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023 棄民

「さて、今日はどうしましょうか」


 正司は無事ガババの後継者を見つけ、成功裏にクエストを終えた。

 一夜明けてすることがなくなった正司は、これからの予定を考えることにした。


 リーザから、近いうちに出立するかもしれないと言われている。

 出立すればずっと馬車で移動だ。


 正司は護衛として同行するため、好き勝手に移動することはできない。


「拠点にある薬草園がどうなったか気になりますし、今日は凶獣の森に戻りましょう」

 自由に動ける今のうちに、拠点に戻ろうと正司は考えた。


 凶獣の森にある拠点は、すでに大改築済みである。

 周囲を高い壁で囲み、魔物は入ってこれないようにしてある。


 正司があそこで暮らしていた間、草原に魔物が湧いたことはない。

 つまり、草原では魔物は湧かないことがほぼ確定している。


 何しろ魔物はいくら倒してもキリがないのだ。

 魔物が湧かない草原は、まさに願ったり叶ったりの場所なのだ。


 魔物は瘴気が凝り固まって、一定時間が経つと湧いてくる。


 森や森林には、そこに棲息する魔物が出現する。

 草原には草原に棲息する魔物。

 荒れ地、山岳地帯、沼地など、それぞれ湧き出る魔物の種類は場所によって決まっている。


 人里に出てから聞いたところ、場所にあった魔物が出現するのはこの世界では常識らしい。

 そしてもうひとつ。


 魔物が湧く場所と湧かない場所がある。

 正司が拠点としたあの平原は、魔物が湧かない場所らしい。


 つまり警戒するのは、草原の外から入ってくる魔物である。

 正司は周囲を高い塀で囲ったことで、安心して暮らせる場所になっていた。


 初心に戻るのもいい。

 そう考えて正司は、宿の一階で朝食を摂ったあと、すぐに拠点へ跳んだ。


「ここは変わりないですね」

 ぱっと見た感じ、拠点内に魔物や人間が入り込んだ形跡はない。


 正司がタンスに足を引っかけて、この世界に転がり落ちた場所は分かっている。

 あのとき、ちょうど正司の胸くらいの位置に穴が空いていた。


 もちろん、いまはもう空いていない。

 それでもいつか帰れるのではないかと正司は考えている。


 希望的観測だが、突然穴が空いたのならば、同じように突然また穴が空くことだってあるかもしれない。

 そう思うことにしている。


「それでも、日本に帰るかといえば……分かりませんね」

 突然異世界に落っこちてしまったため、日本に残してきたものはたくさんある。


 人間関係も突然切られてしまった。

 心配している人も多いだろう。


 だが最近、少しだけ思うようになったことがある。


 ――自分だけができることがここにはあるのではないか


 この世界に落ちたのは偶然としても、正司には能力がある。

 どうやら、他の人々はメニュー画面からスキルを取得することはできないらしい。


 そもそもメニュー画面が存在しないのだ。

 そのため、魔法ひとつ覚えるのも、長い時間と忍耐が必要になってくる。


 正司のように貢献値を使って……とはいかない。

 ならば、この世界で他の人ができないことを正司がした方が、より世の中の為になるのではないか。


 最近はそんな風に思うようになってきている。


 この世界に落ちた当初。

 人里に出られず、生きるのに必死だった頃に比べると、正司の心は随分と変わった。


 スキルを多く取得し、目立たず静かに生きていきたいと最初は願っていた。

 だが、今は少し違う。


 自分に何かできることがないか。

 それを考えるようになってきたのだ。


(それはそれとして、当初の目的を果たしましょうか。私自身の目的は……そのうち見つかるでしょう)


 正司は気を取り直して、周囲を見た。

 高い壁はぐるりと周囲を巡っている。


 こっそりと侵入されたら分からないが、ここには出入り口がない。

 あまりに壁が高いので、準備もなしに入ることは不可能である。


 問題は、空を飛んだり、地に潜ったりする魔法使いへの対処である。

 魔法で侵入されてしまっては、どんなに高い壁があっても意味が無い。


 侵入を感知する魔道具を作ればいいのだが、ここは凶獣の森。

 東西南北、何百キロメートルも移動したのに、森が切れなかった。


 そんな場所にだれが来るだろうかとも思ってしまう。


「来客や侵入者について考えてもしょうがありませんね。……それで薬草園はどうなったでしょうか」


 薬草園は、寝起きする建物より離れたところに作ってある。

 周囲を花壇のように囲い、他と区別している。


 薬師のクレートからもらった薬草の種を蒔いた。

 正司が作った薬草園はかなり広く、まだ十分の一程度しか使用していない。


 薬草園自体、立派すぎるしろものだが、そのうち蒔く薬草の種類と量を増やしていこうと正司は考えている。


 正司はお手製の薬草園まで行くと、若葉が並んで生えていた。

「いい状態ですね。野草と同じなので、手が掛からないのがいいです」


 背丈はまだまだだが、すでに本葉が出ている。

 このまま順調に育てば、かなりの収穫量が見込めそうである。


「ですが初年度はタネを収穫するだけにしましょうか。スキルもまだ持っていませんし、必要になるのはもっと先ですから」


 薬草の周囲に生えている雑草を抜きつつ、正司は圃場ほじょう全体の整備を行った。

 黙々と作業する正司は、腰の痛みがないことを心底喜ぶのである。


 午前中一杯、薬草園で土いじりをしたあと、持ってきたお弁当を広げる。


「午後は、どうしましょう。たまには自主的に狩りに行ってみましょうか」

 正司は以前、ライエルを若返らせるために狩り三昧の日々を送った。


 その時の素材がまだかなり余っているため、狩りをする必要はまったくない。

 あの時、当分狩りはコリゴリだと正司は思った。


 ライエルに渡したコイン十枚を得るために、朝から晩まで何日も凶獣の森に篭もったのである。嫌になっても致し方ない。

 もし次に若返りのコインが必要になったとき、また狩りに来なければならない。


 だがその時、時間的余裕があるか分からない。

 そういったときのために、若返りのコインは事前に用意しておいた方がいいと考えた。


「それだけでなく、どんなアイテムが必要になるか分かりませんしね」


 備えあれば憂い無しである。

 採取できるものは、できるだけ手に入れておこうと正司は考えた。


 若返りのコインであるが、正司は自分で使うことを躊躇っている。

 もし日本に帰ることができたとする。


 そのときたとえば十歳若返っていたらどうだろうか。

 しばらく行方不明になっていた中年男性が見つかった。ただし若者の姿になって。


 非常によろしくないと考えたのだ。

 そのため、若返りのコインは「他人用」と思うことにしていた。


 他人に使う場合に気をつけるのは、若返りを本当に欲している場合である。

 老衰間近の人から依頼されたとき、残された時間が少ないことも考えられる。


 狩りに行っている間に亡くなることも考えられた。

 持っていて損はないので、時間のあるときに積極的に集めておくべきであろう。


「ではさっそく……」

 スキル『気配遮断』を使ったあと、正司はG5の出没する場所へ跳んだ。




 その日の夕方、正司は疲れた身体を引きずって、ラマ国首都ボスワンの町に戻った。

 町内への帰還は、袋小路の一番奥。だれもこない場所を選んでいる。


「結局、若返りのコインは出ませんでしたね」


 出たコインはたったの一枚。それも魔力増強であった。

 今回は惨敗である。


 前回行かなかった場所を選んだら、G4の魔物がやや多かった。

 地図の空白部分を埋めながらの移動狩りだったため、成果がいまひとつだった。


「そういえば私の魔力は尽きたことがないですね。どうしてでしょう」

 かなりの魔力を使ったこともあるが、魔力切れを起こしたことはない。


 自分のことなのに、まだまだ分からないことだらけである。

(魔力増強のコインは余っていますので、足りなくなったときに使えばいいんですけど、本当に不思議ですね)


 そんなことを思いつつ細道を通り、宿に戻った。

「ただいま戻りました」


「おかえり。夕食はどうするんだい?」

「食べます。お腹ぺこぺこです」


「だったら適当に座りな。すぐ持っていくよ」

「ありがとうございます」


 宿の一階は閑散としている。

 日も暮れて、周囲は暗くなっているにもかかわらずだ。


 みな今日は、早いうちに食事を終えてしまったようだ。


「おかみさん、今日は人が少ないですね」

「酒が切れてね。この辺一帯はみんなそんな感じだね」


「この辺一帯?」

「ここはラマ国の首都とはいえ、嗜好品はだいたいいつも品薄なのさ」


 食糧は他の町からの搬入に頼っている。

 そのとき、嗜好品は後回しにされることが多いと宿のおかみさんは言った。


「……それだと戦争のとき、籠城できないですよね」


「ある程度は自給できているからね。それと、城の中にはかなりの備蓄があるはずだよ。どのくらいあるのか、あたしたちは知らないけど」

「ああそうか、それはそうですよね」


 食糧を他からの搬入に頼っているならば、戦争時の食糧不足にすぐ思い至る。

 ならば対策は万全であろう。


「でもお酒が切れたのって……」


「必需品を優先する場合があってね、そういうときは酒なんかは後回しになる。といっても、少量でもちゃんと入ってくるんだ。ただもうちょっといい宿や、酒場の方に回っちまうから、あたしんとこなんかは、後回しになるって寸法だね」


 宿で成り立っているのだから、少しくらい遅れてもいいだろうということらしい。

 酒場は死活問題となるため、仕入れは優先される。それでも量は少ないので、協力して乗り切っていくのだという。


 実際、酒場に酒がないと、客が暴れることもあるらしい。

 酒を飲みに来て、ただの水と果実の絞り汁しか出ないのでは、暴れたくもなるだろう。


「ありがとうございました。ごちそうさまでした」

「おお、綺麗に食べたね。明日もどこかにいくのかい?」


「明日は……部屋でゆっくりしているかもしれません」

「そうかい。昼食が必要だったら早めにいっとくれ。準備があるからね」

「分かりました」


 正司は部屋に戻ってすぐに就寝した。

 とても疲れた一日だったのだ。




 その翌朝。

「あ~、よく寝た」


 清々しい朝日が部屋に差し込み、正司は早朝から目を覚ました。


「さて、今日はどうしましょうか」

 正司は健康になったことで、疲れを翌日に持ち越さなくなった。


 これは嬉しい誤算である。

 前はどうやっても疲れが取れなかった。


 正司は昨日と同じように階下で朝食を摂り、部屋に戻った。

 スキルの確認と検証をしたくなったのだ。


 現在、残り貢献値は1である。

 甚だ心許ない。


 この町にきて『魔道具製作』や『巻物製作』を取得した。

 生産系を伸ばしていきたいので、選択自体に後悔はない。


 だが残りの貢献値が少ないと、イザというときに心配である。

 そして取得したいスキルはまだまだ多く、貢献値だけが足らない状況となっている。


「本当にままならないものですね」

 そう嘆きつつ、正司はメニューから『状態』を開いた。



   土宮 正司 30歳 男

   心体傷病弱 なし

   HP/MP 100/120


   所持スキル

  5段階:〈気配遮断〉〈魔力増量〉〈魔法効果増大〉〈移動魔法〉〈回復魔法〉〈火魔法〉

     〈土魔法〉〈身体強化〉〈革制作〉〈気配察知〉〈水魔法〉

  4段階:〈魔道具製作〉

  3段階:〈筋力増量〉〈スタミナ増量〉〈敏捷増量〉〈器用増量〉〈治癒魔法〉〈巻物製作〉

  無段階:〈上流語〉〈品定〉〈暗視〉〈共通語〉〈シュテール語〉

      残り貢献値1



 これからどのスキルを伸ばしていくか。

 方向性はいろいろある。


「やはり取得するならば生産系がいいのですけど、次々手を伸ばしても、意味がないですかね」


 現在3段階の〈治癒魔法〉をあと1段階あげるだけで、心に余裕ができる。

〈治癒魔法〉は病気治療に使えるため、難病にかかった人を治すこともできる。


 似たようなスキルで〈ポーション作成〉や〈生薬作成〉があり、これも気になっている。

 1段階でも取得すれば、スキルの説明が出てくるので使いたいところだ。


 貴重な貢献値である。ただスキル解説を読むために使用するのは、どうにももったいない。

 1段階だと使える能力もそれほど高くなく、市井の中でも同程度の実力を持つひとたちが店を開いている。


「〈錬金術〉〈防具製作〉〈武器製作〉あたりは心惹かれますね」

 武器や防具の材料となる鉄については、土魔法でなんとかなると正司は考えている。


〈錬金術〉は、武具製作と同じカテゴリとなっている。

 さすがに銀を金に変えるものではないだろうが、金属や鉱石を扱うのではないかと予想できる。


 これらのスキルはどれかひとつでも取得してみたいと思うものの、いまの正司には必要ないものばかりである。


 また、こういった製作系は、低い段階ではあまり意味がなく、それこそ3段階、4段階まであげるべきである。


「とすると、後回しですね」

 貢献値が少ない今、諦めざるを得ない。


「そういえばクエストが楽になるスキルは、ないのでしょうか」

 ふと呟いたその言葉が、とても名案に思えた。


 微妙なマップ表示を改善したり、クエストを探すようなものはないだろうか。

 そういったスキルを探したが、少なくともいま表示されている中にはなかった。


 ちなみにクエストを成功させても、もらえる貢献値は1のみ。

 連続クエストでは倍の2もらえるが、それでも欲しいスキルに比べて甚だ少ない。


 もらえる貢献値が不変であるならば、やはり倹約しつつ、やりくりしていくしかない。


「スキル名から中身が類推できそうなものと、できないものがありますね」

 類推できるものも多いが、まったく使い方が分からないものもある。


 たとえば、〈霊視〉というスキル。

 この世界には魂やそれに類する「考え」があるのかもしれない。

 魔物がいるのだから幽霊がいても構わない。


 だが、スキルで霊が見えたらどうだというのか。

「殺された人の幽霊が見える……とか?」


 そうすると、人が死ぬと幽霊となってその場に留まることになる。

 やはり何か違うのではと正司は思うのである。ちなみに〈霊視〉は無段階だった。


 付近の無段階スキルを見てみると、〈登攀とうはん〉〈水泳〉〈無心〉〈覚醒〉などである。

 よって〈霊視〉も肉体や精神に関わる部類のスキルだと判断できる。


(〈無心〉は慌てたり、緊張しなくなるようなスキルでしょうか。〈覚醒〉は秘めた力が目覚める……訳ないですね。無段階ですし、眠くならないとか、いつでも好きな時間に起きられるとか、そういうスキルでしょう)


 正司は時間をかけてスキルを眺めつつ、これから取得したいスキルや伸ばしていきたいスキルを記憶した。

 貢献値は足りないが、希望を持つのは自由である。すると……。


 ――コンコン


 扉がノックされた。

 だれだろうと思っていると、部屋の外から「あんたにお客さんだよ」と声が聞こえた。


「はい。いま行きます」

 声は、宿のおかみさんだった。


(私にお客ですか。リーザさんの使いが来たのかな?)


 一階に下りていくと、見知らぬ女性が正司を待っていた。

「あの……どちらさまで?」


 年の頃は20代半ば。正司より若い。

 化粧っ気のない顔立ちに、質素な服を着ている。


 厚手の服であるが、着古したパジャマのようにしか見えない。


 この時点で、リーザの使いという線は消えた。

 少なくとも、もう少しマシに見える人物を寄越してくるはずである。


「わたしは、クリミナといいます。タダシさまでよろしいでしょうか」

「はい……私がタダシです」


 どうやら向こうも初対面らしい。

 尋ねてきたわりに正司の顔を知らない。


 クリミナはお世辞にも裕福な生活をしているようには見えない。

 食うや食わずの生活をしている知り合いといえば……。


「どなたから私のことをお聞きに?」

「ワブル院長先生です」


 正司は「あ~、やっぱり」と思った。

 この町で自分のことを知っている人は少ない。そして外見から予想できてしまった。


 クリミナは続けた。

「孤児院が新しく建て替えになったと聞いて、話を伺いにいったのです。そうしたら本当に立派になっていて、ビックリしてしまいました」


「できればその話はあまり……」


「そうでしたか。すみません……わたしが行ったとき、ちょうど親方のカールさまが来られていて、院長先生だけでなく、カールさまからもお話を伺いました」


「それっていつのことです?」

「昨日です。それで困っていることがあると話したら、タダシさまでしたら力になってくれるかもとカールさまが仰って、手紙をしたためてくれたのです」


 昨日正司は、一日のほとんどを拠点で過ごした。

 その間に院長のワブルとカールは、クリミナと会ったらしい。


 正司は、クリミナが差し出した手紙を受け取った。

 カールの筆跡は知らないが、偽物ではないだろう。


(イヤリングの通信機からは何の連絡もなかったけど……)


 正司は、携帯電話を使うようになって長い。

 用事があればすぐに携帯電話で連絡するクセがついているが、この世界は違う。


 身分が高くなればなるほど、相手の予定を大事にする。

 お伺いを立てずに訪問することはありえない。


 そして魔道具での連絡など、初めてのことである。

 実はカールは遠慮して、正司に連絡できなかったのだ。


 手紙を書いて、本人に直接行ってもらったほうがまだマシと考えたのである。


 正司は手紙を読んだ。

 やはりというか、手紙には独特の書式があった。


(こういうのは、苦手なんですよね……)


 時候の挨拶と簡単な近況を知らせる一文が最初に書いてあった。

 といっても一昨日会ったばかりであるので、ただの様式美なのだと正司は判断した。


 手紙は続く。

 カールの近況のあとに、こちらの近況をそれとなく伺うような文章が並んでいた。


(日本の書式に似ていますが、それよりも面倒くさいですね)


 手紙を読み進めるものの、中々本題に入らない。

 半分焦れてきたところで、ようやく核心の文面が目に入ってきた。


 手紙の内容を要約するとこうだ。


 クリミナは壁の斜面に住んでいる。

 そこには町に住めない貧しい者たちが固まって暮らしている。


 孤児院出身の者も何人かいるので、斜面の集落については院長のワブルもよく知っている。


 どうやら最近、斜面の一部が崩れて、今まで利用していた階段が使えなくなってしまったらしい。

 いまは階段を使わず、斜面の溝を伝って下りている状況らしい。


 生活が不便だけでなく、かなり危険なので、土魔法で『階段』を作ってもらえないだろうか。


 そんな内容であった。

 もちろんクリミナは困っている。だが。クエストマークはない。


「いいですよ。今日はとくに予定もありませんので、階段を作りましょう」

 だからといって、正司は断るつもりもない。


「ありがとうございます……ですが、わたしたちは貧しくて、あまりお支払いできるものがありません……」


「大丈夫です。お代は戴きません。安心してください」

「よろしいのでしょうか。高名な魔道士様と伺いましたが……」


「私にもできることとできないことがあります。できることはお手伝いさせてください。さあ、行きましょう」


「ありがとうございます!」


 クエストマークがついてなくても、問題ない。

 それは正司の本心であった。


 ちなみに、あまり大っぴらに「何でも依頼を引き受けます」としないのは、クエストが発生しないとできないことが多いからだ。

 とくに失せ物、失せ人などはマップに導かれない限り、探すことは難しい。


 そして正司は改めてクリミナを見た。

 化粧をまったくしていない顔だが、目鼻立ちはハッキリしている。


 スッピン美人の部類に入るだろう。

(こういう女性の方が好感が持てますね)


 化粧を塗りたくったり、香水をまぶしたりする女性よりも、正司は素顔のままの女性に親近感を抱いた。


 もちろんこれは恋ではない。

 ただ、好感が持てる。それだけである。


 それだけでも、「手を貸そう」と正司が思うのに、十分な理由であった。


「場所が分かりませんので、案内してもらえますか」

「はい、タダシさま」


 正司はクリミナをともなって、宿を出た。




「……なるほど、そこは町の外という認識なので、税金を支払う必要がないのですね」

 道中、正司はクリミナからいろいろな話を聞いた。


 クリミナは、この町よりもっと高い場所に住んでいた。

 急な斜面をかなり登らないと辿り着けないのだという。


 ただしそこは町の外として扱われ、何の保護もないかわりに町税を支払わなくていいことになっている。


「それにしても、今日は兵が多いですね」

 町を歩くと、兵士たちをそこかしこで見かける。


「そうですね。普段はこんなことはないのですけど……何かあったのでしょうか」

 クリミナは斜面に住んでいるが、普段はこの町まで下りて来て、手間仕事をしているという。


 それで僅かな収入を得ては、集落の人たちの食糧を買って帰るのである。


「兵たちも切羽詰まった様子ではありませんし、たまたまでしょうか」

 別段何かを探しているとか、走り回っているという雰囲気ではない。


 ただ、よく見かけるのである。

 不思議に思いながらも、正司はクリミナの先導で、その斜面がある場所まで歩いた。


「ここを登るのですか?」

 正司は、これから登る斜面を見上げた。まるで崖である。


「この隙間に足を挟み入れながら、両手で壁を掴んで上がっていきます。本当はもっと先に細い階段があったのですが、崩れてしまいまして……」


 クリミナの説明に、正司は呆れてしまった。

 岩の出っ張りに足をかけながら、登っていくような感じである。


 命綱がなければ危険。

 そんな場所をクリミナが登ろうとしていた。


「クリミナさん、待ってください。先に私が目的地まで行ってきます。場所が分かれば階段はすぐに作れますから」


「えっと……はい?」

 クリミナはよく分かっていないようだった。


 正司は身体強化を施して、斜面をかけあがった。

「ええっ!?」


 下の方で驚く声が聞こえた。

 正司はそのまま速度を落とさず、数百メートル上の集落まで一気に駆け上がった。


(ここがそうですか。あばら家ばかりが並んでいますね。それと崖側に柵もなにもない)


 カールが正司に手紙を書いたのもよく分かった。

 ここら辺は大きな岩が多く、シャベルで階段を掘るのは不可能なのだ。


(えーっと、クリミナさんがいるのはあそこですね。ここから手すりつきの階段を付ければいいですね)


 正司は土魔法で斜面を削り、階段を作りながら降りていった。

「…………」


 下まで到達すると、クリミナが目をまんまるに見開いたまま固まっていた。

 魔法を初めて見たのかもしれないと正司は考えた。


「階段が出来ました。これでいいと思うのですが、どうでしょう?」


「す……すごいです。こんなに早く、これほど立派なものができるなんて、想像していませんでした。やはりすごい魔道士様だったのですね!」


「魔法は人と比べたことがありませんので……とりあえず、上にどうぞ」

 正司はクリミナを伴って、階段を上がった。


 集落に住んでいたのは30人ほど。

 しかもほとんどが老人である。


 若い者もいるが、魔物に襲われて身体の一部が欠損したり、重度の火傷跡が残っている者だった。


 なんでこんな危険なところにと思ったが、彼らは働けないのだ。

 働けないから、税金が払えない。税金が払えないから、町に住めない。


「私たちは棄民きみんなのです」

 伏し目がちにクリミナが言った。


 棄民――彼らは、ラマ国から捨てられた民であった。


 魔物がいるこの世界では、日本のようにどこへ行っても安全というようなことはない。

 ちょっとしたことで命を落とす。


 魔物は全滅させてもそのうち湧いてくる。

 完全に駆除しても意味がないのだ。


 定住するためには、魔物が湧かない一帯を探すしかない。そこに町を作るのだ。

 そのような場所は、探せば数多く見つかるが、ただそこに住めばよい訳ではない。


 他の集落と行き来……つまり交流ができなければ住み続けられない。

 だが、通行する場所はもちろん魔物が出没する。


 危険な場所は兵に守らせるわけだが、あまりに数が多いと兵の維持費だけで国が潰れてしまう。


 結局のところ、採算が取れる町だけにした方が、国としても助かるのだ。


「でもここに住むのは危険ではないのですか?」

「選べる立場ではありませんので……それに町から離れると行き来ができませんから」


 クリミナは町まで働きに出て僅かな給金を貰っては食糧を買って帰る。

 そんな者がこの集落を支えているのだという。


「大変ですね」

 正司は、おもわずそう言ってしまった。


「それでも働けない人たちは、だれかが手を差し伸べないと、そのまま死んでしまいますので」

 国は、そのような人を全員救済する余裕がないらしい。


 クリミナが言うには、ボスワンの町はもう最大まで膨らんでいるという。

「そういえば昨日も、お酒が入ってこないって言っていましたね」


 入ってくる荷にも限界がある。

 人が生きていくのに不可欠な食糧を優先しているため、他のものは品不足になっている。


 これを何とかしようと思っても、そう簡単にはいかない。

 町に人が多すぎて、キャパシティをオーバーしかけているからだ。


 ゆえに、いろんなものが足りなくなっている。

 すべてを十全に揃えるのはかなり難しい。


 クリミナの話を聞いて、正司は現状を分かりやすく考えてみた。


(一万人収容可能なスタジアムがあるとして、いま一万五千人収容している。五年後一万六千人に増えたが、まだ大丈夫だった。その五年後、一万八千人に増えてしまった。千人を棄民として放出したが、まだ多い)


 一万人のところを一万七千人収容して、騙し騙しやっているのがいまのボスワン。

 これがあと何年かしたら、またもとの一万八千人に増えるだろう。


 そうしたら増えた千人分は捨てなければならない。

 そんなことを繰り返しながらギリギリの状態で町が運営されている感じだ。


 今の人数はただ分かりやすく出しただけなので、実際に住んでいる人はもっと多い。

 正司は「棄民は可哀想だ。もっとちゃんと受け入れろ」と言ったところで、どうにもならない事情を悟った。


「……とりあえず、怪我をしている人を治しましょう。この場所、この家々はかなり危険ですので、洞窟を作ってその中で暮らすようにしませんか?」


「……えっと?」

 これは完全に正司のお節介である。頼まれていないことだ。


 だが、腕や足がなくて寝たきりの人たちを見て、何もしないという選択肢はなかった。

 正司は全員に〈回復魔法〉と〈治療魔法〉をかけて、次々と怪我や病気を治していった。


 そして崖に半ばはみ出るようにして建っている家の横に洞窟を掘り、中を改造して部屋を作った。

 気分は昔ファンタジー映画で見た洞窟住居である。


「できましたが、外から見ると穴だらけの壁に見えますね」

 途中からマンションをイメージして階層を重ねていったのが原因だろうか。


「タダシさま……これは」

「生活環境を改善しようとしたら、こんな感じになってしまいました。住むのは洞窟の中ですが、前より安全ですし、快適ですよ」


 まっすぐで長い洞窟を一本つくり、その左右に部屋を作っていく。

 整然とした蟻の巣のような感じである。


 家族で住むことを考えて三部屋ずつ、一本の洞窟に八所帯、入れるようにした。

 そんな洞窟を二十本ほど作ってみたのだ。


「便利になればこれから先、人がどんどん増えてくるでしょう。力のない人がここを追い出されないためにも、少し多めに作っておきました」


 正司は300人くらいは住めると試算したが、それは日本人の感覚。

 クリミナは1000人くらい収容できるのでは? と足下から震えがのぼってきた。


 1000人がここで暮らせるならば、それはもはや一大勢力である。

 これは、「新しい村」ができたのに等しいとクリミナは考えた。


 一方、正司はというと、「これでいいのだろうか」と頭を悩ませていた。

 住居はできた。場所は洞窟の中だが、あの危険なあばら家よりかなりマシである。


 階段は手すりがついたので、行き来も問題ない。

 ボスワンの町へ出稼ぎに行くのもかなり楽になったはずだ。


(できれば、ここで作業できるような環境を作りたいんですよね)


 怪我や病気を治したことで、働ける人が増えた。

 だが半数は老人のため、階段の上り下りにも苦労する年齢だ。


 そんな彼らにも恒常的な職が与えられないだろうか。

 正司はそんなことを考えた。


(自立するための支援は、かなり難しいと聞いたことがあります)

 本人のやる気や、とりまく環境で、画一的な方法論が使えない。


 その場所や、その人に合った方策を考え出さねば、継続できないのである。


 今回の場合、高齢の老人たちが自分で生活できるような環境作りが必要である。

 長い階段を上り下りすることなくできる仕事。

 それを正司は考えていた。


(日本ならば内職なんですけど、この世界は大量生産、大量消費する発想はない感じですし、さてどうすれば……)


 洞窟の家が出来たことで喜ぶ集落の住人たち。

 正司にお礼を言いつつ、あばら家にあったものを洞窟の中へ移動させていく。

 引っ越しである。


 その様子を眺めていた正司は、とある物に目を留めた。

「これは、手提げ袋ですね。生地はなんですか?」


 日本だとエコバッグとかトートバッグと言われる袋である。

 繊維を十字に編み込んで頑丈に作ってある。


「エルダの木の皮で作ったものです。この周辺に生えているので手に入れやすいのです」

 老人たちが手すさびに作ったものだとクリミナは説明した。


「なるほど……これは売れないのですか?」


 このような袋はいくらあっても困るものではない。

 店に買い取ってもらうか、露天で売ったらどうかと正司は提案した。


「売れると思います。売ったことはないですけど」

 商売として考えたことはないが、この手の物は雑貨屋で売っているので、売ろうと思えば、可能だろうと。


 どうやらクリミナたちは、積極的に商いをするイメージが持てないでいるらしい。

 雑貨屋で買うのは高いから自作しよう。そこまでは発想できる。


 それを一歩進めて、「これは出来がいいから、売ってみよう」とはならないようだ。

「このような物が他にあるのでしょうか」


 正司は家人に断ってから、家の中を見て回った。

 すると、いくつかは商売になりそうなものが出てきた。


「この木彫りの人形とかも、精巧ですね。そうか……長年の技なのですね」

 ここにいる老人たちは、もとは何かの職についていた。


 その経験があるからこそ、ちょっとした小物くらいならば、自作できたりするのである。


 今から手に職をつけるのは年齢的に難しいだろう。

 だが、今ある能力を活用すれば、僅かながらでも、収入に結びつくものが作れるのではないだろうか。


 なにも芸術品でなければいけないというわけではない。

 生活に必要なもの、あると便利なもの、そして生活に必要ではないけど、眺めたり、飾ったりするものなどを作ってみるのはどうだろうか。


 正司はそう提案してみた。

「この集落のみなさんが協力すれば、町で売ることも可能でしょう。ご老人方でヒマをもてあましているような人が作ってみるのはどうでしょう」


 上から「これをやりましょう」と一方的に言うのではなく、いまできる能力がある人が、できる範囲でやってみる。

 そのフォローは若い人たちがしつつ技術を継承してもいい。


 老人と若者がともに稼ぐのもひとつの方法ではないか。

「それはいい考えですね」


 思い立ったからといって、明日からすぐに収益があがるものではないが、試してみるのもいいと、クリミナが賛成した。


「わたしも余裕ができますので、お仕事を多めに入れることができます。主人の怪我もタダシさまが治してくれましたので、わたしたち夫婦でできることも増えました。今の話を広めて、実現できるようがんばってみます」


 にっこりと笑顔で話すクリミナ。

(既婚者でしたか……)


 ややガッカリする正司であった。


 クリミナの夫は鉱山労働者だったが、落石で片足を潰してしまい、町を出ざるを得なくなったらしい。

 夫婦で町を出て、この集落に合流した。


 クリミナはここで夫を支えつつ、日銭を稼ぐためにあの危険な道を往復していたらしい。


 なんにせよ、正司の始まってもない恋は、すぐに潰えてしまった。


「それは良かったですね」

 笑顔で返す正司だが、内心は落ち込んでいたのであった。



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