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135 後始末

「どうした、タダシ?」

 地面に膝をつき、ガックリと項垂れる正司に、クヌーは慌てた。


 正司はまさに燃え尽きた――その表現が一番似合っているだろうか。


 異変に気付いたのはクヌーだけではない。

 シャルトーリアをはじめ、周囲にいる者たちもまた、正司の様子がおかしいことに気付いたが、その理由にまで思い至らない。互いに顔を見合わせている。


「リスミアさん、もう復讐はいいのですか?」

「……うん」


「どうしてですか?」

「だって……」


 リスミアは眉間にシワを寄せて、鼻をつまんだ。

 ここまで来た道を振り返ってから、もう一度正司の方を向く。


 直前まで百人を超える人々がこの地で戦いを繰り広げていた。

 血の臭いがまだ、あたりに充満している。


 クヌーがリスミアを連れてきたのだが、ここに来るまで、指や手、それに足までもがポロポロと地面に落ちていた。


「タダシ、こんな戦場跡で『復讐したいか』と聞いても、誰だって『もういい』と言うと思うぞ」


 クヌーに言われて正司は「そういえばここ、戦場でしたね」と、遠くにいる兵士に目をやる。

 なぜか町兵たちは、離れたところで小さく固まっている。


 正司と視線が合うと、みなあさっての方角を向いて目を逸らす。

 明らかに正司を怖れている。


「これ以上ここで血を流してどうするんだ、タダシ」

「……そうですね。でも私はリスミアさんがお父さんの仇を討ちたいという約束を果たしてあげたかったのです」


「俺は逆に、諦めさせるためにわざとこの場所へ連れてきたのかと思ったぞ」


 ここでもうこれ以上血を流してどうなる。

 人を傷つけることの無意味さを噛みしめるならば、戦いが行われた直後の戦場は最適だ。


「諦めさせるためにわざと」と言ったクヌーの感覚の方が正しい。

 正司は場所の選定を間違えたのだ。ゆえにクエストは失敗した。


 はじめての失敗。貢献値0という結果。

 最後の最後で詰めを誤ったのかもしれない。


(私としては残念な結果でしたけど……逆に考えれば、これはリスミアさんが成長した証しですね)


 復讐は虚しい。復讐したところで、何の生産性もない。

「復讐したい」という気持ちが「もう復讐はいいや」となったことを喜ぼう。


 そう考えて正司は、この問題を終わらせた。

 取得貢献値が0でも、正司は泣かないのだ。


 立ち直った正司と、先ほどから首を傾げているシャルトーリア。

 シャルトーリアはいまの話を聞いて、なんとなくだが、状況が理解できた。


「まさかその少女に直接……復讐させようと思ったのか?」

「ええ、そうです。リスミアさんがそう望まれましたので」


「…………」

 シャルトーリアは黙ってしまった。

 正司の目は本気だと分かったからだ。


 この場合、浪民の少女の復讐相手は、皇女に代官に商人だ。

 それでも正司は、本人が望めば復讐させるつもりでいた。


「もう一度聞くが、本気だったのだな?」

「ええ、そうです。だって人を殺した人ですよ。痛い目をみてもいいと思いませんか?」


「そんなことになったら、相手は死……」

 そこでシャルトーリアは気付いた。正司の「痛い目をみる」という言葉。


 先ほどまで戦場に手や足が落ちていた。

 多くの血も流れた。だが誰も死んでいない。


 戦闘が始まって間もないことだったし、襲った方の腕が未熟だったこともある。

 それでも致命傷と思える傷はあったし、瀕死の者もいた。だが死んでいない。


 ――痛い目をみる


 文字通り、痛い目をみせるつもりだったのだろう。

 瀕死になっても、正司ならば造作もなく全快させたに違いない。


 シャルトーリアは想像した。

 自分の手足を土で固定され、「さあ、これを使ってください」と子供でも扱える小刀を渡される。


 浪民の少女が自分に向かって刃物を振り上げ、ためらいなく振り下ろす。

 何度かそれが繰り返され、もういいとなったら、正司が跡形もなく、キレイさっぱり治してしまう。


 ありえる。ありえるからこそ、想像できてしまった。

 正司がそのつもりだったのだと知って、シャルトーリアは背筋が氷る思いだった。


(浪民の扱いは、本当に……本当に気をつけねばならないな)


 棄民や浪民が関わると、正司は口だけでない。

 国だってつくるし、少女のために復讐の手伝いを厭わない。


 これは決して忘れてはならないことだと、シャルトーリアは胸に刻んだ。

「そうだ。この血なまぐさい戦闘跡を消しますね」



 ――ズン



 大地が揺れ、シャルトーリアたちがよろける。

 その僅かな間に、地上に流れ出た血や、敵に斬り落とされた指や腕や足の数々が綺麗さっぱり消えていた。


 正司が〈土魔法〉で土中深くへ押し込んだのだ。

「これで後始末は完璧です」


「ああ……完璧だな」

 かなり引き気味に、クヌーは同意した。


「さて、シャルトーリアさん。先ほどの停戦の話ですけど、あれって一時的なものでしょうか?」

 停戦の話がシャルトーリアに向いた。


「いや……このあと私が領主にしっかりと伝える。伝えるぞ。だから早まったことを考えるなよ」

「ええ、もちろんです?」


「帝国はこの地を不必要に侵すことはしない。……その答えで満足してもらえるだろうか」

 シャルトーリアのおもねるような言い方に、正司は首を傾げた。


 だが言っている内容はよいものだった。

 この地が蹂躙される未来はなくなったのだから。


 シャルトーリアは思う。

 どのみちグラノスの町兵は、もう二度とここへ来たがらないだろう。


 全身を土で固められたらどうなるか、彼らは身をもって知った。

 戦って死ぬならばまだしも、あれほど理不尽かつ一方的に扱われたのだ。もう一度戦えと言われても二の足を踏むに違いない。


「それはよかったです。でしたらクヌーさん」

「なんだ?」


「代官の家が襲撃されたらしいのですけど、知っていましたか?」

「ああ、急進派が戻ってきたので聞いた。そのせいでここは大揺れだ」


「その人たちは、したことの罰を受けなければいけないと思います」

「道理だな。だが、不当に住処を追われた連中の怒りは俺も理解できるし、帝国は浪民に厳しい。連中は従わないだろう。この地で争いになるぞ」


「なるほど。裁判を受けるにも、まっとうに扱ってくれるか分かりませんしね。うーん、どうしましょう」

 正司が悩んでいるそばで、シャルトーリアはどうすればいいか考えた。


 正司は、帝国よりも浪民街の方に肩入れしている。

 ここはひとつ乗っかっておくべきだろうと。


 断片的な情報しか集まっていないが、正司は少女の願いを叶えるため、いろいろ動いていたことが分かっている。


 なぜ一国の王が、浪民の少女のために動くのかは分からないが、魔道国が「棄民救済」を抱えていることと無縁ではないかもしれない。


 少女の願いが「父を殺されたことの復讐」であった。

 その辺のことを踏まえて、うまくこの場を収めたい。できれば正司に好意的なイメージを持ってもらいたい。


「シャルトーリアさん、どうしたらいいと思います?」

「私邸を襲撃した者たちのことか?」


「そうです。引き渡しをお願いしたいですけど、きっとまた争うことになりそうです」

「町を襲った者たちは当然裁かれるべきだ」


「はい。私もそう思います」

「だが代官の所業もまた、褒められたものではない。いや、私は処罰の対象となると思っている」


「区画整理時の汚職ですか」

「そうだ。それを踏まえて、両者の処遇を改めて考えようと思う」

 忙しく頭を働かせたシャルトーリアは、やや漠然とした言い方をした。


 このままでいくと、急進派の者たちは一方的に裁かれる。

 全員処刑が妥当の案件だろうが、正司の反応が怖い。


 こんな些細な件で正司の機嫌を損ねたくない。逆に機嫌を取っておきたいくらいだ。

 シャルトーリアは、全力で忖度(そんたく)したくなった。


 そのため、こう考えた。

 今回罪を犯した者たちは、五年前に行われた区画整理の被害者である。


 区画整理が行われた当時、代官は不正していた。

 シャルトーリアは、以前からそう考えている。


 不正を明らかにさせる途中で代官がゴロツキを雇い、話がこじれた。

 もし不正が見つかっていれば、代官は失脚し、彼らは浪民街に来ることなく、「町に住んでいた住民」として考えることができるのではないか。


 多少強引だが、先に代官の不正が見つかっていれば、なんとかなるだろう。

 不正が見つかった時点で、代官はただの人に戻るのだ。


 急進派が襲撃した代官の私邸は、こう考えることができる。


 ――町民どうしのイザコザ


 襲撃といっても、怪我人が出ていないので、罪としては不法侵入に窃盗、器物破損である。

 被害額は巨大だが、住むところを追われた住民たちも代官から損害を被っている。

 つまり互いにやり合った結果の出来事なのだ。


 ならば双方の被害額を算出して、どちらかが差分を支払う形で落ちつくのではないかと。

 シャルトーリアは、このようにして浪民――いや、正司に最大限譲歩した提案をした。


 もしまったく事情を知らない他の貴族がこの話を聞いたら、目を剥いたことだろう。

 それくらいシャルトーリアはこの件――正司に譲歩していた。


 シャルトーリアの心の内を知らない者たちは「頭がおかしくなったのか」と思ったかもしれない。


 だがシャルトーリアにしてみれば、敵対派閥の者を守る必要性は感じていないし、絶対に敵対したくない相手に対して譲歩するのは当然のことである。


「以上から、彼らの権利を元に戻した上で公平に裁く。それでどうだろうか」

 こんなときに皇女の権力を使わないで、いつ使うのだ。最大限使ってやるぞと、シャルトーリアは意気込んでいた。


 この忖度しまくりの提案に、正司は「それなら安心ですね」と微笑んだ。

 あまり裏を読んでいない発言だが、正司の機嫌が直ったので、シャルトーリアは心底ホッとした。




 町政を統括するのは領主である。つまり代官の処遇は領主から言い渡される。

 この件は、シャルトーリアが法務大臣に話を通すと言った。


 領主へは大臣から話がいくだろう。

 領主が内容を理解し、捜査を承認すれば、公的な機関が動くことになる。


「では俺は急進派の連中に今の話を伝えればいいのだな」

「はい。だから罪を償ってくださいと伝えてください」


 何日かかるか分からないが、シャルトーリアが言った形に落ちつくことが決まったら、正司がクヌーに領主からの書類を届けることになった。


 ようは「みなさんの権利を町民に戻します。その上で互いにイザコザがあったで話を収める」から出頭してくれということだ。


 これが一番穏便に収まるので、浪民街をあげて協力することになった。

 それが今回の落としどころである。


 正司は「それは公平ですね」と満足しているが、昔から蔑まれてきている浪民街の者たちにとっては、天地がひっくり返るほどの驚きだった。


 帝国がそこまで配慮するのははじめてのことである。

 同時にここが守られるならば彼らをちゃんと説得すると、クヌー以下その場にいた各集落の者たちは請け負った。


 これで帝国の介入がなくなるのだ。こんな嬉しいことはない。


 何にせよ、正司が正式な書類を持ってくるには、かなりの日数が必要である。

 浪民街で話し合う時間は、十分残されている。


 代官の私邸襲撃とそれで派生した浪民街侵攻は、このような形で決着した。


「では帰りますか。ついでに兵の人たちも一緒に送っちゃった方がいいですよね」

「頼めるか」


「問題ありません。それではクヌーさん、お騒がせしました」

「あ、ああ……」

 正司は一カ所に丸まって震えている町兵を連れて、跳んだ。


 町兵をグラノスの町に戻したあと、シャルトーリアは正司にいくつかの頼み事をした。

 ひとつは、代官を帝都に移動させたいというもの。


 代官から話を聞く場合、それより上の権限を持つ者が必要である。

 グラノスの町ではそれが揃えられない。


「いいですよ」

「反対に法務大臣の下に様々な捜査を行う者がいる。それらの者を帝都からこの町に派遣したい」


 証拠固めを公的に行うことになる。

 これまた帝都から派遣するには日数がかかる。


「迅速に進めたいのだ。これらを頼めないだろうか」

「今回の後始末ですから大丈夫です」


 正司に負担はない。普通はあるものだが、正司にとってはまったく負担にならない。

 シャルトーリアはまず人を動かし、そのあとで書類作成をすることにした。


 正司も、このままでは浪民街の人たちが困ることになると分かっている。

 シャルトーリアの提案に従って、〈瞬間移動〉での人運びを手伝った。


 人をただ運ぶだけ。気分は「アッシー君」である。

 そして数日後、正司は途中経過を報告するため、浪民街を訪れた。




「クヌーさん、いろいろ解決したので、話をしにきました」

「まだ数日だが……」


「ええ、ロキスさんがすぐに自供してくれたのです」

 身柄を帝都に移されたロキスは、ある程度観念したらしい。


 帝都から派遣された捜査部の面々は優秀であり、隠すのは不可能と考えたかもしれないし、少しでも心証をよくしておこうとしたのかもしれない。


 町兵隊長や秘書はグラノスの町に残ったままだ。

 連絡がとれないし、口裏を合わせることも不可能。


 貴族すら厳しく追及する帝都の捜査部が相手である。

 隊長や秘書が黙秘し続けられるとは思わなかったようだ。


「領主も協力的で、結構簡単に事態が終息した感じです。あっ、でも書類がまだ整ってないので、全面解決ではないのですけど」


 そう言って、正司は「仮ですけど」と前置きした上で、決まったことを伝えた。


・ヒットミア領のすべての町は、浪民街へは兵をさし向けない。


・代官の罪が明らかになったため、区画整理された区域に住んでいた者たちの権利は戻される。


・代官の私邸襲撃は、同じ住民同士のイザコザとして処理する。


 これで手を打ってくれないかということです。


「前も聞いたが、本当にそんなことが可能なのか?」


「ええ、迅速に動いてくれたようで、帝都で反対もなく了承されていました。代官の罷免は終わりまして、正式な書類がこれから作られる感じです」


「…………」

 クヌーは黙っているが、心の底から驚いているのである。

 これまで帝国がそれほど浪民に配慮した例はない。


 そもそも浪民には裁判を起こす権利がないため、訴え自体が存在しない。

 裁判に引っ張り出されたらまず負ける。そもそもまともに裁判さえ開かれないことが多い。


 それを知っているからこそ、これらの決定は信じられないものだった。

「わかった。こちらの話もそろそろ決着するだろう。この話も伝えておく」


「お願いします。そういえばシャルトーリアさんがすごく気にしていましたけど、浪民街に住む人々は、帝国に反感を持っているんでしょうか」


「まあ、よい感情は抱いていないな。だが、あの急進派のように争いを好む者たちばかりとは思われたくない。大部分の民は、争いを嫌う大人しい者たちだ」

「そうなんですか」


「そもそも敵視してきたのはいつだって帝国の方だ。俺たちは迫害され、徐々に住むところを追われ、町中に住めなくなった。帝国がしたことへ恨みを持つのは当然だろう」

 理不尽に奪われた事に対する恨みであるらしい。


「なるほど。そういうことだったんですね」


「帝国によって祖国を奪われたと言う者もいるが、それを実際に体験しているわけではないからな。それでも本気で憎んでいる者もいるが、少数だと思う」


 祖国を返せと叫ぶ者もいるが、その者の祖父が生まれた頃にはもう、その国はなかったりしている。

 つまり口だけ、感情だけで嫌っている分もあるという。


「分かりました。そう伝えておきます。なぜかかなり気にしていたので、今度会ったときに話しておきますね」

 シャルトーリアは病的なまでに、浪民たちのことを気にしていた。


 正司にはその理由が分からなかったが、原因が自分だと知ったら、正司はどんな顔をするのか。


「俺もそうだが、もし憎む相手がいるとすれば、それは自分に直接害意を向けてきた者に限るな。それより、この前の問題が早く決着がついてくれることを願うよ」


「ああ、そうですね。各部署の人もかなり急いで処理しているようですので、思ったより早く結果を持ってこれるかもしれません」


 正司とクヌーがそんな話をしていると、クヌーの側に少年と少女がやってきた。

クヌーが育てている子供たちだ。


「こんにちは、リロさん、スミンさん」

 正司が二人に挨拶する。


 そういえばこの前の戦争のときだけ見かけなかったなと正司は思ったが、あの時はどこかに避難させていたのだろう。


 リロとスミンはクヌーの服を握り、じっと正司を見つめる。

「そういえば最近、スミンがときどきわけの分からないことを話すようになった」


「そうなんですか?」

「周りの大人は気が触れたと言い出すし、困っている。何か知らないか?」


「うーん、どういうことなのでしょう?」

「スミンは普段も自分からあまり話したがる方ではないし……たまに意味不明なことを言い出すくらい、何でもないんだが」


「でも、気になりますね。……分かりました。少し気にしておきます」

「頼む」


「では用事は済みましたので、今日はこれで。今度来るときは書類を持参します」

「分かった。それまでにこっちも急進派の連中を説得しておく」


「お願いします。それではリロさん、スミンさん、また来ます」

 別れの挨拶をしてから、正司は跳んだ。




 それから十日後、帝都にあるトエルザード家の屋敷に帝都から使いが届いた。

 使いから事情を聞いたトエルザード家の者は、すぐに〈瞬間移動〉で魔道国へ跳んだ。


 今回の件の決着をもたらす、書類が出来上がったのである。

 書類が屋敷に送られたのではなく、指定された場所に来るようにと言うことだったので、正司が向かった。


 そこで待っていたのはシャルトーリアである。

 シャルトーリアは正司に書類を渡し、「根回しはすべて済んだ」と言った。


「内容はどんな感じですか?」

「この前話したとおりだ。急進派が代官の私邸を急襲するよりも前に、代官は罷免されたことになった」


 もはや当人同士で決着をつけろと言わんばかりの裁定報告書が作成されていた。

「急進派はどうなりますか?」


「罰金と無償労働に落ちついた。罰金というのは、使用人を拘束した件の話だな。これを見せて、刑に服するよう説得してくれ。いまグラノスの町は仮の代官がいるから、そこに見せればうまくやってくれる。それでこの件はお終いだ」


「分かりました。これ、随分と甘い裁決ですよね」

「そうだな。その辺は気にしなくていい。色々と」


 最大限正司に配慮した結果であるが、シャルトーリアにとって罷免された代官や浪民のことなど、心底どうでもいいのである。


「ありがとうございます。早速届けてきます」

「ちょっと待ってくれ」

 すぐに去ろうとした正司をシャルトーリアが呼び止めた。


「はい?」

「少し話がしたいのだ。よいか?」

「はい。大丈夫です。話とはなんでしょう?」


「これはまだ内々の話だが、何人かの大臣と貴族たちには話をしてみた。帝国からの公的な話ではないが、ある程度の人数から同意を得た話だと思って聞いてほしい」


 何やら大きそうな話である。

「帝国の北にある未開地帯をすべて、魔道国領にしてもらえないだろうか」

「………………はい?」


「発表はもう少し先になるが、一年以内に父を皇帝の座に据える。その根回しはほぼ済んだ。未開地帯を魔道国領とする発表だが、二年もあればできるようになると思う」


「ちょっと待ってください。帝国の北といっても広いですよ」

「ああ、広い。そこを全部だ。未開地帯すべてを魔道国領にしてもらいたい。私が話をした大臣と貴族はみな賛成した」

「ええっ!?」


 正司は混乱した。これほど混乱したことは、この世界に落ちてからはじめてのことかもしれない。


 未開地帯をすべて魔道国領にしろと。シャルトーリアはそう言った。

 話した中での根回しを済んだと。


「そうやって帝国と魔道国、住み分けをしていこうではないか」

 シャルトーリアが散々頭を悩ませて考え出したのが、それだった。


 北の未開地帯を魔道国の領土とすること。

 それはなぜか。もちろん理由がある。


 シャルトーリアが考えるに、棄民救済をうたう魔道国と帝国は水と油。

 これまでの帝国の施政を否定するものでもある。


 だが魔道国と敵対する道は選べない。選びたくない。

 浪民街でシャルトーリアが見た正司の魔法はこれ以上ないくらい正確なものだった。


 呼吸の穴を開けない方が簡単だっただろうが、正司はだれひとり傷つけることなく、それを成し遂げ、戦いを終わらせた。


 あれを見せられればもう、敵対する道など選べない。

 かといって、以前シャルトーリアが予想したように、魔道国を無視した場合、帝国に叛旗を翻す者たちの逃げ場として魔道国が使われる可能性がある。


 それを阻止するには、いまから苛烈な弾圧をするしかない。

 だがそれをすれば魔道国と敵対する。


 結局のところ、何をしても帝国は詰むのである。

 それが早いか遅いかの違いだけで。


 そこでシャルトーリアは、なんとかできないか知恵を絞った。

 そうして出てきたのが、「未開地帯すべてを魔道国のものとする」という案である。


 今後、帝国の治世に不満がある者はみな、魔道国を頼ることになるだろう。

 魔道国は棄民救済をうたっているのだから、それを断ることはしない。


 魔道国に人が増え、帝国に反感を持つ者たちが徒党を組む可能性がある。

 だが、その前に帝国と魔道国が友好的な条約を結べばいい。


 いくら帝国に不満を持つ者たちがいようと、もしくは国土回復を夢見ている者がいようと、魔道国と帝国が互いに『領土不可侵の条約』を結んでおけば、相争うことはない。


 彼らは全員魔道国の民になるのだから、正司が押さえておけるのだ。

 つまり帝国は攻められる心配がなく安心できる。


 それを実現させるためには、魔道国と帝国ではない場所があってはならない。

 彼らが住むのはあくまで魔道国でなければならないのだ。


 そしてシャルトーリアは思う。

(ラマ国で聞いてきた話は真実だろう。魔道王は、自由に若返りのコインを手に入れることができる)


 ライエルが若返ったのは本当だった。

 正司が関わっているのは明らかだった。


 古今東西、サクッと十枚の若返りのコインを手に入れた者はいない。

 もし万が一、正司以外でそれを成し遂げた者がいたら、そっちの方が驚愕である。


 ゆえにライエル若返り事件は、正司が行ったことで間違いない。


 今後、正司の治世はいつまで続くか分からない。

「若返りに限界がある」と言われているが、それでもコインによって百数十年生きた者はこれまで帝国の歴史の中でそれなりにいる。


 あと百年以上は正司の治世が続くのだ。一度結んだ不可侵条約は、正司が生きている間は破棄しないだろう。

 それ以降のことは、シャルトーリアも知らない。


 そのときの皇帝が何とかすればいいのである。


 そして大臣や貴族が反対しなかった理由。

 未開地帯はどこの国の領土でもない。


 つまり、そこから流れてくる魔物は自分たちで処理しなければならない。

 もし魔道国が未開地帯を支配することになれば、そこからやってくる魔物の始末を魔道国にお願いできる。


 つまり、未開地帯の魔物対策に充てている費用が大幅に削減されるのだ。

 これは帝国にとって、かなり大きなプラスとなる。


 現在、帝国軍の中でもっとも数が多いのが北方方面軍である。

 ほとんどが未開地帯から来る魔物の対応に追われている。


 これらの費用を削減できるだけでも反対する意味は少ない。

 それに加えて……。


(自由に港を作れるとはまた反則な……)

 正司は崖を削って港町をつくることができる。


 ならば、帝国のルード港から近い場所にも港町をつくれるはずである。

 大陸の西側まで飛び飛びで港町ができてくれると、航海が安全になる。


 つまり、帝国側の未開地帯にも港が欲しいのである。

 そういったもろもろがあるため、「ぜひとも魔道国には未開地帯すべてを領土としてもらいたい」という流れになった。


「えっと……シャルトーリアさん。もしかして本気ですか?」

「もちろん本気だ。それどころか、援助もする」


「援助ですか?」

「帝国は歴史ある国家だ。さまざまな統治のノウハウを持っている。また、この大陸で一番人的資源が豊富な国だ。優秀な者も多いし、優秀なのに活躍の場が与えられない者も多い。優秀でやる気のある者を優先して魔道国に出すこともできる」


 これまで未開地帯には「だれ一人として」住んでいなかった。

 無人の森林地帯だったのだ。


 そこを開拓して正司が国をつくったわけだが、最大の問題点が人材不足である。

 それはシャルトーリアが各国を回ったときによく分かった。


 各国は即戦力を惜しげもなく供出していた。

 それはシャルトーリアにも分かった。


 あれほどの規模の町運営をするのだ。

 優秀でやる気のある者以外に務まらない。


 だが各国とも、人材には限界がある。

 それゆえ、町の数が頭打ちになっているようだ。


 ならば帝国が協力しよう。

 帝国の強みは人材の豊富さである。


 それを惜しげもなく貸し出そう。

 ついでにシャルトーリアのように、魔道国見学ツアーをやらせたらどうだろうか。


 そうなれば、みな理解してくれるはずだ。

 シャルトーリアがなぜそんなことを言い出したのかを。


「分かりました。その話……一度持ち帰ってもいいですか? いろいろ相談しないと、私では決めきれませんので」


「そうだな。そうするといい。そしていい返事を待っている」

 タジタジになる正司を見てシャルトーリアは、はじめて一矢報いられたのかと笑った。



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[一言] リスミアちゃんは将来立派な領主になりそう
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