129 各国ご招待
シャルトーリアはベッドの上で目を覚ました。
「どこだここは……?」
首を巡らすものの、周囲は薄暗く、あまりよく見えない。
壁に魔法の灯りが照らされているが、光量は極限まで絞られているようだ。
どこかの寝室であることは分かる。
(おそらくここは……ミラベル城の中)
シャルトーリアが半身を起こすと、光量が増した。
(私の動きに反応したのか?)
自動で明るさを調整するようだが、シャルトーリアはこれまで、そんな魔道具のことを聞いたことがない。
(あれも魔道王の製作した魔道具か)
数日前のシャルトーリアならば驚愕して、近寄ってマジマジと見たことだろう。
どうしたら譲ってもらえるか、真剣に考えたかもしれない。
だが今はもう、感覚がマヒしたのか、「魔道王だから」で済ませてしまえる自分がいる。
光量が増したことで、豪華な調度品がうっすらと目に留まった。
高貴な身分の者を泊める部屋なのだろうと予想が付く。
(それで私は……どうしたんだったか)
軍事演習を見学した。そこは覚えている。
集団戦で驚かされ、その流れで勝ち抜き戦を見学した。
(そうだ、模擬戦)
ライエル将軍とミラベルが模擬戦を始めたのだ。
まさかトエルザード公の娘が戦えるとは思わなかったため、食い入るように見てしまった。
じっと観戦していたところで、折れた槍の穂先が観覧席まで飛んできたのだ。
(思い出した! あれを弾いたのは、魔道具の力だろう)
左右にいたリーザもファファニアも、飛んでくる穂先にまるで動じた様子がなかった。
あの程度では、かすり傷さえ負わない確信があったのだろう。
鉄の穂先は見えない何かに弾かれ、跳ね飛ぶ。
それを拾って握り潰したのがリーザだった。
シャルトーリアはそれを見た瞬間、緊張の糸が切れて気絶してしまった。
思い出せたが、思い出したくない出来事だった。
(今が夜だとすると、半日ほど気を失っていたことになるな)
連日の驚愕続きで、精神が摩耗しているのは自覚していた。
昨晩もあまりに思い詰めてしまい、深夜、ベッドの上で過呼吸をおこしてしまったほどだ。
情けないとは思うが、あんなものを見せ続けられれば、気絶くらいする。
(城内の寝室に運び込まれたとすると、隣の部屋には護衛がいるな)
本来、信頼のおける侍女が目を覚ますまで付きそうのだが、今回は魔道国に着くまでお忍びで旅する予定だった。
そのため、だれも連れてこなかった。
さすがにシャルトーリアをずっと放っておくようなことはないだろう。
定期的に城の女性が護衛同伴で様子を見に来ただろうが、常駐は護衛が許さなかったのだろう。
(護衛たちはいまも不寝番だな。だとすると、音を立てない方がいいか)
とにかく今は、冷静に考える時間が欲しい。
シャルトーリアは静かにベッドをおり、手近な椅子に腰掛けた。
テーブルに水差しが用意されていたので、杯に注いで一口飲む。
「……ふぅ、考えることが多過ぎだな」
小声でそう呟く。
予想外のことが多すぎて、何から考えていいのかすら分からないほどだ。
(大陸の西側について、考えを改めるべきなのは分かった。だが、この認識の差異はどこからくるものなのだ? ずっと偽の情報を与えられていたとでもいうのか?)
シャルトーリアは悔やんだ。
一度でも西側に赴いていれば、今日だってもう少しマシな対応ができただろう。
かといって、船で片道数ヵ月の旅だ。気軽には来られない。
西側各国の状況を理解するには、町を巡り、人と会う必要がある。
少なくとも一年、ことによったら一年半か二年以上かかる旅になってしまう。
さすがにそれを選択することができなかった。
ゆえに定期的に入ってくる情報に頼ったわけだが、シャルトーリアが聞いた西側諸国の文化・軍事・経済は、帝国よりかなり遅れているという話ばかりだった。
(何人も派遣しているのだ。全員が偽情報を掴まされたわけがない。とすると私の耳に入ってくる段階で、都合のよい話ばかりになっていたか?)
情報を集めた本人から直接聞くのではなく、人づてに聞くか、報告書を読む程度だった。
シャルトーリアの目や耳に届く段階で情報が取捨選択されていたことになる。
(直接部下を派遣……は無理だな。優先度が低すぎる)
帝国内の地盤を固めるために、シャルトーリアの部下は帝国中に散っている。一年も二年も西側で遊ばせる余裕などなかった。
(結局のところ、みなそうやって優先順位を下げていったことで、本来入ってくる情報が届かなかったのだろう。だとすると、あれも本当のところはどうなのだ?)
シャルトーリアのいう「あれ」とは、西側で最近締結された三国同盟のことである。
その話を聞いたのは、帝都サロンでのこと。
エルヴァル王国とミルドラルとラマ国が同盟を結んだ。これは由々しき事態である。
国同士が手を握れば、そこに強大な商業圏が生まれる。
だが唯一残された魔道国との関係はどうなるのか。
帝都サロンでは「魔道国を支援するために三国が協力体制を敷いた」と、人々は口を揃えていた。
シャルトーリアはそこに付け入る隙があるのかもしれないと考えていた。
魔道国を入れずに同盟を三国に限定したのは、裏があるからかもしれない。
三国同盟は最後の最後まで、本当に魔道国の味方になるのか?
帝国と懇意にした方がいいのではないか……そう話を持っていくことも可能だと考えていた。
だが実際に足を運んでみれば、どうだ。三国はかなり深く魔道国と繋がっている。
どうみても味方以外のなにものでもない。
(つまり帝国は躍らされた?)
あえて帝国が裏を読み、個別に接触してくる余地を残したのかもしれない。
(ヘタに接触したら、西側中にそのことが広まる……とか?)
三国同盟の意図は、帝国の動向調査にあるような気がした。
(危ないな。帰ったらクオルトスに伝えた方がよさそうだ)
情報大臣のクオルトスはいま、西側の情報をやっきになって集めている。
近視眼的な視野で西側を判断すると、痛い目を見るかも知れない。
(魔道国は良くも悪くも、魔道王ひとりが作った国。隔意があれば協力したりしないか……いや、待てよ。そもそもなぜ三国同盟を発表したのだ? 秘かに同盟を組んで、帝国から接触があった段階で情報を共有してもよかったではないか)
同盟の事実を広く発表した意味をシャルトーリアは考えた。
同盟という形に拘ったのは、そこに実利があるからである。実利、それは一体何なのか。
(……ああ、そうか。同盟をひとつの連合体として考えたとか?)
現在、三国同盟は魔道国と対等の関係を結んでいる。
三国同盟は魔道国に対する意志決定機関となり、魔道国は各国と個別に対応しなくてよくなる。
連合体ならば各国はすべて横並び。決め事もスムーズに運ぶ。
(それだけではないな)
魔道国を同盟の盟主と崇めたり、傘下に入ったりするのは難しいが、魔道国が連合体と同等と見なすならば、各国は魔道国より一段下となる。
もちろん明記されることはない。
おぼろげなイメージとして、そう思われることもあるという程度だ。
独立独歩の国こそ、そういうのを嫌がるが、今回ばかりは違う。
(今後のことを考えて、魔道国主導の政治体制を模索したのかもしれない)
いまの考えも、近代化の話を聞かなかったら、思いつかなかっただろう。
まさか三国が率先して魔道国に付いていくとは思わない。
だが近代化を推し進めた場合、間違いなく魔道国から各国へ様々なものが流れる。
政治体制、経済基盤、工業製品、食料、文化、教育制度などなど。
それを受け入れやすくするため、あらかじめ流れを作っておきたかったのかもしれない。
(ますますもって、敵対できない……いや、現状わが国は詰んでいるのだったな)
シャルトーリアは秘かに呻く。
魔道国と敵対した場合、三国もまた敵に回るだろう。
魔道国に逆らって帝国の味方をするメリットがどこにもない。
このことからも、帝国は魔道国と事を構えるわけにはいかない。
では魔道国と友好関係を築いたらどうなるのか。
魔道国の目的が棄民や浪民を救うことであることが分かった。
未開地帯にこれからも町をつくるならば、浪民たちはこぞって魔道国の旗の下へ集うだろう。
浪民たちにとって、これほど恵まれた町は他に存在しない。
対帝国の巣窟が簡単に誕生してしまう。
浪民たちは魔道国庇護のもとで力を蓄え、同士を増やしていく。
彼らが敵意を向けるだけのことを帝国はしてきた。
領土拡張による蹂躙のみならず、現在に至っても帝民権に制限をつけるなどして、差別化をはかっている。
恨まれる種はいくらでもある。
魔道国という土壌に撒かれたそれらの種は、すぐにでも芽を出すことだろう。
(それに帝国はどう対応する? 魔道国を支配するか、魔道王を消す案は……不可能だろうな)
三国の介入が思ったより根深いものだったことと、ファファニア、リーザ、ミラベルと突出した者が魔道王のすぐそばに控えていること。
魔道王をうまく操って、中から支配するのは夢物語になった。
そして魔道王の暗殺――これは最大の悪手だ。
魔道王の側近たちですら魔道具で守られているのだ。
本人が無防備なはずがない。
(自身で魔道具をつくれること自体が反則だな)
成功、失敗とわず、実行すれば魔道国との仲は最悪。
かならず報復に出てくる。
以前のシャルトーリアならば、搦め手を用いてでも戦争で勝利を招き寄せるところだが、こと魔道国戦に至っては、それも不可能。
(大量の巻物に精鋭の兵士たち……三国も協力するだろうし、戦って勝ち目があるとは思えない)
シャルトーリアがこれまで目にした巻物がすべてだとは思えない。
魔道王の得意魔法は、他にもあるのだから。
〈土魔法〉が込められた巻物は確実に存在しているとシャルトーリアは思っている。
またミルドラルと王国の戦争時、〈火魔法〉の巻物が使われたとの報告もある。
あんな巻物が一本でもあれば、接敵する前に全滅する可能性もある。
暗殺未遂のすえに敵対など、願い下げだ。
(一番いいのは無視か? いやそれは問題の先送りだな)
帝国領の問題に口を出すなと突っぱねることもできる。
そうすれば浪民を連れていくこともないだろうし、敵対勢力が増える可能性は限りなく押さえることもできる。
だがそれをすると魔道国との付き合いもなくなる。
十年も経てば、近代化によって大きく国力を成長させた西側諸国ができあがる。
帝国は十年かけても今のままだろう。
斬新な改革案があっても、帝国は巨大過ぎて効果を発揮できない。
十年あれば、西側はどれほど発展しているか。
二十年すればもう、埋められないほど国力の差がついていることだろう。
(結局、八方塞がりか)
どう考えても解決策は見つからなかった。
明るくなるとシャルトーリアは、すぐに護衛を呼んで昨日のことを尋ねた。
護衛の答えは概ね、シャルトーリアの予想通りだった。
自分が気を失ってからの状況を細かく聞き出す。
彼らはラマ国から着いてきた者たちだが、出身は帝国であり、考え方もシャルトーリアに近い。
やはり魔道国の真実の姿に大いに驚いていたのだ。
かなり同情的な態度だった。
「他には……回復したら連絡を欲しいと申しておりました」
「それは構わない。伝えに行ってくれ」
「はっ!」
護衛が走って行く。
シャルトーリアはその間ゆっくりと身支度を調えて、軽食も摂った。
気分を落ちつかせるため、あえてベランダに出て町を眺める。
この町は、三つの中で最初に入植がはじまったらしい。
そのせいか、他の二つの町より住民が落ちついて暮らしている。
町並みが完成しているせいか、すでに入植から百年経ったと言われても信じてしまいそうになる。
道行く人、働いている人の何割かは棄民なのだ。まったくそんな風には見えない。
見れば見るほど劣等感を刺激される。
(いや、これでいい。私はこの光景を目に焼き付けて帰ろう。今回の旅は大いに収穫があった。それが分かったことが重要なのだ)
内容はシャルトーリアの負け。それは素直に認める。だが次は負けない。
いまは八方塞がりでも、帝国に戻れば部下も多くの知識人もいる。
彼らと情報を共有し、頭を付き合わせ、解決策を考え出せばいい。
数十人、数百人の知恵を集め、時間をかけてでも、絶対に一矢報いる計画をスタートさせる。
(まずは父を皇帝に据えることからだな。帝国に帰ったら忙しくなるぞ)
――コンコン
シャルトーリアが決意を固めているところで、扉がノックされた。
廊下に来客が来ているという。
(様子見がてら、わざわざ足を運んだということか)
そう考えて部屋に通すよう伝える。
ここは続きで三部屋あり、いまシャルトーリアがいる寝室の隣が護衛の控室。
廊下側が来客を招き入れる部屋になっている。
シャルトーリアがそこへ向かうと、リーザとミラベル、ファファニア、そして……ルンベックがいた。
「お久しぶりでございます、殿下」
ルンベックが帝国式の挨拶をする。
「ああ、サロン以来だな」
シャルトーリアも挨拶を返す。
「殿下がこの町にお越しとうかがいまして、ぜひ我が領へご招待したく、直接参った次第です」
「…………」
単刀直入な言葉に、シャルトーリアの頭は目まぐるしく動く。
トエルザード公自ら足を運ぶなど普通ならばありえない。
〈瞬間移動〉の巻物があるからこそだろう。
それは分かった。
ここでシャルトーリアは、どう返答すればいいのか。
これはよく考えなければならない。
(魔道国と三国同盟のことを考えれば、招待は断れないか)
早く帝国に帰りたい思いはあるものの、トエルザード公自らの誘いを断るのは下策。
帰国が数日延びるデメリットと、公の誘いを断るデメリットを天秤にかければ、答えは自ずと出る。
(それに直接トエルザード公領を見るのは悪くない。直接話をすることで情報も引き出せるかもしれない)
知らなければ不覚を取ることをこの数日間で思い知った。
ミルドラルはまだ一度も訪れたことがない。ならば行くべきだろう。
「トエルザード公自らのご招待とあらば、行かない理由がありません。喜んでご招待に応じましょう」
「それはよかった。殿下もお忙しい身でしょうに、格別のご配慮、感謝いたします」
シャルトーリアにとって完全に予想外のことだったが、これも悪くない。
護衛ともどもシャルトーリアは、トエルザード公領へ跳んだ。
それを見送ったのは、くだんの三人である。
実はこれまでのこと、リーザの仕込みだったりする。
ファファニアの部下がリーザのもとを訪れたとき、リーザは各国へ人を派遣している。
またとない機会である。裏でいろいろと手を回したのだ。
まず、シャルトーリアが三つの町を巡る間、彼女の来訪を邪魔しないように伝える。
そのかわり順番に貸し出すからと、詳しい日程を伝えたのである。
今頃ルンベックだけでなく、各国が手ぐすね引いて準備していることだろう。
クスリと笑ったあと、リーザは顔を引き締めた。
「……ところでミラベル」
「はひっ!?」
「どうしてこう、あなたは詰めが甘いのかしら」
「あ、あのね……お姉ちゃん……不可抗力ってあると……思うな」
「危うく怪我させるところだったじゃない。それに防御の魔道具の存在がバレたわね」
「それは、そんなに大事なこと?」
「魔道具は遅かれ早かれバレるからいいけど……計画が最後まで行かなかったのは残念なのよ」
「ううっ……」
リーザの言う『計画』とは、一体何のことか。
今回、選抜メンバーの勝ち抜き戦で選手が負傷し、途中からライエルとミラベルの模擬戦が始まった。
集団戦や勝ち抜き戦、さらには模擬戦はすべて予定されていたことだった。
といっても、選抜メンバーの負傷だけはアクシデントだ。
本当は決勝戦まで終わり、最後のデモンストレーションとして、ライエルとミラベルが「戦う」ことが決まっていた。
ライエルもそのことは承知していた。
デモンストレーションの結果は引き分け。
ついでにと、ライエルがシャルトーリアを模擬戦に誘う。
軍団長の地位にいるシャルトーリアであるし、本人も腕に覚えがある。
シャルトーリアは間違いなく、復活したライエルの腕前を確かめたいと思うはず。
必ず模擬戦を受けるとリーザは考えていた。
ライエルは十分手加減し、引き分けに持ち込む。
相手をしたシャルトーリアは、実力の違いに愕然とするだろう。
同時にそんなライエルと互角に戦ったミラベルの強さを認識し、鍛錬していた二軍兵の実力を含めて、何もかもが帝国軍より上であると「体感」させるのが目的であった。
シャルトーリアはライエルを称賛するだろう。そうせねばならない。
ライエルの返答は決まっている。
「この国の中核を成す魔法兵に比べたら、なんのことはありませんよ」
そう言わせたかったのだ。加えて……。
「もはや剣を使った戦いなど、無意味な時代がくるのでしょうな」
真に言いたいことはここ。
それを聞いたシャルトーリアは、巻物の存在に思い至る。
あれほど惜しげもなく巻物を使うのだ。魔道国にいま、どれだけの魔法が蓄積されているのか。
それを使う魔法兵が存在している。なんと恐ろしいことか。
魔道国に正司がいなくても、恐ろしさは変わらない。
いや、根っからのお人好しがいなくなる分、魔道国は恐ろしい国に変貌するのではないだろうか。
そう思わせて、シャルトーリアの心を折る作戦だったのだ。
「身体強化の巻物に慣れていないのですし、仕方ないのではないでしょうか」
「……そうね。ある程度の釘は刺せたし、あとはお父様たちに任せましょう」
「ですけどまさか、帝国の姫様がおいでになるとは思いませんでしたわ」
「あれは自分の目で確かめないと、気が済まないタイプね」
「なるほど…………ですわね」
リーザと同じ性格か……とは、ファファニアは言わなかった。
「帝都サロンの状況からも、第二皇子派のだれかが様子を見に来るのは想像できたし……まあ、上々だったかしらね」
帝都サロンへは、万全の準備で臨んだ。多くの者が出席したのだ。
情報だって広く集めている。
すでにその整理も済んだ。
分かったことは多いが、中でも驚きだったのは、あのサロンに参加した貴族の多くが、第二皇子派であったこと。
帝都は第二皇子派に握られている。そう考えることができる。
それを裏付けるかのように、第一皇子およびその派閥の貴族は、あの日、帝都にいたにもかかわらず、サロンに出席していない。
この事実は何を意味するのか。
シャルトーリアがイニシアチブを握っている集まりだと分かっていたため、サロンに顔を出したくなかったのだ。
「帝都サロンに出席していた領主は三人、そのうち二人が一圏の者となれば、もう旗色を鮮明にしても問題ないということね」
「第一皇子派はもともと、地方に基盤があるというお話ですし」
反対に第二皇子派は、地方の基盤は弱い。
だがいつまでもそうだとは限らない。
「もはや両皇子の勢力は、均衡ではないわ……あの様子じゃ、帝国を二分する権力争いは起こりそうもないわね。近々、大きな動きがあるかもしれない」
首謀者と思しきシャルトーリアが呑気に国を離れられるくらいには、情勢は傾いているとみることができる。
「せっかく新しい町ができますのに、ゆっくりしていられないですわ」
「やるべきことは多い……でも時間が足りない……それなのにミラベル」
「はう?」
「最近、ずいぶんと留守がちみたいね」
「そ、そうかな?」
「少しは自重しなさい。大切な時期なんだから」
「はーい」
返事だけはいい。
ちなみに今回のミラベル。
ライエルと一緒にテント内にいるうちに〈身体強化〉の巻物を読んでいた。
身体機能が飛躍的に上がっていたことに加えて、各種魔道具で技能の底上げ、そして魔物の皮を使った革鎧の特殊能力が、あの戦いの秘密であった。
「それじゃあ邪魔者もいなくなったし、解散しましょう」
「そうですわね」
「うん。じゃ、また未開地帯に行ってくるね」
「……ミラベル?」
「ひゃう!?」
ミラベルが見た方向……それは未開地帯の奥地。
二軍の兵を連れての演習が殊の外、楽しいらしい。
「私はなんて言ったかしら?」
「……なんだっけ?」
言ったそばからコレである。
それとシャルトーリアが、最後まで気付かなかったこと。
三人が結託している理由。
三国同盟が結ばれたのだから、三人が「協力」するのは当たり前。
それだけだろうか。本当にそれだけ? 他に理由は……?
三人が結託した理由は他にある。
もちろんそれを正司が知ることは……おそらくない。
ルンベックは、シャルトーリアを自分の屋敷に招待した。
「大勢の歓待は疲れるでしょう。ここは飾らない感じでよろしいですか?」
「ええ、その方が私も助かります」
次々と出てこられて挨拶されても面倒なだけである。
「ではこちらへどうぞ」
相手のことを慮っているようだが、家臣にも聞かせず、内密な話になるだろうとシャルトーリアは見当を付けた。
ルンベックはシャルトーリアを応接室に招き入れる。
ここへ通されたことで確信した。
このような対応は何度も経験している。おそらく政治的な話をしたいのだ。
駆け引きをしつつ、「ここまでは話していい」という情報をそれぞれが伝え合い、互いに歩み寄るのだ。
「最近は交易が楽になったおかげでしょうか、町が活性化しました」
それは他愛ない雑談から始まった。
「ほう、それはよかったですね。魔道国との交易ですか?」
「ええ、タダシくんが港を改造してくれて、我が領の街道も、一部整備してくれたのです。これまで行き来に多くの時間がかかっていましたが、いやはや、楽になったものです」
「……ほう?」
その辺の情報は知らなかった。
リザシュタットの町で輸送船を見たとき、港の改造の話は聞いた。
どうやら街道も魔道王が整備したらしい。
「街道の整備は時間のかかる工事でしょうに……それも魔法ですか」
「ええ。ここからバイラル港まで山を通した一本道を造ってくれました」
「…………」
ちょっと待て、とシャルトーリアは言いたかった。
「これはタダシくんが言い出したことなんですけどね。棄民の移動を少しでも楽にしたいと。たしかに彼らは荷物を多く持たない。それでも山を越えるのは難儀します。タダシくんは、棄民が苦労するのを見ていられなかったのでしょう」
「……とすると、他にも?」
「ええ、難所には、いくつかトンネルができています。それと迂回路には高速道路が……ああ、他の領も同じ感じですよ」
「…………」
シャルトーリアは絶句した。
軽い雑談から始めるつもりだったが、予想外の話が飛び出した。
というか、今のが軽い雑談なのか? シャルトーリアには判断がつかなかった。
ラクージュの町からバイラル港まで一本道とは、あまりに豪気。
それをさらっと伝えるのだから、本人は大したことと思っていないかもしれない。
魔道国だけでなく、他でも魔道王の力が浸透していることが確定した。
今の話、帝国が掴んでいるのかいないのか。
(……鳥が足らないか)
鳥の通信手段は有能だが、数に限りがある。
一人が飼っているのは、数羽から多くても十羽程度。
一度に一羽では辿り着けるか分からないから、時間を置いて数羽飛ばすのが普通だ。
これまでならば、それでよかった。
鳥を飛ばすような緊急の案件など、数年に一度あるかどうかだから。
だかここへ来て立て続けに起こった魔道国からみの件で、飛ばすべき鳥が足らなくなっていることが予想できた。
また最近のシャルトーリアは、移動ばかりであった。
鳥からもたらされた情報が、すべて耳に入ったかどうか分からない。
(やはり侮れないな。トエルザード公領に来てよかったか)
ほんの小一時間で、このような収穫があったことに、シャルトーリアは素直に喜んだ。
「もうすぐ妻も戻ってくるでしょう。そうしたらご挨拶させてください」
「どこかへ出かけられて?」
「ええ、少々遠くに」
「なるほど」
あれだけ〈瞬間移動〉の巻物を多用しているのだ。
どこへでも行けるだろう。
雑談が続き、シャルトーリアがホクホクしているところにミュゼが帰ってきた。
ミュゼの姿を見て、シャルトーリアは一瞬目を疑った。
(ずいぶんと若いが……?)
ファファニアと同じく、美に気を使っているからだと納得させたが、それにしても若い。
とても三人の子を持つ母親には見えない。
それどころか、シャルトーリアとそれほど変わらない年齢に見えた。
「初めましてですわね。ミュゼ・トエルザードでございます、殿下」
礼節に則った完璧な挨拶をしてくる。
シャルトーリアも、慣れた仕草で挨拶を返す。
幾ばくかの社交辞令のあと、ミュゼの近況を尋ねた。
「つい先ほどまで、モールの町に行っておりましたの」
「…………そうですか」
シャルトーリアは顔に出ないようにするので精一杯だった。
モールの町は、シャルトーリアもよく知っている。
そこは何の産業もない帝国の田舎町だ。
ルード港に近いが、交易路からは外れている。
シャルトーリアが軍で何度か駐留したことがある……だけでなく、つい先だって、そこでとある貴族から魔道具を譲り受けた。
(あの魔道具の出所が分かったとか?)
背中を冷や汗が伝う。
軍を駐留させているとき偶然、魔道具のナイフのことを聞きつけた。
そのときシャルトーリアは、幾ばくかの金と一圏内への口利きを約束して、とある貴族からそれを譲り受けている。
クオルトスがバッタリアの領主を通さずに、ルードの港町の代官へ直接それを渡している。
シャルトーリアはクオルトスからその報告を受けただけだ。
港町の代官がケニギスに命じ、それを持ってトエルザード公領へ向かったのはもう、随分前の話。
ルンベックを斬りつけた魔道具の出所は、絶対に辿れないはずだった。
だが、何もないはずの帝国の田舎町へ、なぜわざわざミュゼが出向いたのか。
(ルード港の代官は出所も知らない。絶対に辿れないはずだ。それにクオルトスが裏切らない限り、私が手に入れたことは知られていない)
目まぐるしく頭を回転させるシャルトーリアだったが、どう考えても、魔道具のナイフとシャルトーリアを繋ぐ線は出てこない。
(もしかして何かで知ったとか? いや、そんな偶然はありえない)
西側に来てから不意打ちばかり食らう。
今回は、その中でも最大のものだ。
「そういえば……」とルンベックが何かを思い出したように告げた。
「先日、屋敷内であろうことか、暴漢に襲われましてね。それがちょうどこの部屋でした」
「そ、そうですか……」
「その暴漢がなんと帝国の使者でして……殿下のお耳に入れることではないと愚考しますが、かえって隠す方が礼を逸することにもなりかねません」
「そうですね……」
これはもう絶対に感づいている。そうシャルトーリアは思った。
確証をもっているかは分からないが、何らかの方法を使って、魔道具の出所を知り得たのである。
この話の流れで「そんな話をして帝国を愚弄するのか」とシャルトーリアが反論し、居丈高な振る舞いをしたとする。
相手は慌ててひれ伏し、謝罪するだろうか。
待ってましたとばかりに、決定的な証拠を突きつけられるかもしれない。
そうなったら目も当てられない。
シャルトーリアは、暴漢については厳重に対処することを約束した。
(あの件は、トエルザード家の対応が穏便だったことが敗因だな)
ナイフの出所が分かったとて、とぼければいい。
証拠を突きつけられても、最後の最後で「知らない」と押し通すこともできる。
「陰謀だ」と言えばいい。
評判は最悪になるが、それはそれだ。
問題はこの件について、帝国に反撃の材料がまったくないことだろう。
当主が暗殺されそうになったのだ。普通は、その国にいる帝国の者を取り調べる。
身に覚えがなければ反発する。そうすれば拘束だってするだろう。
そうなるのが当然の対応だ。
もし帝都で西側の国から来た使者が皇族を暗殺したら、背後関係を洗おうとする。
まっさきに事情を聞くのは出先機関である。
だがトエルザード家はそれらを一切しなかった。
正直拍子抜けした。
弱腰外交……何も知らなければそう思っただろう。
だが正式に帝国へ抗議することによって、護衛の数を増やす書類を勝ち取ったり、それを逆手にとって帝都サロンへ乗り込んできたりしている。
帝国の民を取り調べるのではなく、正規の手続きで何十倍にも返してきたのだ。
こちらが打った手は躱されて、思わぬところから反撃される。
この件に関しては黙りを決め込むしかない。
(あとはもう、慎重に慎重を重ねて対応するしかないな)
ミュゼを交えた雑談が続いたが、もはや対等な会話は望むべくもなかった。
動揺を顔や声に出さないよう気をつけるのが精一杯だったのだ。
よって「ゆっくりしていってください」と領内の見学を申し出られたとき、シャルトーリアは断るという選択肢を持たなかった。
結局解放されたのは、トエルザード公領へ来て三日後のことだった。
尾を踏まないよう注意するのに精一杯だったのだ。
(……そしてこれか)
出立の日、なぜか元フィーネ公ルソーリンが出迎えに来ていた。
次はフィーネ公領へ赴くことになるようだ。
トエルザード公の誘いを受けたのに、フィーネ公の誘いを蹴るわけにもいかない。
それに、生で見ることが最大の情報収集であることを知った今となっては、見逃すデメリットがあまりに多すぎた。
元フィーネ公の招待を受けてフィーネ公領へ赴いたシャルトーリアだったが、そこはあまりに居心地の悪い場所であった。
いや、扱いは至極丁寧。これ以上ないほど、賓客として遇された。
ただし、帝国が王国を通して行ったことが、ほとんどバレていた。
ラマ国は長年にわたり、帝国との交易を頑として再開させなかった。
絶断山脈の中継地に砦を築き、兵を置き続けた。
帝国が西側へ攻め入るためには、どうしてもあの山道が必要。
帝国は、交易したがっている王国と秘密裏に手を組み、ラマ国とミルドラルの戦争を画策した。
実際に動いたのは王国だが、帝国の意向も大いに入っている。
フィーネ公領を借金漬けにして、戦争賛成の方向へ持っていった。
国を借金で雁字搦めにしたのだが、魔道国が誕生したことで色々なことがすべて泡と消えていた。
王国がミルドラルとの戦争に負け、その王国もいまや三国同盟の一員である。
あとにのこったのは、帝国が介入した事実のみ。
表面上は穏やかに話すルソーリンも、言葉の端々に棘がある。
とにもかくにもシャルトーリアは、居心地の悪い時間を味わうのであった。
それでも未開地帯の間にできた巨大な壁を見たときは、ここへ来てよかったと思えた。
フィーネ公領が借金をした理由の大部分は、未開地帯への侵攻と魔物の防衛のためだった。
壁の存在は、フィーネ公領がこれから発展することを大いに暗示するものだった。
こういうのは見ておいて損はない。かなり居心地が悪くてもだ。
(そしてこうなるのか……)
数日間の滞在のあと、待っていたのはバイダル公コルドラード。
もちろんシャルトーリアは招待を了承する。
多少気まずい思いをしても、情報を得ることは大事と判断したのだった。
だが、招待を受けて半日。
シャルトーリアは早くも後悔していた。
ラマ国との戦争を狙っておこされた王国の一手。
公主の孫息子誘拐と、孫娘襲撃の件で、コルドラードは静かに怒っていたのだ。
帝国が直接関与したわけではないが、共犯者の一味であることは掴んでいるのだろう。
コルドラードは表面上は穏やかな笑みをたたえながら、ネチネチと事あるごとに襲撃事件を持ち出してくるのである。
うかつに返答すると藪蛇になりかねない。
まるで針のむしろの上に座っているような居心地悪さをシャルトーリアは味わうはめになった。それもずっと。
早く解放してくれと願うこと数日、今度は王国から招待があった。
もはやどうにでもしてくれという気分である。
これは明らかに嵌められている。
いつからか、情報を共有されていたのだ。
ラマ国戦を想定して動いていたことで、王国と帝国は共犯関係にある。
だがそれも今は昔の話。
先の戦争で王国は敗戦国となり、三国同盟に名を連ねている。
寄って立つ側が代わり、国王も代替わりしている。
新国王は当然前政権を否定する立場を取る。
シャルトーリアとしては、甚だ話しづらい相手と言える。
また、新国王にどの程度話が通っているかも分からない。
手探りで進めるには、三国同盟の絆が邪魔をして、思い切った提案ができない。
しかも先の戦争で王国だけが被害を受けたこともある。
その傷痕はまだまだ残っているという。
前国王が失脚したいま、帝国との関係は良好とは言い難いのだ。
シャルトーリアは帝国内の地盤固めのみに心血を注いでいたことで、対外政策についてはあまり詳しくない。
ほぼ大臣の独断といえる。
結果、王国は帝国に対して多くの恨み辛みがあるのだと、このとき初めて理解できた。
昔の共犯者はもういないのだと。
そして最後はラマ国である。
ここまで来て、ラマ国だけ除外するわけにもいかない。
そしてラマ国は歴史的にみて、一番反帝国側の存在だ。
絶断山脈を挟んでいるとはいえ、領地が接しているのだ。
何度も軍隊が衝突した間柄ともいえる。
ミルドラルや王国とは違った敵意を感じることとなった。
帝国がラマ国を歯牙にも掛けず、弱小国家扱いしたことも起因しているのだろう。
何度となく行われたラマ国からの抗議を無視し続けた歴史もある。
これまで通り弱小国家扱いするには、三国同盟が大きすぎる。
ここでもシャルトーリアは難しい綱渡りを強いられることになる。
結局すべての国を回り、帝都へ戻ったのは、出発してから一ヶ月が経っていた。
精も根も尽き果てたというのが、正直な感想であった。
出迎えたクオルトスに、方針変更をまず伝える。
「帝国は浪民との関係改善を図る」
「急にどうされたのです!?」
クオルトスは相当驚いていた。
「理由は後で話すが、魔道国と敵対できない。というより、あの国と敵対するのは最悪だ。それゆえ浪民との関係改善の道を探る」
「それは……難しいことと思いますが」
「何年か先、魔道国が浪民を引き取りたいと申し出てきたとき、中立関係にあるのが望ましい」
「浪民を引き取りたい? 魔道国がですか? いや、そんな……」
何を馬鹿なことをという顔をしている。
「おまえも情報大臣なのだから、一度魔道国へ足を運んだ方がいいかもしれないな」
「……殿下は、向こうで何を見てきたのでしょうか」
「それを話すと長くなる。だからやるべきことはだな、帝国の頭脳と呼べる者たちをまず集めるのだ。そのとき、私が見聞きしたことを話す。そして対策を練ろう」
「分かりました。すぐに取りかかります。それと浪民たちのこと。これは一筋縄ではいきませんが、殿下がそう仰るのでしたら、最善を尽くします」
「頼んだぞ」
「お任せ下さい」
クオルトスが出て行った。人を集めにいったのだろう。
これでしばらくゆっくりできる。
ガラにもなくそんなことを思ったシャルトーリアだったが、クオルトスが息せき切って戻ってきた。
その引きつった顔を見て、頭を抱えたくなった。何か悪いことがおこったのだ。
「どうした?」
せっかく帝国に戻ってきたというのに、またトラブルかと頭痛がした。
シャルトーリアはそれを無視して問いかける。
「大変です、殿下。ヒットミアの町の代官がっ!」
「ヒットミア……? たしかロキスという名だったな。それがどうした?」
ヒットミアは、シャルトーリアが多数派工作をしかけていた町の名である。
代官のロキスを追い落とすため、商人のダクワンを派遣したところだと思い出した。
「そのロキスがです。多くの兵を引き連れて、浪民街を襲ったようです!」
シャルトーリアの身体がグラリと揺れた。