137 お人好しが異世界で、一旗揚げたようです
浪民街襲撃事件を正司が解決してから半年後。
ロスフィール帝国の皇帝エルマーンは突如、自らの退位を宣言した。
その一報は、衝撃を持って帝国全土に伝わった。
五十年以上におよぶ長い治世に飽いたとも、次代に己の野望を託したとも言われているが、真実が語られることはなかった。
次代の皇帝は、第二皇子のブルーノが指名された。シャルトーリアの父である。
これより数ヵ月かけて、皇帝交代の準備に入る。
数ケ月後には、新しい皇帝が誕生する。
帝国の人々は、新しい時代の到来に喜びの声をあげた。
「……とまあ、無事退位宣言も出て、予定通りとなったわけだが」
「おめでとうございます」
情報担当大臣クオルトスが、シャルトーリアに頭を下げる。
「大変なのはここからだ。私も、おまえも……」
「心得ております」
以前のシャルトーリアは、父親を皇帝の座につけることを目標としていた。
あの時のままならば、満願成就である。
だが今は違う。これは――こんなものはただの通過点。
登山で言うならば、急な斜面が今から顔を覗かせる場面である。
「多数派工作が完了していなかったが、思ったより簡単に事が済んだのは朗報だったか」
「皇帝陛下も本気を感じ取ったのでしょう」
シャルトーリアは、いささか乱暴な手段に訴え出た。
祖父である皇帝のところへ赴き「戦おう。だがその気がないならば従え」と突きつけたのである。
不遜かつ性急な申し出に、皇帝と皇帝派の面々は泡を食った。
だが彼らは、魔道国の怖さを知らない。言ったところで、狭い世界で完結している者たちの心には響かないだろう。
帝国が対応を間違える前に、シャルトーリアは世代交代を果たしておきたかったのである。
もちろん従うのを拒否した場合、兵を率いて帝都を攻めるつもりでいた。
絶対に引かぬという気概を持って皇帝たちとの対話に臨んだシャルトーリア。
どちらかが最後の一人になるまで戦い抜くと最初から宣言していた。
皇帝は死を極端に怖れ、結局その言に従った。
「是非もなし」
南の町に皇帝の離宮がある。
風光明媚なその場所を整備させ、そこに移ってもらうことにした。
「これからどうなさるおつもりですか?」
クオルトスとしては、国内の地盤固めには、少なくとも数年はかかるとみていた。
「まずは父の手綱をしっかりと握ることから始める」
第二皇子は良くも悪くも皇族的な人物である。
高貴が服を着て歩いていると形容すれば、分かりやすいかもしれない。
大らかで……いや、大らかすぎて、「明日からあなたが皇帝です」と言われれば「そうか」で済ませてしまうところがある。
シャルトーリアの段取りがあって、次の皇帝に指名されたのだ。
だが、本人は何も分かっていないに違いない。
皇帝が「しでかさない」とも限らない。
シャルトーリアは、自分が目を光らせる体制を作らねばと思っていた。
「それでは諮問機関を新たに設置いたしましょう。理由は……新帝の負担を軽くするため。貴族には、新帝の治世に混乱をもたらさないためで行きます」
「それでよい。すぐに人選をはじめてくれ」
「かしこまりました。それと、第一皇子派の粛清はいかがなさいます?」
「それは伯父上の反応を見てからでよい。宣言が出た以上、領主や貴族が騒いだところで覆せるものではなくなった。動くとすれば軍と一緒だ。そうなったら、叩き潰せばよい」
シャルトーリアは東方方面軍だけでなく、中央軍も使えるようになった。
戦いになっても負けることはない。
「外聞が悪くなりますが、叛乱をおこしてくれた方がせいせいしますが」
「兵が余る時代が来るだろうし、それもいいな。いっそ煽ってみるか」
対魔道国のことを考えれば、帝国内での権力争いなど、もはやそよ風に感じる。
「よろしければ実行しますが」
「冗談だ。おまえの時間は、魔道国のために使ってくれ。この前みたいに青くなっては困るぞ」
最近、打ち合わせのために正司が帝国にやってきていた。
応対したのは、情報担当大臣のクオルトスである。
彼が一番の事情通だからしょうがない。
地位や身分ばかり高くても、正司のことを「よく知らない」者には任せられない。
だが、そんなクオルトスでも、ふと冗談で。
「巨大な城を一瞬で建てたと伺いました。もしかして逆も可能ですか? たとえばこの帝都の壁をすべて取っ払うなど」
などと冗談を言った。
帝都クロノタリアは、帝国で一番の巨大都市である。
周囲を囲む数十キロメートルの壁は、帝国民に安心と畏怖を与えていた。
「できますよ。やりましょうか?」
クオルトスの提案に正司が乗った。
冗談だったこともあり、クオルトスは「ではお願いしましょうか」と言いかけた。
あまりに自然に正司ができると答えたので、本気にしなかったのだ。
だが寸でのところで思いとどまり、「もしかして本当に……できるのですか?」と尋ねた。
ナイス判断である。
「もちろんです。……それで、やらなくていいのですか?」
気負うことなく答える正司に、クオルトスは絶句した。
あやうく、冗談で帝都の壁がすべてなくなるところだった。
あとでシャルトーリアがおそるおそる聞いたところ、「そういうこともあるかなと思いました」と正司は答えている。
何らかの事情で、帝都の壁がいらなくなったのかと思ったらしかった。
「縦のものを横にする感覚で、帝都の壁が消滅しなくてよかったな」
「……はい。反省しております」
正司のことをそれなりに知っているクオルトスでさえこうなのだ。
正司が絡めば、だれかの不用意なひとことで、国が転覆するような事態すら容易に起こりえるのである。
「それに比べたら、国内の権力闘争など優しいな。限界が予想できるというのは、これほど安心を与えてくれるのか」
「まったくでございます。本当にそう思います」
帝国の歴史に悪い意味で名を残しそうになったクオルトスは、心底同意した。
敵対してきた者は叩き潰せばいい。
それで問題解決できるのだから楽である。
「さて、伯父上はどうでてくるか」
「陛下の宣言が出た以上、方面軍は動かないでしょう。動くとすれば地方軍ですが……」
「それでは相手に不足だな」
「はい」
「ということは、このままか?」
「小さくなって震えているやもしれません」
第一皇子は一度帝都を離れたものの、側近たちに説得されたのか、すぐに戻ってきた。
その後は大人しくなり、不穏な動きもなかった。
シャルトーリアは大いに舌打ちしていた。
結局、何事もなく数ケ月が過ぎ、無事に新帝が誕生した。
シャルトーリアは皇帝より丞相の立場を与えられ、皇帝に継ぐ地位に君臨した。
本来ならば喜ぶべき出世だが、シャルトーリアは粛々と受けた。もはや帝国での地位くらいでは、心が動かなくなっていた。
シャルトーリアが丞相に就任するや否や、次々と新しい方針を打ち出した。
国内の改革を一気に推し進めようとしたのである。
帝都に住む貴族が「丞相は生き急いでいる」と評したように、シャルトーリアは瞬きひとつの時間すら惜しむほどに動いていた。
月日が経ち、一見バラバラに見えた新しい方針が、あるひとつのことに関して繋がっていることに気付く者が現れた。
それらはすべて魔道国に関係していた。
この段になって、多くの有力者や貴族は「丞相は魔道国に魂を売り渡した」と叫んだ。
だが、その声が大きくなることはなかった。
この頃になると魔道国の凄さ……いや、恐ろしさが明らかになってきたのである。
魔道国を知った者たちは、口を揃えて「あそこに逆らってはいけない」と言う。
どうやら、それほど恐ろしいものがあるらしい。事情を知らなくても、勘や嗅覚が発達した貴族たちは、こぞって沈黙を守った。
そして皇帝が行った近年最大の政策……といっても草案はすべて丞相であるシャルトーリアが書いたものだが、それが発令された。
魔道国との国交樹立である。
それが発表された翌日、まるで計ったかのように、魔道国から大型船が大挙してやってきた。
一夜のうちに帝国にある港は整備され……いや、あれを整備というのだろうか。
となりにもうひとつ巨大な港が出現し、数十隻という輸送船を受け入れたのである。
従来の大型船が、吹けば飛ぶような枯れ葉のように見えるほどの船。
その大群が荷物満載で寄港したのである。
魔道国の力を目の当たりにした帝民たちは大いに驚いた。
だが、真の驚愕はこれからだった。
今度は北。
突如として絶断山脈から東へ、まるで未開地帯を帝国民の目から隠すように大壁が出現したのである。
大壁は毎日何十、何百キロメートルも延長されていった。
人々が「いつできた!?」「この先はどうなっているのだ?」と驚いている間に、壁の先端はずっと東へ延びていった。
北の大壁についての問い合わせが帝都に届くころにはもう、壁は東の端……つまり、海まで届いてしまった。
壁の高さは二十メートルほど。
ハシゴを使えば登れないほどではないが、だからといって挑戦しようと思う者は出なかった。
壁の反対側に出たとしてもそこは未開地帯である。帰る方法が分からない。
謎の大壁はもちろん魔道国絡みであることは想像ついたが、「どうして」「なぜ」の部分は皆目見当がつかない。
そこへようやく帝都からの公式発表が行われた。曰く……。
――未開地帯全土を魔道国領と定め、以降帝国と魔道国は領土を接することになる
つまりあの大壁は国境線だったのだ。
報告には続きがあった。
――魔道国への移住を希望する者は、各町にて申請すべし
帝国の村や町はいまや、人余りの状態である。
実は先日、大型の輸送船から運び込まれたのは、大量の食糧であった。
どうやら魔道国では、輸出するほど食糧が余っているらしい。
魔道国が急速に領地を拡げ、数多くの町を建設していることは知られていた。
だが帝国と交流がないことで、入ってくる情報はそれほど多くなかったし、行き来することは事実上不可能であった。
だが、まさか短期間のうちにこれほどの国力をつくりあげているとは。
そして帝国そのものが、魔道国への移住を仲介するとは!
帝民たちは、この驚きをどう表せばいいのか分からなかった。
未開地帯を魔道国領とするのは、新年初日と定められた。
奇しくも、魔道国が誕生して二年目となるその日であった。
これにより、両国の歴史がともに紡がれていく。
「……ようやく全面オープンにこぎ着けられました」
正司は長年の宿題を終えたような顔をした。
もしくは、長期連載の最終話を書き上げたときの顔だろうか。
ここはトエルザード公領ラクージュの町にある博物館オリジン。
新しい国を興したことによる人材難を補填するため、博物館で働いている人が何人も出向していったのである。
博物館は満足できる数の従業員を揃えられず、現状維持のまま留め置かれていた。
だがそれも今日でおしまい。
国の運営がようやく一息つけたことで、博物館に人材を回す余裕がでてきたのである。
「長かったですな」
総支配人のレオナールは、感慨深げに涙を流している。
客が増えても従業員が増えず、相当苦労したらしい。
エリザンナとマリステルはそれぞれミラシュタットの町とリザシュタットの町へ出向してしまったため、早くからいなくなっていた。
レオナールはパウラとともに、この苦境を乗り越えてきたのであった。
「屋上の遊戯施設も完成しました。先ほど見てきましたが、かなりの人が遊具で遊んでいました」
魔石で動く魔道具を「遊具」と評していいものか悩むところだが、世界で初の試みである。
屋上の遊具施設は盛り上がりを見せていた。
三階のレストランにも新メニューが続々と入り、土産物売り場は時間制限を設けるほどの盛況ぶりである。
そしてなんと言っても、博物館の目玉である一階と二階の展示場。
正司が新たに造りあげた魔物の石像や、この大陸の詳細な模型図など、ここでしか見られないものが多数あった。
魔道国誕生と相まって、いまだ衰えない人気を博している。
正司は博物館の外に繋がる人の列を眺める。
レオナールが言うには、毎日同じ光景だそうだ。
「ここの経験がなかったら、国を興すことはなかったでしょうね」
「さようでございますか」
「ええ、人を雇って動かすことを学びました。経営していくことの大変さも……それから、レオナールさんのような人たちがいれば、しっかり続けられることも」
文字通り、博物館経営は「いい勉強」になっていた。
もしこの経験がなければ、正司は建国を反対したことだろう。
「最後まで面倒みきれない」そう弱気になっていたはずだ。
だが、そうではなかった。
システムをつくりあげ、動かす人員さえしっかり配置できれば、会社だろうが博物館だろうが、勝手に前に進んでくれる。
国だって同じである。そのことが分かったのは、大きな収穫だった。
そして事前にシステムをつくるということ。
ルンベックが提案したように、町をつくったら一般の人をまず移住させる。
十分準備が整ってから棄民の移動を開始させた。
これらのことができたのもみな、博物館の経験があったからである。
「ここはタダシ様のものでございます。それはいつまでも変わりません」
「そうですね。今度はもっと頻繁に様子を見に来るようにします。レオナールさんも引き続きお願いします」
「お任せ下さい。タダシ様のいない間、しっかりと守ってご覧にいれます」
レオナールは優しく微笑んだ。
正司は魔道国に跳んだ。
向かった先は七番目の町である。
ここは他の町とは違い、一風変わった形をしている。
通称「盆地の町」。
最初ここは、周囲の森から隔離されたような高台となっていた。
正司はそこに目を付け、高台をそっくりそのまま天然の壁としてつくりあげたのである。
火山の噴火口に町があるように見える。
町に入るには東西南北にある四つの洞窟を抜けるしかなく、ここはいま、冒険者の町として多くの魔物狩人が訪れている。
「がっはっは……今日もいい戦いじゃったわ」
陽気な声で現れたのは、老将ライエル……いや、いまは壮年の偉丈夫となったライエルである。
町の近くに高グレードの魔物が湧く一帯があり、ライエルは日々、部下を引き連れてそこに赴いている。
ライエルの後ろには、ゴミのようなものがうずたかく積み上がっていた。
ライエルの場合、戦いに明け暮れた五十年以上もの経験がある。
その上で若さを取り戻した肉体を持ったのだ。それはもう、人々の常識を軽々と越える存在となっていた。
ライエルは部下とともにこの町で魔物狩り三昧の毎日を送っていた。
新兵は必ず一度、ライエルに鍛えてもらうことになっている。なぜかそうなってしまったのだ。
つまり新兵は、ライエルに連れられて高グレードの魔物が湧く地域に日参している。
ライエルの後ろのゴミ……それは新兵たちのなれの果てであった。
歩くことすら困難になった新兵をまとめて持ち帰っただけのようだ。
それがこの町の日常である。
「陛下! 明日一緒にコレ、行きませんか?」
ライエルは首を親指でかっ切る仕草をした。
最近のライエルは、正司のことを陛下と呼ぶ。
正司は「まだ威厳もありませんので、どうかその呼び名は……」と断ったのだが、聞きはしない。
そしてライエルの言う「コレ」とは魔物狩りである。
たまに正司がライエルについていき、G4やG5の湧く場所で狩りをする。
そんな場所に赴けるのは、大陸広しといえどもこの二人だけである。
「いえ、明日はどうしても外せない用事がありますので」
「そうですか。それは残念ですな。まあ、狩りに行く機会などいくらでもありましょう。次に期待ですな」
「ご期待に添えずすみません。次回はぜひ……それでライエルさん」
「なんでしょう、陛下」
「デルギスタン砂漠で少々不穏な動きがあるようなのです」
「ほう……?」
「北部に住むシュテール族と南部に住むエルヘイム族の間で諍いが頻発していると耳にしました。そのせいで交易商人たちが荷を運びたがらないようなのです」
「なるほど……ワシが若い頃、何度かエルヘイム族とやり合いましたわ。もっとも小競り合い程度でしたが」
「そうみたいですね。当時を知っている人はもうあまりいないので、少し話を聞きたいと思いまして」
「ふむ。そういうことですか。エルヘイム族はシュテール族よりも厳しい環境で暮らしているようで、一番深刻なのが水ですな。結局それを求めて北にやってくるのですわ。小競り合いの原因はほとんどが水と考えていいでしょう」
デルギスタン砂漠をずっと南に降り、西へ向かったところに『オアシス帯』が存在する。
エルヘイム族はそこで暮らしているが、交易商人はそこまで出張しない。
せいぜいがシュテール族の集落までなのである。
ゆえに彼らはほとんど自給自足。
そしてオアシス帯の水が不足すると、北へ侵攻してくる。
「私も以前、シュテール族の集落にお世話になったことがありましたが、そのときも、あまり仲がよくない話は聞いています。今回、両種族の間で大小の衝突が起きているようなのです」
正司が深い井戸を掘ったことによって、シュテール族は助かった。
だがエルヘイム族はいまだ水不足に喘いでいるのだろう。
「原因が水不足でしたら、なんとかできるかもしれません」
「説得に行くのですか?」
「ええ、〈土魔法〉と〈水魔法〉があれば、水不足は解消できると思いますし」
「でしたら、ワシも手伝いますぞ。ヤツらは余所者をあまり信用しないので、始めに分からせないと、いつまで経っても距離が縮まらんのですわ」
穏やかに接しても、丁寧に話しかけても無駄。実力を見せるまで、連中は決して心を開かないのだという。
「でしたら、ライエルさんがいてくれた方がいいでしょうか」
「ですな。ヤツらはみな戦士ですから、強い者には従いますよ」
「分かりました。では数日のうちに時間を作りますので、砂漠南部への遠征をお願いします」
「心得ました! 楽しみにしてますぜ。軽く撫でてやりますわ」
ライエルはそう言って笑った。
翌日、正司は一人で、未開地帯のとある場所に来ていた。
周囲には誰もいない。
(そろそろでしょうか……)
手持ち無沙汰となった正司は、周囲を歩く。
ここは魔物が湧かない一帯だが、その広さは猫の額ほど。村を作る面積すらなさそうな場所である。
正司は気配を消してじりじりとしていると……。
(あっ、あれですね)
上空にポッカリと長方形の穴が空いた。
(やはり、語り部の言葉は正しかったようですね)
正司は精力的にクエストをこなし、いくつかの『言語』を習得した。
それは必要なことだった。
スキルの『言語』欄には数多くの言葉が並んでいた。正司はまずそれをすべて書き出した。
その後、現在と過去で話されていた国の言語を除き、地方の集落でほそぼそと使われていた言語を探し出しては排除していった。
帝国には意外にも言語に詳しい学者がいた。
過去の文献を読み解くため、多くの言語についての研究がなされていた。
そうして残ったいくつかの言語のうち、「これは」と思うものから正司は習得していったのである。
そしてついに、スミンが話す言語を探り当てた。
正司がスミンと会話した。
といっても、スミンはまだ若く、系統だって話すことができないらしい。
単語や簡単な文節程度しか使い得ない。
将来どうなるか分からないが、現時点ではその程度であった。
正司がスミンと話し、世界の言葉を聞き出した。
その内容は、十分苦労に見合うものだった。
「この世界」が「別の世界」と繋がる日時と場所が分かったのである。
「よっと!」
正司は〈身体強化〉を施してジャンプした。
空間に空いた穴は、地上が四、五メートル上にあった。
「おじゃまします……って、ここは……あれ? 見覚えが」
穴は、正司が以前住んでいたマンションに繋がっていた。
しかもまたタンスの中である。
以前とまったく変わらない場所に繋がっているのは偶然か、それとも……。
「まさか時間も進んでなかったりして」
そう呟いて見回すと、室内にいくつかの違和感があった。
まず部屋が片付いている。綺麗整頓されているのだ。
そしてもうひとつ。正司の見知らぬものが置かれていた。
(だれかがここで生活しているのでしょうか)
畳まれた布団が壁に寄せてあった。
他にも正司が見たことない衣装ケースも置かれていた。
正司は机にノートが置いてあるのに気付いた。
近寄って、それを開いてみる。
(……これは、共同で書かれた日誌ですね)
ここを訪れた人が書き残した日誌のようだった。
書き手は四、五人。
どれも見覚えのある字だった。
最初の日付は三月二十日。正司が失踪してから九日目から始まっていた。
正司は丁寧にノートを読む。
(結婚して外国で暮らしている妹も、何度か戻ってきてくれたのですね)
正司が失踪してから今日まで、両親と二人の兄は駅前でチラシを配ったり、ネットで探したりの活動も行っていた。
忙しくて正月すら帰ってこなかった妹も、年に何度も日本に来ては、このマンションを訪れていた。
どうやら家族がお金を出し合って、この部屋の契約をずっと続けているらしい。
(もう二年以上経っているというのに……)
ときおり掃除にやってきては、近況を書いていくことにしていたようだ。
このノートはそのときのもの。
正司は涙した。
家族はみなそれぞれ目標を見つけて生きている。
自分がこの世界から消えても影響は少ないだろうと、勝手に考えていた。
だがそうではなかったのだ。
何年経っても家族は正司の生還を信じ、こうして待っていてくれていたのだ。
正司は椅子に座り、返事を書いた。
黙々と……久し振りに使う日本語はなんだか違和感があった。
正司は正直に、タンスの角に足をぶつけて異世界に落っこちたことから書き始めた。
そこでサバイバル生活をしつつ、人と出会ってクエストをこなしながら生きてきたことを書いた。
「あっ、外。いつ日が落ちたのでしょう」
明かりをつけずに返事を書いていたため、手元はもう暗くなっていた。
「……っと、そろそろ穴が閉じる時間ですね」
ノートはちょうど最後のページに差し掛かっていた。
「というわけで、向こうの世界で元気にやっていきます。ですから私のことは心配しないでください。ありがとうございました」
最後まで書き上げ、正司はノートを閉じる。
そのままゆっくり立ち上がった。
タンスに向かおうとしたところで振り返り、ふと立ち止まる。
正司は、『保管庫』から手の平サイズの岩を取り出す。
少し考えてから、〈土魔法〉で自分のフィギュアを造り、ノートの上に置いた。
シュテール族の外套をまとい、にこやかに笑っている姿だ。
「これだけだと少し寂しいですね」
そう呟いて、隣に三人の女性のフィギュアを付け足した。
「これでよしと……さあ、私の帰る場所へ戻りまっ……」
正司はタンスの角に足をぶつけて、異世界に転がり落ちた。
その衝撃で正司フィギュアだけが、コテンと横倒しになった。
〈完〉
終わりました! 完結です!お疲れ様でした。
そしてここまで読んでくださった読者の皆様、ありがとうございます。本作品を楽しんでいただけたら幸いです。
1年ちょっとの連載で156万字でした。
毎回楽しみにしておられた方。きっと楽しい時間を過ごせたのではないでしょうか。
一気読みされた方。完結まで一気に読める贅沢を存分に味わえたのではないでしょうか。
というわけで、みなさまにお願いがあります。
一言でよいので、下から感想いただけたらと思います。
この作品を読んでどう感じたのか。みなさまが物語を読むのと同じ気持ちで、私も読ませていただきたいと思います。
よろしくお願いします!
作者拝