019 不審な屋敷
「金貸しガババ? 聞いたことない名前ね」
食事が終わり、その流れで和やかな会談ムードになったときに、正司は思い切って質問してみた。
「金持ち相手にお金を融通する人らしいです。聞いたことがないですか」
リーザは首を横に振る。
この町に来て日が浅いリーザは、金貸しガババの噂は届いていなかったと正司は判断した。
「その金貸しだけど、タダシに何か関係あるの?」
「いえ、噂を小耳に挟んだだけですので、私は何も」
「そう……他家は分からないけど、トエルザード家はそういう人からお金を借りたりしないもの。たぶん、使用人に聞いても分からないと思うわ」
「そうですか。ちょっとした興味だけでしたので、忘れて下さい」
「考えてみたら、そういう人は他国人にお金を貸さないんじゃないかしら。国に戻ったら返ってこない可能性もあるし、国を超えての請求はしづらいでしょう」
「ああ、そういう懸念もありますね」
「この国の有力者か名士、ちゃんとした商売基盤をもった商人、それと特権階級の人たちならば顧客になりえるわね」
「たしかにその通りかもしれません」
リーザの指摘は正しい。
安心してお金を貸せる相手は、この国に根ざした人物。
そこで正司は、ひとりの人物を思い浮かべた。
(若返った老人……ライエルさんでしたっけ。あの人なら知っているかもしれないですね)
帰りにライエルの家に寄ってみようと正司は考えた。
正司があっさりと引き下がったため、リーザはそれ以上突っ込んで聞くことはしなかった。
だが、内心はものすごく泡だっていた。
正司にわずかでも借りを返しておきたい。
それでもリーザは、正司と金貸しを結びつけるのに抵抗を感じた。
――金が必要ならば、自分を頼ればいい
リーザはそう考えている。
だからなるべく平静を装って、そっけない態度を貫いたのだ。
そこからは他愛のない雑談が続いた。
正司がなぜ金貸しの話題を振ってきたのかリーザは気になっていた。
正司が金貸しを気にする理由はひとつしかない。
リーザが渡したお金では賄えない大金が必要になったとしか思えない。
「ひょっとして、この町に屋敷を買って住むの?」
そう喉元まで出かかった話題をリーザは慌てて飲み込んだ。
先のことは分からないが、正司はトエルザード家まで護衛してくれることになっている。
ここで藪をつつく必要はないのだ。
そう考えたリーザは、なるべく金貸しどころか、この町のことやお金にまつわる話題を避けるようにした。
そのため、会話の流れが何度も不自然に曲げられ、かなり緊張のはらむ雑談となった。
食後の歓談も終わり、正司はリーザの元を辞する。
「それでは今日はごちそうさまでした。とても美味しかったです」
「そう? タダシから買った肉には負けると思うけど……」
グレードの低い肉は、リーザが館に到着したときに使用人へ提供してある。
だが、G4やG5の肉はさすがに渡すことはできない。
使用人の目がないところで、護衛たちが焼いて処理しているのである。
とても美味しいお肉であり、食すとわずかながらも力が上がる。
そんな最高級肉であるが、処理する量は膨大である。
屋敷の者に不審に思われないように三度の食事も摂っている。
ある意味それは、涙ぐましい努力といえた。
「それでは私はこれで失礼します」
「情勢が変わったら、すぐに町を出ることになるかもしれないから、その時は使いを出すわ」
「分かりました。宿にも一言、伝えておきます」
正司は一礼すると、その場を後にした。
○
正司が辞したあと、リーザの部屋にミラベルと護衛たちが集まった。
「使用人に聞かれている様子はないわよね」
「大丈夫です。風の魔術で確認しました」
ブロレンの言葉にリーザは頷いた。
「だったらいいわ。なぜ集まってもらったか、分かるわよね」
全員が頷いたので、リーザはホッとした表情をする。
リーザが正司と夕食を摂っている間、残りの者は使用人から噂を集めていた。
この家の者たちがどこまで正司について把握しているのか、調査をしていたのだ。
「それで、どうだったの?」
「大丈夫です。なんら不審な様子はありませんでした」
真っ先に答えたのは護衛の中で一番寡黙なセリノである。
お調子者のカルリトは、噂をバラまくのに適している。
無口でクールなセリノの場合、黙っているだけで情報が集まってくる。
彼が知りたい事をそっと囁くだけで、彼の歓心を買おうと、多くの女性が知っていることを洗いざらい話してくれるのである。
セリノが言うには、使用人たちの態度は至って普通。
正司のことは、旅の途中で雇った「魔術使い」と考えているらしかった。
今日、リーザが直接正司の対応をした事に関しては、「なんでそんな人物に雇い主が?」と不思議に思う程だったという。
屋敷の使用人は町中へ出歩くことも多く、そこから情報を集めることを常にしている。
それがトエルザード家のため。そう訓練されているのだ。
そんな使用人たちが正司を特別警戒していない。
これは朗報だった。
「そう。だったらいいわ。さすがに私たちが町の噂を集めにまわる訳にもいかないしね」
正司は「大丈夫、何もしていない」と言うが、あれだけ迂闊なことをポンポンとしでかす男である。
本人が知らないところで大いに噂が広がっていることもあり得る。
だが、リーザたちが噂を躍起になって消そうとしたり、コソコソと集めて回ったりすれば、嫌でも目立つ。
痛くない腹を探られないためにも、不審な行動は避けたいのである。
「それで私たちが戴いた魔道具ですけど……」
ブロレンがおずおずと切り出した。
正司が置いていった大量の魔道具。
リーザにとっても護衛たちにとっても頭の痛い問題である。
「そうね、その話が残っていたわ。さて、どうすればいいと思う?」
魔道具には相場がある。相場が……一応、あるにはある。
ただ、これくらいオリジナルな魔道具になると、そんなものはアテにならない。
くれるというのだから貰っておけと考えるのは容易い。
だが、あとで他の有力者に知れると、甚だ面倒なことになる。
「かの家はまったく恩知らずですな。どうです、ウチに来ませんか? あなたの功績にたっぷりと報いますよ」
このような勧誘をかけてくるならまだ可愛い方で、「あんな恩知らずたちに国の舵取りを任せるわけにはいかない。我々とともに打倒しましょう」と叛乱を誘ってくることも考えられる。
もしくは正司が魔道具の価値を知って、自分たちと距離をおくことだってあるかもしれない。
どちらにせよ、高価な物をもらって何も返さないのはよくない。
「巻物に加えて、全員分の魔道具でしょ……ミラベルはどうすればいいと思う?」
「お姉ちゃんに加えて、わたしもお嫁に行った方がいいのかな?」
「ミラベル、あなた……」
弱冠10歳の妹がそこまで考えたのかと愕然とするも、ミラベルにとってリーザが嫁ぐのは確定事項なのねと、諦観した笑いしかおきなかった。
なぜ妹がそう考えたのかといえば、正司から与えられたものがそれだけ大きいだけでなく、今後のことも加味したからであろう。
「お姉ちゃんとわたしなら、お兄ちゃんを追い落とそうとする勢力が現れても大丈夫でしょ」
「ミラベル……」
「それにわたし、自分の子供が魔道士になったら嬉しいな」
「…………」
この先を見据えまくった発言をするのが自分の妹という事実に、リーザはやるせない気持ちになった。
正司とリーザが結婚した場合、魔道士の優秀さに目をつけた者たちが暗躍する可能性はある。
とくにこの先、トエルザード家の運営について、弟のルノリーが綱渡りを強いられることも確定している。
トエルザード家は、港経由でロスフィール帝国と取り引きしている。
帝国は絶断山脈の反対側とはいえ、さまざまな政治的情勢と無関係でもいられない。
というか、少ない交易先であるため、帝国の影響をもろに受ける。
帝国で内乱が終息すれば、取り引きが増大するものの、軍事的脅威が増す。
反対に、内乱が拡大すれば思わぬ損害を出すことにもなりかねない。
正司がいれば、その辺をすべて吹っ飛ばして魔法で解決してくれたりしそうではある。
だが正司がそんなことをすれば、リーザをトエルザード家の当主に担ぎ上げようとする勢力が必ず出てくる。
強大な帝国が内乱であれほど疲弊しているのである。
家を割って内乱など、願い下げである。
……が、得てして一度動き出すと止まらないのが陰謀だったりする。
リーザとミラベルが正司に嫁げば、どちらを担ぎ上げようかと、的を絞り込めなくなることも理解できる。
ミラベルは直感的にその辺をすべて理解した上で、自分も嫁いだ方がいいと考えているのだ。
その政治センスが恐ろしいとリーザは思った。
リーザは、ミラベルには恋愛結婚してもらいたいとも思っている。
好きでもない男のもとへ嫁ぐ必要はないのだ。
そこまで考えて、「いや、待てよ」と考えなおした。
これまでミラベルが好意を寄せた相手はだれだったのか。
「出入り商人のクラッドさん、家庭教師のスッド先生、お抱え芸術家のミトガルさん……」
これらはリーザの留学中に、ミラベルから来た手紙に書いてあった名前である。
とても好意的に書いてあった名前だ。
いずれも高齢だったり、身分が低かったり、容姿が微妙だったりするのだが、三人に共通するものがあった。
ミラベルはこの三人から、よく「もの」をもらうのである。
商人からはめずらしいものを、家庭教師からは甘いお菓子を、そして芸術家からはお手製の小物をもらったと手紙に書いてくる。
「ねえ、ミラベル。あなたまさかタダシのこと……」
「うん、好きだよ」
「…………」
正司のこと、「物がもらえるから好きって言うんじゃないでしょうね」と聞こうとして、寸前で止めた。
リーザは頭痛を押さえるように額に手をやり、大きく息を吸い込んだとき。
「コホン……それはそうと、巻物どころか魔道具までとは、なんとも引き出しの多い御仁ですな」
アダンが話題を変えた。
「そうよ、それなのよ! ねえ、ブロレン。あなたはこの中で唯一の魔法使いよね。正司のようなことって、可能なの?」
リーザは不思議でしょうがない。
あんなことが普通にできるならば、国内でも二人や三人、正司みたいな人物がいてもおかしくないのだ。
だがついぞ見たことがないし、他国でも聞いたことがない。
それはどういうことか? 単純に、出来る人がいないのだ。
「いやー、凄い魔法ですな」とか「正司殿には驚かされますな」で済まされない話だ。
何しろ、「実は他にも持っていました」という技能が、世間に影響を与えすぎるレベルで出てくるのである。
「現実的には不可能だと思うのですが、実際にやっている以上、可能だったという他はない……感じでしょうか」
ひとつのことを極めんとして、いまだ道半ばであるブロレンからしたら、正司の魔法は化け物のたぐいである。
現代日本でいえば、漫画家で大成しているのに、医学博士の免状を取って、さらにアニメーターでもあるようなものだ。
多芸にも程があるだろと叫びたい気分である。
「前に出来ることをすべて聞き出したわね。やっぱりもう一度締め上げた方がいいのかしら?」
「何か隠している風にも感じましたし、それは止めた方が……」
慌ててブロレンが止めに入る。
「分かっているわ。分かっているのだけど……ねえ、アダンはそう思わない?」
「私ですか? 私は怖くて聞けませんな。知らない方が幸せなこともあると知ったばかりですから」
「うっ、そうね。……知らなかったら、こんなに悩む必要もなかったのだけど」
なまじ知ってしまったがために、こうして頭を抱えるハメになっている。
「まあ、あの御仁は深く考えてねえみたいですし、こっちもそれでいいんじゃないですかね」
打って変わって、気楽な発言をしたのはカルリトである。
皮が余っていたので巻物を作ったとばかり、百巻も置いていった。
訪ねるのに手ぶらだとアレだからと、魔道具を土産にした。
たしかに正司にとって、あれらはどうってことない行為なのだろう。
だが、リーザたちにとっては、そうでない。重すぎるのである。
つまり、と思考が堂々巡りする。
「あー、もう。どうすればいいのかしらっ!」
結局この日も遅くまで会議を続けるものの、結論はでないままであった。
○
一方、リーザの元を去った正司は、宿に戻ることはせず、先日の道を進んでいた。
ライエルの家に赴くためである。
「瞬間移動で家の中に出るのは拙いですよね。でも、門番に何て言って入れてもらいましょう」
瞬間移動や気配遮断を使うのはさすがに拙いと、今さらながらに正司は気付いたのである。
気付くのが遅過ぎると言われそうだが、あの時はクエストマークが出ていた。
クエストを成功させるため、何の面識もない相手にどう話を切り出そうか。
困っていることがあるはずで、それをどう聞きだそうか。そればかりを考えていた。
「つまり緊急避難だったわけです。でも今はもう違います。ちゃんと正面から訪ねるつもりですから問題ありません」
そんな都合の良い独り言を呟きつつ歩いていると、『マップ』に黄色の三角、つまりクエストマークが出現した。
「おや? クエストマークがこっちに向かってきますね」
せっかくこっちにやって来るのだ。
正司は声をかけようと辺りを探る。だが、細道のどこを探しても、それらしい人影はない。
(……どこにもいませんね)
それなのにクエストマークは、正司の方に近づいてくる。
だが、どんなに目を凝らしても、その姿を見ることができなかった。
『マップ』を確認し、もう一度周囲を探る。
そこで正司はあることに気がついた。
(移動がおかしいですね。木や壁を通り抜けています)
まさか幽霊? と思ったが、幽霊でもクエストをくれるならば話しかけてみる価値がある。
そんな風に思っていると、とうとう正司のすぐ近くを通り過ぎてしまった。
(どういうことでしょう? ……ひょっとして、地下ですか?)
クエストマークの移動には、規則性があった。
ずっと直線を進んでいた。そして一度だけ、ほぼ直角に曲がった。
これは通路があって、それに沿って人が移動しているのだと正司は考えた。
ならば地下しかない。そう結論づけるのにさほど時間は掛からなかった。
(地下通路ですか。気になりますし、追ってみましょう)
先ほどの自重はどこへいったのだろうか。
正司は左右を見回し、人の姿がないことを確認してから『気配遮断』を使った。
すると自分が小さな点になり、気配が拡散したように感じられた。
(これでいいですね。見失わないよう注意しながら追いかけましょう)
クエストマークの人物は、道に沿って進まない。
追いかける正司はその都度、建物を大回りしながら進むことになる。
(……ようやく止まりましたか)
いまだ気配遮断中である。
クエストマークは、とある大きな家の中で止まった。
ここが最終目的地のようだ。
そこは周囲と比べて、とても古い建物だった。
庭は広い。生け垣もそれなりにあって立派な屋敷のように見えるが、どうにも古い。
孤児院に比べればかなりマシだが、築年数で言えば、こっちの方がよっぽど古いだろう。
空き家独特の寂れた感が漂っていた。
(ここは放棄された家……ですか?)
正司は気配を遮断したまま生け垣を乗り越え、庭に着地する。
一階の窓はすべて閉まっており、中から鍵が掛けられていた。
やはり空き家だと正司は思ったが、そうすると空き家に地下からやってくるのは何者だということになる。
正面に回ると、いかにも立て付けの悪そうな玄関扉があった。
音を立てれば、どんなに気配を消しても気付かれてしまう。
(クエストマークも気になりますが、何より、地下を移動するなど普通ではありません。確認だけでもしてみましょう。でも一階はすべて施錠済みのようですし、二階ですか)
身体強化をかけてから、二階のバルコニーに向かって跳躍する。
建物は古いものの、造りは良いらしく、二階部分はかなり頑丈にできている。
正司がバルコニーに降り立っても、揺れることすらなかった。
部屋に通じる扉を触ったが、鍵が閉まっていた。
これは予想通りである。
(二階にはだれもいませんね)
最悪、二階の部屋に誰かが縛られ、転がされている可能性も考えていた。
そもそも移動に地下を使う者など、まっとうとは思えない。
そのため正司は、何かあったときのために『斬鉄ハサミ』を用意していた。
斬鉄ハサミは、正司が今日作ったばかりの魔道具で、鉄や木をスパスパ切ってしまう優れものだ。
扉には板ガラスが填められているが、窓枠は木である。蝶番と鍵は、鉄製だ。
もし地下の人物が泥棒であったら、こっそり捕まえてもいい。
ここが悪人のアジトであったら、警邏兵にこっそり報告するつもりでいた。
そのどちらでもない人物だった場合、顔と名前を覚えておいて、後日クエスト受注のために接触するつもりでいた。
――ガタン
部屋の中から物音がした。
(だれかいるのですか?)
いまだ気配遮断は解いていない。
正司がそっと中を窺うと、衣装タンスの戸がゆっくりと左右に広がった。
そして中からヒキガエルみたいな男が現れ出た。
(何でしょう、あの化け物みたいな人は)
その男は、ゆったりとしたローブを身にまとっていた。
足首まで隠れるそれは、体型を隠すのに大いに役立っているようだ。
それでも特徴的な顔と、横に広がった体型は隠すことができない。
男はかなり難儀しながら衣装タンスから出てくると、身だしなみに乱れがないか確認してから、部屋を出て行った。
(見た目はまるでジャ○・ザ・○ットみたいですけど……あれは本当に人間なのでしょうか……っと、衝撃的過ぎて、我を忘れていました)
窓から部屋を覗いた限りだが、生活感がまったくないのが見て取れた。
この年代物の古びた屋敷で生活しているようには見えない。
そもそも長年使ってないような建物になぜ地下から侵入しているのか。
(こんな廃屋で何をしているのか気になります。本当に悪人だったら警邏兵に密告した方がいいですね)
正司は窓にハサミを入れて、鍵を壊した。
正司はそっと窓を閉め、鍵は……そのままにした。
(さっきの男は部屋を出ていきましたよね。どこへ向かったのでしょう……そういえば!)
男が衣装タンスから出てきたとき、『マップ』を確認するのを忘れていた。
クエストマークが出ている人物はだれなのか、まだ分かっていないのである。
正司が部屋から廊下に出ると、階下から声が聞こえてきた。
(一階から声が聞こえるようですね)
正司も階段を下りる。
「皆の者、待たせたな」
だみ声が聞こえてきた。
正司が入り口から部屋の中を覗くと、二十人くらいが集まっていた。
部屋はかなり広い。彼らの中心に、さっきのヒキガエルみたいな男がいた。
「突然の招集に、みなよく集まってくれた。礼を言う」
妙な外見とは裏腹に、男はとても誠実な態度で頭を下げた。
「集まってもらったのは他でもない。新たな敵――ターゲットが出現した」
一瞬だけ、集まった者たちがざわついた。
「エルヴァル王国がまたしても、我が町に毒なる手を伸ばしてきたのだ。コーリン商会から派遣された商人のシュレッド。そやつが善良なる我が町の商人を食い物にしようとしている。今回の目的は、そやつを町から追い出すことになるだろう。よいであろうか」
男はそこで一旦言葉を切り、周囲の反応を待った。
反対意見が出ないようなので、男は続けた。
「ありがとう。話を続ける。……シュレッドは商業特区に住んでおり、そこで真っ当な商売をしているように見せかけておる。だが実際は、北地区を中心に活動しておる。配下の者たちを使い、言葉巧みに粗悪品を売りつけておる。それを仕入れた商家の信用を失墜させ、借金まみれにするのが目的だ。その後、シュレッド本人が金を貸し、逆らえぬようにしてから裏で操ろうとしている。志し高きお主らに願う。シュレッドの隠し倉庫を襲い、粗悪品をすべて破壊し、不当に巻き上げた金銭を元の持ち主に返すのだ」
話を聞く限り、商家の倉庫への押し入りについて話している。
(廃屋に集まって押し入り強盗の話とは……)
まさか廃屋とはいえ、ここは貴族街である。ここで強盗の企てが話し合われているとは思わなかった。
正司は、このことを町の警邏兵に知らせた方がいいのか考えた。
(あのガマガエルみたいな顔の人が、彼らの親玉なのでしょう。だれも使わない廃屋にこっそりと地下から侵入して、仲間たちに商人の倉庫を襲えと指示しているようです。ですがまだ悪人とは断定できませんね)
正司が続けて様子を窺っていると、「悪人には制裁だ」とか「あいつらの好きにさせるな」という声も聞こえる。
(はて、なぜ彼らは悪人を成敗すると叫んでいるのでしょうか)
男たちの叫びに、正司がどん引きしていると、集まった二十人ほどの者たちが血気盛んに「やってやるぞ」「準備は任せろ」と口々に言い、あれよあれよと作戦が決まっていった。
「頼むぞ。ワシはお主らの成功を祈っておる」
「お任せ下さい。必ずや、成功させてみせます」
「王国の走狗など、すぐに追い出してみせます」
景気のよい言葉を次々と並べて、男たちは全員部屋を飛び出して行ってしまった。
(……なんだったんでしょう、一体)
正司が確認したところ、あのガマガエルみたいな男にクエストマークがついていた。
つまり、地下を延々と歩いていたのは、その男である。
話を聞く限りでは、倉庫やら屋敷やらを襲撃する算段を立てていた。
これは明らかな犯罪である。にもかかわらず、犯罪者に制裁を科すようなことを言って出て行った。
出て行った男たちを追った方がいいのだろうかと迷っているうちに、一人になった男は「ふぅー」っと息を吐いた。
残ったのは、あのガマガエルみたいな顔の男である。
男は正司に気づくことなく部屋を出て、階段を上りはじめる。
(帰るのでしょうか?)
地下通路は、屋敷の二階に繋がっているらしい。
地下から二階まで通じる隠し階段でもあるのだろう。
その出口が先ほどの衣装タンスであると正司は考えた。
男に続いて正司も二階にあがる。
男は衣装タンスを開けて中に入る……前に、胸の前にぶら下げていたペンダントを握った。
一度だけペンダントが淡く発光する。
すると今までいたヒキガエルみたいな容姿の男が消え、妙齢の美人が現れた。
「ええええええっ!? なんでぇ!?」
思わず正司は大声を出してしまった。
「だ、誰っ!? ど、どこにいるの?」
意外と可愛らしい声が発せられる。先ほどのだみ声とはえらい違いだ。
だが可愛らしい声とは裏腹に、女性の行動は過激だった。
ローブには切り込みが入っており、そこに手を入れたかと思うと、細身の剣を取りだしたのである。
それを闇雲に振り回しはじめた。
部屋の中でそんなものを振り回されたら、危なくてしょうがない。
「ま、待ってください!」
慌てて『気配遮断』を解除する。
「出たわね、狼藉者! 王国の手先! 剣の錆びにしてあげるわ」
堂に入った構えから、正司に斬りかかってくる姿勢をみせた。
「話を聞いてください。危ないですから、それ。仕舞ってください。私は怪しい者ではありません。ちょっと話を聞いて下さいって」
「聞く耳持ちません!」
真顔で剣を振り回してくる。
「わーっ! わーっ! 危ない!」
ブン、ブンと振り回される剣を正司は躱し、その合間に必死に説得を試みるが、相手の女性は、一切正司の言葉に耳を傾けようとしない。
「お覚悟ぉ!」
剣を頭上に振り上げて、正司を真っ二つにしようと振り下ろされた剣は……。
――パキン
「きゃっ!!」
「あっ!」
正司がかざした「斬鉄のハサミ」によって、真っ二つに折れた。
「うそーっ! これ業物だったのに……」
「も、申し訳ありません……つい」
「な、なんで……この『晶燐剣』がただのハサミに負けるのよーっ!」
女性は涙目で絶叫した。
武器が破壊されて意気消沈した女性を正司が必死に宥め、ようやく話し合えることになった。
「……それであなたは、どこの誰なの?」
話し合いといっても、まずはそこからである。
「えっとですね……信じてもらえないかも知れませんが、私はクエストを信奉して世界を巡っている途中のタダシと申します」
正司は困っている人を見つけるため、この付近を歩いていたこと、目に留まったこの屋敷に興味を引かれて中に入ってしまったのだと話をした。
さすがに二階のバルコニーから部屋に通じる鍵を壊したくだりで、女性の目が厳しいものになったのだが。
「階下で気配がしたものですから、つい……」
「何がついなのよ。それは泥棒と変わりない行為ではなくって?」
「返す言葉もございません。この部屋の衣装ダンスから出てくる姿を拝見しまして、つい興味が抑えきれず……」
そこまで話したとき、女性がてきめんに狼狽えた。
そういえば、階下では犯罪行為を話していたっけと正司が思い出す。
「階下で演説をされたあと、この部屋に戻ってこられて姿が変わったのを目の当たりにしまして、驚いて大声をあげてしまいました。申し訳ありません」
「あ、あなたっ! ぜ、全部、見てたのね!」
女性は剣を構えた……が、それは半ばで綺麗に絶ち切られている。
それに気付くと、剣と正司を交互に見る。
悔しそうに顔を歪めながら、女性は剣を仕舞った。
「以上が経緯になります。その上でつかぬ事を聞きますが、何か困っていることはないでしょうか?」
「今まさに困っているわよ!」
女性はそう叫びたかったが、それで事態が好転するわけでもない。
女性は考えた。
目の前の正司なる人物の言葉が正しければ、一部始終を見られたことになる。
口封じに失敗した以上、味方に引き込むしか方法がない。
武器を失ったため、今ここで敵対するのは得策ではないと考えたのだ。
野放しにはできない。
事情を話したとして、目の前の相手はどう反応するだろうか。
女性がそんなことを考えていると、正司がじっと見つめているのに気がついた。
女性はやや顔を赤らめつつ、「なによ」と強がった。
「お名前を……どうお呼びすればよろしいでしょうか」
「クリスティーナよ……ハッ」
クリスティーナは名乗ってから頭を抱える。
名を請われて、つい本名を名乗ってしまった。
この辺、育ちの良さが滲み出ているクリスティーナである。
もっとも、正司はすでに〈品定〉のスキルで名前だけは知っていたのだが。
クリスティーナは深呼吸して、覚悟を決めた。
名乗ってしまった以上、もう引き込むか抹殺するしかない。
「いまの名は忘れなさい! 私のことはガババと呼んでちょうだい」
「ガババ? もしかして金貸しガババ? えっ、本物ですか?」
それでも偽名の方を伝えたら、正司が想像以上に食いついてきた。
「知っているの?」
「知っています。金持ち相手に金貸し業を営んでいる人ですよね」
「そうだけど、一般には知られていないはずなのに……あなた何者? 諸国を巡っているのでしょう? やっぱり王国の刺客?」
「違います! 王国の刺客に襲われたことはありますけど、襲ったことなんかありませんよ」
「そうよね。見るからに人畜無害そうだし……って、ええっ!? あなた王国の刺客に襲われたの?」
「私……ではないですが、私が護衛した方々が襲われました」
「まさか。王国が危険視するような存在がこの町に来たの?」
「ラマ国のせいに見せかけて、戦争の火種にしようとしたんですけど……ど、どうして近づくんですか?」
「その話、詳しく聞かせなさい!」
クリスティーナの顔は本当に近い所にあった。
「……………………はい」
正司に抗う術はない。
美人が迫ると怖いものなのだと、正司はこのとき初めて知った。