。


(だからといって、どうにもならないんですよね……)


 時間が経てば元通りだ。魔物が湧いて、そこに棲みだす。

 それがこの世界の摂理ならば、逆らうことはできない。


 そのうちB国が「魔物をなんとかしろ」と言ってくる。

 そんな領土をA国が欲しがるだろうか。


 要らないから、B国にあげると言い出したとしよう。

 B国も要らない。そしてA国も要らない。


 結局、「どこの国にも属していない森」が誕生する。

 A国とB国の国境の間に、魔物の棲む森が存在することになる。


 ちなみに魔物が湧く領域の中にも、一切湧かない一帯ができることがある。

 薬師のクレートが住んでいた場所などがそうだ。


 あそこはエルヴァル王国から近いらしいが、どこの国にも属していない。

 ならばなぜ、あの集落を自国に組み入れないのか。


 あの地が王国の領土ならば、クレートたちは、王国が保証しているさまざまな権利を有することになる。


 聞いた話によると、どの国も、魔物の脅威から国民を守ることをうたっている。

 当たり前の話だが、「国は国民を守りませんので、自衛してください」と言われれば、何の力もない国民はまだしも、有力者たちは反発するだろう。


 有力者たちは失うものが多すぎる。

 上に陳情して改めさせるだろうし、聞き入れられなければ、政権打倒すら視野に入れる。


 自国の民を守らない軍隊はいない。

 敵が魔物だろうが、他国兵だろうが同じである。


(そう言えば私の国はどうなんでしょうね)

 ふと、正司はそんなことを思い出してしまった。


 日本は自国民を守っていると言えるのか。

 微妙なところだ。


 どちらにせよ、防衛費がかかりすぎる土地は収支としてマイナス。

 やはり欲しがらない。


 そこに貴重な地下資源が発見されたり、住民が増えたりして「うまみ」が出たら、そのとき自国に組み入れればいい。


 マイナスの土地は持っているだけで国に不利益をもたらすのだ。


(とすると、クリミナの集落はそのうち自国に組み入れられるかもしれませんね)


 集落の位置は、ボスワンの町より数百メートル登った場所にある。

 今までは不便すぎたが、いまはちゃんとした階段もある。


 人も多く住めるようになったため、「うまみ」が出てきた。

 そして大事なことだが、あの集落を自国に組み入れても国としての支出は変わらない。


 なぜならばあそこは、もともと人が住めない山の斜面だっただけで、魔物は出ない。

 町に組み込んでもまったく問題ないのである。


(そうなると国に税金を支払う必要がでてきますが、払えませんよね。そうするとまた追い出されるのでしょうか)


 もしあの集落が国に組み入れられてしまった場合、税金を支払った上で、食べていけるだけの収入が必要になってくる。


(ときどき様子を見に来た方がいいですね。このこと、忘れないようにしましょう)

 正司はそう心に留めた。




 宿に帰った正司は、おかみさんに呼ばれた。


「あんたに伝言があるよ。お貴族様の使いだろうね。明日出発するから準備を終えるようにだってさ」


「明日、出発と言っていましたか。分かりました。ありがとうございます」


 リーザからの言伝だろう。

 明日の朝この町を出発するとは、ずいぶんと急な話だ。


 貴族というのは、もっとこう、物事に時間をかけるものだと思ったのだが、どうやら違っていたらしい。


「朝に迎えが来るそうだから、ここで待っているようにだってさ」


「そうですか。短い間でしたが、ありがとうございました」

 ここは正司が異世界に来てはじめて訪れた町だ。それなりに思い入れもある。


「あんたが出て行くと、さみしくなるねえ」

 二階へ上がる正司の背後から、おかみさんのそんな声が聞こえてきた。


(何か出発を急ぐ理由があったのでしょうか……)

 正司はそんなことを考えつつ、ボスワン最後の夜を過ごすのであった。




 翌朝、正司は宿で朝食を摂った。


 荷物はすべて『保管庫』に仕舞ってあるため、手ぶらだ。

 出立の準備は完了している。


 食事を済ませたあと、正司はおかみさんと話した。

 まだ早い時間のため、他に客はいない。


 どうやら、嗜好品の酒はまだすべての宿に行き渡らないらしい。

「夜の客足は途絶えたままだよ」とおかみさんが嘆いている。


 みな夕食を終えると、さっさと部屋に戻ってしまうらしい。

 周辺の宿や食堂もみな似たり寄ったりらしく、この辺りは閑散としているという。


「やっぱり、町の人口が多いせいですか?」


「それは前からだね。今回は北からの物資が滞っちゃったんでね。……ホラ、戦争の噂があったじゃない。みな溜め込みたいのさ」


 一時期、戦争の噂のせいで町に入ってくる物資が極端に減った。

 食糧は必需品だ。すぐに公主が動いて事なきを得たが、戦争が始まるならば、貴族や有力者、商人たちも日頃よりも多くの物資を溜め込みたい。


 余力のある者が「買い」に走ったことで、いつになっても食糧の搬入量が減らない。

 嗜好品は割を食った形だ。


「ですが、入ってくる荷を増やせばいいんじゃないですか?」

 素朴な疑問だ。物がないならば沢山仕入れればいいと正司は考えた。


「こっちから売るものがないと、空荷で戻ることになるだろ? しかもここは山の中腹だ。運び入れるまでに荷運び人を雇わなきゃならない。積極的に関わろうとする商人は少ないね」


 付き合いがあり、ここに販路を持っている者がいる。

 それ以外の者が新規参入するには、山の中腹は「うまみ」が少ないのだという。


 では取り引きのある商人が供給量を増やさないのかといえば、限界まで稼働させているだろうとのこと。

 正司のいた日本とは違い、この世界は物を動かすには人手と日数がかかるのだ。


 荷車一台増やすのに最低で二人。坂の多いここでは三人が必要となる。

 そして遠くから運んでくる場合は大変だ。


 運搬速度は他の荷の中で一番足の遅いものに合わせるため、片道十日かかっても不思議ではない。

 往復を考えれば二十日だ。


 町に物資が足らないからといって、すぐに「じゃ、荷物を増やしましょう」とはならないらしい。


「多すぎても少なすぎてもいけないし……商売は難しいですね」

 それが正司の感想であった。


「よお、おはようさん。タダシ、準備できてるか?」

 宿に顔を出したのは、護衛のカルリトだ。


「おはようございます、カルリトさん。準備は終わっていますので、すぐに出発できます」


「そうか。そいつはよかった。お嬢様は支度中だ。第二門の外で落ち合うことになっている。時間はまだあるが、お嬢様を待たせるわけにはいかないしな、行けるんなら、出発するぞ」

 どうやらリーザはカルリトを先に出し、正司を呼びにきたらしい。


「そうですか。では出発しましょう。おかみさん、今までありがとうございました」

「あいよ。この町に来たら、また寄ってくれ」


「はい。ぜひ」

 正司は一礼して、カルリトとともに宿を出た。


 宿の外に馬が一頭つながれていた。カルリトのだ。


「前に乗ってくれ」

 ……と言われても、正司は馬に乗ったことがない。


「あの、カルリトさん。初めて馬に乗るのですけど」

「ん? ああ、凶獣の森出身だっけか。あそこじゃ馬は必要ねえもんな」


 納得した顔のカルリトは、正司に乗り方を説明した。

 手綱たづなを持たせ、あぶみに足をかけるよう言ったが、正司は右足をかけてしまった。


 その状態で乗ると、後ろ向きに乗ってしまう。

「おまえさん、俺と向かい合って乗りたいのか?」


 カルリトがゲラゲラ笑った。

「ああ、なるほど。意味が分かりました」


 今度はちゃんと左足をかけて乗った。

 すぐにカルリトがまたがり、馬を走らせる。


 カッカッカッと、リズムよく馬が走る。

 人が軽くジョギングするくらいの速度が出ている。


「馬に乗ると視界が高いですね、カルリトさん」


「そうか? 慣れるとあまり感じないんだけどな……それより、おまえさん。馬くらいは乗れた方がいいぞ。町中でも結構使うからな」


 すべて徒歩か馬車で移動するなら別だが、それでも今回のように必要になる場面はある。

 正司のように、馬に乗ったことのない者が旅をするのは珍しいらしい。


「そうですね。……練習しておきます」

 身体強化できるから必要ないかと思ったが、どんな場面で必要になるか分からない。

 これは今後の課題としておこうと、正司は心のメモに記した。


 町の中心部にいくと、兵をよく見かけるようになった。

「昨日もそうでしたけど、最近兵士が多いですね」


「ああ、だから出立を決めたってのもある」

 カルリトがいつになく真面目な声を出した。


「そういえば町を出る理由を伺っていませんでしたけど、何かあったんですか?」

「城から使いが来たんだ。招待状を持ってきた。晩餐会を開くから参加どうですかって書いてあったらしい」


「城から使いが来るなんて、さすがですね」

 正司がそう言ったが、カルリトの声は相当渋いものだった。


「町に入るとき、全員の素性を確認されなかっただろ?」

 そう言われて、正司は思いだした。


 町に来た目的は聞かれたが、身分を証明するようなものを提示したり、一人一人検査を受けたわけではなかった。


「たしかあの時、人員の補充と交代に来たと伝えていましたよね」

 トエルザード家が所有する屋敷がある。そこには常時十人程度が詰めている。


 十人というのは、屋敷を管理する者、警備する者を入れての人数だ。

 屋敷の規模に比べて、住んでいる人数は少ない。


 たとえば、ラマ国からトエルザード家に何か伝えることがあれば、その屋敷に伺いを立てる。


 屋敷内で処理できるものはそこで返答し、無理ならば直接本国へ使いを出すように伝えるか、屋敷の中から伝令を出すことになる。


 屋敷で働く者は、外交官の役割も担っているのだ。

 リーザたちは、その使用人たちの交代に来たと告げている。


 公家の一員であるとは名乗っていない。

 にもかかわらず、屋敷宛ではなく、リーザを名指してきたという。


 しかも公主コンジュの署名入りであるため、「いるかもしれない」というあやふやなものではない。

 現時点で、リーザが屋敷に滞在していることを確信しているのだ。


 使用人が招待状を受け取ったのち、すぐに会議が開かれた。

 結論は言わずもがな。


 ひとたび晩餐会に出席すれば、なんだかんだと理由を付けられて、町に留め置かれる。

 それでは目的が果たせない。

 ゆえに、すぐ出立することにしたのだ。


 ちなみになぜリーザの存在がバレたのか。

 間接的には、正司のせいである。


 正司はクリスティーナに、リーザから言われたことだけを告げた。

 トエルザード家の雇われ護衛であると。


 クリスティーナはもちろん、その言葉を全面的には信じない。

 大魔道士正司が護衛するのだ。


 その対象はそんじょそこらの人物ではない。

 公家に連なる者は確実。もしかすると、トエルザード公本人なのかもしれないとクリスティーナは考えた。


 そしてクリスティーナは持ち前のコネを使い、トエルザード家屋敷の周辺を調べた。

 父親にも伝え、登城を許しているトエルザード家の者にもそれとなく話を振る。


 結果分かったのは、幼い姉妹が滞在していることだった。

 複数の証言からも、それは確実と言えた。


 トエルザード家の姉妹といえば、リーザとミラベルしかいない。

 年齢も合っている。


 馬車はエルヴァル王国へと通じている南の道からやってきたことも分かった。

 リーザが王国に留学していることは突き止めてあったため、まず間違いないだろうということになった。


 それをより確かなものにするために、招待状を出したのである。


 これに関しては正司は悪くない。

 ただ、相手が悪かったとしかいいようがない。




 正司たちは、第二門の前に到着した。

 カルリトは油断なく周囲を見渡し、「こちらを見張っている者はいないな」と小さく呟いた。


 町の中は兵の姿が多かった。

 第二門を守る兵もいつもより多い。


 しばらく待っていると、ガラガラと音がして、リーザが乗った馬車が出てきた。

 隊長のアダンを筆頭に、ブロレンやセリノの姿も見える。


「タダシ、乗って!」

 馬車が止まり、中から声がかかった。


「あっ、はい」

 せかされるまま、正司はすぐに馬車に乗り込んだ。


 挨拶もすっとばしてである。

 正司が乗り込むと、すぐに馬車が出発した。


「第二門の内側も慌ただしいわ。兵が警戒しているの……町の外で何かあったのかしら」

 町を出ると決めたのは、公主にリーザの存在がバレたからであるが、それと町中にいる兵との関連はない。


 兵は何らかの命令を受けて、町中に散っている。

 かといって、何かを探している感じでもない。


「兵が町中にいるのは、民の不安を払拭するためですか?」

「よく気がついたわね、タダシ。おそらくはそう。原因は町の外にあって、外から入ってきた人たちが噂を流す前に民を安心させているのよ」


 不穏な噂が流れてから慌てて兵が取り締まりを始めると、余計不安になる。

 ならば、情報が入った時点で動いた方がいい。


 しかも兵が町中にいれば防衛上も好ましい。

 そのための措置であるとリーザは説明した。


 では町の外で何がおきているのか。

 その情報はまだリーザたちのもとに入ってきていなかった。


「この時期に出発できたのは、運が良かったのか、悪かったのか……どっちかしらね」

 リーザはそう独りごちる。


 馬車は町中を進み、北の門近くで速度を落とした。


「……お嬢様」

「アダンね。どうしたの?」


「拙いですね。検問をしています」

 アダンの言葉に、リーザは眉根を寄せた。


 物資の搬入に頼っているこの町で、検問を敷くとは穏やかではない。

 物流が滞ってしまえば、干上がるのは町民なのだから。


「緊急事態?」

「かなりの馬車がそのまま脇道へ誘導されています。誘導先で説明があるのでしょうが……いかが致しましょう」


「厳しく精査されるのは困るわ……何しろ、荷物が」

 リーザの返答にアダンは「そうでしたな」と納得した。


 正司から貰った魔物の皮や巻物、魔道具がこの馬車に積んであるのだ。

 調べられたらかなり拙い。


 といって身分を明かして検査を拒否すれば、リーザがここにいることが公主にバレてしまう。

 八方塞がりであった。


「いかが致しましょう」

「何とか名前を出さずに出られるよう、交渉しましょう」


 外国籍のリーザはこの国の民ではない。

 よほどのことがない限り、拘束力は働かない。


 逆を言えば、よほどの事が起こっていれば、リーザが身分を明かさない限り、拘束されることもある。


「アダン、ブロレンを先行させて。それと馬車の速度は限りなく落として」

「畏まりました」


 ブロレンが交渉のため先行した。すぐに兵士やブロレンに集まった。

 ブロレンが説明しているが、揉めているようだ。


 ゆっくりと進んでいた馬車だが、このままではブロレンに追いついてしまう。

 リーザは馬車を止めるか、引き返す指示を出そうとしたとき、門から四騎やってくるのが見えた。


 ここで馬車を止めたり、引き返したりすれば注目を浴びる。

 後ろ暗いことをしていると思われても仕方ない。


 だからゆっくり進んでいるのだが、そのせいで戻るタイミングを逸してしまった。

 アダンが応対に出るが、相手は四騎。


 そのうちの一騎が馬車に寄った。

「失礼します。ただいま北門を閉鎖しておりますので広場まで誘導します」


 有無を言わせない口調である。

 リーザは奥歯を噛みしめた。


 非常に拙いのである。

 リーザ本人がいることも拙いが、積み荷も拙い。


 まさか北門が閉鎖されているとは思わなかったため、馬車で出てきたのだが、こんなことならば、瞬間移動の巻物を使えば良かったかと、後悔した。


 巻物を使わなかった理由は、使用人の交代に来たという名目があったからだ。

 町に入った記録があって、出た記録がない。それはおかしいとなってしまう。


 せめて町を出る記録を残したいと考えたのである。

 リーザたちが瞬間移動の巻物を持っていることがバレれば、そのうち芋づる式に正司までたどり着いてしまうかもしれない。


 また、正司を「トエルザードの家に着くまで」という契約で雇っている。

 巻物で帰り着いてしまえば「じゃ、これで」と去っていくことも考えられた。


 十日から十五日くらいかけて、ゆっくり帰ることを考えていたのだ。

 まさか、町を出るところで躓くとは思わなかったのである。


「急いでいるのだが、何用じゃ?」

 リーザは、馬車の中から外用の言葉を放った。


 ある程度教養を身につけた者ならば、これで相手の身分が大凡理解できる。

 正司と出会った時には通用しなかったが。


「申し訳ございません。何人も通すなと将軍からのお達しですので」

 その言葉にリーザは劇的に反応した。


 馬車の中に高貴な者がいると分かっていてもその言葉。

 そして将軍からの命令。


 リーザは常勝将軍ライエルについて調べさせたが、結局噂だけしか集められなかった。

 町の封鎖を指示したということは、将軍は健在?


 ブラフということもありえるが、これだけ明確に拒絶の意志を兵が示したことを考えれば、本人の指示という可能性が高い。


(将軍はかなりの高齢で、病気とも老衰とも言われていたけど……)


 これは本格的に拙い。そうリーザは思った。

 これではリーザの名を出しても無駄かもしれない。


 ラマ国の兵は、将軍の命令ならばなんでも従う。例外はない。

 彼らは、将軍が死ねと言えば、死兵となって戦う存在だ。


 公家の子女ごときでは説き伏せられない可能性が高い。


 眉間に皺を寄せて、打開策がないかとうんうんうなるリーザに、正司は「あの……」と控えめに声を出した。


「なあに、タダシ。どうしたの?」


「もしかして、町から出られないのですか?」

「そうよ。だからかなり困っているの」


 将軍の兵に賄賂は効かない。

 出した瞬間に捕まるだろう。


 交渉に行ったブロレンが難儀するはずだとリーザは思った。

 相手が悪すぎる。


「これ、使えますか?」

 正司は『保管庫』から割り符を取り出した。


「? 割り符ね。どこでこれを?」

「戴いたものですが、町中で困ったら使うよう言われました」


「ふうん」

 リーザは、正司から受け取った割り符を、馬車の窓から差し出した。


 割り符には魔法的措置を施すため、裕福な商人や貴族くらいしか発行されない。

 簡単には手に入らないものだが、ここでどれだけ有効か分からない。


「拝見します」

 馬車から無造作に差し出された割り符を兵が受け取り、確認する。


「……ッ!! 発行が公主様!? しかも無制限!? ど、どこでこれを……って、裏書きにライエル将軍ッ! しかも本物だと」


 絶叫とともに、驚愕の気配が伝わってきた。

 兵も驚いたが、リーザも驚いた。


 割り符には、かならず条件が書かれている。

 金額の補償が一般的だ。


 弁済を請け負ったり、身元を保証したりと内容は様々で、割り符を発行した者がその範囲を決める。


 馬車の外から聞こえてきた絶叫によると、発行したのはこの国のトップである公主。

 内容は無制限の保証。割り符を持った者が国内で何をしても、その責は公主が受ける。そう書いてあるのだ。


「…………」

 あっけにとられたリーザは、反応できなかった。


「ご命令を」

 外からの言葉に、リーザはハッとする。すぐに「町を出ます」とだけ告げた。


「畏まりました」

 割り符を馬車の中に戻すと、兵たちは大急ぎで北門へ戻った。


 門が開かれ、何事もなく馬車がそこを通過した。


「………………」

 両脇に並び、馬車を見送る兵たちをアダンは呆けた顔で眺めた。


 アダンはできるだけ多くの兵を止めようと、馬車から離れたところで交渉をしていたため、詳しい内容まで把握できなかった。


 遠目で見て、馬車の中から割り符が差し出したのは知っている。

 だが、お忍びできたリーザに、ラマ国の割り符を手に入れる手段はない。


 消去法で、あの割り符を出したのが正司だと分かる。

 だが、これほど劇的な変化をもたらす割り符とはいったいいかなるものなのか。


 もの凄く知りたくない。そうアダンは思った。

 その日の休憩時間に、アダンは割り符の内容を知って、飲んでいたお茶を吹き出すのだが、そのしぶきがかかってもリーザは咎めなかった。


 ラマ国公主が発行した無制限の割り符で、裏書きにライエル将軍の名が書かれたものなど、世界にただひとつしかないだろう。




 馬車が無事、首都ボスワンから離れ、山道を下っている最中。


「ねえタダシ……その割り符について説明してくれるかしら」

 リーザの目は据わっていた。


 国内で起こったことに公主が全責任を負う。

 そんな割り符を発行すること自体、異常である。


 少なくともリーザの父、トエルザード公は、そんな割り符を発行することはない。

 あまりに危険すぎる。


 そして裏書きにあった名前。

 兵はライエル将軍の名を挙げた。


 裏書きとは、その割り符の内容を保証する人物が記すもの。

 つまり、正司が出した割り符には、公主とライエル将軍が揃って責任を取ると書いてあるのである。


 たとえば正司がラマ国で重大な過ちを犯して処刑されることが決まったとする。

 割り符によれば、その責は公主と将軍が代わりに負うことになっている。


 当然、お伺いをたてることになる。

 公主と将軍を処刑することは当然できない。


 よって正司の罪もなかったことにされる。それほど正司が持っている割り符は強力なのだ。

 門を開けさせることくらい、造作も無い。


 当面の危機が去ったことで、リーザの関心は正司に向いた。

 正司はラマ国に初めて来たと言っていた。


 ならば、つい最近その割り符を手に入れたことになる。

 少なくとも、ライエル将軍が「裏書き」している事実から、正司が将軍と会っていなければおかしい。


 将軍職にある者が、会ったこともない人物に裏書きすることなどありえない。

 しかも公主が発行した全責を保障する割り符をだ。



「なにをやらかしたのかしら?」

 とても低い声で、リーザは正司に詰め寄った。

 正司は何かを『やらかした』。それはもう明らかだ。


 正司は困った……そのため、全体をかなりぼかして語った。

 とある老人に出会ったこと、若返りたいと願ったこと。


 それを叶えるために、魔物を狩りに行ったことを正直に。


「その老人に若返りたいと言われたから、コインを取りに凶獣の森へ?」

「はい」


「それでコインを取ってきて渡したの?」

「はい」


「一応聞くけど、タダシひとりで行ったのよね」

「はい」


 正司が割り符を貰った経緯は、リーザの想像を超えていた。

 その老人とはライエル将軍のことだろう。


 年齢的にも若返りたいと願ってもおかしくない。


「ボスワンに滞在中の短い間に……私がどれだけ……あっ」

 貧血をおこし、崩れ落ちるリーザの身体を、ライラが慌てて支えた。


「リーザ様、大丈夫ですか?」

「いま……目の前が暗くなったわ」


「顔色が真っ白です、リーザ様」

「想像の埒外を目の当たりにすると、思考が追いつかなくなるものね」


「じゃ、ちょっと取ってくる」と言って、得られるものなのだろうか。

 それこそ日常的にG5の魔物を狩れるならば別だが、コインのドロップ率は果てしなく低い。


 いまG5の魔物と戦おうとするならば、エルヴァル王国内にある通称『黒の森』が一番簡単である。


 黒の森はそれほど大きくなく、高低差も少ない。ほぼ平地の森だ。

 木を伐り倒し、道も出来ている。


 昔は年に数枚のコインがそこから得られた。

 ただしそこは、G5の魔物と遭遇しやすいだけであり、倒すのはまた別。


 人的被害が馬鹿に出来ず、年に1枚取れるかどうかに変わり、いまでは数年に1枚というレベルにまで落ち込んだ。


 一説には、細道の先に広場が作ってあり、そこに軍を展開させてG5の魔物が彷徨いくるのを待っているのだという。


 200人くらい兵を常駐させていれば、たいていの魔物は狩れるので、黒の森は効率的な狩り場だと言える。


 G5の魔物が倒せない理由のひとつに、多くの兵を展開できないことが挙げられる。

 武器を振るうスペースを考えれば、10人が並べる場所を確保するだけでも大変である。


 かといって、砂漠や荒れ地に出没するG5の魔物の場合、今度は逆に開けすぎてしまっていて、他の魔物に発見されやすくなる。


 荒れ地を大勢で移動した場合、目的地に着く前に何度も戦闘をすることになる。

 複数の魔物を相手にすれば、それだけ生存率が下がる。

 安全性を考えれば、遮蔽物があった方がいいのである。


 ミルドラルの場合、北にある未開地帯の奥にG5の魔物が出没する。

 だがそこへ到達するまで、最低でも数日は移動しなくてはならない。


 多くの兵と物資を使い、コインがドロップする確率はやたらと低い。

 どう考えても、割に合わないのだ。


 それを正司は簡単にやってのける。

 それはもう冗談としか思えない話であった。


 しかも「笑えない方の冗談」である。



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[気になる点] ぼかすといっても悟られたら言ったも同然では? [一言] まあ一般人の主人公の誓いとはその程度かもしれませんね?
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