131 港と船と正司と……
ふと正司は思った。
ルードの港町で再会したウーレンス。
彼は新天地で元気にやっているだろうか。
というのも、ウーレンスに「やり手の商人」というイメージはない。
雰囲気や話した感じは優しげであり、人の良さそうな人物という印象が強い。
正司が心配になるほどに彼は穏やかなのだ。
ギラギラしたところがなく、誰かにコロッと騙されそうなほどお人好しに見える。
もちろん正司がそんなことを口にすれば「おまえが言うな」と、周囲から大合唱が聞こえてくるだろうが。
そんなことを考えながら正司はルードの港町を訪れ、久し振りにウーレンスの顔を見に来たのだったが……。
正司が声をかけた瞬間、ウーレンスは荷物を放り出して跪いたのである。
驚いたのは正司。
まったく予想していなかった事態に、正司は出会った早々面食らってしまった。
「ど、どうしたのですか、ウーレンスさん」
「申し訳ございません、タダシ様」
「えっと……」
「本当に申し訳ございません」
だがウーレンスは謝るだけで、それ以上語ろうとしない。
「とにかく顔をあげてください。理由はどうでもいいですから、まずは立ってください」
何度か説得して、ようやくウーレンスを立たせた。
見れば、ウーレンスの顔は土気色。
非常に心苦しい思いをしているらしく、目を合わせようとしない。
「あの……先ほどお店の正面に回らせていただきました。お客さんもいっぱいいましたし、経営は順調のようですよね……何かありましたか?」
「いえ、なんでも……」
「本当にそうですか?」
「…………」
いまだ目を合わせないウーレンスに、正司は根気よく尋ねる。
「何かありましたか?」
「何も……いえ、誤魔化せる話ではありませんね。正直に申し上げます」
「……はい」
「あのときタダシ様から戴いた巻物ですが、とある方にお譲りしてしまいました」
「そうですか、それで?」
「……まことに申し訳ございません」
「えっ? どうしてです? 使ってもいいし、だれかにあげても別に構わないのですけど」
何があったのかと身構えてみれば、拍子抜けした内容だった。
あめ玉をあげたとして、それを「自分で食べてしまいました」と言われようが「お腹を空かせた子にあげてしまいました」と言われようが問題ない。
あめ玉を使って銀行強盗しましたと言われれば「それは大変だ」となるが、そういう大層な話でもなかった。
巻物を人にあげたといわれたら、「そうですか」で終わる話である。
ウーレンスのことだから、何か事情があったのだろう。
有効に活用してもらって一向に構わないのだ。
拍子抜けする正司とは裏腹に、ウーレンスはあまりに申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
シャルトーリア本人が訪ねて来たことから分かるとおり、〈瞬間移動〉の巻物はいま、帝国にひとつしかない。
大変貴重なものだとウーレンスも理解している。
ウーレンスにとって、帝国は「世界」と同義だ。
「世界」に一本しかない巻物をウーレンスは正司から戴いたのだ。
それを他者に渡してしまう。
なんと恩知らずな行為だろうと、日々悩んでいたのである。
「つまり、ウーレンスさんは、あの巻物をだれかにあげたことを後悔しているのですか?」
「いえ、帝国に暮らす者としてそれはありません。ただ、タダシ様に申し訳ないことをしたと恥じ入るばかりです」
それはウーレンスの心の問題なのだと正司は考えた。
(どうしましょう……そんな大事ではないのですけど)
巻物はいくらでもある。今後、いくらでも必要だと思ったので、大量につくっておいた。
ウーレンスは巻物を手放したことについてはあまり気にしていないようだ。
あくまで正司に対して義理を欠いていると感じている。
ならばどうすればいいか。もう一度巻物を渡せばこの問題が解決するのだろうか。
恐縮することしきりのウーレンスにとって、それは更なる重荷を背負わせることにもなりかねない。
「その巻物は売ったのですか?」
「いえ、とんでもございません。売り物にするなど……」
「では、何かと交換したとかですか」
「そう……です。箱一杯の財、それに港の使用権と船と交換いたしました。本当に申し訳ございません」
ウーレンスはまた頭を下げた。
帝民権について話さなかったのは、それを与えられる人間が限られるからだ。
相手の素性を悟らせるわけにはいかなかった。
いまのでもし相手の素性が分かり、正司の怒りがそちらに向いたらと考えると、恐ろしくて仕方ない。
何が何でも黙っていようと、ウーレンスは決意していた。
(港の使用権と船ですか……)
巻物ひとつとそれを交換して釣り合うのか? 消耗品と船? 港の使用権? 明らかにおかしくない? などと正司は考えていた。
正司にとって、いや、魔道国の運営にとって〈瞬間移動〉の巻物は必需品である。
町が独立しているため、行き来できないのだから、巻物に頼らざるを得ない。
魔道国にとって、巻物の価値は……タクシーチケットのようなものなのだ。
それゆえ、交換したものの価値を考えると、いまいちピンとこない。
ただ、これだけは分かった。
ウーレンスは海路貿易をしたがっているのだ!
そう正司は考えた。
この町に腰を落ち着けたのだから、そう考えるのは自然である。
(港町なのですから、当たり前ですよね)
そう当たり前。なぜ気付かなかったのかと、正司は恥じ入るほどだった。
「ウーレンスさん、今から港を見に行きませんか?」
「え、ええ……構いません。お供致します」
正司の意図が分からなかったものの、ウーレンスは二つ返事で了承した。
店から港まで、歩いて15分ほどで着く。
さして時間もかからず、船着き場に到着した。
遠くの水面に日の光が反射している。
積み重ねられた木箱があちこちにあり、日焼けした作業員がズタ袋を担いで列をなして移動していた。
(活気がありますね)
さすが帝国の港だと正司は周囲を見回した。
右手の方に帆柱が見えた。正司がそちらに歩くとウーレンスも着いてくる。
「ウーレンスさんがもらったという船って、どれですか?」
「船が並んで停泊している場所の……右から三番目です」
「あのマストが一本あって、帆をはってないやつですか?」
「その通りです」
「…………」
正司の感想は「あれ? 小さいぞ」というものだった。
並んでいるなかでも、小ぶりの船だった。日本でよくみかける漁船くらいだろうか。
間違っても遠洋に適した船ではない。
「荷物を積んで帝国の港を往復できる大きさなのです」
ウーレンスが補足した。
「そうなんですか……」
正司は船着き場から下の海面を覗き込む。
(埠頭の高さは……海面から一メートルくらいでしょうか)
埠頭の位置が低いのは、中型船や小型船が寄港するからだろう。
「おう、見に来たか?」
赤銅色の肌をした男が近づいてきた。
「これはイリオンさま」
ウーレンスが頭を下げる。
「さまはいらねえよ」
がっはっはと豪快な笑いが返ってきた。
顔は怖そうだが、性格はおだやからしい。
イリオンは、この港湾の責任者らしかった。
ルード港は目的別に港が三つに分かれており、北、中央、南と呼んで区別しているらしい。
北は漁港となっていて、中央は大型船が停泊するところ。そしてここ南は、中小型船が利用する。
シャルトーリアが領主の館に泊まったとき、いくつかの手紙を書いた。
ひとつは港湾宛で、帝国が所有する船をひとつ、ウーレンスに譲ってほしいというものだった。
手紙はシャルトーリアの自筆である。
届けたのはもちろん領主の館で働いている者で、身元はしっかりしている。
シャルトーリアからの手紙には、「追って領主からの要請もある」と付け加えられていた。
イリオンは皇族自筆の手紙に驚き、すぐに船を手配した。
帝国が所有する船は多いが、すぐに与えられるものは少ない。
港を行き来する船はもちろん不可。
空いている船の中ですぐにというと、数が限られてくる。
中型船と小型船の中で使用していない一隻を見つけたので、それをウーレンスに与えることにした。
手配したのはイリオンである。
「乗組員の募集はかけてあるぞ。しっかりした者を選ぶから安心しろ」
「ありがとうございます。すべてお任せしてしまって、申し訳ございません」
「いいってことよ。がっはっは」
鳴り物入りで船を所有することになったウーレンスだが、港の使い方を含めて、知らないことが多い。
皇族自筆の手紙で「委細つつがなく取り計らうように」と書かれているのだから、イリオンも船を用意してお終いでは格好がつかない。
「領主からも追って言葉がある」と書かれていたので、下手なことをするなよとクギを刺されたようなものだ。
早急に信頼のおける乗組員を手配する必要があった。
同時にウーレンスはその船を遊ばせるわけにはいかなくなった。
もらいっぱなしで放置するのはよくないが、船員まで手配されてしまえば、維持費もかかってくる。
慣れない海上交易に手を出さざるを得なくなったのだ。
(やはりウーレンスさんは交易をしたいのですね。だったら……)
イリオンとウーレンスの会話を聞いて、正司はひとり頷いていた。
どうやら巻物を渡すと騒動になるらしい。
心労のはげしいウーレンスを見れば、それは明らか。
ならばクエストを進めてくれた恩を別の何かで返そう。何がいいだろうか。
ここは港で、ウーレンスは交易をしたがっている。
正司ができることの中で、ウーレンスの希望を叶えるもの。
となれば、やることはひとつ。
「えっとイリオンさん。港ってここまでですか? あの先はどうなっています?」
正司が指したのは、切り立った崖。
「あのなあ……あれが港に見えたら、医者にかかった方がいいぞ」
「つまり港ではないのですね」
「あの崖を港と言い張るようなヤツがいたら、俺が海に叩き込んでやるさ。頭から海水を被ったら、少しは理解するだろうよ」
イリオンの乱暴な物言いに、ウーレンスはハラハラしてしまった。
言葉に気をつけろと言いたいところだが、それをした方が騒動になる。
いやでも口の利き方くらい直させた方がいいのか。
ウーレンスがひとりで悶々としていると、正司はおかしなことを言い出した。
「では、あそこを港として改造してもいいですか?」と。
「べつに崖はだれのモンでもないし、改造? 港にだと? できるんだったらやりゃいいが、そんなことしてどうするんだ?」
「船着き場をつくりたいのです?」
「言ってる意味が分かんねえが、ここじゃだめなのか?」
「ちょっと低いですね。高さがあった方がいいんです」
「ワケ分かんねえが、迷惑さえかけなきゃいいぜ。崖を港になんざ、好きなだけすりゃいいさ」
「それで確認ですけど、ウーレンスさんは港の使用権を持っているのですよね」
「ああ、俺が手配した」
「新しく港をつくった場合、それも使用してもいいですか?」
イリオンは正司の意図を理解した。
理解したがゆえに、せせら笑いながら了承した。
「おう。自作の港を使用したいってか? 好きにしていいぜ。やれるもんならな」
「ありがとうございます」
正司はイリオンの言葉が終わるや否や、すぐに行動をおこした。
――ゴリゴリ、ズシャー
――ゴゴゴゴゴゴ、ガタン
見上げるほどあった崖が削られ、真っ平らな大地が出現した。
正司がそれを〈土魔法〉で固めて、この港とスロープでつなぐ。
「なっ……えっ? ええっ!?」
イリオンが目を剥いている間に、港が完成してしまった。
正司は新しくできた埠頭に向かう。
(港造りとはいえ、何度もやれば慣れますね)
瞬く間に理想の高さの埠頭が完成した。
(あとは……)
『保管庫』から木材を取り出し、輸送船を造った。
「のうわっ!?」
下の方で声がした。イリオンが驚きの声をあげたのだ。
輸送船はあまりに大きく、乾舷(海面からでている部分の高さ)も相当ある。
下の埠頭からだと、見上げるほど大きい。
この埠頭に立つと、ちょうど甲板と同じくらいの高さになった。
「これでいいですね……えっと、ウーレンスさん」
駆け上がってきたウーレンスに向かって、正司は笑顔で尋ねた。
「巻物の代わりにこの港と船をウーレンスさんに差し上げようと思うのです」
「――はっ!?」
「それでですね、これと同じ大きさの船、何隻くらいあればいいですか?」
正司は笑顔で質問した。
○
「おかえりなさいませ、旦那様」
ウーレンスが店に戻ると、従業員たちがそう言って出迎えた。
新しく店を出したばかりのウーレンスに、なぜ複数の店員がいるのか。
ウーレンスの店は、皇族が立ち寄った店として町の話題をさらった。
皇家の紋をつけた馬車が店の前に横付けされ、かなり長い間留まっていたのだ。
人々の想像力を逞しくさせるくらいには目立っていた。
――皇族御用達の店ができた
噂がすぐに広まった。
シャルトーリアが去った翌日からひっきりなしに客が訪れ、品物が飛ぶように売れた。
最古参の店員……といっても、最近雇ったばかりのウルザだが、彼女ひとりでは扱いきれなくなってしまった。
お客様を待たせるわけにはいかないと、急遽、店員を募集することになったのだ。
その間、ウーレンスは商品の仕入れに大忙しである。
毎日仕入れて来たそばから売れていく。仕入れ先と店を往復するだけで一日が終わってしまうのだ。
ウーレンスが店先に出るヒマもないほどであった。
皇族がわざわざ足を運ぶ店という肩書きが薄れ、効果がなくなればまたもとの店に戻る。
それまでは客を失望させないよう、精一杯仕入れを頑張らねばと、ウーレンスは考えていた。
「ただいま……何か変わったことはなかったかな」
「大丈夫です。いくつか品切れの商品が出ましたが」
「いつものことだね」
「はい。……あの」
「ん? どうしたのかな」
「何か、とても疲れているようですが……?」
ウルザにそう指摘されて、ウーレンスは力なく笑った。
「大丈夫、いたって元気だよ。そういえば……」
「はい」
「二号店ができることになった」
「はい?」
「港にね、倉庫を建ててもらったんだ」
「はいい?」
「そこで卸をする」
「はあっ?」
ウーレンスがいましているのは、人的販売である。
仕入れた品物を客に売っている。必要ならば説明もするし、要望も聞く。
客は、少額の商品を一個からでも購入可能である。
卸業は違う。
大量に仕入れて、希望する商人に売る。商売のやり方も規模も大きく違う。
「港と船をもらってね……荷を運び込む場所がないからって、倉庫をもらったんだ。いやあれは倉庫群なのかな。よく分からないんだよ」
従業員たちの頭が横に傾いた。従業員たちの方がよく分からないのである。
「港って、使用権ですよね。船はあの小型船……」
ウルザがおずおずと問いかける。
「いや、ルード港の隣に新たに港をつくってくれてね、船は……帝国にあるどの船より大きかったな……ハハッ。操船には何人必要なんだろう。船員は百人くらい必要かな。とにかく、ここと魔道国の港を往復する交易を始めることになったんだ」
「「「魔道国ですかぁ!?」」」
店員が驚くのも無理はない。
つい最近、帝都サロンの噂がようやくここまで届いたのだ。
尾びれまでついて。
話半分にしても、ありえない噂が続々と入ってきた。
帝国はまだ、魔道国と交易していないはずである。
「まあ、そういうわけで、店の規模が大きくなるね、間違いなく」
おそらく数百倍に。
魔道国から仕入れた品物を「要らない」という商人がどれだけいるだろうか。
今のところ、魔道国から品物を持ってこられるのは、ウーレンスの船だけである。
商人たちは、ウーレンスから仕入れるしかない。
それを帝国の内陸へ持っていって、プレミアを付けて売る。
輸送船に荷を満杯に積んでも、売り手には困らないだろう。
それどころか、次はいつだとせっつかれるかもしれない。
そしてもうひとつ問題があった。
帝国はケチではない。巻物ひとつに大盤振る舞いしてくれた。
ウーレンスが仕入れを継続できたのも、多くの金銭をもらったからである。
そして港の使用権と船をもらった。
もう一度言おう。
帝国はケチではない。
巻物ひとつに、大盤振る舞いしてくれた。
「だけどなあ……」
ウーレンスはため息を吐く。
帝国が用意した港の使用権と小船。
となりには、正司が造った港と大型輸送船、そして倉庫群。
両者を並べてみると、その差は歴然。
大事なことだから、三度だって言える。リピートアフターミーだ。
帝国はケチではない。
ケチではないのだが、あの港と船を見た後では、なんともしみったれたものに思えてしまう。
それは他の者も一緒だろう。
港と輸送船? これはすごい。それに比べて帝国は……いや、シャルトーリア様は……と思われないだろうか。
「うーん……」
これは相手が悪かっただけ。タイミングも悪かったし、相手も悪かった。
帝国は本当にケチではないのだ。
だがこの二つは比較されるだろう。間違いなく比較される。
するとどうなるか。
港の使用権程度しか用意できない、もしくは小船程度しか与えられないシャルトーリアの株が大きく下がる。間違いなく下がってしまう。
人々の噂なんて、そんなものだ。無責任このうえない。
もちろんシャルトーリアは、そのような噂が流れることを……知らないだろう。
○
「いやー、いいことをしました」
正司は上機嫌で魔道国に戻った。
帝国との交易は常々考えていた。だが、ルンベックの話では、帝国に建国の話を持っていったとき、けんもほろろに追い返されたという。
「時期が悪かったね。話をもっていくのは、建国してからでもよかったのかもしれない」
そう言っていた。
(たしかにそうですよね。まだ国ができてもいないのに……早まったことをしてしまいました)
サンプルすらない品物の売り込みは難しい。
過去に取り引きがあれば別だが、まったくの新規でそんな営業をかけても成功するわけがない。
「実物はまだないんですけどね、契約してくれますか」
それで契約してくれる人は新しいもの好きか、ただのもの好きだろう。
ゆえに、帝国がそう判断しても致し方ないと正司は考えている。
「帝国との関係だけど、ゆっくり構築するのも悪くないんじゃないかな」
ルンベックはそうも言っていた。
正司もいつかはちゃんとしようと思っていたが、交易には現実的な問題が立ちはだかっていた。
魔道国の船が大きすぎて、港に入らないのである。
もし帝国に船を出す場合、小型船を使うしかない。
それでは一度に運べる量に限りがあるし、航海中の不安もある。
交易には安全な大型船を使用したい。
帝国に港をつくってから船を入れたい。
そんなことを思っていたら、たまたま運良く、ウーレンスが港の使用権をもらったという。
どうせならば交易をウーレンスに任せてみて、試験的に船を運用してみてはと思いついたのである。
(何度かやりとりして問題なければ、帝国の港を拡張させてもらえますよね)
帝国には港がふたつあるという。
そこを拡張するか、隣に新しい港町をつくってもいい。
港を輸送船に適した大きさにする必要があり、ミルドラルも王国も全面的に協力してくれた。
同じようなことをお願いして、船の規格が統一できれば、かなり安全で便利な旅になるのではなかろうか。
(魔道国の港町をもうひとつくらい増やしたいですし……船はあとどのくらいあればいいでしょうか)
ものすごい勢いで木を伐採した正司である。
町造りには欠かせない行為だが、その木材の使い道が、いまのところ船しかない。
あと千隻くらい造って各国に貸し出せば、かなりインフラが整うのではないだろうか。
(大陸に港をもっと……それこそ十や二十くらい増やしてもいいですしね)
とにかく今は、人々が楽に暮らせる環境をつくるのが大事。
魔物のせいで、この世界は生きにくい。
楽に暮らしている人など、ほとんどいない。
食うや食わず、生きるか死ぬかの人々があまりに多いのだ。
人々の暮らしが楽になるならば、港くらいいくらでもつくってみせると、正司は考えていた。
(それにしても、ウーレンスさんから聞いた話……)
港と船の件が終わり、間近で見ていたイリオンが「こいつはすげえ!」と大興奮し、必ず最高の船員を集めてみせると約束した。
万々歳である。
イリオンが「ひょっほ!」と走り去っていったあと、ウーレンスに代官のことをいろいろと尋ねたのである。
「グラノスの町で代官をしているロキスさんと会うことになったのですが、どのような人か分かりますか?」
「代官ですか……それはまたやっかいな相手ですね」
「やっかいですか?」
「商人仲間は、商売のやりにくい相手だと話していました。小心で猜疑心が強いとか」
「ああ、似たような話を他でも聞きました」
「以前はそうでもなかったようです。あの町はヒットミアの中でも未開地帯に接しているなど、特殊なところがありますから、多少町の運営がうまくいかない所があっても、仕方ないわけです」
立地としてはあまりよくない。
発展しづらい場所にあり、魔物の襲撃に備えなければならず、そのための費用も余計にかかる。
町が発展しなければ、税収だって見込めない。
つつがなく町を治めるのが普通とはいえ、難易度はそれなりに高い。
「今は違うのですか?」
「やはり代官の座が危うくなってからでしょうか。いろいろと動いて失敗したようです」
「領主から借金をしたとも聞きましたけど」
「借金ですか……なるほど、そういうこともあるかもしれません。あの町で行われていたのは、多数派工作です。お金も入り用だったでしょう。私が知っているのは代官が起死回生の策を打とうとしたことでしょうか」
「起死回生の策ですか」
「一年近く前だったと思います。町が大きく揺れたときがあります。町中をガラの悪い人たちが走り回り、怒号が飛び交いました。その頃から徐々に代官の地位が脅かされるようになったと商人たちは噂し合っていました」
ダクワンが有力者の取り込みをした時期だろうと、正司は考えた。
ウーレンスは、「たしかなことは言えませんが」と続けた。
「それまで劣勢だと思われていた代官が大きな口をきくようになったという噂が聞こえました。ですが、その真偽は分かりません。二級帝民は、上の役職が変わるたびに生活が大きく変わります。仲間は自分たちはどうなるのかと、必死に情報を集めていたように思えます」
「それでどうなりました?」
「代官は急に口を閉ざしたのです。最後には『すべてをひっくり返す策がある』とまで周囲に言っていたものが、急にピタリと口を閉ざしたのです。それ以降は一切、話が流れてきませんでした」
何かがあったのかもしれない。もしくは失敗したのかもしれない。
真実は分からなかったとウーレンスは言った。
それは結構最近のことらしい。
一体何だったのかを知っている者はいないのではないかとウーレンスは語った。
「なるほど、そうなのですか」
結局、ロキスに聞いてみないと、その辺のところは分からないだろう。
正司のクエストも白線がダクワンからロキスへと移動したことから、このクエストは町の多数派工作に関係している可能性が高い。
となれば、もう会う相手はこれで最後かもしれない。
「ところで、ひとつ伺いたいのですけど」
「はい、なんでしょうか」
「代官のロキスさんに会うには、どうしたらいいと思います?」
「……えっ?」
「会うことは決まっているのですけど、会い方がまだ決まっていないのです」
「…………」
このときのウーレンスは、驚きと呆れと困惑と……それはもう、表現しようもない顔をしていた。
しばらく考え込んだあと、ウーレンスは「でしたら……」と話を続けた。
「いまから私が言う宿に……高級宿ですけど、そこに連泊するといいと思います」
「宿ですか?」
「はい。町一番の宿です。そこから代官の館へ使いを出してください。使いを出すにも多少金銭はかかりますが、宿の者ならば、喜んで応じるでしょう」
「なるほど、宿から使いですか」
「使いの者に贈り物を持たせましょう。きっと反応があるはずです。もしなくても、繰り返せばかならず代官は会ってくれます。そういう人物です」
「会うために贈り物をつかえばいいのですね」
「偉い人と会う場合、向こうから『会いたい』と言わせる必要があります。他でも使える手ですので、覚えておくとよいかもしれません」
「分かりました。助かります」
以上のような会話が行われたのである。
しばらく宿に逗留することになるかもしれないため、正司は一度、魔道国に戻ってきた。
何もなければウーレンスの言葉通り、町一番の宿に泊まり、ロキスを釣り出す作戦に出る。
(おそらくクエストは最後の関門でしょう。気合いを入れないといけませんね)
いつになく正司はやる気に満ちていた。
「……陛下、これが建国までにかかった総費用です」
「ありがとうございます。細かいところは出先で読ませていただきます」
建国前は国の民から税金を一切徴収していない。金は出て行く一方である。
それでも各国からの援助や、商人たちの投資、それに正司が持っていた資金に加えて、必要ない素材類を大量に売っている。
しばらくは税金なしでも運営できる資金が揃っていた。だが……。
「思ったより、費用がかかっていますね」
想像よりも多い。スタートアップ時には予想外の費用が発生するものであるし、まだ手探りのことも多いため、無駄もある。
それでもかかった費用の合計はかなりのものだった。
これが建国前の数ヵ月で出て行ったと考えると、恐ろしいものがある。
(なるほど、行政サービスとは、こうもお金のかかるものだったのですね)
日頃日本でやれ税金が高い、サービスが悪い、たらい回される、窓口で待たされるなど、いろいろ文句を言いたいことはあった。
だが、これを見ると分かる。
――国のサービスは、何も生み出さなくても膨大な維持費がかかるのだ
(この世界は、日本と比べてかなり生産性が低いです。つまり非効率な社会構造をしているわけです。税金を高くしても入ってくる収益はたかが知れています)
なるほど、国は「おいしい土地」しか欲しがらないわけだ。
インフラを魔法で調えた魔道国でさえこれなのだ。他の国は大変だっただろう。
それこそ十カ年計画、二十カ年計画で進めたに違いない。
(自分がトップになってみないと、本当に分からないものですね)
正司は最初、リーザと話したときのことを思い出した。
棄民をなぜ救わないのかという正司の問いに、リーザは「できるわけがない」と言った。
それはそうだ。正司は魔法で町をつくり、家を建て、魔物から人々を守る高い壁や高速道路を建設した。
町はどれも生産性は高い。人も多く住み、大きな町と町はまだ結んでいないので、少ない兵で守ることができる。
それでも、正司が驚くほどには、初期投資費と維持費が出ている。
(やはり、計画を早めましょう)
大きな町を三つつくっただけ。これが魔道国のすべてである。
多くの棄民はいまも、危険な場所で暮らしている。
そして他国に棄民救済をお願いするのは、やはりかなり難しい。それが実感できた。
だれかが動かなければ、彼らはいつまで経っても貧困から、そして危険な暮らしから抜け出せない。
なにしろ、どの町も飽和しているのだから。
最近、帝国によく赴くようになって、浪民のことも知るようになった。
(場所の確保、人材の確保、そして産業の確保ですね)
しばらく宿での滞在が続きそうである。正司は、魔道国の行く末についてゆっくり考えることにした。
今回の資料を読んで、正司は魔道国の未来をより具体的に……夢想する。