021 義賊の継承
カールから報酬を尋ねられた正司は、逆に困ってしまった。
正司にとって一番の報酬は貢献値である。
今回の場合、貢献値を得るには、カールではなくクリスティーナの依頼を達成させなければならない。
それはすなわち、『ラマの夜明け』を継いでくれる人物を探し出すことである。
カールの所に来たのも、白線に導かれてである。
(このクエスト、カールさんの人脈を利用しろということですよね)
情報屋としてのコネで最適な人物を教えてもらえばいい。それが報酬でどうだろうか。
そう考えた正司は、早速交渉に入ることにした。
「それではカールさん。今から私の言うことは、他言無用です。決して吹聴してほしくありません」
真面目な顔の正司に、カールも神妙に頷く。
「心得ていますよ、タダシさん。これでもいっぱしの情報屋です。外に出してよい情報とそうでないものは、しっかりと線引きができています。タダシさんが口外するなと言うのでしたら、必ず守ります」
「ありがとうございます。それでは少々迂遠ですが、『ラマの夜明け』という集団をご存じですか?」
突然話題が変わったので、カールは虚を突かれた顔をした。
それでも心当たりがあったらしく、ゆっくりと頷いた。
「この町で出所不明の物資を配っている集団ですね。実際に受け取ったことがある人から、直接話を聞いたこともあります」
「そうですか。それではある程度知っているものとして、お話します」
さすがカールは情報屋だけのことがあり、『ラマの夜明け』の噂だけでなく、裏取りまでしていたらしい。
もっとも、クリスティーナに言わせると、悪人から奪った物資を配って回るのはついでらしいが。
いまカールが出所不明と言っていたが、それらの物資はエルヴァル王国が送り込んできた商会のものである。
カールの口ぶりからすると、やはり奪われた物資は存在し、それを市井に配って回っていることも事実であることが分かった。
そして「それはウチから盗まれたものだ」と名乗り上げた者はいないらしい。
これはどういうことか。
クリスティーナが襲わせた商人は、自ら「後ろ暗いことがある」と白状しているようなものである。
もし名乗り上げた場合、それが本当に自分たちのものか証明する必要がある。
仕入れ帳簿や売買の記録を調べられるのはもちろんのこと、実際にどこに保管していて、いつ、どのように奪われたのかも話さなければならない。
だが、それをすると裏でやってきたことがバレる可能性がある。
その場合、本人や商会ばかりでなく、背後にいるもっと大きな存在――エルヴァル王国の息がかかっていることまで露見する可能性があった。
奪われた物資と王国の信用。天秤にかける必要もない。
名乗り出るはずがないのである。
この辺りの事はクリスティーナも重々承知しており、倉庫を襲撃するという手段を取っている。
情報屋カールですら「出所不明の物資」というのだから、クリスティーナの思惑通りなのだろう。
ちなみに奪った物資のうち、先祖伝来の品を奪われた者もいる。
そういった品は、ちゃんと本人のもとへ返されている。
それらもまた、自分たちが騙されたと声高に触れて回らないかぎり、表にでることはない。
結局の所、義賊『ラマの夜明け』の活動が表に出ることはないのである。
こういった裏の事情を知っている正司は、「情報屋でも、詳細は掴めていないのですか。さすがクリスティーナさんです」と感心し、「やはりクリスティーナさんの言葉に嘘はなかったのですね」と安堵した。
正司は意識を切り替えて、カールに向き直った。
「その『ラマの夜明け』と金貸しガババは、関係あります。……というか、同一人物なのです」
「……ッ!?」
カールは一瞬驚いた顔をしたものの、思い当たる事があったのか、すぐに納得する。
「たしかに金貸しガババの目的や行動は謎でした。ですが、ときどき町を騒がす義賊と同一人物だったのは……なるほど私が探っても、出てこないわけです」
「というわけで、ここまでお話したのはカールさんにお代の話をしたかったからです」
「……分かりました。覚悟はできております。今の情報に見合う代価というわけですね」
「戴きたいのは代価といいますか、情報といいますか……カールさんには、金貸しガババの後継者を探してほしいのです」
正司の言葉に、カールは「?」という表情を浮かべた。
「後継者が行方不明なのですか?」
「いえ、違います。とある事情で、金貸し業と義賊を続けられなくなります。そこで、いまの仕事をそっくりそのまま引き継いでもらえる人を探してほしいのです」
正司の言葉に、カールは正直面食らった。
カールが思うに、金貸しも義賊もかなり大きな仕事である。部下も大勢いると予想していた。
それの後継者ならば、わざわざ外から探さなくても、部下の中から優秀な者を選べばいいのではないか。
もちろんカールはそんなことを思っても口にしない。
相手だって百も承知なのだ。それでも敢えて後継者を探してほしいと言ってきているのである。
「それは難問ですね」
金貸しと義賊を継げる者……つまり、当代は顔が割れたか、誰かの恨みをかったか。
理由は分からないが、続けられなくなったというのは本当だろう。
話を聞くだけでも危険な仕事である。
おいそれと紹介するわけにもいかない。
しばらくカールは、腕を組んで考えた。
正司のいう後継者になり得そうな人物を頭の中で思い浮かべては、次々と消していく。
これは思った以上に難問だった。
すべてに合格点をあげられそうな人物は、カールの知る限り一人しかいない。
「どうでしょうか」
正司は聞いてきた。
そこからカールがたっぷり十数える時間を使って考え、ついに結論を出した。
「分かりました。ただ一人だけ心当たりがあります」
正司の顔が輝いた。やはりマップの示した道は正しかったのだと。
クエストクリアまでもうすぐかもしれない。
正司は勢い込んで聞いた。
「どなたです? すぐに会える方でしょうか」
「それは、私です。いまのお話を聞いて、後継者となりうるのは、私しか思いつきませんでした。他ならぬタダシさんが求めているのです。もしよければ、私が引き受けたいと思います」
そう宣言するカールに、今度は正司の方が面食らった。
カールは荷運びのとりまとめという表の仕事だけでなく、情報屋という裏の仕事も持っている。
その上、金貸しと義賊の親玉という仕事まで加えて大丈夫なのだろうかと考えた。
(いや、これはもしかすると……)
これは名案かもしれないと、正司は思い直した。
クリスティーナが求めている人材は、金貸しと義賊というだけではない。
根本の所には、エルヴァル王国が水面下で戦争を仕掛けてきている事があげられる。
王国の企みを阻止し、反撃を加えるために情報を集める必要がある。
クリスティーナは城で情報収集をしていた。
引っかかる話を聞くと、ガババの姿に扮し被害を受けた貴族たちに近づいた。
そこでもっと詳細な情報を集め、市井に住む部下たちに商会の拠点を探させている。
ある意味、それはカールの得意とするところではなかろうか。
上流階級のツテはないだろうが、その辺はカールの持つ多くのコネで得ればいい。
どちらにせよ、ガババに変装するのだから、性別、出自、年齢は関係ない。
「……そうですね。カールさんならば適任かもしれません。引き受けてもらえますか?」
「タダシさんの期待は裏切れませんよ」
「ありがとうございます。私だけで決めていいものではありませんので、この話を先方に持っていくことにします。それで許可が出ましたら、さらに詳しい話ができるかと思います」
「分かりました。そのように取り計らい下さい」
「ありがとうございます。では後ほど」
そう言って正司は、カールの元を辞した。
『マップ』の白線はもう、別の場所に繋がっていた。
(この白線の先は、おそらくクリスティーナさんのところでしょう)
正司は人の目のないところまで進むと、瞬間移動でガババを最初に見つけた屋敷まで跳んだ。
翌日の早朝、正司はカールの元を再び訪れた。
今日も屈強な荷運び人たちが上半身裸で、作業をしている。
「これはタダシさん、ようこそいらっしゃいました」
「こんにちは、カールさん。昨日の話ですけど、先方と話がついたので、ご報告に参りました」
「もうですか? 随分と早かったですね」
「ええ、どうやら先方もカールさんのことは知っていたらしく、話がスムーズに進んだ感じです」
昨日正司がクリスティーナのもとを訪れ、後継者としてカールを紹介した。
驚いたことに、クリスティーナはかなり詳しい部分までカールのことを知っていた。
この町の荷運び人をとりまとめているのがカールであり、山の中腹にあるこの町では、荷運び人の需要は高い。
カールはある意味、有名人である。
だが、クリスティーナが知っていたのはそれだけではない。
裏の情報屋についても理解していたのだ。
というのも、エルヴァル王国に繋がる商会の情報を集めるにあたり、クリスティーナは何度か部下をカールのもとに派遣して、情報を得ていたのである。
上流階級だけでなく、市井の情報もしっかりと扱わないとクリスティーナの仕事は全うできない。
その意味では、カールはクリスティーナの眼鏡に適う相手だったのである。
「金貸しガババに見知ってもらえていたとは、それは嬉しいですね」
そうカールは正司に微笑みかけた。
矜持をもって情報屋として活動しているカールにとって、義賊に気に入られることは褒め言葉なのだろう。
「早速ですが、今から時間があるでしょうか。よければこのまま会いに行きたいのですけど」
「今からですか? 分かりました。配下の者に引き継ぎをしてきます。急用で出ることはしょっちゅうなので、問題ありませんよ」
正司が外で待っていると、すべての準備を終えたカールが出てきた。
「引き継ぎが終わりました。今日一日は、ここを空けても問題ありません」
「ありがとうございます。それではいきましょう」
「はい。……それでどこへですか? 馬車でしたら裏にありますけど」
ラマ国の首都ボスワンは、山の中腹にあるとはいえ、横に長い。
馬車を使わねば、一時間やそこらは歩くこともザラである。
「いえ、馬車は目立つので使いません。こちらへ……」
正司は人気のいない方角へカールを誘う。
訝しみながらも、カールがついてくる。
すでに馬車が入れないほどの細道であり、その先は行き止まりだ。
「この先は袋小路ですけれども……?」
もはやこの小道には誰もいない。
正司は念のため、周囲を探った。
「大丈夫のようです。では行きますね」
正司は昨日の屋敷に跳んだ。
「ここはっ!?」
「義賊『ラマの夜明け』の本拠地……のひとつですね」
「なんと!? 瞬間移動ですか。それはまた……」
カールが驚いている。
さすがに取り乱すことはないが、市井の者であるカールは、魔法や魔道具についてそれほど知識を持っているわけではない。
それでも瞬間移動が、相当珍しい魔法であることは知っている。
やはり正司はただ者ではないとカールは再確認した。
「ここは二階です。階下へ行きましょう。本人が待っています」
正司に連れられて、カールも階段を下りる。
一階の大部屋にいたのは、先日正司が述べた外見の人物――金貸しガババが立っていた。
「初めましてであるな。私がガババである」
だみ声のガババに、カールはハッとして頭を下げた。
「町で荷運び業を営んでおります、カールと申します」
カールはガババのことを貴族か、それに類する人物だと思っている。
何しろ、市井でいくら情報を集めようとも、ガババの姿どころか、噂すらほとんど出てこないのである。
そして貴族や商人に金を貸すほどのコネと資金力を持っていることからも、ただの市民ではありえないと思っていた。
そしてもちろん商人でもない。
「堅苦しい挨拶は不要だ。そして私は情報屋としてのお主のこともよく知っておる。何度も利用させてもらったからな」
「もったいないお言葉でございます」
カールは恐縮することしきりである。
「ではいま少し親交を深めようではないか」
この時点でクリスティーナは、カールを大凡信頼できる人間だと考えていた。
正司が話を持ってきた時点で、カールについて悪い噂はなかったからだ。
それでもだめ押しとばかりに、こうして変装した状態で会っている。
そこから二時間ほど、ガババとカールはこの国のこと、経済のこと、市井に住む人々のこと、そしてエルヴァル王国の事などを話し合った。
ガババが確認したかったのは、カールの知識ではない。
カールがこの国に対してどんな感情を持っているのか。王国のイメージはどんなものなのかである。
公主の娘として教育を受けてきたクリスティーナは、多くの物事に対して理解がある。
一方カールもまた、情報屋という職業ゆえ、様々なものに精通している。
たった二時間の会話だったが、双方がとても有意義な時間だったと思えるものになった。
正司はそれを黙って聞いている。
この国に来てまだ日の浅い正司は、知らないことだらけであり、こちらもまた、有意義な時間を過ごすことができた。
「……さてカールよ。今から話すことは秘中の秘。決して他言するでないぞ」
「はい。心得ております」
神妙な顔で頷くカール。
ガババは正司の方を一度見てから、そっと胸のペンダントに触れた。
嵌まっている石をゆっくりと回すと、石の裏側が現れる。
今までガマガエルのような容姿だったものが消え、その下から美しい女性が現れた。
「えっ!? えっええっ? クリスティーナ姫?」
カールはもちろんクリスティーナの顔を知っていた。
だからこそ驚いたとも言える。
なぜ金貸しガババの下から、この国の公主の娘クリスティーナが現れたのか。
「驚くのも無理はありません。私はずっと魔道具によって姿を変えておりました。驚かせることができて良かったです」
そう言って、クリスティーナはウインクした。
「ま、まさかクリスティーナ姫が……金貸しガババですか?」
「そうですね。その辺のところを含めて、いまからお話ししたいと思います」
さっきまでの会話とは違い、今度はクリスティーナが一方的に話した。
クリスティーナの話は、正司が聞いたものとほとんど変わらない。
一部はより具体的な話になっている。
エルヴァル王国の謀略に対してどのように反撃したのかなど、つらつらと語ったのである。
休憩を挟まず、約二時間。クリスティーナは話し通した。
「そんなことが行われていたのは、気付きませんでした」
すべてを聞き終えたカールの正直な感想である。
いかにカールが情報屋とはいえ、王国商人はそういった人物の目を欺こうと行動している。
的を絞って調査でもしない限り、なかなか手に入る情報ではない。
「かような理由で、いまだ王国からの攻撃は続いているのです。ですが、座して蹂躙を待つつもりはありません。わが国に手を出すのが割に合わないと思わせるまで、反撃をやめたくないのです」
反撃……クリスティーナはそう言った。
王国から派遣された商会に対して過剰ともいえる反撃を行っている。
クリスティーナも過剰だと分かっているのだろう。だが止めない。
ラマ国を守るために必要だと考えている風だった。
カールはそのことに気付きながらも、沈黙を守った。
王国から派遣された商人たちは、詐欺などを除けば、明確にラマ国の法を犯していないとカールは感じた。
もっとも小さな違反はそれこそ数知れないが、そこまで厳密に取り締まれるものでもない。
クリスティーナが何を危険視しているのか。
それは言葉巧みに近づいて、相手を信用させてから騙す。その手口である。
騙す方は悪いが、騙される方にも一定の思慮深さが求められる。
騙し騙された……これは当事者同士で解決する問題だ。だが……。
「借金で雁字搦めにしたあとで、何を要求してきたのでしょう」
「わが国の秘した情報を流すこと、市民を扇動すること。戦争になったときに町の門を開けさせること、そして父に嘘の情報を囁くことだそうです」
「…………」
あまりにやり方が汚い。
言うことを聞かなければ破産させると脅した上で、強引に寝返らせるつもりなのだ。
最初に情報を渡した時点でもう引き返せなくなる。
あとはいいように操られるだけ。
これはもう戦争を仕掛けているとしか思えない。
カールはそう思ったし、クリスティーナも同じ考えだろう。
だからこそ、苛烈なまでの反撃を加えているのだ。
「事前に潰すことはできないのですか?」
「難しいですね。なかなか尻尾を出しませんので、いまもこうしているうちに新たな刺客が侵入してきているかもしれません」
うまく役割分担ができているようで、全体像を掴むのに時間がかかるのだという。
そして困った人物には、また別の者がしたり顔で近づく。
これまた信用すれば泥沼に嵌まるがごとくであり、気がついたら身動きがとれなくなるのが通例らしい。
破産するか、一家離散するか、それとも王国に情報を売り、走狗となって国を裏切るのかを選ばせる。
だからこそタチが悪く、物理的にたたき出すしか方法がないというのが、クリスティーナの言い分である。
「姫は再来月、嫁がれると発表がありましたが」
「そうなのです。私はクロヴィルの町へ行かねばなりません。そこで後継者が必要なのです」
これまで他者に依存せずにやってきたクリスティーナには、腹心と呼べる者はいない。
部下は多数いるが、それらは王国の野望を阻止する過程で助けた市井の民たちである。
彼らはガババ(と信じている者)の言うことをよく聞く反面、謀には向いていない。
クリスティーナのように考え、自分の判断で動ける人材が必要なのである。
加えて、王国がどのような手段を取ってくるのか、不透明である。
手や品を変えてやってくる。
それにいち早く気付き、手遅れになる前に陰謀を潰せる頭脳を持つ者が後継者にふさわしい。
贅沢をいえば、それらに加えて必要なのは胆力であろうか。
これから先、王国が本腰を入れたとき、多くの修羅場が待っているとクリスティーナは予想している。
今回正司が連れてきたカールは、かなり優良な人材であるといえる。
「委細分かりました。私は情報屋を始めた理由もまた、似たようなものです。この国、この町を他の者に好きにさせない。そのための自衛として、外から入ってくる情報を集めていたのですから」
ボスワンの町には、出入り口が二つしか無い。
両方とも急勾配という、カールにとってお誂え向きの場所である。
商人や貴族たちはどうしても荷運び人に頼らざるを得なく、カールの知らない内に町に入れる者はほとんどいない。
唯一の例外が、正司がドーピングさせたリーザたちの馬車であるが、あれはあれで目立ってしまった。
つまり、カールが本気で情報を集めようとすれば、この町に出入りする者のほとんどは、チェック可能である。
「では、やってくれますか」
「仰せのままに。私の全能力をもって、事に当たりたいと思います」
「引き受けてくれてありがとう。期待します」
「こちらこそ」
それはクリスティーナにしろ、カールにしろ、願ってもないことだった。
「では具体的な話に入りたいのですけど、タダシに何やらよい案があるとか」
ここでようやく正司に話が振られた。
いままで正司が黙っていたのは、事はクリスティーナとカールの問題であり、自分はカールを連れてきた者という立場であったからである。
ではなぜクリスティーナがここで正司に話を振ったのか。
実は昨日、カールを後継者に推したときに、正司はひとつ提案したのである。
「私がいろいろ考えた結果、このまま引き継ぎしても『よい結果』にならないのではないかと思いました」
「良い結果にならないとは?」
「ガババになるにはその魔道具が必要です。それを発動すれば私でもガババになることができます。ですが、演じている本人が別人になった場合、本当に気付かれないでしょうか」
正司はそれを懸念した。
この変身の魔道具は、外見だけでなく声音も変えることができる。
だが、些細な表情の変化や、受け答え、語尾のあるなしで、微妙な不信感をもたれるのではないかと考えた。
そこで昨日、クリスティーナにこう提案したのである。
もし明日後継者が決まりましたら、私からひとつ提案させていただきたい事がございます。もちろん、良い話ですと。
クリスティーナは正司の提案の中身を知らない。
早ければ、翌日には知ることができるのだし、後継者が決まらなければ、その提案も無駄になる。
「それではタダシの話を聞きましょう」
「ありがとうございます。まず私が懸念していることをお話しさせてください。人物の入れ替えを上手く行うには、事前の引き継ぎがなにより大事だと考えます。そしてクリスティーナ様とカールさんは今日はじめて親しく会話をしただけの関係。長年の友人知人でも、互いのことをすべて知るのは難しいものです。ほぼ初対面同士の間柄で、果たして上手く引き継ぎできるのでしょうか」
正司が営業マン時代、顧客の引き継ぎは当然行われた。
元の営業マンと一緒に挨拶に赴き、顔と名前を覚えてもらう。
あとは自分の努力のみであった。
顧客資料を読み込み、これまでの取り引き資料に目を通し、前任者に分からないことを質問する。
引き継ぎがそれで済むのは、前任者がまだ同じ部署にいるからであった。
何かのついでに分からないことは聞けるのである。
今回の場合、クリスティーナは遠い町へ行ってしまう。
カールが困ったときにアドバイスできる立場にいないのだ。
「タダシの懸念はもっともです。それは私も考えました。まだ猶予は二ヶ月あることですし、私がガババになったときの動きや口調を真似る練習をしてもらおうかと考えています」
「はい。それは必要でしょう。ですがほかに、クリスティーナ様がガババになったときに話した内容や、ガババの姿で会った人物もいるでしょう。向こうが知っているのに、こっちがまったく知らないのでは、やはり都合が悪いと思ったのです」
「それは……たしかにそうですが、仕方ないのでは?」
「ですので先の懸念に対し、クリスティーナ様とカールさんが、いつでも連絡を取れるようにしたらどうかと言うのが、私の提案でございます」
「そのようなこと……私がこの町を離れるから後継者をお願いしたのですよ。この町に何度も戻ることは難しいと思います」
「ああいえ、通信の魔道具で何とかできないかなと思いまして、自作してみました」
正司は『保管庫』から小さなイヤリングを取り出した。
イヤリングといっても、爪の先ほどの点でしかない。大きさにして数ミリメートル。
石は魔石のようだが、それにしては小さい。
あまりに小さいそれをみて、クリスティーナもカールもいぶかしげな表情を浮かべる。
「これが通信のイヤリングでございます。耳たぶに近づけると、勝手に張り付きます。試してみて下さい。ああ、一応小さくても耳だと目立ちますので、耳の裏の方がいいと思います」
言われた通り、クリスティーナたちはイヤリングを耳の裏に張り付ける。
「通信の魔道具ですので、小声で大丈夫です。『アクセスナンバー』というのが共通の起動ワードとなります。実は私もひとつすでにつけているのです。私は1番、クリスティーナ様は2番、カールさんは3番が振り分けられています。たとえば、『アクセスナンバー2』」
〈クリスティーナさん、聞こえますか〉
「!? 聞こえます! いまのはタダシの声ですね」
正司が小声で喋ったので、すぐ近くにいたカールですら正司の声は聞こえていない。
「クリスティーナ様も起動してみてください。小声で構いません。『アクセスナンバー1』と唱えれば私に通じます」
「で、では……『アクセスナンバー1』」
〈タダシ、聞こえています?〉
〈はい。聞こえています〉
「――ッ!!」
返事があったことにクリスティーナは驚いた。
一方カールは、まったく聞こえていないので首を傾げている。
「カールさんもクリスティーナ様と通信をしてみてください。私がカールさんと繋げますので、カールさんは私とも繋げてください。そうすると三者同時にやりとりができます」
言われるままにカールは、クリスティーナと正司に通信を試みる。
最初は驚いていたが、カールもすぐに慣れた。
その後は三人でひそひそ話に花が咲いた。
「言い忘れていましたが、通信を遮断するときは、『アクセスアウト』です。それですべての通信が切れます」
「アクセスナンバーと、アクセスアウトですか。す、すごい魔道具ですね。タダシさんは自作したと仰っていましたが……」
「はい。魔石が余っていたので、何かできないかなと思いつつ、頭を捻りました。あんな大きかった魔石がこんなに小さくなるなんて、驚きですね」
正司が『魔道具製作』のスキルで作ると、魔石が数十分の一に縮んでしまった。
理由は分からないが、魔石の大きさが変わることもあるだろうと正司は思ったが、話を聞いたクリスティーナとカールは「こだわるところはそこじゃない」と内心悲鳴をあげた。
未知かつ、あまりに実用的な魔道具なのだ。
魔石の大きさ以外に何か話すことは無いのか? そう言いたい気分だった。
実は昨日、正司は貢献値4を使って、『魔道具制作』を4段階目まで上げていた。
4段階目まであげると、オリジナルの魔道具が制作できるようになる。
これで正司のもつ貢献値は再びゼロである。
それでも段階を上げた価値があったと正司は思った。
「町を離れても、いつでも連絡がつきます」
これで問題のひとつは解決ですねと、正司は笑顔で言った。