018 正司の目標
金貸しガババなる人物は何者なのか。
調べようにも、手がかりが何もない。
分かっているのは、金持ち相手に金を貸していることだけ。
「私には縁のない人ですよね」
外から来た、しかも金持ちでもない私は対象外でしょう。
「金持ちのことでしたら、リーザさんに聞いた方がいいですね」
噂くらいは聞いたことがあるかもしれない。
「こういう場合、土産を持っていった方がいいでしょうか」
人にものを頼むのだ。手ぶらでは敷居が高い。
といっても、リーザは正司よりよっぽど金持ちである。
そんなリーザへの土産となると、なかなか難しい。
この世界に菓子折という風習があるのか分からないが、その辺で売っているものを買っても、喜ばれるとは思えない。
「肉や皮は大量に余っているけど、このまえ大量に買ってもらったし……」
ドロップ品をそのまま土産として持っていくのも、どうにもしまらない。
「そう言えば、貢献値ってどうなっていましたっけ?」
正司は『メニュー』を開いた。
――残り貢献値:8
8ポイント溜まっていた。これは無段階のスキルならば4つ取得できる値である。
5段階まであるスキルでも、4段階まで上げられる。
「3段階までなら4で済むし、新しいスキルを取得してみましょうか」
さすがに貢献値を全部使い切るのは怖いので、正司は半分だけ使うことにした。
「何がいいかな……」
メニューから『スキル』をつらつらと眺める。
「大量に肉と皮を持っていると言っても、皮作成はすでにあるし……料理かな。でもなあ」
料理スキルは、念じるだけで美味しい料理が完成するものだと思っている。
正司はいま火を熾して自分で肉を焼いているが、それで十分事は足りている。
わざわざスキルを取得する意義が見いだせずにいた。
「生産系がいいんですけどね」
リーザへのお土産になるようなもの。
かといって材料は正司が持っているもの。
そんな風に探していると……。
「あった。『魔道具制作』スキル。必要なのは魔石だったはずです」
魔石ならば大量にある。
ライエルにコインを渡すときにも魔物を狩ったので、G4とG5の魔石は溢れるほど溜まっている。
「ですが三段階までだと、G4とG5の魔石は使えないかな。いや、それはおかしいか。魔石が落ちるのはG3からだし、その理屈で言うと、二段階目まで何も制作できないことになる」
皮制作のスキルの場合、魔物が皮を落とすのはG2からだった。
では一段階目はどうなのかというと、動物の皮を使えることがあとで分かった。
「まあいいや。『魔道具制作』スキルは、どのみち取得するつもりだったわけですし、三段階まで上げてみれば分かるでしょう」
正司は一気に三段階目までスキルを取得した。
魔道具制作――道具と魔石を用意して、魔力を使って念じることで魔道具を作ることができる。作成される魔道具の質や種類、使用する魔石は段階があがることで増えていく。
「魔力を使って念じるのはこれまでと同じとして、魔石と道具が必要? ……そうか、魔道具だから道具も用意するわけですね」
情報によると、魔道具の質とあるから、段階が低いと質の悪いものができるのだろう。
そして、段階があがるごとに作れる魔道具の種類が増えるのだと分かる。
「さっそく道具を調達しましょう。でもどこへ行けば……? 道具屋かな」
正司は宿を出て、道具屋を探すことにした。
途中、木の枝が落ちていたので、それを拾う。
枝の長さは1メートルちょっと。やや湾曲しているが、いい枝振りだった。
「これ……使えないでしょうか?」
正司はG3の魔石を『保管庫』から取り出し、念じようとして気がついた。
通行人がこちらを見ている。
「……一旦、宿に戻りますか」
枝を持ったまま宿に帰り、自室に籠もる。
「これでいいですね。では魔道具作りを始めましょう」
正司が念じると、「灯り」と「杖」が思い浮かんだ。
灯りは文字通り、灯りをともすものだろう。
「杖って何なんでしょう?」
杖は杖である。転ばぬ先のとことわざにもあるあれだ。
「よく分からないので、杖の方を作ってみましょうか」
正司は杖と念じてみる。
すると、手元が光った。
光が収まると、ただの枝だったものが、魔法使いが使うような杖に変わった。
『情報』で調べると、「魔法使いの杖」と呼ばれるものになっていた。
魔法使いの杖は、魔法の制御がしやすくなり、威力もあがるらしい。
使用する魔力も少なくて済むらしく、魔法使いが使えば重宝しそうだ。
「なかなか便利なものができましたね」
正司は「魔法使いの杖」の『情報』を最後まで読んだ。
「えっと……高威力、高難度の魔法を使うと壊れるって書いてあるんですけど」
使えない……と正司は、杖を放り出した。
「何だろう、こう……運ばれてきた食品を見たら、サンプルだったみたいな?」
正司は「魔法使いの杖」を保管庫にしまった。
ちなみに正司が作ったのは、文字通り「魔法使い」の杖である。
魔道士が使うような高威力魔法には対応していないのは当然である。
「ですが、魔道具の作り方は分かったので、買い物に行けます」
素材があれば、作れるものが分かるのは大きい。
道具屋に売っているものでも、道ばたに落ちているものでも、触って念じれば作れる魔道具の名前が頭に思い浮かぶのだ。
うまく使えば、かなり便利な魔法であることが分かる。
もっとも、魔石はかなり貴重な素材であり、正司のように大量に持っている者は少ない。
ゆえに作り方が分かっても、本来はホイホイ作ろうとしないものなのだ。
「いや~、大量だったな」
正司は雑貨屋や道具屋、武器屋を回って、魔道具の素材となるものを大量に買い込んできた。
それを宿のベッドに並べる。
「さあて、作ってみようかな」
木のコップと魔石で「毒検知のコップ」ができた。
飲み物に毒が入ると、コップの色が変わるのだ。
木製なので、毒を仕込む方もまさかと思うだろう。
道具屋で買った何の変哲もないハサミだが、これに魔石を組み込んで魔道具を作ったら、「斬鉄のハサミ」ができあがった。
紙や布が切れなくなったかわりに、木と鉄をざくざく切れるようになったらしい。
「危険ですし、仕舞っておいた方がいいですね」
これを使えば、鉄柵は紙と同じ。
木や鉄の扉だって難なく切り抜けてしまう。
どこへでも侵入し放題になってしまうため、正司は人に見せないことにした。
他にも実用的なものからパーティグッズにしかならないものまで、20を越える魔道具を作成した。
「……ハッ、熱中してしまいました。このくらいで止めておきましょう」
調子に乗っていろいろ作ってしまったが、制作途中でいくつか分かったことがあった。
「魔石はG5まで使えるんですよね」
どうやらスキルを取得した第一段階の状態で、G3の魔石が使用できるらしい。
第二段階まであげるとG4、第三段階でG5の魔石が使用できることが分かった。
ただし、質はその限りではない。
第三段階だとG5の魔石を使った場合の品質が低くなっていた。
これは段階を上げない限り、変わらないようだ。
また、作れる魔道具の種類も段階があがると増えるらしく、より複雑な魔道具、より効果の高い魔道具は、いまだ作ることができない。
「さて土産もできたことだし、リーザさんのところへ行こう」
作成した魔道具をすべて『保管庫』にしまい、正司は宿を出た。
「お会いしていただきまして、ありがとうございます、リーザさん」
「ちょっと待って……」
「はい」
リーザに遮られて、正司は黙った。
テーブルにお茶の用意が始まっている。
それを正司はじっと見ている。
日本でお茶というと、温かい飲み物にお茶請けかわりの菓子が普通だが、ここはさすが大公の部屋。
飲み物だけでも数種類。
お茶請けも、塩辛いものから甘い物まで取りそろえてあった。
「ありがとう。しばらくいいわ」
「畏まりました」
この館の使用人だろう。
一礼して部屋を去って行くまで、リーザは黙ったままだった。
ガチャリと扉が閉じられると、リーザは軽く息を吐き出した。
「ねえ、タダシ。あなた、この町で巻物を売りさばいたりしていないでしょうね」
なんと信用のない言葉であろうか。
だがリーザからしてみれば、正司は目を離しておけない人種なのである。
心配こそすれ、安心など絶対できないタイプであった。
「売っていませんよ。ここ以外では出してもいませんし」
「そう……急にそんなことを言って悪かったわね。最近ちょっと忙しかったから」
「何かあったんですか?」
「ラマ国の軍が慌ただしく動き始めてね。情報を集めていたところなのよ」
リーザの目には、クマができていた。
昨日から寝ていないのかもしれない。
大変そうだ、そう思った正司は、用事を済ませて、早く退散しようと考えた。
「そうだ。今日はお土産があるんです」
「……お土産?」
リーザが首をギギギギと正司の方に向けた。
「ええ、何がいいかなといろいろ悩んだんですけど」
正司は気付いていない。
「巻物を出したときみたいに、私たちを驚かせるつもりかしら」
「そんなことありませんよ。これです」
「……クッション?」
正司が取り出したのは、厚手の布で作ったクッションだった。
ただし、普通のクッションではない。
「馬車に乗ると振動で大変じゃないですか」
「そうね。道がでこぼこしているもの、しょうがないわ」
「だからこれです。これが揺れをすべて吸収します」
「へえ」
リーザは信じていない。
正司から受け取って、いま座っている椅子の下に敷いた。
「!?」
リーザが驚きに目を開いた。
「どうです?」
「タダシ……あなたこれ」
「だめでした?」
「これ、魔道具なの? 身体が浮いているわよ!」
「魔道具ですよ、もちろん」
「「「もちろん!?」」」
護衛たちが総突っ込みをした。
ちょっとした来訪の土産に魔道具を持ってくる者はいない。
そもそも魔道具を作れる者はそう多くない。
作れる種類だって少ない。
魔道具を作るには高い技術と長い時間が必要になる。
慣れないうちは失敗も多いので、職人は同じものを延々と作り続ける傾向がある。
そして作られた魔道具は、まず貴族階級に広まり、話題になっていく。
座ると身体が浮くクッションの魔道具について、リーザはその存在を知らなかった。
似たような魔道具でも聞いたことがないのである。
護衛たちも首を横に振る。リーザがなにを意図しているか分かったのだ。
このクッションは、貴族階級はもとより巷間にも流布されていない魔道具だということになる。
もちろんこれは正司のオリジナル。
正司は、魔道具や魔道具職人の実情をもちろん知らない。
ゆえにリーザたちが急に黙ってしまった意味も気付いていない。
そのため、無邪気にも魔道具の説明をはじめた。
「クッションをどうすればもっと快適にできるか考えたんですよ。そうしたら、エア……えっと、空気ですね。それを吸い込んで留めておけばいいんだと気付いたんです」
「……タダシ?」
「でもそれだけだとただ分厚いクッションじゃないですか。ついでに衝撃を外に逃がすようにして、下の衝撃を上に伝えないようにしたんです。だから身体が浮いているように感じますよね。あっ、たくさん作りましたから、みなさんでどうぞ」
「タダシ……もしかして、これ。作ったの?」
「もちろん、そうですよ」
「…………」
リーザは目頭を揉んだ。
護衛たちも一緒に揉んでいた。
「ねえ、タダシ。あなた巻物を作れたわよね」
「はい」
「魔道具も作れるの?」
「はい」
「…………」
もの凄く言いたいことを堪えているリーザを見て、護衛たちは「今夜も会議かな」と思うのであった。
正司が渡したクッションの感触を確かめていたリーザは、諦めたように息を大きく吐き出した。
魔道具は作れる者が少ないため、大変貴重である。
正司がそのことを理解していないことは明白。
「もう何を言っても無駄な気がする」
という気分になったのだ。
「それでですね、他にもいくつかあるんです」
正司は『保管庫』からいくつか取り出した。
テーブルに並べられるそれらを護衛たちはマジマジと見る。
「タダシ殿、これらも魔道具なのですか?」
「そうです。これは『魔法使いの杖』ですね。ブロレンさんへのお土産です」
「わ、私ですか?」
「ええ。日頃お世話になっていますので」
全然世話した覚えのないブロレンは、「はいっ」と手渡された『魔法使いの杖』を恐る恐る受け取る。
「これの効果はですね……」
一通り説明を受けたブロレンは、ゆっくりとリーザの顔を窺う。
「……もらっておきなさい、ブロレン。あとで私がなんとかします」
「はい……よろしくお願いします」
貸し借りで言えば、正司からの借りばかりが増えていく事態に、半分自棄になった雰囲気も見て取れた。
「ミラベルさんにはこれをどうぞ。『姿隠しのヘアピン』です。髪に挿しておいて、飾りの部分を回転させると、姿が消えます。便利ですよね」
「「…………」」
リーザや護衛たちは、このヘアピンの危険性にいち早く気付いた。
暗殺者の手に渡ったらどうなるのか。
戦場で使われたら、戦局すら変わりかねない。
なんて恐ろしいものを年端もいかない少女に渡すのだと、頭が痛くなった。
だが考えてみれば、何かから逃げるとき、これほど便利なものはない。
戦う術のないミラベルは、これでじっと隠れているだけで安全になる。
「ありがとう、おじさん」
「いい子だね、ミラベルさんは。……アダン隊長さんには、『起床の笛』なんてどうでしょう。吹いても音は鳴りませんけど、寝ている人は全員覚醒します」
「そ、それは便利ですな。夜襲を受けたときなど、とても重宝します」
「魔法で眠らされても覚醒しますので」
「な、なんと……そうですか。た、大切に使いたいと思います」
「あとは……カルリトさんにはこの『治療の包帯』を。患部に巻けば、怪我が治ります」
「そいつは嬉しいけど……高いんじゃないのか?」
「私が取ってきた魔石を使って、自分で作ったものですから、元手は掛かってないのです」
「そうかい。じゃあ、もらっておこうかな」
「はい。セリノさんには『剛力の腕輪』をどうぞ。力が倍になります」
「それは非力な私にはちょうどよいものを。わざわざありがとうございます」
陽気なカルリトは怪我しやすいので包帯を渡し、真面目なセリノは痩身ゆえに腕力のなさが際だっていた。そこで力が強くなる魔道具がいいと思って作ったのである。
残る護衛は、女剣士のライラである。
出会い頭に剣を突きつけたライラは、正司から何かをもらえるとは期待していなかった。
自分自身、初対面で散々な対応をした気持ちがある。
そのため、正司がライラに差し出したので、驚いた。
「これは……?」
「ライラさんには『遠見のメガネ』がいいかなと思いました。これは遠くのものをよく見えるようにするメガネです。室内では効果が分からないでしょうけど、外ではかなり遠くの景色まではっきりみることができます」
「私がいただいてしまって……よろしいのでしょうか」
「はい。ライラさんのために作りました」
「……ありがとうございます。一生大事に致します」
遠見のメガネをかき抱くようにしてお辞儀をする。
「そんな大したものではないので、気軽にもらってください」
もちろん大したものではないと思っているのは正司だけで、リーザたちは心の中で総突っ込みをしていた。
これらを見れば、正司が魔道具を作ったのは、疑いない。
初めて見る魔道具ばかりである。
金に飽かせて買ってきたとしたならば、これらの噂くらい、どこかで聞いたことがあるのが普通である。
一応ブロレンがもらった『魔法使いの杖』だけは、似た名前のものが出回っている。
分かっているのはその程度である。
あとはすべてオリジナルの魔道具。
「ねえ、お姉ちゃん。スゴイね」
「……そうね」
リーザの笑顔が硬い。
オリジナルの魔道具など、買おうと思ってもそこらで売っているものではない。
値段はあってないようなもの。
それを惜しげもなくホイホイと配るものだから、正司に対する借りがさらに膨れあがっているのである。
巻物と魔道具。
夜盗に扮した暗殺者から救ってもらった分を合わせれば、いったいいくらになるのか。
――コンコン
扉がノックされた。
リーザだけでなく、護衛たちもハッと我に返った。
「な、何かしら」
扉に向かって、リーザが答える。
「お茶のおかわりをお持ちしました」
みれば、テーブルの上のお茶はすっかり冷めていた。
「おかわりはいいわ。それより食事の準備をしてちょうだい」
慌てて扉に向かって叫ぶ。
テーブルにはまだ魔道具が並べられた状態で置いてある。
リーザは館の使用人を部屋に入れたくなかった。
扉の向こうから、「畏まりました」と声が届いた。
来客中に食事の用意を頼む意味を、使用人はよく理解している。
「ねえタダシ、いま食事が出来るから食べていきなさい」
「……はい。それではお言葉に甘えまして、ご相伴させていただきます」
その言葉を聞いて、リーザはホッとする。
魔道具の衝撃で忘れかけていたが、正司には聞きたいことと、話したいことがあったのだ。
「あー、タダシ殿」
「なんでしょうか、アダン隊長」
「タダシ殿には、リーザ様をトエルザード領まで護衛する任務を引き受けていただいて感謝しております」
「いえいえ。私も色んな国を見てまわりたかったところですので」
実際、正司は瞬間移動できるように、多くの国を巡りたいと考えていた。
今回の護衛依頼は、まさに渡りに船だったのである。
「依頼料については、国に戻ったときにまとめてお支払い致しますが、何か希望はございますかな」
アダンがさりげなく尋ねた内容は、リーザが最も聞きたい事だった。
これ以上借りが大きくならない内に正司の希望を聞き出して、できれば先に本国へ使いを出したい所なのである。
「希望ですか?」
心底不思議そうに首を傾げる正司に、リーザたちは「アチャー」と額を押さえた。
なぜアダンがそのような申し出をしたのか、意味が分かってないらしい。
「もちろん護衛料ですから金銭でお支払いする予定ではありますが、それ以外にもいろいろとタダシ殿にはよくしていただいておりますので」
これで分かれと言わんばかりに、所々、発音を強めて言った。
一方の正司は、「クエスト以外に希望と言われてもなあ」とやや困惑していた。
スキルを取得して、いろいろな検証をしてみたい正司にとって、リーザが提示できるものにあまり興味はない。
そもそもある程度満足したら別の国に向かうつもりであったし、最終的には凶獣の森を拠点にしてもいいとすら考えていた。
「希望ですか……うーん、ありますかねえ」
さすがに「何もない」というと、失礼に当たるだろうかと正司は考えた。
おまえには自分を満足させるものは何もないと言っている事になるのかと、心配しているのである。
(何か言った方がいいのでしょうか……でも、思いつきませんね)
ほとほと困り果てる正司を見て、リーザもまた困っていた。
トエルザード家から正司へ供出できるものに、まったく心当たりがないのだ。
高価な魔道具や巻物はそもそも必要ない。
芸術品や美術品の類いは、持ち家のない正司にとって不必要な品だろう。
貴族間でやりとするものと言えば、他に魔法効果のかかった武具などだが、正司はブロレンと同じく、完全な魔法職である。
そういったものが必要とも思えない。
護衛料をいくら奮発したとしても、百巻分の巻物や、今回の魔道具に相当できるかといえば、まったく心許ない。
正司が困るほどに、リーザも困るのだ。
――コンコン
「お食事の用意が調いました」
ナイスタイミングだろうか。
両者が思考の中に沈み込む前、うまい具合に横やりが入った。
「用意ができたみたいだから、食事にしましょう。タダシたちは先に」
「……分かりました。では後ほど」
「えっ?」
正司は意味が分からない。
「リーザ様たちは着替えてからいらっしゃる」
「あっ、そういうことですか」
食事をするときに、わざわざ着替えるようだ。
「そういうわけで、タダシ殿。我々は先に向かいましょう」
アダンに連れられて、正司は食堂に向かった。
なぜ男女で別れたのか。
何のことはない、アダンたちは食前酒の名のもとに、軽く一杯ひっかけるからであった。
「あの……先にはじめてよろしかったのですか?」
「暗黙の了解というやつですな。我々は護衛なので、食後でも酒を嗜むことはできません。ですが、四六時中それだと士気にもかかわります」
「そうですよね。それにここは安全な屋敷内ですし」
「安全かどうかは……まあ、おいとくとしまして、食前酒までは禁止されておりませんので、リーザ様たちがやってくるまでの間だけ……ほんの少しだけお目こぼしを戴いているのですよ」
そしてリーザたちがやってくる前に食前酒は終了し、何食わぬ顔で夕食を摂るらしい。
ちなみにアダン隊長と魔法使いのブロレンは、護衛とはいえ、上流階級の出らしく、リーザたちとともに食事を摂るのだという。
「待たせたわね」
ナイトドレスに着替えたリーザとミラベル、そしてライラはそろって席に着いた。
今頃カルリトとセリノは使用人たちと一緒に食べているそうな。
「いただきます」
この世界に来て、自分で調理したものや、宿の食事と違う料理は、初めてだった。
(貧乏舌だからでしょうか。ただ焼いただけのG5肉の方が美味しい気がします。料理してくれた方には悪いですけど)
と心の中で思ったりしたのだが。
もっともG5肉は最高級品であり、普通ならばめったに食べられないものであり、美味しさも一級品である。
食事には給仕がつき、流れるような自然な動作で皿を下げ、新しい料理を用意してくれる。
正司は当たり障りのない会話をしつつ、先ほどの提案をずっと考えていた。
(新しいスキルを取得して、検証していくのはたしかに楽しいですけど、それを人生の目標にするのは違いましたね)
改めて考えてみると、スキル取得以外に何もすることがないのはおかしい。
目標はもっと大きなものでよいはずなのだ。
(では私の目標って、何なのでしょう?)
日本にいた頃はどうだっただろうか。
正司は思いだしてみる。
(ソフトウェアのプログラムを組むのが仕事……ではないですよね)
開発部時代、プログラマーとして働いていた。
だがそれは業務であり、仕事の内容に過ぎない。
もっと大きな意味でも働く意義としては、正司の会社がソフトウエア開発を引き受けたことで、小さな投資で大きな成果を持つことができるとか、正司が設計した機械によって、単位時間あたりの労働力が飛躍的に上がったとか、いわゆる会社の幸福化のために働いていたような気がする。
突き詰めれば、人々の笑顔のためだ。
たとえその笑顔が直接見えなくても、正司の作ったもので、人々に幸福を呼び込むことができた。
そう思えるような仕事だった。
(実際に営業職に転向になってからは、より直接カスタマーの人々と触れ合うことができました。あれはいい経験になりました)
なるほどと、正司は理解する。
そろそろ正司は、自分の為ではなく人々の為に何かをする。
そんなものを目標にしてもいいのではないだろうか。
(それを踏まえて私は、何をすればいいのでしょう)
こうして食事の間も、正司はぐるぐると考え込んでいた。