015 リーザ宅訪問
翌朝、正司は少し寝過ごした。
「ああ、昨日は疲れたし……そのせいかな」
一応、メニューから自分の状態を確認してみた。
異常がないことに安心すると、腹がなった。
朝食を食べようと、部屋を出る。
階段を下りると、下の食堂はもう空いていた。
「お客さん、遅いお目覚めだね。はい、朝食だよ。スープはいま持ってくるからね」
おかみさんがすぐに皿を置いてくれた。
まとめて茹でたのだろう。皿にはジャガイモらしきものと肉、それにパンが載っていた。
「ありがとうございます」
正司はパンをちぎって口の中に入れつつ、今日の予定を考えた。
(今日はリーザさんの所へ行きましょうか。あまり遅れると怒られそうですし)
イモと肉を交互に口に入れつつ、他のテーブルを見ると、何やら書き物をしている人がいる。
壮年の男性が書き物をしているのだが、そのペン先が光っているのである。
(へえ……なんだろ?)
正司が興味を引かれたのは、明らかに魔法的な何かだと思ったからである。
「はい、スープおまちどおさま」
「ありがとうございます。……それでおかみさん」
「ん? なんだい?」
「あそこで一心不乱に何か書いている人がいますけど、あの方は何をしているのでしょう?」
「ああ、ゲイルさんかい。あれはこの町に住む魔文字師さ。いま契約書を作っているんだろう。……って、お客さん、魔文字師って知らないのかい?」
「ええ、私は砂漠から来たもので、あまりそういうのは詳しくないのです」
「そうかい。簡単に言うと魔文字で書いた後は、もう二度と書き換えたり、書き加えたりできなくなるんだよ。魔文字魔法っていうのがあってね、それで書いたものは正式な契約書として成立するんだ」
「ほう、そういうものがあるのですか」
正司は『スキル』欄から魔文字魔法を探した。
(なるほど、ありますね。ようやく魔法に詳しそうな方に会えました。少し聞いてみましょう)
正司は朝食をゆっくりと摂り、ゲイルが書き終わるのを待った。
ゲイルが暇になったなと思ったときを見計らって、話しかけてみた。
「ゲイルさんでよろしいのでしょうか。私はタダシと申します。もしお時間がおありでしたら、少々お話を伺いたいのですが、よろしいでしょうか」
「はい。いま終わったところですし、私は構いませんけど」
「ありがとうございます。座ってもよろしいですか」
「どうぞ」
「では遠慮無く」
正司はゲイルの前に座り、テーブルの上が片付くのを待った。
「お待たせしました。何か私に聞きたいことがあるとか」
「ええ、お恥ずかしい話ですが、私はこれまで魔文字師について何も知らなかったもので、どういったものなのか、お話を伺いたいと思ったのです」
「なるほど。機会がなければ、あまり目にすることもないかもしれませんね。大きな町には何人かいますが、実際に必要になる方も少ないでしょうし」
「宿のおかみさんから聞いた話ですと、契約書を書くとか……」
「はい。私どもの書いた文字は消えませんし、付け加えるなどの修正もできません。ですから正式な契約書として需要があるのです」
「おもしろい魔法ですね」
「一般の魔法とは少し変わっているかもしれませんね。完成したら、それに関わった人の署名を貰って、国の保管所へ持っていくことになります。そうすれば正式な契約が成立します」
たとえば三人で何らかの契約をした場合、三人分の署名をして書類の保管所へ届け出るらしい。
その際、契約書にある署名と、保管所で記入する署名がすべて同一であれば、保管される。
そこまで正式なものでなくても、借用書ならば貸した側が持っていればいいし、売買契約書ならば二通作成すればいいらしい。
この辺は日本でもおなじみの形式なので、正司も納得できるものである。
ようは、魔法で信用を代用しているのであろう。
「ゲイルさんは普通の魔法は使えるのですか? たとえば、火魔法とか水魔法とかですけど」
「いえ、まったく。さすがにそれを使えるようになるまで学ぶ時間はなかったですから。魔文字魔法を覚えて、それを使いながら生活して少しずつ勉強しました。複雑な魔文字魔法が使えるようになったのは、仕事を始めて十年以上経ってからです。周りもこれで一人前と認めてくれましたので、いまは独り立ちしてやっていけるのです」
話している内容がよく分からない……そう正司は思った。
どうやら、魔法の習得について、正司とゲイルの間に齟齬があるようだった。
「魔法の習得には、まず呪文を覚えるのですよね」
「そうです。ただ呪文を丸暗記しただけでは発動しませんから、その文の意味を理解しなければなりません。それに時間かかるのです」
「はぁー。ちなみにどうやって勉強されました?」
正司はゲイルに、一般的な魔法の勉強方法を聞いた。
それは正司にとって、かなり未知のものだった。
まず魔法の呪文を覚える。
といっても文章にしても数行。これはすぐに暗記できる。
次に暗記した文章の意味を理解するのだが、これがまた概念的であり、難しい。
さらに複雑なものだと、かなり時間がかかるようである。
(火魔法を勉強するのは、新しい言語……たとえば私がフランス語を勉強するのと同じようなものなのか)
フランス語の発音をカタカナにして話しても、フランス語が出来るとは言えない。
丸暗記した呪文を唱えても魔法が使えるとは言えないのに似ている。
「つまり自分自身が正しく意味を理解しないと発動しないわけですね」
「そうですね。魔法とは、正しい発音と正しい理解。そして正しい手順で発動します」
手順とは霊薬を飲んだり、秘薬を用意したりも含まれるようだ。
正司はさらに、少しだけ魔文字魔法の呪文の意味を教えてもらった。
それは確かに抽象的で難解、理解するのに時間がかかるものだった。
(他言語を覚えるのに似ていると思ったけど、どちらかというと理科系の学問を修めるのに似ていますね。火魔法が線形代数学で、水魔法がリーマン積分のように似て非なるものですね。習得するには、それに必要な函数や写像、行列を理解しないといけない……そんな風に思えます)
「まあ、そういうわけで、今さら他の魔法を習得するのは難しいですね。複数の魔法を極められるのは、よほどセンスのある人か、たぐい稀な努力家でしょう」
「なるほど……そうでしょうね」
平静を装って相づちを打ったが、内心はかなり動揺していた。
(複数の魔法を習得するのって、かなり難しいのか)
これまで軽々しく使っていたが、どうやら正司は自分がかなりレアな存在であることに気がついた。
「ですが職業上、どうしても複数魔法を覚えなければならないものもありますから、頑張っている人も多いですよ」
「そうなんですか?」
「ええ……付与魔法師とか、巻物魔法師などがそうですね。自分が習得した魔法以外は付与できなかったり、巻物にできなかったりしますので、どうしても必要になってくるわけです」
「なるほど!」
これだっ! と正司は思った。
自分は巻物魔法師。だから必要に迫られて他の魔法を習得した。
人に聞かれたら、そのように答えようと正司は考えた。
「ありがとうございます。大変参考になりました」
「いえ、こんな話は魔法を使う方でしたら常識の内容。とりたてて珍しいことではありません」
「私にとっては有益な話ばかりでした。ありがとうございます。そうだ、お礼といってはなんですが、これを」
「魔物の……肉ですか? いまどこから?」
「よろしかったらどうぞ」
「あ、ありがとうございます。この大きさだと……えっ? G3? しかも新鮮!?」
「こんなもので申し訳ありませんが、気に入っていただけたらと思いまして」
「こんな貴重なものを……でもいいのですか?」
「余ってますし、ぜんぜん問題ありません」
「余っている……」
正司としては、魔物の肉ほど大量に所持しているものはない。
調理して食べると、僅かながら体力や筋力、そして素早さなどがあがるらしいが、正司の場合、体感できない。
リーザからドロップ品を売るなと言われている手前、店売りもできない。
ゆえにこんなときでも使ってもらえたらと思ったのだ。
(しかも、魔物の肉や皮って、グレードがあがるほどに大きくなるしな。ほんと邪魔だよな)
お礼代わりに体よく肉を押しつけた正司は、ゲイルに再度お礼を言って、宿を出て行った。
リーザに会うためである。
「さて、リーザさんがいる場所は……城に向かって進んで、最初の関所で聞くようにと言われましたが……しかし、クエストを持っている人に出会いませんね」
山の中腹にある町とは思えないほど広い。
正司が歩く範囲では、なかなか人がマップ内に入ってこないのである。
表示される範囲は半径300メートルなので、その範囲内にいないと、クエストマークが表示されない。
ところがこの町は自給自足を目指しているのか、山や森、池や畑もあったりする。
町の郊外は、目を楽しませる造りにもなっていた。
城は目立つところにあるため、迷うことはない。
正司は周囲の景色を堪能しながら、ゆっくりと向かうのであった。
「名前と目的地、そして用件を」
立派な門が続く一角に出た。リーザが第二門と言っていた場所である。
そこから先は貴族区画らしく、出入りがチェックされるようだ。
「私は雇われ護衛のタダシと申します。トエルザードの人たちが住む屋敷へ向かいたいのですが。用件は護衛仲間に会うためです」
「トエルザード……タダシ。うむ。連絡は来ておる。トエルザード家の屋敷はこのまま進むと噴水が見える公園に出る。そこを左に折れよ」
「はい……噴水の見える公園を左ですか?」
「うむ。左手を進むと、大きな屋敷が建ち並ぶようになる。途中に衛士が立っておるので、そこでもう一度尋ねるがよい」
「そうですか、分かりました。ありがとうございます」
正司は礼を言って門を抜ける。
言われた通り、道をまっすぐ進むと、木々の多い場所に出た。
(あれが公園……たしかに噴水が見えます。ここを左ですか)
とくに迷うこともなく正司が進むと、家のグレードが一段上がった場所に出た。
周囲を眺めながら進むと、鎧を着た人が立っていた。衛士だろう。
正司が話しかけると、名前と目的地と用件を聞かれた。
「ここを抜けて、突き当たりを左に向かうがよい。朱塗りの門扉が見える。目的の屋敷はそこだ」
「分かりました。ありがとうございます」
教えられた通り進むと、たしかに朱塗りの門があった。
「これはまた、豪華な屋敷群だ」
中央に石造りの建物、その周りに三つの大きな屋敷が建っていた。
正司は門番に来訪を告げると、一人が建物のひとつに走って行く。
「タダシどの、お待ちしておりました」
「これはアダン隊長自ら、お出迎えありがとうございます」
「いえいえ……どうぞ中へ」
「はい、失礼します。しかしここは大きいですね」
「ミルドラルの三公の屋敷が並んでおりますからな」
「なるほど、そういうことでしたか」
「ラマ国としては、一カ所にまとめておいた方が何かと都合がよいのでしょう」
どうやらここはラマ国から提供された土地らしい。
「そうそう、タダシ殿は我々が旅の途中で雇った魔道使いということになっております」
「はい、それで間違いないですよね」
「いや、魔道士殿を魔道使いと呼ぶのは抵抗があるのですが、周囲の目がありますので、致し方なく……申し訳ないことです」
「私はまったく問題ないですから。目立つと思ったので、魔道使いと普段は名乗っていますし」
「そうですか。そう言って戴けると、心が軽くなります」
「しかし不思議ですね。魔道使いと名乗っているのに、行く先々で魔道士と呼ばれるのですけど」
「それは……」
アダンの顔が変な風に歪んだ。
心の中で「自覚ないのかい!」と盛大に突っ込んでいるのである。
正司は屋敷のひとつに案内された。
各種偉そうな人たちに挨拶をしたあと、そのままアダンに連れられて、リーザのいる部屋に向かった。
「ごめんなさいね、タダシ。嫌な思いをしたでしょう」
「いえ、別に? 何かありましたか?」
「あなたを魔道使いと呼んだこととか、屋敷の者にただの護衛と紹介させたこととかだけど」
「まったく問題ありませんが」
「そ、そう……だったらいいわ」
通常、幼少時からのすべての時間を魔法の勉強に使ってすら、一人前になるまでには成人してしまう。
その後もたゆまぬ研鑽を積んで、魔法を学びつつ実績を作るために邁進する。
そうして選ばれた一部の人たちがより高みに至ることができる。
魔術師から魔法使いへ至るには、高い壁を乗り越えなくてはならない。
魔道使いから魔道士へ至るには、努力や才能だけではない『何か』が必要であるとも言われている。
才能があって努力をすれば、だれでも魔道士になれるわけではないのだ。
だからこそ、魔道士の力を持った正司を魔道使いと紹介することに、リーザは抵抗があった。
それは正司の努力を無にすることであり、軽んじていると怒り出しても当然だと考えていた。
一方正司としては、魔道士という名称になんらこだわりをみせていなかった。
「魔法系の最高位の称号かぁ。名乗ったら注目されるのかな。この歳でそんな注目を浴びても面倒なだけだよな」
そう考えていたくらいである。
「ここは私室として使っているから問題はないわよ」
「はあ、ありがとうございます」
「ここはミルドラルの租界みたいなものだけど、一カ所に集められてしまったから、バイダルやフィーネの人もいるのよ。戦争次第でここもどうなるか分からないし、館内はピリピリしているの。いまバイダルやフィーネの人たちに下手な情報は与えたくないのよ」
「なるほど」
正司は自分でも何がなるほどなのか、よく分からなかったが、そう言っておけば問題ないだろうと考えていた。
実際正司は、ミルドラルの内情について一切知らないため、本当に分からないのである。
「それでタダシはどうなの? 大人しくしていた?」
リーザとしてはそれが気になってしょうがなかった。
人をやって調べようかとも思ったが、不慣れな土地でそんな依頼を出せば目立つ。
かといって、自分の護衛を使えば、それはそれで目立ってしまう。
「そうですね、とくに変わったことはなかったと思います。素材の売買もしていませんし」
「そう、良かったわ。もしお金が入り用だったら、買うわよ」
「いえ、資金はもう十分ありますので、大丈夫です」
ホッとした表情を見せるリーザに、正司は「心配かけているな」と的外れな想像をした。
初めての町で正司が戸惑っているとリーザが心配している。
そう正司が考えたが、もちろんそうではない。
リーザの言う、「変わったこと」とは、「何かやらかしてないわよね」という意味である。
「そうそう、これを差し上げようかと思ったのですけど、どうですか?」
正司は『保管庫』から巻物を取り出した。
「巻物? 買ってきたの?」
「いえ、皮が余っているので作ったんですけど、作り過ぎちゃいまして。どうせならプレゼントしようかと」
その言葉にリーザは目頭を揉んだ。
各種魔法を使えるのはいい。
それぞれの魔法が魔道士級というのも……百歩譲って許容しようと思っている。
「ねえ、タダシ」
「はい、何でしょう。一杯ありますから遠慮無くどうぞ」
「これ……タダシが作ったのよね」
「ええ、そうです」
「あなた……巻物作成の魔法も使えるの?」
「はい」
リーザは正司にどう説明しようか悩んだ。
普通の魔法の研鑽と巻物作成の魔法の習得はまったく違う。
「お前、魔法が使えるんだろ。だったら、巻物作成の魔法も覚えたらどうだ」
そう言う者がいたとしよう。
言われた方は、声を大にして反論するに違いない。
漁師に数百種類あるキノコを判別しろと言うようなものである。
千を越える魚の種類を知っていたとしても、キノコはまるで初心者。
イチから覚え直さないといけない。
「今からそんな苦労をするつもりなら、漁師を続ける」
普通の人はそう言う。
つまりそれだけ同じ魔法でも、扱いが違うのである。
普通は、これ以上魔法が伸びなくなった者が巻物作成の魔法習得に向かう。
それでも習得に長い年月が必要であり、若い者で四十代後半。
通常は五十代になってから店に出せるレベルのものが作成できる。
「ありがとう……大切にするわ」
リーザの実家にも巻物は多数ある。部屋ひとつまるまる収まるほどあったりする。
巻物はすべて使い捨てのため、いくらあっても困らない。
とくに攻撃魔法の巻物はいくらあっても困らないため、見つけたらできるだけ買うようにしている。
リーザはこの巻物もまた、あり得ない規模の威力を誇るのだろうなと考えて、家に積んである巻物群とは別の所に保管しておこうと決めた。
「この前みたいに襲われることもありますので、ぜひ使ってください。呪文を読み上げるのに時間がかかりますが、ないよりマシだと思いますし」
「そうね。たしかにそうだわ……それで、何の魔法なの? やっぱり、土魔法?」
「瞬間移動です」
スルスルと巻物を広げたリーザだけでなく、周囲で話を聞いていた護衛たちが一様に吹き出した。
部屋のそこかしこで、霧が舞った。
「な……な……なんですってぇ!?」
使える者が限られている上位魔法である。
学んで習得できるタイプではなく、素質が重要であると言われている。
保有魔力が少ないと、素質があっても発動しない。
各国の要人が喉から手が出るほど欲しがる人材である。
「瞬間移動って、あると便利じゃないですか」
その一言で済ませてしまった正司に、リーザは押し黙る。
いま口を開いたら、自分を抑えきれない自覚がある。
首を絞めながらカックンカックン揺らして問い詰める自分が幻視できた。
とにかく自重するためには、黙るしかなかったのである。
心を落ちつかせようと、リーザは巻物に目を通した。
たしかに呪文は瞬間移動のように思えた。
巻物から魔力が感じられるため偽物とは思えない。
つまり使える者がほとんどいない稀少魔法が、巻物となってここにある。
「……あら、この数字は?」
巻物に数が記されてある。リーザがみたのは「8」。
「ああ、残り使用回数ですね。この巻物だと八回唱えられます」
――ブフォォオ!
また霧が舞った。
「巻物って使用回数あったの? ……いや、そういえば、モノによっては複数回使えるって聞いたことがあるわ。でもそれは魔力が有り余って、しかも魔法が初級のものにつくものじゃなかったかしら」
考え込むリーザにブロレンが頷いた。
「はい、リーザ様それであっています。高位の魔法使いになると二回、三回と使用できる巻物を作成することが可能です。ただし、高位の者はあまり巻物作成の魔法を習得しようとしませんが」
「……なるほど」
つまり、正司が作ったからこそ、巻物はこのような効果を発揮したということになる。
「瞬間移動、火魔法、土魔法、水魔法、回復魔法が二十本ずつあります」
合計百本の巻物が並べられた。
「よく作ったわね」
「一枚の皮でそれなりの数が作れますよ?」
リーザが言いたかったのは「よくそれだけの魔力があったな」ということだったが、正司は使用する皮のことを言われたと勘違いした。
「火球の巻物……36回ってかいてあるわよ」
通常の巻物、36巻分である。
正司がリーザたちを騙しているとは思えなかった。
百本の巻物を用意するのにどれだけの金銭が必要か。
とても個人で賄える額ではない。
しかも金さえあれば手に入るものでもない。
巻物を作成するとき、通常の魔法を撃つ以上の魔力を使う。
巻物に転写して、だれでも使えるように魔力を込めるのである。
魔力が少ない人は、数日に一本。それなりに魔力があっても一日一本が限度である。
つまり巻物は作ったそばから売れていく。それどころか、予約がずっと先まで埋まっている。
町のどこを探しても巻物屋が存在しないのはそのためである。
リーザは、正司がどのくらいの魔力を持っているのか気になったが、それ以上に聞くのが恐ろしくなった。
たった数日別れた間に、ポンッと百本の巻物を渡せるくらい、正司は魔力を持っているのだ。
それはもう、魔道士というレベルを超えているのではなかろうか。
――大魔道士
その言葉がリーザの脳裏に浮かんだ。
「そ、それはそれとして、巻物は検証しないといけないわね」
通常の巻物ならば、効果は予想できる。
だが、あまりに非常識な正司が作った巻物である。
検証しなくては、怖くて使えない。
「リーザ様……」
護衛隊長のアダンが情けない顔をする。
巻物は誰かが両手で持って、呪文を読み上げないと発動しないのだ。
そして正司の秘密を知る人数は少ない。
「わ、私がやるわ」
「危険です、リーザ様」
「だ、大丈夫よ。た、タダシがくれたものですもの……大丈夫よね」
リーザの唇が少し震えていた。
「えっと、私がやりましょうか?」
正司が言い出すも、リーザは首を横に振る。
「駄目よ。これは私たちで試さないと……」
瞳に決意を宿らせているリーザだが、正司は今からバンジージャンプに挑戦する人みたいという感想を持った。あながち間違っていない。
「リーザ様」
「え、えと……確かめるなら、瞬間移動よね。他は危ないし」
室内で火魔法や水魔法を放ったらどんなことになるか誰でもわかる。
かといって、回復魔法は意味がない。
試すならば、瞬間移動しかないのだが、リーザの顔はテンパったままである。
「でしたら、試しやすい場所に行きませんか?」
「……?」
正司の提案に全員が首を傾げる。
ここはラマ国の首都である。他国の首都で魔法を試し撃ちできる場所などありはしない。
「砂漠なんてどうでしょう」
と正司が言うので、リーザが代表して尋ねた。
「タダシ、できるの?」
「ええ……行きますか?」
リーザは全員を見てから「お願い」と伝えた。
「……ここは?」
一瞬で景色が変わった。砂漠のただ中である。
しかも正司は呪文を唱えた形跡もなければ、秘薬を使った様子もない。
「そして、全員いる!?」
リーザだけでなく、護衛を含めた全員が砂漠に来ていた。
「ここはデルギスタン砂漠です。周囲に集落もありませんし、自由に魔法を撃つことができますよ」
ラマ国首都から砂漠までは、かなりの距離がある。
それを複数人一度に運んだのである。
全員が信じられない顔をするのは、当然と言えた。
一方、正司はというと、リーザたちを凶獣の森へ連れて行かない配慮を見せた自分を褒めていた。
リーザたちはキョロキョロと見回し、小声で情報を確認しあう。
「どうみても砂漠地帯ね。やっぱりデルギスタン砂漠だと思う?」
「ラマ国の周辺にこれだけ広大な砂漠はございません」
「だとすると、本当にここ……デルギスタン砂漠なのかしら」
「気温は明らかに上がりました。ここで嘘をついても意味ありませんので、おそらく真かと……」
自分は配慮のできる男と、ひとりで悦に浸っている正司は、自分に降り注ぐ視線に気付いていない。
「瞬間移動については考えないことにしましょう」
「そうですな」
たしかに周囲の気温が上がっている。
どれだけ南に移動したのか、それだけで分かるというものである。
「巻物はテーブルの上ですので、これを使ってみてください」
「わ、分かったわ」
渡されたのは水魔法の巻物。
リーザは両手で広げ、深く三度深呼吸したあと、呪文を唱えた。
リーザが読み上げたのは『水流』の魔法。
初歩的な水魔法で、これならば問題ないだろうと、正司もリーザも思ったのだが。
――ドドドドド
通常は水道の蛇口から水が出る程度。優秀な者だと消火栓のホースくらいの水を出せる。
リーザが巻物を読んだところ、土管の口から水があふれ出すような量がわき出てきた。
およそ十数秒、リーザはそれを見つめた。
その後、ゆっくりとブロレンを見る。
「おそらく、巻物に込められた魔力が濃いのかと」
「どうして? 巻物の魔法は一定の威力じゃなかったの?」
「使われた皮のグレードが高いのだと思います」
「そ、そういうことね」
リーザは納得したが、風の魔法を操るブロレンからすれば、巻物を読んだだけでこれだけの威力が出せること自体、信じがたいものであった。
皮の善し悪しであれほど威力に差があるだろうかと。
理由を判断するに、どれだけ今の魔法を習熟できているか、それで差が出たのではないかと考えてみた。
その辺の理論は発見されておらず、確証がないが、魔法を巻物に込める者の技量が巻物の威力にも反映されているのかもしれない。
そのため、同じ火球の魔法でも、よりグレードの高い皮を用い、優秀な魔道士が込めた魔法の場合、通常よりも高威力の火球を放つことができるのではないかと。
ただし、それは微々たる差で、普通は気付かない。
正司の場合、通常の魔道士と比べても桁違いに優秀だったため、こうして分かるほどに差がでたのではないかとブロレンは考えた。
「いい感じにできましたね。今度はこれでどうです?」
正司が渡したのは『土槍』。
これもまた信じられない効果を砂漠にもたらした。
巻物による実験は、リーザだけでなく、アダンたち護衛もすることになった。
何しろ、ひとつの巻物で数十回使用できるのである。
トエルザード家があれだけ頑張って集めたのが何だったのだと思えるほど、豪快に使用した。
全員で百発を超える魔法を撃ち終えた。
みな思う存分魔法を撃って、満足している。
ミラベルだけは若年ということで、巻物の使用禁止を言い渡されて不満顔だ。
「では帰りましょうか。どうせならば、巻物で帰ってみましょう」
そういうわけでリーザが元の部屋を念じて呪文を唱えた。
「……というわけで、今日の反省会をするわよ」
無事部屋に戻り、正司が帰っていったあと、リーザは巻物を手早くしまい、何もなかった風を装うよう、指示を出した。
テーブルの上に置かれた巻物はすぐさま仕舞われることになった。
物が物なので、扱いに困る。
やむなくリーザとミラベルの衣装ケースの中に隠すことにした。
「お姉ちゃん、わたしたちの服は?」
「巻物の価値からいったら、カスみたいなものだから、持ちきれないものは置いていきましょう」
服を入れて、巻物を置いていく選択肢はリーザにはなかった。
「リーザ様、ひとつよろしいでしょうか」
「なに? アダン」
「巻物のことなのですが……今回代価なしに戴いてしまいましたが、大丈夫でしょうか」
「そうなのよね……」
およそ貴族社会において、貸し借りは重要である。
体面を重んじる貴族の場合、一般の考えとは大きく違うのだ。
助け合いや思いやりの精神で貸し借りする場合も、あるにはある。
だが普通は、有利に立つために、相手に貸しをつくったり、逆に借りを作りたくないからこそ、行う。
借りができたときは、同等以上のものでお返しをするなど、やりとりには非常に神経を使うのだ。
ときに先代、先々代の貸しがあるとか、借りを返さなくてはならないなんて話も出てくる。
それだけ貸し借りは重要であるから、リーザは最初、巻物を断ろうかと考えた。
だが中身を知って、どうしても返すという選択がとれなかった。
あまりに魅力的過ぎたのだ。
「この火魔法の巻物が一本あれば、あのとき傭兵団に襲われても追い払えたわね」
周辺一帯を火事にする可能性はあるが、少なくとも傭兵団のただ中に一発撃ち込むだけで大打撃を与えることができる。
「巻物一つあれば、どこかの町くらい簡単に落とせそうですな」
「……否定できないわ」
リーザは頭を抱えた。やろうと思えばできてしまう。
たった一本の巻物でさえそれだけ貴重なのだ。
それが百本もある。
しかも、稀少な瞬間移動まである。
一体どれだけの対価を支払えば釣り合うのか。
「町ひとつと交換……でもこちらが貰いすぎに思えてくるわ」
これを売り出せば、いったいいくらで売れるのか。
百本の巻物の総価値を計算しようとして、リーザはやめた。
「しかし、相変わらずびっくり箱のような御仁ですな」
アダンはため息とともに自分の肩を叩く。
護衛にあるまじきことだが、気疲れしてしまったのだ。
「私がタダシのもとへ嫁に行った場合、ルノリー排斥運動がおきないかしら」
リーザが正司の元へ嫁ぐ場合、なぜその男なのかという当然の疑問がついて回る。
迂闊な正司であるから、すぐにだれもが実力に気付くだろう。
その場合、強い力を持っている正司を盟主に据えようとするか、もしくは血の繋がったリーザを推す一派が現れないとも限らない。
「タダシ殿が望まれたら、我々は両手を挙げた方がよいと思いますが」
「そういえばそうね。ということは、どのみち一緒か」
正当性がなかろうが、正司が権力を求めた場合、それを掣肘できる者はいない。
トエルザード家だろうが、ミルドラルだろうが……帝国だろうが。
「お姉ちゃん、お嫁に行っちゃうの?」
「そうね。どうしようかしら」
この場合、年の差は関係ない。
それと正司は独身であることが分かっているので、結婚への障害はかなり少ない。
問題は、他国の者がどう出るかである。
「ねえ、タダシが他国の間者というセンはないわよね」
「あれだけの力量があるにもかかわらず、いろいろ隠すのが下手な者を諸国漫遊させる為政者はおりませんな」
「そうよね」
トエルザードの家名を知らない時点でミルドラルの出身ではない。
また、どう考えてもエルヴァル王国が手放すとも思えない。
あれだけ有用な人材ならば、使い倒すくらいのことはする。
かといって、正司はラマ国に来たことはないとハッキリ言った。
可能性として残るのは東の帝国だが、その線は限りなく薄かった。
なぜなら、帝国は領土を広げすぎて、内乱が各所で勃発しているのだ。
戦える者がひとりでも多く必要なのは、現時点で帝国が一番である。
「やはり、凶獣の森の生まれかしら」
魔道士夫婦が産み落とした異端児。
それが一番しっくり来るのだとリーザは考えている。
「あそこは人跡未踏ですから、そういった存在がいても不思議ではないですな」
「とにかく自領までの護衛は依頼済みだし、道中でもう少し仲良くなりましょう」
トエルザードに永住してくれるように少しでもいい印象を与えようというのである。
「そういえば、砂漠からここまで巻物で帰ってこられたのですから……」
「あっ!」
瞬間移動が込められた巻物は二十本ある。
リーザは自分の家に巻物で戻れるのである。
一度で無理でも、これだけあれば絶対にたどり着ける。
「でも巻物で戻ると大変な騒ぎになるわよね」
「はい。それだけでなく、タダシ殿の護衛がいらなくなります」
「それは拙いわね。気がつかなかったことにしましょう」
「そうですな。もっとも、ラマ国首都から巻物で一気に帰ったと分かったら、戦争に使われるかもしれません」
「そうね。そういうことよ。だからこれは父に見せるまで使用禁止。それで行きましょう」
後付けの説明だが、全員がそれに頷いた。
「ふー、やれやれですな」
やはりアダンは気疲れしているようだった。