012 王国の思惑
エルヴァル王国を一言で表すならば、それは『商業の国』となる。
国内にいる多くの商会が毎日毎夜、どこかで鎬を削っている。
王国は商人たちによって支えられ、商人とともに発展していく。
そして星の数ほどある商会の中で最大のものは、現国王が所属するルブラン商会である。
ルブラン商会が扱う品目は多岐にわたり、そのどれもが一級品であると言われている。
国王の名はファーラン。
ルブラン商会のファーラン――ファーラン・デュ・ルブランである。
この『デュ』というのは商会長である証。
彼がルブラン商会の実質的な長であることを示している。
「……それで、どういうことか説明してもらいましょうか、陛下」
狭くも豪奢な部屋でファーランを詰問しているのは、王国の宰相たるウルダール。
御年63歳の大宰相である。
先代どころか、先々代の王の時代より王宮で働いている。
宰相になったのは、先代国王ガネイルの時分。
「あれれ~? 言ってなかったっけ? おっかしいなぁ~」
すっとぼけているのは、この国の最高権力者。
「聞いていません」
「そうだったか、いやすまん。……ってことでひとつよろしく、宰相」
ファーランは、もちろん分かってやっている。
その証拠に、顔がニヤけていた。
「トゥーバ湿原とその一帯を放棄するとは、正気の沙汰とは思えませんな。これまでどれだけ投資してきたと思っているんです。しかも勝手に決めてしまうとは!」
「だって先に言ったら、反対するだろ」
ファーランは豪奢なテーブルに頬杖をつく。
「当たり前です! というか、やはり黙っていたんですね! この腐れ王がっ!!」
ウルダールは机を両手で激しく叩いた。
「そんなに怒ると、血管が切れるぜ」
「だれのせいだと思っているんです! あの湿原一帯にいったいどれほどの投資をしてきたと思っているですか」
「投資した額だろ? ちゃんと調べてあるぜ。先代からの累積金が、王国金貨で五万枚ほどだ。さすがに総額を見たときは俺も驚いたな」
「分かっているなら、なぜ!?」
「無駄だからだ。今まで投資した分の回収を計算したら、五十年経っても無理だ」
「だからこそ人をやって整備するのでは? 南との交通の要所になれば人が通ります」
「無理だな。俺の試算だと、交通量は増えるが維持費でトントンだ。魔物が出没する箇所が多いから、兵を置くだけで赤字になる。よってあそこは放棄。以上」
「………………」
ウルダールは額に青筋を立てたまま、何も言わなかった。
国王がそう決めた以上、それは決定事項なのだ。
それを覆すには「アレ」しかないが、ウルダールにはその権利がない。
「では、せめて理由だけでも伺ってよろしいでしょうか。あれは先代が確かな利益が見込めると判断して、長期的な目算を立てて行った事業ですよ」
「そうだな。だが予想外のことが起きたのと、事情が変わったとしかいいようがない。そもそもあれ、回収の目算が甘かったぞ」
ファーラはテーブルに積まれている数ある資料の中から、目当てのものを取り出して、ウルダールの前においた。
「先王の商会は工事事業に特化していたからな、多少採算性が悪くても強引に押し通したようだが、俺はそれを許さない。駄目なものはすべて潰す」
「投資した金の回収が……」
「それも計算が終わっている。ここで手を引いた方が傷口が小さい」
「確認させていただきます。失礼……」
ウルダールは資料をぺらぺらとめくり、しばらくそこに書かれている数字に目を通した。
「これは本当ですか?」
「ああ、俺は数字で嘘をついたことがない」
「……ふう、信じましょう。しかし、湿地帯を放棄した場合、そこにいた民や傭兵団はどうされるのですか?」
「町で暮らせる者は移す。あとは捨てる。傭兵団は先日解雇した」
「素早いことで。ですが、湿地帯に住んでいた者たちでは、町に住むだけの蓄えはないでしょう」
「そうだな」
つまり棄てるということだ。
「あらあら、どこに行ったのかと思ったら、こんなところで密談なんかして」
入ってきたのは、王妃ミネアだ。
ミネアは王国第三位の規模を誇る『デルキス商会』会頭の娘である。
ファーラン45歳、ミネア40歳と、国をその双肩に乗せるには、二人はまだまだ若い。
「これは王妃さま。ただいま湿地帯放棄の件について、陛下に説明を求めていたところです」
「あら、それは仕方ないことではなくて? あそこはもう、何の資源もないことが分かったのですもの」
ミネアは扇で口元を隠して上品に笑った。
「ですが、私になんの相談もなく……」
「夫は傭兵団を勝手に動かし、後ろ暗いことをしていたようですし、仕方ないのでしょう」
「おいっ、馬鹿っ、やめっ……」
「……へ・い・か?」
ウルダールの顔がこれ以上ないというくらい、険しくなった。
「あちゃー」
ファーランはぺしゃりと己の額を叩いて、恨みがましい目で王妃を見た。
王妃は「おほほほ……」と笑うだけで、その真意は測れなかった。
「……というわけでな、ラマ国の仕業に見せかけて、全員ぶち殺そうとしたわけよ」
「陛下っ!! あなたは、ミルドラルと戦争するつもりですか!?」
宰相に詰問されて、ファーランは洗いざらい話すことになってしまった。
王妃はニコニコと笑顔を絶やさないまま、同席している。
「そんなつもりはねえよ。まあ、やったら勝つけどな」
「そういうことを言っているのではありません! なぜ、公女殿下を襲おうなどと」
「ありゃ、大したタマだぜ。こちらに靡かねえし、処分した方が後々楽だろ」
「陛下っ!」
「向こうも城に間者を放って、こっちの動きを探ってやがったんだぞ。一応、連絡要員は全員事故にあってもらったが、漏れがあるかもしれねえ」
「陛下ぁ!」
「あちらさんも貴族だ。暗殺者の送り合いくらい、挨拶みたいなもんだ。まっ、警告には、なっただろ」
「でもあなた。もし傭兵団が成功してしまったら、どうしますの?」
「そりゃ雇うさ。失敗するまでは使ってやる。どこか辺境の警備でもさせときゃ、文句も言わねえだろ」
あえて、襲った対象については触れない。
そして、のほほんとした調子で言う国王に、宰相ウルダールは毒気を抜かれてしまった。
「バレたら戦争になりますよ」
「バレやしねえよ。というか、証拠は残してねえ」
「そういうのが一番危ないのです」
「抗議が来たら全力でしらばっくれるし、戦争になったら受けて立つ。何か問題でも?」
「問題がありまくると思いますが」
「なにもトエルザードがミルドラルを代表しているわけじゃねえんだ。北のフィーネを引き入れた以上、全面戦争ってことにはならねえさ」
「トエルザード公はバイダル公と親しい間柄と伺っていますが」
「まあそうだな。あの三公どうして血みどろの権力争いとか起きないかね。ミネア、何とかできない?」
「さて、そういった方面にはとんと疎いもので」
「どうだか。……フィーネはいま未開地帯の魔物対策で破綻寸前だ。うまく隠しているようだが、財政は火の車だろうぜ」
「そこで援助を申し出て、協力を取り付けたわけですな」
「あからさまなことはやってねえよ。未開地帯に置く兵を少し貸してやるだけだ」
大陸の最も北の部分はすべて未開地帯が覆っている。
それは帝国側も同じ。
未開地帯全土が魔物の巣窟となっているため、簡単に人が分け入ることができない。
しかもそこから魔物が人里へやってくることがあるため、多くの兵を常駐させる必要があった。
「しかし、なぜフィーネがそんなことに? たしかに資源の乏しい地ではありましたが」
「未開地帯の開拓だよ。失敗したんだけどさ。境界線上にちょっとした銀山があるんだけど、魔物が多くて掘り出しできないんだわ。それで境界線を押し上げようとしたわけ」
周辺の魔物を討伐しても、いつの間にか魔物が湧いてくる。
それでは延々といたちごっこを続けることになり、さすがに効率が悪い。
だが方法はある。
未開地帯に湧く魔物は、すべて森林に棲息する魔物である。
つまり湧きが起こる場所は、森の中という制限がある。
フィーネ公は、銀山に魔物が来ないように森の木を切り倒す計画をスタートさせた。
過去の試算によると、だいたい森から一キロメートルも離れれば、魔物は湧かない。
湧いた魔物が徘徊するのを止めさせるには、その二、三倍の距離があれば完璧だが、ただ湧かせないだけなら、一キロメートルで十分である。
銀山の麓から一キロメートル分の木を伐る。
言うは易しだが、それは多くの人と金がいる。
「湧く魔物の強さを見誤りましたかな」
「そんなところだろ。大々的に国家事業としてやったようだが、結果は失敗。あとに残ったのは、中途半端に刈った木々と、借金ってとこだろうぜ」
「陛下、まさかとは思いますが、失敗するように何かしたんじゃないでしょうね」
ウルダールの目が鋭く光る。
「さすがにそこまで俺は暇じゃないぜ。あれは自滅だ。本当だぜ」
「……信じましょう。当代のフィーネ公は未開地帯での戦いも積極的に推進する御仁。魔物との戦いで、戦費は拡大の一途を辿っていると評判ですし」
「あのおばはんな。夫を魔物との戦いで失ってから、抑えが利かないんだろうよ」
その分、つけ込みようがあるとファーランは笑った。
ルブラン商会のファーラン。
彼は、国王になる以前より、その名をエルヴァル王国内で轟かせていた。
理由は明白。
攻撃的な商才を発揮するからである。
通常、ルブラン商会ほど大きくなると、商会運営は自ずと守りにはいる。
新規拡張をしないわけではない。
商会を大きくするためにそういったことは積極的にやっていく。
そうではなく自らの進退をかけて、もしくは商会すら賭けて前に進んでいくのである。
何もかも失うリスクを横に置き、ファーランは歩を進めるのである。
そしてこれまで、彼は賭けに勝ち続けてきた。
その最たるものが国王の座であるのは言うまでもないだろう。
先王を押しのけ、至高の座に就いた。
彼は商才と同時に賭博師の才も持ち合わせているのかもしれない。
「そんで、ラマ国侵攻はどうなっている?」
そんなファーランの問いかけに、宰相のウルダールは渋面を作った。
彼自身、ラマ国併呑――ファーランの言葉を借りれば侵攻には反対の立場であった。
だが、エルヴァル王国においては王の言葉は絶対。
販路の拡充は国政でもある。
それに異を唱えるラマ国は、王国の敵でしかない。
利害がぶつかっているのならば、ファーランは容赦しない。
ゆえにウルダールは黙々と、自らの職務を全うするのである。
頭の中で反対だと思うのはいい。反対と口に出すのも構わない。
ただ、それを実行に移せば、ファーランは牙をむく。
あの攻撃的な国王が敵に回るのだ。
それだけは避けたいと、ウルダールは考えている。
「ラマ国侵攻に関して、市井はおおよそ賛成の立場をとっております。今後も変わらないでしょう」
ファーランからの命令はいくつかある。
その中のひとつが、世論の誘導である。
戦争によって、直接的な被害に遭う者はいる。
そういった者が声高に訴えかけるだけで、利害関係を持たない者たちは簡単に流される。
ウルダールは戦争反対派を抑え、賛成派を増やすために動いている。
「その辺はこっちの調査とも合致しているな。それから?」
分かっているなら聞くなとウルダールは思うが、もちろん口には出さない。
「物資は十分すぎるほど集まっています。戦争中も困ることはないでしょう。武器防具については、魔物討伐の関係もありますので、市場にあるものを集めると恨みを買います。抱え込んだ鍛冶職人たちに作らせている最中です」
大量に武器を購入すれば、市場にある武具が一気に無くなる。
そうなると武具の価格が値上がりせざるを得ない。
だが常時武具が必要なのは、魔物から国民を守る常備兵や傭兵たちである。
彼らの所へ武具が満足に供給されなければ、魔物の被害が増え、兵も徒に消耗させてしまう。
ウルダールもそれは分かっているため、巷の値段を見ながら少量ずつ仕入れ、残りは専門の鍛冶職人に作らせているところである。
そのおかげで、価格の高騰は抑えられているものの、満足な数を揃えられているとは言い難い。
ちなみに、他国から仕入れればいいではないかと思うかもしれないが、それをすると国家間の関係が悪化する。
最悪、友好国だったのが一転して敵国にもなりかねない。
また、こちらから買う武具は制限されて、反対に相手国がエルヴァル王国内で武具を買いあさる可能性も出てくる。
それを制限して制裁を科せば、やはり国家間の関係は悪化する。
戦争のために武具を欲するのに、敵国を増やしてどうするのだという事態に陥る。
ファーランもそれが分かっているから、他国から買えとは言わない。
他国から武具を買いあさる行為は、秘密裏にやればやるほど心証を悪くするのだ。無駄に敵意を煽る意味は無い。
「まあ、武具は既存のもので足りているんだよな」
「はい。ですが、戦争は物資の消耗戦でございます。足らなくなってから揃えるわけにもいきませんので」
「そうだな。市井で武具の価格上昇を二割まで認めるから、少し買っておいてくれ。どのみち戦争が始まれば便乗値上げも始まる」
「……畏まりました」
ウルダールは恭しく頭を下げた。
「ねえあなた。ライエル将軍は本当に出てこないのかしら」
王妃のミネアが三日月の目を絶やさないまま、問いかけてきた。
「ラマ国の将軍に関しちゃ、情報がまったく入らねえ……ってことはだ。秘匿する理由があるんだよ。健在ならアピールしなきゃいけないところだ。それができないあたり、もう長くない。戦場に出るのは不可能だろうな」
ファーランがラマ国併呑を実行した理由はこれである。
どんなに深く探っても、常勝将軍ライエル健在の確認は取れなかった。
徹底的に隠しているのである。
それはなぜか? なぜ隠さねばならないのか。
あまりにも徹底的に隠しすぎたために、ファーランは確信したのである。
ライエル将軍はもう、戦場に立つことができないと。
フィーネ公を動かし、ミルドラルとラマ国の戦争を起こさせる。
この戦い、ミルドラルがどう頑張ろうと、ラマ国の首都を落とすことは敵わない。
山の中腹にある首都ボスワンは、それほど堅牢なのだ。
他の場所でいくら勝利を重ねても、首都は落ちない。
かといって、ラマ国が山を下りてミルドラルを滅ぼしに遠征するかと言えば、それもありえない。
ミルドラルは広く、ラマ国はその全土を手中に収めるには兵が足らない。
つまりこの戦い、両国が疲弊して終わるのである。……通常ならば。
ファーランは一番のタイミングでミルドラルに加勢。
経済面で援助しつつ南方から兵を出すつもりであった。
首都ボスワンに至る山道は北と南の二本だけ。
疲弊したラマ国に攻め上り、いっきに首都まで落とすつもりであった。
「でもここからのお話、軍務省のラーゼンを呼んだ方がいいのではないかしら」
「いや、必要ない。アレにはすでに話は通してある」
「あらまあ、早いこと」
「何かあれば動いてもらうことになるからな。それに奴は俺が引き上げたんだ。しっかり働いてもらわないと困る」
宰相のウルダールは、王に仕えて三代目となる。
国家運営に関してウルダールの右に出る者はいない。
一方、軍務省のトップにいるラーゼンは、もとは傭兵団の団長をしていた。
今でも各種商会に睨みが利き、傭兵連中から畏怖と尊敬を集めている。
ラーゼンの用兵は、神速と言われるほど早く、相手が準備を済ませる前に終わらせてしまうほどである。
たしかに事前に話を通しておけば、ラーゼンのことだから、どこと戦争になったとしても、瞬く間に準備を終わらせ、戦場に赴いていることだろう。
「そういえば、ラーゼン軍務相からは戦争準備に関する報告があがっておりませんね」
「あれは政治的な駆け引きが弱いからな。今の段階でラマ国を警戒させるつもりはねえんだ」
エルヴァル王国とラマ国は何度も戦火を交えていた。
今回、ミルドラルをけしかけて両面作戦を考えているなどラマ国に知られれば、また違った対策を立てられてしまうかもしれない。
しかもこの密約は、いまだ王国とミルドラルの上層部のみの話である。
巷間に「もしかして」と話が流れているものの、信憑性があると思われていない。
「ラマ国にはせいぜい俺たちだけを警戒してもらおう。その方が効果的だからな」
「ラマ国侵略は諦めないのですね」
「当たり前だ。俺はそのために王になったんだぜ。ラマ国から帝国への商道を確保しなけりゃ、八老会から即座にこの座から引きずり降ろされてしまうぜ」
王国には、八老会という組織がある。
八人の代表が案件を持ち寄り、多数決によって決める。
それは個人の問題でもよいし、国政に関わることでもよい。
だれが何を持ち込んでもよいとされ、持ち込まれたものは八老会の議決によって決定される。
ちなみに先王を玉座から引きずりおろすのにも使われている。
提案したのはもちろんファーランだ。
そしてファーランは、そのときの公約を撤回したら、今度は自分が玉座から転落すると告げているのだ。
「うーん、たしかに提案されたら反対に回る人は少なそうね。もちろんウチは違うけど」
ルブラン商会だけでなく、ミネアの実家であるデルキス商会もまた、八老会の構成員である。
この王国の意志決定機関である八老会は、少々変わった集団で、構成員の誰かが提案するときだけ、顔を合わせることになる。
提案した者が議長となって会を進行させ、最後は多数決で全体の意志を決める。
ただし議長には投票権がないため、残りの七人の多数決となる。
つまり、八老会を動かすには提案者以外に四名の賛成を得る必要がある。
逆を言えば、八老会で自分以外、四名の賛成が得られれば、法律どころか王の首すら変えられる。
「先王は道を整備し、皆が使う建物を建てることで王国を富ませようとしていましたな」
ウルダールは、当時を思い出すように言った。
もし今の話を正司が聞いていたら「公共事業か」と思っただろう。
先代の王はまさに公共事業を推し進めることによって、金を循環させ、だれもが富める社会を目指していた。
だがファーランをはじめ、八老会の多くが求めたのは物資の消費、いわゆる戦争特需であった。
――コントロールできる戦争は、経済の活性化に繋がるし、文化芸術の発展、新しい技術開発も加速度的に進む。
それこそがファーランが唱えた、「支配的戦争論」である。
王国の仮想敵国は絶断山脈を越えた先にあるロスフィール帝国である。
帝国は統一国家の成立にこそ成功したものの、現在もなお、反抗勢力の台頭に苦しんでいる。
地下に潜ったレジスタンス活動に手を焼き、山脈を越えて侵略戦争を仕掛ける余裕がない。
王国は帝国と船で交易しつつ、レジスタンス活動を秘かに支援し、その内情はある程度把握している。
王国が手を貸せば、何十年にも亘って、帝国内で出血を強いる活動を続けられる。
それだけの自信がファーランにはあった。
そうなれば、帝国は物資を王国から買わざるを得なくなる。
そして徐々に帝国の経済を王国に依存させ、コントロール下に置かせるのである。
そのためには、どうしても船による交易ではなく、絶断山脈を越えた流通体制が必要になってくる。
王国がラマ国を狙うのはそこである。
ファーラン国王は、ふと思い出したように呟いた。
「そうそう、経済省のルクエスタがようやく許可を出した」
ファーランが国王になった直後、国庫はほとんど空になっていた。
事業に投資しすぎたのである。
主要な町以外では、支出に見合った収入がない。
つまり、国が資金を投入すれば、それを行った商会は潤うだけで、世の中には還元されなかった。
されたとしても、かなり先少ない。
そして、見返りが少ないと初めから言われていた地にも、先代国王は投資をしていた。
実行したのはもちろん、先代の息がかかった商会である。
荒れ地を耕地へと開発すれば人が増える。
だが彼らからもたらされる税収は微々たるもの。
人が増えれば、それを守る傭兵団を雇わねばならず、収支は大幅な赤字。
国政は十年、二十年ではなく、五十年、百年という長い目で見る必要はあるものの、このまま赤字を垂れ流し続けるのはよくない。
ファーランは王位についてからこの五年の間で、少しずつ先代の負の遺産を精算していた。
そしてようやく最近になって、国庫は帝国と戦争ができるまでに回復してきたのである。
つまり王国は、見た目の繁栄とは裏腹に、最近まで緊縮財政をずっと敷いていたのである。
「しかし陛下、戦争をコントロールすることは、本当にできるのでしょうか」
「できる……というか、相手に戦争継続は割に合わないと思わせるんだ。そのタイミングでこちらから譲歩した提案を持ち込む。すると相手は飛びつくって寸法だ」
「その戦争継続が割に合わないと思わせるところが重要な気がしますが」
「やり方はいくつも思いつくさ。レジスタンスの連中に暴れてもらうのが効果的だな。都市の一つも落とせば帝国は慌てる。ほかにも、商会を通して帝民の感情を煽る。厭戦気分を盛り上げて、皇帝不信へと彼らの思考を誘導する。ほかにも魔物の被害を増やす」
「魔物の被害をですか? そんなこと可能なんですか、陛下」
「実際に増やすわけじゃないが、被害を二倍、三倍に脚色して外に流すわけだ。もしくは、今までその場で話が止まっていたものを商人を通して商品と一緒に情報として広めていく。実際に被害があるわけだから虚偽でもない。そうやって、帝民に魔物の脅威を思い出させるわけさ」
「……なるほど。いまの陛下の考えは分かりましたが、それらはすべて帝国が劣勢に立ったときに成り立つ話ですね。我々が劣勢になった場合はどうするんです?」
「ああ、ウルダールは俺たちと帝国が直接戦争をするって考えているわけか」
「? 違うのですか?」
「違う。武器を持って戦うのはラマ国までだ。俺たちは帝国に物資を融通しているんだぜ。帝国は広い。あんなところをわざわざ攻め込んだりしないさ」
帝国とは友好的に接していくのだとファーランは言っている。
「ですが、向こうから戦争を仕掛けてくることも考えられます」
経済で行き詰まったとき、外に目を向けるのは政治の常道である。
絶断山脈の向こうに肥えた土地があれば、それを手に入れようとしてくる。
「帝国兵が絶断山脈を越えてくることは考えられるな」
「はい。そのときどうされるおつもりですか?」
「ラマ国首都をどこの国が押さえているかで変わってくる。俺たちが押さえているならば話は簡単だ。焦土作戦を敷く。ラマ国を灰にして南の道も崩落させる」
「――ッ! それはあまりにも」
「まあ聞け。帝国兵は北の道しか使えないわけだ。つまりミルドラルに侵攻するしかなくなる。ミルドラルは総力をあげて戦うだろうな。その間に俺たちは帝国本土でレジスタンスの連中を次々と独立させる」
いまなお、激しい抵抗運動が帝国内で行われている。
帝国軍事力の三割をそれに割かなければいけないほどである。
ファーランは続ける。
「独立した国を支援して、帝国軍に勝たせる。大きな敗戦をいくつか経験すれば、他のレジスタンスの連中も雪崩を打って独立するだろうさ。そうしたら西に侵攻している場合じゃない。急いで手打ちにして戻らねばならなくなる。そこが狙い目だな」
帝国は図体ばかり大きくなり、手足にまで神経が通っていない。
そうファーランは評した。
「うまく行きますか?」
「帝国の兵数だけ見りゃ、絶断山脈の西側を支配するほどないのが分かるだろ。足下を疎かに進軍しても、どこかで行き詰まるのさ」
ミルドラルが率先して帝国に帰属するならば別だが、それはないとファーランは思っている。
占領される前に、足下で火を熾してしまえばいいのだと言いたいらしい。
「それで、ラマ国首都をミルドラルが押さえた場合はどうなのです?」
ラマ国とミルドラルの戦争もライエル将軍の不在が本当ならば、あっけなく首都が陥落する可能性だってある。
まだ見ぬ英雄がミルドラルに存在しているかもしれないのだ。
「その時はミルドラルに帝国と戦ってもらう。見返りは十分渡すつもりだ」
「なるほど。それでどうなります?」
「ミルドラルが劣勢になったところで、俺たちが介入。優勢に推し進めたところで調停に入る。ミルドラルには恩を売れるし、帝国も助かるわけだ。何しろ、その頃にはレジスタンス活動が活発になっているだろうしな」
「ミルドラルに恩を売って、絶断山脈の支配権をもぎ取るわけですか」
「そういうこと。ただ、帝国が折れない可能性もあるんだ」
「絶断山脈を越えたことで、帝国はこっちの世界に興味を持つからですか?」
「大陸制覇が現皇帝の悲願らしいからな。笑っちゃうぜ。てめえの足下すら掌握できていないで、なにが大陸制覇だか」
「帝国もこれを逃すと、二度と機会がやってこないかもしれません。失血覚悟で踏みとどまるかもしれません」
「その場合、ミルドラルは負けるな。俺たちが援助したところで限度がある。ラマ国から全面撤退は必至だろう」
「拙いじゃないですか。山脈の西側に帝国の拠点をつくられますよ」
「いいんだよ。ミルドラルは危機感を持つから同盟できるだろ。裏で俺たちは帝国との取り引きは続ける」
「帝国は益々力を付けますよ」
「俺たちには港が有り、船がある。レジスタンスの連中に派手に暴れてもらうさ。それにウチとミルドラルの両方と同時に戦う力はない。三方から攻められりゃ、どこと手打ちするか分かるだろ」
「一番理解がいいのは、わが国でしょう。そこまで上手くいくか不安なのですが」
「帝国とやりあったところで、俺たちは負けねえよ。なんのために兵と民を分けていると思っているんだ。常備兵と傭兵団は精鋭。金はたっぷりある。帝国にいるレジスタンス連中は建国のチャンスだ。亡国の王子や姫君が動き出すぜ」
「本当ですか?」
「もちろん本当だ。ちゃんと旗頭はいる。それが表に出りゃ、下の連中は死にものぐるいで戦うさ。俺たちと互角にやりあうには、帝国全土にいる兵の半分を持ってこないと無理だ。いま帝国は領土が広くて、兵が少ないんだ。さぞ、多くの国が乱立することだろうな」
「何度も言うようですが、そんなにうまく行きますか?」
「行くさ。なにしろ、帝国で一番抵抗運動が活発なのは、旧ロイスマリナ王国と、旧バッタリアだ。ロイスマリナは絶断山脈のすぐそば。あんなところで決起されたんじゃ、こっち側に来ている兵は戻るに戻れない」
「ロイスマリナはそうでしょうね。バッタリアは……港ですか」
「ああ。帝国は二つしかない港のひとつを失う。しかも俺たちと戦争しているんだ。物資がバッタリアに流れ込んだら、奪回も難しい。いや、反対に残りひとつの港も奪われるかもしれない。そう考えるはずだ」
「……分かりました。国庫に戦争継続するに足る資金があるのは知っていますので。もうこれ以上何もいいません。ですが、予定外のことだって起こりえるのですよ」
「予定外なら、それこそ考えても無駄だろ。まあ、国庫を空にする勢いで戦っても十年は戦争継続できる。どうなったとしても、負けねえよ」
「分かりました。そこまで考えているのでしたら、何も申しません」
「一番いいのはラマ国を俺たちが押さえて、帝国とはよい取引相手でいることだな」
「本当にそう思います」
ウルダールは疲れたように息を吐き出した。