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132 想像力と空想力

 帝国ヒットミア領、グラノスの町。

 正司はウーレンスに言われた通り、この町一番の宿に泊まることにした。


 正司が向かった宿の名前は『樹林(じゅりん)館』という。

 その名の通り、建物の周囲には趣のある樹木が多数植えられている。


 部屋のどの窓から外を眺めても、ここが町中とは思えないほど落ち着きのある景色が広がっているのが特徴で、とにかく庭が広いのだ。


 空間を贅沢に使っているためか、宿代もそれに見合ったものとなっている。

 帝都一等地にある一流の宿と遜色ない宿泊費というのだから、いかに高額か分かる。


 正司は「一番いい部屋をとりあえず十日分」と前払いしたため、従業員に驚かれた。

 最近はあまり、そのような豪気な宿泊をする者はいなかった。


 そのせいか、正司の扱いは非常に丁寧なものだった。

(そういえばウーレンスさんの『商会名』を聞いていませんでしたね)


 部屋に入り、最高級のソファに腰掛けた正司は、ふと思い出す。

 魔道国に戻ったとき、帝国の商人へ船を一隻融通したと話しておいた。そのうち交易にやってくるとも。


 現状、魔道国の船は帝国まで出かけることはない。

 大型の輸送船で向かっても、帝国の港がそれに対応できていない。


 かといって、小型船で帝国まで長期間の航海をさせるつもりはない。

 そもそも帝国は、魔道国と本格的に交流する気があるのだろうか。


 これは正司もよく分からないし、帝国もよく分かっていないのかもしれない。

 いまは暫定的に船が行き来するだけでいい。正司はそう考えていた。


 時間が経てば、両国の雰囲気も関係も変わってくる。

 互いのことが分かってくれば、落ちつくところが自ずと決まってくる。


(港湾責任者のイリオンさんが面倒なことを引き受けてくれて助かりましたね)


 あの場にイリオンがいたことで、新しい船着き場の件はすんなりといった。

 正司がつくった新しい港だが、あれを「ルード港に組み入れる」かは、未定のようだ。


「領主様に報告して、判断を仰ぐ感じになるだろうぜ」

 そんなことを言っていた。


「ちなみに、港に組み込まれると、どうなるんですか?」

 正司がそう質問したところ、イリオンは少し考えてから「税金が増える」と言った。


 道理である。新しい港は、他で言うところの『集落』に等しいらしい。ゆえにいまは無税。町の管轄外なのだ。

 町の外の崖につくったのだから、それは当たり前である。


 新しい港を「ルード港のもの」とするかは、領主のさじ加減次第だが、おそらく組み込むだろうと。

 その時点でウーレンスに税金の支払い義務が生じる。


「あそこを使える船は一隻だし、独占は変わらないだろうがな」

 イリオンはそんなことも言っていた。


 領主への報告や、港湾関係者への説明など、細々とした手続きはイリオンがするらしい。

 船員の手配とともに書類関連を作らなきゃと意気込んでいた。


 何をそんなに張り切っているのかと正司が不思議がっていたら、「自分が責任者のときに港が大いに発展するんですぜ」とにこやかに言っていた。

 港の発展は、イリオンにとっても大いに利のあることらしい。


(それはいいとして、問題は魔道国の運営ですね)

 建国前にかかった費用の総額を見て、正司はため息を吐く。


 この世界は、日本ほど人件費は高くない……どころか、かなり安い部類にはいる。

 最低賃金という考え方もない。


 ただ、社会全体の生産性が低く、思ったほど貨幣が流通していない。

 税収はもちろんそれに見合った金額となる。つまり見込み税収はそれほど多くない。


 正司は資料の内訳を見ていた。


(一番多い出費は移民に発行した金券ですか。つぎに多いのがインフラを整備するときに他国から購入した資材などですね……理想的な町にするには、多くのお金がかかりそうです)


 移民してきた人たち全員に、正司は魔道国内のみで使用できる金券を渡してある。

 支度金のようなものだ。国に残してきた財産の補填でもあるし、新しい町で生活必需品の購入に充てて欲しかったのである。


 それが功を奏して、町の経済は想像以上に活性化した。

 金券の正式名称は「貨幣交換券」である。


 一定期間が過ぎたら、金貨や銀貨などと交換できるようになる。

 他国の商人もそれが分かっているから、町の人が金券を使っても嫌な顔をしない。


(経費として計上されていますが、金券は現時点の出費にはならないですけど……それでも、うーむ)


 正司は悩む。

〈土魔法〉だけでは町は作れない。外から買い付けるものも多く存在していた。

 町をつくるたび、または人を移民させるたび、これらの費用が出ていくことになる。


(急速に人を増やしすぎると、国の金貨や銀貨が足らなくなります。これは自転車操業になりますね)


 金券は自国内で消費することが前提であるため、経済の活性化に役立つ。

 ただし、国が保有する以上の金券は発行できない。金券を貨幣に交換できるため、どうしても金の保有量に依存してしまうのだ。


 国ができ、町ができたことで、今まで物々交換が主だった人たちが現金を使うようになった。これが大きい。

 食うや食わずだった人たちが日常で現金を使い、貯金までできるようになった。


(これって、市場に流れるお金が相対的に減るわけですよね)


 たとえば1億枚の金貨があっても使う人が100万人と1000万人では、各自が使える金貨の枚数が大きく違ってしまう。

 必然、手持ちが少なければ買い物も満足にできないし、将来を見据えて溜め込むことになる。


 一人1枚の金貨を貯め込むとしても、やはり100万人と1000万人では結果が大きく違ってしまう。

 金貨の流通が減れば物が売れなくなり、物価は下がる。


 魔道国の出現がデフレーションの引き金になるかもしれない。

 これをどうすればいいのか。


(一番いいのは貨幣の発行ですけど……金や銀の採掘量しだいですからね)


 この大陸には、帝国金貨と王国金貨が存在している。

 金貨としての価値は帝国の方が高い。


 たとえば正司が金山や銀山を発見して、貨幣を鋳造したとする。

 魔道国金貨の誕生である。


 市中に三種類の金貨が溢れることになり、その中で交換比率が決定されるが、庶民にとってはややこしいことこの上ない。


(そう考えると、金本位制(きんほんいせい)から脱却したいのですけど、うーん……)

 やはり正司は悩む。


 どの国も貨幣として金貨や銀貨を発行している。

 魔道国はいま、金券を発行しているが、金の保有額以上発行できないのは変わらない。


 実は以前、正司は金の保有額に寄らない貨幣制度を考えたことがある。


 兌換紙幣(だかんしへい)から不換紙幣(ふかんしへい)への変換である。

 これに必要なのは、国としての信用度である。


 たとえばいま、魔道国が保有している金の三倍まで金券を発行したとする。

 もし取り付け騒ぎがおきて、みなが一斉に金貨へ戻そうとした場合、国庫は容易に破綻する。


 全員が金貨に交換したいと考えたとき、国はそれに対応できない。

 金券が金貨に交換できないという噂が広がれば、パニックが起こる。


 正司の理想としては、保有している金の額とは関係なく金券を発行したい。


(いま発行している金券は暫定的ですし、あとで全部金貨と替えられるからいいですけど、それ以外だと難しいですかね)


 不換紙幣の発行は時期尚早だと思える。

 ではいつがいいのか。どの程度社会が成熟したとき、それが達成されるのか。


(そういう勉強をしてこなかったですしね。というか、学校でも教えてくれませんでした)


 高校までの学習では、そこまで深く学べなかった。かといって地球のどの国でも、いまは不換紙幣が使われている。


 どこかの時点で転換しないと、金の保有量分しか市場にお金がないため、経済の発展が難しくなる。


「建国したわけですし、不換紙幣への変換を一気にやってしまいたいのですが……不安もあります」

 世界は魔道国だけで成り立っているわけではない。


 魔道国が紙幣を保証すれば、馴染みのない不換紙幣であっても問題なく導入できる。魔道国限定でだ。


 問題は他国だ。

 他国の商人と取り引きする際、結局王国金貨や帝国金貨に両替しなければならない。


 国の信用がなくなれば、金という裏付けのない貨幣など、一気に紙くずになってしまう。

 果たしてうまくいくのか。国の信用の面で、大丈夫なのか。


(身近なところでは、1998年にロシアが国家破綻しているんですよね)


 ロシアがデフォルト宣言したあとは酷かったという。

 銀行は閉鎖され、ロシア国民の預金はすべて接収された。


 彼らに残されたのは、ポケットの中にあるわずかな手持ち金のみ。

 だがそれも「通貨切り下げ」によりゴミと化した。


 追い打ちをかけるように不採算企業の精算。

 それが失業率の増大を招き、多くの貧民が生まれた。


 ロシア人の大部分が、いまだ「預金を信用していない」のも当然のことだ。

 宵越しの金を持たない、もしくはドルや円で残しておくらしい。


 国の信用ひとつで、それと同じ事が起こるかもしれないのだ。


 ちなみにこのロシアの経済崩壊は、ほとんど自業自得である。

 たとえば寒帯地方の住民に、村の周囲や国有林からの伐採を禁止した。


 とうぜん寒くて冬を越せない。そこで政府は住民に石油や薪を売る会社を作った。

 一冬越すのに、世帯収入二カ月分くらいかかったりする。かなり痛い出費である。


 だが、その会社の儲けはゼロ……どころかマイナスである。

 実際にはその20倍くらいの費用がかかっていたりする。


 会社の達成目標が「住民にいくらいくらで石油や薪を提供せよ」なのだから、コスト意識が芽生えるはずもない。

 こんな会社がロシア国内にいくつも存在していた。


 一昔前のイギリスの補助金制度もそうだが、中の人間のコスト意識と、外からの目がないと、どんなに大きな国でも転んでしまういい例だろう。


(一番いいのは、各国共通で不換紙幣を発行することですけど……草案をつくってルンベックさんに相談してみるのもいいかもしれませんね)


 それが無理でも、せめて魔道国と取り引きのある国だけでも流通を認めてもらえれば、今後のモデルケースとなるかもしれない。


 そうすれば、そのうちユーロのような複数の国で使える貨幣が誕生する可能性だってある。


 すべての国で合意をとりつけて貨幣を発行し、流通量を調整する。

 いまある貨幣はそのままに、日常使いで使用できる共通の通貨を考えてみる。


(その方向で考えてみましょう)


 建国時にかかった経費を眺めていたら、新しい経済の案が生まれてしまった。

 正司は、頭の中に「新しい貨幣の草案」とメモをした。




『樹林館』のオーナーであるレボスは、久し振りの太い客に大いに満足していた。

 貴族や高級役人、どこかの名士が宿泊する宿としてここが選ばれるが、連日満員ということはない。


 今回、ポーンと連泊費用を出した正司に、レボスは並々ならぬ興味を抱いていた。

 その客室に繋がっている呼び鈴が鳴った。


 部屋を担当している従業員がすっとんでいく。


 客が従業員を呼び出すとき、室内に備え付けられている呼び鈴のヒモを引くと、従業員室の鈴がなるのだ。

 しばらくして従業員が戻ってきた。


「何の用事だった?」

「お客様が代官にご機嫌伺いの品を送りたいと申されました」


「なるほど、心得ているわけだな。しかし珍しいな」

 レボスは、貴族や役人たちのやり方をよく知っている。


 たとえば新しい役人が外から町に赴任してきたとき、代官をはじめ有力者のところへご機嫌伺いの品を持参したりする風習が残っている。


 もちろん明文化されていないので、しなくても構わない。


「品物を預かりましたので、届けてきます」

「うむ……いや待て」


 レボスは従業員を呼び止めた。

「ご機嫌伺いの品はなんだった?」

「中は確認しておりませんが、魔石箱でした」


 魔石箱は、魔石を入れて持ち運ぶ箱だ。中で魔石が動かないように敷物が敷き詰められている。


「何か言付かったか?」

「いえ、旅の途中に寄ったことと、町にしばらく滞在することを告げてほしいと言われただけです」


「ふむ……謙虚だな」

 貴族や役人や交易商人などならば、見返りをそれとなく求めるものだが、どうやら違うらしい。


 本当に旅の途中で立ち寄っただけで、贈り物も相手を不快にさせないための布石ともとれる。

(代官のツテがあるとないとでは、何かあったとき大きく違うからな)


 身分が高い者ほど、また失うものが多い者ほど、周囲への配慮は欠かさない。

 この客は、そのことをよく分かっている。


「よし、私が行こう」


 高級宿『樹林館』のオーナーであっても、代官の館へ行く機会はあまり多くない。

 少しでも代官や、その側で働く人に顔と名前を覚えてもらいたい欲求もある。


 レボスは従業員から魔石箱を受け取って、館を出た。




 代官の館でロキスは、秘書のカーラから報告を受けていた。

「ご機嫌伺いの品か……して、これを持ってきたのは?」


「旅の者とのことです」

「ふむ。珍しいな」


 午前中の執務が終わり、ロキスはこれから昼食である。

 カーラが魔石箱をテーブルに置く。


 カーラは20代中頃の女性で、ロキスのスケジュール管理や渉外を担当している。


 ロキスは突き出た腹を隠そうともせず、ダイニングの椅子にどっかり座り込んだ。

 給仕が手際よく、昼食の準備を進める。


「その者は現在、『樹林館』に宿泊しているようです」

「あそこか……今どきご機嫌伺いとは珍しい。よくできた者のようだな」


 ロキスが魔石箱を開くと、大きめの魔石がひとつ収まっていた。

 G3の魔石かと思ったら、G4でもない。なんとG5の魔石が入っていたのだ。


 ロキスの頬が緩む。

 思っていなかった収穫である。


「会われますか?」

「いや、止めておこう。我はそれほど安くないのでな」


 どじょう髭を指で弾き、ロキスはニマニマとした。

「まあ、今後同じようなことがあれば、会うのもやぶさかではないのだがな。その時は知らせるように」


 これだけの品をポンと出す相手だ。

 待っていれば、二度、三度あるかもしれない。


「かしこまりました」

 カーラは一礼して去っていった。


 これでこの話はお終いになるはず……なのだが、事態はもう少し複雑だった。


 まず『樹林館』のオーナーであるレボス。

 彼自ら代官の館に届け物したことで、カーラが色々と気を回した。


 オーナー自ら足を運ぶことの意味をカーラは考えたのだ。


 カーラはレボスに客の詳しい素性を尋ねた。

「申し訳ございません。お客様に関するご質問には、お答えしかねます」


 レボスとしてはそう言うしかない。

 自分の館に泊まっている客の素性を話しては、オーナーの名折れだ。


 ペラペラと喋って、あとで客の不興を買うことはしたくない。

 そもそもまだ、語れるほど親しくもない。


「何でもよいです。分かると思いますが、昨今はそのような者も少なくなりました」

 それに事情をある程度知っているならば、あえてこの時期、ロキスに近づくことはしない。


 代官が追い落とされそうになっていることは、事前に調べればすぐに分かるのだ。

「そうは申されましても、お客様の情報はさすがに……」

 レボスは言葉を濁す。


「では、どのような人物かだけでも教えていただけますか。町で偶然出会って、不義理を働きたくないのです」


「なるほど……それはそうでしょう。外見だけでよろしいでしょうか」

「構いません」


 レボスは正司の髪の色、背格好、年齢、服装など、見たままを告げた。

 正司の場合、日頃から苦労していないせいか年齢だけは四、五歳若く見られた。それ以外はほぼ正司の特徴通りである。


 それを聞いてカーラは、しばし悩む。


 旅人は貴族か富豪もしくは商人かと思ったが、今の話からすると、どれも当てはまらない。

 G5の魔石を持ってきたことから、それを入手できるツテを持っている人物ということになる。


 さすがに自分で狩ったわけではなかろうとカーラは見当をつけ、その若さでG5の魔石を簡単に手放せる人物像を想像した。


(一番可能性が高いのは……一圏(いちけん)内の有力者ですか?)

 そう結論づけるに、さして時間がかからなかった。


 ロキスは第一皇子派である。ゆえに第一皇子派の人間ならば、そんなまどろっこしい手段を使わなくても、ロキスに会える。

 敵対している第二皇子派の人間が何らかの目的を持って接触……と考えるのも難しい。


 さすがに様子を見るためだけに、G5の魔石を無駄にするとは思えない。

 地方の有力者がやってきたにしては、G5の魔石は貴重過ぎる。


日和見(ひよりみ)派の……いや、ありえないな)

 日和見派とは、俗言う『中立派』のことである。


 それがこのような辺境の地にわざわざやってくるとは思えない。

 やはり一圏内の人物の可能性が高い。


(旅人が一圏から来たとして、その目的は何だろう)


 カーラは自問する。

 いまこの町でおきている派閥の対立……その内情を探ることかもしれない。


 そこでカーラはひとつ思い出した。

 第一皇子派と第二皇子派、中立派……これ以外にもうひとつ派閥が存在する。現皇帝派だ。


 現皇帝派は、皇帝に忠誠を誓っている人たちの集まりである。

 彼らは今回の権力闘争には一切関わっていない。


(この町の調査に来た……ということでしょうか)


 国庫にはG5の魔石くらい転がっているだろう。

 皇帝が許可を出し、調査のためとなれば持ち出すのも容易。


 対立関係を探る必要経費と思えば、大盤振る舞いもできる。


(……ありえますね)

 カーラは自分の思考した結果に、かなりの信憑性があることに気付いた。


(これは拙いかもしれない)

 相手が一圏の有力者(の使い)ならば、地方の代官ロキスにこびへつらうことはしない。相手の方が上である。


 ではわざわざご機嫌伺いの品を贈って、何がしたいのか。

 友好関係を……と思えるほど、カーラの頭の中はお花畑ではない。


(権力闘争させないため? とすると双方の意見を聞きつつ、片方の悪事を暴く……とかか?)

 ひとつの町に二者が並び立っているからこそ闘争がおきるのである。


 一方を排除すれば、それはおきない。

 そしてカーラには……いや代官のロキスには、やましいことがいっぱいあった。


 ロキスは他の代官と同じく、人並みに悪事を働いている。

 細かいことをあげればキリがないが、町の運営費を私物化することくらいは朝飯前である。


 町の運営費が毎月、妻のドレスや宝石品代に消えていたりする。

 秘書であるカーラは、それをよく知っている。手伝ったこともある。


(現皇帝派がこういう形で権力闘争を収めにくる可能性は……ありますね)

 問題を表に出さないよう、処理したいのだ。


 こういう権力闘争は、進退窮まった方が武力に訴える可能性がある。

 最初からそういう手段を採る者もいる。


 事が公になったり町が荒れれば、皇帝の治世に傷が付く。

 彼らはそれを避けたいはずである。


(これはロキス様にお知らせした方がいいですね)


 カーラがロキスの秘書になってまだ五年。

 職が決まった当時、カーラの前途は洋々たるものだった。


 もしロキスが失脚したら、カーラはどうなるのか。

 敵方の秘書だったカーラを雇用するような物好きは、この町にはいるまい。


 がんばれば下級役人として町に残れるかもしれないが、そこでも長続きできなさそうである。

 ロキスと一緒に町を追い出されるのがもっとも現実的であろう。


(それどころか、収監される可能性もありますか)

 ロキスの悪事を知っていて黙っていた。もしくは加担したかなどで、罪に問われる可能性が出てきた。


 そうなるともはや、権力闘争に勝った負けたどころの話ではない。

 長期の勾留は必至。釈放されても、もはや真っ当な職に就けない。


 そのまま犯罪行為を続けるか、浪民となって消え去るのみである。

(それは絶対に嫌だ)


 強い強迫観念にも似た思考のすえ、カーラはロキスに自分の考えを話すのであった。


「まさか……」

 話を聞いて一笑に付そうとしたロキスだったが、カーラの話を聞くうち段々と顔が青くなる。


「このようなことが、これまであったでしょうか」

 カーラにそう言われてしまえば、ロキスは首を横に振るしかない。


 そもそも旅人が町に立ち寄ったからといって、そうそう代官に付け届けするようなことはおきない。

 それは昔の話だ。いや元々はお伽話で、ロキスも小さい頃、それを読んでいる。


 引退した皇帝が身分を隠し、帝国内を漫遊した話が物語だ。

 お付きの人を従えた隠居が、行く先々で権力者へささやかな贈り物をする。


「お近づきのしるしに……」

 そう言って知己を得た後、悪徳代官のそばで悪事を調査するのだ。


 勧善懲悪(かんぜんちょうあく)の物語。庶民の読み物だ。


 それの痛快活劇が「旅人の付け届け」のもととなっている。

 高貴な身分の者が、名も知れぬ旅人と会う機会など、それくらいなものだ。


 それになぞらえた実話が帝国中で聞かれるようになって久しい。

 カーラはいう。「このようなことが、これまであったか」と。


 このようなこと――正司が渡したのはG5の魔石。

 あまりに高価すぎる。これまで一度だってなかった。


 日本で贈り物といえば、ちょっとしたお酒のセットや、地方の名物だったりする。

 値段も数千円から一万円程度が普通である。


「これ、つまらないものですが……」と高級自動車――フェラーリを贈る者はいない。

 価値が違い過ぎる。


 そしてロキスに話すカーラも必死である。

 何しろ自分の進退がかかっている。


「考えてみてください。ただの旅人のはずがございません!」

「う、うむ。そうだな……」


 ロキスも首肯せざるを得ない。

 では何者なのか。権力闘争を未然に防ごうと派遣されてきた人物という想像に、ロキスは一定の価値を認めてしまった。


 最近失態続きのロキスである。

 もし排除されるとしたら自分の方だろうという意識はある。


 そして間の悪いことに、毎月ほんのちょっぴり、町の金を使い込んでいたりする。

 これは真面目に働いている代償なのだ。


 運営費のネコババくらい目くじらたてることはない。

 絵画を買って眺めてから売れば投資になるのだ。


 だがそう思わない者たちもいる。

「ど、どうしたら……」


「会わない判断をしたのは賢明だと思います。もしかするともう、探りを入れる段階を過ぎたのかもしれません」


「だ、だが、向こうが会う気でいる以上、ずっと会わないわけにはいかないぞ」


 拒み続けるのは余りに不自然。

 それこそスネに傷を持つ者だと吹聴していることになる。


「次に相手がどう出るかで考えましょう」

「そ、そうだな……」


 小心者のロキスは、慌てて証拠を隠滅しようとしてカーラに止められた。

 見張られているかもしれないし、それが狙いかもしれない。


 急に動くのは、後ろ暗いことがある証拠。

 まずは相手の出方を見る方が先だと。


「わ、分かった」

 こうしてロキスは『樹林館』に来た客を最大限警戒することとなった。




 正司はなるべく宿に篭もり、代官の館からの連絡を待った。

 途中何度か町を散策したが、その間も連絡は来ない。


「すみません、またお願いします」


 三日後、正司は従業員にいくばくかの金を握らせ、魔石箱を代官に届けるようお願いした。


 このくらい高級宿になると、客のものをネコババすることはまずない。

 やりとりするものは高級品ばかりである。だからこそ、ネコババできないようだ。


 貴族同士の場合、同等かそれ以上でお返しをする習慣がある。

 ネコババすると、結構簡単にばれるという。


 これまでのキャリアはすべてパーどころか、自身の命すら危なくなる。


 ゆえにいくら高価だからといって……いや、高価だからこそ、ネコババはありえないのが常識的な考え方であった。


 前回と同じで、正司が渡したのはG5の魔石であった。

 フェラーリの次はポルシェのようなものである。


「かしこまりました。必ずお届けします」


 正司を担当する宿の従業員はそう言って、うやうやしく受け取った。

 代官の館へ持参するのは、前回と同じくオーナーのレボスである。


 レボスは魔石箱の中身を見ていない。G3の魔石だと考えている。

 まさかG5の魔石が入っているとは夢にも思っていない。


 二度も魔石を送るなど、豪気なことだなと考えつつ、代官の館へ向かった。

 実はこのとき、レボスが館に到着する前にひとりの男が代官の館に駆け込んでいた。


 浪民街からやってきた急進派の面々が、ロキスの所有する私邸を襲撃したのである。

 その報告に訪れたのだ。



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― 新着の感想 ―
[一言] 直接代官の屋敷に赴いて、入り口で大量の金貨や素材を出せば飛んでくるんじゃないかww 「寄付します」といいながらw
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